KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

徳島の日本一低い山に登ってみた!

2024年01月25日 | 四国の山


相変わらず膝の調子は思わしくなく、普通に歩く分には問題ないが、事務所の階段の登り

降りの際にはやはり痛みが走る。まだまだ無理は出来ないと、先週はほぼ平らな"日本一低

い山"と地元で謳っている白鳥町の御山に登ってきた。

御山が日本一低い山として山開きしたのは2005年の事。それまでに日本一低い山とし

ては、徳島の弁天山の名前をよく耳にしていた。それでは本当の日本一低い山はいったい

どこの山だろうと調べてみると、今のところ仙台市にある日和山ということらしい。

ただしこれには色々と経緯があり、1990年代には日和山は標高6mで日本一低い山と

されていたが、1996年7月に大阪市の天保山4.53m)が国土地理院の地形図に山として

掲載されたため日本で二番目に低い山となった。その後2011年3月11日の東日本大震災の

津波と地盤沈下により標高が低くなり、その後に国土地理院が行った測量で天保山より低

い標高3mの山であることが確認され、再び日本一低い山となった。

そうなると天保山は二番目の山となってしまったが、日和山にその名を譲ってしまったの

で現在は『二等三角点のある日本一低い山』と謳っている。

では山の定義とは。国土地理院のQ&Aには『山の定義はしていません』となっている。さ

らには『日本一低い山は把握していません』とも書いてある。ただ一般的には国土地理院

の地形図に聳肩体(しょうけんたい:垂直線はそのまま、水平線を右肩上りとした書体)

で表記されたもので、かつ標高が記載されているものが山となっている。

となると白鳥町の御山は地形図には表記されておらず、条件の当てはまるのは日和山・天

保山・弁天山となる。前述の二つの山はいずれも築山で人工的に作られた山。自然の山と

してはやはり徳島の弁天山が個人的には『日本一低い山』になるのではないかと思って、

今回出かけてきた。




天気予報は晴れ、山登り?には申し分のない青空が広がっていた。ただし昨日の夜から

部屋の窓ガラスを叩く風の音が凄かった。朝になっても風は止まず、徳島JCTから沖

洲間ICが強風のため通行止めとなっていた。仕方がないので徳島ICで降りて、市内

を通り弁天山へと着いた。

弁天山は県道沿いのこんもりとした山。駐車場はなかったのでその手前の弁天市さんで

みかんを買って、車を停めさせてもらった。




額束に厳島神社・弁財天と書かれた赤鳥居を潜ると、山頂までコンクリートの道が続い

ていた。鳥居からは膝を庇いながらゆっくり登っても30秒。過去最短の歩行時間とな

った。







先ずは弁財天が祀られている神社を参拝。その祠の前にあるガラスケースの中にお金を

入れて、登頂証明書を頂いた。弁天山の周りにはほとんど建物がなく田畑が広がってい

る。その田畑の上を思いっきり北風が吹き、山頂の周りの木々を揺らしている。厚手の

手袋をしていないと手が痛い。登頂証明書を頂いたらすぐに下山開始。復路もゆっくり

と下りても30秒ほどだった。











結局、弁天山も自身の山のイメージとは程遠いものだったが、地元の人たちがそれで盛り

上がっていればいいかなってという結論に至った。

膝が痛いとはいえ往復60秒では、せっかく徳島まで来たのに勿体ないので、近くの徳島

植物園
に寄ってみた。

前回は奥様と二人でのんびりと散策したが、今日は独りで1周1.6kmの森のショートコー

スを歩いてみた。観察小道と名付けられた途中の道は400段近くの階段状になっていた

が、ゆっくりゆっくりと登って行けば問題なかった。その階段を登りきると森の休憩所

そこからは駐車場まで下り坂か階段となる。階段を下るのは少しためらいがあったので、

下り坂をまたゆっくりと下って行った。




途中の展望休憩所からは眼下に徳島動物園。西側を見ると山頂近くが白くなった大川原

高原
を望むことができた。











くねくね坂と書かれた道を下って行くと、椿の花が散って一面赤い絨毯になっていた。

その先に今度は椿とは真反対の清楚な白い色の水仙が風に揺れていた。そしてその脇

には梅の花が咲いていた。頬を叩くのは冷たい風だったが、咲いている花を見ると季

節はいつもどおりに移り変わっていっている。














年末以来距離は大したことはないがウォーキングが出来て、少し時間は早いが徳島に来た

らやはり徳島ラーメン。予てから食べてみたいと思っていた白系中華そばの岡本中華を訪

ねてみたらなんと臨時休業。店の前でどうしようかな?とスマホを覗いていたら、YAM

APに店の北側に二つの山が載っていた。どちらも山頂近くまで車で行けそうだったので、

時間も早いのでその二つの山、日峰山と芝山に登って見る事にした。




県道120号線を北に少し走り、山を回り込むようにして行くと日峰山展望台に着いた。

展望台からは北に日峯大神子広域公園の半島の奥に、徳島市の沖洲辺りの埋め立て地、少

し視線を西に移すと眉山が見えた。そして右奥には淡路島も見える。











展望台の駐車場に車を置いて、先ずは日峰山へと登って見る。駐車場から東に舗装路を歩

いて行くと、直ぐに二股になる。その二股を右に登って行き途中から山の茂みの中へと入

って行く。するとしばらく歩くとまた展望台に出た。




遠見ケ原展望台となった場所に一旦出て、そこからまた山道へと入って行くと急登が始ま

った。ゆっくりと登る分には問題ないが、足を滑らせたりすると膝に痛みが走る。慎重に

慎重に登って行く。







駐車場からは10分とかからず山頂に着いた。日峰山山頂は木々に囲まれ眺望はない。

二等三角点 日ノ峰 191.57mがあるだけだった。










山頂からの下りは、やはり足を滑らせるのが怖くて、北側に一旦下って車道を降りていく。

駐車場まで戻って今度は反対側の芝山に登って行く。こちらも車道から山の中へと入って

行くと、途中ロープが掛かったヶ所があり、注意しながら登って行くと電波塔。








その先まで登って行くと広場に出た。広場にあった案内板には日峯山と書かれていた。す

ぐ横には『名勝 日峯山』と書かれた大きな石柱が建っている。先ほど登ったのは日峰山

そして地形図にはこちらの山が芝山となっている。なんだかややこしい!

広場からは南に大きく景色が広がっていて、なかなか見ごたえがある。そして西側には日峰

神社の大きな社殿が見えた。














さっそくその日峰神社に参拝してみる事にした。山頂にあって立派な鳥居を潜って石段を

登って行くと社殿への明るい石段。その石段を登って行くと恐らくRC造らしい立派な白

い社殿。その社殿の前には今にも飛びかかりそうな狛犬が向き合っていた。










参拝した後戻ろうとしたら社殿の裏に行けそうだったので回り込んで見ると、また絶景が

広がっていた。南東には小松島港と小松島市の市街地。その港から紀伊水道を隔てて和歌

山県の山並みが、海に浮かんでいるように見える。







南西には勝浦川が勝浦町に向かって延びている。ズームをしてみると雪で白くなった山肌

と風力発電のが並ぶ大川原高原辺りの山並みが見える。レンズを少し降って見ると、先程

登った?弁天山のこんもりした林も見えた。













日峰神社からも出来るだけ山道を通らないように、半分を車道を歩いて下山。日峯展望台

へと戻って行った。先週の御山はほぼ散策といった感じで膝の具合を量りかねたが、今日

はある程度登り坂や下り坂を歩いてやはり痛みが出てくるのが分かった。それでも先週よ

りは距離を歩けた。今後も徐々にだけれど距離を伸ばして、無理せず歩いてみようと思っ

ている。痛みを我慢すれば歩けない事もないが無理して悪化させてしまっては元も子もな

い。まぁ焦らずボチボチといきますわ!





















新春最初の登山は日本一低い山

2024年01月21日 | 香川の里山

例年だと年明け仕事始めの前に、ひと山ふた山登っているのだけれど、今年は年末の六甲

山で転倒して膝が腫れて曲がらず、平場を歩くのは問題なかったがとにかく階段の登り降

りで痛みが出た。

病院が開く4日に直ぐに整形外科でレントゲンを撮ってもらうと、『骨には異常がないよ

うですが、レントゲンでは判らない、細かい所はMRIでないと判らない』と言われ、1

週間後に検査をすると『半月板の損傷ですね』と写真を見せながら説明してくれた。『水

(間接液)が溜まっているようなので抜いて、ヒヤルロン酸を打っておきます』と言われ

て横になり治療が始まると、今まで経験したことのない、重たく大きな痛みが膝に走った。

25ccほど抜きましたと言って見せられた間接液は黄色く、小さな白いカスのようなもの

がたくさん浮いていた。『これが半月板かもしれませんね』と先生。『膝が楽になったで

しょう』と言われた通り、腫れはなくなり急に膝が軽くなったような気がした。

『山登りをしているんですけどまだ無理ですよね』と聞くと、『無理です!』と即答。

『痛みがなくなればいいですか?』と聞くと、『まぁ~』と、お好きな様にと云った感じ

で冷たくあしらわれた。

そんな感じで年末のケガも後厄の最後だったと慰め、仕事が休みだった奥さんと昼から温

泉に出かけた。その帰り道に以前からSNSで見かけて興味があった白鳥神社のかざくる

まを見に立ち寄ってみた。

境内に入る前に駐車場の横の大きなクスノ木が目についた。県の保存木に指定されている

クスノキは樹齢800年と云われ、県内では唯一のかおり風景100選にも選ばれている。




駐車場から一の門を潜ると、鶴門との間に願い事を書いた札をぶら下げた、白と淡いピン

クの色のカザグルマが藤棚の様にぶら下がっていた。奥様はさっそく家族の健康を願って

お札を書いていた。




2021年秋から「参拝者にとっていい風が吹くことで、物事が良い方向に回れば」との願い

を込めて始めたというカザグルマは、鶴の門を入って右手の表回廊にも色とりどりカザグ

ルマが並んでいた。回廊の格子の隙間から風が吹き込んでくると、カラカラと音をたてて

可愛く回るカザグルマ。なるほど若い女性たちが好んで写真をSNSにアップするはずだ。







拝殿を参拝した後、東隣にある青山稲荷神社にもお参りして境内に戻ると、禊所で祈祷す

るために社務所を空けた神主さんの代わりに、ネコが留守番をしていた。










この日は参拝をした後帰宅したのだが、数日経って奥さんが『白鳥神社の裏に日本一低い

山があるって友達が教えてくれたけど、知っとる?』と。前々から当然知ってはいたが、

果たして山と呼べるのだろうかとずっと疑問に思っていた。いつもなら見向きもしない山

だけれど、今の身体の状態からすると上り下りもなく山に登れる?ひょっとして今年初の

登山になる(笑)・・・・そう思って奥さんを誘って2週続けての白鳥神社詣でとなった。




空は申し分のない青空が広がっていた。膝さえ問題なければ今頃どこかの山を楽しく歩い

ていただろう、なんて思いながら一の門から南を見ると、鳥居の奥に真っすぐ参道が続き、

そのさらに奥に小さな三角のピークが見えた。

以前から何度も登った事のある白鳥アルプスのピークのひとつの石鎚山だ。山頂には石鎚

神社の石祠があり、山頂から北を見下ろすと、手前の御旅所の森から松の並木の参道が白

鳥神社へと真直ぐに延び、南にあるこの石鎚神社の祠に向かって延びているのが分る。










駐車場の西側には石造りの御手洗池があった。夏越祭の際には御手洗池神事が池の外で行

われるようだが、本来は参拝の前にこの池で身を清めてから境内に入る為の場所だったの

かもしれない。




先週と同じように拝殿で参拝を済ませた後、本殿横から北側の松原へと出ると直ぐ横の木

にブランコがぶら下がっていた。




白鳥の松原は昭和31年に瀬戸内海国立公園に指定され、更には62年に日本の白砂青松

100選
にも指定された景勝地だ。そんな事とは露知らず、高校生の時にこの松原でゴル

フクラブを振り回していた事がある。松原の中に9ホールを造って競い合ってよく遊んで

いた。もう40年以上も前だから時効としよう。

境内を出てしばらく歩くと十字路になった場所に石の案内板があった。山頂まで90m。

歩数を数えていけば数えられるくらいの距離。ウサインボルトなら10秒もかからない

距離だ。道の途中には所々にガンジキが置いてあり、松葉が綺麗に掃き集められていた。










ウサインボルトの様にはいかないが、それでも御山には直ぐに着いた。日本一低い山と標

高3.6mと彫られた立派な御影石の石柱が建っていた。その横には三角点を模しているのか

記念碑があったので、いつもの様に写真を撮る。これで今年初登山の終了。

国土地理院の地形図には表記されていないこの御山は、YAMAPにはグリーンの山頂ではな

く、グレーのルートなし山頂のマークになっている。










日本一低い山の登山証明書をもらいに社務所によると、用紙は社務所で、証明のスタンプ

は、神社を出て西にあるお菓子屋のみなとやさんでもらえるという事で、さっそくスタン

プを押してもらって完璧!




神社からの帰り道。県内で唯一?残っているドライブインの大川オアシスで少し早めのラ

ンチ。昭和の時代には我が町内や隣町にもあったドライブインは、ファミレスやコンビニ

にとって代わってしまった。そんな中で当初から改装をせずに営業をしていた大川オアシ

スは、最近は逆に昭和レトロな“映える”スポットとしてSNSで注目されている。

先週と今週もしっかりと奥様サービス。いざ山に復帰できたら、お小言を言われないよう

にしばらくはこうやって奥様のご機嫌をとっておこう‼










六甲全山縦走4/4 六甲山~宝塚

2024年01月04日 | 四国外の山


いよいよ今回で六甲全山縦走も最終区間となる。前回の第三区間は逆うちという伝家の宝

刀で山上から麓へ降りて、へっぽこリーダーらしい言い訳(南京町で中華を食べる)をし

て楽して歩いた。本来なら新神戸から市ケ原へ歩いて稲妻坂・天狗道を登るのが正規なの

だが、邪道も邪道、その天狗道を下りながら、『これ、登るとしたらしんどいよね』なん

て言いながら、他人事のように話をしながら下って南京町でおいしい中華を頂いた。

今回の有馬ロープウェイ山頂駅から宝塚もほぼ下りの区間だが、今回は正規の順打ち。

誰にも後ろ指を刺されることなく正々堂々と下っていける!(笑)




前回と同じように六甲ケーブル下駅横の駐車場に車を停めて、8時40分のケーブルに乗

り込むと、先週よりもなんだか人が多かった。山上駅からバスに乗り換えるとやはり満員

で座ることができなかった。そして先週と同じようにスノーパークで他の人が全員降りた。

三人だけで六甲有馬ロープウェイ山頂駅に降り立ち、先週と同じようにここからスタート。













山頂駅からしばらくは県道16号線の舗装路歩き・左手に広々としたアスレチックパーク

を眺めながら歩いて行くと、頭上にネットを張ってロープウェイが通っていた。

しばらく歩くと右手に展望公園。正面はもうほぼ大阪湾になっている。




展望公園からすぐに縦走路は左の階段を登って行く。道標は六甲山最高峰と宝塚駅までの

距離が書いてある。小さなピークを左に巻く様に道は続いていたが、すぐ県道に降りまた

次のピークに向かって階段が続いている。何ならそのまま県道を歩いてもよかったかな?










一旦登ってまた降りる。正面に見える電波塔が今日最初に登るはず?だった西おたふく山

辺りだろうか。




県道の北側を二度登り降りすると、今度は県道の南側に道は続いていた。道標は六甲最高

峰まで1.5kmとなっている。この先で西おたふく山の道標を見逃してしまって、通り過ぎ

てしまう。道はこれまでと同じように県道を右に左に横断しながら続いている。

途中でルリちゃんが『あ!西おたふく山を通りすぎているわよ』と気づいたが、『どうする

、もどる?』と言いながら『六甲全山縦走も24ピークスも、西おたふく山を踏んでいない

ので、いいんじゃないですか』とへっぽこリーダー。

















六甲最高峰への取付きからピークの南を巻くようにして登って行くと、道の脇の東屋で男性

が二人休憩していた。その先を登って行くと大きな電波塔が目の前に現れた。電波塔の下の

建屋は大正ロマンぽい風変わりな建物だった。戦後この山頂には米軍のパラボラアンテナが

設置されていて、1992年までは民間人の立ち入りが禁止されていたそうだ。二つのパラ

ボラアンテナは麓からも良く見えて、六甲最高峰の場所がよく分ったそうだ。











六甲最高峰は平らな広々とした場所に背の高い山名標が建っていた。その手前にステンレ

スのプレートがある 一等三角点 六甲山 931.25m

西側を見ると六甲ケーブル山上駅の辺りの電波塔が随分遠くに見える。











広場でしばらくの間休憩した後南に下って行くと、こちらも六甲最高峰と彫られたケルンが

あった。戦時中から先程の最高峰の広場は米軍の軍用地として使用されていた為、一般人が

立ち入ることが出来ず、やむ得ず少し南にある小高い丘を六甲最高峰としていた経緯があ

る。ケルンから東屋があった場所に下って行く途中で、大阪の湾岸地区から東に広がる大

阪の平野部が見渡せた。この全山縦走路で最初から見えていた、地上55階の超高層のワ

ールドトレードセンタ(大阪府庁第二庁舎)が、埋め立てが続く湾岸地区の奥に見える。

その手前が今何かと話題になっている2025万博の会場になる夢洲になる。














山頂から県道に降りると右手に江戸時代末期から続く一軒茶屋がある。時間はまだ10時

過ぎ。いつもお腹が空いたとうるさいあっちゃんでも、いくら何でも時間が早すぎる。

その一軒茶屋から東に広場になった場所に真新しいおしゃれなトイレがあった。この場所

は、24ピークスの大会では最終エードとなっている場所だ。




六甲最高峰から先でそれらしいピークがあった。おそらく後鉢巻山だろうと言いながら、道

の脇からそのピークに向かって登って行く(道は無い)と今日二つ目のピークの後鉢巻山。

須磨公園から数えると十六座となる。山頂にはオプテージなる通信会社の基地局があった。













後鉢巻山を後にまた県道へと下りて行くと道の南に六甲山神社の鳥居と参道が続いている。

先ほどからこの県道を若い男女の学生が、部活動だろうか一生懸命に走っている。

その姿を見ながら県道の脇から縦走路へと入って行く。これまでは県道の舗装路と縦走路

を交互に歩いて来たが、ここからはほぼ地道になる。










水無山の手前で一ヵ所眺望が開けた場所があった。ここまで来ると今度はあべのハルカス

の高層ビルが目につくようになった。







これまでの二つのピークは道から脇に外れてあったが、水無山は道の途中の笹に囲まれた

場所にあった。プレートには西宮市単独最高峰と書かれてあったが、先ほどの後鉢巻山に

もたしか西宮市最高地点と書かれていたと思ったら、後鉢巻山は芦屋市の最高峰でもある

為、この水無山が西宮市の単独最高峰となるようだ。








水無山から船坂峠への下りの途中で道の脇に見覚えのある大きな岩があった。たしかWOC

登山部のまゆゆがこの六甲全山縦走でYAMAPに写真をアップしていた岩だった。

頭巾を被った赤ずきんちゃんのようだと思い、カメラの電源を入れ振り向いて写そうとし

た瞬間に、足を滑らせ転倒した。岩にぶつけて少し変な向きに足が曲がって転んでしまっ

たが、それよりも手に持ったデジカメのレンズが伸びた状態で根元が曲がってしまって、

元に戻らなくなったのが気になった。電源をオフにしたらカチカチと音をたてて無理やり

レンズを格納しようとするが納まらない。仕方がないので根元で曲がった方向と反対にね

じると何とか元に戻り、レンズは何とか格納されたが今度はレンズの蓋が閉まらない。














膝の痛みよりレンズに白い傷も入ってカメラが壊れたのが痛かった。幸い電源を入れると

レンズは出るようになったので、この後は指でレンズの蓋を開けながら写すようになった。

以前にも一度このカメラを落としてレンズが格納できなくなったが、その時も保証期間が

切れていてけっこう修理費がかかった記憶がある。今度はレンズに傷が入っているし、また

修理に出そうか、それとも買い替えようか、なんて考えながら歩いて行くと船坂峠に着いた。

船坂峠は周りの木々も疎らで明るい場所だったので、お昼ご飯をここで食べることにする。

道の両脇に分かれて腰を降ろし、今日はカップ麺。水筒のお湯だとやはり温度が下がるの

で、3分以上経っても麺が硬かった。その間も奥様たちとの間の道をトレランの人たちが

走り抜けていった。




30分ほど休憩した後、丁度12時に船坂峠を出発。しばらくは自然林の歩きやすい道が

続くと、次に今回の六甲山ではあまり見られなかった人工林の林になる。














その林を抜けるとまた眺望が開けた場所になった。この辺りでそろそろ南側の眺望とはお

別れとなる。







次の大平山にも巨大な電波塔が立っていた。電波塔への道を回り込みながら登って行くと

18座目となる大平山。電波塔を囲んだフェンスの脇に山名標が掛かっていた。










大平山から電波塔の管理道を通り下って行き、途中から右手に縦走路へと入って行く。急

な階段を下っているとやはり先ほどの転倒が原因なのか膝の関節が痛んできた。真っすぐ

に足を運ぶと何ともないのに、少しでも左右に振れると痛い。










そうこうしている内に、市道436号線の大谷乗越に出た。ここでも後ろから来たトレラ

ンの女性陣が追い抜いていった。前回まではたくさんの登山者とすれ違ったが、宝塚から

のこの区間は登山者とはほとんどすれ違わなかった。やはり宝塚から逆うちをしている人

は少なく、走っている人の方が多いようだ。この大谷乗越からさきの破線上に、地形図に

は初めてこの道が近畿自然歩道と掲載されているが、今日歩いて来た道のほとんどが、近

畿自然歩道の六甲山・大阪湾展望のみちの区間になっている。







大谷乗越から10分ほど歩いただろうか、大きく右にカーブしている途中から、次のピー

クの岩原山へと取り付いて行く。最初は適当に歩いて行くと途中で登山道らしき道に出た。

須磨から数えて15座目のピーク。以前は積み上げられた石の中央に宝塚最高峰の標柱が

建っていたようだが、今はプレートが置かれているだけになっていた。







岩原山から一旦下って自然歩道に出た後、すぐに向かいの山へと踏み跡を辿って入って行く。

するとまもなく譲葉山西峰










その西峰から東にそのまま進んでまた自然歩道に出て、また道の脇から右手に入ると直ぐ

に今度は譲葉山南峰があった。ここはさしてピークらしくもなく、プレートが今までと違

った形になっているのからすると、先ほどの西峰と一緒に無理やり名前を付けた感じがした。








次は自然歩道の北側にある譲葉山北峰。こんな短い距離の間で次々とピークをゲットでき

て奥様たちはホクホク顔。そして最後の譲葉山譲葉山東峰とも書かれていた。













譲葉山から自然歩道まで戻ると、残るは24ピークス最後の山、岩倉山となる。

この辺りになると道の脇の笹の種類が変わってきた。今までは葉の縁が白くなったミヤコ

ザサ?だったが白い縁のない笹になっていた。











岩倉山は道の脇から少し登った場所が山頂となっていた。山頂には地蔵尊を祀った石祠が

あり、その前が 二等三角点 小林 488.38m になっていた。

これで六甲全山縦走24ピークスの全てのピークを廻ったことになる。













岩倉山からはもう登りは無く下るだけ。途中にある塩尾寺にお参りを済ますと、道は舗装

路となる。道は両側に落ち葉が綺麗に掃かれていて、その先で貯水タンク越し宝塚を見降

ろせる展望台にでた。











展望台からさらに下って行くと甲子園大学の横を通る。ただここからの坂がなかなかの急

坂の下り。痛めた膝がカクカクとし始め、最後の最後に堪えた。







川沿いに住宅地の横を通り坂を下りきると宝塚の街中。武庫川に架かった大きな橋を渡る

と、今日のゴールそして六甲全山縦走のゴールとなる阪急宝塚駅に着いた。













11月22日から始めた六甲全山縦走。これを一日で歩ききる人たちがいる事に驚きだが。

WOC登山部の私と一回り違うセニョさんが2回で歩いたのにはほとほと感心する。

しかも我々は『下山後、南京町で中華を食べる』と云う言い訳をしながら、第三区間は楽し

て逆うちをしたのだ。まあそれでもこの短期間で完歩できたのは自身でも予想していなかっ

た。大都会の神戸と背中合わせの六甲山。こんなに近くの自然の中で常に都会を感じながら

歩けるコースも珍しいだろう。ほとんどの『線で繋ぐ』の計画が終われば、またいつか第三

区間をちゃんと順うちで歩いてみたい。(ほんとかな?)

追伸:転倒して痛めた膝が年を越しても直らず曲がらない状態が続いている。病院が開いた

四日にレントゲンを撮ったのだが、大きな骨折はしていないが症状が思わしくないので、M

RIで精密検査をする事になってしまった。壊れたデジカメは家に帰って精密ドライバーで

シャッターの蓋が閉まる場所を調整したら何とか元の動作をする様になったが、膝だけは自

分ではどうにもならない。どうか検査の結果何もなく、日にち薬となるように願うばかりだ。






六甲全山縦走3/4 六甲山上駅から新神戸駅

2023年12月21日 | 香川の里山
六甲全山縦走も前回の鵯越駅~新神戸まででおおよそ半分を歩いた事になる。今回はその

続きで新神戸から市ケ原、天狗道を通って摩耶山そして六甲ケーブル山上駅までを最初に

考えたが、最後の宝塚までの距離を考えると、もう一つ先の六甲有馬ロープウェイの山頂

駅まで足を延ばしたい。そうなると今までよりは早く香川を出発したい、という問題がひ

とつ。そして次は駐車場の問題。新神戸駅の駐車場は最大料金が3,300円、今までの駐車場

の料金の3倍もする。周りにはタイムズの様な小さな駐車場が点在するだけ。という駐車

場の問題がもうひとつ。色々と調べている内に六甲ケーブル下駅には30台近く置けて最大

料金が1,000円の駐車場があった。このケーブル駅から新神戸への移動はバスを1回乗り継

ぐ事になる。ロープウェイ駅からケーブル駅へもバス移動となり、今回はバスでの移動が

多くなりロスする時間も増えるなと考えていた。


そして前回の再度山大竜寺で、山門からミニ霊場の石仏が並んでいたのを見たら山門を

入って直ぐが大窪寺になっていた。『これって逆うちですかね?』と奥様たちと話をしな

がら市ケ原への道を歩いていく途中で逆うちという言葉で閃いた。そして奥様たちに

『次の新神戸から六甲ケーブルですけど、ケーブル下駅に車を置いて、そのままケーブル

で上まであがって、新神戸まで降りる逆うちはどうですか?』と提案すると、奥様たちが

『え~~!』と呆れ顔。『逆うちって普通は最初から最後まで反対に回る事を言う

んと違うん』とルリちゃん。『途中で1区間だけ反対に回るんて逆うちとは言わんやろ』

と。『そしたら集合時間を1時間早くしますか?』と強気の発言をすると、あっちゃん

考え込んだ。『ハイハイいいですよ。どうせ阿讃縦走のスタートも余木崎からでなくて、

反対の曼陀峠から下ったし』と、ヤケクソな返事が返ってきた。(笑)




と言う事で今回も禁じ手の山頂から麓へと下りる計画となった。ケーブルとバスの乗り継

ぎ時間もあって集合時間を少しだけ早くして、高松自動車道を東に走る。阪神高速神戸線

はちょうど渋滞になる時間帯なので、北神戸線で裏六甲に回り込み『からと西』で高速を

降りて六甲有料道路で南にトンネルを抜けると、もうそこはケーブル下駅。渋滞もなく、

予想以上に早く着いて、ひとつ早い便のケーブルに乗り込んだ。

















予定の8時40分の便だとバスの乗り継ぎは5分間しかなかったが、8時20分の便に乗

れたので時間に余裕ができた。麓の駅ではそうでもなかったが、山上駅では三人で同じよ

うに『寒い・・・!』と声をあげた。時間があったので駅舎の上にある六甲天覧台に上が

ってみると、大阪平野から和歌山方面まで見渡せた。この場所は昭和56年に昭和天皇が

立ち寄られたことで天覧台と名付けられ、日本夜景遺産にも選定されている場所だそうだ。

眼下には六甲アイランド、そして東には大阪のビル群。ひと際高くそびえるのはあべのハ

ルカスだろうか?まだ低い高さの朝日を浴びて遠くに見える雲にきれいな陰影がついてい

る。東から西に続くその雲を高い位置から眺めると不思議な感じがした。













吹きさらしで冷たい風が舞う天覧台を降り、8時55分発の六甲山上バスに乗り込む。

割と早い時間だったが座席は若い子たちで埋まっていた。『こんな時間に??』と思って

いたら、ほぼ全員が六甲山スノーパークで降りて行った。結局ロープウェイ駅で降りたの

は、我々と女性がひとりだけだった。







駅舎の前を通りYAMAPでダウンロードした地図を見ながら歩いて行くと、道には雪が

残っていた。六甲ガーデンテラスも季節によったら華やかな雰囲気のする場所だろうけれ

ど、まだオープン前でしかもこの気温では、なお一層閑散とした雰囲気を助長している。










ガーデンテラスの駐車場の先のカーブから左に山道に入って行く。その地道もすぐに終わり

また舗装路へと飛び出すが、その手前でみよし観音と書かれた像が立っていた。昭和39年

の墜落事故で乗客を助けようとして亡くなった、客室乗務員の麻畠美代子さんの冥福を祈っ

て建立され、その像は飛行機の目的地だった徳島の方角を向いて、空の安全を願う意味を込

めて右手を挙げた像になっている。










舗装路からまた直ぐに六甲山上案内板が立つ場所から右に入って行く。しばらく歩くとネッ

トに囲まれた道になる。道の両側はどうやらゴルフ場のようだ。YAMAPを見て見ると、

神戸ゴルフ倶楽部となっている。神戸ゴルフ倶楽部は六甲山の開祖と呼ばれたイギリス人、

アーサー・ヘスケス・グルームが仲間たちとゴルフをするために造った4ホールの日本で初

めてのゴルフ場だそうだ。そんな由緒あるゴルフ場の中を通れるなんて珍しい。











その神戸ゴルフ倶楽部のクラブハウスを過ぎるとまた舗装路になる。しばらく歩くと道の脇

六甲山小学校と書かれた門柱。こんな山上に小学校と思ったけれど、児童数は現在62名

と、意外と多いのに驚く。

小学校の横を通り緩やかに下って行くと先ほど乗った山上バスの停留所のある記念碑台に出

た。道の脇の池は薄く氷が張っていた。














ここからしばらくは県道16号線を歩いて行く。道沿いには交番や郵便局の他にも様々な施

設、住宅がありひとつの街を形成している。県道では法面や歩道の工事があちらこちらで行

われていた。

ここで前から歩いて来た男性とすれ違いざまに少し話をすると、男性は群馬からやって来

て、大阪の叔母の家に来たついでに全山縦走を2分割で歩いてきたそうだ。今日は新神戸

を6時位にスタートして宝塚まで行くという。『すごいですね~』と感心しながら、『我

々は4分割でしかも今日は山頂駅から新神戸へ下って行きます』と言ったら、思い切り大

きな声で笑われた。











さらに歩いて行き『この先に藤原商店というお店があって、生ビールやおでんも売ってま

すよ』と奥様たちに言うと『生ビールはさすがにこの寒さでは。でもおでんはいいわね』な

んて話をしながら歩いて行くと、遠目に見えるそれらしいお店のシャッターが閉まってい

るのが見えた。近づいて行くと工事の警備員さんが何も言わないのに『今日はお休みです

よ』と教えてくれた。やはりこの辺りでは有名なお店のようだ。

営業していれば店先はこんな感じ




県道歩きから三国池まで来ると道の脇に東屋。ここから左に杣谷峠まで下って行く。時間

はまだ10時過ぎ。お弁当は掬星台ででもと考えていたが時間が早すぎる。見晴らしはよ

くてもこの寒さと冷たい風だと楽しくランチといった雰囲気でもない。

そこで思いついたのがせっかく神戸まで来てるのだから、いっそうの事このまま新神戸ま

で降りて温かい場所でランチ!それを奥様たちに提案すると『いい、いいわね!』と即決

定。『どうせなら南京町で中華なんてどうですか?』と尋ねると、『大賛成!』

なった。やはり女性陣は食い気には勝てないようだ。














これで逆うちは下りで楽をしようとしたのではなくて、最初から『せっかく神戸まで来た

ので、南京町で中華を食べる』という大義名分、いや言い訳ができた。

杣谷峠のトイレは閉鎖され、代りに仮設のトイレが置かれていた。











杣谷峠はこの辺りの鞍部。ここから県道は登り坂になる。すると正面にこんもりとしたピ

ークが見えた。どうやらあれが摩耶別山のようだ。

右にカーブになった場所のアゴニー坂・掬星台と書かれた道標から、左に山道へと入って

行く。








アゴニー坂は今日初めての急登だった。この六甲。アゴニー坂とかシェール道、カスケー

ドバレイとか、とにかくカタカナの表記が多い。その由来はわからないが、神戸だからハ

イカラ何だろうと単純に考える。距離はないが初めての急登にルリちゃんが上着を一枚脱

ぐ、私とあっちゃんはここで今日初めての水分補給。










アゴニー坂を登りきり分岐を右に歩いて行くとYAMAPでは摩耶別山になっている。

国土地理院の地図には表記されてはいないが、とにかく摩耶山系では最高地点となる。山

頂にはフェンスで囲まれた水道施設があるだけで、小さな山名札が木に掛けられているは

ずだったが辺りをうろつき探して見るが見当たらない。あまりにも山頂らしからないので

記念撮影をするのを忘れてしまった。この摩耶別山で須磨から14座となるはずだったの

に・・・・・。いくら探しても山名札が見つからないので、諦めて下って行くとこの山上

にあって、それはそれは立派な金堂の建つ摩耶天上寺があった。

全国で唯一の摩耶夫人(釈迦の生母)堂が建つ天上寺の歴史は、大化2年(西暦646年)、孝

徳天皇の勅願を受けたインドの高僧法道仙人が開創されたことに始まり、摩耶山の名前の

由来でもあるそうだ。











天上寺から少し歩いて今は営業していない『ホテル・ド・摩耶』の正面を通り10分ほど

で掬星台に着いた。








摩耶ロープウェイが年末年始を除いて3月末まで営業をしていないせいか、いつもは大勢

の人で賑わう広場は、我々が着いた時には全く人の姿はなく、後で登山客が3名ほど歩い

て来ただけだった。

掬星台は日本三大夜景のひとつ。手を伸ばせば星を掬(すく)えそうなほど美しい星空の

場所ということが、その名前の由来だそうだ。

さすが三大夜景、展望台から広がる神戸の街並みは見応えがある。六甲アイランドの奥は

さらに埋め立て工事が行われている。














案内板には甲子園も書かれているが、私の近眼ではよく分らない。望遠で写した写真を見

てもよく分らない。ここにも前々回におらが山で見た『神戸らしい眺望景観10選』の針

をイメージしたモニュメントがあった。











先ほどの展望台から西にある展望デッキからも抜群の眺めだったが、とにかく吹き上げて

くる風が冷たい。ここでのお昼ご飯はやっぱり無理があった。口の中はすでに『中華』。

南京町へと急いで降りて行こう。







掬星台から西に歩くと 三等三角点 摩耶山 698.63m

須磨からは13座目となる。三人で指を広げて13の数字を形どる。








三角点から電波塔が数棟並ぶ脇を抜けると後はほとんど下り坂。ここから市ケ原までの間

には、天狗道とか稲妻坂とか何だか怪しげな名前がついている。














摩耶山山上あたりはもともと修験道の場所で、三角点の横にある天狗岩は別名を行者岩と

もいい、山麓の農民がここで修行する山伏の姿を見て天狗と見間違い、これを天狗岩と呼

ぶようになり、市ケ原に至る登山道を天狗道と名付けたといわれている。その天狗道は花

崗岩の道。風化した花崗岩が乾いて滑りやすいので注意しながら下って行く。







途中には地表の土がなくなり、めいいっぱい辺りかまわず根を張り立つ木や、真っすぐ横

に根を張る木など、とにかく一生懸命に生きている健気な木。








下っている途中で『ひょっとしたらブログで新神戸から登ったと書くかもしれないので、

この天狗道を登ってる風にしてください』と奥様たちに言って、少し登っている画を撮っ

てみるが、考えて見ればここまで撮った写真の歩いている方向が逆なので、せっかくひと

芸してもらったが、無駄になる。

とにかく、いつまで下るのだろうど思うくらいに長い長い下り坂。下り始めて1時間10

分でやっと市ケ原に降り立った。右に行けばトゥエンティクロスを経て森林植物園へと続

く道。トゥエンティクロスとはこの布引谷沿いの渓谷を、右岸と左岸を渡り返すことが20

回に及ぶことからこの名がつけられた。現在は布引ダムが完成し、ハイキングコースも整

備されているため、渡り返すのは数回になっているそうだ。それにしても神戸の人は本当

英語やカタカナの名前をつけるのがお好きなようだ。











この三差路から南に下って行くと、前回、大竜寺から下ってきた市ケ原のトイレがある。

トイレを済ませて外に出ると大きなザックを背負った学生が二人。『ここでキャンプ?』

と尋ねると『もう少し上でキャンプします』と答えてくれた。60L以上はありそうな大

きなザックを背負っている若者の姿を見ると、何だか嬉しくなってくる。

トイレからは先週も歩いた道。布引貯水池の近くまで来ると、空に飛行機雲が交差してク

ロスの模様を造っていた。













以前から歩いているといつも足の裏の指の付け根に痛みを感じていた。それでもその痛み

の時間は短くて普段はさほど気にしていなかったが、今日は時々痛んで、先ほどからずっ

と痛みが取れなくてどんどん痛みが酷くなってきた。エントツ山さんは足底腱膜症といっ

て踵の裏が痛い症状らしく歩くのがつらいと言っていたが、この中足指節間関節の痛みも

ずっと続くと歩くのがつらくなってくる。『中華・中華、南京町』とつぶやき気を紛らせ

ながら歩いて行く。布引の滝は今日も流れ落ちる水の量は少なく、やはり迫力に欠ける滝

になっていた。











新神戸から南京町へは電車だと三宮で乗り換えて元町まで、バスだと路線が分らない。そ

れならタクシーでと、駅の広場に停まっていたバスの運転手さんに聞いて、少し南に下が

った交差点ならタクシーを拾いやすいと教えてもらって歩いて行く。

そこにはバスの停留所もあり、路線を調べて見ると南京町の近くの三宮神社まで繋がって

いるようだった。バスにしようかどうしようかと迷っている内にタクシーが停まってくれ

てそのまま南京町にレッゴー!




南京町は平日にもかかわらず大勢の人で賑わっていた。とにかくお腹が空いたので南京広

場の横にあるお店に飛び込み、あっちゃんは麻婆麺をルリちゃんはかた焼きそば、私は担

々麺定食を注文してあっという間に完食した。普段地元で食べる中華とは香辛料が違うの

か、いつもと少し違った味がしてとても美味しく頂けた。











南京町からは元町からJRに乗って六甲道で降り、バスに乗り換えケーブル下駅まで戻る。

YAMAPで全山縦走を分割して歩いている人で途中で逆走している人は見当たらない。

後ろ指を指されそうだが、こだわりもプライドもないへっぽこリーダー。次回は今日と同

じ様にケーブルで登って、有馬ロープウェイ山頂駅から宝塚を目指す。

今まで線を繋ぐシリーズは所々で間が開いて途切れがちだったが、今回の六甲全山縦走は

来週の年内で完歩できそうだ。

そのあと年が明けての行き先を、そろそろまた考えないとと思いながら帰路についた。




六甲山全山縦走2/4 鵯越駅から新神戸駅

2023年12月14日 | 四国外の山


いやいや今更のコロナに感染。ずっと寝ていたせいで腰の調子が思わしくない。ただ2週

お山を休んで、その間奥様たちは地元の里山を歩いていた。そろそろ復帰しないと何を言

われるか分からない。そう思って先週の土曜日に足慣らしをしたのだけれど、歩いている

うちは何ともなかったのに、一晩経つとさらに腰の痛みが酷くなった。

でもそんなことは言ってられない、奥様たちの視線が刺さらないうちに、前回と同じよう

に6時30分に集合して一路神戸に向かって GO!!




前回は須磨から9座登ったことになるが、今日は菊水山・鍋蓋山・再度山

3座の予定。スタート地点となる鵯越駅周辺には駐車場が見当たらないので、南に下がっ

湊川公園駐車場に車を停めて、そこから神戸電鉄湊町線の電車で三つめの鵯越駅まで移

動することにした。




電車を降りると同じようにザックを担いだ数組の人たちが降りて来た。さすが都会の裏山

六甲山。公共交通機関で登山口まで移動なんて、今や四国ではほぼ見かけない。

下りのホームに降り立ち、反対側の上りのホームの横から駅舎に沿って歩き始める。








駅舎の横から鵯越市民公園の広場に出る。先にスタートした3人の女性が広場で準備体操

をしていた。駅でその女性たちの会話を聞いていると、どこかの山の会に所属している様

子だったが、さすがだな~と感心しながらその横を通り過ぎ、しばらくはイヤガ谷沿いを

歩いて行く。










すると川沿いの道から舗装路に飛び出した。カーブになった場所に道標が立っていたが、

道標の矢印の向きが微妙で、舗装路の横に登山道ポイ道があったので、少し迷ったがそち

らに進んでしまった。しばらく登って行くとダウンロードしたルートから離れていってい

るのに気づき、慌てて引き返した。







舗装路まで戻って今度は島原川に沿って道なりに歩いて行くと、フェンスで囲まれた中央

水環境センター鈴蘭台処理場の大きな施設の前に出た。その施設の正面から左に回り込む

ようにして歩いて行くと、施設の裏側になった。そこにも菊水山への道標が立っていたが

それより大きな『ガードレール側』と書かれた案内板。その方向を見やると門扉とフェン

ス、その脇に細い道が続いていた。門扉は個人宅のものらしく、間違って入らないように

した注意書きの案内板だった。








案内板に書かれている通りガードレール横の道を歩いて行くと、広場になった場所に出る。

そこから左手に登って行くと今は廃駅となった菊水山駅が左上に見えた。周りに民家もなく

こんな山中にどうして駅を?と思ったが、帰って調べて見ると処理場施設に通勤する職員

が利用していたようだが、業務が省人化されて乗降客もほとんどいなくなった為に廃駅に

なったらしい。










駅からは菊水山方面へのハイキングコースがあり、行楽期の休日には多くのハイカーが下

車したようだが、2004の平日の調査では乗車人員は18人だったそうだ。

その菊水山駅跡の横を通り過ぎると、正面に菊水山の電波塔の頭が見えた。










石井ダムの下流に架かる橋を渡り、島原川の支流の右岸に沿って登って行く。この辺りま

ではまだ綺麗な紅葉が残っていた。すると対岸の奥から『メエ~!』と鳴く声が聞こえて

きた。『山羊かな?』と奥様たちに言うと、『まさかこんな所に』と馬鹿にされたが、確

かに山羊の鳴く声が聞こえてきた。ベンチの置かれた広場はモミジの落ち葉で赤色に染ま

っていた。ピーク時だったらそれはそれは見事な紅葉が見られただろう。














この広場から左手にいよいよ菊水山への登りが始まる。最初は擬木の階段。不規則な段差

が直ぐに足に堪えてくる。階段の両側のスズタケが、葉が落ちて色のない周りの景色にま

だ若い緑の色を保っている。擬木の階段の次は、蹴込と踏面が樹脂でできた階段になった。

こちらは段差が割と低くさっきの階段よりは登りやすい。それにしても山頂までほぼ階段

が続いている。前回の栂尾山の手前の階段も『地獄の階段』だったが、こちらもそれに引

けを取らない階段だ。

















すると道の折返しの場所が展望所になった場所にでた。正面から少し東を見るとポートア

イランド
とその沖に神戸空港。西を見ると明石大橋がクッキリと見える。昨日の雨のあと

空気が澄んでいるのだろう、今日はけっこう遠くまで見渡せる。














その展望所から15分ほど登っただろうか、今日の一つ目のピークの菊水山に着いた。

二つある巨大な電波塔のうちの一つは足場で囲われて改修工事中、もう一つの電波塔の下

は展望台になっていた。今日はここが一つ目のピークだが、前回の須磨から数えると、丁

度10座目のピークとなる。三人で10本の指を立てる。













展望台からは先ほどと同じように須磨から神戸の街並みが見渡せた。そしてさらに北東に

は広大な住宅地が広がっているのが見えた。三角点は 三等三角点 下谷上 458.83m














菊水山からは城ケ越をへて天王谷川まで200mほど下って行く。登った山を下ってまた

登るなんてと思うけれど、自然の地形は人間様の都合よくは出来てはいない。














途中のダム湖では、明るい日差しの中を仲良くカモの夫婦が、付かず離れず気持ちよさそ

うに泳いでいた。自分たちもああなりたいもんだと三人で。







国道428号線の上に架かる天王吊り橋を渡ると、今日二つ目のピークの鍋蓋山への登り

がすぐに始まる。







しかも直ぐに急登になった。地表を辺り一面に木の根が這って菊水山とは全く違った雰囲

気になる。単調な菊水山の階段登りに比べると、右に左にと自分で歩く方向を変えながら

登って行けるので、意外と苦しくはなかった。













すると年配の男性が一人立ち止まって道を譲ってくれた。すれ違いざまに『前にあと11人

登っているから』と教えてくれた。『どこかの山の会ですか?』と尋ねると、『正式なもの

ではなく、好きな人が集まって登っている』と答えてくれた。

するとその先にまた三人ほどの組。その中の男性が『鍋蓋山のこの坂が一番キツイよね』と

仰った。自分的には菊水山の階段の方がキツイかったのにと思ったが、ひょっとするとこの

グループは菊水山には鈴蘭台側から登って来たのかもしれない。

その三人を追い越して登って行くと今度は男女の組。その男性が立ち止まって『ガソリン補

給するわ!』と言っている。男性を追い抜き一緒にいた女性に『水分補給ですか?』と尋ね

たら『タバコよ、タバコ』と笑って答えてくれた。








急登を登りきった所で一ヵ所見晴らしの良い場所があった。先ほどからの団体さんの先頭の

人が、『ずっと沖には関西国際空港が見える』と教えてくれる。奥様たちがその景色に見入

っている間に、次から次と団体さんのメンバーが登ってきた。鍋蓋山の山頂にはもう休憩し

ている人がいるだろうし、この人数が到着するとお昼ご飯で座る場所がなくなるかもしれ

ないと思い、奥様たちを置いて先に山頂へと向かう。




鍋蓋山は広々とした山頂だったが、予想した通り広場ではさらに大勢の団体さんが休んで

いた。その脇にひとつだけ空いていたテーブルとベンチを陣取る。しばらくして奥様たち

が到着。すぐにお弁当を広げてお昼にする。この山頂からの眺望も申し分ない。ポートア

イランドも随分と近づいてきた。そして反対に前回スタートした須磨からの鉢伏山旗振

が遠ざかっている。














奥様たちも山名が書かれた案内板を眺めながら山座の同定をしている。ここでは三人で須

磨から11座目の指を立てる。











鍋蓋山山頂で30分ほど休憩した後は、今日最後のピークの再度山へと下って行く。道は

里山らしい花崗岩が風化した道、植生もどこにでもある木々。この六甲山には所々でその

場所が特定できるナンバーが書かれた黄色いプレートが設置されている。プレートに書か

れたナンバーを119番に連絡すると、すぐに居場所が分かるようになっているようだ。











ここでも途中で見晴らしの良い場所があった。眼下にはポートタワーがはっきりと目視で

きる距離まで近づいて来た。







再度越では道は四差路になっていた。一番北の道は再度公園への道、南の道は大竜寺へ直

接下って行く道。そして真ん中が再度山への上りの道になる。再度山への道は、距離は短

いが急登。でも今日最後の登りだと思うとあまり苦にもならない。再度山山頂は今日の二

つの山頂に比べると猫の額ほどの広さだった。須磨からは12座目のピーク。

四等三角点 鍋蓋山 486.15m











写真を撮ったあとは南側に下って行くと直ぐに『天狗』と書かれた大杉天狗。ここからは

また一段と急な坂になる。











急坂が終わると四国88カ所のミニ霊場の石仏が並んでいた。ただ四国でもよく見かける

ミニ霊場とは違って、石仏だけでなく立派な石の建屋がひとつひとつに造られていた。

奥の院にお参りして大竜寺の境内に入る。本殿にはお参りせずにそのまま表参道を下って

行くと、大きな山門のある駐車場に着いた。













駐車場から車道の反対側へ渡り、再度東谷の川沿いを20分ほど歩いて行くと市ケ原の広

い河原に出た。河原ではベンチに腰掛けテーブルの上にアルコール類を並べて談笑する年

配の男性グループや。木陰でチェアに腰掛けのんびりとしている女性の姿があった。










河原から布引大竜寺線に出て道の脇にあるトイレで用を済ませる。トイレの近くにある桜

茶屋のシャッターは下りていたが、少し南に下がった場所にある紅葉の茶屋は店の前に可

愛らしいぬいぐるみを置いて営業していた。













ここからの道は同級生3人で以前に歩いた事のある道。フェンスで囲われた川沿いを歩い

て行く。生田川になるこの川は布引貯水池を経て神戸港へと流れていく。夏からこの季節

の間、あまり雨が降らなかったせいか貯水池の水位も随分低いように見えた。

突堤の向こうにはハーブ園のロープウェイが結構短い間隔で動いている。

















貯水池の突堤の下まで降り、大正時代に造られたという谷川橋を渡りしばらく歩くと今日

最後の景勝地の布引の滝。落差43mの布引の滝は『日本の滝百選』に選ばれ、さらには

那智の滝華厳の滝とともに日本三大神滝の一つと呼ばれる名瀑。滝は花崗閃緑岩と云わ

れる白色と緑色の鉱物が混じった岩石で、全体的には白っぽく見える岩を流れ落ちている。

滝壺の上にはここでも営業している茶屋があった。紅葉の頃はもちろん、夏には涼し気な

この場所は新神戸からもほど近く、滝を眺めながら一服するにはもってこいの場所だ。

















布引の滝は上流部の雄滝から鼓滝、雌滝へと続いている。その脇を通りながら最後の展望

所に着いた。ここでもベンチに腰掛けて大勢の人が休んでいた。

すぐ手前には谷を流れ落ちる雄大な滝があったばかりなのに、目の前には新神戸駅の高層

ビル。大自然と都会がこんな近くに接している場所はなかなかないだろう。








展望所で一息入れて下って行くとすぐに明治時代に水道管を通す為に造られたレンガ造り

砂子橋。その橋を渡ると程なく新神戸駅の裏手に着いた。














これで全山縦走の1/2を終えた事になる。ここからが本来の六甲山となる。残り2/4と

はいえ、麓から都度登り下りをしていたのでは時間が足りない。登り下りのいずれかで、

ケーブルカーを利用し、さらには駐車場を確保しスタートもしくはゴール地点まではバス

移動と、課題が満載。どうやって歩くかどうやって交通機関で移動するか、頭の悩ませ処。

できれば年内に残りの2区間を完歩したいと思っている。

さぬき市里山チャレンジ30

2023年12月10日 | 香川の里山

発症してから5日間自宅療養でほぼ一日中ベットの上で過ごした。食事は部屋ドアの前に

置かれて隔離されていた。40.5度の高熱でフラフラだったが意外と食欲は落ちずに、少し

は痩せられるかなと思ったけれど、1kgほど減っただけで期待したほどではなかった。

喪が明けて出社後の変化と言えば腰の痛みが酷くなった事。車を降りるのも少し注意が必

要なくらいに張りがでた。いつものように週中の休みが取れなかったので、今日休みをと

ってリハビリで近場を歩くことにした。

以前に『さぬき市合併10周年記念事業』として、東讃里山ボランティアガイドの人たち

が、さぬき市内の里山の30座を選んで、期間中に10・20・30座を回ると記念品が

もらえるというイベントがあった。その時期にはそういったイベントがある事を知らなか

ったが、それぞれの山の山頂には山名標識が設置されているのは以前から見かけていた。

後になってその30座を調べて見ると知らないうちに24座まで廻っているのが分かった。

そのうち30座を登ってみたいと思っていたので、今回いい機会なので近場でぐるっと周

回すると3座が回れる長尾の山を歩くことにした。




先ずはスタート地点になる東部溶融クリーンセンターへと車を走らせる途中で、カメラと

スマホを玄関に忘れて来たのに気づき引き返す。この辺りは独り歩きの里山歩きの気楽な

ところで、多少の時間のロスは気にならない。

クリーンセンターの手前にトイレのある駐車場に車を停め支度をしていると、近所の人だ

ろうか、年配のご夫婦のご主人に声を掛けられた。『どこまで行くんな?』と聞かれたの

で、『ここから南に登ってぐるっと一周してきます』と言うと、『それはそれはすごいな』

『イノシシも猿もよおけおるけん気をつけてな!』と言われた。




駐車場から南に背の高いクリーンセンターのエントツに向かって舗装路を歩いて行くと、

右手に再資源化センターの入り口がある、その脇を左に進んで行くとクリーンセンターを

回り込むようにして、センターの南側に着いた。ここから左に見えるフェンスに沿って登

って行く。







山を切り崩して造られたクリーンセンター。その切り崩した斜面に沿ってフェンスで囲わ

れている。これがなかなかの急登。しかも積もった落ち葉で登山靴のグリップも効かず、

滑るは滑る。場所によっては横のフェンスに掴まりながらよじ登って行く。







フェンスが終わり急登が終わると尾根に出た。ただホッとしたのもつかの間すぐにまた急

登が始まる。気温は10度を下回っていたけれどザックの下の背中が汗で濡れ始めた。







しばらくして立ち止まって上着を一枚脱ぐ。止まっているとやはり少し肌寒いが、歩き始

めるとまたすぐに汗が出る。道に花崗岩がゴロゴロし始めると標高が上がってきた証拠だ。

この周回コースは途中で何ヵ所か尾根が分かれているヶ所があるが、赤テープが結構な間

隔で付けられているので、都度確認しながら歩いて行けば迷うことは無い。







すると東のほうからズド~ンと大きな発砲音が聞こえてきた。『おいおい勘弁してくれよ』

今しがた脱いだ上着は黄色と緑の派手な色だったが、脱いだ下のシャッは地味な色。間違

っても撃たれはしないか。そう言えば昔大滝山を灰色の上着を着て歩いていた時に猟師さ

んに『そんな地味な色では間違って撃たれるぞ』と脅かされたのを思い出した。発砲音が

した方向は今から歩く方向だ。何となくイヤな感じがしたが、取りあえずこんぴら山まで

は歩いて行くことにした。











尾根道から小さなピークの様な場所に出た。すると広場の様な場所の中央に石積みの上を

何か木で蓋をしたように見えたので『井戸?』と思ったが、直ぐ横に倒れた祠があった。

石積みはその祠の台座だった。何年か前まではこの台座の上に祠が載っている写真がネッ

トにはアップされていた。







祠の南側にはこちらも傾いた鳥居と片方の石灯篭の笠も落ちていて、まったく人の手が入

らなくなってしまったようだ。この神社に参拝していたのは西側の星越の集落の人達だろ

うか、それとも東側の小倉の集落の方達だろうか?一応こんぴら神社とはなっているが、

その記述がネットで調べてみても全くない。







こんぴら神社から少し歩くと 四等三角点 星越 322.08m 今回のルート上にある二つ

の三角点の内のひとつ。花崗岩が風化した尾根を過ぎ、自然林の中を歩いて行くと今度は

尾根を境に左手が自然林、右側が植林の桧の林になった。













しばらくは快適な尾根道が続いて行く。先ほどと同じように尾根が二股に分かれる場所が

あるが赤テープを目印進んで行く。










スタートしてから1時間15分ほどで今日二つ目のYAMAPのポイントで、チャレンジ

30の内のひとつの羽細山に着いた。以前は素地の木の札に山名が書かれていたが、今は

黒く塗られた木の札に白い文字で山名が書かれている。羽細山からは右に続く尾根を進ん

で行く。










477mのピークが近づいてくると道には羊歯が現れる。尾根上にある石柱には寒川と彫

られている。











そしてピークの手前にはほぼ消えかかってはいるがつちが山と書かれた木札が掛けられて

いた。今度は造田・下高岡と彫られている石柱。寒川は境界杭としても、造田・下高岡は場

所も離れているし、何か別の意味がある石柱なのかな?










477mのピークからもテープを目印に進んで行くと、次第に尾根の灌木の背が低くなり、

南側が乾いた花崗土の斜面になり視界が広がった。左手には東女体山へと続く鉄塔が見え

西には多和方面が見えた。










更に進んで行くと尾根の南側に少し幅のある道があり、その道から尾根に上がると今度は北

側の眺望が開けた。先ほどの477mのピークの肩越しには五剣山。その手前には雲附山

正面には霞んではいるが小豆島が随分近くに見える。











ここで小休止。水筒から熱いお湯を注いでインスタントのカフェオレを淹れ、菓子パンを頬

張る。県外の山では積雪の情報が入っているが、里山では今が紅葉のピークのようだ。

西を見ると前山ダムから続いている、県道3号線の大多和辺りの工事現場が見える。














行動食を口に入れカフェオレで喉を潤し次の592mのピークへと向かって行く。休憩場

所からは、小倉の集落から南側の長尾谷へと続く峠へと一旦下って行く。花崗岩が風化し

た斜面を下って行くと一本の白骨樹。落ち葉の積もった斜面よりはまだマシだが、それで

も足を滑らせないように注意深く下って行く。











すると峠の切通になった場所に出た。そこから北に少し下って、今度は東に谷筋へと取り

付いて行く。取付きから上流に砂防ダムがあったので、そのダムの作業道の様な道が続い

ていた。落石で荒れてはいたがその道を登って行くと砂防ダムの横に出た。

砂防ダムは既に土砂で埋まっていて、そのダムの上流へと歩いて行く。













この間も赤テープが木の幹に巻かれているので、それを目印に進んで行くと今度は谷筋か

ら、右手の斜面に取り付いて行く。ここからは兎に角急登。ストックだけではなかなか登

れず木の枝や幹を掴んで身体を持ち上げて行く。














この間が一番しんどく、鼻づまりもあってだが兎に角息が苦しく、10歩あるいて立ち止

まっては大きく深呼吸をしながら登って行く。峠からはわずか600mほどの距離だった

が40分以上かかってやっと592mのピークに着いた。今日のコースの最高地点だ。

ピークの手前で丁度12時のチャイムの音が聞こえてきた。このピークからはほぼ下り基

調。道は明瞭で登りで時間がかかった分を取り戻そうと少しスピードを上げる。











途中で一ヵ所間違えそうな尾根が二手に分かれている場所があった。丁度真ん中に黄色と

赤色のテープが木の幹に巻かれて注意喚起をしていた。間違わないように左の支尾根へと

進んで行く。ここからは大きな露岩が続いていく。














592mのピークから30分ほどで今日3座目の焼刈山に着いた。ここにも真新しい山名標

が掛けられていた。足元には 三等三角点 宇都見 444.75m








焼刈山から少し下って行くと最後の露岩。そして今度は幅の広い明瞭な尾根道の下り。

ここまでの周回ルート、眺望はほとんどなく一ヵ所だけだったが、里山らしい植生と

花崗土と花崗岩の道で変化があって楽しめる。











最後はもう参る人のいない取り残された墓を右手に見ながら下って行くと、小倉の集落か

ら、門入ダムへと続く林道に飛び出した。










門入ダムと大窪寺への赤い標識の少し上手のカーブミラーのある場所からが、国見山への

取りつきになる。車が通れそうな山道を歩いて行くと目の前を1m以上はある黒い物体が

道を横切った。『ブヒー!』『イノシシだ!』。ここからはストックをカンカンと打ち鳴

らしながら、恐る恐る歩いて行く。

さらに進んで行くと少し広場になった場所の左奥にピンクのテープが見えた。ここから山

の中へと入って行く。カーブミラーの取付きからは10分ほどで国見山。

今日最後のピークとなる。YAMAPのポイントは4座。さぬき市チャレンジ30では

3座をゲットしたことになる。











時間は13時過ぎ。途中で行動食を摂ったがそろそろお腹が空いてきた。今日は弁当も持

たず、下山後にどこかでお昼にする予定だったので、さっそく国見山をあとにする。

しばらく下って行くと尾根の少し先にまた何やら物体が・・・・。『またもしかして?』

と思ったが、よくよく見て見ると青いジャンバーを着た老人だった。

近づいて少し話をすると『ここは初めて来たけど道が分かりづらい』と仰る。『どこか

ら来たん』と聞かれたので、『クリーンセンターの南からぐるっと回ってきました』と

答えた。あまり様子が分っていないようだったが『山頂は近い?』と聞かれたので、『

もうすぐそこですよ』と言って別れた。ザックも背をっていない様子だし、こんなマイナ

ーな山に独りで登ろうなんて・・・・と思いながら下って行くと、テープは所々にあるも

のの、確かに道はわかりづらかった。あの老人、地図もGPS(恐らく)も持たずによく

登って来たなと感心をする。














最後に杉林を抜けると小倉の集落の最上部に近い道に飛び出した。











ここからは舗装路を道なりに下って行く。途中で大きな楠の下に祠があり、その前の広場に

なった場所に車が数台停まっていた。先ほどの老人はここに車を停めて登って行ったのかも

しれない。広場の川を挟んで向かいの民家には、今はあまり見かけなくなったタバコの乾燥

小屋のベーハ小屋が残っていた。振り返ると先ほど歩いた592mのピークだろうか。

道筋に点在する民家。道の横を流れる川の水の音だけが聞こえてくる。

最後にクリーンセンターへと西に向かってひと山越える途中で、トラクターに乗って農作業

をするおじいちゃん、そしてその傍らで野焼きをするおばあちゃんの姿があった。まわりの

木々の色付きはピークだったが、この山間部の里ではそろそろ冬支度。秋の終わりを感じな

がら駐車場へと戻って行った。
























とうとう来た・・・・・!

2023年11月30日 | 雑記
日曜日の夕方から少し喉の奥がイガイガして咳が出た。翌月曜日に念のためマスクを

して出社。朝一番に銀行さんとの話を済ませて会議室から戻るとイガイガが痛みに変わ

り始めた。ただ家を出る前に熱を測ったら36.5度の平熱だったので出社したのだけれど

万が一があってもと思って事務所のすぐ近くの耳鼻科に駆け込んだ。

待合には子供を連れたお母さんが多く、中には何と3人のお子さんと4人のお子さんを連

れたお母さんがいた。2組とも年子のようで仲良く座ってスマホを見たりゲームをしたり

しながら待っていた。今時にしては子沢山になるのだろうか、日本の少子化には大いに

貢献しているな~なんて思いながら、じゃれ合っている子供たちを微笑ましく見ていた。

名前を呼ばれて診察室に入ると先生が『どうされました?』と、まあこれは挨拶のよう

なもの。のどの痛みを訴えた。

『お熱は?』と聞かれたので『平熱です。』と答えると、ここでワンランク下がったの

か『お口を開けてください!』とか言って診察するのが普通だが、診察する様子もなく、

『インフルとかコロナとかまでの検査まで必要ないと思うのですが、どうされますか?』

と聞いてきた。このところインフルも流行しているし、コロナの患者も出ていて診療疲れ

もあるのだろうか、熱がないので割と悠長な雰囲気の先生に、すかさず『コロナの検査を

お願いします』と言うと、『何か思い当たる事がありますか、コロナの患者さんと最近接

触したとか』と少し慌てだした。どうやらランクが少し上がったようだ。

『それなら検査をするので外の駐輪場で待っていてください』と結局口頭だけの診療に終

わって外に出た。

しばらくして先生が出てきて『横を向いてください』と言われて先生の正面から横を向くと、

綿棒を長くしたようなもで鼻の奥までぐりぐりとかき回された。

待合室に戻って15分ほど待っただろうか名前を呼ばれて『外の駐輪場で待っていてください』

とアナウンスがあった。周りの人は気づかなかったようだが『あ~あ』とため息。なんだか

不合格の通知のアナウンスをされたような気分だった。

そのあと駐輪場にやってきた先生が『陽性でした』と一言。『発症日が分かりませんがまずは

5日間は自宅で待機をしてください、そのあと2週間ほどは周りの人にエチケットとして気を使

った行動を』と言って薬の説明と、会計も受け付け横の窓腰に、その後調剤薬局も入れないの

で車の中で待っていてください、お薬を持っていきますと言われた。



事務所に帰ってメールを何通か返信をして、総務課に報告した後ノートパソコンをカバンに入

れて自宅に帰った。『自分だけは罹らないなんて慢心だな』と思いながら、どこで?感染した

のか考えた。まず浮かんだのが2週間前に一緒に山に出かけた山仲間の顔だった。コロナ明け

だと言っていたが、何日か経っても体調に変化はなかった。そして次に思いついたのが先週に

会食に招待され2次会で若いきれいなおねえちゃんとワイワイと騒いだことだった。その時は

帰りにお土産までもらったのだが、まさかこんなお土産まで貰ってしまうなんて。まだまだ手

放しでコロナ前の状態にはなっていないんだと痛感した。


帰りながら奥様にコロナ陽性だったことをLINEをすると、慌てて返事が返ってきた。

『家には基礎疾患のあるおばあちゃんがいるし、ホテルに泊まる』と。イヤイヤ、5類になっ

た今、ホテルに泊まってもただの宿泊客で、外にも出られずに食事もできずに、その内『市内

のホテルで餓死者の変死体』なんてニュースになるやろう!なんて思いながら帰宅した。

家に着くと早速超A型の奥さん、色々調べたのは行動指標4か条がLINEで送られてきた。

先ずは2階の息子の部屋に隔離、出ない事から始まり色々と書かれてあった。

母親には母屋からこちらにはしばらく来ないようにと伝え、行動指標の通りに息子の部屋で

横になる。まだそれでものどの痛みだけで熱は出ていなかった。


翌日になると急に発熱、最終的には40.5度の高熱になった。久しぶりの高熱に驚いたが、

子供のころは熱が高くなるといつも同じ夢を見た。真っ白な雲の中に白い階段が上に向かって

続いていて、その先に大きな背の高い門があった。階段を登って行くとその門は鍵が閉まって

いて結局開けて中に入ることはできなかった。門を開けて入ると果たして天国だったのか?、

今回はその天国への階段の夢は見ることはなかった。


ほぼ一日高熱が続き、熱が下がった後ものどの痛みは治まらなかった。ロキソニン系の痛み止

めを飲むとしばらくは治まったが、時間経つと唾を飲み込むたびに喉の奥が傷んだ。

一日中布団の中で過ごしているとカーテンを閉め切った部屋では、朝夜の区別がつかなくなった。

それにしても病床だとはいえ自分でも驚くほど眠っている。昼間寝ているので夜は寝られないだろ

うと思ったら、眠りにつくと朝まで目が覚めなかった。まるで一年の眠りの足らなさを補っている

かのようだった。


そして今日になってようやく熱も落ち着き、のどの痛みもマシになりパソコンのキーボードを叩く

気分になった。とは言えこの間も電話はかかりメールの返信はして、管理システムの入力もしてき

た。病院に入院ではなく自宅療養だとやはり仕事と隔絶した世界という訳にはいかないようだ。

とにかく残り2日間。これも若いねえちゃんからの土産ではなく、神様がのんびりするようにとく

れた土産だと思って、できるだけ仕事から離れてゆっくりすることにしよう。


六甲全山縦走路、緩めに1/4須磨浦公園から鵯越駅

2023年11月23日 | 四国外の山

先週の寒霞渓馬の背コースから帰りに下った裏八景。最後に立ち寄った石門洞で大きな

カメラで写真を撮っていた男性と、あっちゃんがしばらくの間話し込んでいた。石門か

ら石門洞へと下った私とセニョさんが、また石門へと戻ってくると思って、そのカメラ

マンの男性の話を聞いていたそうだ。その男性は体型に似合わずマラソンしたり、六甲

全山縦走
もした事があると話をしてくれたようだ。『人は見かけによらないね』なんて

二人で陰口を言いながら帰ってきた。

寒霞渓の馬の背の絶景の後、さて何処を歩こうか。県外の山はどうやら雪景色のようだ

し、かと言って県内の里山の紅葉はまだ少し早い。

そう考えているとあっちゃんから『六甲は?』とメッセージが入った。なるほど、そう

言えば昨年のこの時期に六甲全山縦走路を歩いてみようと計画をしていたが、事情があ

って延期したままだった。『早起きが出来るなら』と返したら、『もっと寒くなったら

益々朝起きられなくなる』と返事が来た。


六甲全山縦走も神戸市主催の大会をはじめ色々と大会があるようだが、基本的には須磨

浦公園から須磨アルプス、摩耶山、六甲山を経て宝塚に至る公称56kmを歩く大会だ。

(YAMAPの記録では43km前後になっている)

もちろん我々が一日でそれだけの距離を歩けるわけもなく、じろじろさんやセニョさん

が歩いたハーフでも25km前後になるのでパス。結局1/4づつ歩こうと言う事にな

った。この区間はWOC登山部でも歩いていて7時間20分ほどかかっている。そして

じろじろさんチームはなんと4時間30分ほどで歩いていた。それなら我々は6時間位

かなと考え、6時30分に集合して朝日に向かって徳島自動車道を東に向かって走り、

明石大橋を渡って須磨ICを降りて須磨浦公園に8時30分過ぎに到着した。




駐車場に車を停めて8時40分にスタート、空は雲一つない青空が広がっていた。

須磨浦公園駅のロータリの西側から車道に沿って登って行くと『ちかみち』と書かれた

小さな道標。ここから階段を登って行くと近道のようだが、そのまま真直ぐ登って行く。

直ぐに展望台とトイレのある場所に着く。ここが六甲全山縦走のスタート地点になる。

朝日に照らされた大阪湾の海は眩しいくらいに輝いていた。

















展望所から右にカーブを曲がってその先から遊歩道へと入って行く。しばらくの間は石

段が続いて行く。まだ少し空気は冷たかったが、直ぐに汗が噴き出て上着を一枚脱いで

歩いて行く。











このコース1/2ほどが住宅地を歩くことになるが、山の中も住宅地でもとにかく分岐

が多い。ただ分岐には必ず案内板が掛かっているので、奥様たちには『おしゃべりに夢

中になって、案内板を見逃さないように!』と事前に忠告しておいたお陰で、分岐では

必ず立ち止まって、奥様たちが案内板を確認している。




最初に着いたのがロープウェイの鉢伏山上駅。駅の横の展望台からは先ほど渡ってきた

明石大橋が見え、反対側には須磨の海浜公園の砂浜と神戸への街並みが続いていた。







山上駅の横からはさらに上に向かって『カーレーター』という屋根の付いた斜面を登る

二人乗りの乗り物がある。ガタガタ振動しながら傾斜を進んで行くので『日本一乗り心

地が悪い』と言われている乗り物だそうだ。体調のすぐれない人、妊婦さんは坂道を歩

いて登ってきてくださいとホームページには書いてある。なんとも・・・・(笑)

そのカーレーターの到着場には大勢の中学生が休憩していた。『おはようございます』

と声を掛け『遠足?』とあっちゃんが聞くと、二人の女の子が『屋久島へ行く前の練習

です』と答えてくれた。女の子に少し話を聞いたあと広場の奥にある山名標で、今日ひ

ひつめの鉢伏山をゲット!今日の区間、YAMAP上では9つのピークポイントがある

内の最初の一つになる。











鉢伏山から軽く下って登り返すと今日二つ目の旗振山に着いた。旗振山の名前は、江戸

時代に大坂・堂島にあった米会所で行われた米取引の相場を旗を 振って西国地方に知ら

せた中継場所に由来するそうだ。山頂には昭和6年創業の老舗の旗振茶屋がある。














ここでも神戸港から明石海峡への絶景が広がっていた。神戸空港の奥の霞の中にひとつ

だけ背の高いビルが見える。大阪南港のトレードセンターだろうか、それともアベノハ

ルカスかな?











旗振山からは花崗岩の尾根が続いていく。ここでも少し下って登り返すと本日三つ目の

鉄拐山。山頂といっても200m程のピーク。二人ほどの年配の人がベンチに腰掛け休

んでいた。











何個か石柱がある中で、コンクリートの桝を鉄板で蓋をしているのが目についた。その

鉄板を開けて見ると、『復興基準点』と書かれた基準点があった。震災の際に基準点が

変動した為、復旧の効率化を図るために国土地理院が設置した基準点だそうだ。ベンチ

に座っていた男性も一緒に覗き込み『へ~そうだったんですね。いつも来ているけど何

の蓋かなと思っていた』と仰った。ここでも南から東にかけての眺望が広がっていた。










鉄拐山からはまた下って行く。それにしてもこの区間はアップダウンの繰り返し。山頂

まで登り一辺倒、そして下り一辺倒の山とはまた違って標高の割にはなかなか疲れる。

尾根は瀬戸内海沿岸部の特徴のひとつのウバメガシの林の中の尾根。ウバメガシのワッ

クスが掛ったような落ち葉が足を滑らせるので要注意だ。











すると道の脇にプレートが見えた。近づいて見るとなんとキティーちゃんのプレートだ

った。比較的新しそうなプレートには『キティ山岳会』ではなく、『四国キティ山岳会

と書かれていた。四国では有名なキティちゃんだが、島外になると影が薄いのか?

プレートの横には 四等三角点 立原谷 212.15m








三角点から進んで行くと広場になった場所に出た。広場にはステンレス製のモニュメン

トが立っていた。『いったい何だろうね?』と言っているとルリちゃんが、『縫い針に

見えるね』と。そういえばそんな形をしている。その針の穴から覗き込んでみて見ると、

『何か違って見える?』と聞かれたが、『????分かりません』。するとその足元に

『神戸らしい眺望景観50選・10選』と彫られたプレートがあった。

『神戸らしい眺望景観50選・10選』は2008年に市民から募集して選定した場所

で、そのうち15カ所に『ビューポイント』としてこのモニュメントを設置しているそ

うだ。そしてこのモニュメントはルリちゃんが言った通り、針をイメージしていて、そ

の穴から覗いて神戸の新たな魅力を発見してもらうようにとの事だ。














広場で次の四つ目のポイントを探すが見当たらない、ここまでほぼ一緒に来ていた男性二人

も同じようにウロウロ探している。『おらが茶屋』と横断幕を掲げた鉄筋コンクリートの立

派な茶屋が広場の奥にあり、その横に四つ目の高倉山の標識があった。

六甲全山には10軒以上の茶屋あるそうだが、その内でも一番茶屋らしからぬ建物だった。








高倉山でも写真を撮って、おらが茶屋を横目に見ながら奥へと進んで行くと、眼下に高倉台

の団地の白い建物が目に入ってきた。中層階から高層階の建物が立ち並んでいる。その奥に

見えるのは次に向かう栂尾山。その高倉台に向かって長い長い階段を下って行く。
















高架橋を渡って団地の中へと入って行くとメインの通りにスーパーや、魚屋・肉屋などの

お店が立ち並んでいて、団地の住民はここで生活必需品は揃いそうだ。










ルリちゃんがサイドポケットに入れていたスポーツドリンクを落としたと言っている。

普通に山の中なら水分補給ができなくてなって慌てるところだが、今日の区間は至る

ところに自動販売機があるので、その点では心配ない。







高倉台の団地の中央部を通り抜ける様にして歩くと、朝須磨ICを降りて右に曲がっ

た県道65号線の上に架かった橋を渡る。橋を渡り終えて左に山裾を進んで行くと、

『六甲全山縦走路』の矢印案内板が右に誘導している。














案内板に沿って右に曲がると目の前に、栂尾山山頂への階段が続いていた。『天国に続く

階段』と呼ぶ人もあるらしいが、400段のしかも一直線の階段は『地獄の階段』だ。

















途中で何ヵ所か踊り場があり、そこで上から降りてくる人と離合をしたり息を整えたりし

ながら、大汗を掻きながら登って行く。額から流れ出る汗が目に入り痛い。

途中からは高倉台の団地の全容、旗振山の電波塔そして明石大橋まで見え始めた。














階段地獄が終わって一息付けると思ったら、尾根道も栂尾山山頂まで急登になっていた。

ここまでの下りも急坂か急な階段で休む暇がなく、なかなか楽をさせてくれない。








栂尾山山頂は展望台になっていた。ここでも二人ほど男性が休んでいた。展望台からは

遠くに明石大橋、そして高倉台を見降ろし東は長田区から湾岸地域が見渡せた。

展望台の足元にある山名標で今日五回目の山頂写真。














栂尾山からは次の横尾山にまた急坂一旦下って行く『やれやれ!』。横尾山の先にはこの

須磨アルプスの核心部の馬の背があるが、写真で見ると花崗岩の風化した痩せ尾根の尾根。

でもこの横尾山までの尾根も同じような花崗岩が風化した乾いた尾根で滑りやすい。しか

も階段の段差が半端ない。














横尾山山頂で六個目の山頂ポイント。三角点は 二等三角点 須磨 3120.08m








横尾山から少し下って行くと花崗岩が浸食された痩せ尾根になった。所々で鎖が掛かっ

ている。乾いた尾根を注意しながら下って行くと写真で見た馬の背が目の前に広がった。

するとあっちゃんが『コレ?』と一言つぶやいた。確かに思っていたよりも規模が小さ

い。しかも先週の寒霞渓の馬の背と比べると・・・・・・?

イヤイヤそんなことを言ったら須磨の人に叱られる。










風化花崗岩も思っていたより滑らない。悪路になれた奥様たちはトットコトットコ歩い

て行く。確かに足を滑らせ滑落したらただでは済まないだろう。300mほどの山で、

しかも周辺には住宅地が広がっている場所では希有な場所だろう。

(そんなことを言ったら五剣山の五峰の高度感の方がよっぽどだ)イカンイカンまた要

らんこと言ったら怒られる。













そんなことを言いながら何枚も何枚も写真を撮る。











馬の背を越えてひと登りすると今日七つ目の東山。少し広場になった場所からは先程の

馬の背と横尾山。北西にはまた巨大な横尾の団地。しかしあそこだけでいったい何人の

人が住んでいるのだろうか?田舎者には目が点になる。














東山からは右に左に折れながら九十九折れの道を下って行く。そろそろかなと思ってい

たらやっぱり朝ドラの話が始まった。『まあこれだけしっかり矢印の案内板がかかって

いれば間違う事はないだろう』。













九十九折の坂を下りきると横尾の住宅地になる。ここは看板が少し分かりづらい位置に

立っているので、この家を正面に左に曲がって行く。みちの脇には今日一番のモミジの

紅葉。コースはは住宅地の外周部に沿って歩いて行く。













外周の水路沿いを歩いて高層のマンションの手前で右に曲がって脇道に入って行く。











コンクリートの階段を登ると目の前に阪神高速神戸山手線の橋脚が見えた。その高速の

下を潜ると今度はトンネルとトンネルの間を丸いドームの様な構造物で繋いでいる。

『なんだろうね?』と三人で言いながらその下も潜って行く。この構造物は恐らく地下

鉄西神山手線のもので二つのトンネルの間を囲って、騒音が下の住宅地にいかないよう

にしているのだろう。











そこから谷あいの住宅地を下って行く。それにしても神戸は坂の街というが、平野部が

少ないので仕方のない事だろうけど、団地以外では住宅地のほとんどが坂になった場所

に住宅が建っている。坂道を下ると右手に妙法寺。そこを過ぎると県道22号線の交差

点に出た。その交差点を右に曲がるとローソンがある。今日はここでお昼ご飯。

ローソンでカップラーメンを買って、暑いお湯を入れて3分。お店の前の駐車場の端で

アスファルトの上に腰を降ろしてカップ麺を頂く。

さすが上品な奥様たちは、『コンビニの前で腰を降ろしてラーメンを食べるなんて・・

地元だったら考えられないわ!』と。そりゃ私だって地元ではこんな事はしない。














コンビニの前でお行儀悪くお昼ご飯を食べて30分ほど過ごす。山の中と比べると、コ

ンビニはドラえもんのポケット。何でも揃っているし買う事が出来る。あっちゃんは食

後のデザートにアイスクリームを。私はスポーツドリンクが切れそうだったので、一本

買い足した。駐車場からは今日最後の山、高取山が目の前に迫っている。




休憩後交差点まで戻って西に県道を渡って行く。ここからも坂道を矢印案内板に沿って

登って行く。急坂の両側に建つ住宅。狭い駐車場いっぱいに器用に車を停めている。し

かし車の運転が出来なくなったらどうするんだろう。こんな息切れのする坂道に暮らす

人々。他人事ながらもちょっと考える。住宅地の途中から左に山の方へと入って行く。












やっと登山らしくなった。イノシシもでるらしい。ここからが高取山への登りとなる。










山裾から案内板に従って登って行く。掘割のようになった道が終わると、風化花崗岩の

道。途中木々の間から旗振山が見えた。














交差点から1.4kmほど、時間にして45分ほどで高取山に着いた。こちらはYAM

APでは高取山西峰となっている。そして山頂の下には春日神社(荒熊神社)が祀られ

ていた。ここの神社はとにかく何でも願い事が叶うようだ。札に書いてあるように裏手

に回ると磁器に書かれた通りの景色が見えた。

















境内の手前に赤鳥居が続いているがその横に八番目の西峰の山名標と三角点があった。

三等三角点 高取山 312.8m。この三角点は元々すぐ上の山頂にあったようだが、平成

18年に現在の場所に移設されたそうだ。その奥で晩秋の陽だまりの中で黒猫が横にな

って昼寝をしていた。














赤鳥居を潜って東に歩いて行く。鳥居から少し下がって左手の尾根へとひと登り。尾根

の北側は須磨区でも山の手になる。それでもまだまだ住宅地が広がっている。

















尾根筋を進んで行くと広場に出た。ここが今日最後のポイント高取山東峰になる。ここ

から石段を下ると高取神社。境内からは眺望が広がり、ポートアイランドも随分と近づ

いて来た。こうして見るとやっぱり都会は凄いな~と思うけれど、住みたいかと言えば

・・・・・?だ。














神社からしばらく石段を下って行く。途中こんな立て札が立っていた。ここまで登って

きて石柱に足を乗せて体操する人の姿が目に浮かんだ。








途中にある月見茶屋は今は営業はしていない様子。同じ続きの建物には『神戸ツキワ登

山会』と書かれた看板と『ツキワ投輪道場』とも書かれている。














その先には安井茶屋とさらに先にはきれいに清掃された広場と公衆トイレ。その広場に

は演題と投輪の台があった。須磨区では毎年投輪の大会が盛大に行われているらしい。

安井茶屋の奥には大きな大きなサザンカが沢山の花を付けていた。

トイレで用を済ませて、脇の道を下って行く。













安井茶屋からの道も所々にほうきが置かれていて、落ち葉もきれいに掃かれていた。そ

の道を降りきると鵯越駅までは住宅街の中を歩いて行く。











まあそれにしても坂・坂・坂の住宅街。途中にあったひばり小学校からは下校する小学

生の姿があった。日本一狭い県の香川県だがそれでも平地がほとんど。こんな坂の街に

住んでいる小学生の方が、毎日の通学の登り下りで、香川の小学生よりも丈夫だろうな

~とあっちゃんと話をする。










須磨浦公園をスタートして6時間20分、沿面距離13km。予定より20分ほど遅

かったが、途中眺望のいい場所が何ヵ所も有り度々立ち止まった。それ以上にアップ

ダウンの繰り返しで、けっこう足にきていた。腰もパンパンで油断して変な体勢をと

ろうものなら、ギックリになりそうだ。







鵯越駅から神戸電鉄有馬線で新開駅へ。そこから山陽電鉄本線で須磨浦駅に移動。特

急で須磨浦駅が終点だったが、ほぼ全員手前の須磨駅で降りて最後は三人だけになっ

た。駐車場で車に乗り込み一路香川へ。鳴門大橋を渡る頃には薄暮れの何とも穏やか

な景色が広がっていた。さてさて来週はどこまで歩こうかな?











寒霞渓、表12景・裏8景でもなく馬の背コースだよ~!

2023年11月17日 | 香川の里山


石鎚山から始まった山の彩りは、あっという間に比較的標高の低い山まで下がってきて、

県外の山はそろそろ冬支度。それならと県内の山に目を移すと、11月の中旬と言えば

まず寒霞渓の紅葉が頭に浮かんだ。いつもロープウェイの紅雲亭駅から表12景を登っ

て、星ヶ城まで足を延ばして裏8景を降りて行くコースだったが、ふと『そう言えば

ントツ山さん
が馬の背コースとの面白そうなコースを登っていたな』と思い出した。

紅雲亭駅の手前の猪谷池から、裏8景への道の途中から尾根に這い上がってそのままロ

ープウェイの山頂駅に向かって登って行くルートは、ほとんどが凝灰角礫岩、集塊岩か

らなる細尾根のコース。一般道ではないのであくまで自己責任でと書いてあった。ただ

アップしていた途中の写真をみて見ると、ロープウェイを見下ろし紅葉の大絶景が広が

っていた。

さっそく奥様たちをお誘いしたら、生憎ルリちゃんは旅行で欠席、あっちゃんと二人で

出かける事になった。自己責任とはエントツ山さんは書いていたが、まぁあっちゃんな

ら途中予想できないような場所があっても大丈夫だろう。ただし奇岩も多いようなので

目を離した隙に登らないか注意しなければならない。

今週はWOC登山部でも寒霞渓に出かける計画だったがやはりこのシーズンの小豆島、早

々に満席になっていた。登山部の行程だと我々とは星ケ城からの折り返しですれ違いで

きそうだ。そう思いながら今日を迎えた。


計画では今回は土庄ではなく池田行のフェリーに乗り、フェリー乗り場から紅雲亭行の

直通のバスで猪谷で下車する。そこから馬の背を登って、三笠山・星ケ城そして裏8景

を下って最後に石門(裏3景)の紅葉を鑑賞する行程だ。

いつもの自家用車と違ってバスとフェリーの時間があるので、馬の背をどれくらいの時

間で登れるかが肝心になってくる。しかもバスの間隔が開いていてフェリーとの連絡時

間も悪い。バスをひとつ見逃すと2時間以上帰りが遅くなってくる。そんな感じでいつ

になく行程を気にしていたが、一番気になったのはあっちゃんが6時50分のフェリー

に間に合うように来れるかだった。しかもサンポート地下駐車場は6時30分の開場。

あの広い駐車場で迷子にならないか、出口を間違わないか気が気ではなかった。


開場を待って地下駐車場に車を停め登山靴に履き替えていると、見覚えのある車が少し

奥まで行って駐車した。中から降りて来たあっちゃんは案の定全く違う出口へと向かっ

て行くので『お~い!』と声を掛けて呼び止めた。近づいて来たあっちゃんは迷子の子

供が母親を見つけた時のような不安な顔から安心した顔になった。



池田港行のフェリーには可愛らしいメリーゴーランドがある。






池田港ではフェリー乗り場のすぐ目の前がバス乗り場になっていた。10人以上が並ん

でいただろうか。しばらくバスを待っていたら土庄からのバスが着いた。そのバスから

降りてくる人を見てあっちゃんが『あら、セニョさん!』と声を出した。その声を聞い

てセニョさんがこちらに歩いて来ているが、しばらくの間何故か全く理解できず頭が回

らなかった。なぜならセニョさんはWOC登山部に申し込んでいたので、メンバーとレン

タカーで出かけるはずだったのだ。

話を聞いてみると、先週から体調が悪くて登山部をキャンセルしたが、昨日には回復し

たので、諦めきれずに独りでやってきたと言うのだ。『それなら馬の背を一緒に歩きま

せんか?』とお誘いするともちろん断る術もなく、二人の予定がいつもの様に三人にな

った。セニョさんなら途中の道も大丈夫だろうし、初めての道なので三人だと心強い。


猪谷で降りる人はやはり我々だけだった。三差路になった県道の丁度真ん中に、石門洞

と彫られた石柱が立ち裏8景への道が続いている。そのコンクリート道を200mほど歩

くと右に緩やかにカーブになった手前で、道の左手に何本かの木に赤色のテープがぶら

下がっていた。どうやらここが取付のようだ。テープの場所から尾根に向かって適当に

に登って行く。











ひと登りで尾根に出てしばらく歩くと、写真で見たとおりの凝灰角礫岩が現れた。後で

航空写真を見て見ると、猪谷から続く緑の中にゴツゴツとした岩肌の細尾根が北に続い

ている。まさに馬の背中の様な尾根だった。










その岩尾根の大きな岩塊を巻いて登ると展望がいっぺんに開けた。麓には今しがたバス

を降りた猪谷池とその奥には草壁の街並みと内海湾。天気予報では8時過ぎから晴れマ

ークになっていたがまだ薄曇りだ。




西側は四方指の岩壁、東側は裏八景の二見岩(ギザギザの岩)とその左下には螺貝岩が

見える。いつもは見上げる螺貝岩が丁度目線の高さになっている。







一つめの展望所から進んで行くとまた目の前に岩塊。左に巻いて行くとロープが掛かっ

ていた。もちろん二人とも問題なくクリアーする。











ロープ場を登りきり少し進むとエントツ山さんの活動日記で見た覚えのある『亀岩』。

あっちゃんに背中に乗ってもらって浦島太郎ならぬ浦島花子になってもらう。あっちゃ

んいい顔してるので、玉手箱は開けんようにね!










尾根は次第に痩せ尾根になってくる。岩尾根で遮るものがなく寒霞渓の奇岩、大岩壁を

眺めながら歩いて行く。空はまだ薄曇り、陽の光があるのと無いのとでは写真の写りが

全く違って見える。今風に言うと『映える!』だがまだ『映えない!』










痩せ尾根と言ってもそこそこ幅があるので問題はないが、足元は凝灰角礫岩のデコボコ

した岩。油断して転びでもして崖側に落ちれば数十メートルを落下、即〇となる。

寒霞渓は遥か昔の火山活動で出来た溶岩台地。その台地が長い年月をかけて浸食されて

できた渓谷だと言われているが、これほどの規模のものが浸食されて出来上がるとは、

とても信じがたい。











時々現れる岩塊を巻いたりそのまま登ったりしながら歩いて行く。ここの礫岩は握って

も足をかけてもめったに取れる事がなく(といいながらも動かないか確認しながら)、

まるでボルタリングの人口壁のホールドの様で登りやすい。







右に左にと岩塊を避けながら進んで行く。










少し陽が射し始めたがもっともっと光が欲しい。渓谷の紅葉は元々の色なのかそれとも

枯れているのか赤茶色の葉が目立つ。岩尾根ではこの辺りが一番馬の背らしい。

所々で樹林帯の中に入るが、布切れをちぎったような赤い布やビニールテープが巻いて

あるし、よーく見ると薄く踏み跡も見えるので迷う事もない。











『おっ、青空が少し見え始めた』。やはり陽が当たると山肌の色も違って見える。四方

指の大岩壁のひだもひとつひとつくっきりと見える。








正面にクロワッサンを立てて乗せたような岩壁が現れた。どうやらあの岩壁の上まで登

るようだ。近づくとクロワッサンは意外と大きな尖岩になっていた。ルートはその岩の

右下足元を巻いて行くようになっている。













二人が登って行く様子を見ながらそろそろかな・・・と思っていたら案の定、あっちゃん

がその岩に登り始めた。











この先もまだまだごろごろと岩が立っている。そんな岩の形も見る距離や角度によって

変わってくる。そして見る人によっても何に見えるかも変わってくる。














樹林帯の木々は県内の里山と変わらないが、凝灰角礫岩の露岩がこれだけ続く道はやは

りここだけだろう。正面の尾根越しに見覚えのある岩壁が頭を出している。あの尾根と

岩壁の間が恐らく寒霞渓ロープウエイが通っているはずだ。ここから左に回り込み尾根

に向かって行く。














尾根に出ると右手は樹林帯、左手は岩壁が切れ落ちていた。できるだけ左に寄らない様

にと歩いて行くが、この辺りが一番注意が必要だった。スタートして1時間が経とうと

している。回復したとはいえさすがに病み上がり、セニョさんはお疲れの様だ。







すると小さなピークで待ちに待った眺望が広がっていた。眼下に白い大きな鉄塔。少し

左の下にもう一つの鉄塔が見える。そしてその間に2本のワイヤーが掛かっていた。

『わ~ロープウェイが見えた!』とあっちゃん。『早くゴンドラが来ないかな』と言い

ながら、しばらくの間待っていると山頂駅から発車のベルの音がした。

『来た来た・・・!』ワクワクしながら眺めていると何と目の前の鉄塔で二つのゴンド

ラが交差した。そのゴンドラに向かって手を振るあっちゃんが『あっ手を振ってくれて

いる!』と言いながら喜んでいる。ゴンドラの中は登りも下りも満員の様子。

















ゴンドラ展望台から樹林帯の中を少し登って行くとまた展望所にでた。目の前には先ほ

ど頭だけ見えた寒霞渓の大岩壁。そしてその大岩壁を前に疲れて呆然と立ち尽くすセニ

ョさん。(笑)







ここから見るとロープウェイの山頂駅から直ぐに谷が深く切れ落ちているのがよく分る。

こんなすごい場所にどうやってワイヤーを掛けたんだろうか?

視線を西に移すと四方指・美ヶ原からの幾筋もの白い岩尾根と少しは色付いた山肌。こ

れがいつものように紅葉のピークならどれだけ素晴らしく凄いだろうか。イヤイヤ贅沢

を言ってはいけません。これだけの絶景が見られただけでもエントツ山さんに感謝。











ここまで北西に歩いていたルートはここから少し東に振って樹林帯の中を一旦下って行

く。その途中北側はやはり切れ落ちていて、更に大岩壁が迫っていた。するとまた発車

のベルが鳴り、ゴンドラが降りてきた。大岩壁を背になかなか様になるゴンドラ。











一旦鞍部まで下って登り返していくと、岩の捨て場のような場所からはまた内海湾と堀

越の半島が見えた。あの堀越の半島の向こう側に岬の分教場がある。そして東にみえる

のが星ケ城山だろう。










石の捨て場からは樹林帯の中を適当に登って行く。すると目の前に岩壁が現れた。この

岩壁の頂部が、山頂駅の第一展望所になる。










岩壁からは右に足元をトラバースして行く。この間は岩や木の幹に随分前につけたのか、

スプレーで書いた薄くなった矢印が誘導してくれる。












なぜか鉄板の看板が落ちていた



エントツ山さんの活動日記にはトラバースしたら裏8景の遊歩道に飛び出したとなって

いた。するとあっちゃんが岩の斜め上に向かって書いた矢印を見つけて『ここから登れ

るみたいよ』と。『いやエントツ山さんは裏8景にでたと書いてあったよ』と言っても、

『大丈夫登れるわよ』と言って利かずにどんどん登って行く。『ハイハイ』と言いなが

ら後について行くと。丁度1億円トイレの下に出た。

















山頂駅は観光客で賑わっていた。1億円トイレで用をたしたあと行動食を口に入れて、

星ケ城山へと向かって行く。いつもの事だが、三笠山への芝生の斜面の直登はなかなか

キツイ。ゆっくりゆっくりと出来るだけ息が切れないようにして登って行く。











芝生の斜面を登りきると広場になった場所に出る。広場の少し右手に四等三角点 寒霞渓

671.56m
がある。朽ちかけた白い杭と割れて半分ほどになったキティーちゃんのプレー

トには三笠山と書かれてある。そしてここ最近見かけるようになった小さな石を白と緑

に塗って山名を書いた石もあった。








三角点から広場の奥まで歩くと星ケ城山への遊歩道が続いている。背の高い木々に囲ま

れた遊歩道には日差しが届かず、落ち葉は少し湿気を帯びている。










それでも見上げると所々で色付いた木々が見える。










遊歩道を歩いて行くと左手に小さな鳥居と狛犬と祠がある。星ヶ城に山城を作った南北

朝時代の佐々木信胤をお祀りした星ケ城神社だ。







星ケ城神社から先で道は二手に分かれている。右側の道を進んで行くと山城の遺構の、

西峰の外空壕と土壇。更に進んで行くと西峰には石垣に囲まれた島の祖神として大野手

比売をまつる阿豆枳島神社があった。伊耶那岐命(いざなぎ)と伊耶那美命(いざなみ)

が大八島国(淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州)を生んだ後

に、吉備児島に次いで生んだ島が小豆島(あずきしま)。またの名を「大野手比売」とし、

その大野手比売を祀っているのが阿豆枳神社だ。













その阿豆枳神社の先には展望大岩がある。岩の上では一人の男性が休んでいた。傍らに

はロードバイクがある。あっちゃんが話を伺うとここまで自転車を担いできたそうだ。

この展望岩からは南から西にかけての大眺望が広がっている。堀越と三都半島の奥には

五剣山と屋島が近眼の私にも見て取れる。四方指の尾根の先には今は閉鎖になった小豆

島〇〇ラが頭を出している。











展望岩から先で一旦下って登り返すと星ケ城山の東峰に着いた。この山頂のシンボル石

積みのパゴダが建っている。このパゴダは昭和35年頃にどこかの宗教団体が周りに残

っていた山城の遺構の石積みを破壊して造ったそうだが、そんな事情を知らない人は山

城の遺跡にしては形が異形だとくらいにしか思わないだろう。

時間はお昼ご飯に丁度いい時間。南に大嶽から碁石山に続く尾根を眺めながら、今日は

“おこわ稲荷”を頂く。『じっとしていると寒い!』と言って寒がりのセニョさんはダウ

ンを着込んでの記念撮影。














東峰には一等三角点 星ケ城山 816.68m 瀬戸内海では一番高い場所になる。








お昼ご飯を食べながらWOC登山部がやって来ないかなと思っていたが、まだ到着しなか

った。ご飯を食べ終え遊歩道を山頂駅へと戻って行く途中で、予想通りWOC登山部のメ

ンバーが前からやってきた。挨拶をかわしすれ違いざまにIRIBITOさんと『今日

の紅葉はイマイチですね』と話をする。どうやら表12景の色付きも良くなかったらし

い。まだこの遊歩道の周りの方がマシの様だ。











三笠山の広場まで来ると青空が広がっていた。前を歩くダウン姿のセニョさん、暑くな

いのかな?











帰りのバスやフェリーの時間までまだ余裕があったので、山頂駅の周りの展望台をうろ

つく。先ずは第二展望台へ。











そのあと山頂駅の売店でソフトクリームを買って第一展望台へ。展望台の一段下ではロ

ープウェイと寒霞渓を撮影している人の姿があった。この展望台への道の両側には色付

いたモミジを見られたが、小さな葉のモミジは色付きながらもすでに葉先が枯れかかっ

ているのもあった。














ソフトクリームを食べて展望台からの景色を眺めた後は、さぁ裏8景へ降りて行こう!

裏8景の入り口は古い公衆トイレの北側にある。表12景と比べると歩く人も少ないの

か、あまり整備もされていなくて道はガタガタで荒れている。











8景の内の最初は松茸岩と鹿岩。松茸岩は案内板の正面に絶妙なバランスで立っていた。

そして鹿岩はと探して見ると、振り返ってかなり上の方に『たしかに鹿かな?』って感じ

の岩だった。帰りの道に裏8景を選んだのは何と言ってもこの先にある三景の石門と石門

。紅葉のピークの時の石門と石門洞は小豆島を代表する風景なのだ。

さてさて今年の紅葉はどうかなと思いながら下って行くと『あれあれ、あれれ?』

第一展望台で写真を撮っていた大きなカメラを抱えた人もカメラを構えたが・・・・・?







いつもなら石門の前も奥も赤や黄色のモミジで彩られ華やかなのに、今日の石門は色も

なく、寂しく貧相に見える。石門から坂を降りた石門洞も緑の中に佇んでいた。







前回見た石門





前回見た石門洞



石段を登り参拝をして下りて来ると、岩壁には寄せ石づくりでは日本一と云われる不動

明王大石仏が鎮座していた。不動明王の奥にある僧坊で住職が男性と話をしていた。

近づいて話を伺うと今年の紅葉はまだ1~2週間先のようだと仰った。さらには『なつ

の暑さが酷くて葉が痛んでいるので、色づいても風とか雨があったら直ぐに散るかもし

れません』とも。











境内の木々はほとんどがモミジで、この場所が紅葉谷と云われる所以だ。前回は所々に

緑の木が残り、その緑と紅葉のグラデーションが何とも言えず素晴らしかった。馬の背

同様に来年に期待しよう。

前回の紅葉谷



石門洞からも残りの4景を眺めながら下って行く。二見岩の周りも前回と比べると色付

きは見劣りしてしまうが、下の方まで降りてくると遊歩道の周りの色付きはまずまずだ

った。



前回の二見岩


螺貝岩









途中の8景で立ち止まりながらそして石門洞でゆっくりしながらも、山頂駅から1時間

ほどでバス乗り場のある猪谷に着いた。猪谷池の堤からは今朝歩いた馬の背の岩稜の尾

根が見えた。













バスを待つ間腰を降ろした途端にセニョさんは舟をこいでいた。そしてバスの中、フ

ェリーの中でも・・・・。病み上がりの身体で無理して付いてきてくれたのかもしれ

ない。お疲れの様子を見て申し訳なく思う。











この季節、小豆島から高松に着くといつも日が暮れている。シンボルタワーの灯と工

事中のアリーナを見ながら車を停めた地下駐車場へと帰る。

今回で4回連続でバリエーションルートを歩き、一般的な登山道を歩いたのではけっ

して見ることのできない絶景を眺めてきた。それにしても少しハードルを上げ過ぎた

感がある。来週の山行の行き先が全く思いつかない。弱った・・・・・!





9年越し念願の塔丸北面を登る

2023年11月02日 | 四国の山


以前からこの季節になるとずっと気になっていたコースがあった。むらくもさんと当時

坊主さん(現在はシマチマおいちゃんに改名)の二人が歩いた塔丸北面小島峠から

菅生方面へ下る途中で祖谷川の支流になる赤滝川を渡渉して塔丸の尾根へと這い上がっ

ていた。そのコース上には色とりどりの原生林と、その林を抜けるとそこには広大な笹

原が広がっていた。その笹原の中で、百戦錬磨のむらくもさんが『なんという景色で

しょうか!』
と仰っていた。そして原生林は紅葉のオンパレードとも書いてあった。

その後三嶺や天狗塚に出かけるときに、いつも通っていた県道からその塔丸北面を眺め

ながら車を走らせ、『いつか歩いてみたいな~』と漠然と考えていたところ、先日YA

MAPに佐々連さんが同じように赤滝川から塔丸へ登っている活動日記が目に入った。

そして佐々連さんも『素晴らしい、来て良かった!』と書いていた・・・・・・。


と言う事で意を決して今週は念願の塔丸北面へ出かけてきた。紅葉も今週は1400m

以下に下がってきているだろうし丁度いい時期だ。このルート当然登山道など無く、頼

りになるのは佐々連さんが歩いたルートをダウンロードしたYAMAP。

前々回、前回に続いてまともな道は歩かずバリエーションルートとなる。というか今回

はほぼ歩いている人もいないのでバリエーションルートでもないような・・・・。





佐々連さんは小島峠をスタートして徒歩で赤滝川まで歩いていた。その間3km以上、

時間にして1時間近くかかっているので、我々は小島峠に一台をデポして車で県道を下

って行くことにした。佐々連さんが県道から赤滝川の川底へと下って行った場所は少し

路肩が広がっていたのでそこに車を停めてスタートする。




車を停めた場所の奥から赤滝川に向かって下って行く。初っ端からなかなかの急坂を奥

様たちも上手に下っている。







急坂を下りきると砂防ダムの脇に飛び出した。そのダムの下は川幅が広がっていたので

右岸を少し下って渡渉できそうな場所を探す。水の流れのある川べりは気温も少し低い

のか、木々の色付きも丁度ピークを迎えようとしていた。

















難なく無事渡渉し赤滝川の左岸から杉林の中を登って行く。伐採跡の切株がそこら中に

残る斜面。急登だけれどいつもの様に枝打ちされた枯れ枝も邪魔にならず、踏ん張りが

きいて意外と登りやすい。木々の間から右上に空が見え、尾根らしきラインが見えたの

でそちらに向かって登って行く。最後灌木を掻き分けると作業道に飛び出した。



















作業道は1035mの標高点に向かって続いていたが、そのまま尾根に向かって登って

行く。杉の木と自然林の混在する尾根を登って行くとまた作業道に飛び出した。








ここからはこの作業道を佐々連さんも歩いているようなので、しばらく同じようにして

歩いて行く。すると道の左側に高木の間から『阿波のマッターホルン』の黒笠山が顔を

覗かせていた。ここから見るとマッターホルンに見えなくもないかな?











作業道は右に左に折れながら続いていたが、途中から奥様たちは飽きてきたのかショー

トカットで直登を始めた。『やれやれ~』。











この辺りからあっちゃんが『お腹が空いた~~』と言い始めた。ただ小島峠までの道で

車酔いしてから回復していなくて胃がムカつくとも言う。それでもやはり背に腹は代え

られないらしくて迷っていたので、『ここで休憩しましょう』と言って行動食を摂る様

に勧める。







1217mの標高点の東側を登って行くと同じ高さの少し平らなピークに出た。そこか

らは南西から北西にかけての眺望が広がっていた。この方向この高さから見る三嶺は、

いつもと違った山容に見えた。さらにその奥に見える比較的平らな笹原はやはり牛の背

だろうか?北西に見えるラクダのこぶの様なピークは滝下の天狗塚














ここからは南の田之内谷川と赤谷川の間に地形図では破線が載っていて峠の様になって

いる。その鞍部に向かって一旦下って行く。下り坂は2段、3段にもなっていて『え~

まだ下っているよ!』と先頭を行くあっちゃん。痩せ尾根の東側は人工林。西側の自然

林の彩りが朝の光が当たって眩しい。














尾根を隔てて日陰になる東側から陽の当たる尾根を見ると、なお一層輝くその色彩にた

め息が出る。





鞍部からはまた急登が始まった。小さな樹脂製の境界杭を目印に登って行く。







すると今度は立派な林道に飛び出した。林道の東にはゲートの奥に大規模な伐採地が広

がっている。ここが県道からも見える伐採地の様だ。白い苗木の食害防止材が数多く立

っているが、それがムーミン谷のニュロニョロのように見える。








ネットに囲まれた伐採地には入らずにネットと尾根に沿って登って行く。少し登った所

であっちゃんがネットは潜れないかと持ち上げてみるが、ゲートがあるくらいの伐採地

はさすがに管理が行き届いていてビクともしなかった。








尾根は次第に広尾根となり最後は全く分からなくなってきた。周りの木々も杉の木から

自然林が混在し、薄暗くなった場所では光が当たったクロモジの黄葉にハッとさせられる。

















佐々連さんのYAMAPのトラックを見ながら適当に斜面を登って行くと。1416m

の標高点の手前1380m辺りから大岩の露岩。その大岩の岩と岩の間を通って登ると、

目の前に突然城壁の様な大岩が現れる。5mの程の垂直の壁になった大岩はこの山中に

あって何とも不思議な雰囲気がした。城壁の足元でフリークライミングの真似をしてみ

るが、太った身体では二歩目の足が上がらない。その大岩の横には本来のマッターホル

ンの様な尖峰な形をした岩もあった。













すると後ろから来たあっちゃんが『これ歯が付いてるわよ!』と言っている。その指さ

す方を見て見ると鹿らしき白骨。周りには足の骨が散乱していた。何かに襲われたのか

それともケガか病気でこの場所で衰弱して死んでいったのか。自然の摂理とはいえ周り

を大岩に囲まれ寂しげな場所に、なお一層寂しさを感じずにはいられなかった。















大岩で遊んでいたらこの岩を巻いて先に行っていたルリちゃんがしびれを切らして待っ

ていた。そのルリちゃんの横には『千と千尋の神隠し』のカオナシが立っていた。

そしてこの辺りからは自然林の中の彩のオンパレードだった。ブナやシロモジの黄葉が

目立つ林の中を、高木の色付きを見上げながら歩いて行く。














先日香川でも夕方頃になって恐ろしいくらいの音をたてて強風が吹きアラレも降った。

そんな天気にせっかくの紅葉が散ってないか心配だった。やはりその風で結構葉が落ち

たようで足元には落ち葉の絨毯。それでも青空の下の紅葉は見応えがある。

丁度、1416mの標高点の辺りがこの北面の紅葉の境界線の様だった。そこを過ぎる

とほぼ葉の落ちた林となる。














この辺りも佐々連さんのトラックを参考にしながらも、ある程度適当に登って行くと、

1500m辺りから笹原に飛び出した。モミの木とアセビの低木の庭を抜けると、どん

どんと視界が広がってきた。振り返ると黒笠山から矢筈山の稜線が見える。













そのモミの木も次第に疎らになってきた。目の前に三本の白骨樹が仲良く並んで、まる

で国旗掲揚台のようだ。








モミの木がなくなると最後は遮るもののない広大な笹の斜面となった。むらくもさんも

佐々連さんもこの景色に感嘆の声をあげていた。今回はその声を聞いてここまでやって

きた。そしてその感動の声は期待を全く裏切らず、我々三人も同じように声をあげた。

『すご~い!!』

山頂からは大きなうねりを造りながら緩やかな笹原の斜面になっていて、背の低い笹原

に幾筋もの獣が通った痕を追って登って行く。決して急いで山頂に向かって直登はせず

に、その獣道の緩い斜度の方向へとのんびりと登って行く。














西には三嶺、振り返ると黒笠山から寒峰への稜線。本当になんて贅沢な景色だろうか!


















岩が転がる庭園の様な場所を少し下に見ながら登って行くと、名頃から塔丸の山頂への

登山道に出た。獣道とは異なる踏み跡を辿って行くと山頂からの尾根。その尾根から次は

南側の剣山系の山々。そして太郎さんと次郎さんが仲良く並んでいるのが見えた。










尾根に出てひとつニセピークを越えると塔丸山頂。山頂では女性が二人楽しそうに話を

しながら食事の準備をしていた。我々も適当に岩に腰掛けお昼ご飯を食べる。















山頂から見る南面の山肌の紅葉も、祖谷渓谷辺りまで下がっているように見える。











お昼ご飯を済ませたら、東の夫婦池の登山口方面へと歩いて行く。山頂から一旦下がっ

て次のピークへと登って行く。夫婦池からのこのルートの登りは、こうしていくつかの

同じようなニセピークがあり、ピークと間違えてしまう。
















次のピークは二つのピークからなり、その東側に少し下がった所から北に三好市とつる

ぎ町の境界線が地形図には載っている。佐々連さんはその境界線に沿って下っていたが、

ここは少し横着をして北に続く境界線に向かって斜めにトラバースをしてみる。ピーク

から北に笹原の斜面と白骨樹。その笹原には縦横無尽に獣道が付いている。といっても

硬い笹に踏み跡が出来ると言う事は何度も何度も同じところを通っていると言う事。動

物たちにも人と同じように、通勤・通学路?があるのだろうか。
















笹原のすぐ下まで樹林帯が迫ってきた。その樹林帯の奥には曲がりくねった林道が見え

る。奥様たちに『あの道を通って帰りますから!』と伝える。境界線まで来ると北に樹

林帯の中へと下って行く。








ここからは尾根でもなく広い斜面。GPS頼みかなと思っていたら所々で色褪せた古い

テープが残っていた。境界の石杭も目につくようになった。

















すると以前にコリトリから一ノ森に登った時に見かけた、ツキノワグマ生息調査のセン

サーカメラが立木に取り付けられていた。そのカメラの向かいにはハチミツの入ったボ

トルをぶら下げている。センサーカメラに向かってピースサインをしたり、ボトルから

ハチミツをなめる振りをしたり、馬鹿な事をするヘッポコリーダー。一ノ森のカメラに

向かってもピースサインしたことがあるので、そのカメラを回収した四国自然史科学研

究センターの人は『また同じバカな人が写るってるわ!』と思うかな?







それまで随分と散ってしまった木々の落ち葉で踏み出す足が埋もれそうになる。『もう

少し早かったら紅葉も見頃だったのに』とあっちゃんに言うと『うんう、そのお陰で明

るい林の中を歩けているよ』と。確かに足元まで日差しが届いた林の中は歩いていてと

ても気持ちが良くて雰囲気もいい。







そんな木々も1500m辺りまで下がってくると彩が冴え始めてきた。赤いモミジはあ

まり見当たらなかったが、黄色からオレンジ色の色彩が映える。


















『お~~い、変な人間が近づいて来てるぞ~!』と少し離れた場所で鹿が仲間に知らせ

ているのか、キューンと鳴いた。それ以外は風の音もなく、ただカサカサと落ち葉を踏

みしめる音がするだけだった。頭の上と西側の斜面の彩りを眺めながら下って行くと幅

の広い林道が見え、さらに下って行くとその林道に飛び出した。











降り立った林道の少し北側には第七ヘヤピンからの道との分岐になっていた。そして西に

更に林道は延びていた。








ここからは小島峠まで予定通りの林道歩きになる。いつものように奥様たちのお喋りが始

まった。その後ろを立ち止まっては最後の彩りを写真に残すヘッポコリーダー。

















途中1312mの三角点を過ぎた所で道は1266mの標高点に向かっていたが、三角

点の先で鋭角に曲がって分岐していた。道なりにだとどうしても標高点の方へ歩いてし

まうのだが、直ぐに気が付いて鋭角に曲がる道へと歩いて行く。曲がる手前では今しが

た登っていた塔丸の稜線が見えた。ここで塔丸を最後に見納めをする。










落ち葉が積もっている所を見ると、あまり作業には使われていない林道の様だったが、

1347mの標高点の手前で突然広い集木場が現れ、同じような長さに伐採された木が

綺麗に何段にも積み上げられていた。










集木場の先では北側が伐採地になっていて、稜線からちょこんと頭を出した津志岳から

東に続く稜線の1110mのピークが見えた。さらに歩いて行くと同じように稜線から

頭を出した津志岳も見え始めた。











道は未舗装路からコンクリートの道になる。標高も1300mほどになり、道の両側は

今まで以上の色彩になる。運転席だけが放置されたトラックを横目に少し歩くと県道へ

飛び出た。














行動時間7時間10分。沿面距離12.7km。15時には小島峠につく予定だったが、

20分ほど時間を過ぎた。途中何度も立ち止まり周りの眺望や周りの木々の色付きを眺

めながらだったので、思った以上に時間がかかったが、その分最高の天気と最高の景色

に恵まれ、奥様たちにも満足いただけた一日になった。



ウララ・ウララ・ウラ寒風 ♪♪

2023年10月26日 | 四国の山
石鎚山に始まった四国の紅葉は、次第に標高を下げてあちらこちらの山々を彩っていく。

先週の天狗岳のダケカンバがそろそろ終盤だったので、今週は1,700mから下くらいかな

と行き先を考えていたら、5年前に登ってガスがかかっていて、せっかくの紅葉がイマ

イチだった裏寒風山が思いついた。先週の東稜コースに続いてこの裏寒風山もどちらか

と云えばバリエーションルート。『普通の登山道を歩かんのかいな!』とルリちゃん

たりからの声が聞こえてきそうだが、あっちゃんは既にルンルン気分、私もつい『ウラ

ラ・ウララウラ寒風!』と口ずさんでしまった。(笑)




寒風茶屋の手前の駐車場はほぼ満車。一番奥に空いていたスペースに停めて支度をする。

前回WOCで歩いた時も寒風山トンネルの中が寒かったので、三人ともに上着を一枚羽

織ってスタートした。トンネルの入り口には警備員が立っていて、トンネル内のメンテ

ナンスの作業をしているので気をつけて通ってくださいと言われた。











トンネルの中は、冷たい風が吹き抜け歩いていても寒い。15分ほど歩いただろうか、

トンネルの北側へ抜けるとそこにも警備員がひとり。我々が登山口から登ろうと取り付

きへ歩いて行くと、『先ほども男性が一人登って行きましたよ』と教えてくれた。

見上げると朝日に照らされた裏寒風の岩稜が、ひょこっと頭をだしていた。『あそこま

で登りますよ!』と奥様たちに声を掛ける。『高知77km』と書かれた道路標識と、

その手前のポールとの間が取り付きになる。








取付きからは赤テープを目印に登って行くと直ぐに炭焼き小屋跡の石積みと建物の基礎

の様なものが残っている場所に出た。その小屋跡を左に通過していくと涸れ沢。










涸れ沢を渡りテープを見失わないように更に登って行くと支尾根に出た。今までの広い

斜面に比べると、尾根を外さないように登って行けば間違いがない。













すると最初のロープがかかった岩場。3mほどの高さだろうか、前回は降雨の後で岩が少

し濡れていて滑りやすかったが、今日は乾いていて奥様たちも問題なく登ってきた。











次に岩壁が現れる。ここは足元を左に巻いて登って行く。そして二つ目のロープ場。こ

こは岩と岩の間を登って行くので、さして高度感もなくすんなりと。













こんな雰囲気の支尾根は奥様たちも何度も登ってきているので、ルートファインディン

グも問題ない。ここからあっちゃんに先頭を交代してもらう。もちろん所々にけっこう

真新しい赤テープもある。







右手には朝の光に輝く紅葉。頭の上にも黄色やオレンジ色の木々。そんな色とりどりの

パレットの中を登って行くと、左手に岩稜が見え始めた。










すると目の前にも岩壁が現れる。『え~あれ登るん?』とルリちゃん。いえいえ我々に

そんな器量はありません。岩壁の足元を右に巻いて登って行く。








岩壁の上部が第一展望台といわれている場所だった。トンネルの警備員が教えてくれた

一人で登って行ったという男性らしき人が休んでいた。岩壁の端からはいつも見る正面

からの伊予富士の稜線以上に、デコボコした伊予富士が眺められた。

桑瀬峠から見える寒風山西峰の岩峰の山肌は錦秋の絨毯。
















山頂から南西に派生する岩尾根も、頂上部はもう葉が散ってしまっているが、岩肌の下

部はまだまだ見頃に見える。正面のデベソの岩峰の左を巻いて行くとザレ場になる。

(我々はこの岩峰の右足元を登って行ってしまった)




第一展望台で一息ついたら、まだまだ急登は続いて行く。何ヵ所かロープ場を越えて登

って行くとこの裏寒風一番のビューポイントの第二展望台だ。

















右斜め上には西峰の急峻な岩峰。左上には先ほども見えた岩のドーム。ドームの辺りは

もう枯れた雰囲気だが、西峰の山肌はまだまだ見応えがある。『あっちゃん、ストック

で指してもあんな所は登りませんよ!』

振り返ると伊予富士から続く東黒森への稜線が、先程よりもくっきりと見え始めた。














しばらくの間この絶景に見惚れてため息をついた。するとルリちゃんが『せっかくなん

だからここで写真を撮りましょう』と。『そりゃそうだ、こんなきれいな背景なんてな

かなか無いぞ!』







360度見渡す限りの絶景。南西岩尾根の彩りも、西峰に見劣りしない。










第二展望台から一旦下ってまた登り返していく。今しがた展望台から見た色とりどりの

色彩の中の急登を登って行く。














途中で何気にウエストポーチに手を入れるとデジカメが無い。二つ目のポケットにも入

っていない。第二展望台から途中で何枚か撮ったのでその後だろうと思って引き返すが、

登ってきた道から外れて下ってしまう。急な笹の斜面をトラバースしながら何とか登っ

てきた道に出て、第二展望台まで戻るが見当たらない、すると上の方でルリちゃんの大

きな声がする。『あったわよ~!』目の前が真っ暗だったのが一気にパッと明るくなっ

た。カメラは買えば済むが撮ってきた写真はお金を出しても買えない。




ここにきてやっと右に見える桑瀬峠と同じくらいの標高まで上がって来た感じだ。する

と正面の岩肌に『左へ』のプレートが掛かっていた。










そのプレートの案内の通りに左に折れて進んで行くとザレた涸れ沢。その涸れ沢を渡る

と今度は、下草が伸びた斜面をトラバースして行く。伸びた草で踏み跡が少し分かりづ

らいが何とか奥様たちも渡り終える。














見上げると先ほど第二展望台から見えたドームが随分と近づいて来た。いよいよこの裏

寒風山の核心部のザレ場も近づいて来た。夏に奥様たちとはそのザレ場を下ったのだが

足元が次から次と崩れて、二人ともかなり難儀をしていた。ルリちゃんはずっとその事

がトラウマになっているようだ。









ただ順調のように見えたコース取りもこの辺りから怪しくなってきた。本来なら少し登

って気持ち左に振って進んで行くのだが、そのまま岩壁の足元まで登り詰めてしまった。

左にテープが見えたが上に見える岩壁を前回トラバースした岩と勘違いしてしまい、そ

のまま登って行くと、ダウンロードしていたトラックからはけっこうずれてしまってい

た。横を見ると落石が木と木の間に挟まっている。こんな大きな石が落ちてきて当たっ

たらと思うとゾッとした。














結局この岩壁は山頂からの南尾根の岩壁になる。この岩壁を越えた反対側に寒風山への

いつもの登山道が続いている。先頭を行くあっちゃんには度々『行けそうですか?』と

声を掛け、進んで行けるかを確認していく。時々足元から左側が切れ落ちヒヤッとする

場所もあったが、右手で必ず何か掴んで進むようにとルリちゃんに声を掛ける。













登山道を登っていてもこの尾根の西側は切れ落ちている。その岩壁の足元を今歩いてい

る事になる。場所場所で慎重に進んでくるルリちゃん。岩壁の足元で小さなルンゼのよ

うになった場所では、出来るだけ上へのぼってザレ場の場所の幅ない所を選んで渡る。

掴む木もなく足元がふらつくルリちゃんがなかなか前に足を踏み出せないでいる。それ

を見たあっちゃんが『崩れる前に次の足を踏み出すのよ、忍者のように!』と。



















この辺りから更に左にトラバースして行けば正規の?裏寒風のルートになるが、右上に

空と稜線らしき影が見えたのでそのまま右上に登って行く。







斜面には苔蒸した岩が転がり、ブナの木が立ち並ぶなかなか雰囲気のいい斜面だ。左に

見えている岩壁が、どうやら下から見えたドームの様だ。足元もそれほどザレてもいな

くて先ほどまでと比べると随分と登りやすい。














登りやすくなったとはいえ、二つの展望台を除けばここまでほぼ3時間登りっぱなしで

所によっては四つん這いになって登っているので、結構疲れてきたし、お腹も減ってきた。














ドームの下部の土だまりには大きな岩が転がっている。その下方には第二展望台が見え

た。その展望台はまさに錦に取り囲まれたピークになっている。そこから左は桑瀬峠か

ら伊予富士への稜線が続いているのが見える。
















ドームに沿って登って行くがなかなか稜線にたどり着けない。すると少し上方に数本の

赤い実を付けた木が見えた。近づいて見るとどこかで見た覚えのある可愛らしい実だっ

た。瞬間『タヌキのかんざし』という言葉が浮かんだ。たしか三嶺のマユミの古木にそ

んな名前がついていた。確信を得ぬまま帰った後にFBにアップしたら、流れ星さんか

ら、マユミの木はどうでしたかとコメントが入り、やっぱりマユミの木だったと納得す

る。梅色の赤い実はなるほどかんざしに見える。










奥様たちはそのまま直登で最後まで登って行った。私は少し右に振ってショートカット

してみたら、笹尾根に飛び出した。その笹原を下っていると少し上から奥様たちの声が

した。あっちゃんの後ろに見える岩が、前回歩いて来て行止りだと思った岩の先端で、

あの岩から少し引き返して西にロープ場を下ったのだった。










笹原を適当に下って登山道に出た。その登山道を山頂へと歩いて行くと上から降りてく

る人の姿があった。前を歩く奥様たちは気が付かずにすれ違おうとしているところを立

ち止まってよ~く見てみるとWOCのメンバーの『西川さん!』だった。ひとしきり奥

様たちと話をした後分かれて山頂へと向かう。山頂では思っていたより人は少なく、裏

寒風で一緒になった男性とここでも話し込む。











西を見ると双耳峰の様な手前のピーク。この左のピークの更に左側を登って来たことに

なる。その奥には伊予富士。さらに右奥には筒上山と手箱山が並んでいる。東を見ると

冠山の肩に平家平がちょこんと顔を覗かせている。そしてちち山、笹ケ峰へと稜線が続

いている。








お昼ご飯を食べ終える頃には山頂は我々だけになっていた。写真を撮ったらさっそく下

山を開始する。少し雲が多くなって光の量が落ちてきたが、それでも瞬間瞬間陽の光が

当たるとハッとするくらいきれいな寒風山の南尾根。




















いつもは脇目もふらずに特急電車で下って行く奥様たちも、さすがにこの景色。度々立

ち止まってはため息をついている。桑瀬峠までの稜線の東面も、稜線上の登山道も秋色

一色。いえいえ一色ではなく数十色!














途中から今度は稜線の西面の山肌が見え始める。もちろんこちら側も申し分のない錦秋。











登山道には新しくロープが以前より多くの場所で張られていた。登山道より水分高い位

置に張られたロープも有り、恐らく積雪時用のロープだろうと推測する。たしか今まで

整備してくれていたHさんは引退したと聞くが、また別の人たちの手によるものだろう

か?







西峰の岩峰にも陽が当たり山肌の錦を照らしている。その右横には裏寒風からやっとの

事で辿り着いた尾根の笹原とデベソ岩。こうしてみると西峰の岩壁とてつもなく急峻な

のがよく分る。その岩壁ではなく樹林帯の中とはいえよく登ったもんだと自画自賛。










先ほどまでのロープと同じように、随分上の方まで笹も刈り払われていた。草刈り機を

登山口から持ってきて、担ぎ上げてくるその労力たるものや頭が下がる思いだ。

桑瀬峠まで降りてくると裏寒風と山頂で一緒になった男性もひと息入れていた。ここか

らは寒風山の山頂はもう見えない。東の冠山からの稜線の西面に雲が流れて影を落とし

ている。


















桑瀬峠から樹林帯の中へ入ると周りに見る景色もなく、奥様たちのスピードがどんどん

上がっていった。峠から30分強で寒風茶屋に着いた。茶屋の前には観光客だろうか、

沢山の車が停まっていた。寒風山直下から中腹が今はピーク。これからさらに紅葉の標

高は下がって行くだろう。帰りの車中、奥様たちに次に歩きたい山の説明をしながら高

速を車を走らせる。














東稜コースから念願の墓場尾根

2023年10月20日 | 四国の山


先週、奥様たちはツアーで焼岳に登ってきて天気も良く満足して帰ってきたのに‥‥。

石鎚山の紅葉が見たい!』と宣う。『なんて欲張りなんだ・・・』と思いつつも、素

振りも見せずに『わかりました』と答えた。あっちゃんの『紅葉が見たい』というのは

弥山からの天狗の紅葉もだが、東稜コースから見上げる南尖峰の紅葉を見てみたいのだ

ろうと直ぐに勘ぐった。そして南尖峰からは絶対墓場尾根まで行くと言うだろうと、

これも直ぐに予想が付いた。

ただ私自身がまだ墓場尾根まで降りた事が無く、前回は大砲岩に行く途中で引き返した。

奥様を案内するには不安があったので、ここは石鎚山のスペシャリストのエントツ山さ

に助力を仰いだ。電話もせずに自宅に押し掛けて、『イアマイチ墓場尾根までのルー

トが分からないから教えてください』と玄関先で話をすると、わざわざ部屋にあげてく

れて、カレンダーの裏紙に手書きで絵を描きながら詳しく説明してくれた。2枚ほど絵

を書いてもらったらほぼそのルートが頭に入ったので、お礼を言ってお家を後にした。

すると丁寧に後から書き直してくれた絵をもう一枚送ってくれた。これで完璧!




そして『今週は石鎚山の墓場尾根に行ってきます!』と同級生のLINEグループのト

ークに書き込んだら、『一緒に行きたいと』神戸の同級生から連絡が入った。先週末に

大峰山系の小屋泊まり縦走から帰って来たばかりなのに、奥様たちといいみんな何かに

憑りつかれた様に山に出かけている。一番しょぼいのはヘッポコリーダーだった。


天気予報は今日まで晴れマーク。唯一の不安材料はこの季節によくあるガスがかかる事。

そう思いながら車を走らせると、高速を降りて西条市の途中から、朝陽に当たって霊峰

石鎚山がくっきりと見えた。『ヤッター!』

UFOラインは現在時間通行制限がかかっているので、工事が始まる前に通過。南に見

える高知の山々、自念子の頭瓶ケ森も申し分のない空の下で輝いていた。














前回にこのシーズンに来た時は平日にもかかわらず駐車場には停められず、石鎚スカイ

ラインを少し下った路肩に車を停めたが、今日はそれほどでもなくすんなりと停められ

た。先週がピークだった情報が色々と上がっていたので、すでにピークアウトしたと思

われているのかもしれない。駐車場からの南尖峰に向かって『待ってろよ!』と。







『やっぱり寒いね』と言いながら、上着を一枚羽織って歩き始める。そう言えばこの石

鎚山に初めて来たあっちゃんが、途中で木々の間から度々見える瓶ケ森を指さして『あ

の山は何て言う山?』と何度も聞いてきたのを思い出す。あれから数年、奥様たちとは

色々な山を歩いて来て、二人も数段レベルアップしてある程度の山座同定が出来る様に

なってきたので、瓶ケ森が見えても質問してこなくなった。











土小屋からの登山道は鶴ノ子ノ頭を過ぎるあたりまではなかなか陽が当たらず薄暗いが、

それがかえって優美な雰囲気を醸し出している。













鶴ノ子ノ頭を過ぎると登山道は稜線の南側になり、先ほどまでとは打って変わって明る

い日差しが降り注ぐ。第一ベンチで最初の休憩。水分補給と暑くなってきたので上着を

脱ぐ。ここから今日二回目の南尖峰。その南尖峰の左手に見えるニノ森を指して、奥様

たちに『さて問題です。あの山は?』と聞くとルリちゃんは『岩黒山』、あっちゃんは

『瓶ケ森』ととんでもない答えが返ってきた。先ほどの『格段に進歩しては』即撤回!











第一ベンチからは笹原の中に階段状の道が続いて行く。そして南尖峰がどんどん近づい

てくる。そして振り返るとピラミダルな形をした岩黒山。その奥に墨絵の様に峰々が続

き、雲海も見えている。南尖峰の岩稜からは錦秋の帯が斜面が走り、さらにその下の明

るい緑の笹と濃い緑のモミの木の斜面とのコントラストが素晴らしい!



















第二ベンチも過ぎ、いよいよ東稜基部の第三ベンチに。ここでルリちゃんに南尖峰の紅

葉の素晴らしさと今日の天気とのマッチングを説明して、何とか一緒に登ろうと説得す

るも、やはり南尖峰の直下の最後の岩が不安だということで、ここで別れてルリちゃん

一人で登山道を歩いて行くことになった。





それではと、南尖峰アタック隊?は通行禁止の道を進んで行く。以前に比べると踏み跡

がはっきり付いて迷わず進んで行けるようになったこの東稜コース。危険な箇所も殆ど

なく、もはやバリエーションルートでもなくなった。果たしてこの形骸化した通行禁止

の看板の意味があるのだろうか?出処はわからないがただの責任逃れの看板にも見える。

樹林帯の中をしばらく登って行くと目の前に仰向けになって寝ている老人が現れビック

リ!少し話を聞くと『ここまで登って来たが、バテたのでここから引き返す』と言う。

更に『前に歩いている三人組の人たちが、一緒に登ろうと言ってくれたが、待ってくれ

ていたらいけないので引き返すと伝えて』くれと伝言を頼まれた。







『わかりましたお伝えしますね』と言ってその老人の脇を抜け歩いて行く。樹林帯を抜

けると背丈ほどの笹が現れた。足元の踏み跡を確認しながら、平泳ぎの北島康介ばりに

両手を動かし、笹を掻き分け掻き分け進んで行く。

















途中でメタボ測定の2本の木がある。この木の間を真っすぐに通り抜けれれば異常なし。

身体を斜めにしなければ通り抜けられなければメタボと判定される。?

もちろん痩せのあっちゃんは問題なしと思いきや、『あれ、斜めにしている!』。

笹は益々濃くなっていく。踏み出し掻き分ける度に埃が舞い上がる。この辺りまで来る

笹滝矢筈岩が迫ってくる。











笹滝に入る手前で少し岩を登るヶ所があった。以前はなんでもなかった場所で、足がか

りが分からずに躊躇する。そして新たに分かった事は以前に比べると身体が固くなって

いる。大した高さでもないのに足が持ち上がらない。無理やり持ち上げようとすると攣

りそうになる。情けない・・・・。

笹滝の中央部には道とわかる踏み跡がくっきりと見える。その道を三人のグループが登

っているのが見えた。『さっきの老人に伝言を頼まれた人たちだ』。笹滝の左手は面河

に続く支尾根。この尾根も錦秋で彩られている。











笹滝の道は深く掘れていて何ヵ所か高い段差がある。両手で笹を握って太った重たい

身体を『ヨイショ!』と持ち上げる。笹滝を登りきると少し左に振って登って行くと、

左手に小さなコブのある鞍部に出た。ここで先ほど笹滝を登っているのが見えた三人が

一息入れていた。老人からの伝言を伝えると、その老人は60歳から山登りを始めて4

00名山を全て登って、今日の石鎚山を最後に今後は里山をのんびり歩くと言っていた

そうだ。小柄で太った老人が・・・・・人はほんと見かけによらないな~。

三人組の写真を撮ってあげて、反対にこちらも写真を撮ってもらう。














写真を撮ってもらった場所から後ろに見える岩尾根を右から巻いて登って行くと南沢

上部に出る。写真では緩やかに見える笹滝も反対側の支尾根を見ると結構な斜度だとい

うのが分る。











その南沢最上部から岩尾根を乗り越えると今度は西沢(中沢)の笹滝。もうここまで来る

と南尖峰がすぐ目の前だ。南尖峰のからの支尾根の途中には大砲岩墓場尾根が見える。

そしてよくよく見ると墓場尾根に登っている人の姿がある。














ここから笹滝に沿って登って行くとカニの横這い。もちろん三人ともに難なく通過!

南沢、西沢そして墓場尾根の下部から続く北沢と、南尖峰から東稜コースにかけて、

三つのバリエーションルートがあるらしい。そしてエントツ山さんは三つとも面河から

登り詰めているのには、ほとほと感心する。













カニの横這いを過ぎ更に登り詰めて行くと、少し高さのある岩場。ここでスリングを使

っている人を見かけるが、三人ともノーマルでスイスイ登れた。この岩場を登りきると

また絶景が広がっている。足元では支尾根の岩稜の紅葉の中、カニの横這いの手前で先

ほどの三人の姿が見える。瓶ケ森の奥には石鎚山系・赤石山系の山々。














そしていよいよ南尖峰直下の最後の岩場。エントツ山さんには目印の白骨樹の右斜め下

から取り付くと登りやすいと教えてもらったのだが、みて見るとどうも足がかりが見当

たらない。そこで白骨樹の真下から取り付いて見るが、神戸の山の会で最近ロッククラ

イミングの練習もしているという同級生のムラちゃんもうまく登れない。交代して私も

チャレンジするが右上に手掛かりがなくて足を上へと運べない。前回はスイスイと登っ

て上からロープを垂らしたのに・・・・・。(汗)

何度か交代しながら取り付き位置を変えながらチャレンジしたら、最後にムラちゃんが

登って行けた。早速ロープをダブルで木から垂らしてもらって、あっちゃんが続く。

最後に私が登って行きロープを回収する。それにしても歳はとりたくないもんだ。禁煙

してから体重が5kg増え、身体は益々固くなり筋力も衰えホント情けない限りだ。




















南尖峰からはエントツ山さんに書いてもらったルート図をイメージしながら降りて行く。

この間の下りは急ではあるけれど足がかりや掴む木や笹もあって比較的容易に下ってい

ける。左手に岩肌が現れ大砲岩が見え始めると左斜め下に今日の目的地の墓場尾根が見

える。柱状節理で角型の柱状になった岩が何本も空に向かって飛び出している。その手

前のドウダンツツジの赤がその岩をなお一層引き立てる。視線を墓場尾根から右にパー

ンすると、西ノ冠岳から二ノ森への稜線。樹種が違うのかこの辺りは色づきがさほでは

なかった。




















岩肌斜面の最下部まで下り、エントツ山さん教えてもらった通りに今度は岩肌の反対側を

折返して斜め右上に向かって登って行く。右手に大砲岩が迫ってくるが、さらにその上ま

で登ると大砲岩に向かって2・3枚のステップになる岩がある。その岩を渡ると大砲岩。

上を見ると南尖峰の先端。左を見ると西沢の左岸?の支尾根。













さらに左に樹林帯の中へと入って下って行くと三段ほどになった展望岩に出る。ここか

らは大砲岩と二ノ森への稜線が見渡せる。展望岩からは先に二人に墓場尾根へ降りても

らって写真を撮る。










あっちゃん念願の墓場尾根登頂成功!!あっちゃんと若干腰が引けているように見える

ムラちゃんも、神戸から来た甲斐があったというもの。














きれいに写真は撮れたがこの展望岩からだと墓場尾根の高さがイマイチだ。写真を撮る

なら大砲岩からがベストかもしれない。あっちゃんと交代して私のデジカメのボタンの

説明と操作の説明をして渡す。墓場尾根に立って展望岩のあっちゃんに声を掛けるが、

操作が分からないという。今さっき実際に操作しながら説明したのに。しまいには『削

除しますか?』と画面に表示されていると言う。いやいや今まで移してきた写真を全部

削除されたらたまったもんではない(冷や汗)。慌てて『もういいです!』と言った後

に自身のスマホで撮ってくれた写真がコレ!











三人ともに?写真が撮れれば、先に弥山の山荘にいるはずのルリちゃんが、時間を持て

し余して待っているはずなので、急いで引き返す。展望台から登って行くと下りでは気

づかなかった岩屋の中に銀マットが敷いてあった。誰が?何の為に?

大砲岩から岩肌斜面も快調に下って行く。この辺りの地層は溶結凝灰岩らしいが斜度が

ない場所では意外とフリクションがあって四つん這いだが歩いて行ける。














岩肌から南尖峰に向かって登り返す。結構下ってきたので当然結構な斜度を登って行く。

この辺りから私は完全にシャリバテになり、足がなかなか動かない。後ろから来ていた

二人に先に登って行ってもらう。登りきった南尖峰には天狗岳から次々と人が来ていた

ので、先へと急ぐ。







天狗岳の右手からガスが上がり始め、山頂では記念撮影をしている人の姿も見える。










南尖峰の岩肌のダケカンバももう終盤。ただ申し分ない天気に岩黒山を背にした土小屋

の建物まではっきりと見える。そして夜明かし峠から成就社への道の山肌の色付きは今

がピークかもしれない。赤にオレンジ、黄色の色が緑の中に浮かんでいる。














天狗岳では東稜コースで会った三人組さんが写真を撮っていた。ここでもお互いに交代

して写真を撮り合った。天狗岳から弥山へは天狗岳へと向かう人と離合するのに何度か

立ち止まる。それでもいつもと比べれば随分とマシな方だった。













それでも弥山では多くの登山者で賑わっていた。まずは石鎚神社にお参りをしていると

ルリちゃんがやってきた。山荘で何時間も待つのも何なので、西ノ冠山まで歩いてきた

そうだ。参拝の後は速攻でさおりんのいる山荘に駆け込む。カレーライス!











カレーライスを待つ間に三人はビールで乾杯。運転手の私はお預けでふくれっ面!

山荘で30分ほど過ごした後さおりんと記念撮影をした後下山開始。するとあっちゃん

がどうしても三ノ鎖を下りたいと言う。『どうぞどうぞ!』と言って三人は登山道へ。

直下のスチール階段を下りきり、三ノ鎖の足元まで来るとまだ下ってきている途中だっ

たので、しばらくの間鎖を下ってきているあっちゃんのお尻を眺めながら待つ事に。そ

して鎖を下りきった後あっちゃんに話を聞くと『もうあまり楽しくなかった』そうだ。

なんじゃそれ!




















三ノ鎖からの途中で前を歩く10人以上の列がゆっくりと下っていてこちらが詰まって

しまう。グループなのかバラバラなのか分からず後ろを付いていたが、このままでは土

小屋が何時になるか分からない。奥様たちもおしゃべりしながら後ろを付いて行ってい

る。時間が気になり始めたので少し広くなった場所で一気に追い抜くと、先頭のリーダ

ーらしき人が声を掛けている。グループならもっと早く後ろが詰まっているのに気づく

べきだと思いながら、UFOラインの時間制限の時間に間に合うように先を急ぐ。

ただ途中の北壁の下あたりの色付きも素晴らしく、度々立ち止まっては写真を撮ってい

るうちに、三人の姿は見えなくなってしまった。(何十枚もとったけれども北壁の影で

暗く写って綺麗に撮れていない)



















第三ベンチで待ってくれていた三人に何とか追いつくが腰の痛みが酷くなってきた。先

ほどまで両ひざが痛かったのが、腰が痛み始めると膝の痛みが不思議と無くなった。人

は二ヵ所も三ヵ所も同時に痛みを感じることは無いようだ!『神は二物を与えず』とい

うが、『神は二痛を与えず』なのだ。(本当かな)














登山靴の中に小石が入ったので道の脇で腰を降ろして登山靴を脱ごうと膝を曲げると、

太腿の内側が攣った。筋肉が大きいだけにその痛みは半端なく思わず悲鳴をあげた。

何も知らない三人はサッサと先を歩いて行く。結局痛みで足を曲げられず登山靴を脱ぐ

事も出来ずにそのまま足が攣ったまま小石が入ったまま歩き始める。道の脇のあちらこ

ちらで咲くリンドウだけが『がんばって!』と励ましてくれる。














第一ベンチから見る南尖峰にはすでにガスがかかっていた。ここまで来ればあと少し。

八方ブナを少し小ぶりにしたようなブナの黄葉ももう最後の様だ。










明日は天気予報では雨模様。その後はまた冷え込むようなので、石鎚の紅葉の見ごろも

今日が最後かもしれない。シコクシラベの林を抜け、モンベルの建屋が見えた時はいつ

になくホッとした。車まで戻り登山靴を脱ごうとベンチに腰掛けるとまたいっそう痛み

が酷くなった。幸い左足なので運転に支障はないだろう。







帰りの道のUFOラインの彩りもやはりピーク。この紅葉を見に来ているのだろうか、

登山者ではない普通のいで立ちをした人たちの車と何度もすれ違う。

暑い暑い夏がやっと終わったと思っていたら一気に冷え込みもうすぐ冬の気配がしてくる。

ただ四国の山の紅葉は石鎚山がスタート。まだまだこれから楽しみだ。













『線で繋ぐ剣山~紀伊水道』柴小屋休憩所から雲早山東尾根

2023年10月13日 | 四国の山


今週は奥様たちは〇〇ツアーで『焼岳』に出かけて行った。一日目は上高地の散策、二

日目に中の湯温泉から登るという行程のようだが、登山はともかくバスの移動だと8時

間近く(それ以上?)かかるのが今の私の腰では無理。先日の大阪への出張の新幹線で

の移動でもけっこう堪えた。ただ自家用車だとこれが不思議と長時間乗っていても苦に

ならない。今の車のシートの相性がよっぽどいいのだろうと思う。

そんな事で毎年恒例の10月入っての石鎚詣でもと思っていたら、奥様たちが『来週に

行きたい!』宣う。今年は少し色づきが遅れているとはいえ、来週18日となると紅葉

もピークアウトしてる?と思いながらも、仕方がないのでどこか別の山をと考えた。

とは言え『線で繋ぐシリーズ』はやはり三人で歩かないと何を言われるか分からない。

腰の調子もそんなに良くないし、それならまあ無難な線で雲早山ででもお茶を濁そう

かとYAMAPを見ていたら、柴小屋から雲早山まで歩いている活動日記が目に留まっ

た。実はこの区間、雲早山から菖蒲権現、柴小屋から菖蒲権現の2回に分けて歩く事に

なると考えていたので、『線で繋ぐシリーズは三人で』の前言は即撤回。奥様たちには

『下見に行ってきます!』と言い訳をしてホクホク顔で出かけてきた。

自宅から高速で板野ICまで走り藍住町、石井町を経由して神山町へ。ここからはスマ

ホのGoogleMapのナビに従って走ると、これがとんでもない事になる。最初は県道20

号線と国道439号線が交差する場所から『大久保の乳イチョウ』方向へ誘導されたが、

途中でどうも道が怪しくなり引き返す。次に町役場の西側の野間谷川に沿って南に走っ

て行くが、これも道が鋭角に曲がってコースを誘導され、ハンドルを何度も切り返し、

行止りだったり、切り返しで左前が見えずにドスンと大きな音をたてて落ち込んだりと

冷や汗を繰り返して、何とか柴小屋への道に飛び出した。(本来なら役場からまだ西の

国道沿いに雨乞いの滝と剣山スーパー林道の標識から南に曲がるのが正解)

柴小屋休憩所へはアケボノツツジの咲くころの薬研谷に出かけるのに何度か走っている

のに、全く忘れてしまっていた。途中の道はとにかく『落石注意』の標識が目立ち、落

石防止のネットに溢れんばかりの落石のある危なそうな場所も通過する。




柴小屋休憩所はこの時期さすがに一台の車もなく、車のメーターの外気温は12度を表

示していた。車から降りると気温もさることながら風が強く吹いていたのが寒気さを誘

った。着てきたシャッを脱ぎ、着替え用に持ってきた少し厚手のシャツに着替えてスタ

ートする。東の稜線上に見える風力発電の羽の風切音がここまで聞こえてきた。










いつもは柴小屋山や大道丸の取付きとなる登山口を今日は横目に見ながら通過してその

まま舗装路を歩いて行く。10分ほど歩くと左手に真新しい法面保護のコンクリート枠

が見えてきた。










その法面保護の斜面を通り過ぎるとその尾根が下がりきった場所になる。そこからその

尾根に向かって折り返すようにして登って行く。尾根に沿って登って行くと法面保護の上

端に出る。そこからは北に向かっての眺望が広がっていた。そこを過ぎると何故か石の蹴

込の階段が続いていた。(四国のみちかな?)










荒れた階段を登って行くと程なく山頂に着いた。三等三角点 高根山 1231.98m。三

角点の脇の岩の上にはヤッホー地蔵が書かれた石があった。周りを見てみるが山名標識

はなかった。南側の岩の上に登ると雲早山からの稜線と高丸山が見えた。







まずは今日の一つ目のピーク


左端が高丸山




一つ目のピークをゲットしたら、蕾のままのリンドウを眺めながら階段を降りて行く。

林道に出て南にススキ原を眺めながらしばらく歩くと、道の両側に石碑が並ぶ旭丸峠

氷小屋跡入り口の標識から右に林道から山道へと入って行く。



白樺植林30周年の碑


氷小屋跡への道の石碑と入口の標識






氷小屋跡は当時蜂須賀の殿様に氷を届けるための氷室があったそうだが、道はさかて山

を巻くようにして続いていたので、途中からピークに向かって適当に登って行く。

さかて山山頂は山名標も三角点もなく、YAMAPの活動日記からトラックをダウンロ

ードしていなかったら通り過ぎてしまいそうな場所だった。






二つ目のピーク



さかて山から広尾根を下ると三差路になった林道に出る。左の舗装路は勝浦川の源流部

から川に沿って上勝町に続く道、右手は未舗装のあけぼの峠を通って土須峠へと続く、

剣山スーパー林道だ。但しこの道は雲早山の登山口の先で通行止めになっている。






土須峠に続く剣山スーパー林道






三差路の奥の看板のある場所からまた尾根へと取り付いて行く。ピークを回り込むよう

にして比較的明瞭な道が続いて行くが、大岩を過ぎ尾根の道になるとゴロゴロ岩の道に

なる。














苔むした岩の転がる場所から道は分かりにくくなる。とにかく尾根を外さないようにと

登って行くと正面にさらに大きな岩。この岩は左に巻いて尾根に戻ると間もなく旭ノ丸

山頂に着いた。1312mのピークだがここも三角点はない。山名札があるお陰で山頂

だと何となく判る程度の眺望もないピークだった。






今日の三つ目!


シコクママコナ



先程は左側が植林地だったが、山頂からは右手が植林地になる。自然林との境を下って

行くと突き当りの様になり、赤テープを目印に左に回り込み少し分かりづらい尾根を下

って行くと南に眺望の広がる展望岩があった。ここからも高丸山が見えた。ただ灰色の

重苦しい雲が高丸山のピークを隠している。今日は天気予報ではまずまずのはずだった

のに、相変わらず陽の光も薄く風も強い。











展望岩を過ぎると植林地の中の道になる。すると青色のテープで四角く囲われた場所に

『森林整備・施工管理標準地』と書かれた張り紙があった。後で調べて見ると保安林の

整備の為らしかったが詳しくは分からなかった。この後も何ヵ所も同じようにこの張り

紙と四角く囲まれた場所に出くわす。




















1270mの標高点から尾根は二手に分かれていて一瞬間違えそうになるが、ここは右

の広尾根を進んで行く。すると左側に作業道が続く場所になる。もちろん地形図にも載

っていなく、そのまま尾根を歩いて行く。

1270mのここは右に行く







1270mから樹脂の黄色と赤色の杭に沿って歩いて小ピークを一つ越えるとまた林道

に出る。『みんなの広場』と呼ばれる場所は北側が広々としていて、神山町を見降ろせ

その奥には焼山寺山が見えた。













ひと時その眺望を眺めた後さらに先へと。上勝町の標識からまた尾根へと取り付く。小

さなピークの手前にブナの古木。そのブナの木を眺めながら一旦暗部に。ここから参考

にさせてもらったザントブリッツさんは次の1300mのピークまで登って、への字に

曲がって菖蒲権現への尾根へと歩いていたが、鞍部から左に尾根に向かって適当に登っ

て行く。踏み跡も無くアセビの低木を掻き分けスマホを見ながら稜線を目指す。











途中で苔岩の庭を過ぎるとプールの様な大きなヌタ場。1300mほどの標高だけれど

けっこうな数のイノシシがいるんだな。ヌタ場を過ぎると菖蒲権現への尾根が見えた。













尾根道は快適な道、ほどなく菖蒲権現に着いた。三等三角点 菖蒲権現 1292.4m。今

日最後のそして四つ目のピーク。三角点の横には鳴門岳友会の山名を書いた杭がある。













菖蒲権現から境界の石柱に沿って下るとまた林道に。ここから先程のザントブリッツさん

は直ぐに尾根に取り付いていたが、三角点も標高点もない尾根。そして登ってもすぐまた

林道に出るので今回はパスして林道を歩く。














途中で開けた場所からは先ほどの旭丸峠から勝浦町へ抜ける林道と、勝浦川の源流部が

見えた。谷あいの奥に見えるピークのどれかは山犬嶽のようだが、正確に同定は出来な

い。







林道をしばらく歩くと法面をコンクリートで覆った切通のあけぼの峠だ。その法面の

脇には神山町の標識。そしてここからが雲早山から高丸山への稜線への登りとなる。











直ぐにコンクリート保護の脇を登って行くがこれがなかなかの急登(後で分かったがこ

の先からも取付きがあった)切通の上部にまで来ると北に三角の焼山寺山が見える。







立ち枯れた木々とシダの下草の中の踏み跡を辿って登って行く。その急登を登りきると

高度が上がった分さらに北西の景色が広がっていた。正面に見えるのは砥石権現だろう

か?そのピークから少し右下に視線を移すと建物が見える。恐らく岳人の森の観月茶屋














その斜面から吹き上げてくる冷たい風に、背の低いシコクママコナも震えていた。

展望所からしばらくは緩やかだった道もまた急登になる。1317mの標高点辺りでは

尾根の両側にシャクナゲの木が目立ち始める。開花の時期ならさぞ見応えがあるだろう。

















その1317mの標高点から一旦下り坂になる。いつもの事だがピークへの登りの途中

で下りになると『せっかく登って来たのに何も下らなくても』と思うのだが、そんなに

都合よく自然の地形はできていない。











鞍部では細い幹のヒメシャラが目立つ。このルートの途中からは赤テープが目印になっ

て役だったが、あけぼの峠からの道は色褪せた古いテープも目についた。最後の急登を

登り詰め、大岩とシャクナゲが現れると高丸山への稜線に着いた。予定していた通り、

あけぼの峠からは1時間弱かかった。













稜線上はまだ冷たい風が吹いている。木の陰に身を寄せてお昼ご飯にする。コップで飲

む温かい味噌汁が美味しいこと美味しい事。







木々の間から見える雲早山はまさしく雲の中。余裕があれば雲早山までと思っていたが

今日はここで線が繋がったので引き返すことにした。







シャクナゲの群生を過ぎ今度は逆に急坂を下って行く。所々で踏み跡を見失いながらも

赤テープと足元の踏み跡を探しながら下って行く。













あけぼの峠手前の展望所まで戻ってくると、今日初めて青空が見えた。焼山寺山の右奥

は高越山まで見えた。登りではコンクリート保護の横から登ったが、その奥の林道の脇

のホイールカバーが取り付きの目印だった。(このホイールカバー、雲早山のシャクナ

ゲ尾根への取付きにもあったような?)













あけぼの峠からは林道歩き。正面に菖蒲権現が見える。この辺り砥石権現、菖蒲権現そ

して杖立権現と権現と名の付く山が多い。その所以は何かあるのかな?












単調な林道歩きも、道の脇に咲く小さな花たちが気持ちを和ませてくれる。寒さのせい

か日当たりのせいか、まだ花を開かせないリンドウだったが珍しくピンク色に近いリン

ドウもあった。











菖蒲権現を南に回り込むとみんなの広場に着いた。ここで並んでいる丸太に腰掛けて、

味噌汁を作った残り湯でコーヒーを淹れて一息入れる。天気が良ければ阿讃山脈を飛び

越えて香川や小豆島も見えそうな雰囲気だ。




















途中の道の脇で往路で見た森林整備の張り紙。この張り紙を見ると入札での工事現場で

よく見る内容だ。木々に書かれた番号がとても気になる。














旭丸峠まで戻ってきた。往路では気にも留めなかったが、植林の碑の通り道の脇には白

樺が並んでいて少しだけ北の山の雰囲気(笑)










高根山の手前のススキがやっと差した日差しに輝いていた。高丸山までがまたひとつ遠

くなった。







柴小屋山休憩所まで戻ってきた。東に朝方よりもはっきりと稜線上に続く風力発電が見

える。東屋の手前からは徳島市街地までも見渡せた。













車まで戻ってくると一台の軽自動車がやってきた。東屋の横で靴を履き替えている間に、

ザックを担いでさっそうと歩いて行った。時間は14時を過ぎている。今からは柴小屋

山か大道丸辺りまでかな。でもこの時期にこの時間帯にと疑問が残る。





帰りの道、青空がどんどん広がってきた。山を下りたら晴れになったの山歩きのあるある。

予想した通り今日は一人も会う事はなかった。逆に何度も鹿を目にする。風の吹く音と鹿

の甲高い鳴く声だけが聞こえる静かな静かな一日だった。








次に柴小屋休憩所から梅ノ木峠まで歩けば、土須峠から杖立権現越えまでの線が繋がる

ことになる。実際は雲早山から砥石権現、高城山までは歩いているけれど、如何せんデ

ーターが残っていない。とにかくこんな線を繋ぐ山歩きをしようなんて以前は思っても

みなかった。これも奥様たちと一緒に歩き始めてからの事。まだしばらくは繋がる稜線

を見つけての山歩きになりそうだ。

















『線で繋ぐ西赤石山~阿讃縦走路』翠波高原~堀切峠

2023年10月05日 | 四国の山


今週は先週歩いた翠波高原の北峰展望台から、東に続く稜線を堀切峠を目指して歩いて

きた。ただこの稜線は法皇スカイラインの名前の通り、稜線を舗装路が堀切峠まで続い

ているので、そのまま歩くと10kmほどのただの散歩となってしまうので、出来るだけ

舗装路を歩かずに道の脇の樹林帯の中を歩く事にした。




いつもの様に豊浜SAに集合して今日は2台で高松自動車道を走り、川之江ICで降り、

国道11号線・192号線そして県道5号線・さらには国道319号線を通って、堀切

峠を目指した。堀切峠は新宮から川之江へ抜ける土佐北街道の峠。三差路になった峠に

ルリちゃんの車をデポして、奥様たちを私の車に乗せて北峰展望台へと車を走らせた。

北峰展望台からは西に鋸山・豊受山、眼下には土居町の街並みが、先週よりもさらに

青い空の下に広がっていた。













展望台からまずは舗装路を歩いて行くと。先週と同じ場所で伐採した丸太をトラックに

積み込む先週見かけた若者の姿があった。その積み込み作業の横を先週と同じおじさん

とおばさんが同じ格好で歩いているのを見て、その若者はどう思っただろう。

道の脇にはまた同じような花が咲いていた。

シロヨメナ








アキノキリンソウ



右手の水波権現へのコンクリートの登坂を過ぎると、スカイラインはくねくねと曲がっ

た下り坂になっていたので、ここはガードレールの間を通ってそのまま直進をして下っ

て行くと杉林の中に道があった。







枝打ちされ枯れた杉の枝が積もった道を下って行くと、二つの石柱。水波大権現と彫ら

れた石柱。今下ってきた道がスカイラインの出来る前の水波大権現への道だったのか?








その石柱の先はススキ原。薄い踏み跡を辿りススキを掻き分け進んで行くと、足元にコ

ンクリートの橋の様なものがあった。更に進んで行くと仮設のトイレも。ここはいった

い何だろう?と思いながら歩いて行くと、舗装路に飛び出した。














その舗装路の際にはアヤメ池と書かれた石の案内板と朽ちかけた木の案内板があった。

元々ここには小さな池がありアヤメ池と呼ばれていて、その池はノハナショウブの自生

地で市指定天然記念物にもなっているらしいが、今は鬱蒼としたススキ原で見る影もない。







翠波峰から下ったこのアヤメ池がこの辺りの底地になっていて、ここからは中曾根の三

角点に向かって緩やかに高度を上げて行く。一旦車道を歩き、道が曲がり始めるとショ

ートカットして道の脇の樹林帯の中を歩いて行く。







そのショートカットもすぐ終わり再び舗装路に。その舗装路から道の脇をひと登りする

四等三角点 中曾根 793.63m ここには比較的キレイなキティーちゃんがあった。










中曾根の三角点からは直線の舗装路歩き。道の両側の樹林帯は密度が高くて飛込む気に

ならない。



マツカゼソウ



時々道の南北に脇道があるが、地形図にも載っていない道。南側の道は稜線の南に東西に

続いている鉄塔への道かもしれない。



シモバシラ


カタバミ


ツリガネニンジン



すると今度は大きな三差路に出た。左に馬瀬林道と書かれた大きな標識と、その脇には

お地蔵さんが二体。ここが馬瀬林道の終点で虫仏山林道の起点になる。










二つ目の三角点はこの林道説明板の東側にある。斜面の様子を見ながらルリちゃんが登

って行く。あっちゃんと私はもう少しマシな取付きはないかと舗装路を歩いて探すが、

斜面と道との段差は高くなる一方。仕方がないので三角点を回り込み、左に続く林道か

ら登って行く。先に着いたルリちゃんは『取付きだけが荒れていたけど、あとはきれい

な尾根だった』と。




四等三角点 池ノ尾 778.31m にもキティーちゃんのプレートがあったが、きれいに

二つに割れて木の幹にぶら下がっていた。年月の経ったキティーちゃんのプレートが割

れているのを至るところで見かけるが、WOC登山部のメンバーのセニョさんは、その

補修にCDを裏当てして接着剤で丁寧に修理している。ただ今日はそんな準備もしてい

なくて、ルリちゃんが持ってきたテーピングで貼り合わせ、針金を巻きなおして修理完

了とした。少々不細工だが応急手当、良しとしよう。



















池ノ尾三角点からも舗装路歩きが続いて行く。四国中央東幹線はこの尾根の南側を東西

に続いているが、銅山川第一発電所、三島変電所へ送電線が何本か稜線を跨いでいる。
















今日唯一の山頂の平石山へ適当に取り付いて見ると直ぐに車道に出てしまった。






コウヤボウキ


ミゾソバ




南へ続くチェーンの張られた林道を横断して、向かい側の斜面を登ってみる。ただこの

斜面、落石防止のネットで覆われていて地面に靴が食い込まず、そのネットが合成繊維

なのでツルツルと滑り、目の前にあっちゃんが滑ってズリ落ちてきた。











何とかその斜面を登りきり、平石山への尾根へと歩いて行くと南側に伐採地が広がって

いた。目の前に四国中央東幹線の大きな鉄塔。その奥には大森山からカガマシ山へと続

く、比較的高度差のない稜線が見える。













南東の遠くに笹原のように見えるのは塩塚高原だろうか?南西に目を移すと、玉取山

奥には大座礼山東光森山そして右端には平家平まで見える。それにしても今目の前に

広がる峰々を繋いで良く歩いたものだと我ながら関心をする。伐採地に沿って尾根を歩

いて行くとフェンスで囲まれたDOCOMOの電波塔があった。その電波塔様に舗装路

からは階段が造られていた。










フェンスの周りは木々が密集していて先には進めそうもないので、階段を少し下って、

歩けそうな場所から手摺を跨いで次のピークへと歩いて行くと、平石山に着いた。

二等三角点 西平石 825.56m 翠派峰から東でこの山頂が最高地点になる。

ルリちゃんの車の中に帽子を忘れたあっちゃんが今日はタオルをほっかむりして歩いて

いる。『ここは山の中だからいいものの、橋の袂にでもその格好でいたらまるで〇鷹で

すね』と言うと、『そんな事はない、リンゴ娘と言って!』と訳の分からない事を仰る。







平石山からは東にそのまま下って行く。少し荒れてはいたが立ち止まる事無く右に左に

と枝葉を避けながら歩いて行く。






ゲンノショウコ



そして一旦ヒノキの植林地になる。植林地になると先ほどの自然林の中よりも随分と歩

きやすくなるが、そのあとすぐにまた舗装路に出た。







そこからは749mの標高点に向かってまた舗装路を歩いて行く。途中右手の斜面から

覆いかぶさるようにして生えた葉の先に、可愛らしくウェーブした花が一面に咲いてい

た。タカネハンショウズルの小さな花だった。
















右手にタカネハンショウズルの花を見ながら歩いて行くと、左手に一ヵ所眺望が広がっ

た場所があった。四国中央市の市街地の奥に観音寺市や仁尾町、そして荘内半島までも

見渡せた。






ミズヒキ






標高点を過ぎカーブを曲がると右にチェーンの張られた進入路があった。そのチェーン

には『施設休止のため立入禁止』と書かれた張り紙がぶら下がっていた。車をデポした

堀切峠に『自然の森』と書かれた大きな施設内の案内看板があったが、恐らくその施設

への進入路だろう。施設案内図にはキャンプ場やトイレ、展望台の画が載っていたが、

ここもアヤメ池同様に敷地内はもう草木で埋もれてしまっているのかもしれない。

そこを過ぎるとへんろ道が舗装路を跨いで南北に続いていた。北側の山裾にある三角寺

から南の銅山川の畔にある仙龍寺までの道。仙龍寺は通称三角寺の奥の院と呼ばれ、古

くから多くのお遍路さんがこの道を通って参拝したそうだ。










舗装路からへんろ道に入りヒノキ林の中の道を登って行くと地蔵峠と書かれた道標があ

り、脇には四体の地蔵が並んでいた。右から2番目は地蔵道標、その左も仏海による地

蔵道標)で、1番左は26丁の地蔵丁石だという。ちなみに右端の地蔵には顔が無かった。










その地蔵の向かいには奥の院への石の案内道標が立っている。ここから最後堀切峠に向

かって尾根を辿って下って行く。ヒノキの中を踏み跡を探しながら下って行くと作業道

に出た。尾根に沿った作業道で快適に下れるはずだったが、途中からイバラが道を塞ぎ

始めた。











ここからは三者三様。ルリちゃんはイバラを避けて作業道から外れて進み、あっちゃん

はそのまま無理やり突入してきた。私も当然イバラを避けて歩いて行く。








ピンクのテープは基本登山者ではなく、国土調査や林業の人が付けるケースが多いの

だけれど、この辺りに付けられているピンクのテープは比較的尾根の上の目印になっ

ているようなので、『ピンクのテープを目印に!』と奥様たちに声を掛ける。











その内に境界杭も現れた。腰が引ける位の急坂を下りさらに進んで行くと今日四つめ

の三角点大岳に着いた。三等三角点 大岳 682.12m ただ名前の割にはピークでも

なく周りも木々に囲まれた変哲もない場所だった。







ここではキティーちゃんのプレート見当たらない。ここまでの三角点でプレートがあ

ったという事は、ここにも必ずあるはずと三角点の周りを探していると、一本の木の

根元に割れたプレートが落ちていた。先ほどと同じ要領で取りあえずの応急処置をす

る。しかしこのキティーちゃんのプレートは香川の里山でも『え!こんな場所まで』

と思うような山で見かけるが、見かける度にどうしてだろう何だか嬉しくなる。ただ

そんなキティーちゃんも朽ちてしまうとゴミになってしまう。勿体ないな~と思いな

がら、今度からセニョさんの様に、山によっては修理キットを用意しようかな。













<





大岳の三角点から堀切峠まではあと少し。時間は12時40分。途中で行動食を口に

したがもうお腹がペコペコ。GPSを見ながら峠へと下って行くが広がった尾根は、

方角が分かりづらい。それでも何となく峠に向かっているとまたヒノキの植林地の

作業道に出た。作業道は植林地の中を縦横無尽に続いているので、出来るだけ下へ

続く道を選んで歩いて行く。途中でカヤの道になったりしたが、それでも下へ前へ

と前進する頼もしい奥様たち。














九十九折れになった道を真っすぐショートカットしたいのだが、道の脇には枝や木

が積み上げられて取りつけない。仕方がないのでその九十九折れになった道を道な

りに歩いて行くと、車を停めた峠の少し上に飛び出した。











翠派高原からの今日の行程はほぼ舗装路歩きになると思っていたが、意外とその脇の樹

林帯やススキ原を歩く事ができて楽しめた。スタート地点に停めた車を取りに戻ると、

展望台では香川から来ているご夫婦が、先週と同じように大きなカメラとレンズを抱え

て、鷹の写真を撮っていた。山歩きもご夫婦で歩いているご夫婦を時々見かけるが、趣

味が同じなんて良いな~と、あっちゃんと二人で羨ましく思った。

帰り道四国中央市から眺めた稜線はどこも特徴がなく、どの辺りを歩いたかが分からな

かったが、唯一ドコモも電波塔が確認できた。『そうするとあの辺りが平石山か・・。』

そう思いながら川之江インターチェンジから高速道路に乗り入れた。











次回上手くいけば阿讃縦走路までが繋がる計画だ。







『線で繋ぐ西赤石山~阿讃縦走路』寒川山・翠波高原

2023年09月28日 | 四国の山


法皇山脈(ほうおうさんみゃく)は、石鎚山脈から笹ヶ峰の東部(ちち山別れ)で北東

部に出た支脈。海岸にほぼ並行して西赤石山、東赤石山、二ッ岳、ハネズル山、赤星山、

翠波峰などが連なっている。東に行くにつれて山の高さはおおむね低くなる。ハネズル

山から西は赤石山系とも呼ばれる。』


愛媛の山に出かける際にいつも通る高松自動車道。豊浜SAで奥様たちを乗せて西に向

かうと、県境のトンネルを抜け川之江JCTに差し掛かる辺りで、正面に翠波峰から続

く稜線が見える。以前にあっちゃんが『あの稜線に鉄塔がずっと続いて立っているとい

う事は稜線を歩けると言う事かしら?』と聞いてきたので、その時は『恐らく巡視路と

かもあるでしょうから歩けるでしょうね』と軽く答えていた。

引地山から剣山が繋がった後は花の山巡りをしていたのだけれど、その花の季節も終わ

りになると『西赤石山から東を繋げたいわね』と奥様たちが言い始めた。ただ西赤石山

から東に線を繋いで行っても翠波峰で終わったら何だか尻切れトンボのような感じがし

て気乗りがしなかったのだが、ふとあっちゃんの言葉を思い出し地形図を眺め、YAM

APを調べて見ると、翠波峰から平石山堀切峠から境目峠を通って五郎山まで歩いて

いる人がいた。この通りに歩くと赤石山系から法皇山脈、そして阿讃縦走路が繋がる事

になる。その話しをするとやはり奥様たちも乗ってきた。

但しここのところずっと腰の調子が悪いへっぽこリーダーにとって、赤石山系の周回コ

ースはいずれも距離といい累積標高といい結構厳しいので、まずはリハビリを兼ねて、

鋸山の東の寒川山から翠波峰間を繋げることにした。とは言えその区間は翠波峰から続

く舗装路。舗装路歩きだけに終わってしまったのでつまらないので、四国中央市側から

翠波峰に向かって何本かの破線が地形図に載っていたので、その登山道を利用して、翠

波峰へと登ってみることにした。




スタート地点は具定展望台の駐車場。地形図ではここから翠波峰の稜線に向かって、真

っすぐに破線が延びている。駐車場のトイレで用を済まして展望台の方を見て見ると、

何人かの人が大きなカメラを構えて立っていた。話を聞いてみると鷹の渡りの定点調査

をしていて、昨日は2000羽以上カウントされたそうだ。それにしても遠くを飛んで

いる鷹の一羽一羽の種類まで区別できるなんて感心する。




駐車場の反対側にあるコンクリートの階段が今日の登山口になる。スタート直後の急な

石段に直ぐに息があがる。最初の階段を登り終えると直ぐにもう一つ石段が現れる。










階段を登り終えると西側の寒川町辺りの眺望が広がっていた。今日はここ最近にない気

持ちのいい青空だ。





展望台にいた野鳥の会の人がこの破線の道は元々この道を通って翠波峰を越えて金砂湖

へと続く峠道だと教えてくれた。足元は石が転がり少し荒れてはいたが、その話しの通

り道ははっきりとしていて、以前から人の往来があったような雰囲気がした。














道には中庄公益会の境界と書かれた樹脂製の細長いポールが続いて行く。支尾根の東側

に道は続き、その支尾根を境に東側は植林地になっていた。自然林と人工林の境になる

急登をやり過ごすと作業道が現れた。










作業道が現れると今まで歩いてきた道が所々で分断され、歩かれなくなった道は荒れ始

める。境界ポールを目印に登ってはいくが掘割状になった道は倒木によって塞がれ歩き

づらくなり、その道を外れて歩きやすい所を探しながら右往左往する。











稜線の北側を縦横無尽に走る作業道を所々横断しながらとにかく稜線目指して登って行

く。陽の当たらない杉林の先が急に明るく日差しが届くと作業道になる。










作業道を横断しては杉林の中へ入るのを何回か繰り返して行くと、目の前に鉄塔が現れた。

四国中央東幹線伊方発電所から川内変電所を経て、東予変電所と讃岐変電所を結ぶ50

万ボルトの基幹送電線。阿讃縦走路でも見かけた送電線の鉄塔だ。そしてこれがあっちゃ

んが高松自動車道から見た稜線を東へと続いている送電線と鉄塔だった。













この鉄塔まで来ると稜線の林道はすぐ上にある。鉄塔から一旦巡視路を南に歩き、東西

に続く巡視路を跨いで林道に向かって直登する。少し藪いた茅とイバラを掻き分けると

林道へと飛び出した。スタート地点からここまで奥様たちに『今日は花をまったく見か

けませんね』と話をしていたのだが、林道に飛び出した途端に道の脇に小さな草花がた

くさん咲いていた。













ここからは予定通り寒川山に向かって舗装路を歩いて行く。今まで珍しく黙々と登って

いた奥様が一気におしゃべりタイムが始まった。その後ろを道の右左を覗きながら寡黙

に歩いて行くへっぽこリーダー。












舗装路の林道歩きに飽きたのかルリちゃんが、YAMAPを見ながら寒川山への尾根を

目指して道の脇の樹林帯へと入って行く。途中で尾根は豊郷ダム用の電波塔のフェンス

で囲まれていて、そのフェンスの周りを避けながら進んで行く。










最後に急登を登りきると、見覚えのある木々に囲まれた寒川山に着いた。四等三角点・

寒川山・816.97m










この寒川山が今日の折り返し地点。電波塔まで尾根道を戻りそこから舗装路を歩いて行

く。往路と同じように奥様たちはお話に夢中。私は兎に角花を見つけては写真を撮る。



ダイコンソウ


ツユクサ


チヂミガサ



道の南側の少し開けた場所からは猿田峠大森山が見える。そう言えば以前歩いた時、

大森山から佐々連尾山の稜線からこの翠波高原の建物が見えた。相変わらず道の脇に

は小さな草花があちらこちらに咲いている。ここ最近花を目当てに歩いて来て、写真

を撮った花の名前はYAMAPで同じルート歩いた人の活動日記に載っている花の名

前の写真を参考にしてきたが、さすがにこの道を歩いている人はほとんどいなくて、

なかなか花の名前を調べても分からない。



















寒川山から2kmほど歩いて翠波高原の北峰展望台に着いた。ここからは土居町辺りの

平野部が眺められる。それにしてもこの法皇山系の山裾から海までの距離があまりない

のがここから見るとよく分る。展望台の大きな傘の下で腰を降ろしてひとまず行動食を

口に入れる。











ここから少し東にある地形図に載っている破線を下って行く計画だったが、その道を降

りると下りきった場所からスタート地点の具定展望台まで国道の、しかも登りを2km

以上歩くことになる。また登って来た道を降りるか計画通りの道を下るかでしばらく話

をして、やはり違う道を下って行くことにする。

すると稜線からの下りの取付きとなる場所には、大きなトラックが停まって、伐採した

木材の積み込みをしていた。

トラックの最後尾の運転席に座った若者が、その先のアームを器用に操作して次々と丸

太を荷台に積み込んでいた。これがUFOキャッチャーなら、景品が撮り放題だな何て

思って歩きながら見ていると、あっちゃんは立ち止まってずっと見入っていた。

登山道の入り口は作業車で塞がれていたので、その先の斜面を下って登山道へと取り付く。

重機が通った跡はキャタピラで道が掘られてぬかるんでいた。電力の保線路の目印杭の

奥から下って行くと作業道になる。この道を歩いているYAMAPの活動日記のURLを

奥様たちに事前に予習するようにと送っていたが、その活動日記に書いていた通り、途中

で二股になった場所からは左の細い道に入る。











雨の流れで地表が洗われ、石が露出ていて歩きづらそうにしてルリちゃんが下っている。

すると次にまた重機が通った後の作業道に出た。ぬかるんだ道は少し粘土質なのか、登

山靴の裏に冬山のアイゼンの雪ダンゴのように土がどんどんついてくる。







すると前方で重機が動く音が聞こえてきた。ぬかるんだ道を滑らないようにその音のす

る方向に下って行くと、先ほどの重機とまた違った重機が作業をしていた。伐倒された

木を掴んでそのまま枝払いをして丸太にしていた。しばらくその作業を見ていると運転

席の人がどうやらこちらに気づいてくれた。運転席から降りて来たのはまた若者だった。

『ここ通ってもいいですか?』と聞くと、重機の左手を指さし、『この横が登山道です

よ、途中に伐採した木が倒れていると思うので気を付けてください!』と教えてくれた。

教えてもらった通り重機の左横を通らせてもらうと、左に下って行く道があった。

(この道もYAMAPに載っていた)







作業道からは一旦離れて下って行くと、作業していた若者が言っていた通り伐採した木

が道を塞いで積み上げられていた。そこからまた作業道に出て下って行くと木々の間か

ら市街地が見え始めた、














さらに下って行くと右手の視界が一気に広がり、広大な伐採地の上部に飛び出た。正面

には四国中央市の製紙工場の大きなエントツが見える。すると一人の男性の姿が。最初

は林業の人が休憩しているのかと思ったが、近づいて見ると椅子に腰かけた膝の上に大

きなカメラが見えた。話を聞いてみるとこの下に見える正法寺山城跡のこんもりとした

ピークの沿って気流が登っていて、その気流に乗って舞い上がる鷹の写真を撮ろうと、

ここまで登って来たそうだ。それにしても一人でこんな山中まで歩いて来て、一日中座

ってシャッターチャンスを狙っているなんて・・・・。

それでもやはり退屈していたのかこちらから質問するネタが切れても、次から次と話を

始めてなかなか離してくれなかった。(笑)














四国中央市の奥には観音寺市と七宝山善通寺五岳まで見える久しぶりの快晴。視界を

遮るもののない伐採地からの景色を眺めながら尾根に沿って下って行く。先ほど見えた

三角のピークの城跡の左側を巻くようにして歩いて行くと、傾いた正法寺山城跡の道標。










さらに下って行くと花崗岩の立派な石碑が建っていた。『保安林改良事業』と書かれた

記念碑の様だが、ほとんどここまで来る人もないこんな場所に・・・・?。

伐採地からは道も明瞭で、どんどんと下って行く。














伐採の作業を眺めたり、鳥好きのおじさんと話をしたりしながら比較的ゆっくりと下り

1時間30分ほどで国道に飛び出した。







ここからは国道の舗装の上を2kmほど駐車場まで歩いて行く。朝晩は涼しくなってき

たとはいえ、日中は30度を軽く超えている。その日差しを浴びたアスファルトからは

熱気が上がってくる。出来るだけ日陰を選んで歩いて行くがそれでもやはり暑い。国道

からは先ほど下ってきた支尾根が見えた。











30分ほど歩いてシャリバテ手前で何とか駐車場に辿り着いた。具定展望台で速攻でお

弁当のおにぎりを口に入れ何とか落ち着く。展望台には朝以上に調査の人たちが集まっ

ていた。














着替えも済ませお昼ご飯も食べ終えた後、次週の予定となる翠波高原北峰展望台から

平石山、そして堀切峠までの道を確認するために車で移動をする。翠波高原展望台か

らは金砂湖を見下ろしその周りの峰々が眺められた。観光名所となっている高原のコ

スモス畑は、今年は台風の影響で散ってしまったそうで、きれいに刈り取られていた。














次回歩く予定の堀切峠までは舗装路が続いている。その車道以外を歩けないかと道の両

側を三人で確認しながら車を走らせるが、木々の茂り具合や尾根の地形を見る限りなか

なか厳しそうだ。堀切峠までは車道の距離が片道10km。舗装路を避けて藪の中を歩く

となったらどれくらい時間がかかるだろうか?

いずれにせよ石鎚山系から赤石山系、そして阿讃縦走路を繋ぐ新たな目標に向かって!