KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

台風10号が来る前にウオーキングで満濃池へ

2024年08月29日 | 香川の里山

先週も早い段階で天気予報の雨予想でお山はお休みにした。今週も台風10号

が上陸するかもという予想で、奥様たちにはお休みの連絡をした。

ところがその10号の歩みが遅くて、今日一日はどうやら曇りの予報に変わっ

た。それなら少しは歩いておこうと考えて出来るだけ平坦な道でウォーキング

しようと思い、満濃池の周遊道を選んだ。

できたらウォーキングが終わったら少し足を延ばして宝山湖の青い睡蓮も見て

みたい。そう考えて曇り空の下車を走らせ出かけてきた。

満濃池森林公園の駐車場に車を停めてスタート。駐車場の横のトイレは建て替

え中で使用不可。その奥の大屋根のテーブルとベンチでは、数人のおばさんた

ちが賑やかに雑談中だった。

駐車場から車道に出て南にしばらく歩いて行く。少し下って途中に左手に入る

小道があったので適当に入って行くと周遊道にでた。

周遊道は要所要所で現在地に番号が振られたMAPが立てられていて、その

MAPには2~6kmほどの5つのコースが書かれていた。




2022年に完成した周遊道だが、この時期さすがに雑草が伸び放題の場所

もあり、一般の人が歩くには・・・・?かな。


樹木に囲まれた周遊道は日陰の道が続いているが、それでも蒸し暑さのせいで

額からはぬぐってもぬぐっても汗が流れ落ちてくる。熱中症にならないように

コマめに水分を補給しながら歩いて行くが、頭の上のミンミンゼミの大合唱が

なお一層暑さを助長してくる。

この周遊道はこれで3回目で、前回までは歩いた野鳥の森には寄らずにそのま

ま歩いて行く。







この周遊道は途中から今は閉鎖された『こんぴらレイクサイドゴルフ場』の

中を通っている。ゴルフ場はフェンスで囲まれて太陽光発電所に変わっている

が、歩行路やカート道に敷いてあった養生マットがその面影を残している。









そのフェンスに沿って歩いて行くと注意喚起の看板。たしかに急な坂なので

カートが下りでスピードを出し過ぎると危ないと感じたが、いったいどんな

事故が起こったのか興味が湧いてくる。





少しアップダウンをしながらゴルフ場の中を進んで行くと目の前には立ち入り

禁止のフェンスが現れた。本来なら先ほど左手に見えた道へ曲がらなければな

らなかったのに、うっかり進んでしまったようで直ぐに引き返す。







突き当りから引き返して通り過ぎた場所から脇道へ入って行くと杉林の中の

道になる。コンクリートの道を登って一旦下ると、満濃池の最南端部になる。

ここから満濃池に流れ込む小さな小川に沿って歩いて行く。

その流れが満濃池に流れ込む辺りには水かさが増した時には池の水の中に浸か

ってしまいそうな水中木が何本か立っていた。







その最深部から北に向かって歩いて行くと道の脇にベンチがあった。ここで

ひと先ず休憩。持ってきた水筒に入れたアイスコーヒーとシュークリームで

行動食代わり。ため池の湖面を撫でて吹く風が涼しくて心地よい。







ウエストポーチに水筒と一緒に入れたシュークリームは、潰れてしまって中の

クリームが全部飛び出していたが、お腹に入れれば何でも一緒。それまでお腹

が空いてあまりパッとしなかった身体が生き返った。

一息入れて『さぁ歩くぞ!』と腰を上げて歩き始めると直ぐに雨音がし始め

た。次第に雨脚が強くなり始め、仰ぎ見る空もどんどん黒くなってきた。

仕方がないので途中で周遊は諦め引き返すことに。

幸い木々の下の周遊道ではずぶ濡れになることもなく、何とか駐車場まで戻っ

てくることができた。




登山のよくあるあるで『山を下りたら晴れた』で、今日も車に乗り込むと雨

もやんで少し青空も覗き始めた。

次は満濃池から移動して宝山湖へ。

宝山湖の駐車場では五・六人の人たちが草刈り中だった。その横を通って

里山ビオトーブへと歩いて行く。






ビオトーブの青い睡蓮は、近くの農家さんが高知のモネの庭で購入して、自宅

で育てたものを移植したらしい。その後は三豊人材シルバーセンターのメンバ

ーでお世話をしているそうだ。開花の時期はまだこれからの様で、咲いている

花は疎らだったが、先週黒沢湿原でみた睡蓮とは違った爽やかな印象を与えて

くれた。









花・花・花と雲海の白山遠征(後編)

2024年08月19日 | 四国外の山
黒ボコ岩ではしゃいだ後、いよいよ弥陀ケ原へ。スタート時点で奥様たちには『膝の状

態で途中棄権するかもしれませんが、出来たら弥陀ケ原からの御前峰は見てみたい』と

言っていたので、取りあえず第一段階クリア。














植生保護のために造られた木道が緩やかな台地の中に続いている。前回来た時も山頂から

の景色よりも、この木道の景色が記憶に残っていた。

この弥陀ケ原や御前峰周辺の地形が緩やかな部分では真夏でも雪渓残り、無雪期間が短

い為、ハイマツは育ちにくく草本植物などの雪田植物が育つそうだ。

弥陀ケ原の台地から室堂への最後の登りの五葉坂は、先ほどまでの歩きやすい木道と比

べると、岩がゴロゴロした歩きにくい登りだ。

この辺りは斜度もあるので雪が残らずハイマツ(五葉松)が育っているためその名が付

いたようだ。道の両脇にそのハイマツが迫り道幅がなく、離合するのに時間がかかる。














それでも20分ほどで五葉坂を登り切り、正面に見える室堂ビジターセンターに着いた。

時間は11時過ぎ、予想以上に時間がかかっている。計画では御前峰でお弁当を広げる予

定だったが、ビジターセンターの北側のベンチでお昼ご飯にする。











お昼ご飯の後、さっそく御前峰へとあっちゃんと私はザックを置いて登って行く。その

前に白山比咩神社の祈祷殿を参拝。参拝した後はその奥宮の横を通って御前峰へと向か

うと、ここからの道でもお花畑が広がっていた。













室堂の平坦地が終わると石畳の登坂が続いて行く。東の遠くに見える雲の上に頭を出し

た山はどこの山だろうか?

途中で3年生くらいの男の子と、保護者らしき男性たちとすれ違う。その男の子を見る

ともう半べそをかいている。見かねたあっちゃんが声をかけてなだめるが、笑い顔には

ならず『がんばって!』と声をかけて別れる。











途中で神々の生まれる場所・天津神の住まう場所の高天ケ原の道標が立つ場所に着いた。

見上げると御前峰が目の前に近づいている。振り返ってみると室堂の東の窪地にはまだ

雪が残っていた。










室堂から40分を過ぎてやっと白山奥宮の社殿が見え始め、ひと踏ん張りで大きな石垣

に囲まれた奥宮に着いた。










その奥宮と御前峰は目と鼻の先。山頂碑で写真を撮る。北側正面には大汝峰とその右手

には剣ケ峰が見える。前回はこの山頂から下ってお池巡りをした。火山湖の点在する火

口は、山頂までの風景とは一変して火山らしい、白っぽい火山灰や青灰色の巨石の中の

道が続いている。今日は時間的に余裕ないのでこのまま折り返して下山していく。

奥宮の社殿が雲に浮かんでいる。そして360度雲の海が広がっている。














時間は予定を1時間ほど過ぎていた。南を見るとどんどんガスが流れ登ってきている。

ここまでで景色を存分に楽しめたから、下りは別段ガスがかかっても返って涼しくてい

いかもしれない。














ビジターセンターまで降りて食堂で一休み。喉を潤し一息つくがまだこれから1000m

以上は下って行かなければならない。今のところまだ膝は大丈夫だったが、腰掛けて靴ひ

もを直そうと屈むと足が攣りそうになった。

歩きづらい五葉坂を下り弥陀ケ原へ差し掛かるまでの間、登りでも一緒になった若いカッ

プルと話をしながら歩いて行く。











途中でエコーラインから下って行くというカップルと分かれ弥陀ケ原へ。今日は行動時

間が長い分歩くペースが似通っている人達とは、途中で抜いたり抜かれたりして度々顔

を合わせるので、その都度挨拶をして話をする。

弥陀ケ原の端部になる黒ボコ岩に近づくにつれ、次第にガスが濃くなってきた。










黒ボコ岩から観光新道へと入ると最初は緩やかな稜線の下のトラバース道。その山肌に

はイブキトラノオがゆらゆらと風に揺れている。薄紫のタカネマツムシソウとハクサン

シャジンが目立ち始める。









タカネマツムシソウ


ハクサンシャジン




石鎚山系でも見ることのできるタカネマツムシソウだけれど、これだけ群生している山

は四国にはないと思う。










下って行くにつれてガスが益々濃くなっていく。前を歩く奥様たちの姿が直ぐに見えな

くなる。この辺りが『馬のたてがみ』と呼ばれる場所で東から南にかけて広がる雄大な

景色を見ながら歩けるはずだが、今日は残念ながらガスのお陰で何にも見えない。











黒ボコ岩から50分ほどで殿ケ池避難小屋が見えた。小屋の横のベンチで小休止。ガス

のお陰で気温はそれほど高くは感じなかったが、念のため経口補水のゼリーを口に入れる。



クガイソウ



殿ケ池避難小屋から道は少しづつ険しくなってくる。七つ坂辺りの尾根筋も乾いた土と

石が足を滑らせる。







正面のゴツゴツした岩が餓鬼ヶ咽(ガキガノド)。これも約10万年前の白山火山の噴出

物のようだ。奇妙な形はその噴火の際やその後の浸食によって造り出されたと云われて

いる。














そんな大岩の足元にはシラタマノキやハクサンシャジンの白花など、砂防新道とはまた

違った花が咲いている。晴れていればもっと遠くまで見えただろうが、ここまでも砂防

新道以上のお花畑が広がっていた。

ハクサンシャジンの白花


シラタマノキ






岩が重なりその下を通り抜け出来る仙人窟(センニンイワヤ)を通る。この仙人窟の南

側は、昭和9年7月の大雨で甚大な被害を及ぼした大規模な崩壊の『別当大崩れ』があ

った場所だ。400mmを超す豪雨と,それによって残雪から溶けだした水によって,推定

1億立米に達する崩壊土砂が流れ出し,土石流となって下流に押し寄せ、市ノ瀬地区では

12mもの河床に土砂が堆積したと云う。この土石流による被害は死者・行方不明者112名

、流出家屋172戸、流失などの家屋437戸,埋没耕地2113町歩など,石川県史上最大規模

の災害だったそうだが、ここもガスで周りがほとんど見えない。










仙人窟を過ぎると道はどんどん険しくなってくる。場所によっては濡れて一段一段の段

差があって、とにかく転倒しないように注意深く降りていく。ただその段差が膝に堪え

てじわじわと痛み始めた。







別当坂分岐からも荒れているうえに急坂は続き油断ができない。朝スタートしてからす

でに11時間を経過しようとしている。ここ最近としては最長時間となる。健康時でも

疲れが出ているのに、ましてや膝にはかなりの負担になっている。この後炎症を起こし

て水がたまらないか心配になってくる。

後ろからこのコースで初めて男性二人が追い越していく。『こんにちは!』の挨拶の後、

お互いに『キツイですね』と声をかける。








別当坂分岐から1時間以上歩いてやっと別当登山センターに降り立った。くたくたにな

りながら登山センターのベンチに腰掛けると、目の前に御前峰の下ですれ違った小学生

が座っていた。さっそくあっちゃんが『よくがんばったね!』と声をかけると、下山し

てほっとしているのか少し笑顔になった。











センターのトイレの中にある更衣室で窮屈な着圧タイツを脱いで、駐車場まで戻る。

スタート時点でほぼ満車状態だった駐車場も車は疎らで、この時間にまだ停まってい

る車の人は恐らく室堂で泊まりの人たちだろう。

ガスのせいもあって薄暗くなった駐車場で着替えを済ませて、今日の宿へと車を走ら

せる。

YAMAPとカシミールでは若干データーが違っていて、カシミールでは沿面距離が

15.4km。累積標高差が1,670mとなっていた。行動時間は12時間20分。欠けた半

月板を抱えて自分でもよく歩けたと。

ホテルに着き近くの居酒屋での乾杯の生ビールがこの夏一番美味しくいただけたのは

言うまでもない!



他に見かけた花たち
































花・花・花と雲海の白山遠征(前編)

2024年08月19日 | 四国外の山
5年前ネットで見た八方池から見る白馬三山の写真に目が釘付けになった。そこからず

っと一度は登ってみたいと思って夏が来るたびに遠征を計画をしていたが、直前にイン

フルエンザにかかったり、台風が接近したりと毎年計画倒れになっていた。

今年もお盆過ぎてうまくいけば八方池と唐松岳の日帰り登山をと考えたが、台風6号が

通り過ぎた後にすぐに台風7号が発生した。その日からは天気予報と睨めっこ。だが直

前まで降水確率は下がらず、仕方がないのでまだ少しは予報がマシな白山に予定を5日

前に変更した。

計画では15日の日が変わる前に家を出て朝に別当出合に着きそのまま登山開始して

御前峰に登頂後下山して、福井市内に移動して宿泊するというプラン。

18年前に山の会で出かけたときは日帰り登山ではなく室堂で1泊して、日の出を見て

御前峰とお鉢回りをして下山という余裕のある計画だった。

その時はバスでの移動だったがやはり車中ではほとんど眠れなかった。それでもその日

は室堂での宿泊だったので今回の計画よりは楽だった。今回はコースタイムでは8~9

時間となっているが、なんせ累積標高差が1500m以上になっているのが一番気にな

った。果たして今の膝の状態で往復できるだろうか?途中で傷み始めたらどうしょうか

と、色々考えたが、取り合えずは出かけてみることにして、奥様たちに計画を伝えた。

天気予報の降水確率は40%で普段でも出かけるかどうか判断に悩む予報だが、とにか

く白山は『日本百名山』で『花の山百名山』。曇り空でも花を楽しめたらいいかな?、

くらいの気持ちで奥様たちには『雨具の準備はしっかりと』とだけ伝えておいた。

11時に自宅をスタート、ナビの案内に従って高速道路を走る。名神高速道路までは夜

中でも意外と交通量が多く、スピードをだすトラックに神経を使い、米原JCTからの北

陸自動車道では逆に走っている車がほとんどなく、しかも運転するのは初めての道。外

灯もない暗い高速道路の運転はけっこう緊張した。




途中で少しフロントガラスを雨が濡らしたが、別当出合に着く頃に明らみかけた空は曇

り空になっていた。駐車場に着く手前では路肩に何台も車が停まっていて、『駐車場は満

車かな?』と焦ったが、駐車場の中まで入ると余裕で駐車することができた。

それでも着替えをしてスタートするころには次々と車がやってきた。







駐車場から登山の拠点となる別当出合登山センターまでは石段を登って行く。センター

ではまだ6時前だというのに結構な人で賑わっていた。トイレを済ませ装備を確認して

先ずは砂防新道へと向かう。











ここからは砂防新道と観光新道のコースに分かれるが、今日は登りは砂防新道、下りに観

光新道を下る予定だ。すぐに以前に登った時の記憶に残るつり橋を渡る。あっちゃんに『

酔わないようにね』と言うと『私車と違ってこういうのは平気なの』と言いながら、前を

歩くルリちゃんを怖がらそうと、わざと飛び跳ねて揺らしながら歩いて行く。













登り始めはエンジンがかかるまで体が重い、ましてや昨日の5時過ぎに起きてすでに2

4時間が経過して寝ていないので、なんだか頭がクラクラする。さらにはここのところ

スタートしてしばらくは膝が慣れるまで痛みを感じるので調子は良くなかった。







それでも奥様たちに遅れをとるまいと頑張って登って行く。樹林帯の中の石段や石畳の

道は雨が降った後なのか少し濡れていて、足を滑らせないように気を使いながら歩いて

行く。この間、環境省の道標が要所要所に立てられている。









イブキトラノオ




駐車場をスタートして約1時間、トイレのある中飯場に着いた。ここまでで室堂まで

の1/4、まだまだ先は長い。











中飯場で水分補給をした後、階段状になった大きな石を登って行く。この辺りから道の

脇に咲く花々が目に付くようになってくる。



ソバナ


キツリフネ




途中で右手に不動の滝が見えた。その滝の横にはまだ新しく砂防ダムを造っているの

か、工事用の大きな施設が見える。目線を南に移すと稜線の上は青空が広がってきて

いた。ただ稜線の奥に隠れて別山はまだ見えない。












キオン




中飯場から40分ほど登っただろうか。左手に眺望が広がり『別当覗』と書かれた案内板

が立っていた。目の前の稜線は観光新道の稜線の先の1666mの標高点から、天井壁に

向かって切れ落ちている稜線だろうか?そして眼下は別当谷になるが、木々が隠して覗く

ことはできない。次第に頭上も青空が広がり始めた。










別当覗辺りからは道の勾配も比較的緩やかになってくる。前を歩くショーツ姿の男性は

横浜から来て下のキャンプ場で前泊しての登山だそうだ。今朝着いてすぐに登って往復

する予定だと話をすると驚いていた。標高も随分上がってきたのだろう、視線を遮って

いた稜線の奥に別山が見え始めている。











樹林帯を抜けると周りの植生も変わってきた。そして周りの景色も高山の雰囲気がして

きた。雲の上を抜けた山頂は間違いなく青空だ!













スタート時点で奥様たちには『往復に時間がかかるので、花の前であまり長い時間立ち

止まらないように!』と話をしたが、とにかく次から次と色々な花が咲いているので、

その度写真を撮るので予想以上に時間がかかる。



ハクサンボウフウ


ハクサントリカブト



甚之助小屋には3時間近くかかって着いた。小屋の前のベンチでは大勢の人が休んでい

た。その中で目に付いたのがお母さんと男の子二人におじいちゃん。男の子の弟の方は

年長さんだという。里帰りをして山好きのおじいちゃんに連れられてきているそうだ。

この時点で標高は2000m弱。ここから上は四国の山にはない高さになる。『行ける所

まで行きます』と明るく話をする家族が微笑ましい。









フジアザミ






雲が流れて山頂が隠れそうな別山から視線を移すと雲海が広がっていた。






ヤマハハコ




暫くは石段が続いて行く。しかしよくこんな高い場所で石段を造ったなと思う。それは

登山の為なのかはたまた霊場参拝の為の石段なのか?

スタートから3時間30分で南竜山荘への分岐に着いた。すると年配の男女の3人組が

降りて来て、ザックを下ろして一息入れ始めた。入れ違うようにして登り始めようと歩

き始めると、その人たちが『ここからがキツイからね!』と教えてくれた。『がんばり

ます』と自身を励ますように声を出すと、『頑張ってね!』と応援してくれた。








分岐から少し登ると弥陀ケ原へと続く道が見える。






シモツケソウ




ここから弥陀ケ原直下の十二曲がりまではお花畑が続いて行く。先ほど休憩した甚之助

避難小屋の赤い屋根がはるか下に見える。






ハクサンフウロ





カライトソウ





道の両脇の斜面は赤・白・黄色の花・花・花で埋め尽くされている。











周りの景色は申し分なく、奥様たちからも『ほんと来て良かった』と喜びの声。『ハイ、

私のお陰です』と鼻を膨らませて自慢げな私。






シナノオトギリ









ここから十二曲がりに差し掛かる。黒ボコ岩までの最後の登り。南竜山荘の分岐で『こ

こからがキツイわよ』と教えてくれたが、これだけのお花畑の中の道。その厳しさは全

く感じることなく楽しく歩いて行ける。




















一口飲むと3年長生きするという『延命水』。冷たい水に手をかざし少しだけ口に含む。













前を歩く奥様たちの頭上に黒ボコ岩が見えた。振り返ると十二曲がりの九十九折れの下に

雲海が広がっている。まさに雲上のお花畑に続く道!














弥陀ケ原の先端部にある黒ボコ岩は、火砕流によって山頂から運ばれてきた火山弾。まわ

りにも同じくらいの大きさの岩がゴロゴロしている。これだけの大きさの岩塊が飛んで落

ちてくるなんて、火山の噴火の凄まじさを物語っている。そのボコ岩に登ってはしゃいで

いる奥様たち。










それでも物足りなかったのか、さらにはその横の岩塊の上でポーズをとるあっちゃん。









🔳🔳🔳 後編に続く 🔳🔳🔳

まさかの中三日でまた岳人の森へ!

2024年08月08日 | 四国の山

先週土曜日に独りで剣山のキレンゲショウマと岳人の森のレンゲショウマを堪能したら、

奥様たちから『私たちも見たかった』と。『では、今週はどうしますか?』と尋ねたら、

『レンゲショウマは是非見てみたいけれど、キレンゲショウマも捨てがたい』と迷って

いる様子だった。ただ先週と同じように剣山から岳人の森への移動は、距離にして50

km、そしてほとんどがクネクネ道になるので、車酔いするあっちゃんは二つを見るのは

諦めて岳人の森でレンゲショウマを見ることになった。『それなら近場の雲早山でも登り

ますか?』と相成った。


この山域に出かけるときの定番になっている山川町の『美郷物産館』の駐車場に集合し、

そこから一台でまずは土須峠へと車を走らせる。前回岳人の森のヒメシャガを見に行っ

た時は、山川町から神山町に入る手前の倉羅峠で既にあっちゃんは酔死していたので、

今日は車の窓を全開にして、出来るだけカーブではスピードを落として運転していたが、

それでも後ろの座席は静まり返っていた。

先週は剣山の登山道の真ん中で見たが、今日は国道の真ん中で立ち止まっていたバンビ

ちゃん。しばらくして逃げていく後ろ姿。




雲早トンネルを抜けて左折して剣山スーパー林道に入る。昨年独りで来た時はまだ林道

の途中が崩落していて通行止めになっていた。その時あったゲートは取り払われ、今日

は登山口まで車で行けるようになっていたが、路面の状態が分からないので曲がって直

ぐの路肩が広くなった場所に車を停める。その路肩の端には見覚えのある電力の保線路

の番号杭があった。

十年近く前にシャクナゲ尾根への下り口から、さらに西に下って鉄塔に沿って周回して

最後に沢から登ってきた場所だった。その時のことを奥様たちに話をすると、二人の目

が輝いた。『今日もそのコースを歩いてみましょう!』と。







駐車した場所からスーパー林道を登山口まで歩いて行く。平日にもかかわらず何台もの

バイクとすれ違う。さすが国内でも人気の林道だ。








土砂捨て場で広場になった場所からはいつもなら高城山が見えるのだが、今日は雲がか

かって目印のレーダー雨量測候所も見えない。

林道の崩落個所はきれいに復旧されていた。崩落個所までは復旧工事で工事車両が通って

いた事もあって路面の状態は良かったが、そこから先は角ばった石がゴロゴロし始めてい

た。やはりトンネル近くで車を停めて正解だった。













道が那賀町から神山町に入ると山側に見覚えのある車のホイールキャップが置いてあった。

この場所がシャクナゲ尾根への取り付きになる。ここから少し進むと雲早山の登山口。







鳥居を潜って少しだけ急登を登ると、あとは沢沿いの道になる。眩しく光る木々の緑の

中を、流れる沢の水が涼しげな風を運んでくる。この真夏の酷暑の下界では考えられな

い快適さだ。

















作業小屋跡まで来るとその沢からも離れていく。以前は広場になっていた場所も今はほと

んどその面影がないが、カツラの大木だけは今も健在だ。

ここからは方角を変えて東に谷筋を登って行く。周りにはまだつぼみにもなっていないシ

コクブシがそこらじゅうで葉を広げていた。













谷筋についた道は正面に明るく見える稜線の手前で、また南東に振って続いて行く。九十

九折れの道をやり過ごすと道の脇が苔岩の斜面になる。














苔庭からはすぐにパラボラの道標のある高丸山との分岐に出た。『ここから熟達者は高丸

山を往復するんですよ』『また途中から北に行くと菖蒲権現から大川原高原への稜線にな

ります』と説明すると、『そしたら線を繋げていけるのね』とあっちゃん。『あんた繋げ

ることしか頭にないのね』とルリちゃん。










木々がまばらで晴れていたら日差しが照り付ける山頂までの稜線も、今日は時々ガスが

流れて予想以上に暑くはない。








山頂からは相変わらず高城山の測候所は見えなかったか、南東の高丸山までの稜線は雲

に隠されることなく見ることができた。時間は11時だったが、誰かがうるさくなる前

にお昼ご飯にすることにした。

腰掛け各々お弁当を広げると、まるで避暑地にでもいるように、心地よい涼しい風が吹

いてきた。家にいるときとは雲泥の差だ。
















お昼を食べた後はまずはシャクナゲ尾根への道を下って行く。尾根から以前はなかった

小さな道標から下って行くと、しばらくは踏み跡も分かりづらい広々とした斜面だった

が、次第に踏み跡の残る尾根へと変わって行く。











途中からは今まで見えなかった高城山の測候所や北には岳人の森が見えた。
















自然林の雰囲気のいい支尾根の道。地形図では町境の線が北に折れている場所からがシ

ャクナゲ尾根になる。
















今日はここからさらに西へと下って行く。地形図で支尾根が分かれた場所では、傾いた境

界石杭から右手に進んで行く。













するとすぐにシャクナゲの群生が現れた。シャクナゲ尾根と比べるとその規模は小さい

が、開花の時期は見ごたえのありそうな尾根だ。











シャクナゲ尾根を過ぎても色々と変わり種のある尾根だった。暑苦しくまとわりつくヒメ

シャラの木や、本宮山のクジラ岩を小さくしたようなミニクジラ岩。そして何やら怪しげ

なほっかむりをした奥様と、枚挙にいとまがなく楽しめる。











調子よく世間話をしながら下って行く奥様たち。その姿を見て一抹の不安がよぎる。さ

っそくYAMAPのルート図を見てみると、案の定北に折れる場所を通り過ぎていた。

あわてて奥様たちを呼び止めて引き返す。ルート図に乗っている分岐の場所まで戻ると、

ちゃんと赤テープが何本も巻かれていた。











ここからは急坂が続いて行く。シャクナゲ尾根も急坂だった、それでもシャクナゲの根

や木があってゆっくりと下って行くことができたが、このルートは木から木へと掴まり

ながら飛び移り、何とかスピードを落として降りていく。ただその度に踏ん張るので膝

の痛みが酷くなる。











奥様たちはリズムよくスピードに乗って降りていくのでどんどん離されていく。自然林

から杉林になっても相変わらず急な坂は続いて行く。するとルリちゃんから『鉄塔よ!』

と声があがった。











広場の鉄塔は陰平線38番鉄塔だった。ここから釜ケ谷川を越えて車を停めたスーパー

林道の上を電線は続いていた。以前に歩いた時は尾根から36番鉄塔に出たとブログに

書いてあったので、前回は今下ってきたルートとはまた別のルートを下ったようだった。

鉄塔の横でルリちゃんが『林道に停めた車が見えるわよ』と言っているが、立ち止まる

とジンジンと膝の痛みが酷くなる。とにかく下りの坂を早く終わらせたいので先に釜ケ

谷川へと続く保線路を下って行く。







杉林の中の九十九折れ道を下って行くと見覚えのある鉄橋が釜ケ谷川に架かっていた。








ただ記憶は曖昧なもので、一カ所だけだと思っていた橋は合計3カ所あった。帰ってそ

の時のブログを読み返してみると、ちゃんと3カ所渡ったと書いていた。










三つ目の古い橋を渡ると車を停めた場所までの最後の急登になる。距離は短いがその斜

度はかなりのもので、前を行く奥様たちが頭の上を歩いているように見える。

時間にしたら僅かだったが、大汗を掻きながら何とか登りきると愛車の真後ろに出た。




















この後汗を掻いた服を奥様たちも着替えるというので、私は車を停めた一つ先の場所ま

で移動して、『あっちで着替えるので、着替えが終わったら声をかけてくださいね』と

言って、次のカーブの路肩が広くなった場所で着替えをする。

上着を脱いでショーツを脱ぎ、着圧タイツを膝まで降ろして座り込もうとした瞬間に、

前方のカーブを車が曲がってきた。着圧タイツの下は下着は履いていなくてフ〇チン

状態。着圧タイツで身動きが取れずに、上半身と膝まで丸裸の状態で慌てて股間を手

で隠したが、時すでに遅し車は目の前を走り去って行った。

車の運転手の身になったら、山の中の道の脇で裸のおっさんがいたら、さぞかし驚いた

ことだろう。かと言う私もこれほど恥ずかしいことは今までなかった。

『着替え終わりました!』と声がしたので、車まで戻ってその話をすると二人は笑い転げ

ていた。



岳人の森までの車中もその話で盛り上がり、『ひょっと観月茶屋にさっきの車の人がい

たらどうしよう?』と話をすると、また一段と笑い声が車内に響いた。

観月茶屋は営業時間が終わっていたので、開いた窓から『すみません!』と声をかける。

出てきた充さんに、『入場したいので!』と言って入場料を払う。

先週の土曜日と同じように上のキャンプ場まで車で行って、同じように順路通りに歩い

て行く。以下は岳人の森の花たち

ヤマシャクヤクの実


ヒオウギ


ウバユリ


キレンゲショウマ


キツネノカミソリ



ここからがお目当てのレンゲショウマ!







ゆら~りゆらゆら











周りの花に見える白と薄紫のグラデーションはガク








ニッコウキスゲ




ひととき『森の妖精』を眺めた後、岳人の森をあとにする。沢沿いの水の流れと尾根で

はガスが流れて終始涼しかった雲早山。そんな避暑をあとにいっぺんに暑さのなかの現

実に戻され家路につく。








初めて見るレンゲショウマ。とその前に・・・。

2024年08月04日 | 四国の山
ここ最近YAMAPの活動日記で目に付いたレンゲショウマ。初めて見る『森の妖精』

と呼ばれる姿は、今にも折れそうな細い茎の先に、割と肉厚な白に薄紫のガクが透明感

があって、可愛らしすぎて一目ぼれしてしまった。

活動日記では少し前から見頃と書かれていたので、そろそろもう終わりかなと思って出

かけてきた。ただどうせならこの時期に訪問する剣山のキレンゲショウマも見てみたい

と思い、剣山から岳人の森への計画をたてた。


剣山の見ノ越から岳人の森までは約50km。移動時間にして1時間以上はかかるので

少し早めに家を出た。7時30前には見ノ越に着いたが、さすがこの時期のしかも土曜

日の剣山。観光バスが停まり、第一駐車場の日陰になる1階はすでに満車の状態だった。

身支度を済ませて劔神社への石段へと向かう途中で、お腹がグルグルなった。何か変な

ものを食べたわけでもないのに、昨日の夜中に二度ほどトイレに立った。その続きだろ

うか、建て替えできれいになったトイレを初めて利用した。


劔神社の石段には例大祭で飾られていた提灯は下ろされ、いつも見る石段になっていた。

まずは神社にお参りして登山口から取り付いて行く。







拝殿の前の花手水鉢のアジサイもこのところ続く暑さのせいか少し枯れ始めていた。た

だし暑さといっても下界と比べると快適そのもの気温だ。







普段は9時から運行しているリフトも、今月は8時から営業を開始していて、登山道の

トンネルを通る頃には、ザックを膝の上に載せて腰掛けている人たちが登って行ってい

た。後ろから来た細身の男性はあっという間に私を抜き去り、すぐに見えなくなってし

まった。










月曜の会食に始まって、火曜からの3日間の出張でほぼ呑みの夜だった今週。そのせい

か身体が重い。いつもなら焦ることもないこのコースだけれど、今日は下山後に移動し

なければならない。気がせくわけではないが歩くペースが気になる。











いつもの定点観測の場所からはガスが流れて雲海荘を隠してしまっていた。西島駅まで

来ると次々とリフトから降りてくる人の姿があった。剣山山頂と同じように、正面に見

える三嶺にも雲がかかっていた。













その右手に見える塔ノ丸の緩やかな南斜面には、雲の影が映し出されてまるでホルスタ

インの背中の模様のように見えた。丸笹山山頂近くの笹原は陽が当たって輝いている。







リフトの降り口の横を通り、まずは刀掛けの松へと登って行く。今までほとんど目に入

らなかった小さな花たちが足元に目立つようになってきた。













刀掛けの松のベンチでは親子連れが腰掛け休んでいた。その4人の前を通って行場へと足

を運ぶ。足元は登山道のよりさらに白い石灰岩が目立ち始める。







途中の鶴の舞の手前にはネットで囲んで保護したお花畑がある。














不動の岩屋の下を通り、鎖場を横目に見て進んで行くと、お目当てのキレンゲショウマ

が咲いていた。








すると下から登ってくる男女。どこかで・・・・と思ってみていたら、石鎚の山女?の

さおりんさんだった。今日は石鎚山荘のスタッフと一緒に来ているそうだ。『これから奥

槍戸へ行く予定です』というので、『私は山頂へ登ったあと岳人の森へレンゲショウマを

初めて見に行きます』と話をする。すると『リフトの下にも咲いていましたよ!』と。

絶滅危惧種と聞いていたのに、この剣山でも咲いているなんて・・・・。

さおりんには『また秋に石鎚山に行きますね』と言って別れた。













鎖場の下から両剣神社が見える辺りまで下って折り返す。キレンゲショウマの周りには

先週、皿ケ嶺で見たギンバイソウとツルギハナウドも咲いていた。











登山道の脇から不動の岩屋へと登って行くと、岩屋の奥からは冷気が漂ってきた。覗き

込むとはしごの下から勢いよく流れる水の音が聞こえてきた。














岩屋の横から山頂への道に取り付くと、ロープがかかり木の根が縦横無尽に走る階段状

の急坂になる。太い木の根のアーチを潜り登って行くと、岩屋の岸壁の上部に出る。そ

こからは笹の道。前回歩いた時よりも笹は刈りはらわれて歩きやすくなっていたが、道

の上に残された笹が、枯れて乾いて滑りやすくなっていた。
















笹の斜面も九十九折れの急登が続いて行く。それでも樹林帯の日陰のお陰で何とか少しづ

つでも登っていけた。そのうちに刀掛けの松からの道との合流点と雲海荘が見えた。あと

少しで山頂だ!








宝蔵石神社の前は大勢の人で賑わっていた。神社では輪くぐり神事が行われていたので、

鳥居の下の輪を潜ってお参りをする、『これで魔除と昇運はバッチリ!』と思っていたら、

お参りを終えた後に見た張り紙には『八の字を描きながら巡る』と書いてあった。

普段から取説をちゃんと読まずに後で後悔する性格がここでも・・・・。





平家の馬場の木道では、雲がかかって涼しい風が吹いていた。山頂から見る次郎笈への

稜線に雲の隙間から陽が当たり、周りの笹の若々しい緑を浮かびあがらせていた。

いつ見ても見飽きない素晴らしい眺望だ。
















山頂から西のテラスへ移動する。今日はキレンゲショウマとは別に、ぜひ見ておきたい

ものがあった。西のテラスの少し下にあるという鶴岩と亀岩だ。ソロモンの秘宝の伝説

と関わりの深い鶴岩と亀岩。以前から二つの岩の存在は知っていたけれどその場所がイ

マイチ分からなかったが、ネットで調べていく内にこの西のテラスの下の二つの岩がそ

うだろうということだった。

テラスに上がって直ぐに段差の少ない場所から北側の笹原に下りる。踏み跡を辿って行

くと以前は登山道だったのか、朽ちかけた小さな道標があった。その道標が示す方向と

は反対に踏み跡を降りていくと、目的の鶴岩と亀岩があった。果たしてこの二つの岩が

間違いなくそうなのかの真偽のほどは定かではないが、また色々と調べてみようと思う。

亀岩の上に登って下を見ると大剣神社の赤い屋根と御塔岩が見えた。

その高度感に股間がざわッとしたので、慌てずにゆっくりと振り返って戻って行く。













『かごめかごめ、かごの中の鳥は・・・・鶴と亀が滑った』の動揺を謡いながらテラス

に戻る。そしてテラスで腰掛けて軽く菓子パンと水筒に入れたカフェオレで食事をとる。











本来ならもっとゆっくりしたかったがこの後の予定があるので、テラスをあとにする。

時折ガスが流れて陽を隠したり青空を見せたりと変化のある空模様だ。







山頂から刀掛けの松への下りでは、まだまだ登ってくる大勢の人の姿があった。途中す

れ違った高校生の団体は背中に『松山中央高校』と書いていた。まだ今時登山部に入っ

て、これだけの人数の若者が山に登っている姿を嬉しく思った。





途中道の脇でネットで囲んだ場所にはたくさんの花が咲きお花畑になっていた。




















西島駅では今度は中学生らしい男女が登ってきた。やはり週末は、いつもの平日登山と

は違った若い人たちの姿を見ることができて楽しい。





西島駅から見ノ越に下り始めて直ぐにまたお腹の調子が悪くなってきた。そう言えばね

こバスさんがYAMAPの活動日記に『⚠️この先センシティブな内容が書かれています

ので心して読んでください』と断りを入れたうえでその様子を克明に描いていた。

その時は『よく分かるわ~』と思いながらも他人事、軽い気持ちで読んでいたが、まさ

か直ぐに自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。

寄せては返す波の様、大きく口では息をせずに、小さく小刻みに鼻呼吸しながら整えて

いくが、予告もなく大波が押し寄せてくる。西島駅まで戻ろうかと思ったが、あのきれ

いなトイレで小こそしたことはあるが、大は経験がない。あのトイレの扉は開けるのが

怖い。そう思いながら冷や汗を搔きながらも下って行く。できるだけ他ごとを考えなが

らと思うのだが、どうしてもねこバスさんの『センシティブな内容』という言葉が浮か

んでくる。しかもこのコースは最悪の事になっても脇が急斜面になっていて逃げ場がな

い。どうしようかと思っていると目の前の道の真ん中に鹿の姿が!

いつものことでじっとこちらを見ているが、けっこう人なれしているのか一向に逃げる

気配がない。カメラを取り出し何枚も撮るが、こちらが動いて初めて登山道の脇の斜面

を登って行った。それでも時々立ち止まってはこちらを見ている可愛い子だ。

このバンビのお陰で、ピークの波がしばらく引いていき、見ノ越のトイレに駆け込んだ。











トイレで至福の時間を無事終えて車に乗り込みトンネルを抜けてコリトリへと下って行

く。剣山にはもう何十回と来ているのにこの道を走るのは初めて。地図で見てもいった

い何十回曲がっているの?と思うくらいくねくねとした道だ。

それでもコリトリまで降りてくると道幅は広がり比較的真っすぐな走りやすい道になる。

途中で県道260号線との交差点で左に大きな木の鳥居が見えた。瀧宮神社の鳥居だっ

たが、その鳥居の脇に見覚えのある花が咲いているのが見えた。『あっタキユリだ!』

そう思って車を停めて近寄って見ると高知まで出かけて見に行っていたタキユリが咲

いていた。周りを見たがこの場所にこの何株かが咲いているだけだった。それでもこれ

だけ咲き誇っているのが見られてラッキーだ!

















川井峠を越えて神山町に入ると、岳人の森への193号線へ分岐の手前にある『ふなと

』に暖簾がかかっていた。剣山で食べたのは菓子パンだけだったので、さっそく店に入

る。メニューはかかっていたが店主のおばさんが『ラーメンでいいかね』というので、

『はいラーメンで!』と答える。出てきたラーメンは小腹が空いていたのであっとい

う間にたいらげた。











岳人の森の観月茶屋では充さんが忙しそうにかき氷を作っていた。店先でそれを運んで

いるお母さんに、入場したい旨を伝えて500円を払うと店の奥に座っていた山田さん

が立ち上がって地図をもってレンゲショウマの咲く場所を説明してくれた。今年の1月

に重機の事故で命に関わる危険なケガをしたそうだが、お店に出られるくらい回復した

ようだ。『順路通りに進んだらいい』と教えてもらった通りに歩いて行く。

最初に教えてもらった場所はネットで囲われたキツネノカミソリ咲く場所。

ヒメウギ


マルミノヤマゴボウ


オオキツネノカミソリ






その次に、前回はヒメシャガの咲いていた上部はパスして『ゆきしろの池』に行くと

その先でお目当てのレンゲショウマが目に飛び込んできた。すでに大きなカメラを抱

えた人が二組いた。写真で見た通りの蝋細工のような半透明の薄紫のガクと花は、期待

通りの可愛らしさだった。





























そして最後はこれも山田さんに教えてもらったニッコウキスゲ。大きな花びらを空に向

かって開いて、とても勢いを感じる花だった。














帰り道、山川町に入り何十年ぶりかで『ふいご温泉』に立ち寄って汗を流して帰る。

今日一日、思わぬ人に会い、思わぬ場所で鹿にも会い、そして思わぬ花にも出会って

最後は念願の花を見ることができた、とても充実した一日だった。

今回は奥様たちのリクエストで、花の山の皿ケ嶺へ!

2024年07月28日 | 四国の山


ネット上では夏の花の写真が目に付くようになってきた。昨年のこの時期は寒風山や大

のユートピア避難小屋へ花を目当てに出かけていた。そこで燕岳の遠征から帰ってき

た奥様たちに『どこのお花がいいですか?』とメッセージを送ったら、『皿ケ嶺に行きた

い』と予想外の返事が返ってきた。

そういえば昨年の9月に歩いた時に、ハガクレツリフネが咲き誇る斜面一面に、もう開花

を終えたギンバイソウの群生が目に付いた。その時に熱心に写真を撮っている女性にあっ

ちゃんが
話しかけると、『ギンバイソウ』だと教えてくれたそうだ。『可愛らしい白い花が

好きなんです』とも話してくれたらしい。その時のことを覚えていたあっちゃんからの

リクエストで『是非一見てみたい!』との事だった。


お昼過ぎからの天気の崩れが少し心配だったが、ゆっくり目に家を出て9時半前に上林

森林公園の駐車場に着いた。駐車場には4~5台の車がすでに停まっていた。トイレと

身支度を済ませてまずは風穴へと登って行く。




カラスウリ



前回は一面小さながハガクレツリフネが咲いていたが、気の早いのが所々で咲いている程

度でさっそく白い花が咲いているのが目に飛び込んできた。

多くの花が下を向いて咲いていたがたまに正面を向いている花を見ると、まさしく白い梅

の花の様で、名前の由来が納得できる可愛らしい花だった。

ハガクレツリフネ



ギンバイソウの群生







前回もそうだったが奥様たちが写真撮影に忙しくてなかなか登って来ない。

ダイコンソウ


キツリフネ


フシグロセンノウ



それにしてもこのギンバイソウ、雄しべの数がとにかく多い。ひとつの雌しべを囲むよ

うにして雄しべが群がっている。風穴のアオケシは二茎ほど花をつけていた。











風穴から上の道沿いもギンバイソウの群生が続いていた。







ウバユリ









十字峠への分岐辺りもまだまだ群生は続いていた。森の中では白い花にどうしても目が

いってしまいがちだが、他にもたくさんの花が咲いている。そんな中でも葉の下に隠れ

てちょこんと遠慮がちに顔をだしている、ハガクレツリフネがとても可愛らしく感じる。






オオバヨメナ


ハガクレツリフネ







標高が上がるにつれてギンバイソウの開花の状況が変わるのかなと思ったが、登山口近

くも尾根近くもさほど変わらず、蕾のままのもいれば花を開いているのもいた。











途中で一カ所大雨の影響で崩れた場所があったが歩くのには不都合なく通過できる程度

に復旧されていた。そしてその先の湿った岩肌には今年初のイワタバコが小さな花を咲

かせていた。岩肌を伝って落ちる水に濡れた葉が瑞々しい。














途中で4・5人のグループが何やら道の横の斜面で何かの花を探していた。その横を通っ

て挨拶をすると『早く行け!』と言わんばかりに訝しそうな目で見られた。どうやら珍し

い花を探していたようで、あまり他の人には見られたくない様子だった。たしか昨年竜神

平らで集まっていた常連さんのようだ。そのうちの一人の男性にはアケボノシュスランの

咲いている場所を案内してくれたのだが、今日はあっちゃんが『何が咲いているのですか

?』と尋ねても、答えてもくれなかったようだ。

それにしてもギンバイソウはほぼ尾根近くまでずっと咲いていた。










竜神平の手前で上林峠と竜神平への分岐となる。予定では上林峠の方へ少し歩いて、竜

神平を東から回り込むつもりだったのに、あっちゃんがいまは待てないように『お昼に

しましょうよ』と仰ったので、そのまま竜神平へと歩いて行く。

媛大小屋の前では女性が二人休んでいた。その奥のベンチに腰掛けお昼ご飯にする。

空は雲が太陽を隠してくれて竜神平の湿原を通り抜けてくる風が心地よかった。














そのうちに先ほどのグループがやってきて休憩もせずに湿原の中へ入って行った。私た

ちもお昼ご飯の後、踏み跡を通って湿原の中へ入って行くとベンチからも咲いているの

が目に付いたのギボウシと大きな花をつけたハンカイソウだった。



コバギボウシ





ハンカイソウ



そしてルリちゃんがあちらこちらで『ここにも咲いている!』と言って、次々と花を見

つけてくれる。

スマトラノオ





ミズチドリ





タチカモメズル


アキノタムラソウとトンボ






湿原の中をあまりうろつくと踏み荒らすことになるので、踏み跡のある所だけにして引

き返して、皿ケ嶺山頂へと歩いて行く。頭の上では天気予報通りゴロゴロといい始めて

少しパラパラとし始めていた。

足元にはミヤコザサ、周りは落葉樹林の緩斜面の道を歩いて行く。











ブナの葉の緑が、雲をすり抜けてくるやわらかい日差しに当たって生き生きしている。







皿ケ嶺山頂からは南に少し景色が広がっているが、怪しげな雲が流れてきているので、

写真を撮った後、早々に引き上げる。






オカトラノオ






帰りは十字峠の先から風穴へと下って行く。途中にある 二等三角点 行長 1270.5m

伐採地の奥の雲の狭間にかろうじて見える松山の市街地。そして南にほぼ平らに見える

稜線は天狗高原辺りだろうか?














十字峠は名前の通り竜神平・引地山・六部堂への十字路になっている。そのまま引地山

に向かって歩いて行く。1165mの標高点の先から風穴に向かって降りるのだが、こ

の辺りまでは竜神平から続く緩やかな道だが、ここから先は割と急な下り坂になる。











登山道の周りはガスがたちこみ始めた。そのおかげが標高わずか1200mでもほとん

ど暑さを感じない。奥様たちも調子よくトントンと下って行っている。








風穴には山頂から40分強で着いた。石積みの中からは目で見ても涼しげな冷気が立ち

上っている。脇のベンチでは二組の方がその冷気に当たって涼んでいた。








この時期1000mほどの山では暑さを覚悟して出かけてきたが、雲のお陰か太陽の日差

しを遮ってくれて、思っていたよりも楽に歩け、奥様たちお目当てのギンバイソウも、こ

れでもかというくらい見ることもできた皿ケ嶺。四季折々に彩を変え楽しませてくれ、松

山市内から近郊にあって毎日のように大勢の人が訪れる貴重な山だ。


剣山本宮山頂大祭で山頂は人・人・人の波

2024年07月18日 | 四国の山


今週は奥様たちは旅行会社の2泊3日のツアーで燕岳へ出かけて行った。『足の遅いへ

っぽこリーダーは、置いてきぼりにされたの?』とある人に揶揄されたが、ツアーバス

での長時間の移動は性に合わないし、この時期3日間休みを取りづらい。まぁ奥様たち

がお帰りになったら土産話でも聞くことにしよう。

と言うことで今週は独りでどこに出かけようかと考えていたら、WOC登山部のFBに

剣山本宮山頂大祭に行きましょう!』と案内が出ていたのを思い出した。そう言えば

剣山にはもう何十回も登っているけれど、この大祭を見た事が一度もない。剣山なら勝

手知ったる山なので独り歩きも心配ないし、当日は結構な人手になるだろうから不測の

事態が起こっても心配ない。心配なのは人出が多すぎて車を停める場所があるだろうか

だった。


見ノ越には8時に着いたが、すでに第一駐車場の方から停められずに引き返してくる車

が数台。それを見てすぐにハンドルを切って第二駐車場に向かうと、屋上は満車だった

のに、1階部分はまだほとんど車が停まっていなかった。すぐにWOC登山部のメンバ

ーに『今なら第二駐車場に停められますよ!』と電話したが、メンバーが30分以上遅

く来た時にはもうすでに遅しで、第二駐車場も満車になってたそうだ。

あまりにも空いていたので不安になって、後ろで身支度をしている女性に『すみません、

この駐車場は無料ですよね』と尋ねると『よく知らないけれどたぶん』と答えてくれた。

よく見ると女性の車は姫路ナンバーだった。


支度をして劔神社の石段を登って行くと脇にはカラフルな提灯が飾られてあって、祭り

の雰囲気を盛り上げていた。







神社の拝殿の横の神輿倉では、神主さんが何やら神輿の横で準備をしていたので『すみ

ません、写真を撮ってもいいですか?』と尋ねると『いいけど、顔は撮らないでね』と

言ったあと、『冗談、冗談』と仰った。







拝殿でお祈りをした後、御幣を潜って登山道を歩いて行く。登山道は昨日までの雨でまだ

足元が濡れている箇所がある。すぐに汗がでてくるがまだ気温が上がっていないせいか、

さほど暑さは感じない。











いつもなら登っていると下ってくる人と何人かはすれ違うのだが、さすがに今日は大祭、

山頂から降りてくる人の姿はなく、いつも以上に静かな道だ。しばらく歩くとリフトと

交差するトンネルが見えた。今日は8時から運転しているらしいが、登って行くリフト

はには大勢の人が乗っていた。







西島神社まで来ると神社の方から祝詞をあげる声が聞こえてきた。その神社の後ろの大

岩の横を通っていつもの定点観測、雲海荘を見上げる。







西島駅に着くと次々とリフトを降りてきた人たちで賑わっていた。三嶺に塔ノ丸、リフ

ト乗り場の横まで来ると丸笹山もきれいに見えた。










視線を下げると、さきほどの西島神社の大岩の上に人影が見える。涼しい風に乗ってそ

の大岩から笛の音色が聞こえてきた。











リフト乗り場の横では家族連れがどのコースを歩こうかと話し合っていた。その横を通

って刀掛けの松へと歩いて行く。刀掛けの松でも大勢の人たちが休憩していた。中には

大きなカメラを抱えた徳島新聞のクルー、そしてツアーの団体客がいた。その横の女性

のグループが『トンボに虫が止った』と騒いでいる。どれどれと見てみると確かにトン

ボに何かの虫が止っている。最近はやりの虫よけのオニヤンマのつもりだろうけど、ど

うも色が違う。『黄色が入っていないと・・・色が悪いね!』と言うと『そうなんですか

、安物はダメですね』と言いながらみんなでケラケラ笑っていた。




刀掛けの松からは行列ができていた。これじゃ~まるでどこかの山の様だと思いながら

登って行くと山頂ヒュッテの前に人垣が見えた。本宮宝蔵石神社の鳥居の前では登って

きた女性に『すみません、写真を撮ってもらえませんか』と声をかけられる。山頂なら

時々ある事だが、鳥居の下で頼まれるのは初めてだ。その下からは大きなお腹を抱えた

男性が何人か息切れしながら登ってきている。最近お腹の出っ張りが気になっている私

の3倍以上はありそうなお腹の大きさ。体重もみなさんそこそこありそうなので、そり

ゃしんどいだろうなと、自身の事は棚に置いているへっぽこリーダーだった。








宝蔵石神社の前は白装束の人たち、登山着の人そして普段着の人たちで賑わっていた。

ヒュッテの前に置かれていた神輿が、神事の為に移動していく。














すると宝蔵石神社の前は身動きが取れないほどの混雑となる。少しの隙間を狙ってヒュ

ッテの横の階段を上って東のテラスへと向かって行く。階段にも人・人・人。

東のテラスでもすでに位置取りをしている人たちがいた。と言うのも宝蔵石神社でご神

体を移した神輿が、このテラスへ向かって笹の斜面を登ってくるのだ。私は例大祭とい

うよりも、どちらかと言うとこの笹原を練り歩く『神輿渡御祭』が見たくて今日は来て

いたので、テラスの端で空いているスペースを陣取る。














宝蔵石神社での神事が始まってもまだ時間は1時間近くあった。ご神体を移した神輿が

戻ってきて、神輿に繋がれたロープを持って笹の斜面を登ってくる人の姿があっが、そ

れでもまだ時間は十分にある。すると後ろのテラスで何やら踊りが始まった。

そのうちに今度は阿波踊りを踊り始めた。笛に太鼓に三味線とどんどん賑やかになって

くる。それにつられてか、神事を見ようとやってくる人たちとも相まって、東のテラス

はますます人混みが増えてきた。
















最後は踊り手と一緒になって見物客も踊り始めて、『これは例大祭の行事なの?』と思う。

まあ徳島県だし、いいか!











総踊りが終わる頃に笹原の下から『六根清浄』の掛け声が聞こえてくると、神輿が先導

する人のロープに引っ張られながら笹の斜面を登ってきている。













神輿の後ろを『箱笈』も一緒に登ってきている。神輿と箱笈はテラスには登らず、その

まま笹原を山頂へと進んで行く。その写真を撮りながらiphoneで動画を撮ろうとカメラ

バックから取り出そうとしたら、その拍子に片手に持っていた一眼レフをテラスの下に

落としてしまった。幸いバッテリー部分の蓋が取れてしまっただけで、大事には至らな

かったが、大山の三ノ沢をエントツ山さんに『今年中には一眼レフを落としてして修理に

出すだろう』とイヤな予言をされていただけに、ショックが大きい。








笹原を先導する天狗と幡持そしてロープを引っ張る人、神輿と箱笈を担ぐ人たちの行列

ができる。2年前地元の祭りで神輿を担いだが、街中を練り歩くだけでも大変だったの

に、足元の見えないしかも足元の悪い笹原をよく担いで歩けるもんだと感心をする。




















山頂では神事が始まったが木道のベンチで『腹減った~』と言いながら弁当を広げている

WOC登山部のメンバーの横に座って、私も弁当を食べることにした。

そのうちに他のメンバーを一緒にベンチに腰掛けお弁当を広げ始めた。それにしても山頂

では厳かに神事が執り行われているというのに、私も含めて皆さん信仰心はなく、『神様よ

り団子』の人ばかりのようだ。








いつもは奥様たちと3人での記念写真だが、今日は久しぶりに大勢での写真となった。

『線で繋ぐシリーズ』を始めてからWOC登山部の団体での活動が縁薄くなったせいで、

知らない人も何人かいる中で、既知の人とは直ぐに世間話を始められる関係なのが嬉し

い。そして同じように暫くぶりでも変わらない秀麗な姿を見せてくれる次郎笈だった。














山頂から宝蔵石神社に向かう人と、そのまま下山する人に分かれて歩く。私は木道の途中

から、二度見の展望台へとメンバー4人と降りていく。丸笹山にはガスがかかり始めた。








刀掛けの松への道は恐らく下って行く人が大勢いるだろうを思っての事だったが、こちら

の道が予想通りすれ違う人もなく、二度見で休憩する人に会っただけだった。











山頂の喧騒とは違い、静かな静かな道。時々メンバーに話しかけるが思った以上にスピー

ドが上がって行く。そろそろ左膝が愚図ついてきた。

西島駅からは神社上の分岐から遊歩道への道を歩いて行く。ここの所下りではいつもこち

らの道を歩いて行く。行きの道とはまた違った雰囲気の周りの木々がお気に入りだ。前回

はシカも見かけたが、さすがに今日の人出ではシカも姿を現さない。











西島神社から遊歩道を遠回りしたが35分ほどで劔神社に着いた。神社の拝殿ではまた神

事が行われ、祝詞があげられていた。拝殿の前では山頂の神輿とは別の朝見かけたな神輿

が出番を待っていた。








平地の猛暑を他所に山ではまだ涼しい風が吹いていた。この後晴天が続けばそろそろ梅雨

明けしそうな雰囲気だ。夏本番、山も夏山モードへの切り替えで比較的標高の高い山へと

計画をたてないとな~と思いながらエアコン全開で車を走らせる。

雨予報の自主トレで、近場の高仙山とくまんど山へ

2024年07月11日 | 香川の里山


この時期天候が不安定なので、水曜日の山行の計画は日曜日くらいに様子を見て予定を

しているが、今週は雨予報。早々に奥様たちには『自主トレにしましょう!』と連絡を

入れて、軽くどこか歩ければくらいに考えていたら、家の奥様が『仕事が半日なのでお

昼から買い物に行きましょう!お昼前には帰ってきてね』と宣った。

『承知しました!』と返答したものの、お昼前に帰宅するとなると近場の山しかない。

先々週の自主トレではYAMAPの山頂ポイントの大串山をゲットしたが、近場でまだ

ポイントをゲットしていない山は?と考えたら、何度か歩いたことはあるけれど、まだ

YAMAPでは記録していない高仙山を思いついた。しかもまだ未踏のくまんど山が近

くにあるらしい。さっそくYAMAPで他の人の活動日記を調べてみたら、距離も行動

時間も手ごろな感じだった。

天気予報も午前中は曇りで昼から雨予報。帰るまでには何とか持ちそうだったので出か

けてきた。




自宅から前山ダムの横を通り多和地区から県道148号線を北に。広野地区に入って『二

本杉・高仙山』と書かれた道標ののある脇の、路肩が広くなった場所に車を停める。

曽江谷川へ流れ込む支流に沿って広がる谷底平野部には、青々とした稲が少し湿気を含

んだ風に揺れていた。







道標の矢印の方向に川の反対側へと歩き、二股を左に折れて緩やかな坂を登って行くと、

『三木・高仙山深山のみち』と書かれた道標を、今度は右にコンクリートの道を登って

行く。最初の二軒ほどはまだ生活している人がいるような雰囲気だったが、そこから上

はほぼ廃屋になっていた。人の行き来がないと道は荒れてくる。










コンクリート道の上には枯れた笹の葉が積もり、車が通った気配が全くしない。すると

正面に立派な民家が見えたが、ただこちらの家もすでに住民はいない様子だ。この民家

は活動日記にも写真が載っていて、石垣の右手にイノシシ避けの柵があると書いていた。

その柵を開けて中に入るとだんだん道は怪しくなってくる。











右手には朽ちた建屋がありその先はまた二股になっていたが、ほぼ笹藪になった左の道

を進んで行くと、すぐに右側に飼料のタンクがあった。と言うことは右の道の先には養

鶏場か養豚場があったのだろう。














笹藪をかき分け進んで行くと、先ほどあったのと同じ道標が建っている。その道標に従

って山の中へと分け入ると、すぐ左に立派な石灯篭。この道が高仙神社への参道だった

名残だろう。ただ道は参道の面影は全くない。











掘割のようになった道を登って行くがけっこうな急登だった。長い時間の間に両側から

崩れた土や枯れ葉が積もり、踏み込むとのめり込んだり滑ったりで歩きづらい。

すると先ほどから後ろでごく微かな羽音が聞こえてきていた。

錯覚かなと思いながらも立ち止まってみるとやはり羽音がする。その小さな羽音と比例

するように小さな蚊?が目の前を横切った。立ち止まった場所にいるのかそれともずっ

と追ってきているのか、しばらくの間はその羽音がやむ事はなかった。








道に花崗岩が現れると標高が上がってきた証拠だ。先週に比べると気温は少し低いよう

だが、汗はびっしょり衣服を濡らしている。息切れもするけれど先週に比べると随分と

楽だった。吐き気までした先週はやはり熱中症だったのかもしれない。








急登が終わると西に続いていた道が北に少し緩やかな登坂になる。山頂尾根に出る手前

には石で囲った池?この上からの小さな流れを集めた池のようだが何のためだろうか?

ひょっとすると高仙神社の下の窪地にあったという高仙寺の何らかの施設の跡だろ

うか?そう思いながら登って行くと黒い給水管が尾根に向かって続いている。その給水

管に沿って登って行くと道の少し下に電源のBOXと小さな小屋が見えた。

ひょっとしたらポンプでさっきの池にたまった水を汲み上げているのかもしれない?と

思い眺めながら登って行くと尾根に出た。








尾根にでて右に歩いて行くと高仙神社の鳥居が見えた。高仙神社は『雨ごいと安産の神

様』とされている。山頂部にあって雨ごいの神様は香川ではよく見かけるが、安産の神

様は珍しいな~と思いながら歩いて行く。










拝殿とその前の石灯篭は比較的新しそうだったが、その奥の本殿には高麗神(雨乞いの

神様)と木花開耶姫命コノハナサクヤヒメノミコト( 安産 の神様)をお祀りしているよ

うだ。










拝殿の横からは木々の間から屋島が見えた。




参道を戻り鉄製の黄色い車止めのある場所から展望所へ向かう。少し荒れた道をこんな

道だったかな~と、以前に来ていた頃を思い出しながら歩いて行くと、木製のベンチの

残る様変わりした展望所に着いた。子供たちが小さい頃に来ていた頃は、周りに草木は

なく、広々とした場所の目の前に高松から東の三木町、長尾町続く平野部が広がってい

たが、今は広場には草が生え、目の前も木々が生い茂っていた。

平野部の奥には先週歩いた大串山、さらにその奥の雲の上には小豆島が顔を覗かせてい

る。この高さから見える屋島は、山頂部が真っ平ではなく麓から見るいつものシュッと

した屋島よりは、ふっくらした感じに見える。

















この広場の上はちょうど羽田から飛行機のルートになっていて、すぐ真上を飛ぶ飛行

機を見て子供たちが大喜びしていたのを思い出す。

眺望の写真を撮った後に戻る途中にあった石祠。中を覗き込むと『女体神社』と彫られ

ていた。ここから東にある大窪寺の裏には3つの女体山と山頂には石祠があるけれど、

何か関係があるのだろうか?













高仙神社への分岐まで戻り、高仙山山頂公園へと歩いて行くと途中で道の北側が開けた場

所があった。そこからは先ほどの展望所から更に西側の眺望が広がっていた。

一番手前にクレーター五座の内の四座が並んでいて、その奥にメサの地形の五色台。その

西側には城山の横に飯野山も見える。そしてよ~く目を凝らして見ると六ツ目山のおむす

び山三兄弟が見えた。いずれも香川の独特な特徴のある里山群だ。







その展望ヶ所の先に『産の神』と彫られた石碑がありその奥に恐らく石祠があっただろう

台座だけが残っていた。高仙神社といい女体神社といい、そしてこの産の神といい、この

山頂はとにかく女性にはパワースポットのようだ。





以前はキャンプ場や遊具のあった山頂公園はすでに閉鎖されて時間が経つ。草木は伸び放

題で、遊具は撤去されて子供たちとよく遊びに来ていた頃の面影はない。














公園前にあった食堂も当然しまっていたが、その前を通って南に歩いて高仙山山頂を目指す。








雑木の中を尾根に沿って歩いて行くとほどなく 四等三角点 高仙山 627m に着いた。

山名標の上には消えかかった『讃岐山脈縦走路ロングトレール』と書かれたもうひと

つの木札が付けられていた。阿讃縦走路でも見かけた木札はマジックで書かれている

ので、消えてしまえば用をなさない。














山頂からさらに南に次のくまんど山を目指して歩いて行く。途中には赤テープが所々で

木に巻かれているが、比較的新しいこの赤テープは広野の登山口からも要所要所で巻

いてあった。登ぼりながら一瞬どちらに進もうかと立ち止まったときにちゃんと目印

になるように巻いてあったテープだ。このテープとは別にピンクのだらしなく巻き付

けているテープは、当てにならないことが多々ある。そして赤と黄色の二段に巻いた

テープは、たいていが年季が入っている。











そんなことを考えながら尾根を進んで行くと右下に車道が見えた。尾根が行き止まりの

ようになった場所からは、無理やり車道に向かって降りていく。法面保護のネットが張

ってある斜面は大抵急斜面で、転がるようにして降りると車道に飛び出した。










ここからはしばらくは車道歩き。途中には『新田の神』『一本松地蔵』がある。一本

松と書かれていたが周りには松の木は見当たらず、建屋の中の地蔵さんの説明書きがと

ても参考になった。













車道の脇が伐採地になる。高仙山から車道に出て100mほど標高を下げて歩いてきた

所で道は右手に行くと津郷の集落、左に行くと広野への分岐となる。

山頂公園は2014年に閉園しましたと書かれた案内板があり、そこから左に折れて緩

やかな坂を登って行くと今度は右手に伐採地が広がっていた。











その伐採地の際のガードレールが途切れた場所から、伐採地と自然林の際を登ってくま

んど山
へと向かって行く。振り返るとちょこんと盛り上がった高仙山の頭が見えた。

伐採地の頂部からは適当に尾根らしき場所を歩いて行くが、ここからは先ほどのような

テープは見当たらない。











伐採地からの取り付きは少し不明瞭だったが、あとは尾根に沿って歩いて行けば迷うこ

ともない。しばらくすると杉林の道になり、くまんど山に向かって、大きく回り込むよ

うに歩いて行くと、山頂手前で急登になる。

僅かに見える踏み跡を辿って、木の枝を握りながら『よっこらしょ』と思いから身体を

持ち上げながら登って行く。










ただ最後に踏み跡が分かれた場所から左に登ったのが間違いだった。

斜度もますます急になり、そして最後は行く手を阻むようなラスボスの大岩が現れた。

ラスボスを何とか避けて登りきるとそこは山頂ではなく、さらにしばらく尾根を歩いて

行かなければならなかった。

ここは右に登る方が楽!










と言ってもすぐにくまんど山には着いた。四等三角点 奈良 607m。山頂標の横で自

撮り。最近の活動日記には眺望はないと書かれてあったが、南西には大相山大滝山

そして讃岐竜王山の東の伐採地まで確認できた。














くまんど山から折り返し車道まで戻ると、あとはこの車道を広野の集落まで下って行く

だけ。ここまで来ると奥様に言われた『お昼前には・・・』は十分クリアできそうだ。








産業廃棄物の最終処分場を横目に見て、さらに下って行くと民家がチラホラ。草刈り機

の音がするところをみると、どうやら住人はまだ居そうだ。正面には矢筈山が見え始め

た。







くまんど山から車道を歩き始めて30分弱。登り始めの分岐近くまで戻って来ると山側

に展望台のような建物が見えた。その入り口にはイノシシ避けの柵があり、その柵には

干からびたドラエモンとドラミちゃんの姿があった。







車まで戻ると上手から高齢のご夫婦が犬と一緒に歩いてきた。『もう一仕事終わったん』

とおばあさんに聞かれたので『ハイ、高仙山まで歩いてきました』と答える。すると

後ろから来たおじいさんが『鹿はみんかったかい?』『最近見かけた人がいて』と話して

くれた。

車のドアを開けてエアコンのスイッチを入れる。しばらくしてエアコンの風が冷えてく

る頃に車を走らせる。上半身は汗でびっしょりでエアコンの風がさらに冷たく感じる。

この広野地区の道際には今は盛りのようにしてネムノキのグラデーションがそこらじゅ

うで目に飛び込んできた。

今日の気温だとまだマシだったが、これからの季節はまずは暑さ対策。そう思いながら

奥様の待つ家路へと急いだ。







女王様に謁見のあと大黒様の待つ国見山へ!

2024年07月04日 | 四国の山
今週の水曜日は梅雨の晴れ間の予想。さてさてどこのお山に登ろうかと考えたが、昨年

は黒滝山の岩場をあっちゃんと楽しんだ後、県道16号線沿いのタキユリが咲いていな

いか探しに車を走らせた。その時にギッチャンさんに教えてもらったのが、七ツ淵神社

の参道のウスキキヌガサダケだった。『是非見に行ってみて!』と言われて寄り道して見

ると、少し時間が遅かったのか、黄色いドレスは窄みかけていた。 キヌガサダケはレー

スのドレスをまとったような姿から『キノコの女王』と呼ばれてい るらしい。胞子の分

散は風によらず、昆虫や陸棲貝類などの小動物によるところが大き いとされ、その可憐

な姿とは正反対の異臭を放ち、その異臭で昆虫や小動物を引き寄せ ているそうだ。

何はともあれ本来のドレスを広げた女王様に謁見を願い出て、奥様たちと出かけてきた。

高知ICを降り県道44号線を東に走る。するとあっちゃんが『この道前回鷲尾山に行

った時に通った道ね』と言うので、目の前に見えるイオンモールを指さして、『いえいえ

違う道ですよ、前回、イオンがありましたか?』と答える。すると今度は県道44号線

から県道16号線を北に向かって走って行くとルリちゃんが『どっちの方角に向かっ

て走っているのか全然分からんわ』と。

山の中でもそうだが、奥様たちには『太陽の昇っているほうが基本的に南』といつも言

うのだが、お二人の辞書には方向感覚という言葉がどうもないらしい。

そうこうしているうちに七ツ淵神社の一の鳥居に着いた。すでに女王様への謁見は始ま

っているようで車が数台停まっていた。




鳥居から参道を少し下った場所に一眼レフを構えた女性達が陣取っていた。一番最初に

参道脇の一本が目に付いたが、地面に膝をついて這いつくばるようにして必死で写して

いる年配の女性がいた。順番待ちだと思い、その後ろでじっと待っていても何分経って

も終わらない。仕方がないので周りを探してみると反対側の斜面にも一本生えているの

が目に入った。










何枚か写した後斜面から降りると先ほどの女性がまだ陣取って写している。その後ろに

何人かの人が待っているのにけっして譲ろうとはしない・・・・。仕方がないので参道

を神社の方に少し下って行く。昨年歩いた時に立ち止まっている女性から『コクラン

咲いています!』と教えてもらったので、今日も咲いていないか探して歩いたが、見つ

けることはできなかった。







引き返してもとに場所に戻ると先ほどよりドレスが広がっている。このキヌガサダケの

伸長速度は毎分2~4mmといわれていて、30分で6~12㎝伸びる驚きの成長速度だそう

だ。他にも違う場所に生えているのを見つけて何枚かカメラに収める。

ただ一番きれいなドレスをまとった女王様は斜面の上の方にいらっしゃって、きれいに

撮ることができなかったのが残念だ。 鳥居まで戻ると次々と車がやってきていた。










女王様に謁見した後はここから西にある国見山に向かって行く。別名雪光山と呼ばれる

国見山。高知市内からは冬に真っ先に白く輝くことからそう呼ばれるようになったそう

だが、その国見山の手水登山口へと県道33号線を西に走って行くと、道路の法面に大

きな葉が垂れ下がりその先に何個ものつぼみが付いているたくさんのタキユリが目に付

いた。『すごい数ね!』『これが全部咲いたところを見てみたいね』と奥様たち。昨年車

を走らせた県道16号線よりもその数は多いかもしれない。

すると一カ所だけ法面保護の金網から飛び出し咲いている花が目に飛び込んできた。慌

てて車を停めて撮影タイム!花弁が球形に反り返えり、鹿子絞りのような濃紅色の斑点

が美しいタキユリ。昨年あっちゃんとは見ることができたが、ルリちゃんも初めて見る

ことができて良かった。

この間途中の法面はきれいに草刈りがされていたが、このタキユリを避けて刈っていて、

絶滅危惧種になっているだけ、大切にされている様子がうかがえた。











七ツ淵からはおおよそ1時間弱かかって手水の登山口に着いた。県道から登山口までの

道は結構狭く、雨降りの後だったこともあって走りにくい道だった。

登山口には手書きのコース図が設置されている。その図には『しんどい坂』とイヤな言

葉が書かれてあった。










最初の竹林を抜けると道はすぐに急登になった。昨日の雨のせいで道には水があふれて

流れている。ゴロゴロした石の足元に注意しながら登って行く。











いつもならまずは膝の痛みが出始めるのだが、今日は着圧タイツのお陰か調子が良さそ

うだ。その代わりなのかどうか?息切れがいつも以上に激しい。










30分ほど登っただろうか、標高600mを過ぎた辺りまで石積がまだあった。石積み

の上の平らになった場所には太い木材が何本か残っていて、畑地というよりは何か建物

があったような気がする。道が杉林の中の道になっても相変わらず急登は続いて行く。










すると道の脇に『しんどい坂』と書かれた案内板があった。『イヤイヤここまでもずっ

としんどい坂なんですけど!』

相変わらずとにかく息切れがひどい。立ち止まって大きく深呼吸をしながら休んでも治

まらない。奥様たちに『今日はどうも調子が悪いので待たなくていいですから!』と声

をかける。十数歩歩いては立ち止まり深呼吸して、そのたびコマめに水分補給をしてい

くけれど、状況は変わらず奥様たちはすぐに見えなくなった。











何とか柿ノ口の登山口への分岐に着いたが当然奥様たちの姿はない。しばらくすると今

度は吐き気がしてきた。立ち止まる頻度も数十歩から十歩になってきた。これはいよい

よヤバいかなと思いながらも牛歩で進んで行く。




すると最後の登りの手前、案内板の建つ場所で奥様たちが待っていてくれた。『大丈夫?

』と声をかけられ、『吐き気が収まらないんです』と話をすると、『熱中症だわ』と言って

ルリちゃんがザックから経口補水の粉末を取り出し手渡してくれ、一緒にあっちゃんがペ

ットボトル水を差しだしてくれた。

その粉末を口に入れ、ペットボトルの水を含んで口の中でグジュグジュと混ぜ合わせて飲

み込む。それを何回か繰り返してみると少し落ち着いてきた。

しばらく置いて残り僅かな山頂目指して歩き出す。山頂直下の岩が崩れた場所を登って行

くと、その先に大黒様が見えた。そして奥様たちの『着いたわよ!』の声がした。











山頂にはYAMAPの活動日記の写真で見た大黒様が南に向かって鎮座していた。今年に

入って最悪の状態でやっと登ってきたのに、山頂からの南に広がっているはずの景色は白

いガスの中だった。














とにもかくにも疲れた身体を大黒様の前の石積に座らせてもらった。もちろん食欲もな

く雲の隙間から時折差す日差しが恨めしかった。

あっちゃんは先週からインスタントのソース焼きそばに凝っている。お湯を入れて時間を

置いて湯切りした後におふたを開けてソースを混ぜると、こちらまでそのソースの臭いが

漂ってきた。『少し食べますと?』わざとらしく聞いてきたが、もちろん丁寧にお断りを

した。










昼食の後山頂の北側にあるという展望岩に寄ってみる。晴れていれば国見山の北側に並ぶ

石鎚山系から東の峰々が眺められるはずだが、当然こちらもガスの中。

ただ一瞬だけ雲が流れて薄く二つのピークが見えたが、続いている稜線が見えないので、

山座の同定はできなかった。










展望岩から戻って山頂をあとにする。経口補水が効いたのか、休憩したせいなのかは分か

らないが、登りの時が嘘のように楽になった。

時期的なものなのか手水からのルートが元々なのかは分からないが、今日は全く花を見る

ことがなく、唯一この白いキノコが目に入った。











すると時々何カ所かで匂いが漂ってきた。登りの時にも気づいていたが『ひょっとして

サンショウかな?』と前を歩くあっちゃんに言うと、『私も登りの時から気になっていた

の』と。途中でその葉を見つけて匂ってみるとやはりサンショウの木だった。

今日は花がないので目に入った虫を写してみる。歩く花と昆虫図鑑のアカリプタさん

らすぐに名前を教えてくれるだろうな。







登りが急登だったということは下りは急坂。登りの時はあまりの苦しさで気にならなか

った膝の痛みを感じ始めた。人間不思議なもので一度に何カ所もの痛みを感じることが

なく、一番痛い個所だけを感じるようにできていると思う。

山頂でルリちゃんは『それじゃゆっくり降りるわね!』と言ったはずなのに、急坂をト

ントンとスピードを落とさず二人は下りていく。

そのうちにあっちゃんが『しんどい坂はまだかな?』と言うので『もう通り過ぎてるわ

よ』とルリちゃん。『あんな大きな案内板が目に入らなかったの?』と私。この頃には

ツッコミを入れられるくらい余裕が出てきた。







登りではまったく気づかなかったがこのルートには石段らしき跡が何カ所も残っていた。

登山道の整備での石段ではないだろうから、山頂で春と秋に行われている祭事に行き交

う為の昔からの石段なのか?







しばらくすると水の音が大きくなってきた。足元に昨日の雨後の水が流れる場所まで来

ると、濡れた岩で転ばないようにスピードが落ちる。







その足元の悪い場所を過ぎると、登りの半分もかからない時間で登山口まで戻ってきた。

車まで戻りさっそくクーラーを全開にして座席に着くが、上も下も汗でびしょ濡れで、

逆に汗冷えしてきた。











ここのところ夏場に一度は熱中症になりしんどい思いをしているのに、学習能力がない

のか同じことを繰り返している。その原因のひとつに着圧のタイツで下半身から暑気が

しているような気がしている。それで昨年からタイツを薄手にしてショーツを履き始め

たのだが、前回にその恰好で歩いていたら奥様たちに『細い足!』と小ばかにされた。

それで今日はショーツではなくズボンを履いたら、下半身がとにかく暑かった。

そんなこともあるので次回からは不安要素を一つずつ消して、さらにはルリちゃんにも

らった経口補水もちゃんと準備して来ようと反省しきりの国見山だった。

梅雨空の下、今日は自主トレ!

2024年06月28日 | 香川の里山

 

先週、塩塚高原を歩いたあとの駐車場で『来週は雨予想なので、取りあえずお休みにし

ましょう!』と奥様たちに伝えた。天気予報が回復すればと思っていたが、予想通りの

高松は曇りのマーク。山間部では?の予報。山に出かけないとなればいつになくゆっく

りと朝寝して、その後朝食を食べながらスマホを見ているとSNSに『時の納屋が6月

30日にオープン』の写真が上がってきた。

以前から地元の大串自然公園の芝生広場に建築されていたのは知っていたが、実際に完

成した写真に目が留まった。このまま家でじっとしているのも・・・と思い、建物見学

と大串自然公園を散策してみる事にした。





公園内の駐車場に車を停めて、新しくできたアプローチを歩いて行くと直ぐに写真で見

た建物が目に飛び込んでくる。アプローチの両側は芝生と木々の苗木が植えられたばか

りで、歩みを進めていくと建物の横に小豆島の島影が見え始め、建物まで来ると瀬戸内

の海が目の前に広がってくる。







我が家の子供たちが小さいころからよく遊びに来ていたこの場所。目の前には小豆島。

その間を船が行き交い、海風にのってトンビが気持ちよさそうに飛んでいる。いつ来て

も瀬戸内の素晴らしい景色だと思っていた場所だったが、以前あった温泉施設や宿泊施

設も閉鎖してイマイチこのロケーションを生かせていない気がしていたので、今回の取

り組みが活性化につながればと思った。

建物の南側の大きな掃き出し窓から中を覗いてみると、ガラス越しにカフェスペースが

見えた。無垢のテーブルと椅子の奥には開放感のある窓の向こうに瀬戸内海の景色が広

がっていた。オープンすればランチの時間に女性たちの賑やかな声が聞こえてきそうだ。








『時の納屋』の北側には以前からあった双眼鏡の置かれた展望台。そこからさらに北側

にある野外音楽広場のテアトロンへ下りていく道が続いている。春には桜並木が瀬戸内

海へと続く景色を見ることができる。ここ最近、歩き始めは必ず膝が痛む。それもしば

らく歩くとマシになってくるが、いきなりの下り坂は結構キツイ。





円形の野外ステージは客席から見るとステージのバックに瀬戸内が広がっている。過去

のコンサートもけっこう有名なアーティストが開催していて、地元民としては自慢の施

設だ。ただ駐車場を含めてアクセスが悪いのが難点だ。








テアトロンからさらに下って行くと『長ぞわい観音』の案内版があったので左に折れて

下って行くと、ここでも瀬戸内海を背にして立派な観世音菩薩像が建っていた。

海上交通の安全と大漁を願って作られた庵治石の観世音菩薩だが、元々はこの像の北側

から更に急斜面を下った岩礁の上に、地元の漁師が建てた像があるらしいが今日はパス。










この観世音菩薩像の手前に東へ道が続いていた。おそらく大串岬への道だろうと思い歩

いて行ってみる。道の脇の草花を眺めながら歩いているといつのまにかテアトロンの施

設の下側に出た。あわててスマホを見てみると、岬への取り付きを通り過ぎていたので

後戻りして岬への降り口を探すが、GPSの地形図の破線のある辺りになっても、それ

らしい道が見当たらない。行ったり来たりしながら探していると草むらの奥に階段らし

きものが見えた。足を踏み外さないように草をかき分け降りていくと、岬に向かって階

段が続いていた。








途中道の脇にはベンチがあり、この公園を開発した当初は遊歩道として整備されていた

のだろう。この大串岬はさぬき市の最北端になるので、管理をしていればちゃんとした

訪れる人もいるのにな~なんて思いながら歩いていると、道の半分が崩れて消失してい

た。かなりの規模で崩れていたので復旧するにはけっこう予算がかかるので放置されて

いるのだろう。この場所には限らないが造ったのはいいけれど、ランニングコストを考

えずに造って、結局管理できていないモノがあちらこちらで同じように放置されたまま

になっています。











遊歩道の終点には東屋がありこの季節、木々が茂ってはいるものの瀬戸内海を見渡せる。

先ほどの芝生広場の展望台とはまた目線の高さが違った景色を見ることができる。










大串岬から遊歩道を登り返し、舗装路にでる。長ぞわい観音の標識から少し下ると今度

は『石切り場』の説明版が道の脇に建っていた。標識に従って歩いてみるが途中で大き

なくぼみに水が溜まって奥に進めそうにないのであきらめて引き返す。











道は更に下り坂。この道の最低部になると道の脇に駐車場があり、GoogleMAPでは海

釣り公園になっている場所に寄り道してみる。以前に子供たちを連れて浜辺で遊んだ場

所にはなんだかとってもおしゃれなゲストハウスぽい建物が建っていた。






その建物の前を通らせてもらって海岸沿いの遊歩道を、先ほどの大串岬から見えた赤い

大串埼沖灯標近くまで北に向かって歩いて行く。コンクリートでできた遊歩道の上を足

を踏み出すたびに無数のフナムシが逃げまどっている。フナムシの大きさと私の身長を

比べると、まるで以前に見た『ゴジラ-1.0』で東京湾から上陸したゴジラを前に必死で

逃げる人間の姿が思い浮かんだ。

遊歩道の脇に咲く小さな草花を眺めながら歩いて行くと、遊歩道は灯標までは続いてい

なくて途中から『長ぞわい観音』の方へ階段が続いていたので、仕方なく引き返す。

防波堤の先ではのんびりと釣り糸を垂れる人の姿があった。














海釣り公園の駐車場まで戻ると舗装路は下り坂から登坂になる。途中にあるオートキャ

ンプ場は今日は休場のようで、手入れの行き届いた緑の芝生が輝いていた。

東の対岸では志度カントリークラブの芝生が見える。







さらに舗装路を登って行く途中で鼻を突く匂いが漂ってきた。『何の匂いだろう?』と思

ったが、すぐにブドウが腐った匂いだと思った。匂いの記憶は半世紀も前の小学生の頃に

地元のブドウ畑で遊んでいた時に嗅いだ思い出を蘇らせた。

そんな匂いが途切れると目の前に大きな建物が現れた。四国で初めてできたワイン工場の

さぬきワイナリーだ。設立されて30年以上も経つが恥ずかしながら一度も訪れたことが

ない。今日も時間の都合でスルーする。








ワイナリーから一旦県道に出て東に苫張漁港に続く道を歩いて行くと、山側に摩崖仏と書

かれた矢印案内板が見えた。案内板に沿っていくと斜面に不動明王の摩崖仏が座っていて、

その脇には如意輪観音像が刻まれていた。

昭和の終わりに長尾町の蓮井一郎さんが毎日通って彫り上げたというこの摩崖仏は、今ま

で見てきた摩崖仏とは少し違って作者の個性だろう、何となく憎めない表情をしている。











その摩崖仏の横から尾根に向かって登って行く。先ほどまでの舗装路は登坂でも緩やかだ

ったので、今日初めての急登ですぐに息が切れる。所々に付いたピンクのテープを目印に

登って行くと程なく尾根に出た。

尾根に出ると右手はヒノキの植林地。一旦下って鞍部から登り返し、少しスズタケをかき

分け歩いて行くと大串山に着いた。










地形図では137mの標高点だけになっているが、YAMAPでは山頂ポイント、そして

山頂標からも判るように、『さぬき市里山チャレンジ30』の一座にもなっている。これ

で『さぬき市里山チャレンジ30』も残り二座。この冬にでもまた歩いてみよう。

 

 

 

大串山からの折り返しは急坂の摩崖仏へは下らずにそのまま尾根を下って行く。こちら

もピンクのテープの沿って歩いて行くが、最後は今は使われていない別荘のような建物

に向かって、背丈ほどの草をかき分け降りていくと県道に飛び出した。

 

 

 

今まで何度も訪れたことのあるこの大串半島だが、車で走ることはあっても今回のように

歩くのは初めての事だった。車では気づかなかった史跡や遺跡があることに気づかされ、

改めて地元のこの場所のすばらしさを再認識したウォーキング+一座となった。

 

 

 

 


涼風求めて塩塚高原へ⁉

2024年06月20日 | 四国の山


昨年もそうだったが梅雨入り宣言があった後、しばらく天気のいい日が続いている。た

だその青空も今日が最後の様で、このあとは本格的に雨降りの日が続いていくみたいだ。

その梅雨の季節のように左膝もジクジクとしてあまり調子が良くはない。例年なら張り

切ってどこに出かけようかと考えるのだけれど、イマイチ気持ちが乗ってこないので、

奥様たちに『どこか歩きたい場所はありますか?』と尋ねたら、あっちゃんが『塩塚峰

に興味があります!』と返事かえってきた。

それじゃ~そのご希望に沿わせていただきますということで、霧の森の道の駅に集合と

なった。ここから栄谷から山に分け入り塩塚峰へと登った後、新瀬川へと下る周回コー

ス。もう18年も前になるが山の会の山行で、塩塚峰から栄谷へ下ったことはあるが、

新瀬川の道は初めてのルートになる。




道の駅の駐車場を8時36分にスタート。県道を南に少し歩いてすぐに分岐を左に入っ

て行くと、2kmに渡って12基の石碑が並んだ『志の道』になる。それぞれの石碑に

は各偉人の言葉が刻まれていて、その言葉を読み意味を感じながら歩いて行く。







またこの道沿いは『ミニ四国霊場』にもなっていて、道の脇には石仏が並んでいる。道

が四差路になる場所から左に栄谷へと登って行く。











しばらくの間は民家が点在する中の舗装路を歩いて行く。山間部とはいえ道路部分は日差

しを遮る木々もなく、もうすでに汗が噴き出ている。










舗装路はまだ続いていたが、道の脇に『少年自然の家』のNO.2の標識の立つ場所から左

に折れて山の中に入って行くが、YAMAPではここが登山口となっている。ここまで

駐車場から約45分。道の脇の沢からの冷気のせいかこの暑さの中、吐く息が白かった。

道は地元の方の手によるのかきれいに草刈りがされていたが、最終民家に人の姿はなか

った。














最終民家を過ぎると杉林の中の道になる。しばらく登って行くと石積みと石畳の道。そ

の石積みも一つや二つではなくかなりの数になる。以前に集落があったのだろうか?










道は少し荒れ始めたが、そのガレ道を登ると炭焼き小屋跡があり、ちょうど3合目の札

がかかっていた。








この栄谷のかなり上部にまで石積みは続いていた。『こんな山奥まで果たして?』という

疑念が沸いてきたが、畑作とかの石積みにしてはやはり立派過ぎる。














道は北東から南に折れて急登になった。谷あいで薄暗かった周りも少しづつ明るさを増

していき、いったん平道になると5合目の札がかかっていた。











植栽地の杉林の中を縫うように登って行くと右手は伐採地。一気に明るさが増した。







伐採地横から杉林の中、ひと登りすると林道に飛び出した。ここから946mの三角点

へと階段が続いている。登ってきた道への取り付きには少年自然の家の道標が建ってい

る。この道と下山路となる新瀬川の道は、少年自然の家からの小学生たちの学校登山の

コースとなっているらしい。途中草刈りをしてあったのはその為だったのかもしれない。

ここからは三角点には登らずに林道を北に歩いて行く。

『さぁ、ここから朝ドラの話が始まるんですかね~』と冗談で言うと、奥様たちは本当

に朝ドラの話をし始めた。











林道から三差路に出て今度は東に向かって舗装路を歩いて行く。三差路からすぐに以前

からあった霧の森の高原の施設が眼下に見えた。以前からあった建物とは別に、新たに

オートキャンプ場が整備され、道の上手にはグランピングの真新しい施設もできていた。











しばらくの間、東に舗装路を歩いて行くと次第に高原らしき草地が広がってきた。パラグ

ライダー場の道標に従い南に右折し道なりに歩いて行く。











すると振り返っての景色も一気に広がってきた。正面には法皇山系から東に続く稜線が

見える。稜線上に等間隔に鉄塔が続き、以前に縦走した時に歩いて横を通った廃棄物の

リサイクル場の施設が確認できる。








車道から山道へと入って行くと塩塚峰山頂へと続く階段が見えた。遮るものもなく、日差

しが照り付ける中の最後の踏ん張りどころだ。











たしか六甲全山縦走の時に『天国への階段』と名付けられた場所があったが、明るい空

へと続いているこの道もまさしく『天国への階段』だ。大きく息を吐きながら一段一段

登って行く。谷あいの水で濡らした冷感タオルももう既に乾いてしまっていて、流れる

汗を拭いても快適とは程遠い。











大汗をかきながらも何とか登りきると360度の絶景が待っていた。今まで登ってきた

峰々、そして歩いてきた稜線が見渡せる。そしてその先に汗を掻いてきた思い出が蘇っ

いてくる。山頂では爽やかな風に乗ってか、大きな虫が飛び交っている。『ここではお

昼ご飯は食べられないわね』とあっちゃん。『この東に東屋があるのでそこでご飯にし

ましょう』














東屋のある展望所までは3回ほどアップダウンを繰り返す。山頂から下った鞍部は新瀬

への分岐になっている。そこからまた緩やかな坂を登って行くと聞き慣れない音が聞

こえてきた。眩しい空を見上げるとグライダーが飛んでいた。そして二つ先のピークに

は人影が見える。あそこからラジコンのグライダーを飛ばしているのだろう。

















ラジコンを操作している人の所で話しかけると、『今日は少し風が弱い』とのこと。空を

飛んでいる姿はさほどではないが、近くで見ると結構な大きさだ。『エンジンで飛ばすの

ですか?』と尋ねると『モーターで飛ばしてあとは風で!』と笑顔で答えてくれた。








展望所の東屋の日陰に入るとさっきまでの暑さが嘘のように、乾いた風が心地よい。

汗を拭き椅子に腰かけあっちゃんがザックから取り出してきたのはインスタントの

焼きそばだった。『ほら夏の暑い時でもBBQでは焼きそばをたべるでしょ!』と自

慢げに話をする。『でもBBQの時はビールがあるでしょう』と言うと、少し不満げ

な顔をしながら『でも絶対美味しいはずよ!』と。『少し食べてみる』とルリちゃん

に勧めてみるが『私はいいわ!』とあっさり断られた。




せっかくなので少し分けてくれた焼きそばを一口。甘いソースが何とも言えずにいた

ら、『どう、美味しいでしょ!』と無理やり言わそうとする。『この夏は焼きそばで攻

めてみる!』と呆れ顔の二人を尻目にニコニコ顔のあっちゃん







東屋には表示板に四方の山並みの山名が書かれている。

カガマシ山の左奥に工石山、そのさらに左に白髪山


中津山の左に特徴的な山容の烏帽子山


牛の背の笹原の上に天狗塚の頭が覗いている



お昼ご飯を食べたら一旦塩塚峰への鞍部まで戻り分岐から下って行く。グライダーを飛

ばしている初老の男性二人はお昼ご飯も食べずにいる。まるで遊びに夢中になって時間

を忘れている少年の様だ。











分岐からは新瀬川登山口へと下って行く。ストックの長さを変えて一歩一歩注意しなが

ら足を踏み出さないと転げ落ちそうなくらいの急な坂だ。この坂を下りきった所の道標

『がまん坂』と書かれていたが、まさに新瀬川から登りぱなしの最後の急登。がまん

の為所だと思うが、私にとっては膝に堪えるガマンの下り坂。










がまん坂を何とか滑らずに下り終えると一旦車道に出た。そこからまた車道を横断して

山道に入って行くが、まだまだ急坂は続いて行く。危なそうな箇所にはロープが張られ

ているが、この坂を下から小学生がよく登って来られると感心する。







大岩の横を過ぎると丸太のベンチのある休憩所に着いた。左ひざを庇ってなのか右の股

関節や腰に張りが出てきた。先ほど東屋でずり落ちて半ケツになった着圧タイツを持ち

上げたら、持ち上げすぎて股間が窮屈になっているせいかもしれない。奥様たちには先

に行ってもらって、ショーツを下げてタイツの装着位置を直してみる。







休憩所から少し下ると沢沿いの道になる。昨日の雨で増水した沢の濡れた岩で足を滑ら

せ右足をドボンしてしまう。途中の合目を書いた札には励ましの言葉も書かれている。







九十九折の道は小刻みに右に左に曲がって、その斜度も急なので油断ができない。何

とか急坂をやり過ごすと先ほどよりは少し幅の広がった沢にまた出た。今度は左岸か

ら右岸に渡渉してまた下って行くとトドロの滝に着いた。














この間の沢沿いでは何カ所もの小滝があったが、このルートでは一番大きな滝となる。

昨日の降雨の後で水量も多いが、他県の轟の滝と比べると随分と小ぶりの滝になる。








トドロの滝から下って行くとこちらの沢沿いにも、栄谷と同じように石積みが点在して

いた。このあと右岸から左岸への木の橋を渡ると、最終民家の横に出た。











最終民家にはやはり人影はなかったが、さらに下の民家の横には洗濯物が干されていて

まだ住んでいる人がいる様子だった。それにしてもこの奥まった場所に不似合いな立派

な建物だ。その民家の横を通って下って行くと新瀬川の登山口に降り立った。

登山口にはコミュニティバスの停留所にもなっていて、一日何回かバスが来るらしい。

家に帰って色々と調べてみると、むらくもさんは以前にここまでバスに乗ってきて、

時計と反対回りに周回して栄谷へと下っていた。ここからの下道歩きを考えるとなるほ

どと感心してしまった。











登山口から秋田の集落の中を通り舗装路を歩いて行く。幸い緩やかな下り坂だがそこは

やはり舗装路、足の裏や足腰に堪えてくる。











道路脇の民家の横の畑には反りのある立派な石積み。これを見ると先ほどの石積みや

の石積みはやはり畑地だったのかもしれない?と思ってしまう。

その先では二人の男性が道の脇の草刈りの作業をしていた。さらに歩いて行くと木陰で

休憩をしている男性の姿があった。傍まで近づいて挨拶をすると、『塩塚峰に登ってたん

かな?』と聞かれた。『はい、栄谷から周回してきました』と言うと、『それはそれは疲れ

ただろう、一服していき!』とリポビタンDを3本差しだしてくれた。

『この辺りも若い人がいなくなってな~、私でも若い方から二番目なんや』と過疎化の現

状を嘆いていた。











道路上には日陰も少なく、舗装路の上で足の裏が熱くなり張りも随分出てきた頃、新瀬川

の登山口から約1時間で道の駅の駐車場に着いた。

駐車場で靴を履き替えているあっちゃんに『抹茶のソフトクリーム食べに行きます?』と

聞かれたが『今日はこれ以上歩きたくないので止めときます』と言って駐車場で別れた。

これから梅雨が明けて夏の暑さが本格的になって果たして、膝や腰や体力がもつのだろう

か?と不安な気持ちを抱えながら高速道路を東に車を走らせた。








『やばいよ・やばいよイワカガミ!』の剣ケ峰

2024年06月06日 | 四国外の山
先週、高知の南嶺『てくてくさん』に会いに出かけて、帰りに奥様たちに『さて、来

週はどうしましょうか?』と尋ねると、『イワカガミ!』とあっちゃんが即答。『石鎚山?』

と聞きなおすと、『剣ケ峰よ!』と返事が返ってきた。『去年はエントツ山さんが6月初

旬に登っていたので、来週ちょうどいいくらいかも』と仰る。いつになく行先を決めて

いたので後から話を聞くと、今年のカレンダーに6月5日に〇を付けて、前々から行き

たいと思っていたそうだ。ただ私の膝のケガもあって今年は行けないかもしれないと思

っていたらしい。

この時はまだ天気予報が生憎の雨マークだったが、2・3日すると晴れマークに変わっ

たので、『それじゃイワカガミ、見に行きましょう!』と相成った。


すると日曜日辺りから『のーちゃん・ばんぶう・Jr』さんたちが次々とキリン峠から

ケ峰
への活動日記をアップしていた。そして最後にエントツ山さんが『二度と登りたく

ないルートなのに・・・・。』とブツブツ文句を言いながらも、案内役で出かけていた

ので『水曜日に出かける予定なのですが、イワカガミはまだ大丈夫ですか?』とLIN

Eを入れると、『大丈夫!私もアカリプタさんと出かける予定です』と返事が返ってき

た。それじゃ~という事で、登山口となる文殊堂駐車場で待ち合わせをして、一緒に登

る事になり、そのことを奥様たちに伝えると二人は大喜び!なんせ普段からエントツ山

さんとアカリプタさん
の話をしているので、奥様たちはお二人の大ファンなのだ。




丸亀で6時に待ち合わせをして高速道路で北上。蒜山ICを降りてすぐの『おべんとう

のつるや』で昨年、三ケ峰で出会った女性に教えてもらったおにぎりを買う。

予定通り8時30分に文殊堂の駐車場に着くと、すでにエントツ山さんとアカリプタさ

は身支度を始めていた。

『お久しぶりです!』の挨拶のあと奥様たちを紹介すると、『え~とお名前は?』とエン

トツ山さ
んが聞いてきた。『こちらがあっちゃん、そしてこちらがルリちゃん』ですと、

ブログに書いているハンドルネーム?で紹介する。エントツ山さんとは過去に何回か一緒に

歩いたことはあるが、アカリプタさんとは雲早山でお会いしたが、一緒に歩くのは

初めてになる。『それでは・・・!』と言うことで駐車場をスタート。その直後に『え

~とどっちがあっちゃんだったかな?』とエントツ山さんがまた聞いてくる。

三ノ沢の砂防ダムは昨年も工事中だったが、今日も工事看板には『コンクリートの打設

日』と書かれていた。最初は三ノ沢の右岸の作業道に沿って登って行く。










前を歩く奥様たちを見て、『ルリちゃんと・・・う~んと』とエントツ山さん

あっちゃんです。今度間違えたら怒られますよ!』と笑って答えた。

沢には幾重もの砂防ダム。『ずっと工事をしてるわね』とあっちゃん。『ダムを造っても

直ぐに埋まってしまうのでキリがないんでしょうね』と答える。正面の剣ケ峰はまだ雲

に隠れてお顔を出してくれていない。













作業道から樹林帯の中へ入りそこから一旦左岸へと渡り、しばらくは樹林帯の中の道が

続いていく。今日は花音痴にとっては頼りになる花博士のアカリプタさんがいる。さっ

そく道の脇の草花の名前を教えてもらう。














樹林帯歩きが終わると砂防ダムの袖天端を歩いてまた沢に出る。目の前にはこの三ノ沢

最上部の巨大な砂防ダムが現れる。その砂防ダムの足元を右岸へと渡り、袖のロープのか

かったコンクリートの斜面を登って行く。










最終砂防ダムの突堤からはこのコースの序章の始まり、ザレた道になる。正面の稜線は雲

が流れて気持ちのいい青空が広がっている。昨年はガスがかかってほとんど見えなかった

だけに感激ひとしおだ。『シロバナダイセンクワガタみ~っけ!』

この場所は幅こそ狭いが、涸沢や木曽駒のカールに見えなくもない。右手の尾根に小さく

キリン峠のポールが見えた。今日は本当に視界良好!
















石や石屑で埋められた沢だが、踏み跡はしっかりしているので、その踏み跡に沿って沢の

右手に向かって登って行く。あっちゃんの頭の上のザレ場は去年下りでスキーができると

言いながら二人で滑り落ちた場所だが、今年はこの膝ではとても無理だろう。













ザレ場から低木の生える支尾根へ取り付くが、この場所細かい石屑の急斜面。ザレ場より

更にズルズルと足が滑る








急登をやり過ごすと左上前方に剣ケ峰の山頂碑が見える。










正面に槍ケ峰が見え始めると、今日のお目当てのイワカガミのお花畑。その槍ケ峰の巻

道をヘルメットを被ったペアが登っているが、その上の岩肌もピンク色に染まっている。













すると頭の上からけっこうな大きさの石が落ちてきた。見上げると登山道から外れて写

真を撮りに行っている男性。そしてまた一個、二個と落ちてくる。慌てて小走りで逃げ

るが、当の本人は写真に夢中なのか、下に人がいるのに全く気付かず。

写真を撮るのはいいけれど、それくらい周りの配慮は欲しいもんだ。





山肌にびっしりと張り付き咲いているイワカガミ。アカリプタさんやあっちゃんも写真

撮影に夢中だ。一本一本の茎との間隔が狭いうえに、その茎の先には数個の花が付いて

いるので、遠目に見ると本当に山肌がピンク色に染まって見える。























槍ケ峰の岩稜の足元を巻いて稜線に出る。途中ですれ違った男性から『稜線に出ると風

が強いから気を付けて』とアドバイスを受けた通り、北から強い風が吹き上げてきた。

槍ケ峰に登って行くアカリプタさんとあっちゃんルリちゃんと言えばもちろんパス。

するとエントツ山さんが『三人の写真を撮るからKAZASHIさんも登って!』と仰

る。昔はそうでもなかったが、ここ最近はあまり高いところが不得手になってきた。

しかも膝の踏ん張りがきかないので、ザレ場なら未だしも、痩せ尾根の今にも崩れそ

うな岩が積み重なった場所でバランスでも崩したなら・・・・・と躊躇していたら、

『早よ早よ!』急かされる。仕方がないので渋々登って行って撮ってもらった写真がこ

れ。写真で見ると高度感はそれほどでもなく、な~んだ!といった感じだ。




槍ケ峰から戻り次の三ケ峰へと稜線を歩いて行く。油断すると被っている帽子が飛ばさ

れそうな風の強さだ。三ケ峰山頂もやはり風が強い。ここで皆さん上着を着込む。











昨年同様はルリちゃんはここまで。ここからは四人で剣ケ峰を目指す。アタック開始だ!

天狗ケ峰への稜線は踏み固められていて意外と歩きやすい。だけどこの大山の上部は礫

岩になのだろうか?乾いているととにかく滑りやすい。やっぱり登山靴を買い替えてい

て良かった。











天狗ケ峰からは北東にユートピア避難小屋に尾根が続いている。この間も、歩いている

人は確かにいるけれど、出来たら歩かない方がいいとエントツ山さん。それを聞いて残

念がるあっちゃん。昨年ユートピア避難小屋の上まで歩いているので歩いて線を繋ぎた

いらしい。











天狗ケ峰までは南側に草木が生えていたが、天狗ケ峰からは今度は北側に草木が生えて

いる。出来るだけ右によって歩いて行くが、二カ所ほど南側の崩れた斜面が削れてオー

バーハングになっていてヒヤッとする箇所がある。










剣ケ峰が近づいてくると稜線から少し北側下をトラバースする。ダイセンキャラボクの

生える少し歩きにくい道になる。するとエントツ山さんが『アカリプタさん、サンカヨ

ウ見に行く?』と言いながら登山道から少し外れて行く。案内された場所には山肌に白

い小さな花が一面に咲いていた。初めて見るサンカヨウ。雨で濡れると透明になると説

明を受けるが、また一度透明の花を見てみたい。














登山道まで戻ると道の脇には小さな花たち。冷たい風の吹く中で健気に花を咲かせている。

低木に囲まれた場所には、この稜線には不釣り合いな濃い紫のノビネチドリが咲いていた。














剣ケ峰大山の最高峰。ただ山肌を見ると礫岩が積みあがっている様子がよく分かる。毎

年、雪解けとともに少しづつ崩れているそうだが、あと何十年後かにこの山頂は残ってい

るのだろうか?昨年はほとんど景色が見られなかったこの山頂も、今日は絶景が広がって

いる。南には一から二・三と沢が並び、北には弓ヶ浜の弓なりの形がよく見える。













弥山に続く稜線も夏場はとても危険だという。冬場なら何とか歩けるとエントツ山さん

教えてくれて、ここでも残念がるあっちゃん。『あなたどれだけ線を繋ぐのが好きなの!』

エントツ山さんとツーショットは出会って20年になるけれど、初めてかもしれない!











山頂には先ほど槍ケ峰の下を登っているのが見えたご夫婦がいた。ヘルメットを被ってザ

イルでアンザイレンをとっていた。『お二人愛し合っているんですね!』とあっちゃん

すると『ハイ!』と奥様から明るい返事が返ってきた。

『そしたら私たちも』とあっちゃんが言うので『イヤです』と即答する私。

それではルリちゃんの待つ三ケ峰へ戻って行きましょう。








相変わらず今にも崩れそうで危うげな場所も、登って来た時にドキドキしたのに比べる

と全然平気になっていた。右と左の平衡感覚の違いなのか、二回目通るせいなのかは分

らない。










首を長くして待っているルリちゃんが気になり気がせくが、油断大敵とにかく足を滑ら

せないように下って行く。







三ケ峰に到着後、ここでお昼ご飯にする。朝つるやで買ったカツ入りのおむすびを食べ

る。カツサンドのおにぎり版といったところだが、他にも珍しいおかずパンやお弁当の

種類もたくさんあって、大山に来る時の立ち寄りポイントになった。

ご飯を食べている途中でもアカリプタさんは写真撮影に夢中だ。身軽なアカリプタさん

は、歩行中もずっと片手にカメラを持って歩いていた。













お昼ご飯を食べたら下山開始。先ずは槍ケ峰へと下って行くと、先ほどのご夫婦がアンザ

レンで降りて来ている。その姿を見て私の顔を見るあっちゃんに『大丈夫、私はロープを

切りますから!』と言う。














槍ケ峰に基部を回り込んで下り、少し下の分岐からキリン峠へと歩いて行く。去年は三ノ

のピストンだったので、初めて歩く道だ。烏ケ山を見下ろしながら急坂を下って行く。

心配性のルリちゃんも、草木が生えていれば大丈夫の様だ。こちらも片側が火山灰のよ

うな色をした今にも崩れそうな斜面になっている。














急坂の途中からはまた山肌をピンクの色が染めている。往路ではまだ昨日の雨で濡れた

イワカガミが生き生きとしていたが、この時間になると随分と乾いている。























どれくらい下っただろうか?写真では見たことのあるステンレスのポールの立つキリン

に着いた。土曜日にエントツ山さん鳥越峠からここまで登ってきたが、その途中の

ザレた斜面というか崖の場所がヤバイそうだ。それはどの辺りだろうとアカリプタさん

とあっちゃんが確認している。




















今日はここから登り返すのもしんどいので、このまま南に延びる支尾根を下ることにす

る。来る前にチェックしたchikakoさんが下ったルートで、エントツ山さんも初めてだそ

うだ。













しばらくの間は灌木の中歩きにくいが、歩いている人も多いのか踏み跡はしっかりして

いる。灌木の最後は長いロープ場になって一旦涸れ沢に下りる。けっこう長いロープだ

ったが、最後まだザレて滑りやすい場所があるので、もう少し長ければいいのにと贅沢

を言うメンバーたち。







沢を横断して向かいの尾根に乗り換える。この辺りはイワカガミと一緒に独特な色合い

のたくさんのオダマキが、手を広げてみんなでダンスを踊っていた。











キリン峠からの緑と灰色の支尾根はこの辺りまで。ここから先は樹林帯の中の道になる。








樹林帯の中も所々で肥えた黒い土の斜面が濡れて滑りやすくなっている。ただ踏み跡は

しっかり付いているので迷うことはない。








明るい稜線から緑の中を15分ほど下っただろうか、地形図にも載っている文殊越に着

いた。ここから北東に折れるとエントツ山さんが土曜日に歩いた鳥越峠への登山道とな

る。そして下りの道もYAMAPのコース図にもしっかりと登山道が載っている。




最初は苔の付いた岩がゴロゴロ転がる歩きにくい道だったが、しだいにしっかりとした

登山道になる。この間は手つかずの自然が残っていて、周りの草木も四国に比べると、

とにかく造作がデカイ!



















文殊越からはほぼコースタイム通りに車を停めた駐車場から少し下手の、大山環状道路

に飛び出した。














エントツ山さんとアカリプタさんは今晩はテント泊をして、あす一ノ沢を上り詰めるそう

だ。『来年は三人で登ってみたら!』お勧めされた。駐車場でお二人と別れた後、鍵掛峠

で歩いてきた稜線を振り返る。そして朝は雲がかかって見えなかった、御机の茅葺小屋

にも立ち寄ってみる。

今の季節は牧歌的なこの風景も、冬には一転真っ白な雪景色で厳しい環境になるのだろ

う。そんな厳しい季節の繰り返しで大山の自然は豊かに今も残っているのかもしれない。

次訪れるのは夏のお花畑になるのだろう。見る場所によっても全く違う顔を見せてくれ

大山。また来るからねと帰路につく。



















『お菓子売りのてくてく』さんに会いに南嶺へ!

2024年05月30日 | 四国の山

日頃から山歩きの行先を考えるのに、YAMAPを利用している方はかなりの数になる

のではないだろうか。フォローしている人の活動日記は次々とアップされていくし、そ

れでもまだ行く先が定まらなければ、地域や季節を絞って検索もできて、とにかく便利

だ。そんな中で5月の連休が終わっての週末にアップされた活動日記の写真に目が留ま

った。それは山頂からの雄大な景色でもなく、貴重な花の写真でもなく、一人の女性が

背負子を背負った写真だった。ヤーメンさんとソーヤさんがアップした写真の女性は、

実店舗は持たずに手作りお菓子を行商で売り歩いている『お菓子売りのてくてく』さん。

背負子に付けたケースの中には動物や山の形をした色々なお菓子がぶら下がっていた。

さっそく奥様たちにその写真を送ったら、『まぁなんて素敵な笑顔の女性なの!』と

っちゃん
から返信があった。『是非会ってみたいわね!』とも。

ただ『てくてく』さん、普段は街中で週末に山に行商に出かけているようなので、週

末はなかなか休みが取れない私は、会いに行く機会がないかと思っていたら、なんと

今週は水曜日に鷲尾山に出かけますとYAMAPにアップされていた。

これを見逃す手はないと奥様たちにメッセージを送ると、もちろん即OK。ルリちゃ

はWOC登山部で一緒に歩いたことのある南嶺だけれど、あっちゃんは初めて。筆山

から歩けば、4座ゲットできるので、それも楽しみだと返事が来た。


集合場所の豊浜から筆山の駐車場まではGoogleMapでは1時間となっていたが、てく

てくさん
のスタート時間が8時30分となっていたので、市内は通勤ラッシュの時間帯。

少し早めに待ち合わせをして高知市内へ向かうと、予想通り高速を降りると車は渋滞

していて、果たして間に合うかな?と思いながら筆山へと向かって行く。

筆山第二駐車場にギリギリに到着したが、てくてくさんはまだの様子。近くの東屋の下

には、登山着姿の男女がいた。『あの方たちも多分てくてくさん待ちかな?』と言いな

がら身支度をしていると一台の車が着いて、車からはてくてくさんが降りてきた。

さっそくてくてくさんを前に事情聴取をする奥様たち。







すると先ほどの東屋の男女も含めて、次々とお菓子を買い求める人が現れた。SNSを

見た人は、山には登らずわざわざお菓子を買うためだけに来ていたりする。私たちもさ

っそく美味しそうなクッキーを買い求めた。







駐車場から色づき始めたアジサイを眺めながら、登山口へと向かう。皿ケ峰・鷲尾山

登山口は墓地の中への道。道の両脇に建つ墓石の中を歩いて行く。












しばらくすると南側の景色が開けてきた。浦戸湾と宇津野山から続く稜線。少し違った

場所からは、東に五台山が見えた。













墓地の中の道は昨日かなり強く降った雨の影響か、場所によっては水が道の上を流れて

いる。墓地を抜けると皿ケ峰山頂への道とトラバース道との分岐。右側の道を進むと

ケ峰
山頂に続く道だったが、気づかずにトラバース道を進んで行く。

皿ケ峰山頂を回り込んだあたりから景色が良くなり、このコースで有名なライオン岩

見えた。するとそのライオン岩の周りで何やら撮影をしている人たちの姿があった。

通り過ぎる際に『何の撮影ですか?』と聞くと、『テレビのCM様です!』との事。おそ

らく地元の会社のCM用の撮影なんだろうな?と思いながら横を通って下って行く。

前回も思ったけれどこのライオン岩。どう見たらライオンに見えるのだろう?













ライオン岩を過ぎるとまた道の両側に墓石が現れる。真っ赤に錆びついた道標を過ぎる

と今度は半分炭になった道標。この辺り一帯は山火事あった場所で前回秋に来た時はそ

の雰囲気を見ることができたけれど、今日は草木が伸び放題で周りの景色は様変わりし

ていた。













山火事のあと高木がまだ育っていない鞍部辺りは日差しが届いていたが、そこから先は

森の中の道。気温は上がってきているが湿度が低いせいか日陰になった途端涼しくなっ

てきた。朝一番で鷲尾山に登っていた人たちだろうか、何組かの人たちとすれ違う。














道は緩やかな登り坂から短い距離だが急登になると目の前に見覚えのある建物が見えた。

中・高一貫校の土佐塾の『大志寮』だ。この建物は高知市内からも山中にあってけっこ

う目に付く建物だ。いったんその土佐塾への舗装路を横断して大志寮に向かって階段を

登って行く。寮の脇を通りさらに歩いて行くと貯水池のようなコンクリート壁に苔が生

えて、色々と落書きがしてあった。その中で『助けて!』と書いてある落書きを見なが

ら、奥様たちと『寮生が逃げ出せずにいるのかしら?』と。













落書きのコンクリート壁の先からは一旦下り坂になる。鞍部まで降りると四差路になっ

ていて深谷・吉野と書かれた東西の道は街中に続いているようだ。この南嶺は高松市で

云えばさしずめ峰山みたいで、市内から色々な道があってアプローチできるようになっ

ている『市民の憩いの里山』だ。













四差路を過ぎると鷲尾山への最後の登りになる。坂の途中で二股になった場所では丁寧

な案内板。当然楽そうな右の道を登って行く。しかしそう思って選んだ右の登坂もけっ

こう急な坂。九十九折れの道が続いていく。










尾根を右に左に巻きながら続いている道。要所要所にはしっかりとした道標が建ってい

る。すると高木の下の木陰にベンチとテーブルが並んだ場所があり、その横を通って一

段登るといっぺんに眺望が広がり鷲尾山に着いた。












山頂ではすでに到着していたてくてくさんが、何人かの人たちと談笑していた。その様

子を見ながら声をかけると、『けっこう売れたんですよ!』と満面の笑み!

私はと云えば今日はその笑顔を撮りにわざわざ香川からきたので、ストーカーもどきで

写真を撮りまくり。














奥様たちとのやり取りを眺めながら写真を撮っていると、サングラスを掛けた男性から

『KAZASHIさん?』と声をかけられた。『ハイ!』と答えると『ヤーメンです』と。

今回てくてくさんに会いに来た大元の情報源のヤーメンさんだった。『今日は平日だから

ヤーメンさんとソーヤさんは来られないだろうと思っていました』と言うと、『実は転職

して6月からの勤務になって、5月いっぱいは有休消化で仕事をしていないんです』と仰

った。ヤーメンさんの活動日記には山だけでなく、沢に入ってアメゴを釣り、その釣った

アメゴを山頂で食べている写真が時々アップされている。なかなか高尚な趣味をもってい

て普段からうらやましく思っていた。リタイヤしたら習おうかな?

そのヤーメンさんに顔ハメパネル持ってもらって、てくてくさんと一緒に写真を撮る。

この顔出しパネルとわしお山とくりぬかれたパネルは、筆山から一緒になった三人組

の内の男性が作ったそうだ。





今日は昨日の雨のお陰でかなり遠くまで見渡せる。案内板の近くにいた白髭の男性が

『今日は室戸岬も足摺岬も珍しく見えている』と教えてくれる。

やはり昨日の高知でもけっこう雨が降ったので、鏡川や国分川から流れ出た泥水が、

湾をでて太平洋の沖の方まで海の色を変えている。



浦戸湾の奥に室戸岬


宇佐湾の先に足摺岬




てくてくさんと別れた後、一段下のベンチのある木陰でお昼ご飯。同じようにベンチに

腰掛け食事をしている女性が二人。一人は40代の方、もう一人は70歳を過ぎた方。

奥様たちはその女性たちといろいろ井戸端会議。今日お昼ごはんにあっちゃんが持って

きた素麺の話で盛り上がったかと思えば、年配の女性が阿讃縦走の話を始めたりと賑や

かだ。その横で私は独り黙々とぶっかけうどんを口に入れる。

するとその先輩女性が『今まで登った山で一番良かった山はどこですか?』と聞いてき

た。『自分にとって一番の山はどこだろう?』と思い頭の中を巡らせていると、直ぐに

その女性が『私はトムラウシ山よ!』言ったので、思考を中断。『山一面お花畑が凄か

ったの・・・・』と。是非ぜひ行ってみてと。トムラウシ山と云えば、ツアーガイドが

いたにもかかわらず8名が低体温症で亡くなった遭難事故のイメージしかなく、お花畑

と繋がらない。まあでも一度は雄大な大雪山系の山を歩いてみたい。

お話はまだまだ続きそうなので、ベンチから腰を上げて挨拶をして宇津野山へとまずは

登ってきた道を引き返す。

支尾根の途中から有刺鉄線に囲われ、入り口だけが取り除かれている場所から宇津野山

へと向かって行く。多少のアップダウンはあるが基本下り気味の道。











途中からは鉄塔巡視路となり、宇津野山の手前で鉄塔広場に出た。














鉄塔広場を過ぎればまもなく宇津野山山頂に着いた、周りは木々に囲われて見晴らしはな

い。三等三角点 西孕 256.33m

山頂からは来た道を折り返し途中の分岐から支尾根を外れて下って行く。山頂もそうだ

がこの間ほとんど眺望はないが、一カ所だけ道の北側が開けた場所があり、木々の間か

ら土佐塾の校舎が見えた。

















支尾根から外れた道はしばらくして往路に歩いた道に出た。鞍部まで下り登り返すと土

佐塾の大志寮。寮の脇を抜け舗装路に出ると下から土佐塾の真っ赤なバスが何台も上が

ってきた。













舗装路から森の中を下って行くと皿ケ峰との鞍部になる。ここからは高木もなく容赦な

くお日様が照り付ける。ライオン岩まで登り、その先の分岐から皿ケ峰山頂への急登が

始まる。登坂も下り坂も着地した左足に重心がかかるとやはり左膝が痛む。出来るだけ

体重が載らないように登って行く。























皿ケ峰山頂は電波塔と平らになった中心にはシンボルツリー。開けた北側を見ると工石

からの稜線が東西に続いている。ここで今日三つ目の山頂ポイントゲット。残るは

だ。












皿ケ峰山頂から急坂を下り墓地公園の中の道。車を停めた駐車場の上側から筆山へ取り付

く。そして最後の登りそして階段が始まる。何とかその階段を登り切り今日最後の山頂、

そして二つ目の三角点 三等三角点 真如寺山 118.28m

山頂にある展望台からは木々に遮られて、高知城の城壁が何とか見える程度だった。

プラタナスの大木の木陰に入ると爽やかな風が吹き抜ける。新緑の葉の間から、遠慮気

味に木漏れ日がさしている。














SNSに上がったてくてくさんの写真を送って直ぐに、ぜひ会ってみたいとあっちゃん

から返事があったが、こんなにも早くお会いできるとは思わなかった。

『山歩きも好きなんです』と言った彼女の笑顔は、まだ爽やかな風の吹く山にあって、

それ以上の爽やかな笑顔も見せてくれて、大満足の一日だった。

てくてくさんは香川の里山にも出かけたいといったので、飯野山を勧めておいた。興味

のある方は、インスタと、YAMAPをチェックしてお菓子を買いに笑顔に会いに行っ

て見てはどうだろうか。

instagram
【お菓子売りのてくてく 四国店】

【alku】

YAMAP
【お菓子売りのてくてく 四国店】




奈路ってなん奈路(だろう)?・八反奈路!

2024年05月23日 | 四国の山


先週、船窪のオンツツジ公園の駐車場で、下山後に車に乗り込んだ途端に太腿の表と裏

が攣って悶絶した話を、通いの接骨院で『太腿が攣った』と話をしたら、『太腿の表・裏

どっち?』と聞かれたので『両方!』と答えたら、『それはそれは痛かったやろ』と仰っ

た。両方がいっぺんに攣るのは珍しいそうで、しかも太腿は普通でも痛いらしい。

原因は分からないが膝の影響も少なからずあるかもしれない。もうあの痛みは経験した

くないな~と思いながら、『さて今週はどこを歩こうか?』と考え、YAMAPを探索。

周りの活動日記を見ているとどうやらどこも今年は花付きがあまり良くない様子。そろ

そろシロヤシオでも、と思っていたが、シロヤシオは特に不作のようだった。

それならお花は諦めてブナの新緑でもと思い、久しぶりに八反奈路に出かけることにし

た。八反奈路はもちろんヒノキで有名な場所だが、途中のブナの林も見ごたえがある。

前回は二日酔いでヘロヘロだったが、今回は膝。なんだか毎回不安要素を抱えての登山

となる八反奈路だった。


大豊ICを降り本山町に入り、モンベルアウトドアヴィレッジの横を通って、県道から

北に栗ノ木川に沿って車を走らせる。途中には『本山一揆殉難之碑』が建っていたが、

このあと登山口から続く『滝山』と書かれた道標が山なのか場所なのか意味が分からな

かったが、本山一揆は滝山一揆とも呼ばれていて、その一揆の舞台となったのがどうや

ら滝山という山ではなく場所のことのようだった。

殉難之碑を過ぎ三差路を左に折れてさらに登って行くと、最終民家の上に路肩が広くな

った場所がある。前回は四輪駆動の車だったのでさらに登山口まで、未舗装の道を走っ

て行ったが、今日は無難に路肩に停めさせてもらった。

毎週金曜日にはなんとここまでコミュティーバスが来るようだ。








舗装路から斜め上に続く未舗装の道を登って行くと草刈り機の音が鳴り響いてきた。歩

いて行くと何人かの人が道の脇の草刈り作業をしていたので、軽く挨拶をして通り過ぎ

る。







未舗装の道は突き当りになりその先に高い位置から流れ落ちる滝を見渡せる。案内板に

『幣木ケ滝』と書かれているが、GoogleMapには『滝山大樽の滝』となっている?








広場の脇の取り付きには『滝山一揆(岩屋)』『高石吉之助の墓』と書かれた立派な道標。

その次は『滝山』と書かれた道標が続いていく。この時点で滝山はこの場所の南側にあ

るピークだと思っていたが、そのピークは『きびす山』で、滝山ではない事があとから

分かった。







道は滝の上部へと回り込みながら急登が続いていく。いつものことだが奥様たちのお尻

を見ながら『なんだ坂、こんな坂』と口ずさんでみても、機関車が登坂を力強く登って

行くイメージからは程遠く、煙突から勢いよく出る煙の代わりに、『ハア~ハア~』と上が

った息が出ていく。











先週の太腿が攣った要因を少しでもなくそうと、コンディショニングタイツを新調した。

着圧効果で疲労の軽減につながるというタイツだが、半月板損傷でガタついていた膝も、

締め付けられてガタつきがなくなりいい感じだ。ただしウエスト部分がポッコリ下腹の

下で折れてしまって、お尻が半ケツ状態。腰への効果は期待できそうにない。(笑)








20分ほど急登を登り続けただろうか『中段の滝』の案内板を見て、『ふ~う』とため

息一つ。道はまだまだ楽をさせてくれない。










すると『楽々コース』の道標。しめしめと思いながら楽々コースへと歩いて行くルリち

ゃん
の後ろをついて行く。あっちゃんといえばロープがかかっている反対の斜面を見逃

すはずがなくひとり登って行く。すると楽々コースはほんの一瞬でローブ場の上に出た。

『なんじゃ~』・・・・・。







正面に大岩壁が現れる。この岩を下から斜めに上り詰めると、やっと道は緩やかになっ

てきた。











滝へと流れる沢沿いの道になり、さっきまでの急登でたっぷりと搔いた汗が、その沢の

水の冷気で幾分が冷やされ涼しく感じる。沢の手前で『墓』と書かれた案内板の先で

沢を渡ると『左馬之助の妻の墓』と書かれた真新しい墓標が立っていた。

ここまでずっとそうだが、『一揆(岩屋)』『墓』と書かれた案内板が立っていたけれど、

せめて登山口に説明版でもあれば別だが何のことかさっぱり分からない。

左馬之助とは高石 左馬之助の事で、滝山一揆の中心人物。その人物像はは土佐藩側と

馬之助側では全く異なるが、史実としては「鳥でないと登れない」「木こりさえも通わな

い」といわれた「滝山」の山上に砦を築き、地の利を知り尽くした戦いとなったとある。

土佐藩側は予想以上の犠牲者をだした戦いだったが、45日間の戦いのあと左馬之助

最終的に滝山を去ることを決断した。その際に怪我をしていた妻『ぬい』は、足手まと

いになるからと、敵方に殺されるよりは夫の手で殺してほしいと懇願し、この地で

馬之助
が泣く泣く首をはねたとされている。その後左馬之助は子供たちを連れ、現在の

四国中央市に逃げ延びたという。

そんな歴史が全く分からずただただ『???』と佇む奥様たち。











その妻の小さな石祠の前には朽ち果てた建物の跡と横には五右衛門風呂が転がっていて、

生活していたような痕跡があるが『木こりさえ通わぬ』というこんな場所で、だれが?




墓からもしばらく沢沿いの道が続いていく。スズタケの色が濃くなってくると、沢を流れ

る水は極端に少なくなり、登って行くと作業道に出た。











その後二度ほど作業道を横断すると目線の先の杉林の中に尾根が見えた。あの尾根まで

登れば、あとは比較的緩やかな尾根道となる。そう言い聞かせながら登って行く。











白髪山から南に延びる尾根に出た。ここで行動食を口に入れ水分を補給する。次のピーク

へ一度だけ急登になるが、あとはピークを巻いて行く道で少しづつ緩やかになって行く。














すると少し前であっちゃんが屈みこんで何やら写真を撮っている。『何かいるんですか?』

と尋ねると、黙って指さしている。指さす場所には杉の枯れ葉の上に落ち葉が何枚か落ち

ているように見えた。『???』。ただよ~~く見ると落ち葉と同色のカエルがいた。

見つかっていないと思っているのか、それとも『早くあっちに行け』と思っているのか、

じっとして全く動かない。











背より高いスズタケの道を抜けると、八反奈路と白髪山への分岐。ここから八反奈路へと

下って行くと、すぐにブナの森の中になる。目の前が一瞬緑の霧がかかったような一面

の新緑が目に飛び込んでくる。広々とした緩やかな斜面に立つブナの木。

ブナは「森のダム」とも言われ、ため込んだ雨水を徐々に放出をして森に潤いを与えると

云われているが、まさにその通りこの森はとても生き生きとしている。






















そしてブナの森の先には今度はコケの日本庭園だ。徳島の山犬嶽は割と狭い場所にコケ

岩が密集しているが、この場所はやはり緩やかな斜面一面にコケ岩が広がっている。

そのコケ岩の数だけで云うと、山犬嶽の比ではないかもしれない。コケ岩の上に落ちて

いる枝をきれいに掃除すれば、足立美術館にも負けない庭園美術館になれる?



















タコの足のような太い根を覆いつくしているコケ。この木が枯れ木なのでここまでコケが

付くのだろうか?地表を這うように広がっているコケの根は迫力がある。

道は少し不明瞭になっいていくが、テープを見つけながら更に奥へと歩いて行く。














すると見覚えのある大きな根下りヒノキが見えた。倒木の上に芽吹いた樹が倒木を覆うよう

に根を張り、やがて倒木が風化してなくなることで、根下がりヒノキになる。

近づいて行くと根の立ち上がりは人が立って入れるくらいの高さだ。

ロープが張られた中には『四天王』と書かれた銘板があり、四本のそれぞれ違う形のヒ

ノキが立っていた。














四天王からも西に向かって踏み跡が続いている。足元が悪い場所は木道になっているよ

うだが、ずいぶんと手を入れられていないのだろう、木道自体も朽ちかけている。







銘板にはキャッチコピーが書かれているが、その内容が??『どういう事』って思うも

のばかり。











ただどれもが個性的で、なかには首を傾げたくなるほど複雑な形状をした根下がりヒノキ

がある。このヒノキは男女が社交ダンスを踊っているようにも見える。










『なぜ曲がったか?』と書いてあるが、その答えがどこにも書いていない。おそらく工

石山の『根曲がり杉』と同じように、幼木の時に強風で曲がってしまいそのまま成長し

てしまったのかな?それよりもこの曲がった状態で、これだけの巨木が倒れないのかが

不思議で仕方ない。

















『竜のおっちゃん』と書かれたこれも傾いたヒノキ。『なぜ竜なの?』『なぜおっちゃん

なの?』と巨木の前で頭をひねるが答えが見つからない。唯一幹の途中の膨らみと折れ

た枝の場所が竜に見えないことはないかと、三人で取りあえず納得をする。










『竜のおっちゃん』の前に枯木を横にしたベンチ?が並んでいた。そのベンチに腰かけ

おっちゃんを見ながらお昼ご飯にする。奥様たち二人の話声以上に大きく鳥の鳴く声が

鳴り響いている。











お昼ご飯を食べ終えた後、奥様たちは白髪山へと登って行った。私はやはり膝の具合を

考えて、奥様たちはアタック隊。私はその後方支援といえば聞こえはいいが、前回の

人の森
と同じように、この八反奈路でもしばらくまたカメラの練習をすることにした。














八反奈路は山中にありながら平坦な地形をしていて、木材の搬出に適さないため、白髪山

の檜を販売することで、莫大な利益を上げていた土佐藩も八反奈路のヒノキを伐採するこ

ことができず現在に至り、そのため、八反奈路に自生するヒノキの巨木の樹齢は500〜

600程になる。高知では平坦で緩やかなことを『なろい』といい、そこからここの八反奈

の名がついたようだ。

独りだけになった森は鳥の鳴く声だけが聞こえてくる。カメラをタイマーにセットして、

根下がりヒノキの反対側まで走る。10秒間のタイマーではなかなか間に合わず、何度も

繰り返す。














今度は違う場所でシャッタースピードの設定を変えて撮ってみる。これもタイミングが

合わず、またスピードの設定が難しく何度も繰り返す。

住宅の室内の写真ではよくある写真の手法だが、初めてにしてはこんなもんかな?

樹齢500年から600年の木々の足元で、60年そこそこの若造が、何をウロチョロ

してるんだろうと思われているかな?











結局ウロウロしているうちにコケ床を踏み抜いたり、転びそうになったりで膝の調子が

悪くなってきた。帰りの道でも急坂の下りが待ち受けている。ひどくならない内に森の

撮影会は終了することにした。











八反奈路から白髪山からの尾根に一旦登りそのまま尾根を南に下る。杉林のトラバス―ス

道を過ぎ、尾根から外れ下って行くと沢沿いの道になる。














途中には左馬之助の弟の墓がある。弟の高石吉之助は兄とその子供たちと一緒に滝山から

離れる途中で、もともと負傷をしていてこの場所で息絶えたそうだ。逃げ延びた左馬之助

の墓だけは、この山中にはない。







それにしてもここの滝の案内板はそれぞれで名前が違っていてよくわからない。『中段の

滝』
が近くまで行くと『二段の滝』になっていたり、下では『幣ケ木滝』と書かれてい

るのが『康積保真天の滝』となっていたりと、四段に分かれるそれぞれでも名前が違っ

ていて紛らわしい。














左馬之助や農民たちが立てこもったという『岩屋』にこそ寄らなかったが(史実を事前に

知っていれば立ち寄っただろう)、滝のそれぞれの滝壺まで寄り道しながら、下の滝の見

える広場までもどった。










広場から林道を道の脇の草花を眺めながら車を停めた場所まで戻る。靴を履き替え、窮

屈なタイツを脱いで着替えているうちに、思っていたより早く奥様たちが降りてきた。

白髪山までの登りのコースタイムが45分のところを1時間かかったそうだ。八反奈路

の分岐までも今日はコースタイム以上かかっていた。











車に乗り込み汗をたっぷり掻いた身体のクールダウンに、モンベルに立ち寄ってアイス

クリームを食べる。

再訪した八反奈路は前回同様、四国なかでもその特異で豊かなな自然と、木々が過ごし

てきた時間軸の長さを改めて感じることができた楽しい一日となった。


短い距離だけれど以外とタフだった五条山

2024年05月16日 | 四国の山

今週はお花見シリーズで『船窪のオンツツジ』高越山を計画。奥様たちにも連絡して、

あとは天気次第と思っていたら、あっちゃんから『予定が入っていたのを忘れてました

!』と連絡が入った。

しばらくするとWOC登山部のFBにセニョさんが、『船窪のオンツツジと奥野々山から

五条山まで歩きます!』と計画が上がった。高越山は以前にも登ったことがあるので、

どうせならセニョさんの計画の山は初めて知った山で、当然YAMAPの山頂ポイント

数も増えると思って、ルリちゃんに『高越山ではなく南側の山になるけどいいですか?

』と案内すると、問題なしの返事が返ってきた。

その後またしばらくして今度はルリちゃんから『YAMAPで調べてみると結構岩やロ

ープがあるようなので、まだ肘の調子が悪いのでキャンセルします!』と連絡が入った。

結局セニョさんと二人での山行となった。セニョさん相手だと何時ものようにスタート

時間を気にすることはない。せっかくなのでオンツツジを眺めながらのお昼ご飯にした

いので8時に船窪の駐車場に集合で連絡をした。





船窪までの道はかなりクネクネした道。先週、岳人の森までの道で車酔いしたあっちゃ

んは、この道は100%酔ってしまうだろうな~と思いながらカーブで右に左にハンド

ルを切る。時間が割と早いのでこのまま公園まで車に乗って行って、観光客いないうち

に一眼レフで写真を撮ってみようかなと考えて、1kmほど手前にある駐車場まで来る

とやはりすでにセニョさんは到着していて身支度をしているところだった。

軽く挨拶をして奥様たちは今日は来れないと説明。YAMAPでルートの確認をして駐

車場の奥から続いている林道へと歩いて行く。

道は大丈夫かなと思うくらいどんどん下っている。途中一カ所分岐になった場所でセニ

ョさんが、『どっちだろう?』と言ったけれど、YAMAPをどう見間違ったのか、その

ままコンクリート道を下って行ってしまう。700mほど下ったところで植栽地で見晴

らしの良い場所になり、もう一度YAMAPを見てみると、ダウンロードしたトラック

から違う道を歩いているのに気が付いた。『すみませんセニョさん、さっきの分岐で間違

ったみたいです』と声をかけて引き返す。植栽地越しには吉野川と山川町の街並みが見えた。










分岐まで戻りルート復帰。道のコンクリートはすぐに途切れて石が転がる地道になる。

分岐からは10分ほどで林道が四差路になった場所に出た。三方向にに林道が続いて

いるが、尾根はちょうど切通になった真ん中になる。










切通の反対側も植林地になっていて、西側の眺望が開けている。この辺りから山々を眺

めることはなかなかないので、山座を同定するのは難しい。











切通からはいきなり杉林の中の急登が始まる。セニョさんが見慣れないストックを突い

ている。『最近になってストックがあると楽なのに気が付いた!』と。ちょっと遅くな

いですか?(笑)











急登を登りながらセニョさんが、先週小豆島で山の中と、山からの下山後も悪戦苦闘し

た話を聞かせてくれる。山でのオカルトかかった話と下山後のいかにもセニョさんらし

い話に思わず笑ってしまう。歩き始めは少し詰まった感じがしていた左膝も、身体が温

まってきたからか、あまり気にならなくなってきた。急登を登りきると歩きやすい尾

根道に変わる。










快適道が終わると露岩が現れ、そのうちに杉林から岩の痩せ尾根になってくると、ブナの

木が目立ち始める。











痩せ尾根を過ぎると岩場にロープがかかっていた。湿気を含んだ岩や木の根は登山靴の

グリップが効かずに滑りやすい。それ以上にソールのすり減り具合からか、驚異的なグ

リップ力がうたい文句のモンベルのトレールグリッパーも、もうそろそろ限界なのかも

しれない。










ロープのかかった岩場を登りきると奥野々山山頂に着いた。山頂標は高松軽登山の錆び

た鉄板の標識と白い山名杭が木の根に置かれているだけだった。

そして山頂のすぐ南側には朽ち果てた奥野々神社があった。屋根は落ち壁のトタンも剥

がれかけ鉄骨もむき出しになっている。こんな山中に鉄骨造りの社殿ということは、当

時は随分と立派な神社だったような気がする。

awa-otokoさんのブログによると、この奥野々山の南側にある母衣暮露滝は昔から修験道

場として行者の出入りが盛んであった場所で、この滝で垢取りを行いこの奥野々神社に

参拝したのではないかと書かれている。奥野々神社は奥野々大権現とも呼ばれ、高越大

権現
と表裏一体だったのではということだ。










奥野々山からはまたブナの林、そして下り坂が続いていく。緩やかな坂と急な下り坂が

繰り返し続いていく。














尾根の左側が杉の人工林、右側は新緑の自然林。鞍部まで来るとまた一段と新緑の明る

い緑が目に飛び込んでくる。














そしてまた朝見権現までの登坂が始まる。登りも下りも距離は長くはないが、なかなか

足に堪えてくる。すると尾根の右側が伐採地になりこの間で一番景色の広がる場所

になる。伐採地の頂部からは北にちょうど満開の船窪のオンツツジのオレンジ色が、

尾根を染めているのが見える。『ここからはっきりと色が分かるということは満開です

ね!』とセニョさんと話をする。














そして麓に目を移すと穴吹川が曲線を描いているのが見えた。穴吹の宮内の集落辺りだ

ろうか?





伐採地からまた急登を登り左手のアセビの木の間をかき分け進むと、朝見権現はそのア

セビの木に囲われた狭い場所にあった。三等三角点 薊権現 1138.57m











朝見権現からは一旦アセビの木の外に出て西側に回り込んで五条山へと向かう。ここか

らはセニョさんも初めての道。岩場に急坂そして痩せ尾根と朝見権現までの道に比べる

と、随分とワイルドな道になってきた。











この辺りからピンクのテープが目立ち始めるが、どこの山でもそうだがピンクのテープ

はあてにならない。それよりもやはりYAMAPのGPS。間違いがないか確認しなが

ら下って行く。『次の山頂を目指しているはずなのに下りとは?』とセニョさん。

尾根の岩を巻く場所では、足元が悪すぎるのに、掴んだ木がことごとく枯れていてこれ

もあてにならない。セニョさんは尻セード。私は久しぶりに尻もちをついた。














1050mの等高線上で展望岩に出た。地形図を見てみると少し下に見えるピークのも

うひとつ先のピークがどうやら五条山の様だ。南西には雲に隠れた剣山から続く稜線が

眺められる。ここから先は岩壁で進めない。










一旦戻ってまた西側を巻いて行く。この辺りからも穴吹川に沿った宮内の集落が見えた。











五条山は朝見山よりさらに狭い山頂らしからぬ山頂だった。時間は10時前、スタート

からおおよそ2時間。

奥野々山から朝見権現までが700mで25分、朝見権現がら五条山までが600mで

40分かかっていた。それでも折り返しで2時間と考えれば、計画通りちょうどお昼は

オンツツジを見ながらになりそうだ。








折り返しの朝見権現へはこんなに下ったかな思えるほどの急登。『あっ、そういえばここ

で尻もちついたんだ~』










それほどの高さでなければ、下るときは意識をしないのであまり記憶に残らないので、

『こんな岩下ったかな?』と二人で言いながら登って行く。











朝見権現の手前まで来ると道は山頂を左に巻いて登るように続いている。するとセニョさ

んが『右にトラバースすれば山頂へ登らずに反対側へ抜けられるように思うのですが』と

仰る。確かに地形図を見ると等高線上に歩いて行けばいけそうな気がする。『じゃ~行っ

てみましょう』と返事をして、右に進んで行くと地元の屋島の冠ケ嶽の岩壁の下と同じ

ような雰囲気になってきた。冠ケ嶽もそうだが、安山岩の冷たい色の岩壁の足元は土溜

まりがあって人が歩けるだけのスペースがある。ただ冠ケ嶽と違うのは1mほどの幅の

土溜まりから下は切れおちた斜面になっていた。














見上げると安山岩の岩壁。朝見権現は岩稜の山頂だとわかる。一カ所だけ足元の幅がな

い場所で岩壁がせり出ていて、ヒヤッとする場面があったが何とか朝見権現の山頂の先

に出られたかに思えたが、そこから先は灌木が密集した斜面で進めそうにない。仕方が

ないのでまだ密集度がマシな山頂へと登って行く。『近道やと思ったのが間違いやった

ね、そのまま山頂へ登ったらよかったね』とセニョさん。まぁこれはこれで迫力のある

朝見権現の岩壁が見られたし、藪漕ぎもまた楽しい~!

灌木を掴み、灌木の根元に足を預けながら急斜面を登って行くと見覚えのある山頂に出

た。結局『急がば回らずに登れ!』だった。

















朝見権現からの尾根道では往路でも見かけたが、何本もの杉の木の根元の皮が削がれていた。

鹿の仕業だろうか?それにしても杉の木の皮が削がれているのは初めて見た。

伐採地から見える船窪まではまだまだ遠い。五条山では行動食を口に入れたが、けっこう

お腹が空いてきた。そのせいか登りのペースも随分と遅くなる。














奥野々山が近づいてくると、またブナの新緑が目に飛び込んでくる。まわりもそうだが、

新緑の季節ももうそろそろ終わりかな。そして奥野々神社の横のブナの大木は、往路で

は反対側になるので気づかなかったが、太い幹の裏半分がない反り返ったねじれた異形

のブナがあった。














登ってきたロープ場を今度は慎重に下って行く。そしてまた少し登りとこのルートは小

刻みにアップダウンが続いていく。








そして最後は林道までの急坂の下り。ここにきて地味に膝に痛みが出始めた。それでも今

日はセニョさんが下りはゆっくりと歩いてくれるので助かる。ちょっとした拍子にポキポ

キと膝から音がする。『膝のロッキング』という嫌な言葉が頭に浮かんでくる。膝のロッ

キングとは半月板の損傷などで、膝の関節内にある骨や軟骨の欠片や半月板組織などの浮

遊物が、関節の隙間に挟まった時に生じて、しばしば激しい痛みを伴い、歩くことが困難

になる現象をいう。このところ歩きながら気になるのはこのロッキング現象。注意のしよ

うもないだけれど、それだけは絶対に避けたい。











林道から船窪への尾根ではまた急登が始まった。やれやれと思いながらあと少しなので、

行動食も採らずに登って行くと完全にシャリバテ。前を歩くセニョさんとの距離がどん

どん離れていく。なんとか追いついて船窪の南側のピークに登りつく。














ここからは下り坂。するとセニョさんが『何か建物が見えると!』と、木の間を指さす。

少し歩いて行くと、セニョさんが建物の屋根と見間違えたのはオンツツジだった。











オンツツジ公園の展望台の前のベンチに腰掛けお昼ご飯にする。セニョさんがベンチの

上にザックを置いて、中身を探りながら『無いな~』と独り言。お腹の減った私がおに

ぎり弁当をかきこみ食べ終える頃には、ザックの中身を全部取り出したが、探し物は見

つからなかった。WOC登山部メンバーには周知の事、セニョさんあるあるなのだ。

ベンチから見える南側の山々。剣山は少し雲に隠れていた。








オンツツジは見ごろを迎えていた。観光客が公園内を歩いて写真に収めている。なかに

は樹齢400年、6m近い高さのもあるという。これだけの規模と大きさのオンツツジ

は他に類を見ないそうで、国指定天然記念物に指定されている。

















展望台からオンツツジを眺めた後、高越山への林道を歩いて行く。途中から塔ノ丸の尾

根へ取り付き、尾根を歩いて行くと程なく塔ノ丸山頂に着いた。

四等三角点 塔ノ丸 1143.22m 地形図には山名は掲載されていないが、YAMAP

ではルートなしの山頂でポイントになっている。










以前はキティちゃんのプレートはあったと思うとセニョさんが言っているが見当たらない。

山頂には石祠と三角点と目新しい山名札があった。










ここからセニョさんはさらに高越山まで歩くという。奥野々山からの下りでどうも膝の調

子が良くない。『今日は私はここまでで』と断りを入れて山頂で別れる。林道まで戻ると、

高越山からの帰りか、四人の女性たちが賑やかに前を歩いている。










公園まで戻りフェンスのゲートを開けて中に入る。もう以前に何度か見ているのに、近く

まで来ると改めてその大きさに驚かされる。














西から東の端まで園内を歩いてフェンスの外の車道に出て駐車場まで歩いて行く。道の

脇には新緑の中の春紅葉の色が際立っている。

駐車場について車に乗り込み座席に座り膝を曲げるとといきなり太ももの裏と表、ハム

ストリング筋と大腿四頭筋が攣り始めた。慌てて膝を伸ばしても更に痛みが増すばかり。

ドアを開け外に出て立ってみてもますます酷くなる。悶絶とはまさにこのことだろう。

太腿の筋肉は大きいだけにその痛みたるや・・・・。足を持ち上げたり歩いてみたりし

ても変わらず。逆に足首や指の関節まで攣り始めた。にっちもさっちもいかない時間が

どれくらい経っただろうか。少しづつ収まってきたので車に乗り込んでも、膝の曲げ伸

ばしで痛みがぶり返す。

それでも少し痛みを感じながら車を走らせる。『これが左足で良かった。右足が運転中

にでもなったらとんでもない事になっていた』と考えながら、奥野々トンネルの手前ま

で来ると、今度はアクセルを踏んでいる右足が攣り始めた。じっとしていたなら足の

動作を変えてみることもできるが、運転中はどうにもならない。痛いのを無理やりアク

セルを踏み、道が広くなった場所でブレーキを踏んで車を停めた。そして悶絶すること

数分。今日は気温もさほど高い中、それでも水分も割と採っていたのに原因が全く分か

らない。しかも両足が攣るなんて・・・・。

膝の不安とともにまたひとつ不安材料が増えてしまった。これからの暑い季節。体調管

理を十分に注意しなければならない。