KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

刻々変わる天気予報。晴れ間を狙って早春の花巡り

2023年03月22日 | 香川の里山


先週の天気予報では今週の水曜日は雨。では火曜日に出かけますかと奥様たちに

連絡するも、次第に火曜日の天気も怪しくなってきた。仕方がないので今週は

自主トレにしましょうと連絡して、多少天気が悪くてもいいように近場の里山

(さぬき市里山チャレンジ30座)の残りを独り歩きで消化しようと

考えていたら、今週に入って水曜日の午前中は晴れマークがついた。

自主トレも天気が良ければ春のスプリング・エフェメラルのユキワリイチゲを

見に行きたいと考えていたので、さっそく奥様たちに連絡すると即OKがでた。

春の妖精の春植物のユキワリイチゲは陽が当たらないと花が開かないので、

天気予報の晴れマークを信じて出かけてきた。

家を出て車を走らせると周りは真っ白。ラジオの天気予報では濃霧注意報の

アナウンス。いやいや本当に晴れるのかな?と思いながら走って行くと、

まんのう町にはいると青空が見えてきた。よっしゃー!と独り言ちして

集合場所に着くと、開口一番ご主人に明日は雨やでと言われていたあっちゃん

『本当に晴れたね!』とニコニコ顔。今日は道の駅ことなみの第二駐車からスタート。




国道を三頭トンネルの手前まで歩き久保谷橋を渡ると大師堂がある。この国道438号線は

平成9年に三頭トンネルが開通するまでは行き止まりで、トンネルの開通で初めて徳島側への

車両での通行が可能になった点線(分断)国道だった。

橋の手前には昔は金毘羅堂があり、これから谷あいの足元の悪い峠道を行き来する

人達にとっては格好の休憩所で、接待された茶を飲みながら旅の話に花を咲かせ、

阿讃の情報交換場となっていたようだ。大師堂からの道は四国のみちにもなっている。

 


   


最初はコンクリートの車道から直ぐに山道になる。昨日降った雨がまだ地表を濡らし、

谷あいの朝の空気はまだ少し冷たい。

   


道は沢の右岸、左岸を渡渉しながら続いて行く。最初に目についたのは落ち葉の上に

散った真っ赤な椿の花だった。








        


芽吹き始めた周りの木々に目をやりながも、足元にお目当ての花が咲いていないかと

目を皿のようにして歩いて行く。






コチャルメラソウ?



おっ、み~つけた!ユキワリイチゲ。でもまだ日が当たらず俯いたままの花は

開いていない。気温が上がり日が当たる帰りに期待しよう。







道筋の所々で石を積んだケルンがあるが、これは絶妙なバランスで立っていた。

雨はつい先ほどまで降っていたのか、雫をいっぱいつけた葉がみずみずしい。








段差になった場所では小滝となって大きな音をたてて流れ落ちて行く沢の水。

幅はさほどではないが、グラつく石もあり落ちないように用心深く渡渉する。













地形図で谷筋が派生している場所に道標が二つ。この場所から征木(麓)と

立石峠(尾根)への道があるのだろうか?また機会があれば歩いてみたい。




すると前を歩くルリちゃんから『あったわよ!』の声が上がる。

さすが視力2.0のルリちゃん。ストックで指す場所に二つ目のお目当ての花があった。

落ち葉の中に咲く花と葉が、周りと同系色で目の悪い私では見つけられなかっただろう。

葉も花もうなだれているサラリーマン風から、今まさに飛び立とうと羽を広げたような

葉と花を開け始めた花もある。

アワコバイモ









この谷あいで一番大きな滝?を右手に見ながら更に登って行く。日が当たると

木々や花たちもなお一層いきいきとして見える。






ヨゴレネコノメ



まだ峠まで半分も来ていないが、奥様たちは度々立ち止まっては写真を撮って

なかなか前に進まない。まぁ今日は距離もないし、ユキワリイチゲの花が開く

午後までゆっくりと歩けばいい。
















小さい花があちらこちらに咲いているが、ほとんど名前が分からない。

小さな山野草はGoogle先生でも分からない。









アブラチャン





奥様たちが二人で『ここからいくつ見える?』とアワコバイモの数を数えている。

『KAZASHIさんは?』と聞いてくるが、近づかないと私には全く見えない。










峠の道は三頭神社まで、ミニ西国三十三観音霊場の石仏が丁石を兼ねて街道沿いに

置かれ、その当時から道行く人々を見守っている。













谷あいの道が少し左に振り、杉林の中の道になると峠まであと少し。『KAZASHIさん、

お腹空かん?』とあっちゃんが聞いてきた。と言う事は自身がお腹が空いてきたと言う事。














途中で度々の撮影会でゆっくりしたが1時間40分ほどで三頭峠に着いた。

額束の北側には三頭山大権現と南側は金毘羅大権現と異なる名前が書かれた

珍しい鳥居。そして猿田彦と天細女命の二体の石像。いつ見ても柔和なお顔の

細女命さんと対照的な、無骨なお顔の猿田彦さん。ここを訪れた人が細女命さんの

身体を触る(そのせいで白くなっている?)のを目の前で見せられて、猿田彦さんが

怒っているようにも見える。














そんな風に思いながら二人の間に立ってお顔を眺めた後、ザックを降ろしていると、

あっちゃんはもう既におにぎりを頬張っていた。








私もいちおう行動食を口にしたあと、三頭山へと南に峠道を歩いて行く。

杉林を抜けると車道に出た、ここからは舗装路を歩いて行く。











三頭山の手前まで来ると先週の天気予報がウソように青空が広がっていた。

車道の横で東に開けた場所からは竜王山の電波塔が見える。







東屋を過ぎ道の右手から三頭山のハンググライダー場へと登って行くと、更に眺望が

開けてきた。吉野川側からは雲がかけ登ってきている。














三角点の手前には新しく可愛らしい山名札が掛かっていた。








四等三角点なのに三等(三頭)とはこれ如何にの、四等三角点 三頭 734.03m

にはキティーちゃんの赤いプレート。







三頭山は「剣霊」「山王」「青龍」の三神を祀るため、その名がついたという

古い伝承が残っているが、山名札の後ろのこの石碑はまだ新しい。








それじゃ東屋まで戻ってお昼ご飯にしましょう。丁度峰と峰が重なった辺りが

三頭峠だろうか。まだまだ雲が登ってきている。もっと標高が高ければ雲海を

見下ろす形で見られたのにな~。








東屋で今日もカップラーメン。久しぶりに食べる出前一丁は、ゴマ油がよく効いていて

とても美味しく感じた。お腹を満たしたら気になるのはWBCの様子。スマホで見ると

丁度9回の表で1点差で勝ったとの結果。思わず三人で『やった~~!!』と声を上げる。











優勝の感激からしばらくすると奥様たちは、村上選手最後になって活躍出来て

良かったねとか、大谷選手はどんな人と結婚するのだろう?と話しを始めた。

気温も上がって来たし、空も申し分のない青空、今から下ってもあのユキワリイチゲは

花を開いてくれているだろうから、そろそろ腰を上げましょう。東屋を出て、

途中にあった展望所からは南の景色が開けていたが、雲海の上に稜線が見えるだけ。

雪を残す山は石堂山や矢筈山辺りだろうか?








展望所から車道に降り、舗装路から峠道へと歩いて行く。三頭峠で細女命さんの

おっぱいにタッチ。猿田彦さんに怒られそうだが随分とにやけた顔だ。











ではではお目当てのイチゲさんに会いに行きましょう。下って行く途中の谷あいにも

眩しい日差しが届いていて期待できそうだ。







峠の直下から沢筋になると期待通りあちらこちらで花を咲かせていた。

アカリプタさんによると、ユキワリイチゲはルリイチゲとも呼ばれるそうだ。

その名の通り瑠璃色の花が日差しに向かって開いている。

その瑠璃色も薄く白っぽいのもあれば濃い色もと様々。
















雪割一華と書いて一茎から一輪だけ花を咲かせるその細い茎からは、不釣り合いな

大きな花弁が風に揺れている姿は健気でとても可愛らしい。













途中までは一緒だった奥様たちは、私以上に度々立ち止まって写真を撮るので

次第に間隔が開いてきた。奥様たち、今日は団子よりお花の様だ。











独りで歩いていても谷あいの道は、水の流れる音や鳥のさえずりで割とにぎやかだ。

途中で何人かの人とすれ違う。やはりこの晴れ間を狙って大きなカメラを抱えている。

すると最後に出会った男性に声を掛けられた。以前に二度ほどご一緒したことのある

水沼さんだった。水沼さんはまんのう町の地域おこし協力隊で活動していた時に知り合った。

今は大川山の麓に住まわれ、登山ガイドとしても活動されている。

奥様たちが後ろから来る間に、二人で里山について色々と話し合った。概ね県内の里山の

現状についての意見は一致して、お互いに『そうでしょう~』『そうですよね~』と

言っていたら奥様たちが降りて来た。

その後もしばらくお話をして別れたのだが、四人の居るところの写真を撮り忘れた。













大師堂まで戻って三体の石仏にお参りする。一番大きな石仏は光背に何体もの化仏が

彫られていて珍しい石仏。その横には西国三十三番の一番札所の石仏、そして右端が

関東二十四輩の二十四番の石仏が並んでいる。








久保谷橋をわたり国道を駐車場まで戻って行く。早春の谷あいでは春を告げる花々が

目を楽しませてくれた。明日からはまた雨模様。つかの間の晴天を小さな草花を

愛でながら過ごす事が出来た。今日の晴天で山肌にも淡い色が付き始めたが、

またしばらくは天気と共に停滞しそうだ。ただこの雨が上がれば一気に春色が広がるだろう。

春の山の景色と共に我々の気持ちもまた春色に染まっていく。



結局、線を繋いだ阿佐尻山

2023年03月16日 | 四国の山


朝はまだ肌寒いが日中は随分と気温が上がり、朝着込んだ上着を一枚脱がなければ

汗をかく、そんな日が続いている。春の訪れに胸躍らせるのは人間だけに限らず、

植物たちも同じようだ。里では梅の花から始まりここ数日で河津桜が満開のニュースも

流れている。山ではスプリングエフェメラル。『春の妖精』と呼ばれる花たちが

ネット上にどんどんアップされ始めた。その春の妖精にも沢山の種類があるようだが、

花音痴の私には未だ二つの花の名前しか知らない。そう福寿草とカタクリの花だ。

その福寿草の群生地で有名な鶏足山の写真をプチファーマさんがアップされていた。

やはりこの季節になると『線で繋ぐ』で里山を歩くよりは、せっかくなら花を目当てに

歩きたい。そう思って鶏足山に変更しようと考えたが、登山口となるキャンプ場の

手前で例年道が荒れているのを思い出した。ここ一カ月の間に2度もパンクをして

荒れた舗装路がトラウマになっている。かと言って寒峰は昨年歩いたし、どうしようかな~

と思っていたら、四年前にWOCのメンバーと歩いた阿佐尻山が頭に浮かんだ。

さっそく奥様たちに連絡をしたら未登の山、しかもYAMAPのポイントができると

あって、即『OK!』の返事が返ってきた。




いつものように『道の駅たからだの里』に集合して32号線を南下。それにしても

猪鼻トンネルが開通して本当に便利になった。あっという間に三好市に入り、

大歩危のローソンで休憩したあと西祖谷へと車を走らせる。

県道から国道439号線を京柱峠方面へ、途中から何度目かのヘアピンカーブから

団体営農道の標識へと直進して登って行くと、前回も車を停めた堀切峠に着いた。








先週の稼勢山で冬の服装と同じように長袖の下着を着て歩いたらとても暑かったので、

今日は半袖の下着にしてみたらやはりまだ肌寒い。三人とも上着を着こんで

スタートする。堀切峠から栂峰の集落へと歩いて行くと、集落に入る手前で

前回は無かった登山口の案内板があった。その案内板の道路の反対からはV字に

切れ込んだ祖谷渓谷の奥に三角の頭の中津山が見える。







間知ブロックが積まれた法面を登って行くと自然木でできた素朴な雰囲気の鳥居があった。

前回歩いた時にこんな鳥居があったかな~と。4年経つと記憶も曖昧だ。

鳥居の奥の祠に一礼して杉林の中へと入って行く。

ここから奥様たちに案内で書いた急登が始まる。WOCのメンバーのコアラさん

山さんヨウちゃんと登った時は、コアラさんが最後は四つん這いになって登って

いたので、急登が待ってますと奥様たちの案内には書いたが、さすが毎週トレーニング

ジムに通っている二人は、力強くグイグイと登って行く。











そのアマゾネスの後ろをハアハア・ゼイゼイとついて行くへっぽこリーダー。

動画なんぞ撮っていたらあっという間に置いてきぼりになる。













何とか急登を登りきると電源施設と電波塔のある尾根に出た。

木には小さく小川と書かれた木札が掛かっていた。三等三角点 小川 994.2m










ここからは南西に向かって緩やかな登りの尾根が阿佐尻山まで続いて行く。

電波塔から直ぐに大きな反射板が現れる。フェンスで囲まれた反射板は、四国電力の

管理となっている。ここから麓にあるダムか変電所施設への中継なのだろう。




その反射板からしばらく歩くと尾根の南側が大きく伐採された場所に出た。隔てる

木々のない斜面から一気に風が吹き抜け、帽子が飛ばされそうになる。

前回は杉の苗木の白い食材防止材が、この斜面一面整然と並んで埋め尽くしていたが、

吹き付ける風の影響か、今はほとんどが倒れてしまって悲惨な状態になっている。























正面には笹原に僅かに雪を残した土佐矢筈山への稜線。



そしてその左に綱附森



そして牛の背の背中がここからは小さく見える。黄砂だろうかどの山も霞んで見える。






冬枯れた落葉樹が続く北側と、伐採された南側の斜面。何だか荒涼とした風景の尾根だ。











今日の行程を日曜日に歩いていたりょうまさんのYAMAPの活動日記のURLを

奥様たちには事前に送っていた。そのりょうまさんの活動日記には、このコース上で

写した山野草の写真を何枚もアップしていた。それを見たあっちゃんが、『今日は

いくつ、お花を見つけられるかな?』と言いながら、右に左に目線を移しながら歩いて

いると最初に見つけたのがりょうまさんが書いていたヤマシャクヤクだった。

緑の葉にふんわりとした花を咲かせているところしか見た事のない素人には

この赤い葉と蕾がどうもヤマシャクヤク?に結びつかない。








すっかり葉を落とした木々にも小さな芽が付き始めている。もうしばらくすると

若い緑の葉に囲まれた尾根道になるのだろう。その尾根にはここ数日の晴天で

乾いた色をした、苔むした露岩がポツポツ現れ始める。













阿佐尻山まではゆるゆると登って行けると思っていたが、時々まあまあの急登が現れる。

土が露出していると何となく踏み跡が分るが、杉の枝葉で覆われるとその踏み跡も

分からなくなる。とにかく尾根を外さぬように登って行く。








1168mの標高点辺りから、苔岩が点在する尾根から次第に大きな岩が行く手を阻み始めた。

小さめの岩は乗り越え、大きな岩は巻いたりしながら進んで行く。












杉の木が多い尾根から落葉樹だけの尾根になると一気に風景が変わった。

巨岩と灌木の中を岩と岩の間をすり抜け右に左にと歩いて行く。













周りの雰囲気的にはそろそろかな?と思っていたら、尾根から少し右に今日の

お目当てが待っていた。この群生地、以前より花の数が随分と増えたような感じがした。

人気の寒峰もいいけれど、まだ人が少なく、意外と変化にとんだコースのこの山で

これだけの群生が見られたら十分だ。








ルリちゃんもとにかく踏みつけないように、そ~っと歩いて飴色に輝く花を写し始めた。










『素敵な花を見ながら・・・・・』と言ってあっちゃんが何やらザックから取り出したのは

魚肉ソーセージだった。ん?さっきもおにぎり食べたような気がするんだが。








しばしの撮影会と若干1名の腹ごしらえの後、群生地をあとにすると、少し先に

二又になった尾根の窪地にまた群生地が現れた。『踏んだらいかんよ!』と

ルリちゃん。今度はあっちゃが踏まないようにしながら写真を撮っている。














二つ目の群生地では上から若い男性が降りて来た。登山口に停まっていたハスラーの

持ち主の様だ。『花には詳しいですか?』とあっちゃんが問いかけると、『全くです』と

返事が返ってきた。詳しければりょうまさんが写していた10枚近くの花の居場所を

聞き出そうとしたのだが、『残~念!』。

その群生地から少し登って行くとコンクリートの林道に飛び出した。ここから山頂近くまで

林道は続いているが、ルリちゃんとあっちゃんは尾根を歩くと言って登って行った。

私は前回歩いていたので、独りのんびりと林道を歩いて行く。

道はコンクリートから地道になると南から東にかけての眺望も広がって来た。

ススキの穂を揺らす風の音と時折聞こえる鳥の鳴き声、そして歩みを進める

私の靴音だけが聞こえる。静かだな~!














尾根の南側に続いていた林道が、今度は尾根を跨いで北側に続いている。その尾根に

落石注意と阿佐尻山登山口の道標。ここから尾根に登って行く。少し籔いた尾根道。

前回はもう少しすっきりしていたと思いながら、時々木の枝に服を引っかけながら

登って行くと、これも少し周りの草も増えた?山頂に着いた。





そして4年前に比べると木々の背丈も伸びたのか、以前に比べると少し木の枝で

遮られる方向もあったが、それでも360度、祖谷系から剣山系の名だたる

峰々が見渡せる絶景だ。そんな景色を眺めながら尾根を歩いて来ている奥様たちが

来る間に、お湯を沸かして独り待つ事にした。


中津山と国見山


牛の背・西熊山・三嶺と塔ノ丸


以前より伸びた木の枝が邪魔をする、寒峰から矢筈山へと続く稜線


土佐矢筈山



前回の動画。残雪がもっと多かった



尾根を歩いてきた奥様たちが10分ほど遅れて到着した。二人もこの大展望に感激している。

でもそれも一瞬。『お腹減った~~!』と。花より団子、景色よりやっぱり団子のようだ。

今日は以前からあっちゃんが持ってきてくれていたのに、ここ最近下山後にうどん屋さんで

食べることが多くて、いつになっても食べられなかった『最強どん兵衛』を頂くことに。

ただしこの最強どん兵衛。普段のきつねうどんなら5分のところ、8分かかるらしくて、

それが長すぎる待てないとあっちゃんが文句を言っている。

それでも待った甲斐があって、きつねうどんのきつねも、かき揚げうどんのかき揚げも

そして出汁も全く違う特別感があって美味しくいただいた。








特別な最強どん兵衛を頂いた後、先ほど奥様たちを待っている間に思いついた考えを

提案してみる。それはここから更に先を歩くと、京柱峠から弘瀬山の稜線に繋がる。

その線が繋がると、ここから剣山まで一気に繋がり、そこから今度は北側の丸笹山・

塔ノ丸そして黒笠山・矢筈山・寒峰と繋がればぐるっと周回が線で繋がる。

それを奥様たちに説明すると、『いい、いいですね!』と快諾を頂いた。

題して『ぐるりん祖谷と剣の峰々』。どこかで聞いた事のあるようなキャッチだが、

それはそれで置いといて、また一つ目標ができた。

それがこのコース



寒峰方面のルートを確認する



山頂からしばらくは尾根を下って行く。すると突然林道に出た。『これは・・・!』

山頂手前で北側に続いていた林道だ。そしてもうひとつと思い出したのは、たしか

京柱峠から弘瀬山・三方山を歩いた時に、弘瀬山の手前でも尾根から林道に飛び出した。

ひょっとしたら同じ林道?と脳裏をよぎった。







未舗装の林道は尾根の南側を無理やり削ったような形で造られ、その削られた

斜面からは大小さまざまな形の落石が道の上に転がっていた。







その林道が尾根の北側に回り込むと、今度は雪が現れた。日中の温度で溶けては

朝の冷え込みで凍った雪はザラザラで、油断すると壺足で踏み抜いてしまう。

壺足でガクンと体制を崩すとルリちゃんが、『気を付けてよ腰が悪いんやから!』と。

『ハイ・ハイ奥様!』。時々凝りが酷くなるがここの所はガラスの腰も幾分か調子がいい。










残雪を通り過ぎると見覚えのある場所に出た。広場になった場所には前回来た時には

伐採された木が積み上げられていた。それを奥様たちに言うと全く記憶にないという。

ここから少し林道を歩いて弘瀬山の尾根へと取り付いたのも憶えていない。

まあ林道歩きになると途端にお二人は朝ドラの話になり、話に夢中になって

憶えていないのもやむ無しか~。いやいやそれではイカンので、これから厳しく

指導していこう!(なんてね)




ここで剣山系への線が繋がったところで折り返して行く。

途中からは朝に比べて霞んだ空が随分とクリアになってた。京柱峠の北にあった

放牧場跡や京柱峠、そして土佐矢筈山と綱附森の笹原もはっきりと見える。











帰りは阿佐尻山山頂には行かずに林道をそのまま歩いて行く。すると日の当たらない

場所にさらにたくさん雪が残っていた。奥様たちは今日は朝ドラの話ではなく、

わけぎの料理の話に夢中になっている。しかも雪の上で立ち止まり酢味噌和えの話をしている。







そして林道が尾根の南側に回り込むと、周りの山々がやはり随分とキレイに見えている。

気温は上がっているが強い南風の影響か、黄砂も流れてしまったのか?

そんな周りの景色を他所に、奥様たちはまた次の料理の話が始まった。











林道がコンクリートのヘヤピンカーブになった場所から尾根へと取り付く。

直ぐにある2番目の群生地では朝よりさらに花が開いているように見えた。

反り返った花弁が中心部に光を集め輝いている。冬の長い間暗い地中で過ごし、

春の陽気と共に思い切り花を広げて短い春を謳歌している健気な花だ。











足元の悪い岩尾根を過ぎ1168mの標高点は北に巻いて下って行く。
















大規模伐採地でも朝の景色がウソのように牛の背が綺麗に見えた。

まだ黄色く色づく前のミツマタの白い色の奥に、わずかに残る牛の背の残雪の白。













電波塔まで緩やかだった尾根から最後急坂を下って行く。前の二人が『こんなに

急だったかな?』と言いながら注意深く下っている。山頂で『今日どこに急登が

あった?』と言っていたのはルリちゃんだったのに・・・・・。




















急坂が終わり杉林を抜け、最初にあった山神さんだろうか、小さな祠に一礼して

舗装路に飛び出した。道路から見える集落には新しそうな車が停まっているのが

見えるので、まだこの栂峰集落に人は住んでいるようだ。

長い冬が終わり雪が融ける春を待ちわびたのは福寿草だけではなく、山深くに住まう

この辺りの人達も同じだろう。そんな人たちの生活に思いを馳せながら堀切峠を後にした。








坂本のひな祭りと稼勢山と樋口山

2023年03月09日 | 四国の山


『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』もいよいよ終盤に差し掛かったところで

お山はそろそろ花の季節になってきた。ネット上でもそんな花を写した写真が

アップされ始めたが、その中で目を引いたのが花の写真ではなく、REIKOさんが

アップしていた勝浦町坂本のひな祭りの写真だった。

坂本八幡神社の石段に並べられたお雛様。町家の軒先に飾れられたひな人形。

これは奥様たちにも見て欲しいと連絡したら、丁度あっちゃんがテレビで、

同じ勝浦町で催されているビックひな祭りの放映を見た直後で、是非一緒に見て

みたいと折り返しがあった。


以前はよく西三子山の福寿草を見に出かけていた頃は、帰りにビックひな祭りを

見学して帰っていたが、坂本のひな祭りは初めて。

そして開通して間もない徳島南部自動車道を走るのも初めて。以前だと一旦

高速を降りて徳島市内を走るので時間帯によっては渋滞していたが、この

自動車道のお陰でその心配がなくなった。

その自動車道の終点となる津田町で降りて勝浦川に沿って県道16号線を進んで行く。

山犬嶽高丸山に出かける時も通っていた道で、坂本と書かれた標識は目にしていたが、

その標識から北に山手の集落へと登って行く。閉校した坂本小学校を利用した

ふれあいの里さかもとに車を停めて準備をしていると、『私、ランチの予約して

くるから戻ってくるのは何時位になる?』とあっちゃん。

『13時までには戻って来られるかな』と答えると、さっそく校舎の中へ入って行き

『ランチ、予約してきたわよ!』と言って戻って来た。











支度を整え坂本の旧街道を歩いて行くと、それぞれの家の軒先にお雛様が飾られている。

その一つひとつを見ながらルリちゃんもあっちゃんも感心している。







途中に『かせ山』と書かれた道標からコンクリートの坂を登って行く。




民家の脇を通り竹林を抜けるとまたアスファルトの道に出た。その道に沿って

歩いて行くと、今度は分岐分岐で『かせ山トレッキングコース』と書かれた矢印の

案内板があった。雲一つない青空に気温も体温も上がり、今日も長袖の下着を

着てきたので、歩き始めて直ぐに暑くなってきた。額からは汗がボタボタと落ちる。











案内板に沿って作業道を進んで行く。作業道は分岐が多く、この案内板がなければ

まず道が分からず迷ってしまうだろう。








途中では坂本の集落が山裾からかなり上の方まで続いているのが見えた。山の斜面は

杉が植えられているのだろう、茶色く変色した山肌になっている。コンクリート道から

地道になると途端に道が荒れて来た。倒木を跨ぎロープを掴んでの乗越すとまた

舗装路に出た。ここまでの道は地形図には全く載っていなくてまるで迷路の様だ。










舗装路からは地形図でまっすぐ破線が続いているが、実際は何度か右に左にと

折れながら登って行く。

けっこう登って来たところで突然墓地が現れた。集落近くでなくて何でこんな上に?

ここからの作業道には杉の枝葉や種が道を覆いつくしていて、ほとんど使われていない。

と思っていたら軽トラックが一台停まっていた。近づくとそのトラックを停めた場所から

少し下の杉林の中で、枝打ちをしているおじさんがいた。










その作業を横目に見ながら杉林の中を歩いて行くと、トレッキングコースの案内板と

錆びて判読できないもう一つの案内板。トレッキングコースの案内板は左に。錆びた

案内板は尾根へと誘導している。矢印に沿って左に進むとまた道は荒れてきた。

枯れ落ちた枝葉で歩きづらかった道は、山側から落ちて来た石で更にガタガタの道になる。











尾根の北側を回り込むようにして少しづつ高度を上げて行くと、まだ真新しく折れた

木が道を塞いでいる場所もあった。不安定な倒木の枝に乗っかり平均台の様にして

乗り越えたが、奥様たちは安全を取って倒木を避けて下に降りて歩いてきた。









その倒木を過ぎても何ヵ所も道を塞ぐ木が多く、跨いだり潜ったりとまるで障害物競走の様相。

これだけ倒木が多いのは台風とかの影響だけでなく、斜面の地盤がもともと柔らかいのだろう。

















トラバース道の途中で一ヵ所だけ北に開けた場所があった。そこからは稜線に並んだ

白い風力発電の羽がゆっくり回っているのが見えた。大川原高原の稜線だろう。

道は相変わらず石がゴロゴロしていて歩きづらい。枯れた杉の葉の上に真っ赤な

椿の落花が一輪。周りを見て見ると椿の木が何本かあった。

『ここの椿の幹は何だか細いわね』とルリちゃん。










トラバース道から最後少し急な坂を登ると、お大師の峠と言われる稼勢峠に着いた。

ここから南に稼勢の集落(集落跡?)へと道が続いている。














峠からは東に尾根を進んで行く。緑のネットに沿って急登が続く。

その急登を登りきったら稼勢山かと思ったら、山頂はまだ先だった。







露岩の尾根や奇木を見ながら二回程アップダウンをして、最後の坂を登ると山頂に着いた。

山頂には三等三角点 坂本 501.4m。あら?山名標は鹿背山になっている。

ここで行動食を口する。『ふれあいの里には何時に着くかな~!』とあっちゃんが

聞いてきた。下山の時間というよりはお昼のランチで予約した時間が間に合うのかを

気にしているようだ。そう言いながらおにぎりと魚肉ソーセージを頬張っている。












お腹を少し満たした後、元来た道を戻って行く。峠からの尾根道は意外と急な

アップダウンが続いている。












露岩の場所には往きには気づかなかったがロープも掛かっていた。








稼勢の集落のものなのか今は使われていないだろう共同アンテナがあったのも

先には気づかなかった。





稼勢峠まで戻り更に西に尾根を辿っていくと夷神社跡に着いた。平場の石積みと

その上に石積みに囲まれた祠が残る神社跡だった。夷と書いてえびすと読むらしいが

勝浦町沼江にある生夷神社と関係があるのだろうか?














地形図ではこの夷神社跡から更に西に鳥居の記号がついている。『取りあえずそこまで

行ってみましょう!』と声を掛けて進んで行くと、鞍部になった鳥居の記号の場所には

何もなく、さらに先のピークに小さな石仏と稼勢山530mと書かれた山名標があった。

先程の三角点のあったピークよりこちらの方が高いと言う事は、こちらが稼勢山なのかな?








神社跡の手前にトラバース道へ下る分岐があったが、奥様たちに『さてさて戻って

分岐から下ります。それともこのまま尾根を行きます?』と問いかけると、『このまま

尾根を下りましょう!』と返事が返ってきた。道があるかどうかも分からないが、

地形図を見て尾根を辿れば往路に出られると奥様たちも判断したのだろう。

地形図の見方もレベルアップしたもんだと感心する。










石仏のあった場所から次のピークの場所で東と北に尾根は分かれ派生している。

地形図では北に向かって広尾根を下ると往路に出る。ピークからは道らしく

なってきたが、杉林の中になると道が不明瞭になってくる。それでも薄い踏み跡を

辿り落ち葉と松葉に足を滑らせながら下って行く。
















すると往路でトラバース道と尾根との分岐になった場所に出た。錆びた鉄板の道標が

文字は判読できないが尾根に向かっての矢印になっている。







杉林の中を歩いて行くと先ほど枝打ちをしていた男性が、軽トラックの中でお弁当を

食べていた。男性の年齢からして枝打ちをしても、この辺りの木を伐りだすことが

あるのだろうか、なんてあっちゃんと話をする。杉林を抜けるとまたコンクリートの

道になる。朝とは逆に今度は分岐を右に右にと進んで行く。











12時30分、旧街道に出た。ふれあいの里のランチを予約した13時には

どうやら間に合いそうだ。








朝のスタート時点では人気のなかった八幡神社は、けっこうな人が訪れていた。

そのせいで石段のひな人形に人が写らないように写真を撮るのが一苦労だった。

今年のテーマは『ハート』だそうだが、本殿の石段の前にはハート型の芽の輪くぐりが

造られていた。真っ赤な毛氈の上に並べられたお雛様に色とりどりの吊るし飾りが

なお一層目をひく。











あちらこちらの木には可愛らしい『さるぼぼ』がいる。







今風らしく写真スポットも用意されて、ひな祭りを盛り上げている。

お目当ての八幡神社の境内をゆっくりと回ると丁度ランチを予約した時間になった。







旧小学校の教室がランチの会場になっていたが、ほぼほぼ女性ばかり。しかもけっこう

年齢の高い人達だ。おそらくそのご主人も仕事はしていないだろう女性たちだが、

夫婦で来ている人はひと組もなく、女性達だけで賑やかに話をしながらランチを

食べている。『夫元気で留守がいい』。その間に奥様は優雅にランチ。

引退後の自分の姿を見るようで何だか寂しくなった。

席に着いてから少し時間がかかったが地、元の食材を使ったランチは美味しく頂けた。





ランチの後はここまでせっかく来たのだからと、近くにあるYAMAPのポイントに

なっている樋口山を登ることにした。車で移動し正木トンネルの手前の路肩の広く

なった場所に車を停めて歩き始める。県道の歩道をトンネル方向に少し歩き、手前で

脇を登って行く林道が取付きになっていた。コンクリートの林道には杉の枝葉が

散乱していて普段からこの道を利用している様子は全くなかった。
















途中で先ほど登った稼勢山が意外と大きな山容に見えた。

その近くで道の脇にあった杉の木をストックで叩くと、雄花から真っ白な花粉が飛んだ!

ひえ~これが花粉症の元凶か!!








林道のコンクリートが途切れた場所が終端のようだった。そこからは尾根を南東に

向かって歩いて行く。ここも稼勢山と同じように山頂と思った場所がニセピークで

山頂までまだ小刻みにアップダウンをしていく。














露岩の尾根を抜け、杉林の中を歩きスタートから40分弱で樋口山に着いた。

山頂は三等三角点 正木 372.35m 周りは木々に囲まれ眺望はほとんどなかった。











それでもYAMAPのポイントをゲットできたから、さっそく下って行く。
















車まで戻って今度は樋口山の西にある山河の里に寄り道。山河の里は個人のお宅。

ご夫婦でお庭の手入れをして、一般にも開放しているそうだ。今日はまだ

咲いている花は少なく、花壇に植えられている沢山のチューリップが咲くころには

もっといろいろな花が咲き賑わいを見せてくれるだろう。













手書きの案内板や石に書いた絵を見ると、お会いは出来なかったが、そのご夫婦の

人柄が感じられる。














山河の里のお庭を見た後は、あっちゃんご希望のビックひな祭りへ。

その途中で、REIKOさんお勧めの田舎寿司でお寿司を買い、

会場のある道の駅ひなの里へ。

入場料を払って中に入ると、目の前に巨大な雛壇。










男性にはほとんど興味のないひな人形だが、奥様たちはやはり女子?女の子?女性。

ひとつひとつの顔を見比べながら歩いている。

同じようにして見て回るが、私としてはこのお内裏様くらい顎の所がシュッとしたら

いいな~とくらいしか思い浮かばない。











そしてビックひな祭りの後はこれもREIKOさんお勧めの前松堂で和菓子のお買い物。

駐車場では満開の河津桜を見て、お雛様と花とお買い物の三拍子そろった一日が

終わり、奥様たちも大満足の一日となった。色々と教えてもらったREIKOさんに感謝です。











『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 雨島峠~笠松山

2023年03月01日 | 香川の里山


今回の里山を線で繋ぐで懸案事項のひとつだった、尾瀬山から琴南間を無事繋ぐ

ことができ、今日の笠松山でいよいよ三豊市から高松市が繋がる事になる。




ただし前回、雨島の集落から雨島峠笠松山を往復しようと琴南側から雨島の

集落へと向かう途中で、ポーンと音がして一瞬でタイヤの空気が抜けていった。

路面に散らばっていた尖った石を踏んだのか、サイドカットで走行不能になった。

その日は修理に出していた代車で、トランクからスペアタイヤを取り出しタイヤ

交換をしようとするが、肝心のジャッキがトランクの中に見当たらない。

取説を見てみると座席の下に収納してあると書いていた。ジャッキアップして

スペアタイヤに交換して事なきを得たが、荒れた路面をこれ以上進むのが躊躇え、

しかもジャッキアップの時に持病の腰を痛めて歩けそうにないので、その日は

笠松山を諦め帰って来たと云う曰くつきの山なのだ。

故に今回は琴南側からのアプローチは止めて、塩江側からアプローチをする事にした。




塩江の道の駅に集合して、内場ダムから貝ノ股の集落へ県道154号線を走り、

途中から林道下切・貝ノ股線を北に向かって登って行く。道に点在する民家には

人気は無く、前回の雨島集落と同様にこの辺りも消滅集落となってしまっている。

また路面の状態は、尖った石が散乱していていい状態ではないので慎重に運転していくが

前回のバーストが頭をよぎる。ゆっくりゆっくりと運転していくと、

峠の手前には電波塔があり、そのフェンスの横に車を停めてスタートする。




車を停めた場所から北に少し歩いて行くとこの林道の峠に着く。峠には林道の

竣工を記念した石碑が建てられているが、そこには総延長距離と、事業費が

彫られていたが、その事業費は2億5千万となっている。この事業費が高いのか

安いのかはピンとこないが、貝ノ股側からは車が走っている痕跡は全くない。





その石碑の手前から左に作業道が続いている。作業道には轍が出来ているので、

北の下切側からは作業車がここまで来ているようだ。その作業道を進んでい行くと

尾根側に鉄塔があり、標示杭の番号が消えていたので、奥様たちが番号を確認しに

鉄塔まで行くと阿波幹線102番鉄塔だった。











鉄塔からさらに進んで行くと土場の様な広場に出た。広場の北隅から尾根への取付きになる。





広場からの取付きには、ほぼ土に埋もれかけた擬木の階段が続いていて、その階段に

沿って登って行くと右に展望所の様な感じで広くなった場所に出た。

木々がなければ北への眺望が広がっているはずだが、木々に遮られて眺望はない。

その広場の真ん中に沢山の文字を刻んだ石碑があった。表にはいろいろな神様の

名前が刻まれていて、何だかとってもご利益がありそうなので、手を合わせてお願いをする。










展望所跡らしき場所からは九十九折れの鉄塔保線路を登って行く。








九十九折れの道が終わると鉄塔広場に出た。前回学習したように手前側に(番号の

若い番号の鉄塔側)に銘板が掛かっている。







すっかり葉を落とした木々の間の尾根道には、明るい気持ちのいい朝の光が届いている。











途中にあった四等三角点 水ケ本 840.92m




竜王山を頂点として派生した支尾根になるこの尾根は登山道ではなく、踏み跡は薄い。

国土地理院の杭や時々ある赤テープに沿って歩いて行く。










何度か小さなピークを登って行くが、ピークでは踏み跡が薄いので道が判りづらく、

方角を間違えないようにちゃんと確認しながら歩いて行かないと、直ぐに間違えそうになる。








竜王山と雨島峠との三差路となる砥石山の手前では少し足元に笹が現れる。

尾根から少し広がった場所に出ると、ほとんど消えかかった山名札が掛かっていた。

地形図では標高点だけで山名など載っていないが、YAMAPでは砥石山となっている。

山名札も消えかかっているが砥石山と書いていあるような・・・・・?














それでも取りあえずはYAMAPの登頂した山の数にはなった。山名札の前から左に

道が続いている。『こちらが阿讃縦走路への道ですね』と三人で確認した後、何気に

別方向に下って行く。がしかし踏み跡はなくけっこうな傾斜の下り坂だ。

気になってGPS を見てみると、雨島峠への破線とは違う方向に下っている。

前を行く二人に声を掛け引き返す。




地形図をもう一度見てみると雨島峠へは砥石山から少し戻って破線が分れていた。

砥石山まで登り返しそのまま少し戻ると、林道からは尾根を歩いてきたがその下に

北に向かって道が続いていた。(右が尾根筋、左が雨島峠への道)




二又になって別れた支尾根は雨島峠へ、そして笠形山へと尾根が続いている。

道は最初はヒノキの林の中では明瞭だったが、自然林のなかになると途中で

少しだけ踏み跡が薄くなった場所もあった。

雨島峠の手前で105番鉄塔への保線路と合流する。










砥石山からは30分ほどで見覚えのある石仏が見守る雨島峠についた。西に笠形山。

東に行くと竜王山。北には戸石の集落、そして南に下ると雨島の集落への道になる。







雨島峠で三界萬霊の石仏に手を合わせ、来た道を戻って行く。尾根の北端に沿って

歩いて行くと、切れ落ちた尾根の下に阿波幹線の鉄塔と送電線が続いている。










道が少し不明瞭になると国土地理院の赤い杭を目印にして歩いて行く。










砥石山の手前では『こんな急坂下ったかな?』なんて言いながら急登を登って行く。







砥石山の手前で北への尾根に乗っかり、林道へと続く尾根道を下って行く。道の脇には

まだ少しだけ雪が残っていた。時折木々の間から大滝山への稜線が見える。














867mの標高点の辺りで11時を過ぎた。そろそろかなと思っていたら案の定、

あっちゃんが『お腹が空いた~~』と言い始めた。つられて私のお腹もグ~となった。

この辺でお昼にしませんか?と聞いてくるあっちゃんに、『いえ、車を停めた場所まで

戻ってお昼にします!』とここではリーダーらしく威厳を持って答える。

砥石山の手前に尾根に乗ってから35分ほどで作業道の土場に出た。ここでも

『日当たりが良いからここでお昼にしましょ』と言って直ぐに『いややっぱり

日当たりが強すぎるのも良くないので』とあっちゃん。『どっちやねん!』と突っ込む。








車を停めた場所まで戻ると、木々の間からそこそこ日差しがさしていた。

道の脇の側溝に足を落として腰掛けてお昼ご飯にする。ここ最近は山を下りて、

うどん屋さんでお昼ご飯にする事が多かったので、考えてみると久しぶりに

山の中でお湯を沸かす。食後はルリちゃんからはチョコレート、あっちゃからは

塩饅頭を頂いてコーヒーを飲みながらまったりと。








お昼ご飯の後、今度は先ほどと反対方向に笠松山へと向かう。林道の脇から東に

山の中へと分け入ると『笠松山・蛸山縦走口』と書かれた札が木の幹に掛けられていた。










その下には『尾根に上がる』と書いてある。保線路のはっきりとした道が右手に続いているが、

一応書いてある通りに尾根に向かって植栽地を登って行くと、これがなかなかの急登だった。










急登を登りきり木漏れ日の尾根をさらに登って行くと貝ノ股への分岐に着いた。

このピークから右手に進むと上貝ノ股の集落へと下りて行けるようだ。

















笠松山に続く稜線は南は緩やかで北側は急峻な尾根になっている。分岐から一旦下り

鞍部から笠松山に向かっては、地形図の等高線の見た目よりは急登が続いていた。














林道の取付きから笠松山は1.2kmほどの距離。40分ほどで山頂に着いた。

二等三角点 笠松山 834.3m ここ最近見かけなかった二等の標石が大きく見える。











記念撮影を済ませたら、さてさて林道まで戻りましょうか。今まで一方向での往復を

したことは何度もあったが、今日は初めてだろうか2方向への往復になった。













今日は満点の眺望はなく、ほとんどが木々の間から見えるだけで、はっきりとは

山座同定は出来ないが、途中で大麻山善通寺五岳らしき峰々が見えた。





山頂から一旦下り緩やかに登って行く途中で、最初の急登の手前の鞍部に着いた。

植林地の中のあの急登を今度は下って行くのに、膝痛の事が頭をよぎった。

すると左手にそのピークを巻くように続く保線路が見えた。

急登の手前の案内札には『尾根を登る』と書いていたが、何のことはないあんな

急登を登らずともこの保線路を辿れば無理せず笠松山への道と合流できる。










復路は30分ほどで車を停めた林道に着いた。ザックを降ろし靴を履き替えようと

したら、あっちゃんが『KAZASHIさん、これパンクしているんと違うん!』と。

指さすタイヤを見てみると確かにタイヤの下端がペッちゃんこだ。

『なんてこった!』

前回の雨島集落でのパンクを踏まえて、反対側の塩江側からアプローチしたのに

またパンクするなんて。ほとほとこの笠松山には嫌われいるのだろうか。とは言いながら

恐らくもう二度と来ることはないだろうから、前回の様に登山口に向かう途中でなく、

山から降りてきて気づいたのがまだマシだった。

前回は修理中の車の代車だったのでスペアタイヤの交換となったが、修理から戻って

きた自身の車にはスペアタイヤは積んでいなくて、パンク修理のキットが載っていた。

初めての体験に車から取説を取り出して三人でその取説を見ながら、あ~でもない、

こ~でもないと言いながら何とか空気を入れることができた。

まずはバブルコアを押してタイヤの空気を抜いた後、修理剤を入れる



車内のソケットから電源をとり、コンプレッサーで空気を入れる。


適正圧になるまで確認する。


10分ほど経っても圧が上がらない場合は、修理は無理との事(穴が大きい等)




修理を終えて奥様たちは、前回のジャッキアップしてのタイヤ交換も経験して、

『これでタイヤのアクシデントは大抵大丈夫ね!』と宣う。

帰りはパンクした道を戻るのが躊躇われ、峠を越えて北に林道を降りて行く。

林道下切・貝ノ股線から林道塩江琴南線を通って内場ダムへの降りて行く。

雨島集落でのパンク。そしてその次は柞野から琴南の途中で上着を落とし無くして

二回目のアクシデント。二度あることは三度あるがなければいいけどな~と思っていたら、

今回のパンクでここ最近の三度目のアクシデント。これでもう何も起こらない事を

祈って家路に着いた。





『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~塩入

2023年02月23日 | 香川の里山


今週は先週スタート地点だった塩入と、尾瀬神社の駐車場の区間を繋ぐ計画。

ただこの区間は山頂もなくYAMAPのポイントもなく、三角点が一つあるだけ。

石鎚山から剣山を繋げた時に、黒滝山から土佐岩原駅の区間を消化試合と

プチファーマさんが仰っていたが、今回の里山歩きでは今日のこの区間が消化試合。

それでも今日歩くと西の博智山から東の笠形山までが一本の線で結ばれる。




百名山・三角点、季節ごとの花巡りと登山の楽しみ方は十人十色。

その内のひとつの線で繋ぐという歩き方を教えてくれたのはエントツ山さんだった。

そのエントツ山さんは石鎚山から剣山、阿讃縦走路のいずれも一気通貫。テントを

背負ってひとりで歩ききっているが、日帰り登山でも何とかその足跡を辿ることができた。

奥様たちと三人でふたつの線で結ぶを終えた後、線で繋いでいく楽しさを憶えた。

石鎚山から剣山、阿讃縦走路は稜線歩きだったが、県内の里山を線で繋ごうと思うと、

どうしても下道歩きが避けられない。今回もおそらく1/3ほどはそんな下道歩きになった。





先週のスタート地点だった塩入の県道4号線沿いの広い路肩に集合して、一台に

乗り込んで尾瀬神社の駐車場まで移動してスタートする。




駐車場から舗装路をこの駐車場への分岐まで一旦下り、そこから南に緩やかに

林道・辷り尾多治川線を歩いて行く。日陰の道はさすがに寒く、服装は耳まで

覆ったニット帽や厚手の手袋だったが、露出した頬だけは冷たく痛い。日陰から

陽の当たる道になると少しは落ち着いてくる。お日様はほんとありがたい!

木々の間からいまから歩く塩入への稜線が見えた。







しばらく歩くと道は二股になっていた。右に行くと尾瀬山の南側を多治川ダムへと

続いている。そして左は東多治川林道となっている。







その未舗装の東多治川林道を南に歩いて行く。朝一番は少し曇っていたが、これから

向かう尾根と阿讃の稜線には、雲一つない空が広がっていた。




さらに先には林道にチェーンが張られて車が侵入できなくなっていた。このチェーンの

左横から山道へと取り付いて行くと、地形図ではここから多治の三角点に向かって破線が

続いている。しばらくは林道に沿っていた道が次第に高度が上がってくると東に眺望が

広がってきた。




南北に波打つ稜線にちょこんと三角の頭を出しているのは、讃岐七富士の高鉢山

北を見ると城山飯野山の間に、坂出の番の州の工場の煙突から上がった煙が見える。








花崗岩の風化した痩せ尾根を渡ると急登が始まった。まだ凍ったままの地表は足を

踏み込む度にザクザクと音がする。










支尾根に沿って所々にある森林管理局の見出標が目につく。道は直登から次第にヒノキの

林の中の九十九折れの道になる。







九十九折れの道が終わり広尾根の道になると、東に続く尾根への取付きの辺りになる。

すると細い電柱の先にテープと赤い杭。登山の目印ではないけれど、ここから取りあえず

東に適当に尾根を進んでみる事にした。










所々で先ほどのテープと赤い杭が続いているが、これも森林管理局の境界か何かの

目印だろう。踏み跡もなく小枝を掻き分けながら進んで行く。とにかく尾根を

外さないように、尾根の北端を意識して歩いて行く。




















尾根に続く小さなピークも北に巻ながらピークを避けて歩いて行く。









すると突然、保線路の標示杭が現れた。ここから南に派生した尾根を進むと26番

鉄塔となっている。保線路を辿れば道はしっかりしているが、どうしても距離が

延びてしまうので、このまま尾根を東に進んで行く。









すると今度は25番鉄塔の標示杭。この辺りの保線路は尾根近くを東西に続き、

鉄塔へは南に往復する形で道があるのだろうか?





ここでも保線路は無視して進んで行くと四等三角点 七曲丸 714.9m に着いた。

もちろん木々に囲まれて眺望は望めない。ここで行動食を口にする。

時間はまだ10時30分。このペースだと今日もまた下山後にうどん屋さんかな?














七曲丸の三角点からも東に少しづつ高度を下げて行く。道は次第に不明瞭になってくる。

ここからも小枝を掻き分け右に左に木の幹を避けながら歩いて行くが、少し気になって

GPSを覗いて見ると454mの標高点に向かって下っていた。このまま下って行っても

標高点から少し下れば県道に出れないこともない。ただ恐らく広尾根のプチ藪のしかも下り。

意外と時間がかかりそうだし、最後の目標地点にしていた四国中央東幹線の22番鉄塔と

吉野川線の25番鉄塔がクロスする場所には行けなくなる。

前を行く奥様たちを呼び戻し、谷筋を回り込むようにしてプチ藪の中を引き返す。














灌木が生い茂る中を登って行くと南に明るい場所が見えた。その明るみに引き寄せ

られるようにして藪の中から飛び出すと少し下に鉄塔が見えた。

『あの鉄塔まで行けば何とかなる!』。そう思って更に密になる藪の中を掻き分け掻き分け

下って行くと保線路らしき道に出た。ここでも鉄塔は支尾根の先にあり南に往復する

道になっている。あとはこの保線路を22番鉄塔に向かっていくだけだ。










最初は緩やかに下って行くが、中央幹線の基幹線の保線路の割には木々が生い茂り

道は少し荒れていた。正面には23番鉄塔が見え始める。








下り坂から鞍部に差し掛かると青いPE平ロープが道を塞いでいた。

立入禁止の意味だろうが、確か鉄塔一筆書さんの活動日記に松茸の季節は立ち入り

禁止の道だと書いていたような気がする。それなら今はシーズンオフ。先頭のルリちゃんに

『大丈夫ですよ!』と言ってテープを潜って進んで行く。





鞍部から少し登り返すと23番鉄塔の広場に出た。さすがに中央幹線の鉄塔だけあって

首が痛くなるくらい見上げないと頂部が見えない立派な鉄塔だ。














23番鉄塔から南に少し下るといよいよ22番鉄塔への道になる。

日差しの届く明るい道だが、陽の当たらない道の脇には霜柱がまだ残っていた。














道が南から東に向かうと谷筋の道になる。ここでも倒木が多く足元もザレた場所がある。

大きなヌタ場もまだ薄氷が張っていた。

















谷筋を抜けると今度は二つの標示杭。四国中央東幹線吉野川線の標示杭。

その標示杭を右に進むと、北側の眺望が広がっていた。

満濃池の奥には青山連山。その青山連山の城山からの稜線の奥に見える

番の州の工場の煙は、海岸沿いの風は強いのか、ほぼ横に流れている。

そして青ノ山の頭の奥には水島工業地帯の煙が良く見える。




















今日一番の眺望に、454mへ下がらずにこちらに回って来て良かった。展望ヶ所の

先には今日最後の鉄塔、四国中央東幹線の22番鉄塔。送電線は東西に続いている。

その22番鉄塔の手前には少し小ぶりな吉野川線の25番鉄塔と南北に続く送電線。

二つの送電線がクロスするのを初めて見た。どちらの送電線もここから讃岐変電所へと

続いている。前回も鉄塔を見ながら歩いたので、少し興味が湧いて家に帰ってから

調べてみると、鉄塔の番号は変電所からスタートして連番になっているそうだ。

そして四面の鉄柱の足元にその鉄塔の送電線名や番号などが書いた銘板は、

若い番号の鉄塔の方向の鉄柱につけられているそうだ。







そんな話をしているとあっちゃんが引き返して吉野川線の鉄塔を調べに行った。

自慢げに語ったうんちくが間違っていたら身もふたもなかったが、幸い吉野川線の

鉄塔の銘板の取付位置は間違いなかったようだ。

戻って来たあっちゃんがスマホを覗き込んで調べている。どうやら吉野川線は

阿讃の山を越えて井川町へと続いていた。そう言えば、池田町から東に国道を

走ると、井川町の辺りで発電所があったのを思い出した。そうかこの送電線は

その発電所へと続いているんだ。何て考えていると、鉄塔や送電線そして

保線路は、山歩きの中でひとつポイントにもなっていて益々興味が湧いてきた。











ひとしきり鉄塔広場で話をした後、広場から少し東に。その後南に林の中の

道を下って行くと、県道4号線に飛び出した。取付きにはさっきと同じように

規制線の様にしてPE平テープが張られていた。













ここで途中からずっと登山靴の中でチクチクしていた靴下に刺さった棘を抜こうと、

腰を降ろして靴を脱ぎ靴下も脱いで棘を抜いた。

すると歩いている途中で何度も靴紐がほどけていたのを見かねたルリちゃんが、

絶対にほどけない結び方があるのよと教えてくれた。ただあっちゃんが横で

写真に撮ったその様子をみて見ると、お母さんが小さい子供の靴ひもを結んで

いるように見える。







なぜかあっちゃんも『私にも教えて!』と私の脚を使って練習台にしている。





靴紐を整えて、いや整えてもらった後は県道4号線を塩入へと下って行く。

奥様たちはいつものように楽しそうに世間話。私はといえばいつものように後ろから

トボトボと付いて歩いていると、先週登った尾根の21番鉄塔が目に入る。














デポした塩入に到着後、途中で話し合った山内うどんに直行したら、なんと玉切れで

営業終了。仕方がないので相談した後、長田うどんまで車を走らせる。

満腹になったお腹を抱えながら、朝車を置いた尾瀬神社の駐車場までルリちゃんと

ドライブ。そのルリちゃんと駐車場で別れた後の帰り道。何故だか鉄塔ばかりに

目がいっている自分に気が付いた。







それならと帰り道の途中にある讃岐変電所に寄り道してみた。

広大な敷地の中に複雑に建つ鉄骨群。直ぐ近くにあるゴルフ場とさほど変わらない

広さの讃岐変電所。そしてその変電所の周りには取り囲むようにして鉄塔が建っていた。

これは鉄塔ファン?がいたなら、たまらない場所になるだろうな~!

(1番鉄塔で取り囲まれている)イヤイヤ鉄塔ファンでなくてもこれを見ると

気持ちが何だか高ぶってしまう施設だ。今度時間があったなら、その1番鉄塔群と

変電所をゆっくり見てみよう。線で繋ぐ里山歩きも送電線もどちらも線で繋がっている。

そういう意味では親近感を覚え、興味が湧いてしまうのかもしれない。








『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 塩入~琴南

2023年02月16日 | 香川の里山

今回の線で繋ぐのテーマは、東の引田から西の荘内半島の二つの灯台を、里山を歩いて

繋いでみようと考えて始めたが、当然阿讃縦走路のようにほぼ稜線を歩く訳には

いかず、下道の舗装路を歩いたり林道を歩いたりするケースが出てくる。

それでも出来るだけ山の中を歩きたくてルートを色々と考えるのだが、前回歩いた

尾瀬山から琴南までと、東の三木町の高仙山から塩江の八丁山までの間のルートが

なかなか思いつかなかった。特に尾瀬山からは南に阿讃縦走路に向かって破線は

あるが、東に塩入に向かっては道らしき破線は載っていない。また塩入から東に

向かっては、林道琴南財田線がまんのう町中通まで続いているが(途中未工事

部分有)、距離もかなり長くなり、そもそも山道を歩かないのでは意味がない。

あとは地形図に載っている送電線の近くに保線路が在ればそれに頼るしかないかな~と、

そう思って色々と調べてみると、YAMAPの鉄塔一筆書さんや綾川の山さんが

尾瀬山・塩入・琴南周辺をけっこう歩かれていて、やはり保線路を使って歩かれて

いたので、参考にさせて頂いた。

尾瀬山の南の762.5mの多治の三角点から東に派生する尾根の南側には四国中央東幹線の

送電線が塩入の上空を通って柞野へと続いている。その柞野からはひと山越えれば、

平川沿いに歩くと国道438号線へと出ることができる。お二人が歩いたルートに

少しアレンジを加えれば尾瀬山から琴南の公民館までが繋がる。いままで頭の中で

モヤモヤと雲がかかっていたこの区間だったが、一気に雲が流れて晴れ間が出た。


そう思って迎えた今週だったが、水曜日は気温がかなり低い。山間部では最低気温は

マイナスになりそうだったので、車をデポする尾瀬神社の駐車場は標高も高いので、

途中の車道が凍結している可能性がある。それならまだ少しは標高の低い塩入に

車を置いて、琴南までを先に歩くことにした




先ずは琴南の公民館に集合して、そこから塩入まで移動。林道琴南財田線が東西に走る

交差点の更に奥の路肩が広がった場所に車を停めた。南にはこれから向かう鉄塔が

尾根に沿って続いている。




車を降りると思っていたよりは寒くはなかったが、それでも灰色の空からは

雪の華がチラチラと舞い降りていた。ハア~と思いっきり息を吐くと真っ白になる。

車を停めた場所から少し戻って、スレートの倉庫と立派な門構えの民家の南を、

県道から右に折れて少し下って行く。

そこから財田川の源流域の谷あいを歩き、集落の手前の石垣の前で二股になった

道を左に進んで行くと、砂防ダムへの道になった。













砂防ダムの脇に22番と21番の保線路の矢印杭があり、そこから保線路への取付きになる。

取付きからしばらくは九十九折れの道。風が吹いていないので体感温度はそれほどでもないが

息が切れて空気を大きく吸い込むと、喉元が冷えた空気で痛い。










今シーズン初めて見る道の脇のツララが、なお一層寒さを誘う。薄くスライスしたような

小さな雪がひらひらと舞っている。今日のような雪は何て言うのだろう。綿雪・泡雪?。

地面に舞い落ちた雪は直ぐに融けずに、地表を覆い始めた。











保線路から上にある21番鉄塔はパスしてそのまま進んで行くと、20番鉄塔広場に出た。








四国中央東幹線は伊方発電所からまんのう町の讃岐変電所まで、全長185kmにわたる

50万ボルトの基幹送電線。それだけに鉄塔も一回り大きな感じがする。広場からは

東に尾瀬山、西は大川山辺りだろうか、雪雲の中で霞んで見える。










塩入からは林道琴南財田線を歩くしかないかなと思っていたが、思いがけずこの保線路の

存在を知ることになったが、予想以上に快適な道だ。これも綾川の山さんのお陰だ。

19番、18番鉄塔と順調に進んで行く。













18番鉄塔のすぐ下には林道が地形図には載っている。ここから中寺の三角点までは

今までの緩やかな尾根道から打って変って急登が続いて行く。 











足元の地表は凍って足を踏み込むたびにガリガリと音がする。凍った地面に時々

足を滑らせる。こんな道を下るのは怖いな~と思いながら登って行く。













それでも18番鉄塔から15分ほどで三角点に着いた。三等三角点 中寺 753.57m

今日は山頂を踏むことのない区間だが、この三角点だけが唯一YAMAPでの

ポイントになっている。ただ奥様たちは柞野から既に歩いてゲットしているので

さして感動もなく・・・・・。














中寺は平安時代に栄えた山寺。その存在は地元の人々に伝承されれていたが、記された

書物が少なく、永らく幻の山寺となっていたが、調査の結果様々な遺物が出土し、平成

20年に国指定史跡となった場所。山中に点在する史跡は里から遠く離れた場所で、

不思議な空間を創り出している。

そんな中で三角点の先にある中寺展望台は、県内でも随一の展望所。天気が良ければ

讃岐平野のほぼ全域を見渡せる素晴らしい場所だ。

生憎今日の空模様では薄く霞がかかったようになっていて、遠くまでは見渡せない。

それでも影の形で見える里山を、三人で山座同定しながら景色を楽しむ。




正面に綾川の城山とサンライス・ヒルズのゴルフ場



右に城山と猫山



先週歩いた満濃池



大川山山頂付近には雪が積もっている。







前回ここに来た時は夏場だったので、景色を見ながら30分以上休憩をしたが、今日は

やはりじっとしていると寒い。行動食を口に入れ、ルリちゃんからのピスタチオの

チョコレートも頂きながら、あっちゃんからコーヒーをカップに入れてもらって温まる。

コーヒーを飲んだ後早々に展望台をあとにする。ここからは柞野までは下るだけ。











時間的にはまだ10時。柞野まで降り、更に東に尾根を越えて琴南の公民館まで

3時間強と考えると、少しお昼は過ぎるが今日も三嶋製麺所が視野に入って来た。

その話しをすると奥様たちの歩くスピードが急に上がって来た。











柞野の登山口には40分弱で着いた。先ほどまでの薄曇りの空から晴れ間が見え、

日が当たり始めると暑くなってきたので、ルリちゃんとあっちゃんは雨具を。

私はここで上着のソフトシェルを脱いだ。

道の脇にふきのとう。昨日天ぷらにして食べたばかりだというルリちゃんが、

採らずに写真だけ撮っていた。













柞野川が道の脇に沿って流れている辺りから、地形図では東の尾根に向かって

破線が載っている。その破線の位置から少しズレた手前で、保線路の番号矢印杭があった。







ここから先は事前に調べても歩いた人が見当たらなかったが、503mの標高点まで

破線が続き、そこから南の尾根にも破線が載っている。そしてその先には林道琴南財田線。

尾根に乗っかればなんとかなるだろうと予想して歩いて行く。










途中では作業道と保線路が交わり、間違えないようにと手書きの杭。







その杭に書かれた矢印方向に進むと12番鉄塔の広場に出た。ここまで続いていた

四国中央東幹線ともここでお別れ。







四等三角点 桜 から503mの標高点にかけての尾根の北側は、複雑に波うった

等高線になっている。そのひとつの支尾根に12番鉄塔から登って行く。

地形図では破線は続いているが、登山道と言った雰囲気の道ではなく、踏み跡もなく

時々痩せ尾根になった場所がある。







痩せ尾根で不安定な振りをしてみるが、ただの酔っ払いに見える




前を歩く奥様たちが立ち止まり、前方を見上げている、その目線の先に503mが見える。







ここから503mにかけてが今日一番の急登だった。











前を行く二人もさすがに一歩一歩踏み出して登って行っている。ストックを短くして

時々木の枝を掴みながらゆっくりと登って行く。相栗峠や阿讃縦走路の境目から

鵜ノ田尾峠への急登を思い出す。あっちゃんが『四国三大急登の石墨山より、この坂

の方が急登よね!』と言っている。少しだけ湿り気を帯びた地面はぬかるむことなく

比較的足元は滑らずに登って行けたので助かった。











なんとか登りきった場所に503mの標高点。ここから南に破線は続いている。

ただし道が明瞭だったのは最初のごくわずかな距離だった。







広尾根になった場所では道は不明瞭になり、灌木の間を縫うようにして右に左にと

身体を入れ替えながら歩いて行く。503mで尾根に乗れば、後は楽勝だろうと

思っていたのが間違いで、意外と時間がかかってしまった。











やっとのことで切通になると、きれいなアスファルト道にでた。林道琴南財田線だった。

右に行くと柞野の最上部へと林道は続いている。切通から左に下って行く。

下りになると少し肌寒くなってきたので上着を奥様たちが着込んでいる。

私もと思ってザックを降ろすと、フロントのポケットに挟んだ上着が見当たらない。

ガ~ン!さっきの503mからの途中で落としてしまったようだ。

時間は12時過ぎ。ここから公民館まではまだ4kmほどある。引き返して探すには時間がない。

仕方がないので取りあえず公民館まで下って、お昼を済ませて探すことに。

(結局お昼のあと、探しに戻るのは諦めた)








林道からは北に大麻山と琴平の街並み。大麻山の奥に天霧山の削られた山肌が見える。




林道をしばらく下って行くと道の左に別の道が見えた。奥様たちは気づかずに先を行っている。

予定していた平川への道は直進ではなくこの鋭角に折れた左の道のようなので、奥様たちを

呼び戻し、落ち葉の積もった道へと下りて行く。道はガードレールのある立派な道だが

使われていない林道のアスファルトは、土や石で埋まっている。













平川の支流から平川の左岸に渡り、川に沿って下って行くと大きな砂防ダムがあった。

山の中で見かける砂防ダムのほとんどは、上流からの土砂の流入でけっこう埋まっているが

この砂防ダムはそんな様子が全くなく健全だった。











国道までの道は途中、民家の跡の石垣が点在していた。







集落に差し掛かるが上流部の民家はすでに人の気配が全くない。








国道に出る手前に小さな小屋があった。MAPには山神社となっていて注連縄も新しく、

地元の人達はい今も参拝している様子だった。







国道に出ると奥様たちのスピードが益々上がって来た。『今日は3玉食べるわよ!』と

張り切るあっちゃん。それを聞いてあきれるルリちゃん。








下道のアスファルトを出来るだけ歩かずにと思って計画した今日のルート。四国中央東幹線の

保線路は思っていた以上に快適な道だった。またここ最近では一番の急登とプチ藪と、意外と

変化があり、アスファルト道も柞野の辺りと、林道琴南財田線、そして平川林道の最後の

方から公民館の間だけで済んで、アスファルト道では足が痛くなるルリちゃんにとっても

最低限で済んで良かった。次週は気温が上がれば尾瀬山から塩入を予定。この区間も

山頂を踏むことなくただただ線を繋げるための区間。

他の人から見ると何が楽しいかと思われるのだろうが、始めて見ると目標とテーマがあり、

それに沿って色々とルートを考えるのが先ずは楽しい。そして山中だけでなく里の中を

歩いていると、ちょっとした発見がありそれもまた楽しい。今回は周回した区間も殆どなく、

引田鼻灯台から讃岐三崎灯台までが、ほぼきれいな一本の線で繋ぐ事が出来そうだ。

これこそ線で繋ぐの醍醐味?予定ではあと6区間。春までに何とかその線を繋げたいと思う。


ここまでの西のトラック



ここから先の東のトラック



『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~竜王山

2023年02月03日 | 香川の里山

『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る』とはよく言ったもので、少し前に

お正月だと思っていたら早や2月。その正月明けに善通寺から大麻山を縦走して

いこいの郷公園まで歩いたのがつい先日の様だ。今週はそのいこいの郷公園から

南に繋いで行く。スタート地点は尾瀬山。最終地点は竜王山。尾瀬山は私は既登の山。

奥様たちは竜王山が既登の山となる。いつもより少しゆっくり目にいこいの郷公園に

集合して、1台に乗り合せて尾瀬神社まで移動して駐車場に車を置いてスタートする。

このところの里山歩きのパターンで、今日も山行中は行動食で済ませて、下山後に

ランチをとる予定。尾瀬山が1時間30分。そこから竜王山まで歩いていこいの郷

公園着が2時間30分と予定したのだが、これが後々誤算となった。




駐車場からまずは展望台へと向かう。立派な東屋の展望台からは中讃から西讃の里山が

一望できる。琴平山の麓の牛尾口の大倉工業の白い建物が見えるが、今日はほぼあの

辺りまで歩くことになる。






満濃池と青山連峰(大高見山・猫山・城山)


左奥に七宝連峰。中央の右端の三角の頭が竜王山


琴平山の麓の大倉工業の建屋


どこから見ても同定が容易な飯野山



展望台でしばらくの間里山の同定を楽しんだ後、尾瀬神社へと向かう。

尾瀬神社は昔、尾背寺として下寺41ケ寺を擁した一大寺院だったが、長曾我部の兵火に

かかり廃寺となり、その跡に建てられた水分神社が明治時代になって尾瀬神社となったそうだ。




立派な鳥居を潜ると直ぐ脇に神泉。尾背寺建立時に掘られた泉で、一度も枯れた

ことがなく、雨乞いの神事に使われていたそうだ。

本殿でお参りをして一旦鳥居の方へ戻って行く。











参道の脇から尾根筋へと登って行くとアスレチックの遊具が並んでいる。今は訪れる

人のほとんどいないこの山中にも、出来た当時は子供たちの遊ぶにぎやかな声が

聞こえていたのだろう。県外の山でもそうだが、山頂近くに造られたキャンプ場や

アスレチックといった施設は、今は全く使われていない。人々のレジャーも時代に

よって次々と偏移している。







そんなアスレチックの遊具を見ながら歩いて行くと、しばらくして尾瀬山に着いた。

三等三角点 日浦 576.99m  山名標の文字もほぼ消えかかっていた。







尾瀬山山頂からしばらく歩くと鉄塔広場に出た。ここの鉄塔は他の鉄塔には無い

昇降防止の為にワイヤーが張られていた。隙あらば登って見ようとするあっちゃんだが、

これではさすがのあっちゃんも登るのは不可能だ。







鉄塔広場からも西に尾根道がほぼフラットな状態で続いて行く。こうなるといつもの

パターン。奥様たち二人は賑やかに話をしながら前を歩いている。小さなピークを

登り、下り坂になると文字の消えた鉄板の道標が道の脇にあった。相変わらずふたりは

話に夢中で通り過ぎて行っている。立ち止まってその矢印の道標をよ~くみて見ると

大寺の文字が何となく見えた。慌てて二人を呼び止めて、その矢印の方向へと左に

折れて登って行くと大寺山山頂だった。











四等三角点 大寺 573.47m ここから登って来た方向と反対に道は続いていたが、

間違って折り返して下ってしまう。








下って行くとまた鉄塔広場に出たが、ここでは行止りになっていて道が見つからない。

どうやら大寺山山頂から反対に続いていた道が尾根道の様だ。奥様たちに話をして

また大寺山へと引き返す。以前にWOC登山部で歩いた時もこの鉄塔広場まで

下って行ったトラックが残っていた。また同じミスをしたことになる。





大寺山からはほぼ下り。小さなピークでは登らずにトラバースの道が直ぐ下にある。











鞍部になった場所は南北に道があり峠の様な場所になっていた。脇には石柱が建っている。





大寺山から438mの標高点のちょうど中間地点で、今日初めての登りらしい登り。

438mの標高点の手前の鞍部でまた、ピークへの道とトラバース道に分かれていた。

このままピークに登ると、森林センターの登山口に続いている。





前回WOC登山部で歩いた時は森林センターから登って来たのだが、今日は違う

道を237mの柿畑の三角点の方へ下って行ってみる。ピークには登らず南側を

トラバース。最初は少し道は荒れていたが、直ぐに幅の広い快適な道になった。

道は相変わらず電力の保線路になっている。








広い尾根道から少し道が不明瞭になるが、踏み跡を辿って行くと林道に出た。










柿畑の手前には電波塔が二つ建っている。ここの電波塔はあまりメンテナンスが

されていないのか、敷地の中は草ボウボウで荒れている。道は電波塔の辺りから

落ち葉に隠れてはいるがコンクリートの道になる。








そのコンクリート道から舗装路にでると道の脇に四国のみちの道標。ここから竜王山へは

この四国のみちを歩いて行くことになる。ここまで既に予定していた時間をかなり

オーバーしている。奥様たちはそろそろお昼ご飯を気にし始めた。いつもの事だが

ルリちゃんはそうでもないのに、とにかくあっちゃんがうるさい。今日は予定では

財田町のお寺の中のピザ屋さんでランチの予定なのだが、このまま竜王山まで行って

果たしてオーダーストップまで間に合うか?いこいの郷公園まではまだ3時間弱

かかりそうなので、取りあえず行動食を口にする。








道の脇には梅の木に小さな白い花が溢れていた。近寄ると爽やかな香りが漂って来た。





その梅の木から少し歩くと今度は斜面一面にミツマタの群生が広がっていた。

ここまでの群生を見るのは初めて。まだ蕾の状態だが、これが黄色く色づいたら

見応えがあるだろう。そのミツマタの斜面の中に、陶芸の窯があり、その先には

これも見た事のない、太い大きな自然木を柱にした建物があった。











近寄って中を覗かせてもらうと、どうやらここでミツマタを加工して和紙を作って

いるような雰囲気だった。それよりも建物の中央で棟を支えている自然木が凄すぎて、

只々感心するばかりだった。この施設からしてミツマタは群生地というよりは

人工の畑のようだ。














ミツマタ畑のさらに先は香川県森林センターの敷地内になっていた。道の両側には

整然と並んだヒノキや苗畑が続いていた。首が痛くなるくらい見上げないと最上部が

見えない松の木が、真直ぐに伸びて道路の脇に並んでいる。











森林センターの敷地を抜けると北に向かって田畑が広がっていた。木原の集落に

差し掛かると、自治会館の様な建物の横に停めた軽トラックの周りに数人の人が居た。

近づいて見ると移動販売の車だった。その販売車に近所の人が買い物に来ていた。

まだ先の長い私たちも少し行動食を補充する事にした。ルリちゃんは菓子パンを

ひとつ。私はおにぎりをひとつ。あっちゃんはなんと揚げパンを三つも買っていた。










この辺りの民家では塀瓦の端に飾り瓦で飾られている。その内のひとつの布袋さんを

指さして『ルリちゃんのご主人?』と言うと苦笑い。『うちも痩せた痩せたと自分で

言うけれど、全然痩せてもいない』とあっちゃん。




そんな話をしながら歩いて行くと県道202号線に出た。ここから左に折れて

JR黒川駅を見ながら、今度は国道32号線に出た。国道を北に向かって

少し歩いて、今度は西に黒川地区へと入って行く。














道はここからも四国のみちになっている。そして財田川の支流の谷底平野のような

地形の中に春を待つ田畑が続いていく。振り返るとネギ畑の奥に阿讃山脈が見える。











この四国のみちは竹ノ尾越を越えて金毘羅さんへと続いている。








谷底平野も最上流部になってくると、両側から山が迫ってくる。








最終民家の手前では道にネットが張られていた。上から女性が降りてきたので

『すみません、竜王山に行きたいので、通らせてください!』と言うと、その女性が

『私たちもネットを開けさせてもらったの。昨日竜王山に登ってこちらの登山口を

確認しに来たのよ』と話してくれた。

民家の横からは竹林の中の山道になる。空は青色が広がって来た。昨日は曖昧な

天気予報で少し雨が降ったが、それを見越して今日に変更して正解だった。











竹林の中を登って行くと真新しく塗り替えられた朱色の鳥居があった。








その龍神さんからさらに登って行くと竹ノ尾越に着いた。ここからは今日初めての急登。

この竜王山を南から見ると三角の頭の形をしている。したがって山頂が近づくにつれ

どんどん急になってくる。先週と同じだけの距離を既に歩いて、最後にこの急登は堪える。











奥様たちも足を滑らせながら登っている。それでも15分ほどで何とか山頂に着いた。

三等三角点 竜王 421.6m  急坂だった登りは、下りも急坂。少し道を間違え、

木々の間を滑り落ちないように幹や枝を掴みながら下って行く。








竹ノ尾越からは広々とした道。杉林から竹林の中の道になる。竹林も丁寧に人の手が

入っているのか、とても雰囲気が良くきれいな竹林だった。










山裾に出ると北に景色が広がっていた。大麻山の大きな背中の横に。可愛らしく

善通寺五岳が並んでいる。佐分の集落の中を通り国道377号線に近づくと、

さすがにあっちゃんが、もうそこのうどん屋さんでお昼を済ませようと言ってきた。

ピザがうどんになったが、登り下りがあまりなかったとはいえ、ここまで結構な

距離を歩いてきた。温かいうどんの出汁が喉の奥に流れ込む。

そういえば前回セニョさん麺法師さんと尾瀬山に登った時も行動食しか持って来ずに、

下山後下道をぐるっと森林センターまで戻って時間が遅くなり、うどん屋さんを

探して遅めの昼食になったのを思い出した。一度あることは二度ある。














お昼ご飯を終えて、国道をいこいの郷公園へと向かう。沿面距離15.7km。行動時間

5時間30分の里山歩き。といってもほとんどが四国のみち歩きの一日だった。

今日の続きの尾瀬山から琴南町公民館までは直接尾根では繋がっていない。

尾瀬神社の駐車から南に東多治見川林道を通って、そのまま阿讃山脈へと歩いて

東山峠、大川山まで歩いて琴南町の公民館へと下るのが登山道が続いていてまず

間違いはないが、それでは最初に意図した阿讃縦走路とは別のルートで引田から

荘内半島まで繋ぐという計画から外れてしまう。東多治見川林道から阿讃縦走路に

向かう途中にある多治の三角点から東に七曲丸の三角点へと尾根が続いている

のだが、これが果たして道があるのか不明。航空写真を見て見ると尾根の南側に

等高線の様なくねくねと曲がり曲がった作業道の様なのが見える。やはりこの間は

作業道を歩くか保線路を探して歩くかだが、どちらにしても稜線の登山道と比べると

周り廻っていて距離がかなり伸びてしまうので頭のいたいところだ。この区間は

しばらくどう歩くかを考えて、来週は別の区間をまずは歩く事になるだろう。

さてさてあと何回で引田から荘内半島が繋がるかな?







ここ最近のトラック

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 詫間四座

2023年01月27日 | 香川の里山


今週の線で繋ぐは、先週からの続きで詫間町の四座を歩いてきた。

七宝山の北に位置する四座を、地元の奥様たちは四座とも既に歩いているが、

私は二座が未登の山だ。先週車をデポした松崎のコミュニティーセンターから

スタートして詫間町を下道歩き。まずは松峯山に登って次に高尾木山、そして

妙見山・博智山を縦走するコース。時間的には今日も余裕がありそうなので、

山中では行動食で済まして下山後にランチとした。




最強寒波とテレビではオウムの様に繰り返してアナウンスしていたので、少しだけ

マシになる木曜日に一日ずらして集まった。先ずは博智山の登山口に集合して一台の

車でコミュニティーセンターまで移動。マシになるとはいえそれは日中の気温で、

朝一番はやはり寒い。防寒にも役立つマスクをつけたまま歩き始める。

詫間町は海岸沿いのせいかさほどではないが、高速で来る途中に見えたどの家の

屋根も真っ白だった。ただ吹きさらしの橋の上になるとさすがに道の脇は凍っていた。








松峯山に向かう途中にある先日オープンしたWOC登山部仲間のトッシーのお店は

まだ時間が早くて人気はなかった。『山から降りてまた来ましょう!』と話をして

先に進む。汐木山を左手に見て汐木原の集落の中を通って行く。







汐木原から東に今度は大原の集落から松峯山の登山口へと向かう。松峯山の登山口は

大原自治会館の横になる。取付きには例によって木製の大きな案内板。案内板には

色々と名前がついた岩が描かれている。








取付きの道標は何故か松棟山と書かれている。地形図にも山名は載っていないので、

地元でも呼び名が色々あるのかもしれない。








登り始めて直ぐに花崗岩の露岩が現れた。そして羊歯の脇に一応花立はあるが石を

積み上げただけのような山神さん。








わずか115mほどの標高だが樹林帯を抜けると見晴らしが良くなってきた。花崗岩が

風化した尾根は、里山ではお決まりの松の低木とネズミサシが生えている。尾根から少

し下には天空の腰掛岩。せっかくなので一応腰掛けてみたが、なかなかの座り心地!











天空の腰掛岩の上には寝モアイ岩。モアイ岩の横では先ほどより一段標高が上がって

正面にはトンギリ山、そして三豊市ののどかな田園風景が見渡せる。











モアイ岩から花崗土の吊り尾根の先が松峯山山頂になる。











山頂からはこれから向かう高尾木山。そして澄んだ空気のお陰で瀬戸大橋も近眼の

私にもくっきりと見える。










松峯山山頂から折り返して登山口へと降り、高尾木山の取付きとなる加齢峠へと向かう。








北消防署第三分署を横目に、峠の頂部の切通の法面から高尾木山へと入って行く。

錆びた鎖を跨いで直ぐに山側に黄色い小さい高尾木山と書かれたプレートがあり、

そのプレートの横には先日も度々見たまちづくり推進隊みのの説明書きもあった。

落ち葉に隠れたコンクリートの道は谷筋を上へと続いている。













そのコンクリート道が途切れると道が不明瞭になる。左手にピンクのテープが見えたので

テープに従い登って行く。踏み跡は薄く少し藪ぽくなって来たが、直ぐ上に尾根が見えた。










テープは見当たらなかったが、細い木の枝を掻き分けながらしばらく登ると尾根に出た。

奥様たちは暑くなってきたと上着を脱いだ。ここからは尾根筋の道。電波塔の電源施設を

横目に見て、テープを見ながら登って行く。











山頂からは北に詫間町の街並みが見降ろせ、南西には燧灘越しに法皇山系

雪を抱いているのが見える、その手前には今流行りの父母ケ浜に白波がたっている。











山頂は四等三角点 高尾下山 270.31m。山名標の前が不自然な大きな窪みに

なっていたので、ここも山城跡かなと思ったが、帰って調べてみると海軍の

機銃陣地の跡ではないかと言う事だった。




山頂からは北西に詫間越に向かって下って行くが、これがなかなかの急坂。

麓近くまで張られているトラロープを握りながら降りて行く。先週位から下り坂で

痛みだした膝が今日も少し痛む。我慢できないような痛みではないが、これが悪化すると

困るな~と思いながら、負担を掛けないようにゆっくりと降りて行く。














貯水槽の横を通りさらに下って行くと、地形図で詫間峠となっている場所に出た。

道の脇には峠らしくひっそりとお地蔵さんが佇んでいた。山頂と同じ木の道標。










道標に書かれた仁尾方面へとトラバース気味に歩いて行く。切通の間を抜けると鳴子峠

書かれた石碑が場所に出た。その手前にはお地蔵さんが数体祀られたお堂がある。













県道231号線の旧道を歩き県道にでた。奥様たちはここから直ぐに向かいの

ミカン畑から妙見山へと取り付いたとの事だった。その取付きでは搬送用の

モノレールの取替の工事をしていた。工事のトラックが古いレールの積み込みを

していた横を通って登って行くと、トラックの運転手から『その先で工事をして

いるので、何かあったらいけないので入らないでください』と注意された。







仕方がないので引き返して詫間側に下りながら、登って行けそうな場所を探す。

集落の手前から尾根に向かって登って行くと、山神さんの祠までは踏み跡が

あったが、そこから先は道は途切れてしまっていた。











奥様たちが前回あるいたルートが通れないとなれば、あとは詫間越えまで仁尾方面へ

下って、妙見宮から登るルートしかない。そうなればかなりの時間のロスになる。

こうなったら尾根を辿って登って行くしかない。最初はイノシシにそこら中掘り返された

竹林の中。次に急登となるが『まだ藪でないからマシね』と言いながら余裕があった。








ただその余裕は直ぐに羊歯の藪を目の前にしてなくなった。でもこうなったらこの

羊歯の藪に突入するしかない。まずは切り込み隊長の私から藪の中へとダイブ。







暖かい時期の羊歯の海では埃が立って閉口するのだが、今日の羊歯は下の方が枯れていて

その枯れた葉が絡んで絡んで足が前へと進まない。途中で今度はあっちゃんが先を行き、

最後はまた私と交代して、とにかく足を持ち上げ掻き分けながら登って行く。











結局、山神さんの祠から僅か100mほどを作戦苦闘して20分以上かかって最初の

ピークに出た。予想しなかった久しぶりの藪漕ぎにホッとする。





小ピークの先で前回奥様たちが歩いた道に合流した。ここからは尾根に沿っての道。

さっきまでの藪がウソのようだ。尾根には至るところにタヌキのタメ糞。この山域には

かなりの数のタヌキがいるようだ。











尾根道を時折急登を交えながら妙見山へと近づいて行く。途中で12時のサイレンが

聞こえて来た。今日は下山後に詫間町でランチの予定。そのお店が13時30分までで

オーダーストップになるので、奥様たちが騒ぎ始めた。











山頂手前では少し眺望があった。顔面岩の横を抜け山頂には取付きから1.4kmほどの

距離を1時間かかってやっと着いた。











羊歯の海で苦戦して登山靴の中が屑だらけでチクチクしていた。山頂でやっと

落ち着いて、腰を降ろして靴を脱ぎ中のごみを取り除く。ただ腰を降ろした

場所が悪くて、『あ~あいかんのに~!』とあっちゃん








時間は12時10分。ここから博智山を通って車をデポした登山口までは2kmほどの距離。








デポの場所からランチのお店までの移動時間を考えても、あとはほぼ下りなので

オーダーストップまでには充分に間に合う。

充分間に合うというのに奥様たちが『急ぐわよ!』と言いながら、博智山への

急坂をガンガンと下って行く。膝を庇いながらも必死でついて行くヘッポコリーダー。











博智山山頂では石鎚山の天狗岳や瓶ケ森にもある金属の山名のプレートが置いてあった。

その脇では絵馬を掛けた木枠が倒れて、絵馬が散乱していた。管理する人がまだ知らないのか、

それとも管理する人がいなくなったのか、でもこうなるともうゴミでしかない。







山頂標の横からは東の景色が広がっている。ここ最近で歩いてきた大麻山善通寺五座

そして天霧山から黒戸山。空気の澄んだ青い空に、流れる雲の白さが寒さを誘う。











八畳岩からは詫間の街並みを見下ろせる。詫間の港の横の塩生山にもその流れる

雲の影が映っている。







八畳岩の下の掲揚台でルリちゃんが『急だけど時間が短い地獄坂を下ります!』と。

何度か来ているこの山で初めて歩く道。どこの里山でもそうだが、次々と道が出来る。








急な場所にはロープが張られた地獄坂。名前ほどではないかな?と思いながらも

やっぱり膝の具合が気になるが、『ランチ・ランチ!』と言いながら下って行く

奥様たちに付いて降りる。











地獄坂を降りきると車を停めた登山口より少し東にでた。そこから下道を歩いて駐車場へ。














お目当てのランチの時間には充分間に合った。以前は居酒屋だったお店がコロナ下で

カレーの専門店に切り替えたお店だ。海鮮とビーフの二種盛のカレーは、今まで

味わったことのないスパイスが効いていて、奥様たちも大満足。








ランチのあとは朝まだ開いてなかったトッシーの所で食後のコーヒー。もともとお爺さんの

鉄工所だった建物をさらぴんと名付けてオープンしたお店。旧知のトッシーと綺麗な奥様が

迎えてくれた。コクのあるコーヒーを飲みながら、奥様たちは娘の様な若いトッシーの

奥様とアレコレ話をしている。それを見ながら『いつもこんなに賑やかなんですか?』と

トッシー。『そうなんよ、いつも二人はこんな感じで、私は静かに後ろから付いて行ってる』と、

奥様たちには聞こえないように答える。コーヒーとは別に姐さんの薬膳茶も試飲させて

もらいながら、今度はトッシーと話し込む奥様たち。

山を下りた後、美味しいランチと楽しいコーヒータイムで大満足のお二人だった。











少しづつだが繋がって来た。

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 三豊五岳

2023年01月20日 | 香川の里山
先週は干支の山歩きでお休みした線で繋ぐを再開。善通寺五岳から弥谷寺の

駐車場まで歩いたので、そこから弥谷寺そして天霧山から弥谷山への稜線まで

登り黒戸山まで縦走。その後黒戸山の南の久保谷へと下って、貴峰山から龍王山

縦走して詫間駅の向かいの松崎コミュニティーセンターまで歩くというコース。

ただこの区間の山は三人とも全て歩いているので、単純に下道を繋ぐための

序の山歩きとなる。一台をコミュニティーセンターに置かせてもらって、道の駅

ふれあいパークみのまで移動してスタートした。




道の駅の駐車場からはこれから歩く峰に、朝の光が当たり始めていたが

日の当たらない日陰はとにかく寒い。弥谷寺の駐車場から境内へと進んで行くと

早速の石段が始まった。












その途中には大きな岩が石段の脇に座っている。遠目にはツルっとした岩の様に

見えたが、近寄ってよ~くみて見ると火山角礫岩の様な小さな石を含んだ岩だった。








地元の奥様たちは何度か来たことのある弥谷寺だが、私は山には何度も登った事は

あったが、お寺は初めて。仁王門を潜って長い石段を登って行くと、吐く息は白く

指先は冷たいが、身体は直ぐに温まって汗を掻いてきた。







まだ気温が上がらず冷えた空気の境内に、花手水の鮮やかな色彩がなお一層目をひく。

本堂でお参りを済ませると、天霧山の肩から陽が登って来た。石仏が並び摩崖仏が

刻まれた水場の洞窟の横を通って天霧山へと向かう。










取付きから直ぐに黒戸山へと書かれた道標があった。地形図では天霧山と弥谷山との

鞍部まで破線が続いているが、ここから尾根への破線は載っていない。ただYAMAPの

コース図にはここから尾根まで10分となっている。それを知らずに鞍部まで歩いて、

弥谷山を経由して黒戸山へ歩くつもりだったが、YAMAPを見てここから尾根に行ける

道を知っていたルリちゃんが『弥谷山には登るん?』と言ってきた。

今日は下道を繋ぐのが目的なので、『いえ別に登らんでも線が繋がればいいので』と

あっさりと計画変更。道標に従って左に折れて登って行く。







道は弥谷山と326mの標高点との鞍部に向かって続いている。踏み跡は薄いが

トラロープがほぼその鞍部まで張られている。











鞍部に着くと先ほどの黒戸山への道標にもあった説明板が野立て看板のようにして

立っていた。三豊市の里山にはどの山にも同じような説明板があるが、個人なのか

グループなのか、とにかくどこの山にもある。木に案内札をぶら下げる程度なら

まだしも、ここまで大掛かりなものを設置するのだから、当然、地権者には了承を

得ての事なんだろうな~などと思いながら、標高点へと登って行く。










標高点に今度は展望と書かれた案内板。左に折れて尾根の端に行くと案内板に

書かれた通り、朝陽で逆光になった善通寺五岳がシルエットになって見えた。











その展望台の少し先にももう一ヵ所展望所があったが、奥様たちはおしゃべりに

夢中で、その案内板には気づかずにどんどんと歩いて行った。





さらにその先にも三つ目の展望所。第三の展望所からは三豊から観音寺に

かけての平野部が、朝靄と朝陽が織り成す幻想的な風景になっていた。

西にはこれから歩くおむすび山の貴峰山を見下ろせる。













いつ歩いても目につく大ヌタ場は、その広さは何年経っても変わってない。いったい

どれくらいの数の猪がこの辺りにはいるのだろうか?











黒戸山へは何ヵ所か鉄塔広場を通過する。久保谷への分岐にも案内板がかかっていた。

ルート図を見ながら久保谷へは初めて歩くあっちゃんに『道はしっかりしていますが、

急坂だったように思います』と説明をする。











道の駅から弥谷寺や展望所で寄り道しながら、1時間20分ほどで黒戸山に着いた。

四等三角点 黒戸山 299.3m 以前にWOC登山部で来た時に、セニョさんが

CDを裏当てして修理したキティーちゃんのプレートも健在だった。











途中にあった展望所も登りの時に奥様たちは通り過ぎてしまったので、下りで場所を

教えてあげる。ここからは詫間の埋め立てられた湾岸部が見渡せる。








久保谷への下りは記憶通りに九十九折れの急坂が続いて行く。途中谷筋で落ち葉に

埋もれて踏み跡が不明瞭になるが、テープを見つけて進んで行く。














途中に何ヵ所か迷いそうなヶ所や危なそうなヶ所に案内板が掛けられているが、

EやD地点と書いていると、まるでオリエンテーリングの様だ。ただその下の

ルート図に詳しく説明が書いてあるのは親切心からなんだろうけど、オリエンテーリング

でも地形図とコンパスを頼りにポイントを探すのに、これではそれこそ観光地?





鉄塔広場から前回は皿池に向かって下って行ったが、少し籔いていた記憶があるので

今日は時間もある事だし、ルート図に書かれている保線路を辿って下りて行く。











保線路を下ると皿池の下手に降りて来た。ここで里山あるあるの猪避けの柵。前を

歩いていた奥様たちがゲートの針金を解いて開けている。昔はこんな柵は余り

なかったので、里山もどこを歩いても大丈夫だったが、最近は下手をすると柵の

外に出られなくなったりするので困る。といっても畑を荒らされる農家さんにとっては

深刻な問題なのだろう。







ゲートを通り、皿池の土手に向かって歩いて行く。突堤の階段を登ると前回下って来た

土手の端に道が続いている。











皿池から県道221号線を三野町に向かって下道歩き。途中路肩の脇から木に

掛けられた札とテープを奥様たちが見つけたが、その札は罠を設置した旨を

書いた札だった。その脇から道が続いているとあっちゃんが言っている。

ここから直接、貴峰山に登れないかと考えたらしいが、大抵こんな雰囲気の

場所の道は途中で行き止まりになっている。まぁ素直に登山口まで下道を

もうしばらく歩きましょうと声を掛ける。











以前に三人で歩いた時は登山口となる大石池の脇に車を停めて歩いた。その大石池には

カモが気持ちよさそうに泳いでいた。振り返ると先ほど歩いてきた弥谷山からの稜線。








宮脇集落の民家の間を通り貴峰山へと登って行く。ふれあい広場と書かれた木製の看板は

来るたびに痛んで朽ちていっている。ただその上にある宮脇の大磐座といわれる巨石は

時が経っても変わらない。磐座(いわくら)と呼ばれているのなら、何か信仰の対象に

なっていたのだろうが、周りを見ても今は全くその雰囲気はない。








大磐座の横を通り横の畑を眺めながら登って行く。振り返ると緩やかな傾斜のついた畑の

向こうに、葛ノ山・爺神山・山条山の三座が見える。畑の上から山道となる。







山道に入り樹林帯の中をしばらく歩くと發心堂と書かれた建屋があり、中には六体の

お地蔵さまが並んでいた。發心とは悟りを得ようと決心する事らしいが、まだまだ

雑念が多くて、そんな境地にはほど遠い。ここにもガイドブックを思わすような

説明板が立っていた。説明板のQPコードを読み込むと、『まちづくり推進隊みの』の

ホームページへのリンクになっていた。どうやら今まで山中にあった説明板や道標は

このNPO法人の人たちが設置したもののようだ。










發心堂で一息いれてその脇の登山口から山頂へと取り付いて行く。階段状の道から

大岩の横を抜けると、離れた場所から見たこの山の形通り、山頂が近づくにつれ

道の脇にはロープが張られ勾配が急になっていく。














山頂は安山岩だろうか、一枚の大岩になっている。その大岩に四等三角点貴宝山

石柱が埋め込まれている。大岩の上に立つと三豊の平野部が全て見渡せる。

貴峰城だったこの山頂。往時の殿様の気分になる。













埋め込まれた三角点を前に記念撮影。天気は晴れの予想だったのに雲が多くなってきた。

吹く風にじっとしていると肌寒い。それではと次の毘沙古山へと進んで行く。


















毘沙古山との鞍部への下りは、登りの時より急な感じがする。木やロープに

掴まりながら慎重に下りて行くが、どうも膝の調子が悪い。大きな痛みではないけど

ジンジンと痛んでくる。これが続くようだと困ったな~と思いながら下って行く。










鞍部にはミニ88ヶ所の26.27番の石仏が向かい合って立っている。








鞍部から毘沙古山への登りはたっぷりと落ち葉が積もっている。登りになると

膝の痛みは直ぐになくなるが、積もった落ち葉に足が滑って膝に負担がかかる。

毘沙古山山頂は北側に少しだけ木々の間からの景色があるだけの山頂だった。

















次の竜王山へも一旦下りとなるが、先ほどの貴峰山の下りと比べると緩やかだ。








鞍部から竜王山への登りの尾根道になると、今までと少し雰囲気が変わってきた。

木の幹に太いツルがそこらじゅうの木々に巻き付いている。巻き付かれた木は

身体に巨大な蛇が巻き付き締め付けられていて苦しそうに見える。










花崗岩の散らばる小ピークを過ぎ、また一旦下って登り返すと竜王山に着いた。














竜王山から北西に進むと最後の展望のある場所。麓に今は閉まってしまった

詫間カントリーと、その並びに同じくらいの広さで太陽光発電所があるのが見える。

その奥には次週歩く予定の高尾木山妙見山








展望所から少し下ると途中に根元から何本にも分れた幹の木は、一瞬ヤマタノオロチに

見えた。尾根道から脇道に飛び出しそのまま右に折れて進んで行く。計画では弥谷山にも

登る予定だったので、今日は全部で五座を歩くつもりだっただ、スタートして直ぐに

ショートカットして弥谷山には登らなかったので一座足らない分を、この先のハゲ山まで

歩いてて補完するのだ。右に折れてすぐにある鉄塔広場から以前は笹薮だった道が、綺麗に

刈り払われた中を進むと今日最後のハゲ山。











ここではキティーちゃんのプレートは三角点名の松崎となっていて、点名も

四等三角点 松崎 126.7mなっているのに、なぜか地元ではハゲ山と呼ばれて

いるらしい。最近特に頭部が気になっている私としてはあまりいい気はしない。







ハゲ山で三野町五岳とした後、麓の北浦地区へと降りて行く。南に向かって広がる

緩斜面の道は日当たりもよく、気温も上がって気持ちがいい。











県道21号線まで降りてくると車を停めたコミュニティーセンターまではすぐそこ。

道の脇には菜の花が咲いていた。明日が大寒でまだ春には早いが、菜の花を見ると

もうすぐそこに春がきていると感じる。








山行中はお昼ご飯は食べずに行動食で我慢。山を下りてからセニョさんのお店で

ランチにしましょうと奥様たちには話をしておいた。いつもはお腹が空いたと

騒がしいあっちゃんも今日は辛抱して歩いて来た。(とは言ってももうすでに、おにぎり

2個とパン1個は食べている)

さっそく車に乗り込み積のお店に向かう。平日のお昼。やはり店内はほとんどが女性。

そんな中でセニョさんも忙しそうにフライパンを振っていた。いつもはカップ麺のお昼だが

今日は私とあっちゃんはシチリアンライス。ルリちゃんはグラタンのランチ。

暖かい店内でゆっくりとランチを食べ終えるとあっちゃんが、『トースト食べたいから

二人で分けません!』とニコニコ顔で言ってきた。『えっ、まだ食べるん』とルリちゃんも

呆れ顔。最初は渋っていた私も何度も言ってくるあっちゃんに仕方なくトースト半分

付き合う事に。これでは浮き輪の様になってきたお腹周りが痩せることはないだろう。

来週は最強寒波がやってくるらしい。それならと少しでも暖かい海岸近くを歩く事に。

今日の続きの詫間町の里山歩きとなる予定だ。












今日のトラック



これで3区間が繋がった

新春・干支の山と聖地巡礼

2023年01月12日 | 香川の里山


今年の干支は『兎』。毎年の事だが年始にこの干支にちなんだ山を探して登って

いるが、今年の兎の山は国分寺町に99.9mの兎子山(うさんこやま)があった。

この兎子山は確か以前は100mと表記されていた様な気がするが、再測量したのか

99.9mとなっている。どうせならきりのいい100mにしておけば、干支の山とは

別にきりのいい100mの山で少しは注目されたかもしれないが、普段は人知れず

ひっそりと佇んでいる山なのだ。

昨年の暮れには奥様たちに正月休みには兎子山に登りたいと話していたが、

僅か10分ほどで登れる山にわざわざ出かけるのも億劫になり、初登りは地元の

雲附山に登って正月休みは終わってしまった。

ただやはり気にはなっていたらYAMAPでこの兎子山を絡めて、火ノ山、峰ケ原、

鷲ノ山を周回している人がいた。これなら奥様たちと一緒に歩いても歩き甲斐がある。

しかも奥様たちはこのコースは歩いた事がない。さらにはぐるっと周回するとYAMAPの

ポイントが7つゲットできる。これに二人が食いついてこないはずがない。

そして火ノ山の直ぐ東にある挿頭山に登ればもうひとつポイントをゲットできる。

手軽な里山を歩いて8つもポイントをゲットできるなんて、なかなかない事だ。

その挿頭山は私のハンドルネームのKAZASHIの元になった山。麓にあるかざし団地の

人達と一緒に山登りを始め、高松市民登山学校にも通い、その後のOB会の登山にも

参加していた頃にKAZASHI TREKKING CLUBというタイトルでホームページを始めた。

その時からハンドルネームはKAZASHIとしていたのだ。故に挿頭山は私にとっては原点、

いやそれ以上の聖地なのだ。と言う事で今週は線で繋ぐの続きはお休みして、『干支の

山と聖地巡礼』をテーマに歩いてきた。




国分寺町の橘ノ丘総合運動公園に集合。集合場所に向かう途中、道の脇の田畑は

霜で真っ白。自動車の車外温度も0度になっていた。

公園の野球場の横に車を停めて降りるとさすがに寒い。『寒いね~』と二人に挨拶して

身支度を始めたが、手袋を履く前の手がかじかんで冷たい。




支度を終えて橘池に沿って北東に歩いて行く。前回WOC登山部で歩いた時は、この公園の

上部から取り付いたのだが、今回は別の登山口から取り付いてみる。池の淵からは

今日の最終地の鷲ノ山が見える。山火事あとの南斜面は以前に下った時には足元が

全く見えず、段差で何度も尻もちをついたり、イバラで苦労して転げ落ちたのが

思い出される。目線を移すと干支の山の兎子山が見える。







池の淵のを歩いて行くと工場の建物が現れる。その建屋の手前が登山口になっていた。

WOC登山部で歩いた公園からの取付きは、羊歯の中の半分藪の様な道で難儀をしたが

今日のこの道は下草もなく踏み跡もしっかりしているので、とても歩きやすい。











しばらくすると道の脇にゴロゴロとした大きな岩?・石?が現れる。岩を見ながら

登って行くと石舞台と名付けられた平らな岩があった。
















その石舞台からは木々の間から高松自動車道が見降ろせる。石舞台から先はしばらく

羊歯道になるがこちらも刈られていてスムーズに歩いて行ける。










尾根に出ると日差しが届き始めた。前を歩くルリちゃんは、取りつきのスタート時点から

小気味よいペースでどんどんと歩いて行く。

その内に火ノ山の山名標の立つ山頂に着いた。三等三角点 西大谷 246.9m

三角点の横には手作りの地図を収めたボックスが置いてある。そして龍王社の石祠。

















山頂から次は北峰を目指して広尾根を東に進んで行く。所々で先ほどの地図に記載

している登山道の分岐に案内札が木に掛けられている。













北峰では眺望がなかったが少し下に降りると、堂山の奥に六ツ目山、その横に伽藍山

そして鬼無の袋山や勝賀山が並んで見えた。東峰は北峰に行く途中にある小ピーク。







北峰から引き返して南に下って行くと鬼の腰掛と名付けられた巨岩があった。前回は

これをセニョさんが登ったが、当然あっちゃんが黙っていない。腰掛には腰掛けず

その上まで登って東に見える景色を堪能している。










私はその前のひとつ小さい岩に登って同じように東の景色を眺めてみた。







東には直ぐ麓にDOCOMOの電波塔の立つ挿頭山、西部広域クリーンセンターから

登る白い煙の奥にクレーター五座が見える。先ほどの北峰でもそうだったが、奥様たちも

自分たちが登った山は比較的容易く山座同定が出来る。




鬼の腰掛で高松市南部の里山を眺めた後、比較的広い尾根を今度は東に下って行くと、

106mの小ピークがYAMAPでは火ノ山南東峰になっている。今日はここまでで

すでに4つのポイントをゲットしたことになり、二人も喜んでいる。














南東峰からは踏み跡が薄く少し道に迷ったが、すぐ下に建物が見えている。

その建物を目指して降りて行くと、大きな倉庫の前に飛び出した。










ここからはYAMAPで参考にさせてもらった人は兎子山に直接向かっていたが、

何と言っても私の聖地の挿頭山にお参りせずにはいられない。国道32号線を渡り、

かざし団地の横を山に向かって登って行く。団地の西側を貯水タンクに向かって進み、

山の中をへと入って行くと、一旦落ち葉の積もった広場に着き、そこから山頂へと

ロープの掛った急登を登って行く。たっぷりと積もった落ち葉が足を滑らせる。

















山頂には電波塔とその奥に四等三角点 十三塚 134.2mと石仏と石祠がある。

その祠の前で聖地に手を合わせる。








聖地をあとに今度は干支の山に向かって下道を歩いて行く。道の横の日の当たらない

小さな池の水はまだ凍っていたが、陽が昇るにつれ気温が上がりポカポカ陽気になってきた。

最初は堂山を正面に、道が西に向かうと今度は峰ケ原と鷲ノ山が見え始めた。














高速道路の下を潜りお地蔵さんに手を合わすと、その向かいの皿池越しに今登って

きた火ノ山が横たわっていた。







皿池から北に住宅地の中に入って行く。少し歩いて小さなため池に沿って進み、

次に山に向かって登って行くと、緑の防草シートを被せた法面の横の道になる。

するとこの山のランドマークの白と水色の大きなタンクが見える。













そのタンクの手前の階段を登ると山頂への山道になり、タンクを横目に見ながら

山道を登ると電波塔の立つ山頂に着いた。











四国新聞に紹介されて注目を浴びるようになったせいで、今年は登ってくる人が

多いと聞くが、今日も後ろから一組のご夫婦が登って来た。さらに腰を降ろして

お昼ごはんにしようとしていたら、もう一組の年配の男性と女性が登って来た。

今日もお湯を沸かしてカップ麺。私が来来亭監修のこってり味を取り出すと、

『そんなこってりなんて食べるからふとるんやわ!』と二人に責められる。

『もうお腹が出ても二重顎になっても気にせんからいいんや!』と居直る私。




後から来た方もここでお昼ご飯。このお二人どうやらご夫婦ではなく、山登りの

パートナーらしい。毎年干支の山に登っていて、昨年は虎丸山、そして今年は

この兎子山に四国中央市からやって来たそうだ。みんな考えることは同じの様だ。

三角点は 四等三角点 丸山 99.9m。その奥の山名札が、皆さんがネットにアップ

していた山名札とは別にもう一つ増えていた。裏を返すとこんなことを書いていた。

ヒロシさんとキョウコさんが記念にと思っての事だろうが、山名標や札は一つ

あれば十分なのに、明瞭な道に赤テープをあちこちに付けているのと一緒で何だかねえ~!

ここでは年甲斐もなく可愛らしく?ウサギのポーズ。阿波踊りに見えなくもない!







山頂からはNHKの施設のフェンスに沿って登って来た道と反対側に下って行く。

踏み跡は薄いが赤テープが麓へと誘導してくれる。すると朝日通商の大きな建物の

横に出た。ここからも鷲峰寺まで下道歩きとなる。














これから登る鷲ノ山や峰ケ原を眺めながら住宅の間を抜けて歩いて行く。











鷲峰寺は天台宗の寺。そして八十二番札所の根来寺の奥の院だそうだ。ここからは

二度ほどこの山に登り、別に一度北側からも縦走したことがある。










こちらのお寺は鑑真和尚が開いたとされ、お寺の背後の鷲ノ山がインドでお釈迦様が

説教したといわれる聖山『霊鷲山』に似ていることから『鷲峰寺』と名付けられた

そうだ。本堂の前には香川の保存木の大きなモミの木。











登山口は本堂の横の新四国道と彫られた石柱が取りつきとなる。途中まではミニ四国

八十八か所の石仏が並んでいる。











こちらの石仏はどれも可愛らしい顔をしていて、その一つひとつを眺めては

立ち止まって、楽しみながら歩いて行ける。







このミニ八十八カ所はお寺の背後を周回できるようになっているが、その頂部が

峰ケ原と鷲ノ山の鞍部になっていた。








そして右に折れて峰ケ原への道は急登になる。相変わらず奥様たちはグイグイと

登って行っている。一月だというのにこの陽気、拭っても拭っても額から汗が

流れ落ちてくる。途中で南西に府中湖とこちらも電波塔の立つ猫山が見降ろせた。










そこからさらに登って行くと今度は北西に番の州と瀬戸大橋が見えた。今日は

風がほとんどないのか、どこのエントツの煙もほぼ真直ぐに上がっている。








急登が終わり山頂近くになると笹の道になる。その笹道を進んで行くと峰ケ原山頂。

木々に囲まれて眺望はないが三等三角点 峰ケ原 249.91m になっている。















さぁここからは引き返して急坂を下り最後の鷲ノ山へと歩いて行く。落ち葉と乾いた

土の道はかなり注意して下りないと危ない。前を下るあっちゃが土煙をあげながら下っている。

途中で正面に鷲ノ山のデコボコした尾根が見える。











鞍部からは最後の登り。道の脇の木には所々で地元の小学生が樹種を書いた札が掛かっている。








鞍部から直ぐに第一ピーク。その第一ピークから一旦下って次は第二ピークへの登り。

これがまたロープの掛った急登。最後の最後まで楽をさせてはくれない。


















急登を登りきると南から西側の眺望が開けていた。堤山の奥に城山・猫山・大高見峰

西には二週続けて登った、筆山・我拝師山大麻山・象頭山横山・大原越しに見える。








第二ピークを過ぎると今度は東側の景色が広がっていた。火ノ山北峰からは伽藍山に隠れて

見えなかった狭箱山が、伽藍山の横に、恥ずかしそうにして並んでいるのが見える。










しかしここはあくまで第二。『次は第三ピークです!』と奥様たちに言うと『まだ第三が

あるん?』とさすがの二人も少し辟易してきたようだ。








第三ピークの手前に本宮山のクジラ岩を小さくしたような子クジラ岩。その岩を

過ぎると石祠のある第三ピークになる。










第三ピークから少し下って登り返すと、四等三角点 鷲山 322.42mに着いた。

鷲ノ山にちなんで鷲が羽を広げるポーズをしてみるが、どう見てもそうは見えない。





今日のコースの参考にしたYAMAPでは、ここから南に尾根を下っているが、以前に

下った(一本東の尾根)時は山火事痕で、スズタケとイバラで何度も尻もちを付いたり、

トゲで指を痛めたりしたのだが、今回のコースも同じように藪の道のようなので、今回は

安全策で第三ピークに戻って、石船への登山道を下って行くことにした。

第三ピークまで戻ると、東に道が続いている。急坂と書かれていた案内札の通り、

けっこう急な坂が続いて行く。途中からは石の丁場の上の大きな柱状節理が見えた。

今まで見た事もないような白や赤茶けた色が混ざった柱状節理だった。

この鷲ノ山石は良質な角閃安山岩(かくせんあんざんがん)でできていて、関西圏に

おいてもこの鷲ノ山石が使用された古墳が発掘されているそうだ。











急坂を下りきると段々畑にでた。スタート地点の火ノ山が正面に見えた。

登山道から里道、そして県道へと出て橘ノ丘公園へと戻って行く。

沿面距離14.6km、累積標高990mと平野部の里山歩きとしては良く歩いた

一日だった。YAMAPのポイントも8つゲットできた奥様たちもご満足の様子。

私はと言えば念願の干支の山と聖地にも再訪できた、有意義な一日だった。


















『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 大麻山

2023年01月06日 | 香川の里山



今週の線で繋ぐは、先週の善通寺の駐車場から南に大麻山へ登り、象頭山、琴平山を

歩いて牛尾口へと降り、ついでに愛宕山に登るというコース。集合場所は下山

場所になるいこいの郷公園にして、そこから一台で善通寺の駐車場へと向かった。

このコースは既にルリちゃんは歩いているが、あっちゃんと私は大麻山だけで、

善通寺からの線は繋がっていなかった。

するとWOC登山部が金毘羅さんにお参りした後、大麻山に登ると案内があった。

時間が合えば山頂で合流できればと思い、WOC登山部が大麻山に着く時間に合わせて、

いこいの郷公園に8時30分に集合した。


早朝の善通寺の駐車場は先週はガランとしていたが、さすがお正月、結構な台数が

停まっていた。取りあえずお参りを済ませることにして西院の御影堂に。そして

東院の金堂では部活動のジャージ姿の高校生が中に入るのに順番に並んでいた。

すると前に並んでいた女の子三人がひそひそと『二礼二拍一礼よね』と話していたので

いらぬお世話だったが後ろから小さな声で『それ、神社でのお参りの仕方やで』と

言うと、三人が『え~~!』と驚いた後笑い声になった。先に参拝していた女の子が

既に二拍しているのを見て、さらに三人は可笑しくて笑い始めた。その様子を後ろから

見ていたあっちゃんは、おっさんが若い高校生に話しかけてと、怪しんでいたそうだ。







五重塔を左手に見ながら南大門を出て、善通寺をあとに南下して大麻山の麓へと歩いて行く。




そのまま県道24号線を横断して鶴ケ峰を左手に、『大麻山ハイキングコース』の

案内板のある大池の手前を右へと曲がる。道なりにアスファルト道を登って行くと

左手の斜面が一旦途切れる場所がある。今回はそこから支尾根へと取り付いて行くが、

この少し先に取付きとなる石段がある。








この支尾根どうも防火帯のように見えるが、真直ぐに続かず途中で左手に周りこんで

下に見える施設を囲んで続いていた。帰って調べてみるとその施設は自衛隊の火薬庫

だった。なるほどな~と納得。







幅の広い防火帯のが終わるといよいよ登山道になる。所々で岩にスプレーで矢印を

してあるが、大谷さんは大きな落書き。







途中で右手からの道と合流する。石段からの登山口からの道だろうか。

風化した花崗岩の道も、落ち葉の積もった道もどちらも滑って注意が必要だ。







途中で岩とは別に道の脇の木に所々で赤いスプレーをしてあった。目印としてのスプレーなら

これだけはっきりした尾根道なので全く意味をなしていない。途中で振り返ると北に眺望が

開けた場所がある。先週歩いた筆ノ山と我拝師山の間に山肌を半分削られた天霧山が見えた。







道の真ん中には『陸軍用地』と彫られた石柱が続いて行く。陸軍とは時代を感じるな~。





道は突然急登になる。途中からはロープが張られている。階段状になっているヶ所は

少しだけで、あとはかなりの傾斜で道は続いて行く。幸い落ち葉は積もっていないが

乾いた花崗土の道は滑りやすい、木の根に足を置きながら登って行く。











岩が点在し始めると山頂も近い。急登が終わると道が左にトラバースの道になる。

一旦下って行くような道だがその内に右上に向かっての九十九折れの道になる。








その九十九折れの道を登りきると葵の滝に続く工兵道に出た。

工兵道から直ぐに山手の擬木の階段へと取り付く。







道は今までの自然林からヒノキの人工林の中の道になる。そのヒノキの林が終わり

自然林の道になると、また傾斜が増して来た。今度はたっぷりと落ち葉が積もった急登。

途中で上着を脱いでいたがそれでも汗が額を伝って落ちる。いつもはピークの手前では

空が見え始めるのだが、今日はちょうど太陽の光が正面からこちらに向かって射していた。








やっとこさで落ち葉の急登を登りきると、ゲートのある車道の取付きからの道と合流した、

ここからは遊歩道の様な道。息を整えながら歩いて行く。








その先は2階建ての展望台があり東への眺望が広がっている。鉢伏山と如意山の間に

買田池、その奥に飯野山。まだWOC登山部は着いていなかったので、先に三角点まで

歩いて行く。途中の小高い山が大麻山山頂となっている。

そのさらに先の三角点で三人だけでまずは記念撮影。







その後、お昼ご飯を食べる場所をどこにしようかと山頂園地をうろついていると、

南からWOC登山部のメンバーが歩いてきた。メンバーに新年の挨拶をして、

三角点でもう一度記念撮影。その後展望台に戻って一緒にお昼ご飯にする。

久しぶりのメンバーからは一様に『太った?顔がまるまるや!』と言われる

へっぽこリーダー。










この山名札。ローマ字表記が間違っているので手で隠す姐さん。でもそれだと

『おおさ』でなく単に『さ』なんですけれど。




お昼ご飯を食べた後は琴平山への縦走。道はコンクリートの道が続いて行く。この山には

ぼたん桜が咲くころに子供たちと麓の裏参道から歩いてお花見によく来ていた。

そのぼたん桜も老木が多いのか、けっこうな数の木が痛んでいた。














途中からセニョさんがWOC登山部の案内に書いていた、小麻山への三角点に向かって

南に車道を下って行く。途中からは三角点に向かって道から外れて林の中に入って行く。

私は後ろから四人ほどがまだ来ていなかったので、気になって三角点へは行かずに車道

への分岐になった場所まで引き返していく。分岐まで戻ってしばらく待ったがどうやら

四人は先に歩いて行ったようだったので、三角点からこの尾根に向かって飛び出して

きそうな場所に当たりを付けて、少し先まで歩いて一緒に戻って来たアミちゃん

メンバーを待つ事にする。








待つ事20分ほどで尾根道の向こうから賑やかな声が聞こえて来た。どうやら

小麻山の三角点はゲットできたようだ。この大麻山から琴平山にかけての山頂は

防火帯になっている。この山を東から見ると丁度この辺りの山頂から麓にかけて

防火帯になっているのがよく分るが、山頂も火が金毘羅さんまでいかないようにと

防火帯になっている。グループ登山は久しぶり。女性陣はやはりお喋りしながら

賑やかに歩いている。そのおしゃべりに夢中で象頭山の標高点は通り過ぎてしまった。

















象頭山を過ぎると防火帯は終わり、自然林の中の山道になる。途中にある琴平山の

標高点は登山道から外れて尾根筋にある。その場所が判らずうろつくメンバー。

アミちゃんと先輩と姐さんの四人は先に登山道を歩いて行く。




















琴平山を過ぎ金毘羅さんの真上辺りから道は急坂になる。先輩は落ち葉の尻シェード、

姐さんは何故か後ろ向きに滑りながらキャーキャーと下っている。
















ちょっと〇〇めのアミちゃんに『おむすびコロリンにならんように気をつけて!』と

声をかける。ロープを握りながら慎重に下りて行くアミちゃん。ロープ場が終わっても

けっこうな距離で急坂の下りが続いて行く。










何とか急坂をやり過ごし緩やかな下りになると、後ろから来る先輩と姐さんが二人で

『KAZASHIさんのお尻、小さいな』と言っているのが聞こえてきた。『足も細いし』とも。

『なあなあアミちゃんと並んでみ!』と言ってきたので、嫌がるアミちゃんの横に

無理やり並んでみた。











道が竹林の中の道になると、しばらくして牛尾口に飛び出した。旧伊予土佐街道の

この道を通って土佐藩の脱藩者は丸亀から京や上方へ出て行ったという。その中の

一人、坂本龍馬の像が立っている。










寅と寅の一回り違いの二人が同じようにスマホを見てる。



ここで四人のメンバーと別れて、奥様たちと他に四人のメンバーで愛宕山へと

登って行く。牛尾口の舗装路からは直ぐに急登になる。長い急坂を下った後の急登は

堪える。一つ目の低いピークを登ると既に息切れ。木々の向こうにさらにピークが見える。







二つ目のピークもなかなかの登坂。歩くスピードも極端に落ちる。そのピークを

登りきるとさらに奥にもうひとつピークが見える。『え~ここが山頂でないんかい』

とため息をつくセニョさん。







二つ目のピークからはまた急な下り坂。高さ的には愛宕山と同じピークから50mほど

下って鞍部に。そして当然のようにしてそこから急登が始まる。ひいこらひいこらと

息を切らせて今日最後の登坂。










愛宕山山頂からは北西に金毘羅さんが見えた。木の鳥居の奥に愛宕神社の石祠。














ここで四人のメンバーは駐車場へ、我々は反対方向のいこいの郷公園へと下って行く。

地形図には公園近くへと破線が続いているが、それらしい道がなかなか見つからない。

一旦岩場に出るが眼下にクリーンセンターのエントツは見えるが、道はこちらには

ない雰囲気。すると奥様たちが赤テープを見つけたと言って下って行くが、途中で

そのテープも途切れて、YAMAPを見ても道から外れている。スマホを見ながら

羊歯と藪の中を軌道修正しながら下って行く。

















一旦地形図の破線の道に出たが、直ぐにまた見失う。本来なら基本から外れるが

すぐそこに県道が迫っているので、谷筋へと下って見ると砂防ダムに出た。











砂防ダムからは作業道の跡らしき道を辿って行くと県道に飛び出した。

最後の最後に急登と急坂、そして藪漕ぎと、なかなか簡単には終わらせてはくれなかった。

これで弥谷寺の駐車場から善通寺五岳、そしてこの峠までが繋がった。

次週はその弥谷寺の駐車場から繋がっていない弥谷山への分岐までと、

黒戸山の南の大見地区から貴峰山の登山口を繋ぐために、既歩だけれどもそれぞれの

山を縦走して掛けた区間を繋いで行く予定だ。














今日のWOC登山部のメンバーです。






今日のトラック




『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 善通寺五岳

2022年12月30日 | 香川の里山

ここの最近の寒波で南国高知でも過去最高の積雪が見られ、阿讃山脈の山肌も

白一色になった。本来なら前回の続きを歩きたかったのだが、山間部はしばらく

避けて平野部の里山で線を繋いでいく事になった。すると奥様たちから、

あっちゃんが歩いていない善通寺五岳はとの連絡が入った。

ルリちゃんと私は何度か歩いているコースだけれど、善通寺から鳥坂峠へ降りて

そのまま弥谷寺から弥谷山へと登れば、天霧山から黒戸山の区間と繋げることが

できる。そう考えて集合場所を弥谷寺の駐車場にして、二台をデポ。そして一台に

乗り込んで、善通寺の駐車場へと向かった。

まだ時間も早く駐車場には車がほとんど停まっていなくて、これから登る香色山

その奥に筆ノ山が朝陽に輝いていた。







香色山へは登山道というよりは遊歩道のような道が続いている。二週間ぶりの山歩きで、

その間のお互いの話をしながらゆっくりと登っていると、地元の人がけっこうな

スピードで追い抜いて行った。途中からは善通寺の市内と東の景色が、まだ明け

きらない空の下で少し霞んで見えた。







山頂ではさらに西側の筆ノ山我拝師山がオレンジ色に染まっていた。

風がないのか番の州のエントツの煙はほぼ真上にあがり、その横に瀬戸大橋も見える。













香色山からは空海ウォークの標識が所々に掛けられている。筆ノ山との鞍部手前の

香色山大師堂の横を通るとお参りに来ている男性とすれ違う。『おはようございます』

と挨拶をすると、明るく『おはよう!』と声が返ってきた。ミニ88か所の石仏も

その横で『おはよう、気を付けてね』と言ってくれてるようだった。













鞍部から以前はなかった?『立ち入り禁止』の看板の前を、一旦右に折れて筆ノ山の

裾野を回り込む。スズタケのトンネルを抜けると道標に従って左へと登っていく。














コンクリート道を登って行くと石鎚本教善通寺教会がある。社殿への石段には石鎚神社

土小屋遥拝殿と同じように、石鎚山の鎖が掛けられていた。







教会の横を抜け筆ノ山西山登山口へと入っていく。道には五つの山の形をした五岳山の

標識が続いている。途中には子安弘法大師の石仏。もともと弘法大師は四国を回った時、

難産で苦しむ妊婦を助けた伝説が数多く残っていて、子安大師として祀られるようになった。













途中で朝比奈登山口との分岐さらに九十九折れの道を登っていくと石鎚教会奥行場の

道標。この道標の奥行場に進むと、岩壁に鎖がかかりその頂部には石鎚大神の石仏が

祀られている行場があるそうだ。山頂に近づくにつれ道の傾斜は急になっていく。

ちょっとした拍子にストックを道の下に落とし、そのストックを取りに道から下に

降りると、あまりにも急で転げ落ちそうになった。何とか木の枝を掴めて難を逃れる

事が出来たが、これを道もなく直登するとなればかなり大変そうだ。










その間すでに山頂に着いた奥様たちが待っていた。その手前には石積で丸く囲った

井戸のようなものがあり、中に降りられるように石段が組まれていた。その山頂付近には、

安山岩の板状節理が見られ。四等三角点 筆之山 295.73mになっている。

山名標識の横には宝生如来の石仏があった。







北には天霧山・弥谷山・黒戸山、東には善通寺市街から丸亀、そして飯野山・城山から

横山・大原、そして猫山・大高見峰が一望できる素晴らしい眺望だ。







今日はWOC登山部は飯野山で納会登山をしている。その飯野山には中腹辺りに

水平に雲がかかっていた。この二週間の間机に向かって根を詰めていてほぼ一日中

座りぱなっしで、全く歩いてもいなかったので、ここまでですでにお尻の筋肉が

パンパンになっていたので屈伸運動。けっして人前で〇〇〇しているわけではありません。

ましてや立ち〇〇〇しているわけでもありません。










筆ノ山からは南に向かって下っていく。向かいの我拝師山は独特な山容をしている。

そしてこの筆ノ山よりさらに急な角度でそびえ立っていた。








急な場所にはお助けロープが張られている。南に向かっていた道が南西に振ると

道の傾斜は緩やかになり、雑木の中に続いていく。











そのうちに我拝師山との鞍部の大坂峠に降りた。するとあっちゃんがこの場所には

見覚えがあるという。以前にWOC登山部で来たことがあるのかもしれないと。










さぁここからの登りが今日のメインイベント、我拝師山への登りです。相変わらず

奥様たちは余裕でどんどん登って行きます。後ろからひいコラひいコラと息を切らせて

登って行くへっぽこリーダー。







筆ノ山の山頂が上に見えたのが、次第に下に見える標高に。その筆ノ山の後ろに

讃岐らしい可愛いらしいポコポコとおむすび山が浮かんでいるのが見える。










山頂近くになると道は緩やかになり、山頂特有のi小岩が点在する道になる。

何とか奥様たちに遅れはとったが我拝師山山頂に着いた。

山頂は広々していて三等三角点 禅定山 480.94m








山頂から西にほぼ平らな尾根を歩いて行く。あっちゃんに『ここからお楽しみですよ!』と。

まぁあっちゃんには甲斐ないと思うけど岩場と鎖が・・・・・。




広尾根の西端からは捨身ケ嶽のプチ岩場になる。『え~これが岩場なの・・・?』と

文句を言いながら降りていくあっちゃん。














するとその岩場に見晴らしのいい展望所の突端があった。下を見ると出釈迦寺

奥の院が見える。満足しきれないあっちゃんはその端まで歩いて行く。







高いところが苦手なルリちゃんはそのまま降りて、下から見上げて『早よいらん事

考えんと道を降りてきいまい!』と言っている。そう、あっちゃんは道ではなくその岩を

下って行こうと考えていたのを見透かされたのだ。





さらに下っていくと捨身ケ嶽と呼ばれる稚児大師像が祀られている場所がある。

この場所には、空海が7歳の時に7日間修行をしたが、なお仏に出会えず身を岩下に投げた時、

お釈迦様が現れて彼を救ったという伝承が残っている。








その稚児大師像の下が鎖場になっている。太く真新しい鎖が岩に沿って垂れている。

この鎖場くらいなら奥様たちにとってはへでもない。逆に大したことがなかったと

文句を言われそうだ。それにしてもルリちゃんはどこに降りようとしているのだろう?

鎖場でなかなか見ることのできないポーズだ!

















鎖場を降りて根本御堂の下を潜り御堂にお参りをする。本来はここが札所だったのが

大正時代に麓に移されたそうだ。たしかに奥の院にしては境内にある御堂は立派すぎる。

南側には西讃の里山が見渡せる。羅漢像の横を通り山門の前に出るとお正月の飾りを

終え準備万端だった。










中山へは取り付きから少し岩場を登って行く。その岩場を少し上ると後ろに我拝師山を

背にした出釈迦寺奥の院。そして我拝師山の右には大麻山、左には善通寺から多度津に

かけての平野部が広がっていた。捨身ケ嶽では少し拍子抜けしていたあっちゃんも、

『今日ここまで来れてよかった』と、目の前のこの景色に感動している。














山門から15分ほど急登を登ると中山。この山は地形図には山名は載っていない。

立派な山名標から西は比較的平らな山頂になっている。













その山頂から緩やかな坂を下っていくと最後の火上山との鞍部になる。鞍部からの

登りは少し今までの植生と少し変わってきた。道の脇には獅子の横顔の岩。














途中にあった鉄塔には、絶対に登れないように他の鉄塔にある柵ととは別にアンテナの

様な柵を左右につけていた。さすがのあっちゃんもこれでは登れまい。




山頂手前の今日最後の登り。ここまでで腰と背中の張りは半端ない。やはり普段から

少しは運動しないとと思いながらも・・・・・。

火上山山頂も比較的平らな山頂。これで五岳山を完歩。あとは鳥坂峠に下るだけだ。







西にほぼ水平に歩いたあと南西へと下って行くと、道は北に折れて続いている。

その場所の奥に展望所がある。ここからは高瀬から観音寺にかけての絶景が

広がっている。元々こっちに自宅のある奥様たちの豪邸が見えないかと探したが

どうやらここからは見えないらしい。唯一、WOC登山部の他の奥様の自宅が

確認できた。














展望所であ~でもないこ~でもないと地元の話で盛り上がった後、北に続く道を

下って行く。しばらくは等高線に沿ったトラバースのような道だったが、

途中からはロープが張られた急坂になる。
















ロープ場をやり過ごすと一旦支尾根の道になり、その尾根道から次に右に折れて

谷筋へと下る。小さな沢を渡りさらに進んでいくとミカン畑に出た。目の前には

弥谷山。そして鳥坂峠へと下って行く。




















鳥坂峠から国道を横断してため池の堤を歩いて行く。すると池の端で野良犬が吠え出した。

それも一頭ではなく次々と何頭も現れた。少し焦ったが先頭をルリちゃんと交代して

恐る恐る歩いて行くと、吠えながら山の中へ消えていった。(汗)

池の堤から野犬と反対側の山の中へ登って行くと高速の側道に出た。側道を少し

歩いて、高速の上の高架橋を渡って反対側の側道に。その側道をしばらく歩くと

遍路道の石柱が立っていた。
















地形図には讃岐遍路道(曼荼羅寺道)と載っている遍路道を歩いて行く。火上山の

登りで今日最後の登りと思っていたら、この遍路道もなかなかの登坂だ。ワックスの

効いたクヌギの落ち葉が足を滑らせる。













鳥坂峠から約40分で車をデポした弥谷寺の駐車場に着いた。本来ならここから

弥谷寺を参拝して天霧山から弥谷山への尾根まで登ると、また線が繋がる予定だったが、

我拝師山で話し合って、今日はここまでにしてお昼ご飯をまたうどん屋で済ませることに

していた。行動食だけでここまで歩いてきたので遍路道の登りではシャリバテで足が

動かなかった。さっそく車に乗り込んで宮川製麺所に直行。お昼をとうに過ぎていたので

店は混んでいなく、ツルツルとあっという間に2玉を頂いた。前回は三嶋製麺所、そして

今回は宮川製麺所と讃岐ならではの里山と讃岐うどんのコラボ。また次回からも山歩きの

コースとは別にうどん店を探索しなければならなくなった。
















今回のトラック




『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 笠形山

2022年12月16日 | 香川の里山
『線で繋ぐ引地山~石鎚山』を先週は黒森峠から白猪峠までを歩いた。そして

その次の区間となると黒森峠から青滝山を縦走する事になる。その為には

久万高原町の梅ケ市登山口に車をデポしなければならないのだが、天気予報を

見ると早くから雪マーク。ノーマルタイヤでは登山口までのアプローチも

怪しいので、早々に黒森峠から東への残り3区間は来年への持ち越しとなった。

そうなると県内の里山歩きになるのだが、今年の2月に阿讃縦走路を終えて直ぐに

引田から折り返し、荘内半島の讃岐三崎灯台を目指して歩き始めた。

引田鼻灯台を東端として、白鳥アルプス・虎丸山・笠ケ峰を経て日下峠まで繋いだ

ところで、私がスキーで転倒して腰を痛めて中断となっていた。その続きの日下峠

から檀特山・女体山から大窪寺は日中の時間が短いこの時期には、少し時間がかかる。

ならどこを歩きたいですか?と奥様たちに尋ねたら、笠形山と返事が返ってきた。

計画の線で繋ぐの中では丁度中間部になるのだが、この琴南辺りは県内でも意外と

雪が積もる地域なので、本格的な雪のシーズンになる前に歩いておくのも手だと

思って了承して琴南の公民館を集合場所とした。

(尾瀬山から西をどう繋いで行こうか思案中)



琴南の公民館からは美合の郵便局を過ぎ少し走った所で国道438号線から東に

雨島の集落を目指して走って行く。途中の前ノ川の集落まではまだ人が住んでいる

家があったが、途中からは無人の廃墟となっていた。道はかなり狭く、昨日の強風で

杉の枝葉が道路に落ちて散乱して、路面のアスファルトが全く見えないような場所が

何ヵ所かあった。それでも個人的には予定していた雨島の最終民家まで行けない事は

無かったが、山を下りてデポ車を取りに行くのには奥様たちの運転になる。その

奥様たちが自信がないと言うので、途中の黒部渓谷を過ぎたダムの手前に車を停めて

スタートする。直ぐ上のダムの突堤に立っていると雪がちらつき始めた。




スタートして直ぐは杉の枝葉が散乱していたが、しばらく歩くと道の両側に落ち葉が

積もった歩きやすい道になった。雨島の集落まで来るとどの家も無人で屋根だけに

なった家や朽ち始めた家があちこちで見受けられた。

雨島の集落は1950年代には12戸ほどになり、主に製炭で生計を立てていたそうだ。

初めにスタート地点として予定していた最終民家までは結局45分かかった。













その最終民家でアスファルトの舗装は終わり、道は地道になる。道に沿って歩いて行くと

笠形山ハイキングコースと書かれた道標が建っていた。







道標からしばらくは竹林の中の道。その竹林を過ぎると掘割のような掘れた道には

落ち葉が積もって、その落ち葉に隠れて道の段差が判らず躓いたりして歩きづらい。







最終民家から15分ほどで雨島峠に着いた。峠には三界萬霊の石仏が座っていた。

この峠を越えて戸石集落への行き来があった当時から道行く人々を見守ってきた。

今は時々訪れる登山者を昔と同じように静かに見守っている。『さぬき 里山 探訪&

トレッキング』さんによると、以前は花立には花が上げられたていたのを見かけたそうだが、

今は雨島は無住になり戸石の切山集落も高齢化で、ここまで花を上げにくることができなく

なったようだとの事。いずれはその存在も忘れ去られるのかもしれないと書いていた。













峠からは左に折れて稜線歩きが始まる。稜線歩きといってもこのコースは電力の

鉄塔保線路と登山道が入り混じっている。尾根から北側の景色は木々の間から

薄く見える程度だ。







峠から直ぐに鉄塔広場に出た。107番鉄塔の北側に最初の三角点三等三角点 樫原 798.06m










保線路は基本的には尾根の南側に続いている。道は明瞭でとても歩きやすい。逆に

尾根道は折れた木の枝や木々の間の不明瞭な道で歩きづらかったりする。







途中で木の枝にヒラヒラとたなびく黄色いビニールの帯があった。帯には

RACE COURSEと書かれていたが、10月に行われたManno moutain Madness

2022のトレランのレースの残置の様だ。

このレース、ことなみ未来館をスタートして大川山から真鈴峠そして阿讃縦走路を

使って竜王山を経て、この笠形山に至り未来館へと周回する、全長40km、

累積標高2,800mというレースで、更にはそれを2周する80km、累積標高

5,600mというカテゴリーもあるとんでもないレース。同じ人とは思えない、

ただただ呆れるばかりだ。




108番鉄塔の広場では南に向かって続く支尾根を下り間違えそうになる。保線路は

広場の上の北側から尾根と交わり続ていた。





109番鉄塔の広場は108番の広場が傾斜地だったのに対して、比較的平らな

広場になっていた。保線路は木々に遮られ眺望はほとんどなかったが、この広場は

とても見晴らしが良い。南には竜王山に続く稜線と今まで歩いてきた鉄塔が

並んでいるのが見える。











以前にこのコースを歩いた事のあるREIKOさんによると、この縦走路には

三角点と標高点のピークが七つあるそうだ。セブンピークと呼ばれるピークの

二つ目のピークの776mの標高点が直ぐ近くにあったが、特に目印となるような

ものは見つけることが出来なかった。776mの標高点は保線路から少し外れたので、

尾根の南側の保線路へと雑木の中を下っていく。







保線路へと戻ると今までと同じように快適な道が続いていくが、二つ目の

三角点の手前で今日初めての登坂らしい登りになる。














その坂を登りきると四等三角点 前ノ川 700.2mに着いた。ここには比較的キレイな

キティーちゃんのプレートが木の幹に括り付けられていた。

プレートに書いている『まだ先は長い』は笠形山への事なのかそれとも竜王山かな?








この辺りになってくると送電線鉄塔は尾根からかなり離れて南側に続いているので、

保線路は別にあるかもしれない。そして登山道としては申し分のない歩きやすい道が続いている。








次の三角点の手前で今日一番の急登になった。途中からはロープが張られている。

先週の石墨山の三大急登のロープ場で、ロープを握って登ったら手袋が濡れて

しまって手が冷たかったので、今日はロープを使わずに登りますと言いいながら

登っているあっちゃんは、落ち葉の下の濡れた斜面に苦戦をしている。




 






背に腹は代えられない。ロープを使って登りあっちゃんを追い抜くが、前を行く

ルリちゃんは靴のグリップが良いのか、足を滑らせる様子もなくグイグイと登って行く。




その急登を登りきると四等三角点 樫原 735.8m。ここにもキティーちゃんのプレートが

あったが、先ほどのプレートとは違って二つに割れたのを、誰かが赤テープで修理していた。











樫原の三角点辺りから落ち葉の上にはうっすらと雪化粧。道の脇の切株はまるで

ロールケーキに粉砂糖をふったように見える。今日、三回目の急登を登って行く。











113番鉄塔は白とオレンジ色に濡り分けられていた。今までとは大きさも

高さも違う鉄塔だった。航空法では60m以上の高さの建造物は白と赤に塗分けが

義務づけられているらしい。

この鉄塔から尾根を越えて讃岐変電所へと送電線は続いている。

時間は11時30分。いつもならあっちゃんがお腹が空いたと騒ぎ始める頃なのに、

今日は早めに下山するので、どうやら下山後にうどん屋に行くつもりらしい。

ただここからはまだコースタイムで2時間15分かかる。果たして空腹で行き倒れに

ならないか心配だ。














落ち葉の上の粉砂糖は、前の奥様たちが歩いただけで踏み跡になっていく。








『笠形山・尾根道・戸石へ』の文字だけは何とか判読できる錆びてしまった案内板。

地形図で笠形山と書かれた位置からこの間で尾根からけっこう離れて道は続いている。

戸石へと書かれた道が今歩いてきた道なのだろう。











案内板から少し登って行くと笠形山に着いた。三等三角点 笠形 762.2m

前回来たのは所属していた山の会の『山楽会』での忘年登山だった。この山頂で

お昼ご飯を食べて、下山後にビレッジ美合で温泉に浸かった後の忘年会だった。














時間は12時。ここからまだコースタイムでは1時間20分になっている。『さぁ~

急いで降りるわよ!』とルリちゃん。今まで散々朝ドラの話をしていたのに、急に

黙ってしゃべらずに歩き始めた。こうなったら手がつけられない。後でYAMAPで

確認して見ると、平均ペースの180%以上で下っている。








スピードアップで短い時間で高度が下がり、今までの粉砂糖の道から、たっぷり

ふんわり積もった落ち葉の道になった。














右下に広域基幹林道・塩江琴南線が見え始めると今日一番の展望所に出た。

西には白く雪を抱いた大川山の山肌。北には象頭山とその奥は我拝師山かな?







足元にはゴール地点の琴南の公民館。そして北東には峰山の東に高松市内が見える。











展望所からさらに下って行くと三差路になっている場所から、左に折り返すように

下って行くとショートカットの道になる。さっきまでの道と比べて少し荒れた感じに

なるが、それもすぐに終わって作業小屋の様な場所に出た。

ここを左に折れる










そこからさらに左に下って行くと民家の横に出たが、危惧していたように猪避けの

柵で囲われていた。どうやって出ようかとうろついて出られそうな場所を探すが、

どうも見当たらない。そうこうしている内にルリちゃんが括ってあった針金を

器用に解いて柵を開けてくれた。ここからは一目散に三嶋製麺所へ!!











私とあっちゃんは大とタマゴで300円。ルリちゃんは小とタマゴ200円。

隣のおじさんはそば大を平らげた後またそば大を注文した。とにかく冷え切った身体に

喉越しのいいうどんがツルツルと胃袋に落ちていき、身体を暖めてくれた。







食べた後お店を出ると南に今歩いてきた笠形山の稜線が見えた。

これからの『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』は計画では今日のような明瞭な

道ではなく、YAMAPで探しても歩いている人がほぼいない区間が多くある。

地形図の破線と、鉄塔保線路を頼りに頭を捻る日々は続いて行く。




今日のトラック


『線で繋ぐ引地山~石鎚山』 黒森峠~白猪峠

2022年12月07日 | 四国の山


今回で4区画目となる線で繋ぐ引地山から石鎚山黒森峠~白猪峠までを繋いできた。

峠から峠を歩く今回の区間で山頂となるのは石墨山。地形図に記載されているのは

この石墨山だけだが、YAMAPの山頂ポイントでは割石峠山・石墨山・法師山・

白猪山の4つがポイントとなっていて、奥様たちは『4つもポイントが増えるわ』と

喜んでいた。私はと言えば、石墨山のポイントを通過すれば、東温アルプスのバッチが

もらえる。登頂した山の数が増えるとかバッチがもらえるとか、いい年をしたおじさん、

おばさんが、まんまとYAMAPに遊ばれているような気がしてならない。


今日の課題は四国三大急登といわれている石墨山の急登と、その前に黒森峠までの

道路の路面状態。先週と同様に日を跨いで降った雨で、集合場所の豊浜SAに向かう

途中の高速道路の路面もまだ乾いていなかった。もし峠近くで標高が上がって路面が

凍っていたら、ノーマルタイヤでは登山口までも行けない事になる。


幸い国道494号線は峠まで凍っている場所はなく、予定していた時間に到着できた。

ただ途中から見えた三角形をしたピークと稜線は白く色づいているのが見えた。




峠の切り通しを越えて南側に車を停めてスタートする。峠の横には顔のないお地蔵さんが

ひっそりと佇んでいた。登山口は道標もなく少し分かりづらいが切通の脇が取付となる。











道は直ぐに両側にスズタケが生い茂り、防火帯を思わすような幅の広い道は、

スキー場のゲレンデを思わすような急登になる。














そのゲレンデを登り詰めると伐採地の上部の尾根に出た。正面に見えるはずの石墨山には

重く雲がのしかかっている。東を見ても晴れていれば見えるだろう石鎚山も稜線の直ぐ

上まで雲が立ち込めている。天気予報では晴れマークだったが、今日は一日この曇天の

下での山歩きになりそうだ。








尾根に沿って歩いて行くと周りの笹はきれいに刈り払われていた。ほどなく

四等三角点 割石峠 1037.1mに着いた。











相変わらず石墨山の山肌は白く。霧氷だろか雪だろうか?







唐岬ノ滝の駐車場からの道との分岐には、丸太で造った小屋があった。入り口の上には

東温高等学校『石望山荘』と書かれていたが、現在は使われている様子はなかった。







分岐からはヒノキの林の中の道から、次第に周りの笹にも積雪が見られるようになった。

分岐までは笹が刈られていたが、この辺りでは道に覆いかぶさっている場所もあった。

















奥様たちに『そろそろ三大急登が始まりますよ!』と伝える。斜度は次第に急に

なっていくが、木の根でできた段差が続いていて、比較的登りやすい。











三大急登の内のひとつの伊予富士は論外として、これなら大滝山の相栗峠からの

急登が圧倒的に登りにくい。ストックが役に立たず邪魔になるくらい、ロープを

握りながら登って行った。ここでもロープが一応掛かっているが、それを使わずに

登っていける。あっちゃんも『ここはロープ、いらないわね!』と。

三大急登は誰がどんな尺度で決めたんだろうか?と考えながら、それでもやっぱり

楽ではない。前を歩く奥様たちは相変わらず早い。













立ち止まり奥様たちを見上げていて、ふと振り向くと白い雪景色の中に明るい色の

ジャケットを着た人が登ってきている。『ん、独り?』『ん、女性?』などと

思っている内にグイグイと登って、直ぐに私に追いついた。

今日は霧氷が見られると思って来たという女性。唐岬ノ滝の駐車場から登ってきたそうだ。

私たちが黒森峠から登って来たと言うと『籔いていなかったですか?』と聞かれたので、

『きれいに笹は刈られていましたよ』と答えると、『いつもは藪いているので唐岬ノ滝

から登ってきたんです』と言った。地元の人らしく、ここは登り慣れている様子だった。











そんな話をした後、先に行ってもらうとみるみるうちに姿が見えなくなった。

あっちゃんと二人で『女性一人で凄いね~』と話をする。

急登を登りきると稜線に出た。周りは真っ白な世界。時折ガスが流れて石墨山手前の

1419mのピークが顔を覗かせた。晴れていればここからも石鎚山が望めたはずだが、

もうすぐ目の前がガスがかかって白猪峠への稜線も全く見えない。














霧氷はやっぱり青空の下で見たかったが、それでもここから石墨山への稜線は

霧氷の森の中の別世界。これだけの霧氷の中を歩くのは奥様たちは初めてかもしれない。

















いつもの事だが指先がジンジンと痛み始めた。寒くなるとまず左手の薬指と中指が

痛んでくる。そのうちに指先全体が痛くなってくる。血の巡りが悪いのだろうか?

そう思って今日は手袋を3種類持ってきた。薄手と厚手と、先日買ったばかりの手袋。

この雪景色の中でどれが適当なのか試そうと思っていた。














足元はまだ凍ってもいないので今日はアイゼンまでは必要がないが、時々岩とか根っこで

足を滑らせる。それでも奥様たちはいつものスピードで歩いて行っている。







すると目の前に大岩が現れた。岩にはロープがかかっているが、先に登って行った

女性もこの岩を登った形跡がない。すると大岩の脇から降りて行く巻き道があった。

岩に手を掛け慎重に下って行く奥様たち。














大岩からも霧氷の森の中を歩いて行く。山頂手前のプチ急登を登りきると、

二等三角点 石墨山 1456.5mに着いた。先行していた女性は腰を降ろして

温かいスープを口にしていた。『晴れないですね~』とお互いに話をする。

すると一瞬だけ青空が見えたが、周りは相変わらず白い世界。











時間は10時40分過ぎ。当然お昼ご飯はさすがにまだ早い。YAMAPに入れた

登山計画では、法師山辺りで11時30分になる予定なので、そこでお昼と考えていたが

ここまでの雪景色とは思っていなかった。『少し遅くなるけど、唐岬ノ滝の駐車場まで

降りてお昼にしませんか?』と言うと、ルリちゃんは『山の中では寒いからそうしましょう』と

直ぐに返事をくれたが、あっちゃんは渋っている。『いったい何時になるの?』と、今にも

死にそうな言い方をする。『予定では13時30分やから、それまでのガマンや!』と

ルリちゃんがきっぱりと言う。しょぼ~んとしながらもさっそくおにぎりを取り出す

あっちゃん。集合写真をその女性に撮ってもらったあと、『お気をつけて!』と言って

女性と別れて山頂をあとにする。





山頂から折り返していくと、先程よりは少しガスが流れ始めた感じがするが、

それでもやはりまわりの景色は見えない。山頂で厚手の手袋に履き替えたが、

指先は相変わらず冷たく痛む。一度冷えた指先は自然にはなかなか温まらない。










登山口からの分岐まで戻って来た。やはり先程よりは随分とマシになってきた。








法師山への稜線も霧氷の森の中の世界。法師山手前の鞍部では今日一番の霧氷。

着氷した枝と枝が引っ付いて、まるで肉の網脂の様だと思った。










あ~でもやっぱり青空が欲しいな~!と思って空を見上げていると、お腹を空かし

始めたあっちゃんは、猛スピードで歩いて行く。白い世界の中で背中の黄色い

ザックがあっという間に遠のいて行く。








法師山は巻き道もあるようだが、ここまで来ればお昼ご飯も大事だが、山頂ポイントを

ゲットするのも大事だと、山頂への道を歩いて行く。山頂では寒さと時間短縮で三脚を

出さずにスマホで自撮り。自撮りをするとどうにも顔の皺と二重顎が気になる。








YAMAPの活動日記に『ここから急坂だと書いていましたよ!』と声を掛ける。

その活動日記の通り、先ほどの三大急登以上の急坂が待っていた。









先頭を降りて行くあっちゃん。その後ろをルリちゃんが続いて行く。








その内に先頭のあっちゃんが『キャー素敵!』と声をあげた。何が?と思って

近づいて行くと、先ほどの急坂以上の斜面にロープがかかっていた。

それを見て面白いと言って声をあげたらしいが、普通では考えられない。

とにかく滑り落ちないように慎重に下りて行くが足元が悪すぎる。














何とか三人ともに落ちることなくロープ場を通過して、巻き道との分岐に降りた。

すると頭上の空に青空が見え始めた。せっかくの青空だったが、周りの木々の背丈が

高すぎて、霧氷が綺麗には映らない。それでもすぐ脇にあった木の枝に少しだけでも

陽が当たるとやっぱり霧氷がばえる!















白猪山は山名標もなく四等三角点 白猪 1201.1mの石柱があるだけだった。

白猪山からも少しだけロープの掛った下りがあった。笹の間の落ち葉の積もった

さらに下の土もぬかるんでいて、滑るわ滑る。前を下って行くルリちゃんから

3回悲鳴があがった。幸いザックが先に当たってお尻は汚れていなかった。









何とかその滑り台の様な坂もクリアして白猪峠へと歩いて行くと、今日初めて北側に

木々の間から東三方ケ森の大きな山域が見えた。急坂を終えてほっとしたあっちゃんは

『三大急登より、こっちの坂の方が急で、楽しかったわね!』と宣う。








時刻は12時30分。いつもは昼ご飯を済ませている時間だが、やっと白猪峠に着いた。

先を歩いていた奥様たちはさらに先の根無山に向かって歩いて行った。

スーパー地形図(カシミール)ではきれいに繋がっている線が、YAMAPでは

かなりオーバーラップしないと線が繋がっていないからだ。二人は数十メートル

歩いては戻って来た。(それでも帰りの車の中でルリちゃんがYAMAPをみて

見ると線は繋がっていなかった)








YAMAPのコースタイムでは唐岬ノ滝の駐車場まではまだ1時間20分かかる。

それだと14時近くになってしまい、あっちゃんは空腹で動けなくなるだろう。

案の定、『それじゃ急いで降りるわよ!』と歩き始めた二人。先頭のルリちゃんの

スピードが半端ない。まだ濡れた足元なのに、普通に乾いた道の様にどんどん下って行く。

途中には林業の小屋でもあったのか石積みが残っていた。見上げるとドームの形をした

法師山が見えた。ここから見てもやはりあの下りはけっこうな斜度だ。











白猪登山口への分岐からは右に折れて行く。ここからは杉林の中の道。相変わらず

二人はスピード違反だ。ザレた谷筋も『道が荒れてるわね~』と言いながら、

スピードが落ちない。お昼ご飯への執念がこれほどだとは・・・・・!















涸沢を抜け一旦登って行くと、ユンボが放置されていた。ここで作業をしていて

動かなくなったのだろうか。バッテリーを交換しようとした形跡もあったが、

それでも動かなかったようだ。











放置ユンボからは少し幅のある作業道の様な道。二人はギアチェンジしてさらに

スピードを上げて行く。すると作業道から林道の様な開けた場所に出た。

ここが唐岬ノ滝の駐車場からの登山口となるようだ。











唐岬ノ滝の駐車場では待ちに待ったお昼ご飯。ベンチに腰掛け今日はインスタントのそば。

お昼ご飯の後、コーヒーも飲んでゆっくりとする。雲の間から陽が差し込み暖かい。











駐車場からは朝、車で走った国道を黒森峠へと戻って行く。皿ケ嶺への途中の上林や

前回歩いた井内峠への井内地区と同じように、谷あいから扇状地が広がり、傾斜地では

棚田が造られているのが見える。そして正面には東三方ケ森から高縄山系がど~んと

横たわっていた。










駐車場からは40分ほどたわいもない話をしながら歩いたら黒森峠に着いた。

思ってもみなかった霧氷の森の中の稜線歩きに、奥様たちは大満足のご様子。

次回はこの峠から更に先の梅ケ谷市登山口に一台をデポして縦走の予定だが、

道路の状況によってはここまで上がって来られないかもしれない。

石鎚山まで残り3区画。まあ急ぐこともないので天気次第で来年に持ち越しです。










今日のトラック


産業遺産を辿って線を繋ぐ

2022年12月01日 | 四国の山
11月の最終日。明日からは師走と言う事で本当に一年が経つのが早い。

天気予報はイマイチなので、こんな日には山頂や尾根からの眺望は期待できない。

となると前々からずっと気になっていた線が途切れた区間を繋げてみようか・・・。


以前に一度、一本松から石ケ山丈を往復したことがあるが、その時のトラックが

残っていない。山根公園から石ケ山丈、東平から一本松・西赤石のトラックはあるのに

その間がぽっかりと空いているのが気になっていた。

ただ山根公園から登って往復するのも気乗りがしないし、東平からは現在県道から東平への

道が通行止めになっているので、歩くとしたら遠登志から登らないといけない。

さてさてどうしたもんかと考えていたら、最近エントツ山さんが沈砂池から東平への

導水路を歩いたYAMAPの活動日記が目についた。これで5回目、導水路を歩いた

というエントツ山さん。何とも物好きな・・・・なんて思いながら、ふとその

エントツ山さんが以前に旧端出場水力発電所への導水管を辿って直登して沈砂池まで

登り、導水路を東平へと歩いていたのを思い出した。

『これだ~!』と霞がかかっていたルートがいっぺんに繋がった。

そのルートとはマイントピア別子に車を置いて、端出場の導水管を直登して沈砂池へ。

その後は石ケ山丈から上部鉄道を歩いて一本松、東平へ。東平からは遠登志へと下って

県道からマイントピア別子まで戻るというコース。これなら上部鉄道以外は初めて歩く道。

ただ少し気になるのはエントツ山さんのレポートでは、導水管の直登は藪いているヶ所が

あるようで、前日の雨でその濡れた藪の中を歩くのが・・・・・・・。





朝、目が覚めるとまだ外は暗く、家の前の道路にできた水たまりの水を跳ねて走る

車の音だけが聞こえてくる。『まだ道路も乾いていないんだ~』なんて思いながら、

何となく気乗りがしなくて布団の中でしばらくグズグズとしていた。

これもここ最近は晴れの日を狙ってばかり歩いていたせいだろう。と考えていても

時間が過ぎるばかり。仕方がないので重い腰?お尻をあげて布団から出て出かけて行く。


マイントピア別子に車を置く前に、取付を確認するために端出場の発電所の上まで車を

走らせると、な・な・なんと、取付きとなる場所は工事中で塞がれていた。導水管に

沿って階段が造られてその階段は立ち入り禁止となっている。弱ったな~と思って

いると、工事の関係者らしき人の姿が。『すみません!ここから上に登って行きたいん

ですが、入ったらダメですか?』と尋ねると『階段さえあがらなければ、その下から

登って行くのは大丈夫ですよ!』と言ってくれた。『私も興味があったんですが、上まで

登れるんですか?』とその方が言うので『たぶん登った人がいるので』と答えた。








マイントピア別子の北側駐車場に車を置いてスタート。県道を少し歩いて先ほど確認した

取付きへ。鉄骨の階段の下を潜って足元を登って行く。新しく造っている階段はどうやら

観光用の階段の様だ。階段の突当りには撤去されていた導水管が、再び展示用として設置

されていた。そしてその横には説明版のようなものも設置されていた。











さあここからが長い長い石段の始まりだ。導水管の台座に沿って保守用の石段が落ち口となる

沈砂池まで続いているはずだ。











時折導水管と保守路の両側に石垣が残っている。何のための石垣かは不明だ。

その石垣が正面に直行するように現れると、その上部は牛車道となっていた。













この標識までは比較的歩きやすい道だったが、ここからは少し藪っぽくなってくる。

ただ思っていたほどの大藪ではなく、枝葉から雫が落ちてはくるが手袋が濡れる程度だ。








すると今までの台座とは比べ物にならないくらいの巨大な構造物が現れた。

導水管を支持するだけなら、ここまでの大きさは必要ないだろうが、何か別の用途が

あっての構造物だろうか?











正面にまた石垣が現れ牛車道に出た。道を横断すると取付きには赤テープ。








石段はさらに上へと続いて行く。まあしかし、こんな急な斜面に台座もそうだが、延々と

この石段を造っていったもんだと感心する。











導水管と保守路が一緒になった台座もある。その保守路のコンクリートの上からは細長い

まるで鍾乳石のようなものが垂れていた。台座の際で導水管は切り取られているが、その

切り口を見るとかなり苦労した跡が伺える。










巨大な台座は割と平たんな場所に造られている。導水管が平坦地から斜面へと角度が

変わるのに、これだけ大きな構造にしなければいけない理由があるのかもしれない。

台座からのフランジにボルトが残っているのが何となくカッコイイ!








二つ目の鉄塔広場に出た。ここで沈砂池までのほぼ半分になる。木々の間から少しだけ

新居浜の市街地が見える。










ここからは何度も牛車道を横断する。そして所々で藪っぽくなってくるが、濡れた

藪の中に入るのもイヤなので、少し脇に避けながら登って行く。













石段は果たして何度くらいの勾配なのだろか?石段から脇の斜面を見てみると、やはり

45度くらいはあるんじゃないだろうかと思った。








導水管と石段の両側で崩れそうな場所には石垣が積まれているが、それ以外の場所では

やはり斜面から土や石が流れてザレていて歩きづらい。











牛車道からの取付きが石垣と結構な段差があったので、一度だけ牛車道を通って回り道。








そしてまだ石段は続いて行く。この別子銅山を詳しく歩いている春秋さんによると、

金毘羅さんの石段が785段(175m)なので、この導水管の落差の597mから

計算すると、この石段は2710段にもなるそうだ。ふ~う!キツイはずだ!











最後の牛車道から沈砂池を目の前にしてかなりの斜度になり、しかもザレて足元が

崩れて前に進めない。仕方がないので脇の木が生えた斜面に移動して、木の枝を

掴みながら登って行く。この間が一番歩きづらいカ所だった。











杉林の奥に石垣が見えてきた。石垣と石垣の間に最後の台座。ここまで来ると一安心。











そして沈砂池のレンガが現れた。それにしてもこのエントツは、空気抜きかな?

このレンガ造りとエントツはまるでジブリの世界に迷い込んだ感じがした。








レンガの壁を脇から上がると沈砂池。プレートには沈澱池と書かれているが、前述の

春秋さんによると、砂とか異物が混じって導水管に流れないようにした沈砂池では

ないかと言う事だ。鉄の格子で異物を取り除けるようにしている。










ここから東平へと今度はレンガ造りの導水路が続いている。途中には暗渠や谷間を

鉄橋で渡した箇所があるが、エントツ山さんのレポート見ると、長い暗渠を独りで

潜って行く勇気はないし、それを迂回する道もなかなか険しそう。さらには鉄橋も

落石で大きくグニャと曲がっていて怖い怖い。元々歩いて行くつもりはないが、

今日は少し先まで歩いて見学だけにしておこう。

導水路は東平を経て、銅山峰を越えて南側の銅山川から水を引っ張ってきているそうだ。

元々トンネルを掘るのが得意な住友さんとはいえ、大仕事だったろうに。


導水路から流れた水は左に沈砂池へ右に導水管へと流れて行く







地形に沿ってきれいな曲線で造られた導水路













それにしてもこれだけの施設をこんな山の中によく造ったもんだ。

沈砂池の全貌







沈砂池から石ケ山丈へと登って行く。この間は山根公園から歩いている。途中では

兜岩ならぬカブト虫岩があった。











沈砂池から15分ほど登って行くと目の前に城壁を思わすような高い石垣が現れた。

石垣に沿って脇から登って行くと石ケ山丈の停車場に出た。上部鉄道で運ばれてきた

鉱石は、ここから索道で真下にある端出場まで降ろされた。











停車場の先には索道の施設跡が残っている。








さあここからが本来の目的の線を繋ぐ区間。落ち葉が積もる柔らかい道を歩いて行くと

直ぐに何やら恐ろしい名前の谷に。上部鉄道跡の谷筋には、この地獄谷と同じような

レンガ造りの橋脚だけが残った場所がいくつもある。








地獄谷からしばらく歩くと道の両側が切り立った岩が。通り抜けて振り返ると、

生い茂った木々の間から尖った岩の先が見えた。上部鉄道で一番有名な機関車が走る

写真の切り通しの場所だった。(たぶん)








道は落ち葉で柔らかく歩きやすいけれど、倒木や落石などで右に左にとそれらを

避けながら歩いて行くので、あまりスピードは上がらない。







先ほどから雨がパラつき始めた。それでも雨具を着るのがめんどくさくてそのまま歩いて行く。

道には霧がかかり始めた。第一岩井谷は一旦谷へと降りて対岸へと渡って行く。

霧がかかりシルエットになった橋脚が幻想的だ。














第二岩井谷には足場板がかかっていた。恐る恐る渡って行く。







途中にあっただろう施設も、今は石積みが残るだけだった。








石ケ山丈から約1時間で一本松に着いた。ほぼ平坦だと思っていた上部鉄道跡の

道も、GPSでは石ケ山丈が標高837m、一本松が974mになっているので、

おおよそ140m近く登って来たことにある。ただ2.8kmの距離で、140m

なので、体感的には平坦な道に感じていた。








時間は13時近くになっていたが、足元も濡れていて腰を降ろせそうな場所がない。

東平まで降りて施設のどこかで雨を避けてのお昼ご飯にする事にした。

ここからの道は通い慣れた道。住友電力の鉄塔広場まで降りてくると東平も近い。

相変わらずガスがかかって視界は悪い。振ってくる雨粒が冷たい。この鉄塔広場の

まわりは伐採されて様変わりしていた。














見慣れた旧東平第三変電所を横目に見て採鉱本部跡を通り、いつも車を停める駐車場は

当然だが一台も車が停まっていなかった。














東平まで来ると最初に小マンプと呼ばれる坑道があった。ここでひとまず腰を降ろす。

ここまで途中で行動食を口にしたのと、雨に濡れて寒さのせいかあまりお腹が空いて

いない。水筒からお湯を注いでインスタントコーヒーを淹れ、残りの行動食のカロリー

メイトを口入れ、雨で濡れた身体を温かいコーヒーで暖めると落ち着いた。




行動食で一息ついた後、東平の駐車場へと歩いて行く。道の脇からは索道停車場跡

から奥に新居浜市。歩いてきた上部鉄道跡のある山肌にはガスが登っていく。













東平の駐車場も閑散としていた。ここからインクラインを降りて行く。インクライン

とは端出場から索道で東平へと運ばれてきた物資をインクライン(傾斜面を走る軌道)

を通じて荷揚げされていた。東平は毎年のように来ているけれど、このインクラインを

下って行くのは初めてなのだ。なんせ西赤石山の登った後に疲れて、この220段の

石段を下る気がしなかった。











東平の紹介でよく目にする足元から索道停車場跡を写した写真の広場に降り立った。

当然、この場所から停車場跡を見上げるのも初めてのこと。








索道停車場跡の広場の脇から遠登志への道を下って行く。直ぐに石垣の集落の中の道になる。

石垣を築いて平らにした場所にはカマドの跡がいくつも残っていた。以前に歩いた鹿森社宅

跡にも同じようにカマドが並んでいた。ここも東平の社宅の跡だろう。社宅跡は既に杉林と化し

鬱蒼としていた。











辷坂詰所跡と書かれた場所。辷坂という名前の通り急な斜面にここの社宅はある。

東平にも社宅があったが、この場所の条件が一番悪い。おそらく少し身分の低い

人たちの社宅だったのかもしれない。詰所があると言う事は、この辻坂にも

かなりの人数の人たちがここで生活をしていたのだろう。




社宅跡を抜けると谷沿いの道になる。途中でペルトン水車への橋が架かっていた。

ペルトン水車とは水の落ちる力でタービンを回して圧縮空気を作り出し、その

圧縮空気を利用して削岩機を使い第三通洞の坑道を掘ったとされている。その当時は

まだ電気も通っていなく、人力での掘削だったのが、このペルトン水車での削岩機で

飛躍的に作業量が伸びたそうだ。




遠登志から東平への生活道として造られた東平街道は、小女川の谷あいに沿って続いて行く。

時には山際の岩を掘削して道を作っているような場所もあった。











半分以上下った所で道の下にレンガ造りの建物が見えた。東平からの索道の中継施設の

ようだ。道から少し下って施設を見ようとしたが岩に架かった丸太が濡れていて、

足元がどうにも危ういので諦めて戻った。











索道の写真



中継施設の写真



この道にはレンガ造りの坑水路が所々に残っていた。そして会所と呼ばれる四角い溜舛も

残っている。レンガ造りの坑水路は容易に方向を変える事が出来なかったので、会所と

呼ばれる舛に水を貯めて方向転換していたそうだ。

そもそも坑水路とは、第三通洞から排出される汚水が小女川に流れ込まないようにした

排水路で、端出場への第四通洞ができ、排水されるまでの20年間利用されていた。










この会所を過ぎると道はいよいよ遠登志への急な斜面の九十九折れの道となる。何度も

何度も折れて本当に九十九折れとはこの事だ。この道を登ってくるのはイヤだななんて

思いながら下って行くと、木々の間から県道が見えた。








途中には大休食堂跡の標識。その場所には大きなホーローの鍋が転がっていた。

しかしこんな山中の途中に食堂?














東平のインクラインを下り始めてから1時間強で遠登志橋に着いた。物資や鉱物の輸送は

索道や上部鉄道で行われていたが、人の行き来はこの遠登志橋を渡って東平へと歩いていた。

橋を渡り遊歩道を歩いて県道に出ると、入り口にはその仲持ちの像が立っていた。











その後はいつも車で通る県道沿いをトボトボと歩いて行く。鹿森ダムからはループ橋が

架かるまで通っていた旧道を下る。ループ橋は青龍橋と名付けられていた。なるほど

ここから見ると龍が空に登っていくように見えなくもない。










スタートから6時間40分でマイントピア別子に戻って来た。旧端出場水力発電所は

補強工事がされ、下から階段で上がって取付きとなった導水管へ行ける様に工事をしていた。

マイントピア別子に渡る橋からは、導水管跡の斜面が見えた。鉄塔から鉄塔に渡る電線の

角度を見ても急な斜面だったのがよく分る。思っていたほどの大藪はなく助かったが、

それでも2時間以上の直登は堪えた。至るところにいまだに残る別子銅山の遺構。

南側の旧別子や沈砂池からの導水路を含めて、まだまだ歩きたい場所や道が多く残る、

興味の尽きない山域だ。







今日のトラック