15年ほど前、山の会の『山楽会』で『石立山』を予定して27名でバスに乗り込んだものの
高知に向かう途中で雨脚が強くなり、急遽予定を変更して越知町の『横倉山』を歩きました。
今回もWOC登山部も天候が不安定なので、『二ツ岳』から予定を変更して横倉山に向かう事となりました。
それにしてもお盆を過ぎてから晴れマークを見ることのない日が続いています。いつになったら二ツ岳に登れるのか?
でも『諦めません晴れるまでは二ツ岳!』
越知町までは距離もあり移動時間も長いので6時30分に丸亀を出発。
今日はセニョさん・やっさん・コアラさん・麺法師さん・杉さん・IRIBITOさん・あっちゃんと私の計8名。
県内では晴れていた空も高速で新宮町を通るころは霧の中、そして高知市内に入るとまた青空が広がっていました。
取りあえずお弁当にするか外食にするか未定にしていたお昼ご飯を、山でお弁当にすることに決め、
途中のコンビニでお弁当を購入しました。
横倉山の登山口は第一駐車場から第三駐車場の3ケ所あり、第一駐車場は最下部からスタートして『カブト嶽』の鎖場を通る
一番距離も長く険しい道です。今日はまだ足元が濡れているので安全に第二駐車場から登ることにしました。
でも鎖場と聞いてセニョさんとあっちゃんの目が輝きました。
『取りあえず今日は無難に!』となんとか説得してスタートです。
第二駐車場からの道は『杉原神社』への参道になっています。雰囲気のある鳥居をくぐり、苔むした石段を登って行きます。
ゴツゴツとした自然石の石段は苔に覆われ、しかもかなりの急登です。暖機運転もなくいきなりの急登に直ぐに息が上がります。
ハァハァと息を切らして登っている横を、週に何度も飯野山を登っているコアラさんが『これぐらいの登りで!』と
嫌味を言いながら追い抜いて行きます。『ふん!下りで後ろから蹴落としてやる!(逆に下りは弱いコアラさん)』と強がりを言っても
そのスピードに追い付くことができません。立ち止まっては見上げる度にまだまだ石段は続いています。
ふくらはぎに張りが出てき始めると、やっと目の前に三本の杉の巨木が現れました。石段の左側に『夫婦杉』。そして右側にはもう一本の木。
夫婦杉ともう一本の杉は石段を跨ぐように縄で結ばれています。仲睦まじく寄り添う夫婦杉を指さしコアラさんが
『こっちはうちの家やね!』と。『ハイハイお宅は仲がいいですからね!』するともう一本の杉の木を指さし、
『こっちは何やろ~?』と言うと、麺法師さんが『不倫の木やね!』。神聖な雰囲気の参道で下世話な話になってきたのでさらに進んでいきます。
石段が終わると『御手洗』と書かれた案内板の奥に、石の間からチョロチョロと水が流れています。
ここが神社の境内にある『手水舎』の代わりの様です。山中にある古い神社らしく自然を利用していて歴史を感じます。
御手洗からしばらく歩くと何本もの杉の巨木が現れました。平家の守護神の熊野権現を祀る『杉原神社』に着きました。
杉の巨木が多いことから神社の名前が付けられたようですが、前回歩いた時も一番印象に残った場所です。
参拝を済ませた後もみなさんこの巨木に見入ります。特に北・南株と案内に書かれた二本の杉は、見上げると首が痛くなるほどの高さです。
特に北株は根元で5人で手をまわしてみても届かないほどの太さです。
拝殿の後ろの本殿はこんな山中にあってとても重厚で精巧な彫刻が素晴らしい建物です。
ひとしきり杉原神社で時間を過ごした後、次は『横倉宮』を目指します。
途中には屋島の合戦で敗れた平家が安徳天皇を擁してこの地に落ち延びた80名が、25軒の住を構え都とした際に供御水とした
全国名水百選の『安徳水』の案内板がありました。
安徳水しばらく歩くと前を歩くご夫婦の奥さんが道の脇を指さし『そこにコオロギランがあるわよ!』と教えてくれました。
指さす場所を見てみるとよ~く見ないと判らないほどの小さな細いコオロギラン。
『まだ花は咲いていないけれどお昼頃には咲いているかもしれん』と奥さん。
でもあまりに小さくてコンデジでは残念ですが写真に収めることができませんでした。
安徳水から横倉宮までは道標には2kmと書かれています。今までより少し幅が狭くなった道を歩いて行くと緑青銅の立派な横倉宮の鳥居。
ここからも本殿まで階段が続いています。先ほどまでの緩い道からまたまた息があがります。
横倉宮は安徳天皇が祀られているので丁寧にお参りします。
お参りした後は本殿の裏側にある『馬鹿試し』へ。ゴツゴツとした石灰岩の岩を登ると目の前には眺望が広がっていました。
ただ案内板に書かれている通りに馬鹿かどうかを試しに行ったのはあっちゃんだけでした!(笑)
横倉宮の次は『安徳天皇陵墓参考地』を目指します。
安徳天皇陵墓参考地の前にはまた石段が!今日はやたらと階段や石段の多い道です。
宮内庁が管理する安徳天皇陵墓参考地は全国に5カ所あるそうですが、ここが全国でも一番規模が大きいそうです。
玉垣に囲まれた陵墓の正面には五色台の崇徳上皇の『白峰御陵』と同じ模様の門扉の奥に、さらに石垣と石鳥居と門扉。
煩悩ばかりの一般人が決して立ち入ることのできない神聖で荘厳な雰囲気が漂ってきます。
参考地からは石段を下りずにそのまま尾根道を進んでいくと、先ほど会ったご夫婦が上から降りてきました。
今度は『キヌガサダケがあるわよ!』と教えてくれました。道から少し外れた場所に初めて見る網状の黄色いキノコ。
さすが牧野富太郎博士が研究の場とした山だけあって植物の宝庫山です。
ご夫婦で四季折々の植物を観察に。この山の草花のある場所を全て知り尽くしているような、先ほどの夫婦杉のように
仲睦まじい花好きのご夫婦でした。毎週山ばかり出かけて、少しは爪の垢でも・・・・と反省です。(笑い)
次に目指したのは『畝傍山(うねびねやま)眺望所』。今日最後の眺望の利く場所です。眺望所からは先ほどの馬鹿試しの岩肌を見ることができます。
岩頂からは下に長い鎖が垂れ下がっています。この場所も行場だったようです。
眺望所からさらに急坂を登り、少し下がって行くと、今日の折り返し地点の『空池』です。
露出した石灰岩は苔で覆われ独特の雰囲気のある場所です。
しっとりとした窪地の苔岩の間を歩いて行くと足元にはまた可愛らしい植物。
空池から下り安徳天皇陵墓参考地の石段の下を進んで行くと横倉宮への分岐の東屋。先ほどから『お腹が空いた~!』
『ご飯はどこで食べるの~!』と聞いてくるあっちゃん。頭の上ではゴロゴロと雷の音が聞こえ始めました。
IRIBITOさんから『お弁当は置いといて、山を降りてからどこかで食事をしましょう!』と提案があり、
一先ずここでは行動食を摂って休憩をします。
一息ついたら三角点まで歩いて行きましょう!。往路の道とは違う周回する道です。
ここからも楽をさせてくれたのは最初だけで、アップダウンとこれでもかと階段が続いています。
最後の階段を登り三角点に着くころには雨が本降りになってきました。この横倉山はこれといった山頂はなく東西に峰々が続いています。
唯一山名の道標があるのはこの場所だけです。みなさん傘を取り出します。
三角点からカブト嶽へ進み途中の分岐から夫婦杉へと下って行きます。
途中の倒木を避けて根元の上を行くと雨に濡れた斜面が緩んで滑りやすく、何人かが尻もちをつきます。
最後は石灰岩の岩壁の『屏風岩』の下を歩きさらに下って行きます。
岩肌を鉈で滅多きりにされたような切込みがあり石灰岩ならではの他ではない岩肌になっています。
夫婦杉まで降りてくると第二駐車場まではあと少しです。登りの時にも難儀した滑りやすい石段を下りて行きます。
駐車場に着くと雨は上がっていました。濡れた服を気にしながらフレンディ号に乗り込みます。
越知町から伊野町を過ぎ日高村で昼食にします。日高村は高糖度のトマトの産地で、国道沿いにはそのトマトを使った
オムライスのお店が立ち並ぶとIRIBITOさんが教えてくれました。『オムライス街道』と呼ばれる国道沿いの
一軒のお店に入りさあ~名物のオムライスです。少し酸味の利いた手作りのケチャップをかけて美味しくいただきました。
『山を歩いた後にこういうお店で食べるのもいいわね!』と先ほどまで『お腹が減った!』といっていたあっちゃんも満足したようです。
安徳天皇ゆかりの地、そして牧野博士が研究の場とした地、さらには4億年も前の日本最古の自然が残る地の横倉山は
変化にとんだコースで見るべき場所が多く、天候の悪い中でも楽しい山歩きができた一日でした。
遠い場所まで快く運転をして頂いたIRIBITOさん、ありがとうございました。