先週やっと線で繋ぐ阿讃縦走路を終えたところで、たってきの目標がなくなった。
冬になって休止している『線で繋ぐ石鎚山~剣山』は、雪の残るこの時期に
再開するにはまだ少し早いし、最近奥様たちは、『ただ登って下るだけの登山じゃなく
線が繋がっていかないと面白くなくなってきたわね!』とおっしゃっている。
そうなると、まだしばらくの間は県外の山はお預けで、県内の里山を線で繋ぐ事は
出来ないか?と考えていたところ、先週の大坂峠園地から見えた景色は
引田の城山から翼山そして白鳥アルプスが一直線に繋がっているように見えた。
『これ、これ、これだ~!』と奥様たちにその事を話し、阿讃縦走路に続いて、
今度は東の引田町から西へと県内の里山を線で繋いでみる事にした。
これで季節が緩んで線で繋ぐ石鎚山~剣山を再開し、その後またオフシーズンに入っても
しばらくはまた目標が出来て困らないだろう。
その大坂峠園地で眼下に広がる景色を見ながら計画の話をしていると
ルリちゃんが、引田町の安戸池で美味しいハマチ丼が食べられると言い出した。
それを聞いたあっちゃんが『それ、絶対食べましょう!』と。
奥様たちは単純に食欲に釣られ浮かれ気分でいいのだけれど、行程を考えると?マークがついた。
白鳥アルプスの縦走だけで恐らく3時間はかかる。その後翼山、城山まで歩くと、
そのはまち丼のあるワーサン亭の13:30の閉店時間には間に合わない。
もちろんその為に集合時間を早めるなんて考えは、早起きがダメなあっちゃんには毛頭ない。
と言う事で、さてさてどんな一日になる事やら・・・・・。
集合時間はお二人に任せます!と連絡したら、案の定いつもの様に8時30分と
返事が返ってきた。仕方がないので仰せの通り、8時30分に引田町駐車場に集合した。
元引田小学校の跡地には広々とした駐車場と交流センターが新しくできていた。
小学校は川向にある中学校と共に、これも廃校となった大川東高等学校の
跡地に移転したそうだ。どこの市町村でもそうだが、少子化に伴って、
学校が統廃合され、自分たちが学んだ校舎が解体され無くなっていくのは寂しい限りだ。
その駐車場に一台車を停めて、もう一台で白鳥町の国道318号線の
鞍谷大師堂のある側道まで移動してスタートする。前回WOC登山部で白鳥アルプスを
歩いた時にもこの場所に停めてスタートした場所だ。
ただYAMAPを検索していると、もっと山の近くに車を停める場所があるようだが、
今回ここに停めたのは次に線で繋げるのに容易になる様にと考えての事。
単純に線で繋げるといっても、実は地図とにらめっこして大変なのだ。
車を停めた場所から湊川に掛かる橋を渡り、川沿いの道を東に向かって歩いて行くと
四国のみちの道標がある。道標に書かれた『讃岐相生駅』の方向に向かって進むと、
猪避けの柵のゲートがあり、そのゲートを開けて更に奥へと歩いて行く。
日陰になった場所には、昨日降った雪がまだ道の上にも残っていた。
四国のみちによくある擬木の丸太の階段を登りきると、山側に保安林の黄色い標識が立っている。
ここから山へと入って行くが、入り口には注意書きが掛けられていた。
最近、八栗寺の関係者の方から五剣山に登った時のブログを削除してくださいと書き込みがあった。
またクレーター四座のレポートにも日妻山に西側から登ったのはどうかと、と書き込みがあった。
最近そんな事で立ち入り禁止になっている場所を歩いている自分には身につまされる注意書きだ。
最初のピークとなる笠江山へはこの時期なら周りの草木も枯れていて、
踏み跡もしっかりしているので、迷うことなく登って行ける。足元に安山岩の露岩が現れてくると、
『何だか城山の南側を登っているような感じ』とあっちゃん。確かに雰囲気は似ている。
高度が上がってくると南から西にかけての景色が広がってきた。
山肌にはまだ白く雪が残っているのが見える。
電波塔のある高平山の奥に阿讃の稜線
堂々とした山容の虎丸山とその左に鬼の角右には笠ケ峰が頭を出している
三本松の市街地の奥に北山と鶴羽山
その眺望を楽しみながら登って行くと今日最初の三角点三等三角点 笠江山 233mに着いた。
三角点の横に掛けられっていた『東かがわ市合併10周年記念』の山名札は
他の山ではほとんど字が消えかかっているが、ここでは新しく書き換えられていた。
笠江山から東に向かって縦走路が始まっていく。その山頂の北には県内の里山で時々見かける
質火山角礫岩の岩塊が愛宕山だと書いた札が掛かっていた。
もうかなり昔に、裾野の国道を走る度に見えたこの岩塊がどんな風になってるんだろう思って
この白鳥アルプスに登ったのが最初だった。西側から藪を掻き分け登って見ると
下から見えたのと全く違って、それは想像してたのよりかなり大きな岩塊だった。
その表面は礫岩らしくもろく、掴んだ岩がポロっと抜け、掴まる木も
ほとんどなく、降りるのにとても怖い思いをした記憶がある。
いま改めて見ると、よくあんな所をロープもなく降りられたなと思う。
(その時は正面奥から登ってきて、左の斜面を命がけで降りた)
そんな話を奥様たちにしながら一旦下って行くと、テープに沿って下っているはずなのに、
どうも奥に見える峰々から外れて行っているような感じがした。
『ちょっと方角が違うような気がする!』と奥様たちに声をかけて軌道修正。
少し藪の中をトラバースして縦走路の稜線へと戻って行く。
それにしても途中まであった不可解な赤テープは何だったんだろう?
稜線まで戻ると、縦走路となる峰々はまだまだ東に続いている。
一旦笹の中を鞍部まで下り、そしてまた登り返していく。
小ピークの手前では先ほどより少し東側に寄って白鳥町から大内町が見える。
少し広くなった尾根では、その尾根の一面を猪が掘り返していた。
石槌山の手前の小ピークにはかんざし山の札が掛かっていた。
それこそ最初にこの山に来た時は、今回の四国のみちからの取付きはなく、
笠江山の西側に『かんざし山入り口』と書かれたテープがあるだけだった。
そのテープから山の中へと取り付いたら、あの愛宕山の岩塊に着いたのだった。
地形図にも恐らくネットにもほとんど載っていない名前を懐かしく思った。
かんざし山から少し藪っぽくなった道を下り、登り返すと石槌山に着いた。
ここからは正面に白鳥神社とこちらに向かって真っすぐ伸びる参道が見える。
そして先ほどまでの西側の景色と、今度は東側の与治山も見え始めた。
白鳥神社と相対すようにして鎮座する石祠の横には、
丁寧に作られた記帳ノートが雨に濡れないように空き缶の中にあった。
石槌山からの眺望も申し分なく。ここで行動食を口にする。
それにしてもあっちゃん。今日はハマチ丼を予定しているというのに、
一個では足りないと言って二個目のおにぎりを頬張っている。
今週は不安定な天候で、今日だけは天気がいい。
『やっぱり私の日頃の行いが良いからですね!』と私が言うと、
『何よんな~、私の都合で今日になったんやから、私のお陰!』とあっちゃん。
石槌山からは花崗岩が風化した滑りやすい道になる。
その滑りそうな場所にはお助けトラロープが張られていた。
小刻みにアップダウンしていくが、このところの縦走で慣れてしまったのか、
奥様たちは何でもないようにして歩いて行っている。
前を見ても後ろを振り返っても判別がつかないような、
同じような稜線が続いている。
242mの標高点まで来るとこのルートで唯一のアルプスぽい雰囲気のするプチ岩稜がある。
それらしく奥様たちの写真を撮ってみるが、ルリちゃんは足元が写ってしまって
ただ岩に足を掛けてポーズをとっているだけの写真になってしまった。
242mの標高点から花崗土が風化したザレた尾根を渡ると、
道は今度は一変してシダの海の道になった。
特攻隊長?のルリちゃんは、躊躇なく突入していった。
とは言っても足元はしっかりしているので、迷わず進んで行ける。
枯れたシダの葉とその上に積もった雪で足が滑るが、
これくらいの道は奥様たちにとっては朝飯前。スピードを落とさず歩いて行っている。
振り返ると先ほどの岩稜の大きな岩肌が見えた。
シダの道が終わり登り詰めると、白鳥アルプス最後の三角点二等三角点 喜来山 235.6m。
始めてここに登った時は、〇米さんの喜来山と書かれた札が掛けられていたが、
今は二つの札とも帰来山と書かれている。(帰来は北側の地区名)
帰来山から一旦下って、少しシダの道を登ると、白鳥中央公園との分岐に出た。
前回WOC登山部歩いた時はこの分岐が判らず、帰来山までの間をうろついた。
分岐から少し登ると電力の鉄塔保線路の杭が立ち始めた。
そして道は保線路の整った道になり、引田インターに向かって下って行く。
急な場所には保線路特有のプラスチック製の階段が続いている。
前方には鉄塔と共に引田町の郊外が見え始めた。
途中で石室の様な石積みが山の斜面から飛び出していた。
『防空壕かな?』とルリちゃんが言うと、『こんな山の中に?』とあっちゃん。
中には右側に一体と正面奥に一体、延命地蔵が座っていた。
不思議に思って帰って調べてみると、それは確かに古墳だった。
川北1号墳と言われる古墳からは遺物も多数出土したようだ。
古墳は低地に築造されるのが普通だが、山中に造られているのは珍しいとの事。
この地区には他にも三ヵ所ほど古墳があったらしいが、現存しているのは
この川北1号墳のみとなっている。
いったい何の跡だったんだろうと三人で訝しながら、さらに下って行くと
引田インターの脇に出た。どのフェンスに沿って最後まで下って行けばよかったが、
道の脇にテープが見えたので、右に山裾へ下って行くと、猪避けのフェンスで
出られなくなった。仕方がないので少し藪の中を裾野へと下って行く。
最後にゲートになったフェンスを開けて道に降りると、別荘だろうか?
立派なログハウスの横に出た。
ここからは小海川に沿って翼山まで歩いて行く。時間は11時40分。
『どうします、このまま翼山に登ったら小一時間かかると思うので、
ハマチ丼に間に合わないかも!』と私が言うと。
食欲優先のあっちゃんは『ハマチ丼に行きましょう!』と言っている。
でもあっちゃんほどはお腹が空いていないルリちゃんは『線を繋げたいから翼山に登る!』と
言っている。『もう、わがままなんだから』とあっちゃん。
いやいや、そもそも集合時間を早くすれば問題なかったのに、それを嫌がった
あっちゃんのわがままのせいなのですよ!
翼山へのアプローチは、ほとんどの人が東側から登って往復している。
このまま駐車場まで移動して、一旦YAMAPを停止して、
ワーサン亭まで車で移動してハマチ丼を頂く。その後駐車まで戻って、
翼山を往復そして城山まで歩くという手もあったが、せっかくなら
翼山の西側から取り付いて縦走して駐車場へ降りた方が、線が綺麗に
繋がっているように見える。ルリちゃんはそれに拘ったようだ。
但し、この翼山を西側から登った人が、YAMAPでもほとんど見かけない。
唯一ジロさんが山裾にある石上神社から登っているのをYAMAPで見た。
活動日記にはその石上神社から尾根までの道の状態や写真も載ってなかったが、
歩いた人がいるなら登れない事はないだろうと神社から取り付くことにする。
神社の石段を登り社殿の裏手に回って、支尾根らしいラインを辿って登って行く。
木に掛けられた注意喚起の札が気になって、ストックで足元を探りながら登る。
支尾根はやはり踏み跡もなくテープもない。里山らしいシダと灌木の中を
度々ニット帽を木の枝に引掛けながら、それでも順調に登って行くと
少しづつ木々が疎らになり、ザレた眺望のいい斜面になった。
右手には翼山南嶺の石祠が見え、その肩越しに引田の街並みも見える。
最後に露岩の岩肌を登りきると翼山から西に続いている尾根に出た。
尾根に出ると翼山までは赤テープが巻かれて、踏み跡の残る道が続いていた。
そして今日四つ目の四等三角点 翼山 125mに着いた。
山頂からはミニ八十八カ所の石仏が道の脇に並んでいる。
時間が気になるところだが、眺望が抜群の南峰にも寄ってみる。
岩稜の南峰には弁財天が安置されていて、そこからは360度遮るもののない
眺望が広がっていた。
五剣山は何処から見ても直ぐに五剣山だと判る
先週の阿讃縦走路のゴール地点の県境
拡大すると大坂峠園地も見える
西には最後の目的地の城山
一通り360度の景色を堪能した後、時間は12時24分。
ルリちゃんは何を思ったのかおにぎりを頬張りだした。
『何しょんな~、まだハマチ丼に間に合うぞ!』と声を掛ける。
『吉 幾三!(よし、行くぞ)』と言うとあっちゃんも『ハマチ丼、ハマチ丼!』と声を張り上げた!
それからは岩場もロープも何のその、一気にスピードを上げて駐車場めがけて下って行く。
いやはや食い意地とは恐ろしいもので、南峰からは10分ほどで梯子が掛かっている
登山口へと降り立った。よしよしハマチ丼には十分間に合う!
予定通り駐車場でYAMAPとGPSを一旦停止し、あっちゃんの車に乗り込み
ワーサン亭へと移動。平日なのでお昼時にもかかわらず、他にお客は見当たらず、
安戸池の見える窓辺に腰掛け、念願のハマチ丼と痩せの大食いのあっちゃんが
『二人で分けましょう!』と言ってハマチカツの単品を有無を言わさず頼んだ!
念願のハマチ丼と思ってもみなかったハマチカツの美味に酔いしれた後、
また車で駐車場まで戻って、YAMAPを再スタートする。
駐車場から城山までは小海川に沿って河口まで歩くのだが、
せっかくなのであっちゃんは引田に来たことがないと言うので、
少し回り道をして街中を歩いてみる。井筒屋敷やかめびし屋を見て回る。
一度は見てみたいと言っていた雛壇も、見学できて満足したご様子のあっちゃん。
趣のある街中を散策した後は、かめびし屋の北側の橋を渡り城山へと向かって歩いて行く。
引田城の駐車場からは整備された道が続いている。
その道をひと登りすると眼下に引田の漁港が見下ろせる尾根に出た。
花崗岩の尾根を登って行くと石垣の残る本丸跡。そこから南西に天守台への道が続き、
途中には今日最後の三角点四等三角点 城山 82.3mがあった。
これで今日はYAMAPのポイント五つをゲットして喜ぶあっちゃんと
既にすべて既踏だったルリちゃんは、線が繋がって喜んでいる。
そんな奥様二人に挟まれて何故か肩身の狭い格好のへっぽこリーダー。
三角点の更に先にある天守台からも引田の街並みを見下ろせた。
南に見える山並み指さし、『あれをずっと歩いたんだね~』と
阿讃縦走路を歩いた日々を思い返している二人。
駐車場に置いてあったパンフレットには引田城の想像図の写真が載っていて、
その想像図には立派な本丸や天守台が描かれている。
その当時もこの天守台から、同じこの景色をお殿様も見ていたのだろうか?
天守台から今日最後の目的地の引田鼻灯台へと向かう。
昭和29年に建てられた灯台は、潮風にさらされ白いペンキも剥げかけている。
灯台の横から回り込み引田の鼻に着く。今日はここがゴールだが、『線で繋ぐ讃岐の里山』は
ここからスタートとなる。前半部分の東讃地域の里山は、ある程度線で繋ぐ構想は練れているが、
高松市辺りからはどうやって繋いで行くかはまだ頭に描けていない。
阿讃縦走路の時は県境にちゃんとした道が続いていたけれど、
『線で繋ぐ讃岐の里山』になると、いかにして点在する里山を繋いで行くか、
ひと捻りも二捻りもいりそうだ。ただ旅行と一緒で、実際に歩いている時と
同じくらい計画を練るのも楽しみの内の一つだ。
そんな事を考えながら駐車場へと戻る途中の引田の港は、湾に突き出た半島(城山)が、
北東からの風を防ぎ『風待ちの港』として栄えてきたという。
そんな風待ち港。今日は波一つなく青空の下、穏やかに水面が輝いていた。
讃岐平野に点在する里山。さてさてどう歩いて繋いで行こうか。
今日のトラック
今日の3Dトラック