『今日は仕事午前中までやから!』と奥様。『ハイハイ言わんとする事は分っております』
先週のバイカオウレンで出血大サービスしたので、今週は大人しくなるかと思っていたが、
逆効果だったようだ。まぁでもまだ一日お山歩きできるほどには膝は回復していないので、
『まっ、いいか!』とポジティブに捉えて、お昼過ぎには帰って来られるお山をチェック。
そう言えば以前に鵜岬さんがYAMAPで『瀬戸内海の絶景が目の前に!』と活動日記を
アップしていたのを思い出した。その大屋敷の前山はほとんどが舗装路だったとも書いて
いたので、まだまだ不安の残る膝でもゆっくり歩けば問題ないだろうと思い出かけてきた。
坂出市の大屋敷町の厳島神社がスタート地点。最初の鳥居を潜って坂道を登って行くと結
構広い駐車場があった。時間は9時丁度。3時間ほどで周回して戻って来られれば、13
時前には自宅に戻れる計算だ。駐車場から境内へ入ると朱塗りの立派な社殿が正面にあっ
た。駐車場を利用させてもらうので形だけでもと参拝して、戻って石段を降りて行く。
境内からは大屋敷の街の向こうに番の州の工場の煙が上がっているのが見える。
石段を下りて東に神社の立派な石垣に沿ってコンクリートの道を登って行くと、ため池の
土手の改修工事が大規模に行われていて、道の脇にはミニ八十八カ所の石仏が並んでいる。
そして紅白の梅に水仙も咲いていて、まだ少し肌寒いが春間近な雰囲気を感じながら坂道
を登って行くと、その坂道の奥には垂直に切り立った岩肌が見えている。
『岩登りができそうな立派な岩壁だな~』と思いながら歩いて行く。そういえば30年以上
も前に、会社の同僚の女性に誘われて山登りを始めたのだが、その時にこの辺りの岩場にも
来た記憶がある。(もちろんその時は登ったのではなく、岩登りの見学だった)といっても
その岩場はここではなく、五色台トンネルの南側の青梅辺りから見える岩壁だとずっと思っ
ていた。(ミカン畑の中を登って行くと岩場があった記憶があったので)
農業用の揚水機場の横を通り更に登って行きながらふと足元を見ると、今日はそういえば
登山靴だ。おおよそ2カ月ぶりに登山靴で歩いている。ここ何年こんな長い期間登山靴を
履かなかったのは初めてかもしれないな~。久しぶり過ぎて、いつも膝の用心の為にと持
って歩いているストックを持って歩いていないのに、ここまで来て気づいた。ん~ん最後
の下り坂が心配になってきた。
標高も上がって来て次第に尾根に近づいて来た。九十九折れの道の折り返しの所で反対方
向に踏み跡が見えた。『ひょっとしてあの岩壁の足元に?』と思いながら興味本位で歩い
て行くと、案の定、山手側が岩壁になってきた。
更に少し下がって行くと目の前に小さな小屋が現れた。小屋の壁には『しわく山の会オレ
ンジヒュッテ』と書かれている。やはりこの岩壁はロッククライミング場になっているよ
うだ。すると30年前に来たのもこの岩場かもしれないと思い始めた。
小屋の横を通りさらに下って行くと、岩壁の下の土だまりが少し広くなった場所にベンチ
が置いてあり、その前の岩壁にはボルトが打ち込まれていた。その岩壁でなんちゃってク
ライマー(登っている振り)。しばらくの間ほぼ垂直に切り立った岩壁を下から眺めた後
小屋まで戻ると、岩に小さな名札がかかっていた。どうやら登るルートによって名前がつ
いているようだ。
岩場を後にコンクリート道まで戻りさらに登って行くと稜線に出た。ここから地形図には
鎌刀越と書かれた峠らしき名前が載っていたので寄り道してみる。しかしYAMAPに載
っているポイントまで歩いてみるが峠らしい雰囲気がなく、峠によくあるお地蔵さんとか
も見当たらない。仕方なく引き返してみるとコンクリート道に出る手前に何やら石仏が見
えた。近づいて見ると屋根の下に大きな石仏と小さな石仏が二体。その手前には、石の道
標が立っている。するとこの場所が鎌刀越なのかもしれない。大屋敷町と北側の王越町で
行き来があった峠だろう。YAMAPのポイントとはズレていたが取りあえず確認ができ
たので、今日の目的地の前山へと歩いて行く。
少し歩くとコンクリート道の北側の木にピンクのテープが掛かっている。ここから道を外
れて尾根へと登って行く。斜面を登り尾根に出ると雑木の中に赤テープが続いている。
尾根の北側は先ほどと同じような岩壁になっている。恐らく北側の王越から見ると、大屋
敷の岩壁と同じような岩肌が見えるのだろう。
さらに登って行くと尾根に岩が転がり始める。陽の当たらない山の北側でなく、陽が当た
る尾根にあるせいか、苔も大きくは育たず小さな緑の苔が岩にはまとわりついている。
周りは海沿いの山の特徴的なウバメガシの林。足元のワックスが掛ったようなツルツルし
た小さな落ち葉が足を滑らせ、今の私には最大の天敵だ。
岩庭を過ぎると尾根はほぼ平らになる。あちこちの木に赤テープが巻かれているが広い尾
根はどこが山頂かが分かりずらい。木々の間を探しながらうろつくと白い山頂札が掛かっ
ているのが見えた。周りの木々と比べるとひときわ大きな木の向かいに二枚の山名札が掛
かっていたので、一応ここが前山山頂なのだろう。
山頂から次は絶景が待つパラグライダーのテイクオフ場へと北西に歩いて行く。広い尾根
は迷いやすいがテープがそこら中に巻かれている。ただテープを探して前を見ながら歩い
ていると、足元の枯れて落ちた枝に足を引っかけて転びそうになる。その度膝が差し込み
痛みが走る。前を見て下を見て忙しくしながら歩いて行くと急に右手の景色が変わった。
『ここがテイクオフ場?』と思ったが、どうも写真で見た景色とは違っている。
それでも王越町と王越山そして乃生湾の先に瀬戸内海が広がる絶景だった。どうやらこち
らは王越フライトエリアと呼ばれる場所らしかった。
一つ目のテイクオフ場から先には道の横に農業用のモノレールが続いていた。そしてその
先に大きな岩の緑の苔が髪の毛に見えるお母さん岩。
その岩を過ぎて電波塔を二つ、横目に見ながら緩やかな坂を下って行くと写真で見た景色が
広がっていた。瀬居島と番の州の工場。その瀬居島の右手には瀬戸大橋も見える。
視線を左に移すと林田の埋め立ての奥に、これぞ讃岐の里山!といった感じのおむすび山
が霞んだ平野に浮かんでいるように見える。予定ではこの景色を眺めながらコーヒーを淹
れて、買ってきたお菓子を頬張るつもりだったが、あまりゆっくりしていると奥様と約束
した時間に間に合いそうにない。仕方がないのでコーヒータイムは諦め、少しの間腰を下
ろして景色を愉しんだら下山開始!
道は同じように北西に向かって緩やかに下っている。途中で道の脇に石積みの中に石仏が
見えた。この場所も南北で行き来のあった場所かもしれない。
テイクオフ場から10分強でまたコンクリート道に出た。ここから左に折れてまた登って
きた時と同じように九十九折れの、今度は下り坂が始まる。道の下には至るところでゴミ
が捨てられている。こんな所まで車で来てわざわざと思うのだが・・・・。
それでも時々木々の間からは先ほど見たのと同じようなのどかな瀬戸内と、讃岐平野の里
山の景色を見る事が出来た。すると軽トラックに積んだ伐採した木を道の下に捨てている
お爺さんの姿があった。『こんにちは!』と挨拶をして横を通り過ぎる。
しばらく下っていると、そのお爺さんが軽トラックで下って来て、『この先に猪避けのゲ
ートがあるから、閉めて降りてくれるか!』と声をかけられた。『ハイ、分かりました』
と調子よく返事をして降りて行くが、そのゲートがいっこうに現れない。
そうこうしている内に麓の県道の手前まで降りてしまった。地形図に相模坊大権現と書か
れた場所の横の倉庫で作業している人の姿があったので、声をかけて事情を説明。降りて
来た途中のミカン畑の持ち主の人だったが、『そんなゲートあったかな?』と言っている。
『ゲートと言ってもワイヤーメッシュを立ててるだけやから、イメージと違うかもな』と
言われたが、猪避けと聞いていたので今まで散々見て来たゲート。『もう登ってよう戻ら
ないんで』と泣きをいれると、『もうミカンの収穫も終わってるからエエやろ~』と言っ
てもらった。取りあえず気にはなりながらも、下道を車を停めた厳島神社へと歩いて行く。
それにしても緩やかだった尾根の道とは違い、ミカン畑の中の急坂の下り坂は膝に堪えた。
ズキズキと痛みを感じながら、まだ着かないかまだ着かないかと思いながら歩いた。
やっとの思いで着いた厳島神社の最後の石段は足をあげるのが精いっぱいだった。何とか
石段を登って鳥居の前でお礼をして車へと戻る。
左の膝を無意識に庇っていたのか、登りでは右の臀部が直ぐにパンパンに張り、下りでは
やはり膝が痛む。まだ今日くらいの歩行時間だといいけれども、長い時間歩くと炎症をお
こしてまた水が溜まるような気がするので、まだまだ無理は出来ない。今まだこの季節だ
とそれ程暑くもないので里山歩きができるけれど、暑くなってくるとそれも厳しくなって
くる。周りは春が近づいているのに私の春はまだまだ遠い。
※よく膝に水が溜まるという水とは、関節液の事だそうだ。関節液は関節包の中にあって
通常は関節の潤滑油の役割をしている。その関節液の量を調整しているのが滑膜。滑膜は、
新しい関節液を作って分泌すると同時に、古い関節液を回収する働きを担っている。関節
の炎症などの理由でこの新陳代謝のバランスが崩れ、関節液の回収が追いつかなくなった
時、膝に関節液が溜まるようだ。溜まった関節液には痛みや炎症を起こさせる物質がたく
さん含まれているという。通常は1~3ml程度の量なのだが、前回抜いた水の量は25ml
もあり膝が曲がらなかった。差し込む痛みの原因は分からないので今度先生に聞いてみよ
うと思うのだが、出来るだけ炎症が起こらない様に歩くのが今後の課題になる。