かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

オイラの富嶽百景

2017-05-03 04:28:55 | 日記

それにしてもというのもなんだが、2012年に最初で最後のUTMFを完走したときの体のダメージは、2日間眠らないという脳のダメージを除いて、あまりなかったと記憶する。今回のように20時間以上も大腿筋や足の皮膚全般の苦痛を味わいながら過ごしたという記憶がない。市販の鎮痛剤という助けがなければ、50k過ぎでリタイアしたのかもしれない、というほどの苦痛であった。夜間であったから、富士も桜も味わえないという時間帯であったことも確かだが、アスファルトの道を繰り返し同じ筋肉を酷使すると起きるダメージなのか、(これは、ウルトラマラソンにも言えることだが、50k過ぎからは大腿筋が痛い。)やはり老化と体重増と筋トレや走り込みを加えたトレーニング不足なのか、8割ロードの野辺山までは、あと2週間しかないから、この連休、とにかくロードの起伏をもう一度走り直して、不安を解消したい。幸い、足の皮膚のほうは、うっ血が解消され、薬指の肉刺の水ぶくれも治まって大事に至らなかった。

今回の富士山1周には、やや重くかさばるが、歩きだからp900をお供にし、要所要所富嶽の絵を切り取ってきたが、大会中のそれだから、それほど満足のいく絵は得られなかったが、それでも、五合目以上のまだ雪をいただいたこのシーズンは、花盛りでもあるし、ベストシーズンだった。桜は十分堪能できたが、惜しむらくは夕方から鳴沢村周辺を過ぎた時の「ミツバツツジ」であろうか、鮮やかで透明感にあふれたピンク、他の躑躅とは明らかに異なる彩をもった潅木を足の苦痛と深み行く闇のため撮影できなかったこと。

その時間帯には、折りしも「風神雷神」の神々が争いを始めたかのような雷鳴が轟き、富士は雲に隠れていったが、おそらくは、山上では雪が降りしきったのだろう。

翌日、御殿場から裾野にかけた歩いた夜明けの「大野原」。真っ白にお化粧した富士を眺めながら、雲雀さえずる大草原を横切る時間帯こそ、苦痛を忘れ、陶酔した時間帯であり、何度も立ち止まってはp900のシャッターを切った。

日本画家の巨匠、横山大観さんは「心神」という表現で、何度も何度も富士を描いた。

オイラも、忘れえぬ時の、忘れえぬ富嶽をそんなに長くはない人生だろうが、眺めて行きたいな。

 

 

 

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