かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

こころのプリズム

2017-05-12 09:30:53 | 日記

5月11日の宵は十五夜の出から始まる。真っ赤な、真っ赤なお月様である。お月様が赤いのは、成層圏に届いた月の光のうち青い光が拡散するため赤が残ること、水平線方向は、成層圏が厚いためその現象が顕著であること、お月様ばかりでなく、お日様だって、夕焼け雲だって、赤く見えるのはそのお陰だそうだ。

そして、今宵のお月様は、まん丸お月様ではなく、少し横に長い楕円をしているが、これも光の屈折によるものらしい。一種の蜃気楼だ。

東山画伯の風景を見て、どうして画伯の風景は、風景であっても、画伯の風景なんだろう。当たり前のことだが、風景は人を介すと、その人の風景になって、まったく三様の風景になるが、それは、何も技量の比較ではない、オイラはどうして画伯の風景に目頭を押さえるのだろう。

それは画伯のこころのプリズムにより、反射された光が、画伯のこころだからなのだろう。風景をとおして画伯という人を見ている。その人に感銘する。樹々も川も、道も、波も、それらの濃淡も、色合いも東山魁夷という人のこころのプリズムによって屈折させられた光なのだ。

そして、その光に限りない郷愁を感じる。

振り返って、オイラのこころによって屈折された光はどうだろう。紙や絵の具はないけれども、p900やd750とい逸品を手にしている。日々の心躍る風景や、りっぱな道具は与えられているのに、こころが、いまだ「澄んでいない。」

 

 

 

上は、朝の光。

月の出の朱色は、次第に黄金へと変化していく。

 

 

 

 

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