立冬の日。仙台の日の入りは16時30分であり、16時を過ぎるともはや風景は陰りを帯びている。
一年前の立冬の日に住んでいた石垣島は、日の入り18時02分、16時には、いまだギラギラとしたお日様が、海を照らしているのだろう。17時過ぎに、家路に着こうと自転車置き場に行くと、よく半ズボンの足が蚊にくわれた。
仙台と石垣島の日照時間は、この時期45分以上仙台のほうが短くなっている。最高気温は、仙台14℃石垣島27℃の予想。光の総量と気温にこうまで開きがあると、風景の色合いも異なって、仙台は北ヨーロッパ調というところか(行ったことはないけれど)、西洋の18世紀ころ風景画が古さびた色調となったような印象である。
(昨日16時25分の広瀬川)
このような、気象の乖離は、当然至極、風景の見え方や、音の聴こえ方も異なってきて、賢治の言葉を借りると「心象風景」にも大きな差異をもたらすのだろう。
「春と修羅」に代表される、賢治の詩の世界は、何度も何度も読み返しても、南国に住まうものには、理解しかねるのかもしれないが、6年ぶりに北国に帰り、うすら寒さに微熱や震えという症状をこらえながらも、オイラの「心象風景」も、賢治を理解するのに耐えうる「体質」に変容してきたのではないだろうか。
この立冬から、つぎの立春まで、「ちくま文庫」をポケットに入れ、三脚とカメラをお供に北を目指してみようじゃないか。
女優木村多江さんの朗読になるこの映像に出会った。言葉、映像、音楽の融合した素晴らしい作品だが、じつは、この映像に出会わずとも、賢治の詩を読んで、できれば声に出して読んで、このような映像と音楽がオノレノ脳内を駆け巡れるか否かが、これからの課題というか、願いなのだ。