かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

昼ごはん どこで食べていますか。

2017-05-10 20:09:59 | 日記

今宵、19時、14の月、ほぼ満月。薄い雲を帯びて黄金に輝いている。この薄い雲は、やがて、来週にも長い梅雨の雲となりそうだ。

昼休み、図書館まで自転車で赴いて、東山魁夷さん関連の本2冊。隣の新栄公園の木陰のベンチで弁当を広げながら

来週お邪魔する豊田市美術館に展示されている襖絵、を学習。唐招提寺の御影堂に臨場する人が思わずうめき声をもらすかのような画伯の構想を学ぶ。

その、新栄公園の昼のベンチ、過ぎる者さえなく、囀る鳥さえなく、惑わす羽虫さえ寄らず、圧倒的に静かな昼休み。日本最南端の五万都市で、かくも静かなる夏日の緑陰。

 

 

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野辺山に向かうルート

2017-05-09 04:34:11 | 日記

こないだの富士山には、行き中部国際空港、帰り羽田空港を利用したが、行きの電車の広告で、奈良の唐招提寺御影堂に寄せられた日本画家東山魁夷画伯の畢竟の大作である襖絵の展覧会が、豊田市の美術館で6月まで開催されていることを知った。その広告を目にすることがなかったら、豊田市がどの辺に位置するのかも、美術館の存在も、襖絵が全国巡回していることさえ、知らなかった。

そこで、今度の野辺山ウルトラに向かうルートは、中部国際空港からと決意した。展覧会が旅程の日にちに開催されていることを確認したうえでのことである。

東山画伯の作品は、長野市の記念館をはじめ何度かお目にする機会があったが、この襖絵は、毎年6月の数日だけ、唐招提寺の鑑真和上像の開扉の際に、御影堂の立ち入りが許可されてはじめて鑑賞が許されるということだから、その目に触れる機会はいつぞや、とあきらめていたところ、思わぬ偶然から、まもなくのご対面となった次第である。

あの御影堂は、平成27年から5年間の大修理に入っているとのことで、今回の地方巡回は、そのことに起因すると思われるのだが、さて美術館で鑑賞するのと、鑑真和上が鎮座するお堂に設えた襖絵を畳の感触を足裏に感じながら拝観するのと、どれほどの精神性の差異があるのだろうか。それは体験しなければ解がでないのであるから、きっと大修理が終わったころ、また唐招提寺の白い砂利を踏み抱いて訪れるのだろう。

明けの明星(手持ち)

 

2000mに拡大すると、なにやら占星術の世界(手持ち)

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旅と日常

2017-05-08 04:12:31 | 日記

なんだかんだいっても、富士山1周120kを歩いてボロボロになったのは、先週の日曜日。疲れは取れたといってもうそになる。連休最後の日曜日は、完全休養ときめ、午後から、ほんとにしばらくぶりだが、歩いて10分の宮良海岸の浜辺で、「きらクラ」を聴きながらボーとしたときを過ごす。

石垣島トライアスロンから続いた3週連続のイベントで、非日常体験を重ねてきたこの1ヶ月は、ものすごく長い1ヶ月で、遠い昔のようにも感じるが、今目の前にしている宮良海岸で起きている事象、たとえばクロサギの飛翔とかキアシシギの給餌行為は、ごく日常であり、つい昨日見た光景にも感じるのだからヒトの脳は、不可思議なのである。

芭蕉さんは、月日は永遠の旅人とおっしゃったが、目の前のクロサギの羽の開きだって、キアシシギの首の動きだって、昨日のそれとは違うのだって、、風の触れ合い、海の色合いだって、けっしてさっきのそれとは明らかに異なるのだから、日常も千変万化、海岸にボーと座っている行為も永遠の旅なのだろうが、脳にとって旅と日常の時間間隔の何が異なるかと問えば、それは「身体表現」の違いということなのだろう。

日々と異なる場所に移動するのも、朝から泳いだり、出したこともないスピードで自転車を漕いだり、倒れ掛からんばかりの暑さの中をあえぎながら走ったり、低体温となりながら深夜の峠を歩いたり、ひどい疲れにもかかわらず見知らぬ食堂に入り「富士宮焼きそば」の大盛りを麒麟麦酒でいただくという行為もすべてわが身体を異次元に追い込むという「身体表現」。

芭蕉さんのような、偉大な詩人になると目の前の空や風を感じるという行為も「身体表現」なのであろうが、凡人たるオイラは、体をいじめたり、トランスポートしないと変化を感じきれない

仙人のようにに、山奥で畑を耕しながら生涯を終えるのは、理想としながら、もうしばらくは、動き続けなければならないのか

野辺山仕様においこむため、今朝から走ってみよう。

 

今朝午前3時前の月、木星と一緒です。

あと、3日で満月か。

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やいまの森の恋の季節

2017-05-07 06:29:25 | 日記

いろいろあって、バンナの森の夕闇をおとづれるのは1年ぶり。

5月の午後7時から午後8時ごろまで、バンナ公園ホタル街道の森は、もっともにぎやかな時を迎える。日没直前までイワサキヒメハルゼミの大合唱で大いにざわめき、リュウキュウコノハズクが目覚めの気勢を上げるやリュウキュウアカショウビンが眠りの前にして、未練がましく唄を歌う。在来のリュウキュウカラスが集団でねぐらに帰ろうとしているし、異端のインドクジャクもかまびすしく遠くで奇声を発する。

日が暮れると、示し合わせたようにそれらの音環境は静まりをみせ、なにやら不思議な金属音の虫がカタカタと合唱を始める。(この正体がつかめていない。) カエルの仲間もいるのだろうか、さらに、午後7時30分をすぎて、闇が深まると、ぽおっと、ひとつ、ふたつ(学問上は一頭、二頭というのだそうだ)の白みを帯びた黄色の電気信号が草むらを低空飛行し始める。ヤエヤマヒメボタルだ。午後8時までの30分間、ふらふらと沸いては水平に、あるいは垂直に、あるいは回転しながら、呼吸のリズムに合わせて明滅する。

わずか30分で光るのをやめるというのは、その時間帯だけで、恋の相手を見つけ得るのか、あるいは、多量のエネルギーを放出するために体力が続かないのか、それは、ホタル君に聞いてみないと分からないが、わずか、5日から、1週間の成虫寿命のうち1日の30分間だけ、恋の相手を見つけるために一生懸命に灯をともす姿勢には、悲しみというより羨望という表現しか見つからない。

去年のようには、足繁く通えないだろうが、そろそろ梅雨を迎えるこの5月。やいまの森の恋の主役たちに「生きるとは何か。」を教えてもらいに行こう。

 

 

緑色の光跡は、キイロスジボタルか、美しい。

 さらに、数枚を重ね合わせるとにぎやかな集団見合いのシーンと相成る。

 

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檄  NEVER GIVE UP

2017-05-06 05:09:25 | 日記

ランニング暦、約18年、概ねの大会というものの卒業を65歳と目星を付けているが、フルマラソンを超えるウルトラマラソンの類は、あと何回走ることになるのだろう。思えば、この18年間思ったより走っていない。ハセツネ以来どちらかというと山岳方面にシフトしてしまったので、この10年は数えるくらいしか走っていない。100キロでは、宮古島のワイドーが8回で一番多く、ついでサロマの5回、秋田3回(うち1回じんましんでリタイア)、四万十、阿蘇、奥出雲、名護浦各1回、そして、昨年「下の惨事」のため、70k関門に引っかかった「八ヶ岳野辺山高原100kウルトラマラソン」。だったろうか。100キロ超では、佐渡の215k1回完走しただけで、富士五湖もさくら道もいずれもリタイア。そんなもんだろう。

さて、最強クラスと目されるこの野辺山、100kの部に今年は2500人以上エントリーしているビックな大会。渋滞とトイレ待ちなどの混乱を避けるため、今年は、午前5時と5時20分の2ブロックに分かれてのウェーブスタートとなる。その試みやよし。昨年は、林道のトイレ待ちに20分を要し、、たちまちやビリグループに追いやられ、関門制限時間を気にしながらのランニングに堕ちてしまった。

そのリベンジといっては何だが、ことしは、募集直後からのアーリーエントリーしたのはよかったが、やれトライアスロンだ、120kウォーキングだと4月からのイベントに振り回され、ろくな練習を果たしてこなかったから、ことしも黄信号だろう。

しかし、富士山ウォーキングのしこりが心配されたが、昨日1時間ほど走ってみて概ね疲労が抜けていたので、あと2週間何とか調整して野辺山に向かいたい。昨年の「下の轍」は踏まないことにしているので、前夜祭には出ず、八ヶ岳の夕焼けを仰いだら早々と滝沢牧場のテントにもぐりこもう。

大会からは、「檄 NEVER GIVE UP」のパンフレットをいただいた。ひとむかし前のオイラだったら「ええい 胡散臭い!」と打っ棄っておいただろうが、ことしはこの言葉、大事に胸にしまって走ろう。あと、何回も走らないウルトラマラソン。

 

 

 

 

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