かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ヒトも歩けば棒に当たる

2021-05-23 06:30:32 | 日記

5月23日AⅯ3:00、外は雨だれの音がして少しひんやり(13℃)としているが、季節の旅人ホトトギスくんが近所で初鳴き。3日前の青葉の森でも聴いているので、仙台の初鳴きはもっと早いのだろう。ホトトギスくんとくれば、なかまのカッコウさんもやってきているに違いない。山霧が立ち込め、レンゲツツジの燃えるような朱色の花が高原に咲き誇る季節に、カッコウの声を聴きながら山を歩くと、脳内に快感物質「ドーパミン」が湧いてくるようだ。さあ、今年の6月どこの高原に行ってみようか。

県も市も、まん延防止重点措置解除後も、「リバウンド防止徹底期間」と称して5月末まで県外移動の自粛を要請しているものだから、なかなか出かけられないでいるが、6月の始まりとともに県境を越えよう。

 

首都圏、関西圏では3月の緊急事態宣言解除後、まだひと月あまりしか経っていないのに、すぐまた宣言が発令され、あれだけ「帰省はガマンしてください」、「県外移動はジシュクしてください」、「カナガワに来ないで」とクビチョウさんたちは連日口を酸っぱく(本音は?)叫んでいたのに、湘南や沖縄はヒト・ヒト・ヒトであふれていた。

たしか沖縄のT知事は、GWのはじまる前に全国紙の一面広告で「沖縄ルールで観光に来てね」とかりゆしウェアで笑顔を振りまいていた。何が、沖縄ルールかといえば那覇空港にPCR検査所を設けるから、できるだけ検査をしてから、観光してね。という意味だったろうが、任意であること、5000円と有料であること、石垣や宮古の観光地の空港はいまだ任意の検査さえも実行されていなかったこと、から「水際対策」は完全に失敗したのだろう。少なくとも、沖縄ルールを語るならば、「緊急事態宣言地域からの来県を固くお断りします。」とするべきだったろうが後の祭り。

結果、沖縄は、連日200人以上の新規感染者を出す始末で、とうとう昨日から緊急事態宣言を発令する結果となってしまい、T知事は「不徳の致すところ。」と謝罪している。(反省するならサルでもできるが、反省さえもしないS首相よりは、まだましの部類)

北海道もそうだったのだろうか、GWどちらも前年の数倍の観光客だったのだろう。

もう忘れ去られたかのようだが、GOTOキャンペーンについて、S首相は「ヒトの移動が感染につながるというエビデンスはない。」と何度も強調していたが、いまや「明確」なエビデンスを見せつけられているのではないか。せめて「不徳の致すところ」と活舌の悪い小声ででも反省すべきではないか。サルでもできるのだから。

 

T知事報道

 

GWの上高地は、昨年の12倍ちかい入域者がいたとのことだが、全国的に登山者も相当増えたと思われ、コロナではないが、朝日の報道によれば、遭難件数は昨年の80件に対して2倍近くの157件、死者26人、負傷54人、不明3人とのことである。このうち、何名が緊急事態宣言地域から出ていったのか、その辺の報道はないが、自己責任とはいえ、捜索や救出に何人もの関係者が動員されたとのことで、助かっても後ろめたいことこの上なしなのだろう。

コロナ禍で山行くヒトは、できるだけ感染リスクのすくないエリアにしけこもうという意識があってのことで、それは正しい判断なのだろうが、10万人当たりにしたら157件という数字は、とてつもない確率で危険な目にあっているということになろう。いずれにせよ、下界は初夏のポカポカ陽気なので、天上が過酷な厳冬期にもなるという意識がどこかで欠落しているヒトも遭難者の中にはいたのだろう。要注意であるGWの高山。

朝日デジタル記事

 

「イヌも歩けば棒に当たる」とは、ガキの頃から耳にしてカルタなんかにいつも出てくるが、分かったようでわからないことわざ。歩けば、アンラッキーなのかラッキーなのか。

ネットの「故事ことわざ辞典」によれば、

「棒に当たる」とは、ヒトに棒で殴られるという意味とある。ということから、「でしゃばると災難に遭う」というのが本来の意味であるが、現在では、「当たる」ということばから、「何かしているうちに思いがけない幸運がまっている」と、反対の言葉で使われている、とのこと。

 

ヒトも「専門家」のいうことを聞かないで出歩くとえらい目にあう、というのが本来なのだろうが、多くの現代のヒトは、何かしらの幸福を求めて出歩くのらしい。(「政治家」はうそつきだからいうことを聞かないでもよろし)

オイラも,6月の高原に「ドーパミン」を求めて出歩く決意なのである。

 

    

      福島・安達太良・勢至平のレンゲツツジ 2019.6.14  (再掲)

 

 

    

      長野・湯の丸高原のレンゲツツジ 2019.6.26

 

 

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ワクチン狂騒曲 

2021-05-21 15:59:08 | 日記

自粛疲れ、マスク疲れのこともあるものだから、いまのニホンジンは、「疲労回復剤」のようにワクチンを求め始めているが、65歳以上といわれる高齢者は「疲労回復剤」どころか「生存保証書」のごとく連日報道されている。

なので、申し込みが開催されるや、やれ「前日から受付窓口に並んだ」とか、やれ「ネットとコールセンターに朝から何度もアクセスしてなんとかつながった」とか、予約ができた者を努力・精進して成功した勝ち組のように報道している。かたや、ネットでしか受け付けない大規模接種会場に予約をしたいがために会場に直接訪れたネットを使えない老人を情報戦に敗れた無知蒙昧な負け組のように報道している。

 

防衛相やそのアンチャンのウソハッピャク前首相は、大規模接種会場予約システムの不備を指摘したマスコミに対し、不正に入力したとか、「妨害愉快犯だ」とかのレッテルを張り攻撃をしているが、そんな不備は、遅かれ早かれネット愉快犯たちの笑いものにされて赤っ恥を欠くのだから、施行当初から不備を公開して、誤った番号を入力をしないようお年寄りに警鐘を鳴らしたマスコミには、むしろ感謝すべきなのであろう。何か勘違いしている。

 

そもそも、「大規模接種会場」のワクチン予約システムについては、ネットを扱えない者が多く分布する高齢者世代なのに、「ネットのみの予約」にしたことは、「国民に寄り添った施策」とはいえない。何か間違っている。

また、防衛省の大規模接種に使用される「モデルナ社製ワクチン」は、昨日厚労省の専門家に使用が承認され、厚労大臣が本日付で正式に使用を発表している。それなのに、先週から予約が始まっている。法令に基づいた厚労省の承認という手続きがこんなにも形骸化しているのかと思った。有事とはいえ、法に基づいた適正手続きが、この国の建て前ではなかったのか。何かおかしなことが始まっている。

コロナワクチンをめぐって、以上のような昨今のてんやわんやはまるで「ワクチン狂騒曲」と呼びたいぐらいだが、現首相は、高齢者は7月末には終えるのだという。秋の選挙やオリンピックということが念頭にあるのだといわれるが、たとえ高齢者に打ち終わっても、人流や飲食の立役者たる勤労者や若者が打ち終わらないと、なかなか感染流行は収束に向かわないのだろう。ましてや、このところのイギリス株やインド株は若い世代に感染者が多いのだから。

だが、いくら現下の為政者のコロナ対策を痛罵、揶揄、悲嘆しても、ウィルスは同情し動きを止めてはくれない。毎日100人以上が命を落とし、重篤な後遺症に悩まされるパンデミックに対しては、「自分の命は自分で守る」という生存本能は働かせていかねばならない。いくらリタイアした濡れ落ち葉的存在であっても「生きてこそあれば、この世の浄土に身を置ける」。野に咲く花の色香を愛でて、小鳥のさえずりに心躍り、森の木漏れ日と梢をわたる五月の風に身を置いて季節の移ろいを感じるという喜びは、生きてこそあれである。

今週から、わが自治体は、診療施設の「個人接種」の接種をはじめ、公共施設での「集団接種」は来週から始まるが、まず75歳からで、65歳以上の予約は6月3日からなのだという。加えて、今日から「大規模接種」ということで、モデルナ社製ワクチンを使用した接種の予約(65歳以上は明日から)の電話予約が始まった。ネットでは、5月31日からなのだという。何か複雑でどれがどうなのか、お年寄り世代は、この地でも混迷を深めそうである。

 

だが、生きていくためには混迷の荒波に舳先を向けなければならない。ワクチンは受けよう。みっともないから、何が何でも予約開始日からドタバタするのはやめたいが、予約状況を見聞きしながら、6月5日ごろになったら「集団接種」と「大規模接種」へのアクセスをしてみようかという気にはなっている。かかりつけのクリニックは、あらかじめ「1日4~5人」とアナウンスされており、とても6月中の接種は見込めないから期待しない。7月末まで運よく2回接種できたら、わが体内に「中和抗体」で漲っていることだろう。そしたら、百花繚乱の夏山へも堂々と出かけることができるのだろう。

ネット予約というと、何となく3年前には日常的に行っていた「人気トレラン大会のクリック合戦」を思い出すし、通販予約は日常茶飯事だし、数少なくなったが、旅宿や高速バスの予約はネットでおこなっている。だから、集中アクセスによる通信障害でもない限り空きがあればスムーズにできるのだろうが、問題は、かなりの確率でおきるのだという「副反応」のこと。

注射は、採血もふくめ大嫌いなので、肌への針刺しも遠慮したいところだが、打てば打ったで「接種付近の痛み」・「腫れ」・「発熱」・「頭痛」・「倦怠感」とさまざまな「副反応」が3割以上のヒトに現れるのだというし、接種当夜は酒も飲めないのだともいう。何百万人に一人はアナフィラキシーショックで、場合によっては死に至るとも・・・いやなことばかり脳内をめぐる。

 

だが、そんな脅かしや現実があっても生きていかねばならないのだ。この世の浄土を生きるために。

 

 

 

  

   

      5月の青葉山の林床は、カサカサ枯れ葉でいっぱい・・・・あれ

 

                   ↓

                   ↓

                   ↓

 

 

      

     きみも生きるために生きているんだ。枯れ葉と見紛う体色で身を隠しながら。

     ヤマアカガエルと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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黒部川「水平歩道」と「くろよん」の思い出

2021-05-19 14:12:37 | 日記

NHKBSプレミアムで2000年に放映された「プロジェクトⅩ挑戦者たち」の4Kリストア版を録画に取ってあとで視聴するようにしているが、みゆきさんの「地上の星」や「ヘッドライト・テールライト」を何度でも聴きたいがためだが、じつは企業戦士の美談めいた多くの番組内容にはあまりついて行けないので、放送当時から好んで見ていた番組ではない。

昨夜放送された「厳冬 黒四ダムに挑む」を今朝がた視聴したが、ただただ関西重工業発展のための電力を得るためという理由で、膨大なダイナマイトで黒部峡谷の赤沢岳の岸壁を一気に「破壊・崩壊」させ、深い谷間を甲子園球場6杯分のセメントや資材で埋め尽くし、超巨大な構造物を完成させたものだが、竣工時の映像を見て、どうも当時の映像の工事関係者のような拍手や万歳三唱をする気持ちになれないし、171名もの命が犠牲になっているのに「彼らがいなければ完成できなかった」と殉国兵士にするのと同様な哀悼の意を捧げていた大手土建会社の元工事現場監督のコメントにも共感できない。彼はこの番組で英雄扱いされていた中心人物である。

まあ、国土改造による復興は、敗戦後10年当時の多くがいだいていただろう国民感情なので、批判めいたことを、あまり言いたくはないが、黒四ダム(「くろよん」と呼ぼう)のような超ド級の水力発電用ダムは、現代においては法令上も自然保護上も、とても認められる工事計画ではないだろう。中部山岳地帯の河川周域環境に重大な負荷を与え、ヒト以外の生物の尊厳を重んじない暴力的な計画であるからなので。

この番組を見ていて驚いたのは、工事開始前の調査や工事当初「水平歩道」といわれる欅平から阿曾原温泉小屋までの12キロの狭い山道や下ノ廊下(しものろうか)沿いに取り付けられた「旧日電歩道」と呼ばれる黒部第四ダム地点までの16.6キロの山路を重さ100キロちかい荷を背負いながら資材を荷揚げしたヒトビトのこと。

「水平歩道」も「旧日電歩道」も、戦前に黒部峡谷の高さ最大100メートル断崖絶壁をコの字に掘削して切り開かれた荷揚げ用道路で、狭いところは幅70~80センチ、「旧日電歩道」はさらに細い桟道や垂直のはしごなどもあって、誤って足を滑らせれば確実に「命はない」危険個所なのである。そこを、丸太や角材など不定形な重量物を背負って歩いたとは、いかに生活のためとはいえ、どんなにか肝を冷やしたことだろう。恐れ入ったものである。

ただ、この歩道からの資材運びは危険性と効率の問題から、立山から一ノ越をブルも使って越えるルートに変更されたとのことであるが、それでも男性が100キロ、女性で40キロの荷を背負って一ノ越を超える歩荷(ぼっか)も行われていたのだそうで、現代人の体力では考えられないことである。「地上の星」とは、命がけで仕事をした彼らのことを言うのだろう。

 

オイラは、1974年ころに、当時参加していた大学山岳サークルの新人として剱岳登山の帰りに「水平歩道」を5,6人で歩いている。阿曾原の露天に浸かった翌日、欅平まで歩いてトロッコ列車に乗ったことを昨日のことのようによく覚えている。その時は、金魚のうんちみたいに先輩の後ろばっかりついて歩いていたものだから、その恐ろしさを感じずに、何食わぬ顔してサッサと歩いたと記憶しているが、あのような不思議な登山道はあとにも先にも経験がない。

だが、歳を重ね、一人歩きが中心となるにつれて「高所恐怖症」も昂じてきていることから、下のような映像を見せられると、また歩けと命じられても、カネをいくら積まれても、再び歩くことはないだろう。

道が乾いているならまだしも、雨でも降って濡れていてズルッと滑ってしまったら・・・・・だ。

昨年、立山の一ノ越から雷鳥沢までのなんでもない道を下山しているとき、原因不明で転倒して、左わきの草むらにでんぐり返しをしてしまった。何でもない斜面だったから、こと無きを得たが、この道があの「水平歩道」でだったらと思うと・・・・・・だ。

 

もう何年前だろう、扇沢から「くろよん」に出て、そこから一ノ越を経由して立山に登った。みゆきさんが紅白で「地上の星」を歌った舞台でもあり、ダムの壮観に「これが人為の手になるものか」と驚いた。そこから、一ノ越までのあの道が、膨大な資材を運んだ作業道だったのかと、番組を見て分かった。50年以上の歳月を経たのだろう、まったく工事の名残も面影もない気持ちのいいルートだったが、眼下の「くろよん」も、アルペンルートのトンネルも、ケーブルカーも、ロープウェイも、国策的工事という歴史を契機として作られたものだと分かった。

電源としての巨大なダムをつくる意志も正統性も、山を穿って観光ルートを開発する元気も体力も、いまのニホンはとうに失われているのだろうが、今や、「くろよん」も「アルペンルート」も大事な観光資源となっているようだが、「ニホンが元気だったころの記憶モニュメント」としても、大事な歴史遺産だともいえる。否定的意見はあれ、作ってしまったんだから永く維持管理され、万人に山の魅力を伝えてほしいのだが、色則空、形あるものはやがて消え去るのが運命というものだろう。

「くろよん」は、黒部湖の巨大さからまだ土砂の堆積はすくなく「あと250年はもつ」といわれているが、そのころには、ダムに頼らない発電技術が開発されているだろうし、フォッサマグナの中心地なので、巨大な地殻変動にやられて、遅かれ早かれ250年を待たずに用済みとなるものと予想する。おなじように、「水平歩道」も「旧日電歩道」も、やがて断崖の崩壊によって消えゆく運命にあるのではないか。

未来のヒトが、たとえば乗用ドローンで黒部峡谷をさかのぼる時、わずかに残された「くろよん」や「水平歩道」などの痕跡を認めて

            「雪どけの 黒部に残塊 夢のあと」

と詠むのではないか。 

 

 

tanagomen2154さんのYoutube

 

 

     

               立山から見下ろす黒部湖(2020.8.5)

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ひとり・ひっそり夏山歩きプラン

2021-05-17 16:18:19 | 日記

夏が来~れば思い出す~ ♩

NHKBSプレミアムで放送されていた「日本百名山一筆書き15min・尾瀬」を視聴。アドベンチャーレーサー田中陽希さんが2014年に踏破した深田百名山の記録。

尾瀬には2回しか訪問していないが、ミズバショウの時期はちょっと寒いので、雪解け後の花が咲き始める7~8月に1,2週間テントでも張ってゆっくりと滞在したいとは常々思っているのだが、2014年の8月の映像を見る限り、尾瀬ヶ原の木道はヒト・ヒト・ヒト、すれ違うたびにに「コンニチハ・コンニチハ・・」をくり返し、集団とでもすれ違えば、間違いなく「密」状態となって、2021年の夏は感染リスクの危険が高いから避けるべきであると思った。

夏の北アルプスや百名山はどこもヒトがいっぱいなので、同じように忌避するべきなのだろうが、そこは知恵を働かせて、感染リスクを最少としながら2021年の山歩きを考えたい。

夏休みでも殆んど人が歩かないような山やルートを選択するという考え方は、高齢者の一人歩きには危険すぎるので臆病なオイラは取らない。だったら、比較的ヒトが多い山域でも時期や時間帯を考えて歩くのがいい。

まず時期だが、経験則上、夏休みに入る頃合い(ちょうど、海の日と梅雨明けが重なるころ)からお盆までが、多いので、この時期の縦走は避けるべきである。(もちろん、そのころしか休みが取れない大方のサラリーマンや学生に向けて発信しているのではないので念のため)

そして、時間帯だが、ずいぶん前に夏の飯豊の縦走をしているとき、山小屋やテン場はものすごく混んでいたが、みんなが寝ている午前2時ごろにひっそり音を立てないように出発し、ヘッデンを照らし尾根を歩いたが、ときおり立ち止まってはライトを消し、しばし満天の星を仰いでは心中歓声をあげ、少しずつ夜が白みはじめ小鳥が歌い始める頃合いなっていく調子に、いいしれない胸の高鳴りを覚えたことを記憶している。山頂でのご来光時には、もう2,3時間も歩いているのだからゆっくり腰を下ろしながら、朝食をとりながら、しばし極楽時間を味わったものだ。山頂と言っても、ご来光目当てのヒトが登ってくる本峰はさけて,ちょっとしたピークなんかをご来光展望台とした方が、人っ子一人いなくていい。

夏山ならば、そんなに冷えてもいないので、悪天時でもなければ、自分も夜行動物となって歩くのがいいのだろう。

2021年夏山の歩き方としてまとめてみると。

① もちろんひとり、ソロで行く。

② 無人であっても、山小屋はよしてテント泊とする。

③ 尾根上での行動時間は、午前2時から、遅くとも正午ごろまでとするが、時期によっては、お月見しながらの尾根歩きも明るくてよいので、午前0時からだってありかも。もちろん、クマさんもライトによってこないないだろうから、クマ鈴やラジオは厳禁だ。あくまでひっそりと。

④ 休憩や食事、ご来光撮影などは、ヒトの集まるような山頂ではやらない。

⑤ 時期は、できる限り6月下旬~7月20日、8月16日~9月10日に設定すべきだろうが、ことし行く予定の白山だけは例外となるのかもしれない。コース、行動時間考えてみよう。

これなら、アルプスや白山だって、ヒトと「密」になることはなかろうが、誰とも会わないのも少し寂しいが、同じような思考方法の方々が増えたのなら、そこは「密」なのかもしれないし、深夜に、ぞろぞろ黙々歩くってゾンビみたいで怖いかも。

 

    

 1日中ヒトに出会わなかった朝日岳からの犬ヶ岳までの栂海新道(2019.7.25)

 

 

 

 

 

 

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うずのしゅげ=オキナグサの季節

2021-05-16 15:55:19 | 日記

うずのしゅげを知ってゐますか

という設問からはじまる賢治さんの「おきなぐさ」という童話。

オイラの好きなキンポウゲ科に分類されるオキナグサ、50日を超える休園のあいだに、仙台野草園の草花のスプリング・エフェメラル(早春の妖精たち)は草むらに息をひそめ、高山植物エリアには、もう初夏の花々が咲き誇っていた。その花たちになかに、いま花盛りのオキナグサと、結実して、まだ青いがそろそろ髭を白く染めようとしているオキナグサと、異なる株たちに会うことができた。

     

「うずのしゅげ」とは、岩手県地方でオキナグサを言うらしい。「うず」=おず=おじぃ、「しゅげ」=髭という意味なのだという。オキナグサ(翁草)=白い髭をはやした老人、意味するものは同じだ。

 

     

野草園の青い髭を伸ばした株は、もうしばらくすると童話に出てくるように

すっかりふさふさした銀毛の房にかはってゐました。・・・・今にも飛び立ちさうでした。

となって、やがてタネをいだいた銀毛は、南から吹いてくる風に乗って北の方に飛んでいくのだろう。

 

賢治さんの「おきなぐさ」は、「畑のへり」、「やまなし」、「いてふの実」、「まなずるとダアリア」、「虹とめくらぶだう」など11篇の作品とセットで「花鳥童話集」という童話集にまとめられていたようだが、これらの作品は、いずれも生と死をテーマにしているが、いずれも死というものが潔く、清められて、怖くなんかない。むしろ生が満たされつくし、安息への憧れとして描かれている。とくに「おきなぐさ」は、この童話集に入れていない「よだかの星」のよだかや「銀河鉄道の夜」に出てくるサソリ(蠍)のように、たましい(魂)が天上に昇っていまでも美しく燃えている。たましいが、星になって永遠に燃えているというテーマは、オイラの死生観ともつながっていて、愛すべき作品だ。

こんなことを考えていたら、どうして賢治さんはせっせと童話を書いたんだろうという疑問がわいてきたが、あの「雨ニモ負ケズ」のフレーズを思い出した。

南ニ 死ニサウナ人アレバ  行ッテ コハガラナクテモイヽトイヒ

そうか、賢治さんはそんなことを考えながら、童話を書いていたのかもしれない。

 

じつは、オキナグサという花の野生には出会えていない。野草園や東北大植物園などヒトの手入れになる園地でしか出会えていない。絶滅危惧種Ⅱなのだという。

ただ、アルプスに行くとツクモグサという仲間に出会える。2019年も白馬エリアでややクリームを帯びた白い花に出会った。

     

 

オキナグサ同様柔らかな毛におおわれて、素直にやさしく美しいと思った。

賢治さんの童話を愛することも、美しい花や風に吹き飛ばされていくタネのことを愛おしく思うことも

それは、コワガラナイための処方箋なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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