5:10にアラームを掛けて就寝起床
ホテルに懇願して限界まで前倒したと言う6:50には、乗車準備完了状態で朝食に参戦必須と念押しされていますから。
朝の温泉は、6:30からと言うことで断念
事前にスーツケースを降ろし、
チェックアウトも済ませてから、
はい、朝ご飯
振り返ったら、この一泊目が、夕食も朝食もお酒も一番美味しかったんだけど、
なにせ、時間がタイトでね
目の前でクロワッサンに挟んでくれるオバサン 焼きそば、美味しかった
このホテルそもそもお米が良いので味噌焼きむすびも当然美味しい スムージーも凄く美味しかったしね
くちこ 芋煮汁もありました↓ サメ氏、これ以外にも食べていました
くちこは、断固、食後の珈琲を飲みたかったけれど、時間が微妙・・・
遅刻厳禁のツアー、苦渋の選択ながら断念
紙コップに入れて持ち込む人も居たけれどね。
くちこは、荷物と一緒に持ち込む時に熱い珈琲をこぼすかもと思ってさ。
さあさ、日本三景の松島へ
※日本三景は宮城県の松島、京都府の天橋立、広島県の宮島
出発前は、最初の二日は雨の予報でしたが、快晴
松島のシンボル?五大堂を横目に見ながら、遊覧船の乗り場までトコトコ
サメ氏の後ろ姿、可愛いでしょう?くちこのチョイスです 二人共ジェラートピケですよ
結構ボロい船でしたが、三階はVIP席で500円追加料金だと くちサメは平民
此処からサメ写真↓
この林立した竹は、海苔養殖だそうで(律儀なくちこは船内で松島海苔を買いました)
此処から、くちこ撮影写真↓
バスを降りる前の説明で、時間に余裕が無いけど、どうしても瑞巌寺が見たい人は、走って門までなら行けるとのこと。
で、
走りました、船を降りて走ってトイレ、走って瑞巌寺
やればできる
走れば行ける
本堂
瑞巌寺は伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて慶長14年(1609)に完成
しました。
本堂は正面38m、奥行24.2m、棟高17.3m、入母屋造の本瓦葺で、室中
(孔雀の間)・仏間・文王の間・上段の間・上々段の間・鷹の間・松の間・菊の間・墨絵の間・羅漢の間の10室から成る大規模な建物です。
各室は部屋の使用目的にふさわしいテーマに沿って描かれた絵画や彫刻で装飾されていて、天井も造りが異なります。
昭和28年(1953)、国宝に指定されました。
墨絵の間以外の障壁画は昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれており、400年余の時を超えて、政宗公が受けた感動を実際に体験することが出来ます。
と言う本堂の入り口まで行ったと言う話です
奥へ奥へと走る ここから有料、引き返しました↓
洞窟遺跡群
参道の右側にある洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺えます。
松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所でもありました。
現在残る最も古い供養塔は、寛永13年(1636)、政宗公に殉死した佐藤吉信(法得紹隆禅定門)のもので、他に残る供養塔もそれ以降のものであることから、現状となったのは江戸後期のことと推測されています。
ぜいぜいぜい
でも、
くちこは、萩の月が買いたい
萩の咲き乱れる宮城野の空にぽっかり浮かぶ名月をかたどった銘菓・萩の月。
まろやかでやさしい風味のオリジナルカスタードクリームをたっぷり使い、ふんわりとしたカステラで包んだ美味しいお菓子。
すぐに見つかると甘く考えていたら、普通のお土産屋には置いていないらしく、
萩の月のお店を教えて貰い、また走る
が、見つからず、断念
適当にお土産を買って、五大堂へ走る
松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
透かし橋で、下の海が透かして見える↓
一番先端からの景色↓
船から、
陸から、
風光明媚な景色を楽しむことができました
と、
此処までとします。
二日目前半としましたが、実は、午前中に、平泉の中尊寺にも行っています。
マジ、このツアーどんだけー----
でも、そこからは次回と言うことに。
読む人も書く人も疲れるのでね