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安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

入隊57周年記念同期会開催 in 呉

2022年10月31日 19時58分32秒 | 日記・エッセイ・コラム

くちサメ的には、この時以来の同期会です(2018/5)↓

 

 

入隊53周年同期会 in 伊豆長岡 - しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

去年は、秋田。一昨年は、佐世保。で来年は、鹿児島らしい。毎年、毎度、飽きもせず、当然のように開催される。兵隊だからまあ、15歳から同じ釜の飯を食ったり、食えなか...

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同期会的には、翌年、鹿児島で開催していて、勿論くちサメも参加予定でしたが、

まさかの・・・くちこの激烈な糖尿病発症・・・急遽欠席となった次第

 

本来は毎年会っていたのに、今回は4年半振り。

皆さん、当然歳を重ねていてね・・・(くちサメ含)

それでも、笑って集えたこと。

これだけでも十分アッパレかと。

73歳の退役自衛隊員達と、糟糠の妻連

 

くちこは、東北弾丸ツアーの疲れが出た上に、

前々日は、看護師の応援まで

笑顔で宴会に参加する為には、朝から出発して遊びまわってから宴会なんて

のんびり午後出発して、体力温存に努めましたよ。

 

快晴の宮島SAで、ソフトクリームタイム

 

   

大山ソフトと北海道メロンにしました。

       

 

何の観光もせず、早々にホテルにチェックイン。

色々あるんだけど↓

 

大和ミュージアムのシンボル 10分の1戦艦「大和」

10分の1戦艦「大和」戦艦「大和」は、昭和16(1941)年12月、呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で、当時の最先端技術の集大成でありながら極秘裏に建造された世界最大の戦艦です。

残念ながら昭和20(1945)年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没、乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。

しかし、戦艦「大和」建造の技術は生き続け、世界一の大型タンカー建造だけにとどまらず、自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用され、戦後の日本の復興を支えてきました。

10分の1戦艦「大和」は、平和の大切さと科学技術の素晴らしさを後世に語り継いでいます。

 

友達のお父さんは、戦艦大和の生き残りだったのですが、数年前に他界・・・

今一体、何人の方が生き残りとして御存命なのかしらね。

大和が沈没しなかったら?

たらればなんて言っても栓無き事。

戦争は、早く集結すべきだったんだし・・・

 

てつのくじら館とかね↓

海上自衛隊呉史料館は、海上自衛隊佐世保史料館の水上艦、鹿屋航空基地史料館の航空機と並んで、潜水艦と掃海を展示する史料館です。
海上自衛隊の有する資料の展示・保存等を通じて、海上自衛隊員の教育及び、広く国民一般等への広報活動により海上自衛隊に対する理解の促進並びに地域との共生に貢献することを目的としています。

事業の目的

ま、以上、くちこは行っていないのですがね

此処は、以前行って、とても良かったです。

皆さんにもお薦めしたいです↓

 

入船山記念館|Irifuneyama Memorial Museum

入船山記念館|Irifuneyama Memorial Museum

旧呉鎮守府司令長官官舎(平成10年国重要文化財指定)を中心に、郷土館、歴史民俗資料館(近世文書館)等があり、呉の歴史をたどるにはまたとない施設です。呉市美術館とと...

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アルフォンス・ミュシャ展と、入船山記念館 - しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

この日を迎えるまで、どんなに緊張したか?くちこ教室(シャドーボックス)の生徒さん九人を引き連れて、と言うか、総出でのお出掛けだったんです。そ、くちこは、班長さん...

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ホテルコンフォートにチェックイン。

〇天トラベルで予約をしていましたが、どうも旅行支援の割引クリックボタンが出て来ない・・・

旅行社は、自社枠を早々に使い果たした

そんなこんなの情報を幹事から貰って、東北のSAからホテルに直接電話して、ホテルが未だ枠を持っていることを確認。

持っていたので予約して、〇天をキャンセル(同じホテルですよ)したのでした。

だから、現地支払い、9000円。(ツインで二人、朝食付き)

そして、クーポン券を二人分で6000円貰い、

なんと、それが同期会の会費として使えたのでした

一次会は一人6000円なので、一人分は無料になった訳です

この裏技的?旅行支援利用に・・・

滑り込めた同期、

込めなかった同期、

込まなかった同期、

人生も生き方を違って然り。

 

   

 

くちこ達も3時過ぎにはチェックインしましたが、その時点で、同期生の過半数は既にチェックインしていてビックリ

流石に、15歳からの叩き上げ自衛官は違うわ。

サメ氏の親友G夫妻がロビーに座っていたので、ご挨拶したら、

ワクチン証明書を忘れたから、娘さんに自宅に入って貰い、写メをlineして貰う手筈だそうで。

年金生活者として6000円をGETするためには、粘り強くロビーに座ることは極めて正しい行為だ、と。

私達は、収入は無いけれど時間はあるのだからと、諦めようとする御主人を窘めたそうです。

Oho,Yes

 

同期会会場は、ホテルから徒歩十数分の利根本店。

この利根・・・の意味、後から解ったくちこです。

今回はコロナ禍もあり?いつもより少ないですが、それでも22人(妻連含む)

自衛隊生徒と言う存在は、もう海上自衛隊からは消えたそうですが、

その生徒11期の面々です。

15の歳、紅顔の〇少年達が、ああなり、こうなり、今に至った訳です。

入隊から57年、同じ釜の飯と、拳骨を共にした?絆は鋼の如し

 

   

 

田舎の居酒屋の料理。

こ洒落たとか、あか抜けたとか、おフランス風とか無縁だけど、肩ひじ張らず語り合うにふさわしい場所と料理でした

どうも、自衛隊御用達のお店だったような?

まあ、入り口に日章旗とかあるもんね。

普通の人は腰が引ける

 

   

 

新ゴボウの唐揚げが好評でした↓ たださ、呉なんだし、牡蠣フライ一個は寂しかったなあ

   

 

妻連です

いつもは、もっと多いんです。

自衛官の要は、後ろで支える銃後の妻連だから

夫婦同伴率が高いのが特徴です。

全国を転勤しまくる内に、妻同志も官舎で助け合って子育てしたらしいです。

くちこは50歳で再婚したので、全く皆さんと思い出を共有していないのですが、

何故か大きな顔をして毎度、賑やかしています

結構、離婚、再婚も多いみたいで、この日も、くちこ以外にもお一人。

同期生として同期会に参加する、しない。

その妻として参加する、しない。

人のモノサシ、生き方はそれぞれですからね。

自分のモノサシで測って良いのは、自分の人生だけ。

それでも、勝手に言わせて貰えば、同期会に妻が付いてきてくれる同期生、幸せなことだなと思うくちこです。

サメ氏は、離婚後も参加していたらしいですが、寡黙で笑いもせず、ただムスッと座っていただけだったらしい・・・

再婚して生き返ったと皆さんから言われています

そう、くちこは救いの婆さんだと評価されていますよ

そしてね、

この婦女子の中には、

生徒時代の教官(恩師)の娘さん達(姉妹)も、教官亡き後、名代として?毎回参加されているんです。

北海道から。

ね、

どう生きるかは自分が決める。

 

   

 

   

 

今回、お酒の持ち込みが可と言うことで、全国から銘酒が集まりましたよ。

勿論、くちサメも持参しました(雁木、好評でした)

   

 

       

 

       

 

    

 

サメ氏が〆の挨拶をする頃に、お店からは〆のメニューが登場しました、海軍カレーです(美味しかった)

旗で店名を納得、護衛艦 とね  (この旗記念に持ち帰りました)

        

 

さて、

くちこは意図的に二次会は申し込まなかったのですが、

ホテルに帰ると言うと、断固、二次会の参加すべしと。

あああ・・・

くちこのなけなしの体力が

カラオケとか好きじゃないのですが、渋々、カラオケもお付き合いしましたよ。

くちこは歌いませんでしたが、

サメ氏は・・・かもめの水兵さんを

後で訊いたら、自分が歌ったら、くちこが歌うことになっているからとマイクを渡されたそうです。

 

坊主のように見える人は、坊主です。

結構お偉い教官をされているらしく、秋田の同期会では霊力の強さを実感したくちこです。

自衛隊生徒時代に、海で遠泳をしていたら、目の前で同期生の気管に魚が飛び込み窒息死。

それで思うところありで、自衛官を辞めてお坊さんになられた人です。

   

 

サメ氏の親友G夫妻。

奥さんは・・・前述の・・・急死した同期生の妹さんなんです。

お葬式で初対面だったそうなのですが。

とても素敵なご夫婦ですよ。

そして、広島の呉においても、いつものように大声で六甲おろしを歌うご夫婦と、それに乱入した同期生です↓

   

 

初めて参加した時には、くちこもビックリしたのですが、

会の〆は、必ず、同期の桜をみんなで肩を組んで歌うんですわ

   

 

世間からどう思われようと、

どう見られようと、

彼らも、日本を守る一員だったことは確かなんです

 

ホントは、二日分、一気に載せたかったのですが、

ついつい語ってしまって、既に十分長い。

二日目は後日とします

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (11)
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