日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

稲刈りのにおい

2013年10月18日 | インポート
佐世保市から雲仙市愛野町の自宅への帰り道の途中で、諫早市森山町を通る。

夜なので国道のまわりの景色は暗闇の中でよく見えないが、島原鉄道の森山駅を過ぎて少し走ったあたりから国道の左右に水田地帯が広がっていて、少しだけ開けている車の窓から、「稲刈りのにおい」が入り込んでくる。

今頃の季節になれば、子どもの頃から慣れ親しんだ「稲刈りのにおい」。

たわわに実った稲穂で覆われていた水田の、水を落とした後の稲を刈り取った後のにおい。

わらのにおいと潟土のにおいが混じったような、懐かしいにおい。

あと10分もすれば我が家へ帰りつけるという安堵感の中で、懐かしいにおいに出会う。

子どもだった頃には、稲刈りの季節になるとノコ鎌を持って手刈りで稲刈りをしていた。

バインダー(稲刈り機)やコンバインなど無かった50年ほど前の頃の話。

そのような作業の中で、一日中感じていたにおいだから、自分の中では稲刈りのにおいとして脳みその中に記憶されている。

農作業が機械化された今の農業に比べれば、昔の農作業は何倍もきつくて大変な作業だったのだと思う。

農業をやっていた人たちへの肉体的な負担は相当に大きかったものと思う。

それでも多くの兼業農家の方々も含めて、農業従事者の方々が地道に勤勉に働いて、それぞれの田畑を維持し続けて来たことによって、中山間地域における水田は天然の保水施設としての役目を果たしていた。

そのような農業従事者の方々の勤勉さによって維持されてきた日本の農業を、一握りの大規模農家を優遇するような方向へ農業政策を変えようと政府はしている。

私は間違っていると思う。

山腹やその裾野に広がっているわずかな平地を水田にして営まれてきた日本国の農業形態をきちんと把握していれば、農地を集積化して個別の農地面積を増やし、農業の国際競争力を強化するなどというような発想がいかに荒唐無稽なことかということは分かるはずだが、そのような認識を有していない人たちが日本の農業政策を策定しているという不幸。

そのような人たちが策定してきた農業政策によって、勤勉な小規模農家の人たちは翻弄されてきた。

自国民の胃袋を満たすための農業生産力さえ有していない脆弱な日本国の農業で、国際競争力云々を言ってもどうしようもない。

まずは食糧自給率を100パーセントにするような政策が先決であるはずだが、そのような事柄は論じられない。

誰かがどこかで何とかしてくれるだろうというような発想が根底にあるのだろう。

それでもおかしな農業政策に関係なく、「稲刈りのにおい」は勤勉な農業従事者の人たちの働きによって、今年も日本国中に漂っている。



豊田一喜








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