毎週土曜日の毎日新聞の朝刊に、野坂昭如氏の「七転び八起き」という文章が掲載されている。
本日の分で連載138回となっている。
本日のテーマは「教訓」。
以下にその文章の部分抜粋を転写する。
本日は関東大震災の日。
一年に一度思い出され、記念日の如くなっているのは仕方がないことかも知れないが、地震は必ず来る。
東日本大震災以後、いくらか地震についての意識は高まった。
想像を絶する天災を目の当たりにし、自然の力を思い知らされた。
だがやはり、日がたつにつれ忘れてしまう。
非被災地の人間の震災前と後の暮らしぶりに、どれくらいの変化があるのか。
一方で、あれだけの震災があったのだから、国として何か手立てを講じているはずだと思い込む。
原発についても同じ。
あってはならない事故が起こり、原発の恐ろしさが身にしみた。
原発の下にある活断層の存在も身の毛のよだつ話。
これまで原発を推進してきた国や、関係機関への不信感も抱いている。
デモという形で原発反対の声を上げる市民も少なくない。
それでもやはり、今の生活は変えられない。
危険については誰かがどうにかすると決めこんでいる。
だがお上は何もしていないに等しい。
やったことと言えば、事故の原因を棚に上げたまま、原発をどうしていくか示さないまま、さっさと再稼動させただけ。
世間を唖然とさせ続けることで、無関心さに拍車をかけているようだ。
残念ながら関東大震災の教訓は、もはや生かされていない。
阪神淡路大震災も神戸の復興とともに人々の脳裏から去った。
東日本大震災を含め、ぼくらは過去の惨事から、どれだけたくさんの教訓を得る事ができるのか。
防災といわれるが、災いというものは、防げないもの。
減災を心すべきだろう。
これは個人がそれぞれ、あるいは地域で考えるべき問題が多い。
国家に頼るのは、のちのあれこれと考えた方がいい。
聞く耳持たぬお上の動くのを待っていてもはじまらない。
自分の命、家族は自分たちで守る。
そして、ご近所、町内会の取り組みを見直す方が大事。
危機管理がいわれる。
だが危機など管理できない。
できるのなら危機とは言わないのだ。
お上の危機に対する意識の低さは、事あるごとに露呈、その認識の甘さをマスコミは指摘。
世間もこれを認め、あきれている。
日本はこの繰り返しだ。
以上は、本日の毎日新聞朝刊に掲載された、野坂昭如氏の「七転び八起き」という文章からの部分抜粋。
何も足さない、何も引かない、全くそのとおりだと思う。
豊田一喜