渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ワニ氏

2024年11月28日 | open

 

古代氏族「ワニ氏」に迫る なら歴史芸術文化村で12月15日まで共催展 古墳時代の和邇地域を概観 円筒埴輪など初公開(奈良新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

古代氏族「ワニ氏」に迫る なら歴史芸術文化村で12月15日まで共催展 古墳時代の和邇地域を概観 円筒埴輪など初公開(奈良新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 奈良県天理市杣之内町のなら歴史芸術文化村で、同市との共催展「ワニ氏の源流を探る 和邇(わに)地域周辺の古墳時代」が開かれている。同市北部から奈良市南部にかけての...

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ワニがキターーー(笑

それは白いワニか?
ワニは和珥(和邇・丸・王仁)→
春日氏→小野氏→横山氏→海老
名氏→本間氏・・・と至る。
吉備の本間というのもいたり
する。

因幡の白兎が騙したのも実は
製鐵技術の勢力調査の策を弄
し、それが露見しての制裁だ
った事だろう。ウサギが飛び
越えたワニ=サメは和珥の勢
力だったのではなかろうか。
神話は単なる創作寓話ではな
く、確実にベースになる元の
事実が隠されている。
神武東征にしても、実はそれ
に該当する何らかの後の大王
一族の九州からの移動という
事実があったのだろう。
大和を邪馬台国とするならば、
そこにポッと忽然と巨大な権
力が発生したのか、という問
題があるしククチ(菊池?)と
の熾烈な邪馬台国の争闘も
疑問が生じる。
やはり、東征神話と同じく、
九州に渡来し、やがて東進し
て大和に行ったのだろう。
大和には地元勢力がいたため
一度は阻まれたが、年月をか
けて南方から回り込んで大和
を掌握するに至る、という流
れだろう。

なお、ワニ族は太陽信仰を持
つ一
族で、1世紀に渡来した
とさ
れている。
子孫は春日氏となり、やがて
小野氏となる。
小野氏からは遣隋使、遣唐使
等の外交担当者を多く輩出し、
また多くの文学者と政治中枢
に参与する学者を輩出してい
る。その中の一人、小野妹子
の6代孫の小野篁(おののたか
むら)は
参議にまで昇進した。
だが、元来「野狂」とまで云
われた奇人で、乗馬に明け暮
れ学問もせず、また学を修め
て参内してからは時の天皇を
痛烈
に批判して隠岐に遠島処
になったりもした反骨の変
だった。忖度無し。言論と
学と揶揄語りで天皇の悪政
を批判した人。遣唐副使の時
も遣唐正使の藤原某の横柄な
態度にふざけんなと強烈に抗
議してひと悶着起こして、や
ーんぴと遣唐使としての渡航
をボイコットした。船が故障
したのでお前の船をよこせと
正使の藤原が言って来て副使
の小野が拒否して揉めた模様。
なお、余談だが遣隋使・遣唐
使船のほとんどは現広島県の
倉橋島で建造されていた。
広島県竹原市には小野篁出生
伝説があるが、これは俄かに
は措信し難い。安藝の田舎の
出ではなく父の在地の京都生
まれあたりが事実だろう。
いずれにせよ、小野篁は相当
なやりこめ屋だったようで、
古代語のワニはサメなので、
小野篁はまさに舌鋒鋭いシャ
ークタカムラ、という感じ。
伝説としては、魔界に行き、

閻魔大王に直に情報を提供し、
現世での人の悪行を報告して
いたとされる。
篁がこの世とあの世の入り口
を行き来した井戸というのが
京都の六道珍皇寺に残されて
いる。

閻魔様のお友だち(笑

小野篁(802-853)

んな、バカな、と思うがそれ

ほど政権政策を批判した人物
という事だったのだろう。
子孫末葉は多く存在する。小
野が末葉(すえは)は。

だが、9世紀の篁の気性は千年
以上血脈が続こうとも、さほ
希釈されていないような事
もしかしたらあるのかもし
ない(笑
馬ばかりに乗って学成りがた
し、お上やこの世の悪を忖度
なく批判する、
というような(笑


 



斬鉄剣康清

2024年11月28日 | open

私の単独作。

私の本質は鍛人(かぬち)である。
本物を求めるカヌチである。

名を源康清という。

斬鉄様(ためし)というのは
刀身のあり様を確認するに
おいて、極め
て重要だ。


本職の資格登録者の現代刀
でも、刃こぼれや折損を
恐れて切り試しなどは避け
る者
がほぼ現在は全てに近
い。現代刀は刀剣でも日本
刀でもなく、「美術刀剣」
という芸術作品だからだ。
眺めるだけの。
当然の帰結であり、それは
良くも悪くもない。美術刀
剣は日本刀とは立ち位置が
別物だからだ。


昔のメモ。


こちらも自書のメモ。

 
私が私単独で造るのは刃長
15cm未満のあくまで和式小
(こがたな)であり、刀剣で
はない。
また、美術刀剣でもない。
いわゆる鋼のナイフだ。
だが、特殊鋼などは使わない。
純炭素鋼のみを使う。
 

水に濡らすとマルテンサイト
変態部分の焼刃のみが水が弾
けて浮かび
上がる。美術日本
刀のように研ぎ師が白く描く
疑似的な刃部ではなく、
本当
の焼刃部分。


A3変態点(+50℃程)まで
加熱した鋼はオーステナイ
トに変化し、焼入湯による
急冷により250℃まで冷却
された時にマルテンサイト
変態が一気に生じる。
「冷却水」とはいうが、特
定温度を保持した湯である。
面心立方格子は急激に炭素
を鉄の立方格子内部に固溶
させた体心立方格子に変態
する。
急激に態様が変わるので、
「変化」ではなく「変態」
という。
シャキーンと変わる。変身
に近い。

これが焼き入れだ。
一度刃部方向に強く屈曲

てからグンと伸びて反り

生じさせる。

だが、短刀等の直刀物の場
合には、逆にその反りを抑
える特殊な焼入方法を採る。
ほんの僅かの手違いで、刀

身は真横に「くの字」に反
り曲がったりうつむいた筍
反りに
なったりする。
刀身の靱性を増すために私
は必ず間(あい)を取る。
「冴え」を出すために焼き
戻し工程を省くなどという
馬鹿なことは絶対にやらな
い。
冷却液には工夫がある。

だの清水ではない。

このナイフも、私が製作し
た江戸初期の水田国重の鋼
を使用した別な小さな刀子
もそうやって作っている。

この画像の自作ナイフも斬
鉄剣である。
この個体は折り返し下地鍛
錬が二代目小林康宏、鍛造
康清(私)、火造康清、焼入
康清。

平成7年(1995年)1月作。
斬鉄試験済み。

斬鉄剣刀工二代目小林康宏
は実質上引退した。
高齢と共に、身体的な事情
による。
幸いに、直系弟子は文化庁
の刀工免許を取得した者が
現在二名いる。

ちなみに、私自身が研ぐと
炭素鋼(刃鉄と地鉄)はこの
ようになる。

(左久作製)

全鋼の肥後守でさえこうなる。
(磨上げ成形・研ぎ私)
 
鋼の熱変態の素顔を引き出し
てやるのだ。


日本刀研磨に準じた研ぎを
施すと鋼は真の姿を見せる。
だが、本職の日本刀研磨師
には遥かに及ばない。
日本刀研磨師は、ただ研ぐ
だけでなく、日本刀の真の
持ち味を引き出したり、欠
点を封じ込めたりする超高
度な技法を駆使する専門職
方だからだ。
素人は真似ても絶対に及ば
ない。
 
私個人は日本刀探究者である
が、
日本刀を帯びて使う人間
もある。
否、先祖代々、子々孫々、
の術は使えなければならな

とされた。

これは個人の好みとかは一切
無視される。属性質性の問題
として生まれた時から命題化
される。 連綿と剣が使える者
でなければならないというし
がらみの属性の中で何百年も
生きて来た。
ゆえに、末孫の私も私の子も
剣を取った。私より以前の過
去の人間たちもずっとそうし
ていた。
吾の生命は剣と共にあり。