広島県内で一番古い神社
がある場所は広島市でも
呉市でも福山市でもない。
現三原市の備後国井戸崎=
糸崎にある糸𥔎神社だ。
創建は伝天平元年(729年)
となっている。
ほんまかいな?と思うが、
あくまで「伝」だ。
大磨り上げ無銘の古刀日本
刀が「伝~」というような
ものに近い。
実在不明の人物の旧跡と自
称している。
ただし、現三原市の糸崎は
古代からヤマトと西国を繋
ぐ海上交通の補水地として
重要な場所だった事は確か
だ。古代の朝鮮半島出兵の
際にもこの瀬戸内海航路が
使われた。瀬戸内海を通り、
九州から半島に出撃した。
西暦660年の朝鮮の白村江
の戦いでは日本・百済同盟
軍は唐・新羅連合軍に大敗
北を喫し、日本軍は半島か
ら撤退した。その際にも百
済の戦災難民が大量に日本
に移住し、日本は受け容れ
た。
三原市の糸崎は古代から水
の補給地で水を注(つ)ぐから
「御調(みつぎ)郡」という名
が発祥したとの説もある。
ちなみに古代においては、
「近畿」とはヤマトのある
畿内から外の外夷(がいい)の
地を称した。
中心は畿内だけでその外周は
東も西も南も北も、日本の中
央政府はイテキの地としてい
たからだ。
夷狄(いてき)とは、未開の野
蛮な地の事、そこの住民の事
を指す。
そうした思想性は、多分だが
日本が大陸との交易開始後に
中華思想が日本に入って来て
からの視点だろう。
もしくは、中華5千年の歴史
を持つ中華思想を根強く抱く
氏族が日本列島に大量に移住
してきて国の中枢を形成した
か。
中華思想とは、大陸中国が世
界の中心であり、あらゆる文
化や文明は中国から発すると
いう大陸中華独特の数千年に
亘る思想の事。
そしてその中華の文化や思想
が最も価値のあるものである
とする考え方で、中華以外は
野蛮で下劣な下等民であると
して排外排斥を常とする。
「天下は王土にあらざるもの
なし」という思想で、世界中
は中国の領土であるという思
想でもある。
中華以外の諸国は中国からの
恩恵を受けて成り立っている
ので、世界の中心、世界の中
の華である中国がそれを支配
するのは当然である、とする
思想性の事をいう。
現代においても、この思想に
基づき、中華人民共和国は外
交方針と政策と軍事動向を実
行している。
この中華思想は古代からアジ
ア全域に強い影響を与え、朝
鮮半島や日本列島の「国」も
この中華思想を基軸に形成さ
れて来た。
日本の古代から現代まで続く
官僚意識や中央中心唯一主義、
排外主義、排斥主義、差別感
などは、全てこの中華思想に
依拠されたものだ。
要するに日本の官僚思想、上
下階級思想、差別思想は中国
の思想の真似をしている。
これは超古代から連綿と現代
におけるまで。
中華思想を廃絶しない限り、
日本からはピラミッド型思考
と差別構造と差別意識は消滅
しない。
日本における古代階級制は
大陸中華を丸ごと模倣した
ものであり、日本独自のオリ
ジナルではない。外来種だ。
そして、ヤマト政権という古
代王権成立以降、日本人は現
在に続くまで脳がピラミッド
型ヒエラルヒー思想の囚人と
なっている。我々は脳が囚わ
れの身なのだ。洗脳のように。
大陸中国がいくらニセモノで
あれ社会主義を自称しようと
も、それは社会主義でも共産
主義でもない中華思想を体現
する国家であるように、古代
において国の基軸として中華
思想を導入してしまった日本
も、いくら現在は西側民主主
義自由主義国家を標榜しても、
全く内実はそれとは乖離して
いる。
中国も北朝鮮も南朝鮮も日本
も、中華思想が国と人民を支
配している。
それらの国においては、革命
的祖国敗北主義を貫徹して新
国家を築かない限り、真の平
等で差別なき社会は建設でき
ない。これは確かだ。
パワハラ野郎が大手を振って
人々を支配する体制などは、
木っ端微塵にぶっとばしてや
るに限る。
人が人として生きられる世の
中を作るには。