渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

もち丸くん

2021年05月26日 | open
猫が初めてお花見に行ったら
楽しすぎてこうなりました笑

もち丸くん最高だなあ。
友人知人の猫同居の人に言ったら、みーん
もち丸くんの動画観てる(笑
おいらも百万人超の中の一人だ。
というか、登録者数より遥かに閲覧者は
多いのだろうなあ。
人間の水洗トイレを使っちゃうもち丸くん。
やるなあ。


意味不明

2021年05月26日 | open





ひき逃げ、あて逃げして「警察に捕まら
ない」とでも思ったのだろうか。
正邪の判断不在で、その時点で人間終了
なのだが、犯罪心理学としては、分かり
やすい程に説明がつく部類になる。
「犯罪者」というものは、類型がいくつ
に分かれるが、これは一つの典型例だ。
これネット犯罪者のサイコパスたちにも
多いパターン。
つまり、人としての整合性のある判断力
がゼロに等しい。

更生は難しい。
一生、反省も悔恨も自問もなく、このまま
だろう。
それもネット犯罪者らと同質。

帝都東京

2021年05月26日 | open



約100年前の帝都東京の女の子たち。
パリもそうだが、都会というのはなんなの
か、と。
明治文明開花以前の江戸にしても、都市と
してはパリを抜く世界一の大都市が江戸だ
った。
下の女学生なんて、現代の渋谷かよ?みた
いに垢抜けてる。1世紀前だよ、これ。

東京の前の江戸時代には、朝の歯磨きが
好きだったよな、江戸もんは(笑
理由?
女にモテるため。まじでそれだけ(笑
磨き粉で磨き過ぎて歯の象牙質まで削っち
まって、真っ白になったはいいが虫歯が増
えたという間抜けなオチも江戸っ子らし
い。
基本、江戸っ子てのは、見栄をイナセや
イキと言い切っての痩せ我慢、だから。
痩せ我慢のハードボイルド。
でもね、イキやイナセって、自分から言う
もんじゃないのよ。
しとが言うのさ、そういうのは。
おっちょこちょいだけど、てんですっとこ
どっこいではない。
それが江戸もん。
ただ、基本的に頭はあんまし良くはない。
てめえの事より仲間や他人の事に身を削る
のはいとわない。
カラッとさっぱりしてる。
昔のネタをコソコソと保存しておいて、
ネチネチといつまでもどっかに貼り付け
続けてグダグダ揶揄中傷嘲笑してるよう
な人間のカスみたいなのには、まず江戸
もんはいねえな(笑
つか、果てしなくすんげカッコ悪い(笑
男じゃねえだろ?みたいな(前時代的表現
としては)。

あと、掌返しの仲間売りなんてのは絶対に
江戸男はやらない。
そんなのやるの、カッペしかやらねえよお。
カッペてのは、出自や住んでるとこじゃ
ねえのよ。心根の問題。
地方捨てて東京に出て来ようが、根がずっ
とカッペのままの奴もいる。
かと思うと、サッと人々の社会で学んで、
人として大切な事を命にかえても守り抜
こうとする奴もいる。
ピンかキリかの分かれ目は自分次第だね。
でも、大抵カスはスカだから、一生同じ。

北海道の縄文遺跡、世界遺産に

2021年05月26日 | open



日本の縄文文明ってなんなのだとか思うん
だよ。
その後、弥生時代になったら、南部朝鮮
地区も「倭」であって、国家という器が
無かった時代には、いわゆる南朝鮮も日本
だった。
朝鮮半島と列島に律令制国家が出来てから
ですね、「国」として分かれたのは。
それまでの「クニ」乱立時代には倭国群
同士で騒乱戦争状態になったりしてた。
マヤタイコクの卑弥呼が騒乱をまとめた
けど。

まあ、とりあえず、今のところは、地球上
で最古の土器は列島日本から出土の縄文
土器となっている。
西欧よりも土師(はじ)の技術が発達してい
た日本。
そのあたりの技術は当時地球上で最先端
だった。
ただ、ローマ・ギリシャと違い、学問と
統治制度が異様に発達遅かったね、日本
というのは。
日本はかなり後まで文字さえ持っていな
かった。
まあ、裸足で布きれ巻いてただけなのは
古代ローマと同じだけどよー(笑
エジプトだってみんな裸足だべ。
アジアではやはり古代中国が発明品や学問
や製造物や統治制度が凄い。
いまだに論語読んだりするんだぜ。得る
教え多し、として。
5才の誕生日を機に正座させて毎日論語の
素読、なんてのはやめてけろと死んだ親父
に言いたいけどよー。
5才のガキに意味分かるわきゃねえだろ、
てなもんだけど、習慣は恐ろしい。寺の
小僧の経覚えのように覚えたりする。
ありゃ、歌の歌詞覚えるようなもんだろ
な。
深いところなんて理解は及ばない。

さしあたり、縄文土器が世界一古い人類の
土器だってのは、なんだかすげえ。
でも、水漏れしたんだよな、あれ(笑
そこで出て来た須恵器の凄さ。
高温焼き締め。
さらに大陸で磁器が発明された時には、
こいつは地球の歴史が変わった。
磁器は今でも全世界で使ってるもの。
チャイニーズ、なかなかやるぜ。
古代の中華はね。
だから、俺たちが全世界の文化の中心、
中心の華である=中華なんて思い上がり
思想が出て来たんだろな。
いくら、実力あっても、それ人類として
実はダメなやつ(笑
朝鮮も日本も、近所の先進国だからと、
まるまる真似して千数百年のちまでとん
でもないことになっちまった。
今でも引きずってるから。日本人は中華
思想を。
韓国では国ごと丸ごとそれの大傲岸なのだ
が、日本では地方に行くと強烈にそれだ。
てめえたちだけが世界の中心かと思い込ん
で傲慢で横柄な人格形成を成していたりす
る現実がある。
とてつもないカッペ思想なんだけどね、
その中華思想というやつは。
てめえだけが一番、というような。

日本人よ、縄文の魂よ再び、だな。
いや、まじで。

階段坂

2021年05月26日 | open


三原市内市街地でも全ての道は通っては
いない。
まだ行った事がない場所は沢山ある。

仕事ハネてからのトワイライトタイム。
城下の東町の先のキリスト教会のあたり
を散策してみた。
糸崎の三菱病院の裏の三菱重工の大社宅
跡地に社宅アパートが廃墟として残って
いるあたり。
傾斜地を開発した広大な土地が空き地と
なって古い団地が残存している。
廃墟ガイドにも出てこないような不気味
な雰囲気を出している。
城下(しろした)からではなく、糸崎の御台
場あたりの高台から下って行った。

とんでもない傾斜道路があった。
崖際に崩落危険急傾斜地の看板がある。
そして、その先に出くわした階段坂。
階段坂は横浜にはこれでもかという程に
しこたま存在するが、三原にもあるとは
思ってもみなかった。
上から見た画像。
途中さらに急傾斜になっているので道の
先が見えない。

坂の遥か上の道路脇にミニバイクを停めて
階段を徒歩で下ってみた。
全部で177段あった。こりゃなかなかだ。
ちかれる。

下から見た画像。
かなり急傾斜。
これは階段でなくば、登れない。
脇の段々の所を登ってみたが、まるで登山
みたいだ。階段正解。


いやあ、未知の道てなあ、面白い。
坂上まで戻り、スクーターに乗って国道
を走って港まで戻って来た。
元かねしょうのダイニング魚座さんは、
今夜も流行っていた。
近場の地元市内散策は面白い。
生きてるうちに、市街地エリアだけでな
く、三原市内の全ての道を路地裏に至る
まで通ってみるつもり。
横浜では、中区山下町、山手全域、鶴見
のJRより北は全域制覇した。
三原市内はまだ未踏地多し。


猫シェー

2021年05月26日 | open

シェーの猫バージョン。

気ままに自由に生きている。




おおあくび。


こちら、妹のおおあくび。


生まれた時。




妹はもう1歳を過ぎた。
何か猫語でよくしゃべる。


世界最恐アトラクション

2021年05月26日 | open

世界最恐アトラクション

危ないと思うよ(笑



新マック

2021年05月25日 | open


こりゃうまい。



おぼろ月

2021年05月25日 | open


うまく撮れないスーパームーン。

土俵

2021年05月25日 | open


ここって、相撲取りが競技する競技場なん
だよね。相撲取りとオフィシャルたる行事
と神職しか入ったらいけないの。

こちらも競技場。
競技をする者たちの為に存在する。
コースは公道や遊園地ではない。


横浜のみなとみらいにロープウェイ登場

2021年05月25日 | open




これはうれしい。
渋谷駅前ロープウェイ以来だ。
てか、私は渋谷にこれがあった
時代には生まれていないけど。




夢の渋谷の空中ケーブルカー。
昭和26年(1951)~昭和28年
(1953)
の2年間しか運行され
なかった。

ビルの改築高層化工事により
廃止され
た。
改築により、新しい玉電ビル
は当時
日本一の高さの11階建
てビルとなった。

そういえば、最近ではビルの
屋上に
遊園地が無いのはさび
しい。

私が学生の頃の1980年代まで
はごく
普通にあったし、大阪
などは大黒橋
の上にもジャン
グルジムや鉄棒が
あったりし
て、ミニ公園だった。

最近は公園からブランコを撤
去して
いる所も多い。
原因は危険だからというコン
プライ
アンスの問題のようだ。
ブランコや鉄棒が危険かどう
かは知ら
ないが、「危険」を
嫌うくせに原発は大賛成
だっ
たりしたのがいつ頃からか日
本人
の大多数になったりして
いた。
ま、そんなもん。


1952年 渋谷ロープウェイ 昭和27年

私が生まれた年の渋谷駅前の
ビルの屋上。

このような屋上遊園地は1980
年代まで
存在した。
私が生まれた頃の東京の子ど
もたちが
ここに映っている。
今から61年前。私も渋谷が
生活圏だった。
ここからほんの2キロほどの
場所で
私は生まれた。
昭和35年(1961年)渋谷



 


梅酒

2021年05月25日 | open


2017年製。
今回の梅の実は1933年植樹木の実。
今回イマイチ。リカーの味が濃い感じ。
この前に空けた2018年製の1995年新宿
区から贈与の植樹梅の梅の実の梅酒は、
結構良い味がしていた。
自家製梅酒は毎年味が異なる。
大きな瓶樽に毎年何個か作る。1瓶でウイ
スキーボトル4本分位。

梅酒というのは身体には何かと良いみた
い。
知らんけど。


おならの本音

2021年05月24日 | open


レーディーズエンジェントルマン。
こなさん、ミンバンワ。
あのよー、オナラについてなんだけど、
おならにもいろいろあるよお。
すかしっぺとか爆音屁とか。
最後っぺなんてのは強烈だね。
おまけにミまで出ちゃうのもある。
そんでもって、屁のこきかたにもいろいろ
あるね。
まんずぅー・・・
(ジャンキー大山風)



JR木次(きすき)線

2021年05月24日 | open


1989年8月末に都内から広島県三原まで
走った。
静岡で一泊し、近畿を過ぎてから日本海
側に出て鳥取から松江に抜け、それから
宍道から中国山地の山越えで三原まで
行った。生まれて初めて通るルートだっ
た。山陽自動車道はまだ開通していない。

途中、山越えの山中の街道の景色が素晴
らしかった。ずっと、道に沿って鉄道が
森林の中を走っているのだ。
何という路線か知らなかったが、あとで
調べたら木次(きすき)線という路線だっ
た。備後落合から島根県の宍道まで通って
いる奥出雲を抜けるラインだ。
途中、今では珍しいスイッチバックの区間
がある。山岳地帯を行くので、一気には
機関車が登れず、行って返ってのジグザク
に急斜面を登るのである。


この路線は西日本で三大赤字路線の一つ
で、廃止が何度も検討されている。
しかし、廃止したら奥出雲への鉄道ルート
が消滅してしまう。


冬などはまるで映画のシーンのような光景
が続くエリアを抜ける鉄道だ。


広島県と島根・鳥取県の県境は豪雪地帯
だ。




夏は夏で、絵葉書のような風景が続く。


赤字解消のために奥出雲おろち号という
トロッコ列車が観光列車として20年ちょい
前から走っている。
しかし、鉄道関係者によると、いくら観光
客が乗車してもこの路線の赤字解消は物理
的に無理なのだそうだ。それは、総距離が
短いため、運賃が安いかららしい。
それでめ、この鉄道に乗るために、首都圏
近畿、九州から旅行で行く旅客の道中の
運賃はかなり見込めるので、充分観光列車
走らせる意味はあるのだそうだ。

そして、ロード。
島根県宍道から瀬戸内方面に抜ける森林
の中を走る道路国道314号がとても気持ち
がよい。
私が走った時は晩夏だったが、まだ夏の
余韻を残し、ゆっくり走ると日暮しの声
が響く森の中を鉄道の線路と戯れるよう
に道と線路が右に左に何度もいれ代わり
ながら進むのだ。
このルートは、鉄道ファンにも、ロー
ランファンにも、中国地区では穴場的な
シチュエーションのルートでおすすめの
コース。

木次線沿線を通る国道314号線。
最高に気持ち良いロードだが、店も人家も
無い距離が続くのでご注意を。


鉄道からも最高の景色だ。
コロナが落ち着いたら、みなさん是非
足をお運びください。
ここはプチカナダ(笑


筑波サーキット

2021年05月24日 | open



高2の時、初めて筑波サーキットに
行ったら、サーキット周辺の農地に
「サーキット反対」の立て看板が
無数に立っていた。
三里塚のような反対闘争があったのか
どうかはよく知らないが、なんだか
成田空港建設予定地みたい、と思っ
た。
コースは、1コーナーにかけて結構
上るので驚いた。もっとフラットか
と思っていたからだ。
それまではFISCO(現富士スピード
ウェイ)しか知らなかったので、筑波
はなんだか狭くて峠みたい
だとも感
じた。

1ヘア出口アウト側にゼブラではなく、
細長い
駐車場のような出っ張りが
あった。

そこを使って走ることもできた。
コースの脇の周囲は草ぼうぼうだ。
まるで草レース場のようなサーキット
が筑波サーキットだった。
コース脇に大きな用水池があって、
コース上にカエル
大発生で走行中止
の赤旗が出る事も
あった。
私はショップの走行会というものは
参加したことはない。というか、そう
いう会は四輪は多かったが、二輪は
ショップ主催でもその形式は殆ど
無かった。チャンピオンシップの
かからないレース
かレーシングライ
ダーの練習のための
スポーツ走行か
レース本チャンしか
無かった。

スポーツ走行は金額がめちゃくちゃ
高かった。ガソリンも高くて、富士
でレースガソリンが1リットル150円
だった。レギュラーが100円台の時代。
競技ライセンスの
クラス分けはノー
ビス、ジュニア、
セニア、エキスパ
ートだった。

私はノービスのMFJライセンスと
MCFAJのライセンス。
コースライセンスは学科講習を受けて
規定周回を
車両で走行してからライ
センスが発行
される。
競技ライセンスは規定時間を走行した
走行券を証明書として添付して申請する。
走行規定時間は時代により異なる。
(今は10時間くらい?)
1回の
走行券が30分なので規定時間を
満たす
まで何度も何度もサーキットに
通わないとならない。
スポーツ走行ではナンバー付車両など
は走らせてはくれない。市販車の場合
には、ガラス部品を粘着テープでとめて、
ウインカー、ミラー、ナンバーを外して、
各ボルトとグリップをワイヤーロック
しなければならなかった。
自走でのサーキット行きでのコース
走行は事実上難しい。転んだら帰りの
足が無くなるし。実際のところ、コース
への二輪自走者などは誰もいなかった。
全員がトランスポーターにマシンを積ん
で通っていた。
サーキットを走るのは「レースをやる人」
のみだった風景があった。
体験走りのショップ走行会が爆発的に
増えたのは80年代中期からの尋常なら
ざるバイクブーム到来以降の事だ。

競技ライセンスと違い、サーキット
ライセンスは学科と実技を経れば

その日のうちに発行された。コース
のライセンスがないとそもそも競技
ライセンスさえ取得できない。走れ
ないから。
ノーライセンスで走るのは、コース

ライセンスの実技の時だけだ。
先導車について走る。追い抜き禁止。

最高速は140km/h程しか出さない。
競技コースではハエが止まるような
速度だ。

まずサーキットごとにライセンスを
取得して、それでそこを規定時間以上
走って競技
選手登録するための競技
ライセンス
を取得した。
ノービスの下にB級と呼ばれたライ
センスがあり、ノービスから上は選手
登録をしたものでA級ライセンスと
区別して呼ばれ
ていた。A級とは選手
登録しているライセンス持ちの事を
いった。
私は進学による活動停止期間に一度
レースの全ライセンス(各サーキット
ライセンスとMFJとMCFAJのA級ライ
センス)
が失効したので、筑波と富士
のサーキット
ライセンスとMFJノービス
ライセンス
は80年代前半に再度規定
時間を走って取得した。
MCFAJは再登録せず、MFJ
一本に絞った。
登録ライセンスは競技ライセンスと

メカニックライセンスとクルーライ
センスの3種類だった。

もう、その頃生まれた人が早婚ならば
孫でもできそうなくらい昔の話だ。
16才の時、初めてサーキットのコース
の路面を触った時、「雷おこし?」と
か思った。そんな舗装は見た事なかっ
たからだ。溶岩のような巣だらけの
粗い表面だ。まっ平らだけど。
昔は走行前の早朝にコースを徒歩で
歩いて路面状態を目視確認する事が
できた。私は鈴鹿は東コースしか知ら
ない。富士が嘘みたいな高低差がある。
パドックから見下ろしたらヘアピンなど
はまるで崖下だ。
富士に初めて行った数年前に30度バンク
が廃止されたが、まだ残っていたので、
三井さんという方が私を見学に連れて
行ってくれた。壁のようなので驚いた。
そういえばスキー場の30度斜面などは
まるで崖のように思えたっけ、と。
FISCOでは私と同じ年の小沼加代子が
まだノービスでよく練習走行していた
が、めちゃくちゃ速かった。
彼女はのちにレコード出した。コース
レコードではなく、歌謡曲のレコード
だ。あれは何だったのだろう。

サーキットには夜明け前に必ず到着
する。そして仮眠を取るなりする。
走行券の予約制度など無かった。
また、ひどかったのは80年代中期以降
で、なにしろ人口増加で走行券がほぼ
買えなくなった。上野公園の花見の席
取りよりも何日も前から並ばないと
ならない。予約制などはナッシング。
練習走行でそれなのに、本チャンレース
などは1クラスに500台以上のエントリー
があった年もある。F3(2スト250、4スト
400混走レース)や4耐などはとんでも
ないエントリー数だった。1秒の中に
数百台。予選通過は上位からの順位で
枠は決まっている。
私などは「その他大勢」の一人にしか
過ぎなかった。
観客も多く、鈴鹿8耐などは15万人以上
が集まったりしていた。
ちなみに、一般公道市販車が一番売れた
年は1982年だ。それが頂点。
はっきり言うと、ヤマハRZと買い物原付
がそのような時代を創ったといえるだろ
う。

このモータースポーツの大隆盛は、なにも
日本だけの事ではなく、西欧先進国諸国
で共通した大バイクブーム、レース人気
となっていた。
だが、先進国のみだ。
中国はまだ国民が人民服着て自転車に乗っ
ている時代、東南アジアは紛争地の後進国
だった時代だ。今でいう開発途上国。
東南アジアは第三世界の国々だった。
中国や東南アジアでF1やWGP開催などは
夢のまた夢、はるか未来の事だと思われた。
中国ではマカオのみが別物だった。
時代はかなり様変わりした。
ソ連なんて、国家がなくなっちまったし。
第二次世界大戦の主軸戦勝国が無くなる
というのは、これは歴史的事件だったよ。