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坂の遥か上の道路脇にミニバイクを停めて
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いやあ、未知の道てなあ、面白い。
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これはうれしい。
渋谷駅前ロープウェイ以来だ。
てか、私は渋谷にこれがあった
時代には生まれていないけど。
夢の渋谷の空中ケーブルカー。
昭和26年(1951)~昭和28年
(1953)の2年間しか運行され
なかった。
ビルの改築高層化工事により
廃止された。
改築により、新しい玉電ビル
は当時日本一の高さの11階建
てビルとなった。
そういえば、最近ではビルの
屋上に遊園地が無いのはさび
しい。
私が学生の頃の1980年代まで
はごく普通にあったし、大阪
などは大黒橋の上にもジャン
グルジムや鉄棒があったりし
て、ミニ公園だった。
最近は公園からブランコを撤
去している所も多い。
原因は危険だからというコン
プライアンスの問題のようだ。
ブランコや鉄棒が危険かどう
かは知らないが、「危険」を
嫌うくせに原発は大賛成だっ
たりしたのがいつ頃からか日
本人の大多数になったりして
いた。
ま、そんなもん。
1952年 渋谷ロープウェイ 昭和27年
私が生まれた年の渋谷駅前の
ビルの屋上。
このような屋上遊園地は1980
年代まで存在した。
私が生まれた頃の東京の子ど
もたちがここに映っている。
今から61年前。私も渋谷が
生活圏だった。
ここからほんの2キロほどの
場所で私は生まれた。
昭和35年(1961年)渋谷
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この路線は西日本で三大赤字路線の一つ
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冬などはまるで映画のシーンのような光景
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広島県と島根・鳥取県の県境は豪雪地帯
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夏は夏で、絵葉書のような風景が続く。
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コース。
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鉄道からも最高の景色だ。
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高2の時、初めて筑波サーキットに
行ったら、サーキット周辺の農地に
「サーキット反対」の立て看板が
無数に立っていた。
三里塚のような反対闘争があったのか
どうかはよく知らないが、なんだか
成田空港建設予定地みたい、と思っ
た。
コースは、1コーナーにかけて結構
上るので驚いた。もっとフラットか
と思っていたからだ。
それまではFISCO(現富士スピード
ウェイ)しか知らなかったので、筑波
はなんだか狭くて峠みたいだとも感
じた。
1ヘア出口アウト側にゼブラではなく、
細長い駐車場のような出っ張りが
あった。
そこを使って走ることもできた。
コースの脇の周囲は草ぼうぼうだ。
まるで草レース場のようなサーキット
が筑波サーキットだった。
コース脇に大きな用水池があって、
コース上にカエル大発生で走行中止
の赤旗が出る事もあった。
私はショップの走行会というものは
参加したことはない。というか、そう
いう会は四輪は多かったが、二輪は
ショップ主催でもその形式は殆ど
無かった。チャンピオンシップの
かからないレースかレーシングライ
ダーの練習のためのスポーツ走行か
レース本チャンしか無かった。
スポーツ走行は金額がめちゃくちゃ
高かった。ガソリンも高くて、富士
でレースガソリンが1リットル150円
だった。レギュラーが100円台の時代。
競技ライセンスのクラス分けはノー
ビス、ジュニア、セニア、エキスパ
ートだった。
私はノービスのMFJライセンスと
MCFAJのライセンス。
コースライセンスは学科講習を受けて
規定周回を車両で走行してからライ
センスが発行される。
競技ライセンスは規定時間を走行した
走行券を証明書として添付して申請する。
走行規定時間は時代により異なる。
(今は10時間くらい?)
1回の走行券が30分なので規定時間を
満たすまで何度も何度もサーキットに
通わないとならない。
スポーツ走行ではナンバー付車両など
は走らせてはくれない。市販車の場合
には、ガラス部品を粘着テープでとめて、
ウインカー、ミラー、ナンバーを外して、
各ボルトとグリップをワイヤーロック
しなければならなかった。
自走でのサーキット行きでのコース
走行は事実上難しい。転んだら帰りの
足が無くなるし。実際のところ、コース
への二輪自走者などは誰もいなかった。
全員がトランスポーターにマシンを積ん
で通っていた。
サーキットを走るのは「レースをやる人」
のみだった風景があった。
体験走りのショップ走行会が爆発的に
増えたのは80年代中期からの尋常なら
ざるバイクブーム到来以降の事だ。
競技ライセンスと違い、サーキット
ライセンスは学科と実技を経れば、
その日のうちに発行された。コース
のライセンスがないとそもそも競技
ライセンスさえ取得できない。走れ
ないから。
ノーライセンスで走るのは、コース
ライセンスの実技の時だけだ。
先導車について走る。追い抜き禁止。
最高速は140km/h程しか出さない。
競技コースではハエが止まるような
速度だ。
まずサーキットごとにライセンスを
取得して、それでそこを規定時間以上
走って競技選手登録するための競技
ライセンスを取得した。
ノービスの下にB級と呼ばれたライ
センスがあり、ノービスから上は選手
登録をしたものでA級ライセンスと
区別して呼ばれていた。A級とは選手
登録しているライセンス持ちの事を
いった。
私は進学による活動停止期間に一度
レースの全ライセンス(各サーキット
ライセンスとMFJとMCFAJのA級ライ
センス)が失効したので、筑波と富士
のサーキットライセンスとMFJノービス
ライセンスは80年代前半に再度規定
時間を走って取得した。
MCFAJは再登録せず、MFJ一本に絞った。
登録ライセンスは競技ライセンスと
メカニックライセンスとクルーライ
センスの3種類だった。
もう、その頃生まれた人が早婚ならば
孫でもできそうなくらい昔の話だ。
16才の時、初めてサーキットのコース
の路面を触った時、「雷おこし?」と
か思った。そんな舗装は見た事なかっ
たからだ。溶岩のような巣だらけの
粗い表面だ。まっ平らだけど。
昔は走行前の早朝にコースを徒歩で
歩いて路面状態を目視確認する事が
できた。私は鈴鹿は東コースしか知ら
ない。富士が嘘みたいな高低差がある。
パドックから見下ろしたらヘアピンなど
はまるで崖下だ。
富士に初めて行った数年前に30度バンク
が廃止されたが、まだ残っていたので、
三井さんという方が私を見学に連れて
行ってくれた。壁のようなので驚いた。
そういえばスキー場の30度斜面などは
まるで崖のように思えたっけ、と。
FISCOでは私と同じ年の小沼加代子が
まだノービスでよく練習走行していた
が、めちゃくちゃ速かった。
彼女はのちにレコード出した。コース
レコードではなく、歌謡曲のレコード
だ。あれは何だったのだろう。
サーキットには夜明け前に必ず到着
する。そして仮眠を取るなりする。
走行券の予約制度など無かった。
また、ひどかったのは80年代中期以降
で、なにしろ人口増加で走行券がほぼ
買えなくなった。上野公園の花見の席
取りよりも何日も前から並ばないと
ならない。予約制などはナッシング。
練習走行でそれなのに、本チャンレース
などは1クラスに500台以上のエントリー
があった年もある。F3(2スト250、4スト
400混走レース)や4耐などはとんでも
ないエントリー数だった。1秒の中に
数百台。予選通過は上位からの順位で
枠は決まっている。
私などは「その他大勢」の一人にしか
過ぎなかった。
観客も多く、鈴鹿8耐などは15万人以上
が集まったりしていた。
ちなみに、一般公道市販車が一番売れた
年は1982年だ。それが頂点。
はっきり言うと、ヤマハRZと買い物原付
がそのような時代を創ったといえるだろ
う。
このモータースポーツの大隆盛は、なにも
日本だけの事ではなく、西欧先進国諸国
で共通した大バイクブーム、レース人気
となっていた。
だが、先進国のみだ。
中国はまだ国民が人民服着て自転車に乗っ
ている時代、東南アジアは紛争地の後進国
だった時代だ。今でいう開発途上国。
東南アジアは第三世界の国々だった。
中国や東南アジアでF1やWGP開催などは
夢のまた夢、はるか未来の事だと思われた。
中国ではマカオのみが別物だった。
時代はかなり様変わりした。
ソ連なんて、国家がなくなっちまったし。
第二次世界大戦の主軸戦勝国が無くなる
というのは、これは歴史的事件だったよ。