なんだかんだ言っても、やはり一番のお目当てはソーキソバ。
麺もの、大好き。
できることなら、二泊三日で3~4食は、と思ったのですが、いかんせん、そうは問屋がおろしませんでした。
ステーキとか、カレーとか、食べちゃったので。
誘惑が多かったー(笑)。
でも、やはりこの三枚肉のたっぷり乗ったソーキソバ、たまりません。
あっさり目のスープと、ざっくりした太い麺。
紅しょうがの塩っけもちょうどよい感じのアクセント。
うーん、本当に美味しい。
飲んだ後だと、余計に美味しい。
・・・でも、「もう一杯飲んでから」なんて言ってると、お店が閉まってしまうので要注意です。
結構、沖縄の夜は早く感じました(一部飲み屋さんは除く)。
そういえば、例えばメニューはこんな感じだったりして。
普通の居酒屋さんなんですが、
「中身の唐あげ」
となると、これはもう、まったく何がでてくることやら。
・・・で、何がでてきたんだっけな。
しまった、忘れてしまいまいました。魚か何かだったかな。いや、お肉だったかな。
あれれっ。
「あぐー」は「アグー」のこと。
沖縄の豚さんのことであります。
田中さんは、どういうわけかこれを「ヤフー豚」と覚えてしまわれたようで(笑)、
沖縄から帰るまで、「いやー、あのヤフー豚だっけ。あれ、美味しかったねえ。」と仰っておりましたが、
そのたびに、六土さんに「アグーだよ」と訂正されて「あ、そうだそうだ(笑)」。
この会話、5回くらいありました(笑)。
豚さん、検索は出来ませぬですよ。
そーいえば、沖縄でとうとう本物を見ました。
これです。「野外炊具(たぶん)1号」
コンサート当日が、たまたま、町を挙げての防災訓練の日だったのですよ。
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最大炊飯能力
* 炊飯のみ:約600名分
* 主食・副食・汁の同時調理:約200名(ただし焼き物の調理は不可・2釜で炊飯、2釜で副食調理、1釜で汁物、1釜は予備及び洗い物用の湯沸かし用)
* 汁物のみ:1500名分(但し、具材などにより多少の前後がある。若布等のみなら1800名分まで調理可能)
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この力強さ。頼もしい。なんだか、文字面を読んでいるだけで、ワクワクすらします。
自衛隊内では、「野外炊飯競技会」などもあるようですね。
震災時には、被災地でもとても活躍したそうです。どうもありがとうございます。
というわけで、こちらは帰りに空港で(2分で食べた)ソーキソバです。
なんといいますか、これが非常に美味しかったのです。
ほら、空港のレストランとかって、街中の専門店と比べてどーのこーの、とかありそうじゃないですか。
でも、これは本当に美味しかったです。
沖縄に行かれた際には、是非どうぞ。おススメしちゃいます。
で、
こんどはスタンドでブルーシール。
一番美味しかったのは・・・うーん、どれも美味しかったな。
できれば、真夏に、また食べてみたいなー。
冬のアイスも美味しいですけれど(女性は冬でもよくアイスを、なんてききますね)、
やっぱり僕は、夏に食べたら、10倍以上美味しく感じそう。
なんでラーメンとか餃子は、一年中美味しいんだろう。
逆に言えば、季節感の無い食べものなんですかねえ(笑)。
最後に、食べ損ねたもの。
山羊刺(山羊のお刺身)、そして、あひるそば。
これは両方とも食べ損ねましたー。残念ー。
あひるそばは、今回見つけたのですが、時間的に難しかったです。
ちなみに、何に「効く」のかな。シャッター、もうょっと・・・(笑)。
あともう一軒。
こちらは、二晩続けて行ったのに、二晩とも振られてしまった(お店が閉まってしまっていた)のが、こちら。
どらえもんそば。
街中で「おいしいソーキソバ食べたいんですけど、どこがお勧めですか?」って地元の方に訊いたら、
「ドラえもんだな」
って(笑)。
最初は、「え」でしたが、確かにお店もありました(笑)。
宮古風ということでしたが、どんなだったんだろう・・・。
二日続けて、お店の前まで(皆で)行って、「やってないねえ・・・」と。
延泊して、帰りを伸ばしたマニピュレーターの松井ちゃんは、無事に、行けたそうです。
「美味しかったよ!」とのことでした。
でも、どのように美味しいのか、どうしても自分で確かめたいです。
名前からしても、どらえもん好きとしては、
これは僕の一生に一度は、必ず、マストで、食べておきたい一品です(←そんなにー)。
沖縄。どうもありがとうございました。
とっても美味しかったです。
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そして今回の沖縄の旅での、僕の、もう一つの目的はこちらでした。
「対馬丸記念館」
涙ながらに書いた、この日、そして、この日の記事の、あの記念館です。
こちらに、ようやく訪れることができました。
受付の方が、事件のあらましと、館内の説明をしてくださいましたおり、伺いましたが、
この記念館の建物が対馬丸を模して作られており、
屋上から地面までが、まさにあの日、子どもたちが飛び込まなくてはならなかった、
甲板から海面までの高さだということです。
そもそもが貨物船だった対馬丸は、手すりが高く、子どもたちは、
海に飛び込むことすらできずに船と共に沈んで亡くなった子どもも大勢いたそうです。
下から見上げた屋上までと、その手すりは、それはそれは、高かったです。
怖かったことでしょう。
中の展示物のご紹介もしたいのですが、
・・・これは、是非とも、機会があればですが、
実際にご自分の目で見ていたければと思います。
あの当時、僕が戦争について、深く調べてみようと思った大きなきっかけの一つになった、対馬丸撃沈事件。
当時、思っていたよりも、やはり現地で、
展示物を見、遺影を拝見し、その生々しい証言に触れてみると、
この痛みは、話だけでは、想像などできるものではないのだな、と思いましたもので。
勿論、僕にしたところで、その何千分の一すらも、感じることなどできていないのだとは思いますが。
それでも、涙無しには、見れない場所です。
戦争の無い世の中に、
もし、百歩譲って、
まだまだこれからも戦争がなくならないのだとしても、
罪の無い子どもが犠牲になることだけは、もうないようにと、心から願います。
ではー。