ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




嬉しいことですねー

ここ数日のブログが、こんなにも真剣に受けてもらえるとは。どっちかっていうと敬遠されるんじゃないかと思ってましたが。なんか、手応えみたいなものを、ヒシと感じてます。書いて良かった

コメントを残してくださった方、またそれ以外の何十倍もの読んでくださった(であろう)方がいらっしゃるわけで、何か、ほんのきっかけにでもなってくれていたら、本当に嬉しいです。僕も「ラーメンうまー、餃子ー」などと書くのとは違って(いや、それもかなり本気モードですが(笑))、ああいった問題について書く時は特に責任を感じています(誤字脱字は多いですけど。・・・残念ながら性分らしいです(笑))。そもそもこのブログを書いていなかったら、・・・僕自身、ああいうことを何も知らないで、また考えもしないで今も過ごしてた可能性が非常に高いです。でも、自分で書いて「あれ?で、この先は、どーなってんの?」って思うことがよくあるんです。それも、こうしてずっと読んでくださってる方が、いてくれるからなんですよね。ほんと、ありがとうございます。僕も、皆さんに考えるきっかけをもらっているんですよ。

殺人事件にしたって、政治の腐敗ぶりにしたって、偽りをする商売だって、・・・戦争の時の攻撃の仕方だって、それをするその人が偉かろうか、病んだ人だろうが、とにかく、「他人の生」に対する想像力が欠如しちゃってるんじゃないでしょうか。具体的に言ってみれば、他人の生活や自尊心、感情、それに肉体的、精神的痛みなんかに対する想像力が、なーんだか乏しくなっちゃってるんじゃないかなーって。しかもたぶん、昔よりずっと酷くなっているような気がします

日本だけで考えても、携帯、ネット、ゲームの普及、行き過ぎた個人主義、家庭の崩壊、長引いた(てる)不況・・・色々と「このあたりが原因かな?」と思うことはありますが、とにかく、なんだか苛立ってる人や、やけっぱちな人が随分増えたみたいだなぁ、と感じてます。ネット上でも「よくこういうことが書けるなぁ。これを読む人の気持ちを考えられないのかなぁ」っていうようなのを、目にすることがあります。心がざわっとして、寒々とした気持ちになります。

そんな人が、何食わぬ顔で普通に街中を歩いてると思うと、そりゃ怖いですよ。

男の僕でも、夜中に後ろから大人が走ってきたりすると、ちょっと身構えてしまいします。怪しい人とすれ違うときは、自然と心の準備をしてしまいます。まぁ、相手の方が僕に警戒している可能性も捨て切れませんが(笑)。他人が信じられなくなるのは、怖いですね。ちょっと前までは、そんなこと感じたことなんて無かったんですけどね。

でも、世の中にいい人は沢山います。むしろ、大抵の人はいい人なのではないでしょうか。僕は、そう信じたいです。でも、こんな物騒な世の中に住んでると、なんとなくお互いを警戒するようには、なっちゃってますよね。残念ですけどね。あ、ホラ、僕も子供に防犯ブザー鳴らされそうに事があったくらいですし(笑)。そんなに怪しいかなぁ

病んでる人をどうこう、っていう対症療法も大事ですけど、出来るだけ誰もが病まないような社会になるといいですね。その為の一つには・・・ほんの一部の、お金と利権に目がくらんだ、完璧に病んでしまっているエライ(と言われる)人達の動向をしっかり見つめる必要があると思ってるんです(言動はいくらでも嘘をつけるけど、動きには本心、本性が出ますから。理由はなんだかんだ言って、結局は戦争してたりね)。黙ってると、必ず、いい様にされますから。彼らは、それをちゃんと知ってるんですよ。だから、あまり大事なことは言わないんです。いや、でもそうそうあなた方の思うようにはさせないぜぃっ。僕達民衆をなめんなよー。って、なにもそんなに難しいこと言ってるわけじゃないんです。同じ人間同士で出来るだけ傷つけあわないで、大切なものを壊さないで、少しでも長く住める健康な地球にしておきたいだけなんですから。当たり前の、普通のことですよね

まぁ、こんな話ばっかりじゃなくて、また「よしラーメンだ!うりゃあ餃子だ!」、と色々他愛ないことも(いや、だからあれも本気なのだが(笑))書くと思います。でも、こういう問題意識は、いつも持っていたいと思っていますし、持っているつもりです。「DAYS JAPAN」も申し込んだばかりですが(購読し申し込みしてくださった方もいて。ありがとうございます。・・・すごいことです。学生の方や、ちょっと興味はあるけど、買うまでは・・・という方、図書館にも置いているところがあります)、こういう問題について書かれた本で、他にもどうしても気になったのがあって、何冊かポチして買ってしまいましたし。家にも、まだ読んでないのが結構あるのに(困)。でも、焦らず一冊づつ、じっくり読んでいきます。なので時々は、長々~と小難しいことを書くかもしれませんが、良かったらまたお付き合い下さいね。

小さな花も、みんなでわさわさと咲かせれば、立派な花畑になりますもんね。そして、いろんなところに、種を飛ばせたら。あちこちで、わさわさになるかも

うーん、そろそろまた動物たちにも会いたいなー。彼らの写真もまた撮りたいし。そうそう、さっき交差点で信号待ちをしている犬と目が合ってね、何だかとっても和まされました。動物はいつでもかわえーですなー。

-----------

もひとつ。

昨日発売の、「月間ソングス(1月号)」という本に、俊君との対談が掲載されています。よろしかったら。

僕の頭、じゃない髪の毛がなんか変・・・なのが本人的には気になるところですが、えー、たまたまびよーん室帰りだったので・・・って、誰も気にしないですよね、そんなこと(笑)。

とても楽しい対談でした。俊君とも、かれこれ3年越しのお付き合いになりますが、本当に才能のある、そして面白い男です。笑っちゃうくらい開けっぴろげで、話も面白くて上手だし、それに優しいしね。そうそう、この日『あ、はい、これ誕生日プレゼント』って、帰り際にさりげなくワインをくれました。すっごく美味しそうなやつ。「おー、これ○○じゃんか、ありがとう」って言うと、『でもそれ、美味しすぎで悪酔いするからね(笑)』って。怖くてまだ飲んでません(笑)。仕事をしてる時は、もちろん厳しい一面も出てくるんですけど、それはプロとしての責任感の強さの表れですからね。むしろ、僕からしたら頼もしいですよ

また、一緒にステージに立つ日が、楽しみです。

さて、明日が少し早いので(←・・・一般的には充分遅い)、今日は早めに切り上げて、煮えたぎるお風呂に浸かって本を読もう。今夜もまた冷えますからね、皆さんも、温かくしてお休み下さいね。

ではー。



コメント ( 25 ) | Trackback ( 0 )




皆さんのコメントを読ませていただいて、中には思いがけずとっても若い学生の方までいて、興味を持ってくださっているということにとっても嬉しく思いました。戦後の教科書というのは、これは前にも書きましたが、WGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)というアメリカによる日本占領時の「洗脳」の影響が今でもとても濃いものです。また、一部日本の極左翼的マスコミと、さらには中国や韓国などの近隣外国までもがその記述について口を出すようになり(外国の教科書に、ですよ)、「教科書問題」としてずっと問題化されているのはご存知のことと思います。

要するに後から「あれは間違いだった」、と真実が分かっても、今のシステムではなかなかはっきりと書けないんです。修正できないんです。例えば、「南京大虐殺」から70年の式典が中国で行われていたとつい2~3日前にニュースで見ましたが、「日本人は我々の先祖を30万人も虐殺した。悔しい。」と、中国の中学生が声明文を読み上げていました。中国の教育はともかく、今の日本の教科書には何て載ってるんでしょうか。是非手に入れて見て見たいところです。

そもそも当時20万人しか人口が居なかった南京で、30万人殺せるわけもなく、さらにそんな「虐殺の事実」すら無かった、という証拠すらどんどん上がってきているのに。対日本の外交カードとして、強い立場に立ちたいから、「日本はこんなに我々に酷いことをしたんだ。許すな。」と、今でも民衆を扇動して何があっても事実化し続けたい中国、そして、WGIPのおかげで、「はい、きっとそれは事実ですね」と、よく調べもせずに(占領下では無理だったのでしょうが)一度はあっさり認めてしまった日本。そのツケは大きいですよ。

現在学生の方は、その辺りも鑑みて、出来ることなら先生や仲間と良く話し合って欲しいなー、と思います。歴史というのは事実の積み重ねであって、小説や理想ではありません。まして思想や宗教、お金や外交、洗脳や情報戦によって歪められてはいけないのです。でしから、あくまで、「正しい歴史」を学んで欲しいと思うわけです。ただ、意思を持って探さないと、なかなか見つからないのですが、今はインターネット等で沢山情報が入りますから、そこから本を買ったり、図書館に行ったり、仲間と情報交換をしたりして、積極的に真実を手に入れていって欲しいと思います。頭が柔軟なうちに、是非とも。洗脳期間が長くなればなるほど、そこから抜け出すのに苦労するのは、一部悪質なカルト教団などの例に明らかです。

また、親である方、これから親になる方々が、戦争や、世界の「隠され続けている暗部」のことを知ることに興味を持ってくれるのも、これまたとっても大きな意味のあることです。なんたって、子供の環境は親が作るんですから。親の影響って、どうしたって大きいですよね。勿論これは、親でなくても、僕達大人全体に言える事なんですが、自分ではもうアレコレ動けなくても、それを次の世代に教えたり、伝えることはできるのですから。その次の世代の人がまたさらに考えて、動いてくれたって、全然いいんですから。大人としてのひとつの大切な役割ですよ。

 

さて。

日本は、間違いなく平和ボ○してますが、はたして本当に平和なんでしょうか。昨日のブログの件もあって、そんなことを考えていた矢先に、今朝、佐世保での、またも起きた悲惨極まりない事件のニュースを知りました。あれは、・・・テロです。避けようがないです。ジム側に対して、「防犯カメラは設置して無かったのか」などという質問があったようですが、たとえあったとしても、この犯人に対してはおそらく抑止力にはならなかったでしょう。亡くなった女性は子供と机の下に隠れて(極めて的確な判断ですよね)、でもそこで撃たれたとか。痛ましすぎます。犯人がその心に闇を持ったまま死んでしまった以上、もはや真相は解明できないでしょう。しかし、犯人は「特殊な人間だった」、で片付けてしまっていいのでしょうか。犯人は僕と同世代。同じ頃に生まれ、同じような学校に通って、同じような教育を受けたはずの、一人の普通の日本人。彼は何を知り、何を知らず、何に憤りを感じて生きていたのでしょう。でも、それを知ることは、もう適わぬことです。悔しいです。しかし、そんな彼を「教育」し、「育てた」のは、日本の社会です。文化や教育や言語の違う外国人ではありません。それが、とても怖い。

誰が特殊で、誰が特殊でないかなんて、誰にも分かりません。そんなこと言ったら、僕だって特殊、あなたも、特殊です。心の闇だって、多かれ少なかれ、きっと皆持ってる。「なんでもない普通の人」なんていう名前の人間は、どこにもいないのですから。

日本が、ドアに鍵をかけなくては怖くてとてもじゃないが外出が出来なくなって久しいですが、いつしか、商店街や街のお店が皆、入り口を扉できっちりと閉じ、指紋認証でもしないとお店に自由に入れなくなる日がくるんじゃないか、なんて極端な想像をしてしまいました。

子供がセキュリティベルやGPS携帯を持って行く学校の門も、今はきっちり閉じられ、校内を防犯カメラが監視しているという現実。それが今の日本。

・・・なんか変だよ、と思わずにいられません。これが、平和な国、日本の姿なのでしょうか?世界中に向かって「日本は平和な国ですよ」と、平気な顔で言えるでしょうか。

--------

僕は、そもそも自分勝手で、怠け者ですから、本当に社会貢献なんて全然してこなかったし、今だって実際何もしていないわけです。平和運動家になるつもりもないし、そもそもそんな人徳は持ち合わせておりませんから、そんな偉い人になれるわけもない。広く公共の視点を持って、他の人の為に地道に、懸命に働いている民間の活動家や、ボランティアの人を、偉いなぁ、と横目で見つつも、今すぐ、今の自分にそれが出来るともなかなか思えない。うん、しっかりダメダメ人間。困ってる人の役に立つ事なんて、・・・たまにする献血くらいしか出来ていないのが現実です。

でも、こんな僕でも、なんだかずっとどこかに思いはあるわけです。何故かはわかりませんけど。何か少し位良いことしたいなー、まぁまずは現実的で、出来る範囲で、何か無いかなー、って。

そこで、15年位前ですが、郵便貯金の通帳(←たいして入ってない)の更新に行ったときに、窓口で「『国際ボランティア貯金』という制度があるんですが、いかがですか?」と訊かれました。「なんでしょうか?それ。」と聞くと「川村さんの貯金に付く利子の20%~100%を、国際ボランティアの団体に寄付する仕組みです」と教えていただき、最初に思ったのが「えっ!?貯金の二割から、もしかしたら全部寄付しちゃうんですか?」って、あわてて聞き返しました。窓口の女性はちょっと笑って、「いえ、利子の、ですよ。」ということ。おっちょこちょいです。

僕の貯金に付く利子なんて、たかが知れている。でも、チリも積もればなんとやら。1人年間に利子が1円でも、もし国民の皆が賛同したら、毎年1億円以上がにもなるよね、って思って、そんなことで「良いこと」できるなら、って、「じゃあ参加します。○○%で。」、って書類に書いたんです。利子欲しさに貯金しているわけでもないのに、100%でないというハンパなところが、僕の浅ましさと、身の丈をあらわしています。どうぞ、笑ってください。とにかく、手続きはそれだけ。貰ったカードには「国際ボランティア貯金カード」と大きく書かれていました(英語でしたが)。僕はずっと、そのカードを使うたびに「まぁ、これで少しは貢献できてるのね」と内心では嬉しく思っていたんです。こういうシステムは良いよなぁ、と。

この国際ボランティア貯金で集まったお金は、利率が低い今年でも、なんと年間で4億円超にも上っていたのです(16年前の制度発足から、総計で180億円超!)。加入者も年々増えているのです。チリも、どころではありません。これを100以上の団体が、世界35ヶ国の貧しい地域に学校を建てたり、仕事の無い女性達に織物や手工業の技術を教えたり、親を失った児童ホームレスの救済、自立の為の教育などに当てたりしていたんです。

・・・それがね。

さっき、ちょっと用事があって、今回の郵政民営化後に新しく送ってこられたカードを見たら、「国際~」の文字が入っていないんです。「あれ?」と思って、ネットで調べてみたら。

『平成19年10月の日本郵政公社の民営化に伴いその根拠となる法律が廃止されたことから、平成19年9月末をもちましてお取扱いを終了させていただきました。』

・・・おい、どういうことだ。なんだ、その「根拠となる法律が廃止」って。いつ決まった。誰が決めた。

むかっ腹パンパンで、さらに調べてみると、「今回の制度廃止についてはお知らせはしないことになっていた」ということです。なぜか・・・「クレームが来そうだから」。

それって、・・・ど・う・い・う・こ・と・で・す・か!?

腹が立って、腹が立って、勝手に涙が出て来ました、本当に。

何なんでしょう、この国は。あの時、さんざん「民営化で何の弊害ございません。これまでと何ら変わりなくご利用いただけます。民営化することで、お客様へのサービスが向上します。」とか言ってたのに。国の機関であった郵政がしていた、日本としての善行だったのに。この調子だと、これからはもっと利益追求になりますね。こんなことなら、これを知っていたら・・・僕はこれだけの理由でも民営化絶対反対の候補者に投票したのに(でも、公約って、本当によく破られますね。よくぞまぁ公的な人間がね。約束は守りましょうよ)。

この制度で集められた資金の分配を行っていた「国際ボランティア貯金普及センター」のHPでは、ラオスの子供が、今でもミシンを手に嬉しそうに笑っています。・・・せっかく笑っているのに!

一体どんな頭で考えたら、どんな理由があったら、一度子供達や人々に与えた希望の芽を、与えたその手で摘み取ることができるのでしょうか。「隣の村に学校が。いつかきっと私たちの村にも、日本からの援助が、きっと・・・」と期待していた人たちは、子供たちは・・・どれほど落胆することでしょうか。

・・・是非とも、復活させて欲しいと思わずにいられません。

ではー。

----------追記。-----------

「クレームが来そうだから」事前告知をしなかった、と書いた件について、追記します。

この言葉は、総務省(旧郵政省はここに2001年にここに合併されました)、または現・日本郵政グループから正式に発せられたものではありません。これはネット上の質問掲示板で見つけた言葉ですが、僕には「ははぁ。まぁおそらくそうだろうな」と、十分に納得できることだったので、書きました。

以下、僕の考えをご説明させていただきます。また長くなりますが(笑)。

 

まず、こちらをお読みください。平成19年4月26日(木)に総務省で行われた、

「郵政行政審議会 郵便・信書便サービス部会議」

http://www.soumu.go.jp/menu_03/shingi_kenkyu/shingi/yusei/2007/070426_2.html

一部、当該部分を抜粋します。

 

「田尻 部会長 

民営化によって、こういう寄附金的なもので、例えば、国際ボランティア貯金なんていうのがございますね。こういうものも、全部、特別法であるから今まではできてきたと、やることができたと、こういうことなんでしょうか。民営化したら、国際ボランティア貯金は、仮に日本郵政がやろうとしても、それは法律がないとできない、つまり、商品にそういう寄附金をつけて販売するという手法そのものが日本の社会の中では問題があるということでこういう特別法になっているんでしょうか。


原口 郵政行政局総務課長

ボランティア貯金の場合は、お客様の任意のご好意で寄附していただくということで、これまでは、公社であるから法律がないとできなかったということで、今後、今度の、例えば、郵便貯金銀行は、一般商法上の会社ですので、そういう意味では、他の民間金融機関ともう同様ですので、特に法律がなくてもそれはできるということです。ただ、実際に、ボランティア貯金法は、経過措置を経ればなくなっていくという形でございます。ただ、今、ボランティア貯金の関係は、実際のその配分団体が海外で活動する、それぞれ小さな認定の事業でありますので、それが適切な団体かどうかというようなことを、例えば、私ども、外務省を通じて確認したりとか、そういうこともやった上で配分しておりますけれども、多分、今度、一商法上の会社になってしまうと、なかなかそういうような調査は外務省は受けてくれない等ございますから、どうしても、仮に新郵貯銀行のほうがやろうとしても、趣旨は同じであっても、多少の、やり方、仕組みは変わるのかもしれないなと思っております。」

 

さて、まず僕は、これが現行法の壁であるから、という法律の問題である以前に、特措法を再度洗いなおして再考する、良いものは改めて立法するという手間、省き、またそれにもしも(有り得ないけど)立法された場合でも、ボランティア貯金制度に関わる人件費、必要経費を省く、「手間省き、手間賃省き」の発想からきているんだろうな、と見ています。これは、どういうことか。

人を動かすにはお金が必要です。「ボランティア貯金」と言っても、その制度を維持し、動かすのは人です。役人は、ボランティアではありませんし、まして民営化されれば、ひとつの企業体としての収益を第一に考える団体になるのは間違いありません。それが「企業」というものの基本原理ですから。そう、維持の為には社員を使うことになるわけです。これは避けたい(そもそも今回の民営化は、リストラ=リストラクチャー=再構築ですから)。民営化に際し「サービスが向上します」というのは、彼らははっきりそうとは言いませんが、要するに「企業として、集客の為に」サービス向上をします、とうたっているわけですよね。企業なると、こういうメリットは生まれます。これからは沢山の宅配便会社などと、いち企業として競争していかなくちゃ、なのですから。

そしてまた、今回の民営化が、郵政事業を民営化させることで、国としての事業としての負担を軽くさせる目的があったのは疑うところが無いと思いますが、・・・では今後、いち企業体がこの制度を存続していくためには、なかなか我々の賛同だけでは立ち行かないわけですよね。なにせ、お金がかかるんですから。

だけど「この制度を存続させるには、手間とお金がかかるからやめます。」とは一般には、はっきりは言えないと思います。

もし、そうはっきり言っちゃったとしたら、どういう事態が予測されますでしょうか?

それこそ、クレームが山ほど来ますよね。世論も、これは民営化による「弊害」じゃないか?おい、民営化って、していいの?と疑問を抱くでしょう。これからの日本郵政グループに対しても、疑問が出てしまいます。だから、扱いは小さく、こっそりと、だったんじゃないでしょうか。僕が「それなら投票の時に民営化に反対の・・・」と思ったように。

そして、そのクレームの対処にも、電話対応だけで済めばまだしも、おお事になれば、マスコミも動きます。そうなったら対策委員会を開いたり、さらには何度も記者会見を開いたりして、職員の手間と、時間と、労力と、ひいてはお金がかかることになるでしょう。そしてそれは、企業としては、出来れば避けたい事態ですよね。ならば、なし崩し的に、事後承諾としてしまおう、告知は(法的に)必要がないなられば、あえてしないでいきましょう。・・・という思考は、十分に考えれらると思うのです。

なので、廃止となった今でも公的には「根拠となる法律が廃止されたため」としか説明していないのです。最小のフォントで、小さく。積極的に宣伝したい、知って欲しいことは大文字で見やすく書くのは基本ですし、選挙活動やテレビCMなどの例などにもあきらかですが、繰り返し、繰り返し叫しつこいくらい叫びますよね。しかしそういった姿勢を汲み取れる根拠は、残念ながら今のところ見当たりません。本当に僕達の知りたいのは、「人道的、国際協力という立場から見た、必要性の認識についてはどう考えた結果の廃止なのか」、ということですよね。これに対しては、世間の誰もが納得の行く説明が出来ないから、しないんじゃないでしょうか。いや、したくても、出来ないんじゃないでしょうか。一般には、「そうか・・・法律の問題なら仕方ないね。もう無くなっちゃったんだし。まぁ仕方ないか。」と思って矛を納めてしまう人が多いのを、彼らは知っているからだ、と僕は思います。

 

総務省(旧郵政省)職員(と自称する人間)が、書いたカキコミをネット上に見つけました。これを書いたのが、本物の職員だったのかどうかのご判断はお任せします。

「投稿日: 2001/04/17(火) 22:55

今年度、ボランティア担当官なんかになってしまった。いやだなぁ。 だいたいボランティア貯金の寄付金が発生しないボランティア口座が 多いからもっと寄付金の付く貯金をボランティアに勧奨しなさいと課長 がいうけど、この低金利の時代だからしょうがないやんか。20から100% まで設定できるけど、だれが100%なんてするねん。そんな人はほとんどおらん。 それに、僕はボランティア貯金そのものをやめてしまえばよいと思っている。そうすれば ボランティア担当官の会議とかにも行かなくてもいいし、ボランティアを勧誘しなくてもいい。そんなに国際ボランティアが重要ならお客さまの貯金利子を削ってしなくても、ボランティア貯金を廃止にして節減できる経費をボランティアすればよい。そうゆうことで、断固ボランティア貯金を廃止すべきである。 」

 

郵政民営化を進めた小泉元総理は、この制度を「なかなかいい制度だし、好評を得ていると聞いているので、今後も他団体で引き継いでもらえるものと思う」という趣旨の発言を残しています。

以下国会での小泉さんの言葉を、参議院議員谷あい正明氏ブログより、腹心であった竹中国務大臣(当時)への質問、応答部分も合わせて。

「国際ボランティア貯金について質問…第162回国会 郵政特別委員会 12号」

http://www.m-taniai.net/?eid=205

一見、素晴らしい発言のように見えますが、民営化後の日本郵政ブループでは、これは「しないよ」、ということです。自ら「構造改革の為には、しがらみを断つ。痛みに耐えましょう。」と言っていた小泉さんですから、この論理は彼の立場からしたらもっともです。賛否はともかく。

要するに、「この制度はいいんだけど、・・・何処かよそでやって欲しいんだよね」、という意味にも取れますよね。繰り返しますが、これはとどのつまり、経費削減の為ですよね。勿論、色んな事案を沢山の人が天秤にかけてみた結果でしょう。そして、この企業の利益にはならないことだと、分かったのです。あるいは、今までも分かってはいたけど、今までは利益追求では無いお役所だったからこそ出来た、「人道的立場」に立った、制度だったんではないでしょうか。しかし、民営化され、いち企業化された日本郵政としては、もうできない、しない。小泉さんが大好きなアメリカの、・・・自由と資本主義の国(総世帯の上位5%未満の富裕層に全米の60%の富が集中していて、国民の3割が貧困家庭、という超格差社会)アメリカの、利益追求主義に、日本の郵政省がズブリと組みこまれた結果だと、僕は見ています。

 

 日本郵政グループのHPには、「ひとりを愛せる日本へ。」というコピーが掲げられています。

「愛」という文字が使われていますが・・・一体、どこの「ひとり」なんでしょう。ひょっとして、あの戦争が好きな人のこと?などと・・・意地の悪い事のひとつも言ってみたくなります。

HPでは、ボランティア貯金制度の過去の取り組みや実績は一切削除されています。せめて結果はどうあれ、今まで誇りを持って取り組んでいた素晴らしい事業だった、と残しても良かったのではないでしょうか。救われた人は世界中に沢山いたんですから。このコピーは、僕にはなんだかちょっと空しく響くのです。

ボランティア貯金のことだけじゃなくて、この民営化の結果が良ければいいんですけれどね。この民営化で今までずっとあった「近所の郵便局」が廃止においこまれて困っている人々が結構沢山いるのはご存知ですよね。対して、年賀状の売り上げは伸びてるとか。まだ色々と分かりません。答えが出るには、これから長くかかると思いますので、見守りましょう。

以上、人によってはひねくれた見方に見えるかもしれませんが、僕の意見を書きました。そして、ここまで書いた以上は書いておきたいのですが、・・・この制度の意義や実績に誇りを持ち、結果的に願いは届かなかったけれど、存続を働きかけていた総務省(旧郵政省)の良識ある職員の方が絶対に沢山いたはずだ、ということを。これは信じて疑うものではありません。

長々とすみませんでした。

ではー。



コメント ( 23 ) | Trackback ( 0 )




今日はまた長いです。

このところは、朝から毎日のように宅配便や郵便が届き、昼間は自分の仕事の合間に電話やメールでの連絡に追われている内に、あっという間に夜になります。

でも何をしていても、広河さんの伝えてくれたことが、どうしても頭から離れない。皆さんからのコメントを読ませていただいても、また自分とは違った考え方や、視点を教えてもらうことになり、またそれに対して頭が勝手に考え出す。例えば、いつもコメントを残してくださる方が、どうもコメントが書きづらい、まとまらないというのも、それは「うん、これは大きな問題だな。」ということを自然と感じているという表れであるのですから、ある意味とても正常な事だとも思うわけです。僕の文章の良し悪しはともかく、ああいう事実を知った時に何も感じなかったとしたら、「ふぅ~ん」などと軽く受け流してしまえたとしたら、それは一番怖いことだと思いますから。そして、自分の言葉で考えをしっかり書いてくださる方。僕は、どういう立場であれ、ちゃんとした意見を持っている、という事を素晴らしいと思いますし、ありがたいです。おかげで、僕も勉強させてもらっています。

先日も書きましたが、写真展で見た写真のうち、何枚かをネット上に見つけられました(実際の大きさより、かなり小さいですが)。勝手に取ってきてここに貼るのは憚られますので、リンク先を見ていただくことにしたいと思います。携帯からの方、申し訳ないですが・・・僕なりに説明は書きます。また、見て楽しくなる写真では決してないので、見る、見ないは皆さんのご判断でお願いします。

 

まず、こちらの写真(少し下にスクロールしていただいた、三枚のうちの一番上)。

「パレスチナ問題」っていう言葉をニュースなどで聞いた事のある方は沢山いらっしゃるでしょう。これはとても長くこじれていて、それは民族問題、宗教問題の絡んだ複雑な問題だからなのですが、今はものすごく簡単に説明します。

約90年ほど前、第一次世界大戦の時です。イギリスが自国の利益の為(戦争に勝つ為、そしてお金の為)に、アラブ人とユダヤ人の両方に、「ここに国を作っていいよ」と約束してしまいました。この「二枚舌」の為に、アラブ人のパレスチナという国の中に、ユダヤ人がイスラエルという国を作ってしまったわけです。そしてこの二つの民族が「ここは私たちの国だから、お前たちは出て行け。」と争っていると考えてください。悪徳不動産屋が、同じ家を二つの家族に売ってしまったようなものです。そして、言ってみればどっちも、その立場からしたらそれぞれ正当なのです(この正当性の判断については世界中でも意見が分かれているのです)。だから難しいのですが、問題は、話し合いでは解決しないので、武力による争いになり、やがて中東戦争になってしまったこと。そして、その後も延々と民衆を巻き込んだ、酷いテロや、争い、諍いが絶えない泥沼化してしまっていることです。しかし僕はまだこの問題について、「こう思う、こう考える」とはっきり答えが持てるほど解っていないと感じています。ですから、またもっと調べて、勉強したら改めて書いてみたいと思ってます。

写真は、イスラエルという国の領土拡大の為に、勝手に境界線を引き、交通を遮断している、軍服のイスラエル兵士(ユダヤ人)に対し、パレスチナの若い女性(アラブ人)が、一時間以上もピースサインをした手を高く掲げ、無言の抗議をしている様子です。

この小さな写真ではわかりづらいですが、僕はこの女性の目に、「怒り」ではなく、また「悲しみ」とも違った、「あきらめ(・・・話しても通じない彼らに対しての・・・。いや、哀れみ、と言うべきか)」と「蔑み」のようなものを感じました(写真展の時に僕が取っていたメモ書きには他に、「あきれ?」「いつくしみ・・・?」などと書いてあります)。上手く言えませんが、言葉にするなら、「あなた達は何故こんなことをし続けているの?自分達のしていることがどういうことか、本当に解っているの?」と訴えているように見えるんです。

対して、その彼女に至近距離でじっと見据えられた、ヘルメットを被って拳銃を持った若い兵士の目は、まるで嘘を母親に見抜かれた子供のような、「そんなことしてない」って言い張りながらも、どこか後ろめたさが拭えない、おびえた目に見えました。

人間をその身体に宿し、生む女性、そして、女性から生まれた男性。女性を銃で威圧する男性、その男性の心を見抜くような目で見る女性。民族も立場違うけど、この強烈な「女性」というものの力に、僕は半ば圧倒される思いで、しばらくこの写真に見入ってしまいました。

各地で行われているこういった路上封鎖は、時には救急車すら通すことを許さないそうです。そういう、命令だから。

そして、この女性は、一時間後に催涙スプレーによって、「追い払われた」そうです。

 

-------

同じページの二枚目の写真。手に大火傷を負って泣いている、4歳くらいの小さなパレスチナ人の女の子と、彼女を抱いている父親の写真です。

手の火傷は、イスラエル軍の落としたナパーム弾という爆弾によって負わされたものです。ナパーム弾というのは、火事にして、落とした周囲を広く焼き払う為に使われる非常に悪質な爆弾です(良質な爆弾なぞありませんが。でも、破壊するだけの爆弾と違って、火事を起こすので、無関係な人を巻き込む可能性が非常に高い)。

しかもこのナパーム弾は、ベトナム戦争の時にアメリカによって開発された新型のもので、水をかけても、砂をかけても火が消えない「黄燐(おうりん)」という特殊な薬剤が使われています。写真に添えられた文章には、「少量でも一度体に付くと、体の奥深くまで焼き尽くすのです」とありました。どうにか火は消し止められたようですが、少女の右手は、カタチが変わってしまっています。

アメリカが「テロと戦うため」、「人々の自由と安全を守るため」と戦争を仕掛けたアフガニスタンでは、女性の焼身自殺が増えているそうです。こういった爆弾によって顔や体に酷い火傷を負った彼女達は、自分の将来を悲観して、自ら火の中に身を投じるのだそうです。

-------

そして、こちらの写真(一番上)。

ウクライナという国のターニャという、本来なら遊びたい盛りのはずの14歳の少女が、小さなベッドに横たわり、傍らの母親は彼女の手握っています。彼女は、4歳の時に、チェルノブイリの原発事故の影響で、知らぬうちに放射能に身体を侵されていました。おそらく当時、「ここまでは放射能はこない。安全だ」という情報が流されていたのでしょう。しかし、ターニャは10年後に甲状腺ガンを発病。子供の身体は発育が早いので、小さいうちに放射能を浴びた子供は、病気の進行も物凄く早いんだそうです。

母親の顔が目の前にあるのに、天井の方をうつろに見るターニャの黒い瞳は、ガンの影響で、この時既に失明していたそうです。

広河さんが彼女に「何か欲しい物はないかい?」ときくと、彼女は「モルヒネが欲しい」と答えたそうです。14歳の少女が欲しいものをきかれて、出てきた言葉が・・・「モルヒネ」。広河さんが母親に「何故病院は彼女にモルヒネを与えないんですか?」と訊ねると、「病院で、『薬は治る患者にだけ使うから、もう治らない患者には与えない』と言われました」と答えたそうです。怒った広河さんは病院へ怒鳴り込んで、ターニャのためにモルヒネを出させたそうです。

ターニャは、この写真を撮った二ヵ月後に亡くなりました。

モルヒネは、そんなに高いものではありません(日本で点滴1ℓ=約300円程度)。でも、病院にはその痛み止めのモルヒネさえ、十分になかった、と想像できます。病院側からしても、苦肉の策だったのでしょう。

日本は軍用機を一機300億円で何機も買っています(つい先日、墜落しましたね)。300億円あったら、モルヒネはどれだけ買えるのでしょうか、などと、どうしても思ってしまいます。たとえ治らなくたって、激痛に苦しみながら死んでいった子供に、人々を、せめて痛みの無い、安らかな死を迎えさせてあげることは、出来たはずです。

そして残された母親は、今どんな気持ちなのでしょうか。間違った情報を鵜呑みにして、娘を死なせてしまった、と自分を責めているのではないでしょうか。基本的に、人間は自分の住む場所を自由に移動できる唯一の動物だと言われていますが、子供には、住む場所は選べない。そこが目に見えない放射能で、酷く汚染されていたとしても。しかし、母親を責めることはできません。問題は、誤った情報、いや、操作された情報なのです。

変なことを言うようですが、・・・もしも今ひとつリアリティが感じられなかったら、ターニャ、という少女の名前を、あなたの愛する家族や恋人の名前に置き換えて読んでみたら、どうでしょう。あるいは、子供の頃の、あなた自身の名前で。

僕達の住む日本にも、原子力発電所が沢山あります。事故だって、実際に時々起こっていますよね。まだ、チェルノブイリほどの事故には至っていませんが、それは明日起こるかもしれないんです。パレスチナやロシア、ウクライナ(他にも沢山の国と人が放射能に侵されています。この事故だけでなく、依然続けられている原爆実験でも)とは遠く離れているようで、実は僕達の足元は、凄く危ういんです。都合の悪い情報は、流されませんから、僕達は、ただ知らないだけで。

 

-------

他にも、御巣鷹山での日航機墜落事故で、早く現場に到着していた自衛隊員が「飛行機に放射能物質が搭載されていた」という情報の為に、事故現場を遠巻きにしたまま近寄らず、後から来た「情報を持っていなかった」消防や警察が現場に入るのを見てから、救助に参加した、という現場の写真と文章がありました。

僕はあの日の事を良く覚えています。前の日、テレビでは航空機が行方不明になったというニュースが興奮気味に伝えられ続け、受験勉強で朝まで起きていた僕は、届いたばかりの朝刊の一面に、大きく「524人、絶望」と書かれた黒に白抜きの文字を見て、思わず反射的に目を瞑り、手を合わせていたんです。自分が咄嗟にああいうことをするとは、思ってもみなかったので、・・・とても記憶に残っています。

添えられた文章には、「先に到着していた自衛隊がもっと早く救助に当たっていたら、もっと救われた命があったはずだ」、とありました。もっともです。しかし、自衛隊には救助にあたれ、という命令が下りなかった。「放射能汚染はどんな手段でも防ぎきれない」、という情報を、当時の日本で自衛隊だけが持ってたのだそうです。なので、様子を見ていたのです。後から現場に入った警察や消防は、近づかない自衛隊員を見て「不思議に思った」と言っていたそうです。実際、4名の生存者は、墜落当初にはかなりの生存者がいた、という証言をしています。そして、朝まで救助が来なかった、その間に皆んな死んだ、と(墜落は前日の午後7時前)。

実は事故を知ったアメリカ軍厚木基地のヘリコプターが、事故から2時間後には現場に到着、救助体制に入っていたのに、日本政府から打診を受けた警察庁上層部が「その必要なし」それを拒んだため、救助できずに帰還させられた、という事実があります。なぜか。・・・先にアメリカに救助されては、警察庁のメンツが立たないから、だったと言われています。開いた口が塞がらないとは、こういうことです。これが、日本の警察のお偉方の一つの顔です。そして、実はアメリカ軍への救助要請は政府が決定を出すものなんです。生命の危機に瀕した人命を前に、二の足を踏んだ日本政府の責任は、とてつもなく重大です。

実際には航空機に積まれていたのは医療用の放射性物質だったようですが、逆にそれが人体に危険な放射能物質だったらどうだったんでしょう?そして、それを知らずに救助に当たった消防や現地警察の人達の命は、どうなっていたんでしょう。情報一つで、人の命は確実に、そして簡単に左右されているんですよね。繰り返しますが、時にはそれが間違った情報だったとしても。

----------

長くなりましたので、紹介はこれくらいにしますが、あの日見た広河さんの写真は、どれも僕の目の奥に深く焼きついて離れないものばかりでした。

----------

じゃあ僕には、何ができるのか。

・・・やっぱり、この問題です。爆弾の飛んでこない、放射能にも汚染されていない、エアコンの効いた温かい部屋でこうしてパソコンに向ってブログを書いている僕は、結局高見の見物をしているだけの、ただの偽善者なのか。

 

その答えを探したくて、今日、広河さんの発行しているフォトジャーナリズム雑誌、「DAYS JAPAN」の年間定期購読を申し込みました。バックナンバーも、手に入れていこうと思っています。

この雑誌がどういう雑誌か、ご興味のある方は、こちらをご覧下さい。廃刊の危機にさらされながら、定期購読料や寄付、そしてボランティアの方々の力で存続しているんだそうです。

その1、(広河さんの講演より。)

その2(中ほどよりちょっと下あたりです。僕はこれを読んですぐに購読ボタンを。)

最後に、この雑誌に、毎号書かれているという言葉をご紹介します。


『人々の意志が戦争を止める日が必ず来る』
『一枚の写真が国家を動かすこともある』

 

お疲れ様でした。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

ではー。



コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )




くはぁー。

予期せぬPCのマッシーントラブルに見舞われております(これを書いてるマシンじゃなくて、仕事用のやつが、すっかりご機嫌、縦)。

予定では、9時には終わってるはずの作業だったのに。

これじゃ、おわらんじゃないかー。(←と、笑ってる場合じゃないんじゃないかー)。

ハイ。何とか解明します。かいめい・・・どってんかいめい、・・・くだらんなー

あ、そういえばもう冥王星は太陽系の惑星じゃなくなったんでしたね。なんか語呂が悪くなった気が、少々しなくもなくも。

 

---追記。---

うむ、直らぬー。原因は消去法でなんとなく解ってきましたが、今夜じたばたしても始まらなさそうなので、こういう時は、

 

\(゜ロ\)(/ロ゜)/わっほいわっほい、

 

と踊ってみる。

 

うむ、やはり・・・直らぬか。まぁそりゃそうだ(笑)。

 

パソコンも、もはやある前提で物事が進めちゃうから、無きゃやっぱり困るけど、自分で完全にメンテ出来るものでもないので、いざトラブルの時は焦りますよね(笑)。今日のトラブルはOS上(ソフト)のものでなくて、たぶん機械的(ハード)なものだから、なおさらです。

 

音楽業界は、どちらかと言えばまだマック派が多いです。僕も最初はマックでした。まぁ、その遥か昔、中学生のころはNECのPCー8800なんての使ってましたが。

 

まぁ、まずご存知無いでしょうね(笑)。まだ、画面にはアイコンとか無いし、手元にカーソルを動かすマウスすら無い時代です。

基本的に真っ暗なディスプレイに、BASICというプログラムする為の言語で英語みたいな文法のプログラムを一行ずつ書いて、動かすんです。本に載ってるのを一日がかりで丸写しで入力して、それで超単純なゲームとかがやっと動いたりね。一文字入力を間違う動きませんので、間違いを探す作業も、かなり涙目になります(笑)。

ちょっと勉強するとマシン語、とかになりますが、二進法で書かれたこれはもう、僕にはまるで機械の世界の呪文。まぁ、今でもコンピューターの基本は変わってないんでしょうけど、今では誰でも使えるような優しいインターフェースになってますから、こういうのは見ることもないでしょうね

パソコン歴は中学当時の2年間位で一旦お仕舞い。だって、今考えても、有りえない位難しいんだもの(笑)。

しばらく空いて、音楽製作の現場でもどんどんコンピューターを使う人が多くなってきた10年位前に、勢いで知り合いからマックを買いました。でも最初は電源の入れ方も解らず、ましてや、電源が落とせない、なんて状態でした(笑)。2年位して、ウインドウズに移行しました。流れに逆らって(←でも今は随分ウインドウズ派が増えましたよ)。こんどは最新型の新品。しかし、今考えると、やたら高かった。今ならあの位のマシンは、5分の1位で買えます。ウインドウズの良いところは、薄利多売ができるせいか、価格がお安いところですね(笑)。

しかしその最初のとある海外メーカー製のウインドウズマシンがクセモノで、音楽に使うのには不向きだったみたいで、物凄く苦労しました。でも、そのおかげで本当に色々と勉強になりましたけど。OSのインストールなんか、毎月二回くらいやってましたよ。いやー、何だったんだろ、あのマシンは(笑)。

今では、自作機といって、自分でパーツを選んでバラで買ってきて、自分で組み立てるタイプのものを二台使っています。自作すると、メーカー品を買うより全然安くできる上、必要に応じて新しいパーツが必要になっても、いつでもそれだけ交換すればいいので、結果的に長ーく使えます。ご自分では「自作?そんなん無理ー」でも、友達に一人くらい詳しい人がいたら、ラーメンおごるから、って頼めば結構喜んで作ってくれますよ(たぶん)。

あと、メーカーに「これこれ、こういうマシンでよろしくー」っていう、オーダーメイド方式のが一台ありますが、こちらは自作機に比べると、意外と安定してないんですよね。そのうち、改造しちゃいましょうか

しかしコンピューターの世界は、恐ろしいほど進化の速い世界です。2年も経つと、ハードもソフトも全然違うものになっていたりします。ここ数年のパソコンの進化は音楽業界をもガラリと変えました。高速インターネットの整備で、実際の現場では、とても助かっている一面もあります。ものの十数秒ほどで、相手に曲が送れるんですからね。えらいことです。でも、まだまだ過渡期。ずっと過渡期かもしれませんが、・・・いったい、どこまでいくのやら(笑)。

 

インターネットを使っているのは、世界の人口の10%だそうです。6~7億人。しかも、そのうち90%の人々は先進国に住んでいるそうです。僕も、その一人。

でも、世界の人口の70%の人々は、まだ電話さえ使ったこともないそうです。

情報を得ることは、様々なチャンスを得ることでもあります。でもそれを出来る人々と、いまだそれを出来る環境に無い人々。こういう格差をデジタル・ディバイドっていうんですが、今の世界で「情報」を最も必要としているのは、実は発展途上国の人々なんですよね。早くこの格差、どうになると良いんですが。

うーん、書いてるうちに、僕のパソコンのちょっとした不具合なんて、どうでも良くなってきました。・・・あ、いや、そんなことないな。やっぱり困るなぁ。うむー

ではー。



コメント ( 21 ) | Trackback ( 0 )




どうも昨日ブログを書いてから、そして皆さんが一生懸命書いてくれたコメントを読ませていただいて、また色々と頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え。ぐるぐるぐるぐる

なんです・・・が、まずは今日はお知らせをしなくては

清木場俊介くんのシングル「SAKURA」が発売になりました。僕も、ピアノとオルガンで参加させていただいた、とっても想い出深い一曲なんです。

この曲は、僕は録音するその日に初めて楽曲と譜面を貰ったんで、結局「せーの、どん」で録り始めるまで、まったくのノーリハーサルだったんです。フレーズをどうしよう、こうしようとかいう時間もなく、カウントが流れ出しました。そして、呼吸合わせも含め、数回演奏してみました。個人的にはまだ「どうしよっかなー」という段階だったのですが、俊くんが、3回目か4回目だったんですが、Aメロの唄いだしから、ビックリするくらいの情感で声を絞り出したんです。ヘッドフォンから聴こえてくるその声で、僕の「考え」は完全にストップしました。そこに、何も考えずに、乗るだけ。そして自分にだけ聴こえてくる音を、そのまま瞬間的に添えるだけ。ああいうのを無心というのでしょうね。

そして、録音がストップし、メンバーがそれぞれブースから出てきたとき、いつものように「今のテイクさー」というような会話は一切無く、誰も皆、無言でした。僕はすでに自分が何を弾いたのか、その時まったく覚えていませんでした。皆、黙ったままミキサー卓の周りに座ります。そしてアシスタントさんの「では、プレイバックします」という小さな声と共に流れ出てきたのが、今回CDになっている「SAKURA」です。

プレイバックが終わっても、しばらくの間、言葉を発する人はいませんでした。でも僕は、黙っていたのではなくて、・・・喋れなかったんです。プレイバックを聴いて、涙があんなにボロボロ出たのは、初めての経験でした。録りたての生々しい音、皆の一発入魂の集中度の強烈に高い演奏、そして凄いテンションで唄い切った俊くんの唄の素晴らしさは、いわずもがな。あれだけの曲を、頭から最後までスルーで唄って、OKテイクを決めてしまう人って・・・、ほんとそうそう居ないですよ

そして、今思えばですが、あの涙は、ああいう音楽の持つ、魔法みたいな、奇跡的な瞬間に参加できたという、感動の表れでもあったような気もしています。レコーディングドキュメンタリーで作られたこの曲のPVを見て思い出したんですが、あの時僕は、ピアノの譜面立てに、自分で撮ったサクラの写真を置いてたのを思い出しました(3月30日のブログで使った写真(D40買ったばかりで、嬉しくてプリントした写真を何枚か持って行ってたうちの一枚だったような(笑))。あと、前にライブの時にMPに貼っていた・・・あの夜の星空の写真かな。

・・・よろしかったら

今月の22日に、俊くんがゲスト出演するテレビ、「月刊MelodiX」( テレビ東京 3:20-4:14)があります。もしかしたら、後ろの方にチラッとだけ、餃子倶楽部の人間がいるかもです。ちょっと遅い時間ですが、こちらも、是非。

 

さて、と。うーむ。うむむ。(←10分経過)

 

書きたいことが重なってしまいました。もうひとつね、昨日の、言ってみれば続きを書きたかったんです。広河さんの撮られた写真で、そして僕が写真展で見たもので、特に強く印象に残った写真をネット上で探したら、何枚か、小さいですが見つけることができました。その写真を、ご紹介したかったんです。出来たら、知ってもらって、出来たら共有して欲しいなって思ったんです。でも一日のブログに両方書くにはあまりにも書くテンションが難しいので(読まれる方も、たぶん大変でしょうし。)、また次の機会にします。次の機会、とか言って、やっぱり明日書きたくなってしまうかも知れませんけど。

 

今月は、何だかやることが次から次へてんこ盛りで、本当に忙しい人に比べたら大して忙しくも無いくせに、やけに時間が無いような気がしてます。時間の使い方がヘタなんでしょう、きっと。なので、ゆっくり写真を撮りに(←と言っても、ブラブラするだけ)行けないので、信号待ちのクルマの窓から顔を出して、一枚。ハタから見たら、なんか盗撮してる人みたいですかね。実際、職務質問されたり捕まったら、ネタにしますね(笑)。

ではー。



コメント ( 19 ) | Trackback ( 0 )




 一昨日のライブの日。

事前に貰っていた当日タイムテーブル表で、リハーサルと本番の間が2時間ちょっと空いていることを知っていましたので、ある写真展を見に行こうと決めていました。

新宿まで、吉祥寺から快速電車に乗れば15分程度。駅すぐそばのコニカミノルタギャラリーで開かれていた、広河隆一さんというフォトジャーナリストの写真展、「人間の戦場40年」。広河さんのことは、チェルブノイリ原発事故の件で10年以上前から知っていましたが、今回の写真展のことは、ドラマー阿部さんのブログで知ったんです。

広河さんは、「人間の尊厳が冒されている場所」を「戦場」と定義して、いわゆる戦争、紛争地域だけでなく、さまざま、広義での「戦場」を写真に切り取って、僕達に静かに訴えかける短い文を添えておられました。

 

紛争、迫害、民族、政治、軍隊、嘘、放射能、隠蔽、家族、父親、母親、子供、病、死。

 

僕は、一枚一枚の写真を見、その文を読むたびに、「ふざけんな」、と声を上げたくなるような憤りと怒りで一杯になりましたが、それと同時に、・・・頭のある冷静な部分で「やっぱりな」という思いが写真の数だけどんどん噴き出して、身体中をずっとぐるぐる駆け巡ってました。

 

「くそっ、・・・やっぱり僕は何にも知らないんだな。」

 

焦りを感じました。

僕達の知らないところで、こんなにも悲惨なことが起きている。でも、広河さんのような一部の勇気あるジャーナリストが伝えてくれない限り、僕達はなかなかその「現実が存在する」ことにすら気付くことすら出来ないまま。自分から知ろうとしないかぎり、勝手に入ってくる情報ではないんです。野球やサッカーの勝ち負けや、どこそこにお洒落な高層ビルが建ちました、なんて情報とは違ってね。

僕達が日常接している主なメディアである新聞や雑誌、ラジオやテレビなんかは、実は大きな圧力下にある「報道商売」ですから(ちなみに、余談ですが・・・特に今は報道と宣伝の境が無いですよね。まぁテレビの民放なんかは少なくたって80~90%が何かの宣伝が絡んでいるような気がしてます)、その圧力をかけることのできる一部の「誰か」にとって都合の悪いことは、まず報道出来ない。握りつぶされるんですね。良識ある誰かが義憤にかられて、掴んだ「何か」を報道しても、「いやー、まずいよー、あれは」ってことになったら、それで終わり。「あの事件、そう言えばあの後、どうなったんだ?」って思うニュースって、覚えがありませんか?沢山ありますよね。報道すると、誰かが損をする、しなければ、その誰かが、得をする。じゃあその誰かって、・・・おわかりですよね。

本当の「報道の自由」なんて、無いんじゃないかな。あそこら辺には。

元をたどっていくと、僕はやはりあの大戦に考えが行き当たります。原爆、敗戦、東京裁判、戦後教育。そして、いつのまにか日本はアイデンティティを失っちゃったんだな、って思っちゃうんです。人と違う言葉をあげることを、怖いと思う国に。それどころか、知ることすら怖がる国に。知らないでいても、まぁ幸せだからいいんじゃない、って思うような、利己的な国に。

報道の自由どころか、じつは、言論の自由すら、保障されていないんじゃないでしょうか。「保障します」っていう場所に辿り着く前に、大抵は身近な所から反発をくらい、吊るし上げられて、コテンパンにされてしまうでしょう。それに打ち勝つ勇気は、並大抵ではないでしょう。

広河さんは、勇気と、ジャーナリストとしての誇りと、そして何よりもそれを見つようとするアイデンティティ、そしてそれをカタチにして人に伝えようとする実行力のある人なんですね。見に行って、本当によかった。とっても、勉強と、刺激になりました。しかもこの写真展は、無料で公開されてたんですよ。損得じゃないんですね。

そしてこれは、最近読んだ本で知ったのですが。

 

 

今の世界の人口は、約66億人です。

 

ではその内、現在戦時下にいる人々って、どのくらいいると思いますか?

 

 

ちょっと考えてみて下さいませんか。

 

 

100万人でしょうか、5000万人、いや、・・・1億人でしょうか。

 

いかがですか?何となく、想像できましたか?

 

 

 

・・・実は、

 

23億3000万人、いるんです(2005年のデータ。Armed Conflicts Report)。

 

そう、世界で3人に1人が、今戦争をしている国にいるんですよ。住んでいるですよ。そして勿論、そのほとんどは、一般民衆です。爆弾や銃の恐怖におびえ、自由の利かない暮らしの中で、毎日身の危険を感じながら、手に入らない仕事や食べ物のことに心を痛めながら、何かを守ろうと、生きているんですよね。

こんなこと、平和(ボ○)な今の日本に生まれた人間には、僕には、あなたには、どうでもよくて、知らなくてもいいことなんでしょうか。

でもじゃあ、一体何ができるのか、と良く聞きますが、・・・「知ることが出来る」んですよ。全てはそこからではないでしょうか。例えば温暖化問題だって、今は随分の人が知るようになりました。エコロジーを沢山の人が自然と考えるようになった。きっとあなたの身の回りでも、何かが変わりましたよね?こんなふうにね、

知ることは、必ず、意味があることなんですよ。

ではー。



コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )




ども。

昨夜はライブに来て頂いただけでなく、幾人かの方からはまたお手紙や、果てはクリスマスプレゼントなんかまで頂いちゃいまして、本当にありがとうございました。嬉しいです(^^ゞ。

枕元にサンタが来なくなって久しいですが(笑)、どうやら吉祥寺に来てくれたみたい(^.^)。

いや、勿論見にきてくれただけで、みんなサンタさんですよ(←勝手に白髪髭のおじーさんにするなって(笑))。

光浩さんがMCで「川村くんのブログ読んでる人は?」って訊いたとき、なんか沢山手が挙がってね、何だか不思議な気分でした。・・・動揺したのか、僕まで「はぃっ」って手を挙げちゃったじゃないですか(笑)。

さて、ライブの余韻をモグモグ噛み締めつつも、今日は次の来るべき日の為に、某スタジオにて録音作業なぞ。

明るい照明の下でするライブと違って、地道に積み上げていく作業ですが、新しいものが出来上がっていくのって、楽しいですよー。

\(゜ロ\)(/ロ゜)/わっほいわっ・・・同んなじかいっ(笑)。

 

---追記。---

「さて帰ろうか」という段階になって、クルマで送っていくことになった某○○○アーティスト君にね、「・・・ねぇ、もしかしてお腹減ってない?」と訊くと、「えぇ、減りましたねぇ」と言うので、「そうかー、じゃあちょっと何か食べて帰ろうか。」ということになり・・・

 

なり・・・

 

 

クルマがふと止まった横に・・・たまたま、あったのが(笑)。

 

はいでた、どん。・・・あーあ、まぁた夜中に。

でもなー、美味しいんだもんなー。でもさすがにご飯は、一杯にしときましたよ(←物凄く節約して食べた)。

彼を送って、一人で走った夜中の道は、昼間と違ってクルマが全然いなくて、とってもスイスイ、快適ドライブ。

僕の食道は、いつもスイスイ。餃子もきっと、今ごろ身体の中を快適ドライブ(笑)。

ではー。



コメント ( 25 ) | Trackback ( 0 )




あ、水をね。

ぷしゅは・・・今からさー(笑)。

いっやぁ、しかし楽しかったなー。田中一郎さんともセッション出来たんですが、最高でした。ギターもステージ上での突然の指示も(笑)。

今日はアンコール後にもずっと拍手が鳴っててね・・・。

よし、飲むかな。

\(゜ロ\)(/ロ゜)/わっほいわっほい。

 

---追記。---

はい、帰宅しました。

只今、四時半です。まぁ、こんなものでしょう。ってか、思ってたよりも早かったかも(笑)。

冬だしな、と先日買った厚手のシャツを来てステージに上がるも、なんとまぁ、暑いこと、暑いこと。曲の合間に飲むお水の、美味しいこと、美味しいこと。ライブには夏も冬も関係ないってことですね(笑)。

 

ライブハウス。

今では、例えば千人規模のところでも、オールスタンディングだと「ライブハウス」って呼ぶこともありますが、僕にとっての「ライブハウス」は、やっぱりこういう小屋。大きくても2~300人も入ったら満杯の、お客さんとほとんど目線の変わらない小屋。

初めてライブハウスに立ったのは、高校生の時でした。

・・・興奮したなぁ

当日は一丁前のミュージシャンになった気分で、お店の人に「おはようございまーす。」なんて、まだ慣れない業界独特の挨拶をしたりしながら、でも実は内心ドキドキで(笑)。これから自分が立つステージを「おぉ、とうとう、ライブハウスに!」って。

あれから二十数年立ちますが、今でも、なんだかライブハウスに入るときは、独特のドキドキ感があります。薄暗い照明、長年のタバコとお酒と、汚れたエアコンの空気なんかが混じった、据えたような匂い、初めて会う小屋のスタッフさん達。先に来ているメンバーの顔を見つけると、少し安心したりしてね。

ホールやアリーナとは違う、変な例えをすれば、まさに「逃げも隠れもできない」感じが、ライブハウス独特の距離感なんじゃないでしょうか。お客さんと、僕らだけの、物凄く密な、だからこそシビアな、空間。

楽器を置くスペースとの戦いから始まって、モニター環境も、音響も、照明も、とにかくシビア。リハーサルの時間だって、通常のコンサートの三分の一も取れません。

でも、だからこその、やりがいがあるんですね。はっきり言えば、実力が試されてしまうんです。如実に、露骨に、出ます。お客さんも、演奏者の顔色の、微妙な変化まで見えるでしょう。僕達も、お客さんがよく見えます。反応が、手に取るように分かります。

ライブハウスは、ある意味ごまかしが一切効かない、自分の存在を、ものすごくリアルなカタチで試される場所なんですよね。

そして、今日は楽しかったです。でも、だからと言って反省点がないわけではありません。「くそー!なんで、今日これが上手く弾けないんだっ」って、まさに弾きながらくやしい思いもしました。でも、一生懸命やりました。だから、楽しかったし、なんか上手い表現が見つかりませんが、そんなまだまだな自分が、楽しかった。

そう、まだまだ、やることは山積みです。二十数年前のあの頃と、僕の気持ちは、何にも変わってないです。でも、そんなことを気付かせてくれるのも、・・・原点である、ライブハウスなんですね。

 

終演後の楽屋にて。

これまた狭い楽屋の壁は、ステッカーと落書きで一杯です。もしかしたら「きたないなー」って思う方もいるかもしれませんが、・・・ライブハウスに行ったら、この空間にどっかと身を起き、これをつらつら眺めるのが、また楽しいんです。時には、僕もペンを持って・・・なんてことも

「あー、こんなバンド、いたなぁ」とか、「あ、あのバンドもここで演ったんだー」とか。時には「そうそう、このバンドの○○、憶えてる?ヤツとこの間たまたま会ってさ」なんてメンバーと話が広がることもあります

同じ楽屋を使い、同じステージに立った者同士の、共通の思い。お客さんに自分たちの演奏する音楽を楽しんでもらいたい、そして、一緒に楽しみたい、っていう目的でここへやって来た、沢山のミュージシャン達の、小さくて、大きい足跡。

 

ライブハウスって、ほんと、楽しい。音楽って、ほんと、楽しい。

入るときは緊張するけど、「おつかれさまでした!」って、帰るときは、ちょっと寂しい。

何度でも、いつでも戻ってきます。自分を、もっと磨きたいから。

 

今夜参加して下さった皆さん、応援してくださった皆さん、どうもありがとうございました。何度もしつこいようですが、今日はとっても、とっても、

 

・・・美味しかったです

 

・・・じゃないだろ(笑)、楽しかったです、だろ。

はいー(←絵文字も違うだろー)。

ではー。



コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )




どうも、川村ケンの健康ブログへようこそ。

近年、健康ブームですね。「健康の為なら死んでもいい」なんてブラックなジョークも聞かれるくらいですが、ほんとにそこら中にスポーツジムが出来てますし、テレビを点ければ、必ず健康食品や身体に良さげな飲み物のCMを見かけます。

メタボだかダメポ (´Д⊂ モウダメポ だか分りませんが(←分ってるくせに(笑))、いつの間にかコンビニでもファミレスでもカロリー表示は当たり前になりましたしね。

僕みたいな「好きなものを食べよう。もっと食うぞ。」な人間は、すぐに食べ過ぎだー食べすぎだーと言われるようになりました。なので、自分でも「そうかなー」って気になる時がありますが、こればっかりはなかなか是正されません。あんまり良くない法律みたいなものです。僕が怖いのは、メタボだとかより、・・・「糖尿病になるよ」、って言われることです。好きなもの食べられなくなりますからね。だから、今のうちに・・・あ~、堂々めぐり(笑)。

しかし日本は豊かで、ほんと幸せですよね。食べ過ぎが悩みなんてね(いや、僕は悩んでないですけど、よく耳にします)。太ってもいないのに、「いやー、実はここに肉が」なんて会話が当たりですけど、それを聞くと、昔相当ガッチリしたアメリカ人が「もっと太りたいんだよ。これじゃモテないよ」って嘆いてたのを思い出します。国によって美醜の感覚は違うものですが、日本人は今、ちょっと極端に痩せたがり過ぎですよね

ましてや、食事を抜くなんてもってのほかですよ。しっかり、適度に食べましょう

 

あ、はい、適度にね(笑)

 

写真は僕の朝ご飯です。コーンフレークですが、単品だと飽きるし、いくらなんでも栄養も偏るので、三種類くらい買ってきて、あらかじめ混ぜておいてます。今は、普通の平べったいフレークと、オールブランと、あと、フルーツの入ったのを混ぜてます。あとは牛乳かけるだけで、簡単、オイシー、ヘルシー。大抵は起きて顔洗ったらすぐ、どんなに遅くとも一時間以内には絶対に食べるようにしてます。

15年位前、朝ご飯を抜いていた時期があります。意味はなくて、めんどくさかっただけなんですが、皆さんは絶対にこれはやってはいけませんよ

食べないで仕事に行くと、その空きっ腹にコーヒーとか飲むでしょ。空きっ腹に刺激物、まず最悪です。で、不規則な仕事だから、日によってはそのまま5時間、6時間、何も食べないとかになっちゃう。

そんな生活をしてたらね、ある日、猛烈な胃痛と腹痛に襲われまして。もう尋常じゃない痛み。そして、トイレに(おおきいほうね)行くと、便器が真っ赤。そう、血○ってやつですよ。

当時の僕はそれの痛みを、お酒で散らそうとしたんですね。しかも、ウォッカ。ロシアの強ーいお酒です。でも、全然良くならないし、一晩、身体が引き裂かれるような痛みでもんどり打ちながら、一睡も出来ず。ほんと、泣きましたよ、いい大人が

翌日、休日だったので、一番近所の救急病院へ。でも、あいにく胃腸の専門の先生が居なくて、痛み止めだけもらってきたんです(とりあえず「お酒で散らすなんて、愚の骨頂」と叱られました)。でも、それもほとんど効かないくらいの痛みで、もう一晩、もんどりうって、ウンウンいってたんですね。

で、翌日、胃腸科に行って、看護婦(士)さんの前で○○○○に指はつっこまれるわ、バリウムみたい飲まされて、恥ずかしい格好で機械で看護婦さんの前で(←軽いトラウマ(笑))、貼り付けられてぐるぐる廻されるわ。そしてレントゲン取ってもらって、帰りに下剤と粉薬が手渡されたんですね。病名は「急性胃炎と急性大腸炎の併発」でした。

---あ、やべ(笑)。一旦アップします。

そうそう、そんでね(笑)。

その下剤を飲むと、やがてまたしても猛烈な痛みと共に(今度は違う種類のね。あの、お腹壊した時のやつです)、トイレとベッドを5分ごとに往復して。そして、その後確か二日間くらいは「何も食べてはいけません」な生活で、口に出来るのはポカリスエットだけ。あと例の粉薬。

そして、三日後、あの有り得ないような痛みは、嘘のようにどこかへ行きました。そして、病院で先生に言われたこと。

「あなたね、ご飯抜いて、コーヒーだの、お酒だのって、そりゃ身体が悲鳴をあげますよ。下剤は、まず身体の毒を全部出すためでした。そして、あの粉薬はただの胃腸膜の保護のお薬です。でも、治ったでしょ?これは身体が、勝手に治してくれたんですよ。私は何もしていない。今までね、あなたが、身体の役割を自分で邪魔して、痛めつけてたんです。」

そして、

「いいですか、まず朝ご飯、何でもいいですから、絶対に食べて下さい。寝てる間に空っぽになった身体に、ちゃんと身体を守るエネルギーを与えてあげてください。」

こういうことでした。

その日依頼、僕は朝ご飯を抜いたことは一度もないです。もうあの痛みは二度といやです。懲りました(笑)。

というわけで、とにかくまずは、のコーンフレークなんです。まぁ理想は、納豆と玉子と、あったかいご飯と、お味噌汁と、お魚とかね。でも、なかなかそうも行かなくて(笑)。

皆さんも、朝ご飯、しっかり食べてくださいね

さて、明日はいよいよ今年最後の光浩さんライブ。楽しみますよー。参加して下さる方、どうか気をつけていらしてくださいね。楽しみましょうね

しかし吉祥寺、久しぶりだなー。昔(学生時代)は月に一度はライブしに行ってたんですよ。よし、早めに行って、少し散歩でもしようかな

・・・そんだけ余裕もって、早く起きれたら、ですけど(笑)。

ではー。 



コメント ( 25 ) | Trackback ( 0 )




今日も寒いですねー。風邪やらインフルエンザが流行ってるようですが、皆さんもしっかり、うがらいしてくださいね。うがらい・・・うがい、手洗いの略ね(←言わないか(笑))。

リハーサルスタジオにも色々ありまして。

ビルが丸ごと全部スタジオ仕様になっていて、行くとテレビでしか見たことのないような人とエレベーターで一緒になったりしてビックリするようなところもありますし、小ぢんまりした、アットホームなところもあります。

光浩さんバンドでいつも使ってるところは後者なんですが、それにしても、スタジオの壁に「健康は人生で最高の宝です!!!」と張り紙がしてあるスタジオは、多分全国でもここだけでしょう。しかも、ビックリマーク3つです。

このスタジオは、とっても小柄な、人生の先輩に失礼を承知で言えば、可愛らしい雰囲気のご夫婦が経営なさってるんです。お歳の頃は、・・・ちゃんと伺ったことはありませんが、お二人とも65歳位じゃないでしょうか。いつも「おはようございます」「あ、今日は終了ですか?おつかれさまでした」と、ニコニコとご挨拶してくれて、僕みたいのにも、きちんと丁寧な敬語で話して下さってね。

僕達がリハーサルをしている時、お二人はいつも隣のレコーディングブース兼、事務所みたいな部屋にいらっしゃいます。そこは、僕らの爆音がずーっと丸聞こえ。「うるさくないのかなぁ・・・」とよく思うんですが、でも、お仕事ですから、逆に誰も居なくて静かだとそれはそれで困るんでしょうけれどね。たまに「コピー機お借りしたいんですが」なんて言いに行くと、お二人で仲良くご飯食べてたりね。「あ、どうどうぞ!」なんてご飯の入った口元を押さえながら慌てて対応してくれるわけですが、そんな一コマがリハーサルの合間にあるとね、実に微笑ましくて」、和んじゃうわけですよ。

詳しいことは知りませんが、なんでも旦那さんの方が、近年大きなご病気を患ったとかで。でも今はもうお元気なんですが、そんな経験があって、この張り紙なのかな、と

健康って、空気みたいで、無くなって始めてそのありがたみに気が付くじゃないですか。不摂生をすることの多い僕なぞが言うのもアレですが、やっぱり健康って、ありがたいですよね。そして、年々歳を重ねるごとに、きっとその思いは強く、大きくなっていくんものなんだろうなと思います。

 

僕は子供の頃、小児喘息を持っていました。当時住んでいた都内某区の公害認定を受けて「減感作療法」という治療をすることになり、これが3年間くらい毎週のように病院に通うという(しかも完治するかどうか、保証は無いですって言われてました)、とっても時間のかかる治療法だったんです。しかもそれをしてくれる病院まで、バスと電車を乗り継いで、片道一時間半。これが憂鬱でねぇ(笑)。木曜日になると、「あぁ、また病院の日かぁ・・・。イヤだなぁ。」って。

病院では毎回、お尻に注射をされて(←途中から恥ずかしくなって、腕にしてもらった(笑)。これで注射針に強くなったのかもなー。)、それから薬を貰って帰るんですが、この薬がまたクセモノでして。毎日朝晩、吸入器で吸い込まなきゃいけないんですが(テレビや映画なんかで見たことありませんか?)、この薬が、めちゃめちゃ苦いんです。しかも、うまくやらないと、咳き込んで、苦しいし。だから、健康な時は、サボるわけです。イヤなもんだから、ちょっと吸って、半分位捨てちゃう。それで「や、やったよー」なんて言って。その位、イヤでした。

でもね、なんと言っても一番辛いのは、・・・発作が起きたとき。起きちゃったとき

夜になっても、眠るどころか、横にもなれない。喘息は、身体を縦にしてる方が、幾分楽なんです。なので、朝までベッドの上に座って身体を二つ折りにしたまま過ごしたことも何度もあります。「ヒューッ、ヒュ-ッ」って、ミジメーな音を立てながら。止まれ、止まれ!って思うんですけど、アレって、精神的に焦ると、また良くないんですよ。緊張しちゃダメなのね。・・・でも、緊張しますよ。息、出来ないんですから。喘息は、息が吐けなくなるんです。吐けないから、吸えない。空気が吸えなけりゃ、酸素が足りなくなって、頭がクラクラしてきて、・・・酷い場合、死ぬこともあるわけです

それでも僕は幸い、認定ランク「S、A,B、C」で「Cランク」でしたから、軽い方だったんです。近所に住んでた友人で、Aランクの友達がいましたが、その子は発作が起きると毎回救急車でした。Sランクは、発作が起きたら、死ぬかもしれないランクです。

でもね、Cと言っても、本当に死ぬかと思うほど苦しいものでした。酷い時は、発作止めも全然効かないんです。呼吸が出来ない一分間の、なんと長いこと。一時間もしたら、もう変な汗でびっしょりになって、苦しさで顔が火照って真っ赤になります。勿論親も、色々と助けてくれましたよ。背中をさすってくれたりね。でも、「もう楽になったから、大丈夫。寝て。」って言って、でもまたすぐ発作が酷くなっちゃう事もしょっちゅうで。でも、自分でも「また発作が」なんて言うのイヤなんで(病気である自分を恥ずかしいと思うのですよね)、なんとか一人で解決しようとするんですが、そんな時、ベッドでヒューヒューピーピーと、まるでお湯の沸いたヤカンみたいな音を立てながら、「もう、息さえ吸えたら、なんでもするから、助けて」って、本気で思うんですね。「吸入器、サボらなきゃ良かった・・・。もうサボりませんから、助けて」とも。まったく、勝手なもんですが、その時は必死です。

そして、いつの間にか眠りに落ちて、朝になって発作がおさまってた時の喜しさと言ったら。

「息が吸える!普通に空気が吸える!」

まさに、天国です。空気が吸えるだけで、自分が悩みの全てが、全部解決したように感じるんですね。もう何でも出来るような気持ちになるんですね。息が吸えるだけ、それだけで、幸福感で一杯になるわけですよ、人間。

まーそんなこんなありましたが、お蔭様で、僕の喘息は、その後数年かかりましたが、治りました。

 

健康は、人生の宝。

 

普段、わかった様に口には出すことはありますが、実際、子供の頃の、あの発作明けの朝ほどありがたく思えたことは、もう何年も無いような気がします。「人間は慣れの動物だ」って言いますが、ちゃんとありがたいと思って、キープする努力をしないと・・・いかんなー。早食い、大食い、夜更かしなんかも、少し控えないとねー・・・(←ほんとかーできるかー?)。う、うーん。健康だからこそ、出来ることでもあって(←ほらね)。

 

 

スタジオのおじさんがサービスで淹れてくれるコーヒーです。確かにアメリカンでね(笑)、「ほんっと、薄いよね-」なんて言いながらも、・・・大人気で、すぐポットが空になります。こんな寒い日のスタジオで飲む、一杯の温かいコーヒー。本当にありがたいものです。

「リラックスしてど~~ぞ!!」

 

でも本当に健康で、ずっとこうして音楽を楽しめますように。・・・そして、皆さんもね

さて、今夜は冷えるから、お風呂にでも浸かろうかに。健康にも、よろしいはず

ではー。



コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )




光浩さんのリハ初日、無事に終えて帰り着きました。

今回は前回(11月22日)のライブから、そう時間も経っていないということもあって、モニターチェックで演った一発目から、呼吸ビッタシ、バッチリ

どんなアーティストにも言える事ですが、曲はライブで育つものだと思います。そして、その回を重ねるごとに、奥行きが出てくることが多いです。演奏はリハーサルでも上手になったり(ならなきゃなんの為のリハーサルだか、ですが(笑))、纏まってきたりはしますが、でもリハーサルで100回演奏するより、ライブでの1回の演奏の方が、曲が育つんですね。つまり、・・・ポイントはお客さんがそこに居るか、居ないか、なんですよ。メンバーの緊張感も違いますが、でもそれもお客さんあってのもの。ライブは、お客さんと作るものだとは僕も良く言ってますが、さらに、曲も、お客さんにも一緒になって、育ててもらうものなんですよね。これ、ほんとです

 

トップの写真は、光浩さんご愛用のギターのうちの一本。長年のファンの方々にとっても、光浩さんと言えば黒いギター、というイメージがあるのではないでしょうか。さすが芸歴三十数年を超えられたギタリストのギター、年季が入ってます。光浩さんには、ギターをテーマにした歌詞の曲が沢山あります。長年の相棒、歴戦の友、といった感じでしょうか。このギターで、他の誰とも違う、「斉藤光浩の音色」を聴かせてくれます

 

こちらは、ギタリストのトモ(西尾智浩)くんのギター。トモくんは色んなタイプのギターを持ってます。きっと好奇心が旺盛なのでしょうね、しょっちゅう違うギターを持っているのですが、「写真撮るなら、どれがいい?」と聞くと「えー、どれでもいいよ」というお答えでした。トモくんらしい(笑)。「俺が弾けば、俺のギターだぜぇ!」とか言いそうです(笑)。というわけで、僕が勝手に、このストラト(というモデルね)に決めました。

今日の写真の光浩さんのギターをレスポールと言いますが、それとこのストラトは、沢山の歴史を築いてきた、言ってみればエレキギターの双璧だと言えると思います(テレキャスは?SGは?・・・という話は今日は置いておいてくださいtoギターに詳しい方(笑))。

 

そしてこちら、ベーシスト、DAISUKEさんのベース。DAISUKEさんは、今日は2本のベースを持ってきていました。「撮るなら、どっちのベースが?」と訊きますと、「あ、こっち」と即答でした。きっとお気に入りの一本なのでしょう。DAISUKEさん、このグリーン(グリーンはいいですな、グリーンは(笑))のぶっとい音で、今日ブリブリブンブンと、実に安定した(←ほんっと、間違えない)素晴らしいプレイを聴かせてくれてました

僕は中学生の頃、初めて楽器屋さんに入った時に、「おぉ、エレキギターというのは弦が4本なのか!」と思いました。それ、ベースですからー、とはその時は誰もツッコミを入れてはくれず(←1人でしたからね(笑))、その後、友人の前でえらい恥をかきました(笑)。ベースというものの存在自体を、それまで知らなかったんですね。その後、ベースという楽器こそが、まさに音楽のベース(基礎)なのである、ってことが、よーっく解りました。

「ベースの音って、どの音だろう?全然聞き取れないよ」って方もいらっしゃるかと思いますが、その音楽をベース無しで聴いたら、ビックリするくらい変で、聴きづーらくなると思いますよ。大切な楽器なんです(←・・・学んだ(笑))。

 

前回のライブから参加のドラマー、ヤノケンこと(あるいは、ターミネーター、あるいは、紙コップ(←楽屋落ちですみません(笑)))こと、矢野顕太郎くんのスティックです。彼は、若干23歳とは思えぬパワフルなドラミングで、ほんの数分でスティックをボロボロにしてしまうようです。大きい、ってか、ガッシリしてるものー、身体が

ってか、僕が言うのもなんですが、彼は○○みたいに良く食べます(笑)。実は今日のリハーの帰り、トモくんと3人で、あの「生姜焼きとマヨキャベツと山盛りライスと半ラーメン」のお店に行ったんですよ。僕とヤノケンは、この満腹定食。トモくんは「そんなに食えるかー。」って、半ラーメンは無しで注文。で、冗談で「ヤノケン、その定食のライス、お代わりしたら、おごってあげるよ。」って言ったら、「マジすか?じゃ、お言葉に甘えて」って言って、先に出て来たライス(ご飯茶碗3杯分はある)を、パクパク食べ始めて、おかずが来る前にもう半分以上食べちゃった

で、生姜焼きも、半ラーメンも全部食べて、それから「ライス、お代わり下さい!あ、大盛りで」ってお代わりして(大盛りかよっ。あれは、お茶碗6杯分はあった)、それをラーメンのスープだけ飲みながら、ぺロッと平らげた。えぇ、おごりましたよ、・・・800円。ちくしょー(お代がじゃなくて、量の事でね(笑))、今度は僕も・・・、いやー、さすがに無理だろうなぁ。だって、39歳だもん(←だもん、じゃないっつーの(笑))。その調子で、ライブもひとつよろしくねー

 

で、初お目見えのMP8を加えた、僕のキーボードセット。上にもう一段ありますけど、毎度毎度で、もう見飽きたかと思い(笑)。赤いのはノード・エレクトロという、オルガンです。フロム、スウェーデン。軽くて、なかなかに使い勝手がよろしいのです。しかもこれは・・・あ、止めよう。長くなるので(笑)。

 

そしてこれは、昨夜の食事。

いやね、あれから野菜スティック食べたんですよ。きゅうりとニンジン。でもちょっと足りないなーって思って、納豆に長ネギたっぷり刻んで入れて、食べたんですよ。でも、ちょっと足りないなーって思って(笑)、でも夜中だしなー、と旬の野菜を摂ろう、と買っておいた白菜があったので、これをザクザク刻んで、コンソメと塩コショウと少々の中華スープで軽く煮たんです。ヘルシーだし、とっても暖まる、白菜スープですよ。お腹にも優しそうでしょ

・・・でも、なんでだろ。

なんかね、食べ始めたときには、この白菜の下に麺のようなモノが大量にあったのは・・・。アレは、気のせいだったのだろうか。なんか玉子と、わかめと、海苔も乗っていたような・・・。もしかして、あれは、白菜を載せた、いわゆるひとつのラー・・・(笑)。

い、いつの間にー。この手が、この手がっ。

あれっ、今日はバンド紹介のはずだったのに、いつの間にかなんで僕の夕食(夜食?)の紹介など?

この手が、この手がっ(笑)。

ではー。



コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )




おっとぉ。

気が付けば、今日が終わろうとしているじゃないですか

一日、速いですなぁ。

ついこないだ水曜日だったのに、また水曜日ですよ。で、また明日木曜日がきて、すんぐ来週の木曜日になるんですよね。・・・って、何言ってるんだか(笑)。

さて、浜松へ旅立ったMP9000の代わりに、やってまいりました、MP8。部屋に入ると、新しい楽器の匂いがします。あ、これはホントにするんですよ

機能は勿論、格段に進歩していますし、肝心の弾いてみた感じも悪くない。タッチも、押し込んだ感触も、鍵盤の戻りの速度も、だいぶ洗練されていて、いい感じ。音色も、元々の親ピアノが一緒ですから、ほぼ同じ音でも鳴ってくれます。

う-ん、欲しくなってきた。どうしよー

とはいえ、もしいつかこの子が家の子になっても、9000を手放したしたりすることは無いんですけどね。

楽器を手放すと、大抵後悔するんですよ。ずいぶん、ってかほとんど使ってなかったものでも。ましてや、あいつはねー

明日から、日曜日にある光浩さんライブの為のリハーサルに入ります。今回は、このMP8の初舞台。今日は随分触ってたんで、大分手に馴染んできたし、明日のリハーサルでの活躍が楽しみです。そしてこのまま、少なくとも年明けまでは一緒の予定です。どーなるか。どー鳴るか。それは・・・僕次第か(笑)。

あー、今日もまだ夜ご飯食べてないから、お腹減ったー。お風呂にも浸かりたいけど、そんな余裕もなさそうだなー。

とにかく、腹ごしらえからしますか。

何食べよー。何がいい?って人に訊くなよー(笑)

おわ、時間が(笑)。

ではー。



コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )




と思って行ってみな、食べてみな!

と言われてやってきました(笑)。

どれ~、熱いうちに・・・Ψ(´д`)Ψ

 

---追記。---

今日は夕方から打ち合わせがありまして、そのあと打ち合わせがありまして(笑)、毎度毎度で申し訳ありませんが、相当にお腹が減っていたわけです。

その二つ目の打ち合わせで会った、某多忙ギタリスト兼アレンジャー兼プロデューサーのK氏が、「そうそう」、と今日食べた洋食屋さんの話をするわけですよ。「近所にあるんだけどね、とにかく美味しいのよ。もう、ビックリするよー。メニューの名前からは、想像をはるかに超えた、もうそれはそれは世界に誇れる・・・」などと

「よ、よし、今から行きましょう。そこ。」

と言うと、

「えー、無理ー。だって、ケンちゃんが来るちょっと前に行って来たばかりだもん。まだ満腹で、モヤシの一本も入らないよ。」(←別にモヤシ一本、とは明言していませんでしたが(笑)。)

「なぁんだぁ・・・

すると、「あ、じゃあさ、あそこ知ってる?実はね、今日も最初がそこに食べに行こうと思ってたお店なんだけど。」と教えてくれたのが、本日のお店でした。「絶対に馬いから!だまされたと思って行ってみな!」と1秒あたり2万回も言うので、「ほぉ、じゃあ、是非寄って帰ります。」と、クルマを走らせました。家とはちょっとだけ方向違いでしたけど、あそこまで勧められて、行かずに帰れますかってんですよ。GO、GO(笑)。

某都内国道沿いにある、その小さなお店でした。「じゅうじゅう焼き」という、豚肉ともりもりキャベツを醤油&中華スープベースみたいなタレで、アツアツの鉄板で自分で混ぜて焼きながら食べる料理でした。ほんとに「じゅうじゅう!」言ってて、確かに美味しそう

K氏に、「ケンちゃんなら、そうだな、スタミナ・・・セットにしなよ。」と勧められてきたので、半ラーメン付きのセットに。先人から学ぶのです。あ、これは定食ですので、勿論、ライスもでついてます。写ってませんが、しっかりと丼で(笑)。

後から入ってきた隣の人が「味玉子付きで」と頼んでるのを聞いて、「あ・・・、僕のも生玉子入れてください」って言ったら、「スタミナセットは生玉子付いてるんですよ」と言われました。「あ、そーですか・・・」。

写真撮ってもいいですか?って聞いて、パシャパシャしてから食べ始めたら、若い男の店員さんが「お仕事、・・・カメラマンなんですか?」と訊いてきたので、「いえいえ、とんでもない、僕はただの、ウルトラマンなんです。」と答え

・・・るわけ無いじゃないですかー。あっはっはー(←満腹でゴキゲンか(笑))。

「ただ趣味で適当に撮ってるだけですよ。」と答えて、ご馳走様して帰ってきました。

お味?えぇ、K氏にだまされて良かったです。是非、また行きたいです。でも・・・次は、もうちょっと早い時間に(笑)。だって、夜11時に食べるにはボリュームが。まぁ、よくあることですし、全部食べましたれども、何か(笑)。

ではー。



コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )




仕事の待ち時間に、街に出ました。

あ、別に洒落じゃないですよ(笑)。

キラキラとデコレーションされた街並みは、もうすっかりクリスマス色一食といった感じ(・・・一色だってば。どんだけ食べたいねんっ(笑))。最近じゃ一年中キラキラさせている場所もそこら中にありますが、やっぱりイルミネーションは12月が良く似合うようです。「あぁ、今年もまた、この季節になったな」って。春の桜じゃないですが、もうこれも一つの風物詩ですよね。

いつも服を買うお店に行きました。といっても、そんなにしょっちゅう服を買う方ではないと思ってるんですが、その中では、数年前にたまたま見つけてからというもの、なんだかんだ一番よく買ってるお店です。衣装も、普段着も、だいたいここ。

今日は仕事用にパンツを一本買おうと思って行ったのですが、

うーん、いきなり飛び込んだ街のクリスマス気分にすっかり飲み込まれたのか、イルミネーションの眩しさにヤラれて頭がクラクラしてたのか、はたまた、このベルの音には、何か特殊な催眠効果があったのか・・・

つい余計に買い物をしてしまったー。うーむ、パーフェクトな衝動買い。何を買ったかは内緒にしときますが、どうも少なくとも合計4点ほどが、バッグに入れて渡された模様です。

僕はまず調子のいいセールストークには負けませんが(特に知っている店だけに、「またそんなこと言ってー。へへん、おだてたって買わないよー。」ってはねのけます。)。でも・・・自分から出た「うわー、これは欲しいな」という誘惑にはわりとすぐに負けるタイプです。ご存知のように、食べたければ食べる、です(←今は関係ない)。

買い物の仕方も人それぞれかと思いますが、僕は服に関してはそんなに悩まないので、入店→退出が(退出(笑)?)、めちゃめちゃ速い方だと思います。お店に入って、最初に手にしたものが「ビビビ」って気に入れば、他は一切見なくても買います。大丈夫です(←何が?)。

・・・あ、値札は見ますよ

そして時には、「ん、見間違いか?高いな」って、「嘘だと言ってくれ」という祈りを込めて、穴のあくほどしっかりと(笑)。

というわけで、予定をはるかに上回った買い物をしてしまったので、気分的には少々(↓)であり、しかしどちらかと言うと・・・(↑)でもあるという、まぁ皆さんにもきっと何度かはご経験のあることかと思いますが、そんな感じです(笑)。

あ、まだ誕生日松の内ってことで、自分へのプレゼントってことにしよう。

 

・・・とクリスマスプレゼントと、お年玉ってことに(笑)。

ではー。



コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )




すっごく書きたいことがあったんです。

モンゴルから帰ってきたあの横綱が、今日巡業先で見せたあの笑顔を見て。あのパフォーマンスを見て。それを観て喜ぶお客さんの顔を見て。

でも、なんだか書いてる内に妙に熱くなっちゃって(しかもすっごく長くなっちゃって(笑))、止めました。マニアックな内容になりかけてましたし(いや、なってたしー)。

 

前も書いたかもしれませんが、僕は、相撲ファンです。どうもふんどしが、いまひとつ似合わないので、自分では取りませんが(笑)。観る専門。

そして、あの横綱に関しては、随分前からあれこれ問題が言われてますが、僕はずっと肯定派という立場を取っています。

一部マスコミのね、横綱である彼に失礼きわまりない、どうしたって外国人であるという、彼の出自を無視した、まったく愛情のかけらも感じられない報道に対して、そしてモンゴルという国に対して、自らはなんの理解もしようとないくせに、「国技だから」といういまさらな大儀ばかりぶんぶん振り回して(しかも特に相撲を取らない人が)、日本の伝統だから、これが日本人の感覚だから、と、実は根底にある人種差別感情をあからさまに滲ませながら、もう無理やり押しつけ・・・あーっ、いっかーん。また書いてる。止めよう、繰り返しだー(笑)。

えー、まぁ、そんなわけで、とにかく彼が気持ちよく相撲を取れる環境に、早く戻りますように。しかし彼は、強いや。相撲だけじゃなくてね。まぁ、わがままで、失敗の多い人だけど、やっぱり頭抜けた魅力を感じます。横綱はヒーローであってもいいけど、ヒール(悪役)でも、十分いい。現相撲協会理事長の北の○さんだって・・・かつて、ヒールだった。本当に、まったくもって可愛げの無い、とにかく憎たらしい(彼の相撲が始まると「もういいや。どうせ北の○が勝つんだろ」って、お客さんが取組を見もしないでぞろぞろ帰っちゃう、ってくらい)、でも・・・とっても強い、素晴らしい、魅力的な横綱だった

応援してます、僕は。なんにしても今の低迷っぷり極まりない相撲界には、きっときっと必要な人だと思っていますから。

あー、まぁいいか(笑)。

ということで、時間も時間なので、昨日撮った写真なぞを載せまして、今日のところは

 

絵を沢山見ながら、あれこれ考えたり、感じたりした後、階を移動しようとしたその時、ふとエレベーターホールの窓から見えた景色です。「おー。」って、思わず声を上げてしまいましたら、他の観覧者の方も数人集まってきて「うわー、いいねー。」と。絵に慣れた目に飛び込んできた、木、人、そして太陽の光。空気感。素晴らしい絵も沢山ありましたが、・・・やっぱり自然って、凄いです。僕の写真じゃ、いまいちあの感動が伝わらない気がするのが、残念ですが(笑)。そりゃ、沢山の絵描きさんが、モチーフにするわけですよね。

 

他の周りの木みたいに、鮮やかでも、賑やかでもないけど、これも立派な紅葉。最後まで、がんばるぞ、って感じかな。でも、一人は、やっぱり少し寂いのかな。

 

あ、どうもこんにちわ

そして、さようなら。また来年ね

 

これは、今日です。ってか、さっきです(笑)。仕事先、都内某テレビスタジオにて。

とある音楽番組の収録のお仕事でした。明日もありますので、放送予定日などは、また近々まとめてお知らせしますね

さて、もうひとがむばりしますかなー

ではー。



コメント ( 20 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »