怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

香山リカ「おとなの男の心理学」

2013-02-02 07:58:01 | 
自分がそろそろ定年後を考える時期に来ているからだろうけど、身に沁みる本でした。

医療は「おとなの男性」を診て治すために作られたもの(医学の教科書に描かれている患者のイラストのほとんどは成人男性)なのに、「おとなの男性」に特化した精神医学はない。しかし、それは「おとなの男」特有の悩みがないということではなく、自殺も多く、うつ病も発症しやすい。
定年退職で仕事を失うと同時に自分らしさの中核=アイデンティティをなくしたような喪失感に襲われる人の例は枚挙にいとまがない。男性の場合、一度手にした肩書きや社会的評価が「自尊感情=プライド」に直結し、それが失われそうになると怒り、いらいら、傷つき、落ち込むといった反応を見せる。定年後に働き続けるためには定年前の地位や処遇にこだわらないことが必要です。
そう言われるとその通りなんですが、なかなかね~
渡辺淳一の小説にもあるように男性はいつまで恋愛をしたい、50代の男性に30代人妻が垂涎の的です。まあ、最高なんですが高嶺の花とあきらめているので渡辺さんの小説が売れるんでしょうけど。
若い頃は恋愛に興味を持つのは圧倒的に男性より女性のほうだったのにシニアではそれが逆転、「恋愛に醒めた女性」と「積極的な男性」となる。男性はいつまでも恋愛したい、もてたい。でもその相手は決して若い女性、ということではない。本当にもてたいのは、すぐそばにいる妻かもしれない。そのことに、男性も女性も気づき、それを男性は積極的に表現することが大切なのだが、その一歩はとても困難な一歩なのです。
夫の定年とともに離婚の相談が増えているが、妻は「自分の人生の完成はまだまだこれから」と考えているのに、夫は「自分の人生は既にほとんど完成した、あとはこれを維持するだけ」と考えている。夫と人間として対等に真剣に向かい合いたいと願っている妻と、妻を含め家族は養うものと考えている夫。定年となり夫婦二人の時間がやってくる頃になるとそれは深刻な亀裂になるのです。
老いを迎える男性は「中年期までの生き方を変えたくない、どう変えてよいかもわからない」という強い思いがあるみたいです。つまり女性以上に年をとることを恐れている!「老いの肯定」が難しいとともに、それを肯定できたとしても「いかに老い続けるか」というさらに難しい問いが待っている。
しかし、男性は仕事や生活の面では「変わりたくない、変わったらおしまい」とこだわっているのに、外見的な若さや美しさにはあまりこだわろうとしない。例外は髪の毛。リアップとバイアグラが持て囃されるのもむべないか。
若さを保とうと、どんなに自分にぴったり合う健康法や食生活を探しても、それで「永遠に若く健康」ということはありえない。どんなに健康な人でもいつかは病気になったり、体が衰えたりして生物としての終焉を迎える。「健康が損なわれるのを心配して、無理やり何かに励む」といったストレスから解放されている人が驚くべきパワーを発揮する例を医師としての著者は何度も見ている。「健康に一番悪いのは、病気になったらどうしよう、病気になってどうしようと不安や恐怖にかられること」という著者の確信は腹に落ちるものです。
定年が迫ってきて「輝くシニアライフ」を送りたいと思っている人は一読すべきでしょう。わが身を振り返って反省しきりですが、そうは言っても、なんだかな・・・


コメント
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