日本は中国には抜かれたとはいえGDPでは世界第3位。
堂々たる経済大国なのですが、バブル崩壊後は失われた20年を経て停滞感から抜け出していない。アベノミクスで異次元の金融緩和を行い成長戦略を唱えているが、笛吹けど踊らず。未だ金融政策の出口すら見えて来ない。
どこに問題があるのだろう。
アトキンソンの見立てによれば、それは日本の生産性が低いから。そこで生産性の指標としているのが一人当たりGDP。この本を読んでいて今一つ違和感があるのが、この1人当たりGDP=生産性ということなんですが、近似値としてはその通りなんでしょう。
この1人当たりGDPを国際比較してみると世界27位。すぐ後ろの韓国が迫っています。
国際比較するうえでは為替をどうとらえるのかで大きく変わりますが、ここでは購買力平価で比較しています。
これにはいろいろ言い訳があるかもしれませんが、一つは日本は人口構成が高齢化しているので労働者数の比率が小さいからということが考えられます。でも先進国の.労働者一人当たり生産性ランキングでも17位ですぐ後ろにはあのギリシァです。
日本人は高スキルで手先が器用、発想もユニーク、職人気質の仕事ぶりは世界に称賛されているはず。教育水準も高くて、国連の調査によっても労働人口に占める高スキル労働者の比率は世界一です。
しかし、一人当たりGDPは27位。潜在能力を活かしきれていないというのです。先進国のGDPランキングは人口ランキングに対応しており、先進国で人口が1億を超える国はアメリカだけ。世界第3位などというのは当たり前なのです。
日本は奇跡の高度成長を実現したのですが、それは人口ボーナスによってすべてがうまく回転したから。政策においても会社経営においても場面場面では判断を誤ったり失敗したことがあったかもしれないのですが、暫くじっとしていれば成長していく経済が問題を糊塗していき、うまく修復していくことができたのです。
しかし人口ボーナスはいつの間にか消滅しており、バブル崩壊の頃には人口は減少していく人口オーナスになっていきました。
しかしその期に及んでも高度成長期のような行動様式を変えることができなかったのです。従って不良債権でも何もせずにじっと我慢していればいつかは経済が好転していき処理できると思っていたし、責任を曖昧にしたまま組織体制を変えることもしませんでした。人口増加を前提にしたような販売促進なりイベントなりを繰り返し、計画性もなくマニュアル通りの融通の利かない商売を続けていたのです。
日本の生産が上がらなかったのは変化に対応できずに過去の成功体験から脱却できなかった経営の問題と言われると思わず「その通り」と叫びたくなります。
逆に言えば日本の生産性が低いということはまだまだ上げる余地があるということで、女性や高齢者を安い賃金で使うことを考えるのではなく必要な投資を行い生産を上げていくことを考えていかないといけない。安易に移民を呼び込み低賃金で生産性の低い労働に従事させるのであれば問題を先送りにするだけで巨額な移民の社会的コストを払うだけになる。よく成長戦略として規制緩和が言われるが、民間側に組織体制を変える気がないなら、生産性向上に結び付くのではなく、より安上がりに自由にやるだけの結果になってしまいます。雇用の規制緩和はまさにそのような結果になり人材派遣業は隆盛を極めても生産性は向上していません。
アトキンソンは実際に経験したことを含めていろいろ言っていますが、日本人には耳が痛いことが多く反発を感じることでしょうと断っています。外国人に日本のことがわかるかと幾度ともなく言われてきたのでしょう。まあ、ほんとに琴線に触れるような耳の痛いことがこれでもかと並べられていますけどね。
でも、まだまだ伸びしろのある1人当たりGDP=生産性を現在の約4万ドルからアメリカ並みの約5万8千ドル(購買力調整後では世界8位)にすればGDPは770兆円に。アベノミクスの600兆円を軽く超えます。日本の技術力、勤勉さ、高スキル労働者比率を勘案すれば、1990年には日本の一人当たりGDPは世界第10位だったので決して不可能な数字ではありません。
そのためには会社が時価総額を上げていくように政府が中心になってプレッシャーをかけていくべき、今は年金基金が大株主なのでその気になれば可能です。経営者の意識を変え「管理」ではなく本当の意味での「経営」を求めていけば、ありとあらゆるところでイノベーションが起こり生産性が向上していく。安い賃金で働かせることを考えるのではなく潜在能力を有効に活用して生産性を高め、それに見合った賃金を支払わなければ経営できないようにプレッシャーを与えていくのです。
国も地方も民間も生産性を向上させるような投資をしていけば失われた20年からの停滞を脱却することができる。
最後の章には具体的にどうすればということも縷々書いてありますが、政策的提言というのは分析に比べて「そうはうまくいかないんでは」となりがちですが、それはそれとして、ちょっと元気が出ますね。
堂々たる経済大国なのですが、バブル崩壊後は失われた20年を経て停滞感から抜け出していない。アベノミクスで異次元の金融緩和を行い成長戦略を唱えているが、笛吹けど踊らず。未だ金融政策の出口すら見えて来ない。
どこに問題があるのだろう。
アトキンソンの見立てによれば、それは日本の生産性が低いから。そこで生産性の指標としているのが一人当たりGDP。この本を読んでいて今一つ違和感があるのが、この1人当たりGDP=生産性ということなんですが、近似値としてはその通りなんでしょう。
この1人当たりGDPを国際比較してみると世界27位。すぐ後ろの韓国が迫っています。
国際比較するうえでは為替をどうとらえるのかで大きく変わりますが、ここでは購買力平価で比較しています。
これにはいろいろ言い訳があるかもしれませんが、一つは日本は人口構成が高齢化しているので労働者数の比率が小さいからということが考えられます。でも先進国の.労働者一人当たり生産性ランキングでも17位ですぐ後ろにはあのギリシァです。
日本人は高スキルで手先が器用、発想もユニーク、職人気質の仕事ぶりは世界に称賛されているはず。教育水準も高くて、国連の調査によっても労働人口に占める高スキル労働者の比率は世界一です。
しかし、一人当たりGDPは27位。潜在能力を活かしきれていないというのです。先進国のGDPランキングは人口ランキングに対応しており、先進国で人口が1億を超える国はアメリカだけ。世界第3位などというのは当たり前なのです。
日本は奇跡の高度成長を実現したのですが、それは人口ボーナスによってすべてがうまく回転したから。政策においても会社経営においても場面場面では判断を誤ったり失敗したことがあったかもしれないのですが、暫くじっとしていれば成長していく経済が問題を糊塗していき、うまく修復していくことができたのです。
しかし人口ボーナスはいつの間にか消滅しており、バブル崩壊の頃には人口は減少していく人口オーナスになっていきました。
しかしその期に及んでも高度成長期のような行動様式を変えることができなかったのです。従って不良債権でも何もせずにじっと我慢していればいつかは経済が好転していき処理できると思っていたし、責任を曖昧にしたまま組織体制を変えることもしませんでした。人口増加を前提にしたような販売促進なりイベントなりを繰り返し、計画性もなくマニュアル通りの融通の利かない商売を続けていたのです。
日本の生産が上がらなかったのは変化に対応できずに過去の成功体験から脱却できなかった経営の問題と言われると思わず「その通り」と叫びたくなります。
逆に言えば日本の生産性が低いということはまだまだ上げる余地があるということで、女性や高齢者を安い賃金で使うことを考えるのではなく必要な投資を行い生産を上げていくことを考えていかないといけない。安易に移民を呼び込み低賃金で生産性の低い労働に従事させるのであれば問題を先送りにするだけで巨額な移民の社会的コストを払うだけになる。よく成長戦略として規制緩和が言われるが、民間側に組織体制を変える気がないなら、生産性向上に結び付くのではなく、より安上がりに自由にやるだけの結果になってしまいます。雇用の規制緩和はまさにそのような結果になり人材派遣業は隆盛を極めても生産性は向上していません。
アトキンソンは実際に経験したことを含めていろいろ言っていますが、日本人には耳が痛いことが多く反発を感じることでしょうと断っています。外国人に日本のことがわかるかと幾度ともなく言われてきたのでしょう。まあ、ほんとに琴線に触れるような耳の痛いことがこれでもかと並べられていますけどね。
でも、まだまだ伸びしろのある1人当たりGDP=生産性を現在の約4万ドルからアメリカ並みの約5万8千ドル(購買力調整後では世界8位)にすればGDPは770兆円に。アベノミクスの600兆円を軽く超えます。日本の技術力、勤勉さ、高スキル労働者比率を勘案すれば、1990年には日本の一人当たりGDPは世界第10位だったので決して不可能な数字ではありません。
そのためには会社が時価総額を上げていくように政府が中心になってプレッシャーをかけていくべき、今は年金基金が大株主なのでその気になれば可能です。経営者の意識を変え「管理」ではなく本当の意味での「経営」を求めていけば、ありとあらゆるところでイノベーションが起こり生産性が向上していく。安い賃金で働かせることを考えるのではなく潜在能力を有効に活用して生産性を高め、それに見合った賃金を支払わなければ経営できないようにプレッシャーを与えていくのです。
国も地方も民間も生産性を向上させるような投資をしていけば失われた20年からの停滞を脱却することができる。
最後の章には具体的にどうすればということも縷々書いてありますが、政策的提言というのは分析に比べて「そうはうまくいかないんでは」となりがちですが、それはそれとして、ちょっと元気が出ますね。