怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

秋の関ケ原古戦場徘徊(更に続く)

2022-10-23 18:12:07 | Weblog
下りきると国道21号線で歩道橋を渡るのですが、見るとこれが旧中山道と重なり東海自然歩道になっています。

ここからは旧中山道を歩いて行きます。

暫く歩くと今度は不破の関の跡に。
関ケ原は壬申の乱の時の主戦場地でもあるのです。一応不破の関の場所と思われるところには案内表示が立っています。


でもさすがに昔過ぎてあまり知られていないのか関ケ原合戦の案内と比べると力が入っていない。
暫く歩くと福島正則陣跡に着くのですが、どうもこの辺りから家が立て込んできたこともあり案内が分かりにくくなって何度も地図を見て確かめながらになります。
陣跡には当時からあったと言う杉の巨樹が見事です。

福島正則陣は中山道を挟んで宇喜多秀家陣と対峙する位置です。ここからさらに山に登って行くと脇坂安治の陣跡があり、さらに登れば松尾山の小早川の陣跡です。小早川、脇坂らが西軍として戦うのなら福島正則、藤堂高虎、本多忠勝らの背後・側面をついて行くことが出来るので東軍総崩れで家康本陣まで迫られるという事態にもなったのではと夢想してしまいます。
この時点で14時過ぎとなり、力を振り絞って松尾山の小早川秀秋陣跡まで行くのも考えましたが、ここから山頂まで山道を片道2.6キロ、往復80分となっていたので無理はしないようにと言うか足が悲鳴をあげだしているので断念。
またの機会に取っておきます。

伊吹山がきれいに見えます。
後は町中を通って駅に戻るのですが、駅に着くと丁度列車が出た後。30分に1本なので、松尾山は無理にしても、もう少し歩いてみようと家康が最初の陣を敷いた桃配山まで歩いてみたのですが、車がビュンビュン通る21号を歩くこと15分ちょっと。
ところがあろうことか桃配山は、工事中では入れない。

それなら駅か観光案内所に表示してよ。この桃配山の謂れは壬申の乱の時に大海人皇子が陣を敷き部下に桃を配った故事から来ていることから(うろ覚えの不正確情報です)とか。行きたかったのに。
仕方なく途中のコンビニで買い出しして帰りの列車ではレモンチューハイでお疲れさん。

この日歩いたコースは地図にマーカーを打ちました。

関ケ原駅→古戦場記念館→決戦地→石田三成笹尾山陣跡→島津義弘陣跡小西行長陣跡→宇喜多秀家陣跡→大谷吉継墓地→大谷吉継陣跡→旧中山道→不破の関守跡→福島正則陣跡→関ケ原駅→桃配山→関ケ原駅

関ケ原の合戦だけでなく壬申の乱の史跡もあって、ちゃんと不破の関跡を中心にしたパンフもあります。でも南北朝時代の北畠顕家と高師直との決戦については一般にはほとんど知られていないこともあって何にもありませんでした。
この日の歩数としては3万5千歩余。西軍の陣跡は高低差があるので歩数以上に疲れたけど、秋晴れのいい天気で寒くもなく暑くもなくの老人閑居して徘徊する割にはいいウオーキングの日でした。東軍は平野部に展開しているので、足に自信がない人は東軍陣跡巡りをするといいと思います。高低差もあまりないので自転車で余裕で回ることが出来ます。
次回関ヶ原を歩く時があるのなら、古戦場記念館はスルーして、今回行けなかった桃配山と松尾山頂上(標高293メートル)を目指していきたいと思いますけど、どうなることやら。
コメント
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