怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

松浦晋也「母さん、ごめん。」

2021-08-12 07:11:45 | 
この本は「日経ビジネスオンライン」に連載されていたものをまとめたもの。当時はやたらと暇がある閑職についていて、毎日パソコンで新聞雑誌の記事をフォローしていたのでこの連載は毎回読んでいて、そろそろ認知症の気配の出てきた母もやがてはこうなるのかと思いつつ、こうならないことを願っていました。
ちなみに連載を本にして出版するに際して題名を連載の「介護敗戦記」のままで出版しようかとなったのですが、インパクトがある女性編集者の「母さん、ごめん。」にしようという意見が採用されたとか(うる覚えで間違っているかもしれません)

それから3~4年たって、まさに今、望まない現実、不都合な真実に向き合っています。
この本の著者の松浦さんは「惑星探査機はやぶさ」について講談社現代新書の本も書いている科学ジャーナリスト。50代独身、結婚歴なしで80代の母と一緒に暮らしている。別居しているこれまた独身の弟と結婚してロンドン在住の妹がいる。
最初に母の認知症の疑いを抱くことになったのは通帳がどこかへ行ったこと。その前から掃除を面倒くさがるようになり、片付けもできなくなった。食事も調理を面倒がるようになり、手抜きのものとなり、食べこぼしが目立つようになった。
う~ん、すべて私の母にも当てはまります。どうしてかわからないけれど、絶えずいろいろなものを移し替えていて、通帳も印鑑も健康保険証も年金手帳もどこへ行ったか分からなくなった時がある。探しまくって、これは大事なものだからこの引き出しにちゃんと入れておくようにと言っても、暫くすると場所が変わっていて、何処へ行ったか分からないと大騒ぎ。いろいろ探して通帳が出てきた時には頭にきて通帳を机にたたきつけてちゃんと所定のところへ仕舞っておけと怒鳴ったら、私の命の次に大事な通帳を何をすると怒るので、さらにブチ切れてそんな大事なものをなくすんなら命もついでにわかないどこかへ仕舞っとけと修羅場になったことも。
掃除も一人暮らしだから奇麗でやらなくてもいいとしようとしません。本人的にはごみが落ちているのを拾えば掃除してきれいになったと言うことみたいですが、埃は溜まりますし、床は喰いこぼしでべたべた。仕方ないから掃除機をかけ出すとやらなくてもいいと妨害までされるのでこれまたブ千切れそうになります。
松浦さんの場合は、通販でやたらと購入し、しかも定期毎月購入コースとなるので毎回返送しキャンセルの連絡をしと大変だったみたいです。幸いうちの母は通販などと言う高尚なものは手を出していないと言うかやり方を知らないので、キャンセルに苦労することはありませんが、高齢者の必要ないものの毎月定期購入の問題は結構あるみたいです。
あれやこれやで、これはやっぱり尋常ではないと言うことで医者に見せようとするのですが、説得に一苦労。結局覚えていないので無駄な説得はせずに行くことになっていると言って連れて行っているのですけど、これまたうちの母と一緒。前に言って納得したので予約してあるから行くと言うしかないみたいです。コロナワクチンの時も行きたくないといっていましたが弟と二人で予約してあるからと無理やり車に乗せて行きました。事前に言ってもなかなか納得しない。しぶしぶ承諾しても覚えていないし、その時納得してもいざ行く時にはそれも覚えていないので強行あるのみ。
松浦さん、科学ジャーナリストなのにちょっと意外だったのは、認知症の診断がおりても公的介護制度の利用に思い至らず介護認定を受けようとしなかったこと。そこまで来てもまだ介護に対して自分が頑張りさえすればという意識があったと言うことです。
結局母の転倒事故があり、弟からの「すべて抱え込んだらだめだ」というアドバイスもあって、地域包括支援センターへ相談に行き、介護認定を受けディサービスとかヘルパーを利用していくのですが、そこでもひと騒動。母が介護サービスを受けることになれるという関門が。
ディサービスに行くことになっても「イヤ、行かない」と即答。説明しても「必要ない、私は行かない」と取り付く島なし。ところが若い男性インストラクターが迎えに来ると外聞を気にするタイプなのか異性からやさしく誘導されたら、案外素直に出かけていく。つかの間の解放感を味わうのでした。
我が家も苦労して最初はディサービスとは言わないで給食会だのボランティアで手伝ってほしいと言われているのだのとごまかして連れ出したのだが、そのうち慣れてきたからか私はディサービスに行っているのかと言い出し、迎えが来ると素直に出かけるようになった。、自宅玄関まで迎えに来る職員に自分で断るパワーもないみたいです。
それからも介護サービスの利用に際しては苦労の連続だったみたいで、配食サービスは味が口に合わずに全敗。濃い目の味付けでないとだめみたい。
ヘルパーさんに生活介助をしてもらうのだが、「あなたは誰?何しに来たの」と警戒感顕わだったが、そこは向こうもプロ。うまく対応してくれて何とかなるものです。
母の衣服の入れ替えと下着をどうするかについては男の松浦さんはお手上げで妹が帰国した時にやってもらっている。これには私も同感。この点についてはかみさんに全面依存しかありません。新しい下着を買いに行くのもどこへ行って、どういうのを買うのか聞くのも躊躇われます。
とにかくケアマネさんを相談しつつ介護保険サービスを使いだして体制が整うのですが、暫くすると病状悪化で再構築が必要に。果てしない消耗戦なのですが、どこかで施設サービスに移行するしかない。松浦さんの場合は要介護1から一気に3へ昇格?し、なおかつ骨折やら失禁やらとドタバタ続きとなり、「死ねばいいのに」と言う独り言が止まらず、ついには母に手を挙げる事態にまで進展。
これはまずいと妹さんからの助言とケアマネが動くことによってひとまずショートスティに行き、施設探し。
結局家族的な雰囲気のグループホームに入所することになったのですが、そこに至るまでの様々な葛藤を読むと、我が家でも近い将来こういう事態になるのだとちょっと暗くなります。一応母は独り暮らしで今のところ何とか生活が成り立っているんですが、これが成り立たなくなったら母がどう言って拒んでも施設を考えるしかない。同居して面倒を見るなどとなれば松浦さんではないが手が出て、エスカレートすれば虐待になりかねません。
この本に触発されて書き出せば、まだまだ山ほどありますが、既に長い文章になっているので今日はこの辺でやめておきます。
ところで、最近日経ビジネスオンラインに後日談として松浦母子の最近の様子がアップされていました。このコロナ禍で面会もままならず、久し振りにグループホームに面会に行ったら息子の顔が分からなくなっていたとか。あんたはどちらさんと言って不機嫌そうだったと。松浦さんは覚悟していたとはいえかなりショックだったみたいですが、施設職員によるとどうも母は今や17,8歳ごろの少女時代を生きているとか。だから結婚もしていないし子どももいるわけない。肉体だけ80歳過ぎで戸惑っているのか。北村薫の「スキップ」の老人版ですね。
子育てと違い介護はどんどん状況が悪化するだけにストレスは大変なものです。
この本は男性視点の介護の奮闘記で、私にとって介護あるあるが満載。こんなこともあるのかと言う面とここまではまだ大丈夫と言う面とかあって、参考になるとともにちょっと気持ちが楽になりました。
認知症の母を持つ男性必読書ですね。

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