【観世流宗家・観世清和氏、東大寺別当・北河原公敬師らが講演】
第1回奈良古典芸能フェスティバル・シンポジウムが9日、奈良市の東大寺総合文化センターで開かれた。能や雅楽など日本の古典芸能の多くが古都奈良で生まれたことを踏まえ、日本文化の醍醐味を再発見し次世代につなぐのが狙い。昨年秋には同フェスの一環として能「安宅」や歌舞伎「橋弁慶」などの公演も行っており、将来は日本芸能を世界に発信する一大フェスティバルに育てたい考えだ。
2部構成で、第1部では古くから伝わる吉野水分神社の「御田植神事」と奈良市田原地区の「祭文語り~勝田新左衛門」が保存会のメンバーたちによって披露された。御田植神事は五穀豊穣を祈るもので、翁面を着けた田男が祝い詞を繰り返しながら農作業の手順を軽妙かつ厳粛に演じた。祭文語りは後の浪曲や三河万歳のルーツともいわれる。羽織袴姿の6人が左手にほら貝、右手に錫杖を持ってリズミカルな語りを披露した。
第2部ではまず能楽観世流26世宗家観世清和氏が「古典芸能を継承するということ」の演題で講演した。観世氏は東京芸大音楽学部邦楽科卒。「洋楽のレッスンは邦楽では稽古。稽古は〝古きをたずねる〟ということ。日本の伝統文化はまず形から入る」。観阿弥・世阿弥は奈良から京都に上り足利義満の庇護を受けるが、将軍が代わると後ろ盾を失う。世阿弥は佐渡に流刑になるが、観世氏は「佐渡には渡っていないのではないか。古里の奈良に戻ってきて奈良で没したのではないか」と話す。「能と聞いて『オー・ノー』と言わずに気楽に能楽堂に足を運んでほしい。そのために私たちも敷居を一生懸命、鉋(かんな)で削りますので」とも話していた。
続いて東大寺別当の北河原公敬師が「大仏さまと芸能」をテーマに講演した。東大寺がモチーフになった古典芸能に、能の「安宅」や「大仏供養」、歌舞伎の「勧進帳」がある。ただ弁慶の台詞などについて「全く事実と違うところもあることに注意してほしい」と強調。天平時代の大仏開眼供養会では「宮廷に伝わる歌舞に加え、ベトナムやタイなど海外から伝来した芸能も演じられた。まさに国際的な催しだった」。芸能を奉納し神仏を供養することを〝法楽(ほうらく)〟と呼ぶそうだ。以来、東大寺では大法要の際には必ず法楽を行ってきた。1980年の大仏殿の昭和大修理落慶法要では歌舞伎や京舞、琴・尺八の演奏、さだまさしコンサート、インドや韓国の古典舞踊などが5日間にわたって繰り広げられた。
2人の講演に続いて、市町村アカデミー学長の林省吾氏と能楽小鼓方大倉流16世宗家・大倉源次郎氏も加わって「奈良、芸能の生まれるところ」をテーマにパネルディスカッション。その中で林氏は「奈良を日本の伝統的文化の中心地とし、奈良に行けばいつでも鑑賞できるようになってほしい。それが関西活性化の起爆剤にもなる」と指摘。大倉氏も「小鼓は桜の木と馬(桜肉)の革でできている。だからウマが合う」と笑わせたうえで、「小鼓は昔、主に奈良・多武峰のそばで作られ全国に広がっていった。その小鼓が遠く石垣島にも1600年代に伝わっていた。もう一度、全国から奈良へ里帰り公演ができないだろうか」と話していた。