【冬のならまちナイトカルチャー】
奈良の花街、元林院は昭和初期200人を超える芸妓がいて、舞踊や三味線の芸を競っていたという。日本舞踊坂本流家元、坂本晴江さんはその元林院検番の専属師匠として長く指導し続けてきた。その舞を鑑賞する公演会「奈良の舞と奈良の唄」が、このほど「冬のならまちナイトカルチャー」(奈良市主催)の一環としてならまちセンターで開かれた。
出演したのは立方が舞妓の菊弥さん(写真上段㊧)と坂本社中の名取の方々。地方には新内節の人間国宝(重要無形文化財保持者)、鶴賀若狭掾(わかさのじょう)氏と社中の方々(写真下段㊧)が東京から駆けつけた。鶴賀氏は1938年生まれで、2000年に新内界の大名跡を襲名し、02年には新内協会理事長に就任。05年には邦楽界史上初という天皇皇后両陛下を前に天覧リサイタルを開催している。
菊弥さんは「地唄 大仏」で舞を披露。滋賀県出身で09年秋に舞妓としてデビューした。続いて「新作長唄 大和名物(扇供養より)」。さらに坂本晴江さんが作詞し、鶴賀若狭掾氏が作曲した新内「奈良めぐり」と「吉野静」が鶴賀氏自身の語りで披露された。最後は出演者全員による「新民謡 奈良ばやし」。観客の中には三味線に合わせくちずさむ人も多かった。「♪ほんに奈良なら奈良七重 七堂伽藍八重桜チョイトネ」