く~にゃん雑記帳

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<大和高田市> 「義経・与一・弁慶・静 合同サミット」を開催

2013年07月07日 | メモ

【ゆかりの全国8市町が結集、観光振興策を探る!】

 「義経・与一・弁慶・静 合同サミット」が6日、奈良県大和高田市のさざんかホールで開かれた。今回が8回目で、源義経、那須与一、武蔵坊弁慶、静御前にゆかりのある自治体が一堂に会して、地域が誇る歴史文化遺産を生かした観光のあり方を探るのが狙い。記念の講演・公演に続いて「伝統に由来する芸能と観光」をテーマに、全国8市町の代表者らによるサミット会議が行われた。

 大和高田市は静御前の母・磯禅師の生誕地といわれ、サミットには昨年初めてオブザーバーとして参加した。この他の参加市町は義経最期の地・岩手県平泉町、「勧進帳」の舞台・安宅の関がある石川県小松市、弁慶出生地といわれる和歌山県田辺市、能「船弁慶」ゆかりの兵庫県尼崎市、源平合戦の地・屋島があり那須与一ゆかりの香川県高松市、屋島の合戦に向け義経が軍船を集めた徳島県小松島市、義経が弁慶、静御前と共に逃れた奈良県吉野町。

 まず国学院大学講師・近藤好和さんが「義経・静の史実と伝承」と題して講演した。最初に古文書や吾妻鏡、義経記、平家物語などを基に義経の生涯を追ったが、「義経記などは信用できず、31年のうち確実な史料で裏付けられるのは5年分程度」とし、ジンギスカン説など多くの伝説が生まれたのもそのためという。静御前についても「鎌倉で頼朝や政子の前で舞ったのは史実だが、あとは伝承ばかり」。さらに「義経の正室・河越重頼女は義経が苦難の時にそばにいて、共に自害しており、義経にとって静御前より重要な女性だったのではないか」と指摘した。

   

 この後、記念公演として日本舞踊家で白拍子の伝承者・村山左近さんの舞、川村旭芳さんの琵琶などで「白拍子静の舞」、上原まりさんの琵琶の弾き語り「那須与一」(写真㊨)、花柳寿楽・楽彩さんによる「長唄橋弁慶」(写真㊧)があった。花柳寿楽さんは2009年に人間国宝だった祖父の名跡を継ぎ3代目を襲名した。この日は寿楽さんが弁慶役、楽彩さんが牛若丸役を勤めた。

 サミット会議ではまず参加各市町から地域おこしの取り組み状況が報告された。「源義経公東下り行列」の開催(平泉町)、「弁慶まつり」「田辺・弁慶映画祭」(田辺市)、「現代源平屋島合戦絵巻」(高松市)、「義経ドリームロード」(約10キロ)の整備(小松島市)……。小松市や尼崎市などからは小・中学生による「勧進帳」や能楽教室の開催など、子どもたちに伝統文化への関心と理解を深めてもらうための取り組みについても報告があった。

 国学院大の近藤さんは「弁慶と静御前は義経あってこその伝承。那須与一は後に伝承を持ち出して幕府にアピールすることで那須家の再興につながった」「伝承を大事にするということは人々の思いを大切にするということ」と指摘。宝塚時代に静御前役を演じたことがあるという上原まりさんは「当時の男性社会の中で女性はしなやかで、かつしたたかでもあったと思う」と話した。

 花柳寿楽さんはできるだけ題材の舞台になっている現場(例えば壇ノ浦など)に行って、そこで感じた実体験を基に演じることを心がけているという。また「文化・芸術は発信し続けないと届かない。ただ個の力では単発に終わってしまう。点から線、そして面へ広げていくことが大切で、サミットの開催もそこに意味があるのではないか」とも話していた。次回のサミットは来年、尼崎市で開く。

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