【3月の市文化財指定を機に公開】
奈良市埋蔵文化財調査センターで平成25年度夏季速報展「神功開宝鋳銭遺物と古代銭貨」(8月30日まで)が開かれている。神功開宝は和同開珎の10倍の価値を持つ銅銭で、平城京の一角から鋳銭過程が分かる遺物がまとまって出土した。古代の貨幣鋳造技術を知るうえでも極めて重要な資料として今年3月、一括して市文化財に指定された。
神功開宝は飛鳥時代から平安時代にかけて発行された銅銭「皇朝十二銭」の1つ。760年に和同開珎(初鋳708年)の10倍の価値を持つ万年通宝が発行されたが、その5年後の765年から万年通宝に代わる銅銭として鋳造が始まった。その鋳銭遺物が出土したのは奈良時代末の井戸跡から。銭笵(せんぱん)7個、鋳(い)放し銭3枚、鋳棹2個、坩堝(つるぼ)4個、鞴羽口(ふいごはぐち)4個、炉壁7個、銅滓付着瓦5個などの出土品が文化財に指定された。
坩堝は地金を溶解し、溶けた銅を鋳型の銭笵に流し込むための容器。銭笵は銭を取り出す際に割られていた。鋳放し銭は鋳型の傷などが原因で鋳バリが残った状態のもの。銅滓が付着した丸瓦は地金の溶解時に塵除け・風除けなどの目的で坩堝の上に置いたのではないかという。
古代の鋳銭遺物は国内最古の銅銭・富本銭の遺物が飛鳥池遺跡(奈良)で出土し、和同開珎の遺物は平城宮跡と平城京跡のほか長門鋳銭所跡(山口)、細工谷遺跡(大阪)で見つかっている。ただ神功開宝の鋳銭遺物の出土は平城京が国内で初めて。夏季速報展ではそれらの遺物のほかに、皇朝十二銭や無文銀銭、中国・唐の開元通宝なども展示している。
和同開珎の10倍の新銭、万年通宝と神功開宝の発行に伴って、760年代には貨幣価値が急激に下がって、米や小麦など諸物価が急騰したそうだ。その後、平安時代にも旧銭の10倍の新銭が次々に発行されたが、銅不足と鋳造経費の削減から小型化・粗悪化し、乾元大宝(初鋳958年)を最後に銭貨鋳造は廃止になった。