kenroのミニコミ

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風俗画/通俗画の読み方 『子供とカップルの美術史』(森 洋子 著 NHKブックス)

2005-05-23 | Weblog
筆者はブリューゲル/北方ルネサンス研究の第一人者。が、本書ではゴヤの子供の描き方にもスポットをあて、標題のごとく「子供」「カップル(夫婦も含む)」「親子」の描かれ方を中世から18世紀まで俯瞰してみせた。実は、北方ルネサンスからバロック、ロココ、新古典主義に至る西洋絵画にはキリスト教美術にこそ惹かれ、風俗画、通俗画にはそれほど興味をそそられないでいた。しかし、本書で自分のその浅はかさが露になってしまった。風俗画といえども、いや、そうであるからこそ、その時代を支配していた道徳心や価値観と無縁なわけがないのは当たり前。子供はこうあるべき、その子供を育てる大人はこうああるべき。反対にこうあってほしい、実際はこうではない、と。
筆者によれば、近世初期ヨーロッパ美術において子供が「発見」されたのは乳母から母乳保育へ、体罰教育への反省と無縁ではないという。あるいは、ルネッサンス美術で描かれる遊ぶ子供(同時に遊びを大人の仕事から模している「働く」子供)、17世紀オランダ美術に見る家庭生活における子供への道徳心の涵養。そして18世紀美術における教育の場に出現する子供とそれをとりまく大人への戒めなど。
どの時代もその当時の価値観すなわち宗教観、世界観と密接に関連した表象ではある。それらは本質的にキリスト教的価値観を内包していたとしても、親が子供を見る眼と、知識人が社会風俗や家庭を見る眼はそれほどずれなく、後世の人間が納得できる倫理意識と時代的「常識」を体現しているのだという指摘は説得力がある。
イスラムと違い一夫一婦制に厳格なキリスト教は、婚姻外恋愛に厳しいとともに(あるいは階級をまたげば寛容?)、マリア信仰故か堕落したカップル性(お金目当て、あるいは欲情の対象のみの不釣り合いなカップル=老婆と青年、老人と乙女など)にとても厳しい。が、実態としてこのような組み合わせがあったから道徳者は嘆いたのであろう。そしてそれを視覚化し、現世と後世の人間にそれを伝えたかったのではあるまいか。
筆者の説得力ある客観的証明、専門的知見に触れるために豊富な図版が採用されているが、如何せん、モノクロで小さい。ヨーロッパの数ある美術館の中で有名な宗教画などに埋もれてしまいがちなこれらの作品に、改めてスポットを当てる意味でも図版はカラーでもっと大きい方がよい。が、美術図書にありがちな大判、多色刷り満載の本書なら本文は真面目に読まないかもしれない。
貧しいが労働が身近にあり、働くことと距離のなかった子供の方が、絵画で表現された世界とはいえ近代以降の子供の姿(=遊びと労働の分離)より豊かに見えるのは筆者や私だけではないはずだ。
コメント
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