kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

罪ある人の罪なきおこない  サマリア

2005-06-03 | 映画
宮台真司は援交を「性的自己決定権」を獲得した少女たち、管理売春でないからOKと評価していた。が、最近の新聞対談「オウム10年」を振り返る中で「そう評価していたけど援交少女はリスカに走り、自分の見極めが甘かった」みたいな発言をしているのを読んで、詭弁の固まり(と宮台みたいな社会学者はそう見えてしまう)がちゃんと反省するのはいいことだなあと思うとともに、てめえ、あれだけ「性的自己決定権」というキーワードで少女らを煽ったのはなんだったのか?みたいな感じも受けた。
韓国の援助交際(=売春)状況が実際どれほどのものなのか知らないが、ヨーロッパ旅行のお金を貯めるため、自分を「パスミルダ(インドの娼婦、彼女と寝た男は仏教徒になるという)」になぞらえるチェヨンは少なからず壊れている。そのチェヨンが命を落とした後、見張り役で自分は寝なかったヨジンがチェヨンが死んだのは自分のせいで、もうお金を貯める必要はなくなったと過去の男たちと寝続ける姿もまた贖罪や、自己の生存確認などという言葉では言い表せない逸脱した世界ではある。しかし、宮台が言うように「援交」少女であるチェヨンもヨジンも自分の心にむけてリストカットをし続けていたのだという指摘は、逆に少女自身の性を、彼女らの思いを代弁しているわけではなく、その希少性を必要以上に持ち上げ買った男たちと同じ穴のムジナということにならないだろうか。
「悪い男」のキム・ギドク監督は、本作でも後味のよくはない、ある意味で現代韓国人の欲望と、その成就しない(するわけがない)やるせなさをドクマ的手法で丹念に描いて見せた。わかりやすい純愛もの、バイオレンスものが人気の「韓流」映画の中で現代のサマリアに寄り添える人は多くないかもしれない。
「イエスはサマリア人の女に答えて言った。『この水を飲む人は皆乾く。誰でも私が与える水は飲む人は、決して乾くことがなく、私が与える水は、その人の中で、永遠の命を与えるために沸き上がる水の泉となるのです』。サマリア人の女はイエスに言った。『私にその水をください。私が乾くことなく、またいつも水をここに汲みに来なくてもいいように』」(ヨハネ伝4-13節)
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