国立国際美術館で開催されているゴッホ展は、行き過ぎた献身を理由に伝道師の資格を剥奪された姿や、ゴーギャンとの生活の中で次第に心を病み、最後には自ら命を絶つと言う「狂気」に焦点をあてた紹介のされ方が多かったゴッホを「狂気の画家といった孤立したものとしてではなく、美術の歴史の一部として見直そおうとする試み」だ。したがって、ひまわりのような超有名作品がどんと中央に鎮座して後は習作ばかりという展示の仕方ではなく、オランダ時代、パリ時代、アルル、そしてサン・レミ療養所と時代を通してゴッホの作風がどのように変遷していったかわかりやすく展示してある。これを見ると、ゴッホは印象派はもちろん、スーラなどの点描、日本の浮世絵への傾倒、ドラクロアなどの宗教的寓意を含んだ作品の模写などスタイルをどんどん変遷させていることがわかる。そして、私たちがゴッホというすぐに思い浮かべる黄色を基調としたあの力強いタッチがアルル以降、亡くなるまでのわずかの間に花開いたということも。
バブルの時代に日本のある企業が「ひまわり」を58億円だったかで落札し、その後の日本企業の美術品漁りの先鞭となったのは有名だ。他の「バブル作品」が散逸する中で幸い「ひまわり」はまだ安田火災東郷青児美術館で見ることができる。ただし「ひまわり」もいいが、ゴッホのその生涯を俯瞰するなら本展のような試みが必要だ。何年か前に京都国立近代美術館だったか弟テオとのやりとりにスポットをあてた展覧会があり、おもしろいなと感じたのを覚えている。
本展はオランダはゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館からの出展だが、クレラー・ミュラーにはゴッホでなく、デュビュッフェの野外展示があり、それ目当てで行ったこともあって、ゴッホがこんなにたくさんあったとは覚えていなかった。金曜日は7時までの展示ということでたくさんの人出だったけれど、ヨーロッパの美術館のように週に一日だけでも9時までとか工夫できないものだろうか。
バブルの時代に日本のある企業が「ひまわり」を58億円だったかで落札し、その後の日本企業の美術品漁りの先鞭となったのは有名だ。他の「バブル作品」が散逸する中で幸い「ひまわり」はまだ安田火災東郷青児美術館で見ることができる。ただし「ひまわり」もいいが、ゴッホのその生涯を俯瞰するなら本展のような試みが必要だ。何年か前に京都国立近代美術館だったか弟テオとのやりとりにスポットをあてた展覧会があり、おもしろいなと感じたのを覚えている。
本展はオランダはゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館からの出展だが、クレラー・ミュラーにはゴッホでなく、デュビュッフェの野外展示があり、それ目当てで行ったこともあって、ゴッホがこんなにたくさんあったとは覚えていなかった。金曜日は7時までの展示ということでたくさんの人出だったけれど、ヨーロッパの美術館のように週に一日だけでも9時までとか工夫できないものだろうか。