kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

静謐な先進性  ギュスターブ・モロー展

2005-06-12 | 美術
印象派ばかりもてはやされるこの国で、同時代のモローが取り上げられたのをまず多と思う。同時代とはいえ、モローは写実主義のクールベよりサロンに出たのは遅く、印象派の主立った人たちより年長である。そして主題の古典性と同時に反逆性。キリスト教的主題よりギリシャ・ローマ神話に題材をとり、キリスト教主題をとりあげたと思ったらそれまで誰も描いたことのないヨハネの首の浮かぶ「出現」である。毀誉褒貶のはげしい画家との解説もあるが、最初から最後まで評価された画家など少ないし、それはそれで後世に名を残さない絶対条件かもしれない。
生涯独身、ヨーロッパ古典神話とキリスト教寓意画の研究の発表として画業をつむいだモローはかえって、画材や絵画技法の先進性に無頓着とも見える。しかし、アジアの線描技法に引き寄せられ、かつ、彼の描く題材の神秘性(ギリシャなど古典神話の題材は、人間臭い新約聖書の題材よりはるかにピクチャレスクであるのは当たり前)は驚くほどで、サロメの指差す空中に浮かぶヨハネの首や、モローの生涯の起点たる母親を描いたとされるキマイラなど、これが水彩、あるいは油彩かと見紛うほど精巧かつ不可思議極まりない。印象派の画家たちが題材的には風俗画など、今で言うコンテンポラリーアートを実践した割にはカンバスに油彩一本やり、とは距離をおいた制作態度ではある。
モロー美術館は、パリの一角ラ・ロシュフーコの閑静な住宅街にある。ヨーロッパの小さな美術館はわりとそうであるが、モローが遺言で美術館にと残しただけあってその全体の雰囲気の良さ、いい意味での頑さは抜群。本展のエピローグを飾る「購い主 キリスト」は日本に運べなかったため、より小さな代替作とあるが迫力は十分。ただし、モローの作品から奏でられる静謐な訴えは、モロー美術館のあの螺旋階段で感じた方がより雰囲気としてはふさわしいだろう。
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