ジェンダーバイアスの要素の強い言葉は使うことはないが「女は怖い」。「女は怖い」の裏側には男が我が世の人生とばかりいい目ばかりしている(風に見える)虚構がある。そう、従順、貞淑な妻は最近妊娠したばかり、美しい愛人もいて、仕事の上では着々とキャリアを積みつつあるエリート刑事キフンに破滅など、全てを失うことなどあり得なかったはずだ。
「女は怖い」というからには沢山の女性たちがいる。でも本作に出てくるのは3人だけだ。そのうちの一人が2月に24歳で亡くなったイ・ウンジュ。本作が遺作となったウンジュの演技はすばらしく、並々ならぬ意欲が見て取れたのにとても残念だ。ただ、ウンジュの自死の原因はわからないが本作でのヌードシーンなどに悩んでいたとも伝えられる。あそこまでベッドシーンに固執する必要もないと思うが、この作品では欲情のありのままを描く必要性からピョン・ヒョク監督は撮ったのかもしれない。けれどやはり残念だ。
映画の話に戻ろう。居心地の悪い作品、後味の悪い作品。今の韓流映画の主流はヨン様、ピョン様ら四天王とジウ姫ら人気俳優を前面に出したものでハッピーエンドだろうが悲劇だろうが後味は悪くない。本作もハン・ソッキュの魅力満開でソッキュのセクシャリティこそ魅力との解説もある(和久本みさ子「性的に成熟した男性ほど落ちる穴は深い」パンフレット)。居心地が悪いのは、結局誰も幸せにならないし、かといって韓国ドラマの本源たる恨(ハン)の回収もないからかもしれない。恨(ハン)の回収。そういえば近年の韓流映画にはそもそも恨(ハン)とは関係のない世界で恨が描かれることは少なかった。現在の386世代の監督らよりずっと年上の林権澤(イム・グォンテク)の描いてきたのは恨そのものであった。「西便制」を代表として最新作「酔画仙」も。そう、恨と関係がないなら、恨みの回収はどこへ行ったのだ?スカーレットレターとはアメリカ文学ナサニエル・ホーソーンの代表的な復讐劇「緋文字」のことだそうだ。監督は原作と関係なく題だけ借りたらしいが、ウンジュ演じるカヒやその他の女たちの言動は十分復讐的だ。享楽が大きければ大きいほどその代償も大きいという教訓的主題がかすむほど、あのような環境にあって堕ちない人間などいるのだろうか、男も女も。しかし、男は全てを失うと廃人にのようになるが、女はまた復活する。だから「女は怖い」のだ。
「女は怖い」というからには沢山の女性たちがいる。でも本作に出てくるのは3人だけだ。そのうちの一人が2月に24歳で亡くなったイ・ウンジュ。本作が遺作となったウンジュの演技はすばらしく、並々ならぬ意欲が見て取れたのにとても残念だ。ただ、ウンジュの自死の原因はわからないが本作でのヌードシーンなどに悩んでいたとも伝えられる。あそこまでベッドシーンに固執する必要もないと思うが、この作品では欲情のありのままを描く必要性からピョン・ヒョク監督は撮ったのかもしれない。けれどやはり残念だ。
映画の話に戻ろう。居心地の悪い作品、後味の悪い作品。今の韓流映画の主流はヨン様、ピョン様ら四天王とジウ姫ら人気俳優を前面に出したものでハッピーエンドだろうが悲劇だろうが後味は悪くない。本作もハン・ソッキュの魅力満開でソッキュのセクシャリティこそ魅力との解説もある(和久本みさ子「性的に成熟した男性ほど落ちる穴は深い」パンフレット)。居心地が悪いのは、結局誰も幸せにならないし、かといって韓国ドラマの本源たる恨(ハン)の回収もないからかもしれない。恨(ハン)の回収。そういえば近年の韓流映画にはそもそも恨(ハン)とは関係のない世界で恨が描かれることは少なかった。現在の386世代の監督らよりずっと年上の林権澤(イム・グォンテク)の描いてきたのは恨そのものであった。「西便制」を代表として最新作「酔画仙」も。そう、恨と関係がないなら、恨みの回収はどこへ行ったのだ?スカーレットレターとはアメリカ文学ナサニエル・ホーソーンの代表的な復讐劇「緋文字」のことだそうだ。監督は原作と関係なく題だけ借りたらしいが、ウンジュ演じるカヒやその他の女たちの言動は十分復讐的だ。享楽が大きければ大きいほどその代償も大きいという教訓的主題がかすむほど、あのような環境にあって堕ちない人間などいるのだろうか、男も女も。しかし、男は全てを失うと廃人にのようになるが、女はまた復活する。だから「女は怖い」のだ。