kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

戦争を知るということ  Little Birds イラク 戦火の家族たち

2005-06-05 | 映画
ずいぶん昔のことだが、その当時の職場の労働組合の斡旋で沖縄旅行に行った。オフシーズンだったが、戦跡巡りと嘉手納基地案内など実際見なければ経験し得ない貴重な体験をした。ただ、本土の捨て石として太平洋戦争期日本で最も激戦を経験し、辛酸な目に遭った沖縄の歴史(「皇軍」による住民虐殺、集団自決なども)を少しは知っていた自分にとって戦争責任の追及が前面に出ず、客観的な語りに重きをおくひめゆり資料館などはもの足らない気がしてもいた。また、戦争の悲惨さを伝える写真や遺物は広島や長崎の原爆資料館で十分見たことがあった。
ひめゆりやチビチリガマなどをまわって夜の懇親会で私の隣に座ったのはまだ20位の若い組合員。彼にその日の感想を聞いてみた。「全然知らなかった。あんなことがあっただなんて…」。ひめゆりの語り部の話や数々の写真、実際の戦跡などにいたく心動かされた様子で、「ああ、若い人が見聞して感じるだけでも、こんな旅行も意味があるな」と思ったし、若い人の感受性にこちらが感動してしまったことを覚えている。
イラク(アメリカ等による侵略)戦争開戦から2年以上が過ぎた。小泉首相は「自衛隊が行っているから非戦闘地域」という珍答をしていたが、イラク全土で戦闘や自爆テロルで毎日たくさんの人が亡くなっているのは事実。しかし、バクダッドはもちろん「安全な」サマワにも日本の主要メディアの報道陣はいない。アジアプレスに属する綿井健陽さんのようなフリージャーナリストだけが現地にとどまり、戦争の事実をイラクの人たちと同じ目線で伝えている。アメリカの爆撃で3人の子どもを一瞬にして失った男性、クラスター爆弾の破片が目に突き刺さった少女、同じく不発弾で右腕を吹き飛ばされた少年。
国際社会におけるフセインの圧政を追及したり、石油権益についてのアメリカの野望を解説してみせたり、あるいは「国際貢献」を語る日本の自衛隊派兵を論じるのは大事なことだ。が、戦争とは何なのか、どのような状態になるのか、誰が傷づくのか、どんな風に傷つくのか、戦火に生きる市民らは何を考え、どのように過ごしているのか。戦争の実態を知らなければ反戦もあるいは戦争擁護も、そしてその戦争の意味付けも語り得ないだろうし、語ったことにはならないだろう。
辺見傭はメディアは戦争の実態を隠さず伝えよ、ちぎれた腕、夥しい血、原型をとどめないほど破損された人の体など戦争の暴力とはどのようなものなのか伝えよ、と訴えていた(『いま、抗暴のときに』毎日新聞社)。そして家族を失い、自らの体が傷つき、家を失っても生き続ける巨大な暴力の前には無力な民の声を聞けと。その声を拾い集め、戦争とは無縁(と思っているが、イラクから見れば日本はもはや対戦国である)の日本やその他の国々に同時代の戦争を伝えるジャーナリストの責任を果たしているのが、本作「Little Birds」だ。
イラク戦争の正当性の議論などどこへやら、今や憲法「改正」ばかり論じている私たちこそ見た方がいい。アメリカこそ「悪魔」であることがわかるだろう。同時にイラク帰還兵の3分の一か4分の一はPTSDとも言われる。使い捨てられるアメリカ兵士にとってもアメリカは悪魔なのだ。
劇場には映像専門学校の若い生徒らがたくさん来ていた。授業の一環か、単位をやると言われて渋々来ていたのかわからないが、沖縄で私の隣に座った彼のように感受性を研ぎすませて見入っていたと思いたい。
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