kenroのミニコミ

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イタリア美術紀行1 最後の晩餐、スクロヴェーニ礼拝堂

2009-01-12 | 美術
ダ・ヴィンチ コードの人気以来かレオナルド・ダ・ヴィンチへの関心が高いように思う。訪れた「最後の晩餐」も他にも日本人の姿がまみえた。が、さすがに「スクロヴェーニ礼拝堂」には日本人の姿はなかった。
どちらも予約制で、拝観できる時間はわずか15分。もちろん撮影は禁止(You-Tubeに動画があるのは隠し撮りか)。いずれも見応え十分、Web予約、クレジットカードで払い込みまでして見に来た甲斐があったというもの。
まず、最後の晩餐。500年間の風雪に耐え、第2次世界大戦期には壁が爆撃され一部損傷したのは有名。この間、「未熟な」修復家たちの手によってダ・ヴィンチの描いたものとは違うものとなっており、近年それらが洗浄され、ダ・ヴィンチの筆が甦った。もちろん損傷は激しく鮮やかとは言い難いが、それでもダ・ヴィンチの豊かな筆さばきがわかる。イエスの表情をはじめ、イエスの言葉に驚き、議論をなし、無実を訴える使徒らの姿はとても生き生きとしている。そして、全体を俯瞰する完璧な構図。写真や映像ではない本物の感動というのがここにはある。
最後の晩餐はそれこそ、キリスト教絵画の中でも数多く描かれてきた題材であるが、ルネサンスの時代までイエスをはじめ聖人らには金環がかぶせられ、時には裏切り者のユダだけ金環をはずしたり、違う色合いにしたり、あるいはユダだけをテーブルのこちら側に配置し、誰がユダであるか分かりやすいように描かれてきた。しかし、ダ・ヴィンチはこの構図を破壊、金環をはずし、イエスから左右対称、使徒を3人ずつ配置するという大胆かつ劇的な描画に成功した。それを実体験するには現実に見るしかない。15分ではもちろん足りない。
そしてスクロヴェーニ礼拝堂。最後の晩餐より200年近くも遡るが保存状態がよく、その色あざやかさといったらない。ジョットについては昨年触れたが(プレルネサンスの至宝   ジョットとその遺産展    http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/e4d08824220dd3a698242520cffd5b82)、ジョットはおそらくルネサンスを控え、ゴシック様式の最高峰に位置するだろう。そして、ジョット派と弟子たち(ジョッテスキ)が、遠近法を取得し、ルネサンスの成功へと導いたことは明らかである。一般民衆が文字を読めなかった時代、キリスト教の教えを教会などの壁画にしたためたことは当然であるが、スクロヴェーニ礼拝堂の場合は、名前のとおりときの権力者エンリコ・スクロヴェーニがその権力を誇示するために建築した礼拝堂に当時の最高の画家ジョットを招いて描かせたものであり、逆に言えば、広く一般に公開などして保存に支障を来すことなく残されたことが幸いしたようだ。
マリアの父親ヨアキムから始まって(もっとも、マリアの母親アンナも「種なしヨアキム」のせいで「受胎告知」を受ける)、キリスト昇天まで順を追って見れば聖書の物語がよくわかり、かつ、もっと知りたくなる。一枚一枚の絵に1分もかけられないのが残念。しかし、重ねて言える。本物はすばらしいと。
(スクロヴェーニ礼拝堂 外観)
コメント
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