バレエのいいところは映画やテレビドラマなどの映像表現と違って、演じる人の年齢が登場人物の年齢に制約されないことである。舞台芸術というのはそういうものであるが、皮肉なことに舞台の感動をより感じたいと舞台近くに陣取れば、演じる人の容姿がより間近に感じ取られ、実年齢との差を感じ取ってしまうことになる。
本ツアー公演でクラシックバレエからの引退を宣言した草刈民代は、村娘ジゼルを演じるのには映画的に言えば年を取りすぎているが、そんなことは問題ではない(60歳を越えた森下洋子さんは現役である)。草刈はレニングラード国立バレエ団とは10年来の付き合いがあり、「白鳥の湖」でオデット/オディールを演じてきた。そして、今回のジゼルである。
バレエにはそれほど造詣がないが、ジゼルは登場人物も少なく、比較的分かりやすいので(要するに単純明快)、踊る人の容姿、技量を確かめやすい作品と思っていた。男性ダンサーのアルベルトも含め激しい舞いもなく、穏やかにたおやかに。だが、クラシックバレエを引退する草刈に技術的に演じやすいからという含みがあったとすれば(ないと思うが)、クラシックの有名作品のなかでは的確な選択である。
全盛期の草刈を知らないので大きなことは言えないが、跳躍力が少し弱いように思ったが、小柄な人が多い日本人バレリーナの中で西洋人とひけをとらない身長もある草刈は村娘ジゼルはよく似合う。
ところで草刈はレニングラード国立バレエ団への客演はすこぶる多く、ジゼル以外にも「レ・シルフィード」や「海賊」「白鳥の湖」などたいていの演目をこなしており、プロたるもの与えられた演目はどれも完璧にこなしてきた草刈の矜持(どこぞの首相が「矜持」を使いまくっていたがもちろん使用法の誤り)がまみえる。草刈と違い西洋人に比べて小柄で腕も短い吉田都は英国ロイヤルバレエ団のトップを守ってきたが、その吉田がインタビューで「踊るたび、後で、あそこは十分でなかった。今度はもっとよく踊ろうと思う」と語っていたのが思い出される。
それくらいプロというのは極めるべき頂点がない(到達しない)ものらしい。今回クラシックを引退する草刈とて同じだろう。草刈の公演は春まで続くが、その後の活躍を期待したい。
本ツアー公演でクラシックバレエからの引退を宣言した草刈民代は、村娘ジゼルを演じるのには映画的に言えば年を取りすぎているが、そんなことは問題ではない(60歳を越えた森下洋子さんは現役である)。草刈はレニングラード国立バレエ団とは10年来の付き合いがあり、「白鳥の湖」でオデット/オディールを演じてきた。そして、今回のジゼルである。
バレエにはそれほど造詣がないが、ジゼルは登場人物も少なく、比較的分かりやすいので(要するに単純明快)、踊る人の容姿、技量を確かめやすい作品と思っていた。男性ダンサーのアルベルトも含め激しい舞いもなく、穏やかにたおやかに。だが、クラシックバレエを引退する草刈に技術的に演じやすいからという含みがあったとすれば(ないと思うが)、クラシックの有名作品のなかでは的確な選択である。
全盛期の草刈を知らないので大きなことは言えないが、跳躍力が少し弱いように思ったが、小柄な人が多い日本人バレリーナの中で西洋人とひけをとらない身長もある草刈は村娘ジゼルはよく似合う。
ところで草刈はレニングラード国立バレエ団への客演はすこぶる多く、ジゼル以外にも「レ・シルフィード」や「海賊」「白鳥の湖」などたいていの演目をこなしており、プロたるもの与えられた演目はどれも完璧にこなしてきた草刈の矜持(どこぞの首相が「矜持」を使いまくっていたがもちろん使用法の誤り)がまみえる。草刈と違い西洋人に比べて小柄で腕も短い吉田都は英国ロイヤルバレエ団のトップを守ってきたが、その吉田がインタビューで「踊るたび、後で、あそこは十分でなかった。今度はもっとよく踊ろうと思う」と語っていたのが思い出される。
それくらいプロというのは極めるべき頂点がない(到達しない)ものらしい。今回クラシックを引退する草刈とて同じだろう。草刈の公演は春まで続くが、その後の活躍を期待したい。