今回の旅の大きな目的の一つはブリュッセル王立美術館をじっくり見て回ることだった。前回訪れたとき、トラブルでパリで一泊後早朝ブリュッセルに着いたこともあって疲れていてよく見られなかったことに悔いが残っていたからだ。それで今回は王立美術館だけのために1日まるまる取っていたのだが。
HPでよく調べていけば良かったと悔やまれるし、HPではそこまで詳しく載っていたなかったかもしれない。というのは美術館の約半分19世紀以降の提示室がすべて閉鎖中だったのだ。おかげで象徴主義のクノップフの代表作「愛撫」もダヴィッドの「マラーの死」も、アンソールもマグリットもデルヴォーもすべて見られなかった…。前回で覚えているのは美術館の近代部門は地下へ行くほど時代が新しくなり、最も深い地下8階であったかには着く頃には現代美術もカバーしており疲れていなければもっとゆっくり見たい、もう一度来るぞと思ったものだから特に残念。その際購入した図録をめくってみると近代彫刻や現代ドローイングも結構あったようでまたもう一度来るぞ(来られたら)。
しかし、古典美術部門は堪能できた。クラナッハやブリューゲルがこれでもかと作品が目白押し。特にブリューゲルのコレクションは他に類を見ず、一部屋まるご「反逆天使の墜落」や「ベツレヘムの戸籍調査」(西洋世界に「戸籍」などないので「人口調査」「住民調査」が正確なのだが)、「村の婚礼」などブリューゲルの作品が沢山でこれにはにんまりとした。そして当然ルーベンスやヨールダンスの大作もある。フランドル絵画コレクションとしては当代随一であろう。
時間が余ったこともあり、アール・ヌーヴォーの発祥の地、そしてアール・ヌーヴォーの父と称されるヴィクトール・オルタの家が残っているので訪れてみた。規模は小さいが階段の手すり一つをとっても曲線にこだわったオルタのしなやかな美とも言える巧緻が偲ばれる。
初めて訪れたルクセンブルクは小国ながら金融大国として知られ、街にも「金持ち」の雰囲気が漂っているように思える。国立歴史・美術博物館は思ったより広かったが、絵画などに見るべきものは少なく、むしろルクセンブルクの古代地層やそこから出土した陶器や遺物の展示が多かった。新市街からかなり低地にある旧市街の雰囲気はいかにもヨーロッパという感じで趣深かったが、何せ寒く石畳の地面もところどころ凍り付いたまま。夏にぶらりとしてみたいものだが、ルクセンブルクを再び訪れることなどあるだろうか。
寒かったベネルクスの旅も終わりである。
HPでよく調べていけば良かったと悔やまれるし、HPではそこまで詳しく載っていたなかったかもしれない。というのは美術館の約半分19世紀以降の提示室がすべて閉鎖中だったのだ。おかげで象徴主義のクノップフの代表作「愛撫」もダヴィッドの「マラーの死」も、アンソールもマグリットもデルヴォーもすべて見られなかった…。前回で覚えているのは美術館の近代部門は地下へ行くほど時代が新しくなり、最も深い地下8階であったかには着く頃には現代美術もカバーしており疲れていなければもっとゆっくり見たい、もう一度来るぞと思ったものだから特に残念。その際購入した図録をめくってみると近代彫刻や現代ドローイングも結構あったようでまたもう一度来るぞ(来られたら)。
しかし、古典美術部門は堪能できた。クラナッハやブリューゲルがこれでもかと作品が目白押し。特にブリューゲルのコレクションは他に類を見ず、一部屋まるご「反逆天使の墜落」や「ベツレヘムの戸籍調査」(西洋世界に「戸籍」などないので「人口調査」「住民調査」が正確なのだが)、「村の婚礼」などブリューゲルの作品が沢山でこれにはにんまりとした。そして当然ルーベンスやヨールダンスの大作もある。フランドル絵画コレクションとしては当代随一であろう。
時間が余ったこともあり、アール・ヌーヴォーの発祥の地、そしてアール・ヌーヴォーの父と称されるヴィクトール・オルタの家が残っているので訪れてみた。規模は小さいが階段の手すり一つをとっても曲線にこだわったオルタのしなやかな美とも言える巧緻が偲ばれる。
初めて訪れたルクセンブルクは小国ながら金融大国として知られ、街にも「金持ち」の雰囲気が漂っているように思える。国立歴史・美術博物館は思ったより広かったが、絵画などに見るべきものは少なく、むしろルクセンブルクの古代地層やそこから出土した陶器や遺物の展示が多かった。新市街からかなり低地にある旧市街の雰囲気はいかにもヨーロッパという感じで趣深かったが、何せ寒く石畳の地面もところどころ凍り付いたまま。夏にぶらりとしてみたいものだが、ルクセンブルクを再び訪れることなどあるだろうか。
寒かったベネルクスの旅も終わりである。
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