第1次、第2次と2度の大戦に従軍したドイツの画家オットー・ディックスは戦後「人間は忘れっぽい」と戦争を繰り返す愚かさを嘆いた。ディックスは第1次大戦後の街にあふれる傷痍軍人、娼婦、戦後成金などを描いて警世としたが、反戦思想を煽るとしてナチスは「退廃芸術」の烙印を押し、画家としては不遇であった。そして50歳を越えての再びの召集。ディックスの「戦争(祭壇画)」は戦間期に描かれたものものだが、その悲惨さと迫力はおよそ100年後の私たちに対しても鬼気迫るものがある。
ディックスの話ではない。「人間は忘れっぽい」ことがとても大きな問題なのだ。再選確実と言われる小池百合子東京都知事のことである。その人間の忘却癖に見事に乗っかり、自分がなした過去の行動、発言をパソコンのように全て上書きし、なかったことにする術に長けた稀代の嘘つき政治家。それが小池百合子の実像であることを明らかにしたのが本書である。しかし、著者の石井妙子さんは小池百合子を批判、論難するために上梓したのではないという。それはむしろ小池百合子を賞賛、無批判にヨイショしてきたメディアとそれに乗せられて選んできた有権者、そのような社会でいいのかという危惧に向けられている。
「犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは(精神病質者=サイコパスを)以下のように定義している。①良心が異常に欠如している ②他者に冷淡で共感しない ③慢性的に平然と嘘をつく ④行動に対する責任が全く取れない ⑤罪悪感が皆無 ⑥自尊心が過大で自己中心的 ⑦口が達者で表面は魅力的」(ウィキペディアより)
カイロ大学卒(本当は卒業していない)の英語もアラビア語も堪能な(同じく「堪能」には程遠い)、芦屋出身の裕福なご令嬢(芦屋に住んでいたことはあるが、父はホラ吹きで政界の鼻つまみ者にて破産を経験)で経済専門のニュースキャスター(専門でもないし、キャスターではなくアシスタント)など、小池の嘘は枚挙のいとまがない。しかし、メディアは本人の言を垂れ流し、検証することもなかった。それは小池が常に立ち回ったとてつもなく大きな権力志向に気づかず、彼女のイメージ戦略にまんまとひっかかったからだ。細川護熙の日本新党、小沢一郎の自由党、小泉純一郎、安倍晋三の自民党と所属政党をコロコロ変え、その度に自分が以前無理やり接近して持ち上げた党首を徹底的に批判、こき下ろす。それに幾度も快哉を叫んだメディア。都知事選に出た時は築地市場の豊洲移転を決めたオッサン政治=旧弊の象徴としての石原慎太郎を「退治」するとばかりに築地も豊洲も生かす、との公約で圧倒的な勝利を得た。しかし、知事になってからは築地のことには一切触れない。
万事がそうなのだ。小池が都知事選に出たときの公約は「7つのゼロ」である。待機児童ゼロ、残業ゼロ、満員電車ゼロ、ペット殺処分ゼロ、都道電柱ゼロ、介護離職ゼロ、多摩格差ゼロである。このうちペット殺処分ゼロは達成したかのように報道されているが、石井さんによると「老齢、病気持ち、障害のある犬猫は殺処分しても、殺処分とは見なさない、と環境省が方針を変更した」からであくまで後付けの理由に過ぎない。しかし、小池はそんな公約をしたことさえ無視する。築地も豊洲も生かすと言った舌の根も乾かぬうちに、自民党に擦り寄りたいためIRを推し進める二階俊博に擦り寄ろうと築地のテーマパーク化などともぶち上げる。現在コロナ禍でテレビに出てくるのを嬉々としている姿もこの延長にある。
小池のカイロ大学卒業疑惑はエジプト政府が「証明」宣言したことで決着したことになっているが、エジプトは軍事政権で日本からのODA額も凄まじい。小池の父勇二郎はカイロで散々「娘の百合子は議員になってエジプトの外交関係は全て百合子次第」旨吹聴していた大ボラ吹きで、それを利用しようとしたエジプト権力の思惑もある。であるから、小池のかつての交際相手の舛添要一が「まともな大学なら一大学生の卒業を声明するわけがない」と言ってももうメディアはそちらにはなびかないのである。
怖いのは、上記ロバート・D・ヘアのサイコパス規定に小池がすべて当てはまるのに、都知事再選はもちろんのこと、次期首相にとの声がメディアで流され、少なくない有権者もそれを望んでいることだ。月並みな言い方だが、権力者には権力そのものを愛するのではなく、有権者に誠実に向き合ってほしい。その正反対に位置するのが小池百合子で、本書はそれを明らかにした。都民は投票の前に本書を必ず読むべきだ。
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