まず、今回ティルマン・リーメンシュナイダーの作品を辿る旅となったきっかけの一つであり、膨大な量の彼の作品を網羅・整理し、たくさんの情報を提供してくださった福田緑氏に感謝したい。(福田さんのサイト「リーメンシュナイダーを歩く」も必見
http://www.geocities.jp/midfk4915/j_top.html)
今回の旅は、いつものようにヨーロッパの比較的都会の美術館を周るのではなく、リーメンシュナイダーの作品を安置する地方の美術館や教会を目指したため、レンタカーを借り自分で移動することにした。これが結構大変で、日本でもあまり運転しない自分が左ハンドルで右側通行することになろうとは。しかし左ハンドルは、違和感があったのは最初だけでそれほど苦ではなかったが、AT車を希望したため、予約していたレベルでの車の空きがなく(ドイツではミッション車が主流)、グレードアップしてくれたのが問題だった。スウェーデンはVOLVOにしてくれたのだが、これが大きい。背が低く、短足のわが身は日本でレンタカーを借りる時も比較的小さな車種にしているし、果たしてアクセルに足が届くだろうか…。なんとか席を前にずらして足は届いたのだが、車幅感覚が最後までつかめなかった。車の右側をぶつけそうになったことも何度か。しかし選んだ道、さあ、リーメンシュナイダー 祈りの彫刻に会いに行こう!
リーメンシュナイダーが市長まで務めたロマンチック街道の起点ヴュルツブルク。マリエンベルク要塞の一角がマインフランケン博物館となっており、ここにはリーメンシュナイダーだけの展示室がある。
80点もほどのリーメンシュナイダー作品に囲まれる至福は想像しがたいかもしれないが、一部屋すべてがただ一人の作品というのは、たとえばオルセーでドガの部屋があるとか、ロートレックの間があるとか、絵画の世界では普通だが、彫刻では珍しいのではないか。チューリッヒ美術館にはジャコメッティの部屋があるが、ここは中世彫刻、マリアをはじめキリスト教にかかわる作品ばかりである。しかも、後の時代に教会に寄進した貴族らの彫像といったものは一切なく、すべて聖人である。そして岩彫りもあるが、その多くは木彫、菩提樹である。木彫の美しさ、温かさ、清貧さといったらいいだろうか、その峻厳性はすぐれた木彫りの仏像多く持つ日本では理解されるだろうか。というのは、言うまでもなく西欧は石の文化。リーメンシュナイダーが活躍した15世紀末から16世紀初頭といえば、イタリアルネサンスの盛期が花開く直前、すでに彫刻は石が主流だったからだ。そして、日本では室町時代、戦国時代。どんな仏師や仏像も思い浮かばないところが悲しいが、少なくともリーメンシュナイダーに匹敵するほどの作品数とその崇高性を超える彫刻家がいたとは思えない。
改めてマインフランケン美術館の部屋に踏み出せば、正面にアダムとエヴァ像。その少年・少女性が感じられる若々しさと楽園を追われる前の好奇心と戸惑い、人類の起源を背負うにはあまりにも弱弱しい躯体に、後世の人類たるこちらの方から手を差し伸べたくなる脆さ。もっとも砂岩でできていて屋外にあったため浸食が激しかったものを今日マインフランケンに移設したというから、その脆き様相は表情ばかりのせいではないのかもしれない。けれど、リーメンシュナイダーがこの作品をもって認められ、ヴュルツブルクの市参事(市会議員みたいなものか?)後に市長に選ばれるのであるから記念碑的な先品には違いない。
マインフランケンのこの部屋にはアダムとエヴァ像以外にも惹きつけられる作品がたくさんある。一つひとつ紹介したいが、その能力がないのがまた悲しい。(続く)(アダム像とエヴァ像)
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