リーメンシュナイダーは「中世最後の彫刻家」と言われる(『リーメンシュナイダー 中世最後の彫刻家』高柳誠著)。なぜそう呼ばれるのであろうか。まず「中世」。ヨーロッパではルネサンス以前、15世紀頃までを指すが、日本では安土桃山と江戸時代を近世という呼び方をしており、中世というとえらく古い時代のように思える。もちろんヨーロッパでも中世は古い時代に違いないのであるが、ルネサンスの時代は同時に、マルティン・ルターにはじまる宗教改革、後にプロテスタントと呼ばれるキリスト教原理主義が勃興した時代であり、美術史的にはそれ以前の豪勢な教会建築・教会美術が廃れていく時代でもある。であるから、15世紀末から16世紀初頭に活躍したリーメンシュナイダーの仕事は大変貴重であり、彼の後に、キリスト教を主題とした重々しく、壮大な彫刻はあまり造られなかったという点でまさしく「中世の彫刻家」なのである。
ヴュルツブルクを出て、ローテンブルクに向かう途中で小さな街クレクリンゲンを訪れたのは、リーメンシュナイダーの傑作「聖母マリアの祭壇」に見えるためである。ヘルゴット教会は街自体も小さいのに、その市街地からさらに2キロほど離れたところにある。ただ、教会のそばにヨーロッパバスの停留所があり、訪れる人は訪れる場所であるらしい。雰囲気のある墓碑が立つ墓地を横目に教会に向かう。小さな建物の入口は空いていて、受付兼販売係の女性が、私たちの姿を見るとあわてて教会内に入り「ウエルカム」という。入口をくぐり、ああここで入場料を払うのだなと思い、財布を空け、振り返ると息を吞み、声をあげた。「これが…」。
教会は本当に小さい。信者が座り、跪く席は100もないのではないか。神父の説教席も立派ではない。しかし、教会の中央にそびえる祭壇は、祭壇が教会のためにあるのではなく、教会が祭壇を風雪から守るためにこしらえられたことが分かるようだ。この空間すべてが祭壇のためにあり、訪れる人はこの祭壇に最大限の敬意を払い、神聖な教会内部であるという以前に、この祭壇の前では一言も発してはならないのだ。「すばらしい」と心の中で小さくつぶやく以外には。
高さ9メートル20センチ、幅4メートルの菩提樹の祭壇は、世界中無数にある祭壇の中でも屈指の美しさと厳粛なたたずまいを備えているに違いない。もちろん他のすぐれた祭壇を知っているわけではないが、例えばヤン・ファン・エイクのゲント祭壇画は「聖母マリア」より60年ほど古いが、その色合いの素晴らしさに惹かれてしまうが、「聖母マリア」は木目そのままである。
「マリア祭壇」は、中央の昇天するマリア像とその下方に12使徒、上方の厨子は昇天したマリアと左右に神とキリストの「聖母戴冠」、左右の翼は左下に「受胎告知」、左上はマリアの「エリザベト訪問」、右上は「イエス誕生」、右下に「神殿参拝」。この祭壇でイエスの誕生以前から、昇天までマリアの物語の全てが語られている。マリアの悲嘆を示すキリスト磔刑や降架の図がないのは、この祭壇が「マリア祭壇」であって、イエスの祭壇ではないためだろう。
ブロックあるいは翼一つひとつの美しさに言及するのは筆者の力に余るし、また、陳腐なことばを重ねるくらいなら、この「マリア祭壇」全体に圧倒された余韻をできるだけ伝えた方がよいと思う。その細かな細工は言うに及ばず、マリアも、12使徒もきちんと彫り分けられた表情に出会うとき、ことばなどいらない。なぜこれほど厳かであるのか、生真面目ほど美しくあるのか。そして彼らはことばを発している以上にことばを超えているように思えるのか。
リーメンシュナイダーの塑像はすべて目を見開き、その目が多くを語っているように見える。それは、キリスト教が定着して1200年、強大な教会権力が腐敗していく中で、ルターらの宗教改革前夜、信仰に生きるとはイエスとマリアの物語以上でも以下でもなく、また信仰に生きた人に思いを馳せること(リーメンシュナイダーには聖人像作品も多い)、そしてきらびやかな、大金を集め贅を尽くした教会ではなく、地元の村の小さな教会で祈ることだけであったのではないか。
プロテスタントという枠組みが次第に生成していく中で、祈りの原点に戻れとカソリックの時代(もちろんカソリックという呼び名はないが)に「最後の」彫刻家として生きたリーメンシュナイダー。そのノミの跡は冷たく、そして温かく想像力を刺激してやまない。(聖母マリアの祭壇)
ヴュルツブルクを出て、ローテンブルクに向かう途中で小さな街クレクリンゲンを訪れたのは、リーメンシュナイダーの傑作「聖母マリアの祭壇」に見えるためである。ヘルゴット教会は街自体も小さいのに、その市街地からさらに2キロほど離れたところにある。ただ、教会のそばにヨーロッパバスの停留所があり、訪れる人は訪れる場所であるらしい。雰囲気のある墓碑が立つ墓地を横目に教会に向かう。小さな建物の入口は空いていて、受付兼販売係の女性が、私たちの姿を見るとあわてて教会内に入り「ウエルカム」という。入口をくぐり、ああここで入場料を払うのだなと思い、財布を空け、振り返ると息を吞み、声をあげた。「これが…」。
教会は本当に小さい。信者が座り、跪く席は100もないのではないか。神父の説教席も立派ではない。しかし、教会の中央にそびえる祭壇は、祭壇が教会のためにあるのではなく、教会が祭壇を風雪から守るためにこしらえられたことが分かるようだ。この空間すべてが祭壇のためにあり、訪れる人はこの祭壇に最大限の敬意を払い、神聖な教会内部であるという以前に、この祭壇の前では一言も発してはならないのだ。「すばらしい」と心の中で小さくつぶやく以外には。
高さ9メートル20センチ、幅4メートルの菩提樹の祭壇は、世界中無数にある祭壇の中でも屈指の美しさと厳粛なたたずまいを備えているに違いない。もちろん他のすぐれた祭壇を知っているわけではないが、例えばヤン・ファン・エイクのゲント祭壇画は「聖母マリア」より60年ほど古いが、その色合いの素晴らしさに惹かれてしまうが、「聖母マリア」は木目そのままである。
「マリア祭壇」は、中央の昇天するマリア像とその下方に12使徒、上方の厨子は昇天したマリアと左右に神とキリストの「聖母戴冠」、左右の翼は左下に「受胎告知」、左上はマリアの「エリザベト訪問」、右上は「イエス誕生」、右下に「神殿参拝」。この祭壇でイエスの誕生以前から、昇天までマリアの物語の全てが語られている。マリアの悲嘆を示すキリスト磔刑や降架の図がないのは、この祭壇が「マリア祭壇」であって、イエスの祭壇ではないためだろう。
ブロックあるいは翼一つひとつの美しさに言及するのは筆者の力に余るし、また、陳腐なことばを重ねるくらいなら、この「マリア祭壇」全体に圧倒された余韻をできるだけ伝えた方がよいと思う。その細かな細工は言うに及ばず、マリアも、12使徒もきちんと彫り分けられた表情に出会うとき、ことばなどいらない。なぜこれほど厳かであるのか、生真面目ほど美しくあるのか。そして彼らはことばを発している以上にことばを超えているように思えるのか。
リーメンシュナイダーの塑像はすべて目を見開き、その目が多くを語っているように見える。それは、キリスト教が定着して1200年、強大な教会権力が腐敗していく中で、ルターらの宗教改革前夜、信仰に生きるとはイエスとマリアの物語以上でも以下でもなく、また信仰に生きた人に思いを馳せること(リーメンシュナイダーには聖人像作品も多い)、そしてきらびやかな、大金を集め贅を尽くした教会ではなく、地元の村の小さな教会で祈ることだけであったのではないか。
プロテスタントという枠組みが次第に生成していく中で、祈りの原点に戻れとカソリックの時代(もちろんカソリックという呼び名はないが)に「最後の」彫刻家として生きたリーメンシュナイダー。そのノミの跡は冷たく、そして温かく想像力を刺激してやまない。(聖母マリアの祭壇)
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