世界遺産に登録されている大聖堂は数多く、中でも「○○地区(の景観)と大聖堂」みたいな大聖堂を含むものもあり、大聖堂単体で世界遺産となっているのはフランスでは、シャルトル、アミアン、ランス、ブールジュである。では、フランスではこれら世界遺産になっていない聖堂はどれくらいあるのだろうか。研究書には正確な数があるのかもしれないが、分からない。しかし北フランスやドイツ、ベルギーに点在する聖堂を見て回るという壮大な計画をたてたくなる。それがメスの大聖堂で再認識させられた。
いや、メスの大聖堂は高さこそなくシャルトルのような息をのむステンドグラスもないが、正面に大きな薔薇窓を擁し、高さのない分やや幅広の立派なゴシック様式の逸品である。13世紀に建設が構想され、16世紀初頭に完成したとあるが、当初地域に2つの聖堂が構想された。だからなのであろうか、大聖堂からほんの5分ほどのところにも規模は小さいが同じくゴシック様式の立派な聖堂がある。なぜこんな近いところにあるのかとの疑問が氷解した。しかし、聖堂の数はそうでも町全体がゴシックの漂う中世なのがメスの美しい所以である。
しかし、今回メスを訪れたのは中世目当てではない。コンテンポラリー、現代である。2010年5月パリのポンピドゥー・センターの分館として開館したポンピドゥー・センター・メスは、日本の坂茂設計で、帽子を思わせるその奇抜な外観のみならず、大胆な展示が度肝を抜く。坂の帽子からは外部を覗くように“眼”の部分があって、最上階の展望台になっている。そこからはメスの中世の町並みが一望でき、正面には大聖堂が鎮座する。帽子とはいえ、直径200メートル、再頂部の高さ50メートルはあろうかという巨大なものだ。巨大な現代作品を配するのに工夫がなされている。正面から入って迎えるのは常設の近代有名作品(とその拡大レプリカ)群。パブロ・ピカソ、フェルナン・レジェ、ロベール・ドローネー、サム・フランシス、ルイス.ネヴィルソン、フランク・ステラ…。いや、これらの前にまずYan Pei-Mingの巨大な墨色のドローイングが私たちを現代美術が必然的に持つ、現実問題への提起から逃げてはならないとも言うべき宿痾を直視させるのだ。
ちょうどしていた企画展はSimple Shapes.古今東西の人類の形態に対する想像と着想を近現代美術はどう表現してきたかを問うもの。そこでは単純とも思える形が実は深遠なもの、複雑と見えるフォルムが自然界ですでにあるものを人間が描こうとしたにすぎないこと、あるいは、見るカタチと考えるカタチ、思っているカタチと実際に見えているカタチの誤解や思い込みにも切り込む。
余計な部分を徹底的に削ぎ落し、いわば究極のフォルムを目指したブランクーシや「笑う」カタチを編み出したアルプ、海の定点観測に寄る静かな時間を流れを表現した杉本博司まで、筆者の好きな作家群も登場しご満悦。
ここにはポンピドゥーの飽くなき探求性、先進性がある。そして不思議と中世の街に舞い降りた帽子型の宇宙船が、その居としてメスを選んだのもふさわしく思える。もっとゆっくりしたいメスであった。街中のメス美術館も静か佇まいでオススメである。(「帽子」のポウピドゥー・メス)
いや、メスの大聖堂は高さこそなくシャルトルのような息をのむステンドグラスもないが、正面に大きな薔薇窓を擁し、高さのない分やや幅広の立派なゴシック様式の逸品である。13世紀に建設が構想され、16世紀初頭に完成したとあるが、当初地域に2つの聖堂が構想された。だからなのであろうか、大聖堂からほんの5分ほどのところにも規模は小さいが同じくゴシック様式の立派な聖堂がある。なぜこんな近いところにあるのかとの疑問が氷解した。しかし、聖堂の数はそうでも町全体がゴシックの漂う中世なのがメスの美しい所以である。
しかし、今回メスを訪れたのは中世目当てではない。コンテンポラリー、現代である。2010年5月パリのポンピドゥー・センターの分館として開館したポンピドゥー・センター・メスは、日本の坂茂設計で、帽子を思わせるその奇抜な外観のみならず、大胆な展示が度肝を抜く。坂の帽子からは外部を覗くように“眼”の部分があって、最上階の展望台になっている。そこからはメスの中世の町並みが一望でき、正面には大聖堂が鎮座する。帽子とはいえ、直径200メートル、再頂部の高さ50メートルはあろうかという巨大なものだ。巨大な現代作品を配するのに工夫がなされている。正面から入って迎えるのは常設の近代有名作品(とその拡大レプリカ)群。パブロ・ピカソ、フェルナン・レジェ、ロベール・ドローネー、サム・フランシス、ルイス.ネヴィルソン、フランク・ステラ…。いや、これらの前にまずYan Pei-Mingの巨大な墨色のドローイングが私たちを現代美術が必然的に持つ、現実問題への提起から逃げてはならないとも言うべき宿痾を直視させるのだ。
ちょうどしていた企画展はSimple Shapes.古今東西の人類の形態に対する想像と着想を近現代美術はどう表現してきたかを問うもの。そこでは単純とも思える形が実は深遠なもの、複雑と見えるフォルムが自然界ですでにあるものを人間が描こうとしたにすぎないこと、あるいは、見るカタチと考えるカタチ、思っているカタチと実際に見えているカタチの誤解や思い込みにも切り込む。
余計な部分を徹底的に削ぎ落し、いわば究極のフォルムを目指したブランクーシや「笑う」カタチを編み出したアルプ、海の定点観測に寄る静かな時間を流れを表現した杉本博司まで、筆者の好きな作家群も登場しご満悦。
ここにはポンピドゥーの飽くなき探求性、先進性がある。そして不思議と中世の街に舞い降りた帽子型の宇宙船が、その居としてメスを選んだのもふさわしく思える。もっとゆっくりしたいメスであった。街中のメス美術館も静か佇まいでオススメである。(「帽子」のポウピドゥー・メス)
ありがとうございます。
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