シェークスピア作品がバレエの演目になったのには「ロミオとジュリエット」、「真夏の夜の夢」そしてこの「じゃじゃ馬馴らし」がある。偉そうに言わせてもらうと、シェークスピアの喜劇は(ロミジュリは悲劇だが)、予定調和でありながら納得できる結末であり、かつ、教訓的である。納得できる結末と書いたが、あくまで17世紀初頭の価値観の範囲でという意味であり、現代的にはそぐわない面もあるが、それもふまえて古びていないところがシェークスピアの普遍的な価値と人気の証であると思う。
そのシェークスピア作品をバレエにするとすれば振り付けの妙味が問われる。そして今回のシュツットガルト・バレエ団は、ジョン・クランコの振り付けで「じゃじゃ馬馴らし」はお株中のお株である。クランコの振り付けは本当に変わっている。じゃじゃ馬のキャタリーナは、求婚者ペトルーチオに対してはもちろん、誰かれとなく悪態をつく。キャタリーナの妹、淑やかなビアンカに求婚する男たちも、頼りない体をさらすなどおよそ「男らしく」ない。しかし、酔っぱらいのペトルーチオがその大きな心と些細な物事に動じない度量を示し、キャタリーナの愛を克ちえて、また、ビアンカを射止めたルーセンショー、ビアンカを得られなかったけれども娼婦と真の愛に気づく求婚者たちの悲喜こもごも。で、これら筋立てをセリフのないバレエでどう演じるか。
「面白い」の一言に尽きる。キャタリーナのバレエらしからぬ動き。そのじゃじゃ馬ぶりは顎を突き出す、お尻を突き出す、大股で歩くなど品がない様で表現される。ペトルーチオとのパ・ドゥ・ドゥでは二人して座り込み、暴れ馬のキャタリーナを後ろから羽交い締めにする、背中合わせになってでんぐり返る…。そうもはやこれではパ(ステップ)ではない。そして、最初そのような破天荒な逸脱したダンスから、キャタリーナがペトルーチオに惹かれ、じゃじゃ馬ではなくなっていく中で、よりバレエらしくなっていくのが見所だ。最初、荒々しかったリストもやさしく持ち上げ、緩やかにおろすなど艶やかになっていくあたり、ダンサーとしては難しかろうが、見る者にとってはうれしい変化(へんげ)だ。もともと、変化に富んだ、通常ではない動きは、基本の技量が高くないとできない。それが見事に演じられており、また、主人公を盛り上げる道化者たちもファンキーな動きに磨きがかかっているようだ。
バレエについて浅薄な知識から言うと、振付家というのは、30代くらいまで現役のダンサーとして一線で活躍し、引退の年を考えたころになるものだと勝手に思っていたが、クランコはそうではない。23歳でもう現役を引き、以後振付家として物語バレエの一線を走り、名作「オネーギン」(関西での公演は聞いたことがないが、もちろん見たい!)と「じゃじゃ馬馴らし」はシュツットガルトの大いなる遺産となっている。クランコ自身、踊り手より作り手に興味があったと伝えられ、いかに制作するかの情熱は73年ニューヨーク公演からの帰路、飛行機の中で突然死した時まで続いた(享年43歳)。
思うに、「じゃじゃ馬馴らし」や「ドンキホーテ」のような動きの速いリフトが続く演目は体躯にすぐれたロシアやヨーロッパのダンサーの方が日本やアジアのダンサーより有利に見える。しかし、今回ビアンカを演じたのは韓国人ヒョ・ジュンカンで、じゃじゃ馬キャタリーナを演じたドイツ人のカーチャ・ヴュンシュとの対比もよく、リフトされる側はアジア系も合うのかもしれない。とにかく最後まで楽しめた2幕であった。
そのシェークスピア作品をバレエにするとすれば振り付けの妙味が問われる。そして今回のシュツットガルト・バレエ団は、ジョン・クランコの振り付けで「じゃじゃ馬馴らし」はお株中のお株である。クランコの振り付けは本当に変わっている。じゃじゃ馬のキャタリーナは、求婚者ペトルーチオに対してはもちろん、誰かれとなく悪態をつく。キャタリーナの妹、淑やかなビアンカに求婚する男たちも、頼りない体をさらすなどおよそ「男らしく」ない。しかし、酔っぱらいのペトルーチオがその大きな心と些細な物事に動じない度量を示し、キャタリーナの愛を克ちえて、また、ビアンカを射止めたルーセンショー、ビアンカを得られなかったけれども娼婦と真の愛に気づく求婚者たちの悲喜こもごも。で、これら筋立てをセリフのないバレエでどう演じるか。
「面白い」の一言に尽きる。キャタリーナのバレエらしからぬ動き。そのじゃじゃ馬ぶりは顎を突き出す、お尻を突き出す、大股で歩くなど品がない様で表現される。ペトルーチオとのパ・ドゥ・ドゥでは二人して座り込み、暴れ馬のキャタリーナを後ろから羽交い締めにする、背中合わせになってでんぐり返る…。そうもはやこれではパ(ステップ)ではない。そして、最初そのような破天荒な逸脱したダンスから、キャタリーナがペトルーチオに惹かれ、じゃじゃ馬ではなくなっていく中で、よりバレエらしくなっていくのが見所だ。最初、荒々しかったリストもやさしく持ち上げ、緩やかにおろすなど艶やかになっていくあたり、ダンサーとしては難しかろうが、見る者にとってはうれしい変化(へんげ)だ。もともと、変化に富んだ、通常ではない動きは、基本の技量が高くないとできない。それが見事に演じられており、また、主人公を盛り上げる道化者たちもファンキーな動きに磨きがかかっているようだ。
バレエについて浅薄な知識から言うと、振付家というのは、30代くらいまで現役のダンサーとして一線で活躍し、引退の年を考えたころになるものだと勝手に思っていたが、クランコはそうではない。23歳でもう現役を引き、以後振付家として物語バレエの一線を走り、名作「オネーギン」(関西での公演は聞いたことがないが、もちろん見たい!)と「じゃじゃ馬馴らし」はシュツットガルトの大いなる遺産となっている。クランコ自身、踊り手より作り手に興味があったと伝えられ、いかに制作するかの情熱は73年ニューヨーク公演からの帰路、飛行機の中で突然死した時まで続いた(享年43歳)。
思うに、「じゃじゃ馬馴らし」や「ドンキホーテ」のような動きの速いリフトが続く演目は体躯にすぐれたロシアやヨーロッパのダンサーの方が日本やアジアのダンサーより有利に見える。しかし、今回ビアンカを演じたのは韓国人ヒョ・ジュンカンで、じゃじゃ馬キャタリーナを演じたドイツ人のカーチャ・ヴュンシュとの対比もよく、リフトされる側はアジア系も合うのかもしれない。とにかく最後まで楽しめた2幕であった。
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