kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

初めて 「隠れキリシタン墓碑」 が発見されたクルス山 

2010年12月22日 | 大阪・滋賀・奈良 他
忍頂寺から下音羽に通じる道は、きれいに舗装がされた車が通れる広い道があるのですが
私達は、枯葉で敷き詰めたような小高い細い山道の 「キリシタン自然歩道」 を通りました。


画像は 「見山の郷」から「忍頂寺」までの帰り道 (キリシタン自然歩道の東側の道) です。

この道は二人が並んで通れるので広い方ですが・・・
キリシタン自然歩道と同じような道で、所々一人しか通れないような細い山道がありました。


ここが、初めて「隠れキリシタン墓碑」 が発見された 「千提寺地区 クルス山」 の入り口です。
畦道のようなところに、手作りの小さな標識がありました。

大正8年 (1919年) に、キリシタン研究家 藤波 大越氏によって、今の茨木市千提寺地区で
初めて隠しキリシタン遺物が発見され、今もクルス山には3基のキリシタン墓碑が祀られています。


この、先提寺地区 東 久嗣家 のキリシタン墓碑が、隠しキリシタン遺物発見の発端となる。
地元産の花崗岩を使用、舟型光背形

●表面上部に二支十字章、その下中央に 「上野マリヤ」 右に 「慶長八年」左に 「正月十日」
と割書きにして、字が彫られていました。


上部の「二支十字」は少し見えてますが、その他の文字は風化して見え難くなっていました。


その次に案内されたのは、「上野マリヤ」キリシタン墓碑からすぐ近くの
同じ先提寺地域 中谷 悟家のキリシタン墓碑でした。

地元産の花崗岩の割石を使用、従来仏教徒によって使用されてきた板碑の形式をとり
頭部は山形に作り、碑面は平調整し、基礎部に近く薄肉で蓮台を彫出する。

●左:碑面上部に大きく千十字を刻み、下右から「慶長6年 佐保カラゝ 四月一日」と割書き。
(良質の石材を使用で、保存状態は良好でした。)
●右:埋め込み分16cmを残して、少し掘り込んで碑面を作り上部には、他とは異なった十字で
十字の下にある3行の銘文は認められるが、現在ではほとんどが読めませんでした。

これで、下音羽地区で3基、千提寺地区の3基で、合計6基の隠れキリシタン墓碑に行きました。
次にご紹介したい「キリシタンの郷」は、教会だと分からない教会?の予定です。(^^ゞ

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~ 
花名 : クチベニスイセン       花言葉 : 詩人
1茎に1花しか咲かず、花の中心から突き出た副冠が花弁の3分の1より短く、副冠の縁が
赤いという特徴を持っています。ギリシャやイタリアなどに多く見られる種類です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする