アメリカで人種差別に対する抗議活動が続く中
カリフォルニア州の日本人経営の店に「爆破予告」・・・この記事はこちら
ーーー京都ぶらり 歴史探訪 よりーーー
銀閣寺には何度か行ってますが・・・観音殿の中は見たことがありません。
でも「京都ぶらり 歴史探訪」で見ることが出来たので書き留めておきます。
総門から、銀閣寺垣の参道を通り中門を潜ると
右側に「観音殿(かんのんでん)」があります。
観音殿の下層は書院造り、上層は禅宗仏伝造りの異なった2層は
現存する唯一の、室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築です。
下層の「心空殿(しんくうでん)」
「銀閣」の一層(一階)は心空殿とよばれ書院風の造りです。
千種地蔵菩薩像
心空殿には、千種地蔵菩薩像がお祀りされています。
上層の「潮音閣(ちょうおんかく)」
花頭窓を多く用いた禅宗仏殿造りです。
黄金の観音菩薩さまを安置した仏間。
この観音菩薩があることから、この建物は「観音殿」と呼ばれています。
漆黒の壁に黄金の「洞中観音菩薩」
周りの古木は洞窟を表し、その中で瞑想するお姿から
「洞中観音菩薩」さまと呼ばれています。
義政公が晩年、病気(脳出血)で体が不自由になり
観音菩薩をお祀りして、病気からの救済を願ったと言われています。
「銀閣」の鳳凰
この鳳凰は「銀閣」に祀られている観音菩薩さまを守っています。
この写真は、私が2015年11月に撮りました。(^^ゞ
銀閣寺と呼ばれた説には
●足利義満が建てた金閣寺に対し、孫の義政が手掛けたことから。
●観音殿の創建当時は、外側と内側も漆黒の漆が塗られていましたが
漆は日光に弱いことから劣化して、下地の白い部分が見えて来て
下地の白色が日光に反射して銀色に見えたという説もあります。
※銀閣寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
カリフォルニア州の日本人経営の店に「爆破予告」・・・この記事はこちら
ーーー京都ぶらり 歴史探訪 よりーーー
銀閣寺には何度か行ってますが・・・観音殿の中は見たことがありません。
でも「京都ぶらり 歴史探訪」で見ることが出来たので書き留めておきます。
総門から、銀閣寺垣の参道を通り中門を潜ると
右側に「観音殿(かんのんでん)」があります。
観音殿の下層は書院造り、上層は禅宗仏伝造りの異なった2層は
現存する唯一の、室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築です。
下層の「心空殿(しんくうでん)」
「銀閣」の一層(一階)は心空殿とよばれ書院風の造りです。
千種地蔵菩薩像
心空殿には、千種地蔵菩薩像がお祀りされています。
上層の「潮音閣(ちょうおんかく)」
花頭窓を多く用いた禅宗仏殿造りです。
黄金の観音菩薩さまを安置した仏間。
この観音菩薩があることから、この建物は「観音殿」と呼ばれています。
漆黒の壁に黄金の「洞中観音菩薩」
周りの古木は洞窟を表し、その中で瞑想するお姿から
「洞中観音菩薩」さまと呼ばれています。
義政公が晩年、病気(脳出血)で体が不自由になり
観音菩薩をお祀りして、病気からの救済を願ったと言われています。
「銀閣」の鳳凰
この鳳凰は「銀閣」に祀られている観音菩薩さまを守っています。
この写真は、私が2015年11月に撮りました。(^^ゞ
銀閣寺と呼ばれた説には
●足利義満が建てた金閣寺に対し、孫の義政が手掛けたことから。
●観音殿の創建当時は、外側と内側も漆黒の漆が塗られていましたが
漆は日光に弱いことから劣化して、下地の白い部分が見えて来て
下地の白色が日光に反射して銀色に見えたという説もあります。
※銀閣寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。