kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

初めて 「隠れキリシタン墓碑」 が発見された、千提寺地区 クルス山

2020年06月04日 | 回想日記
アイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業が今年予定されていますが、中国から商標「AINU」を出願 特許庁で審査待ち の記事は・・・こちら

いばらき観光ウォーク「隠れキリシタンの里コース」2010年12月19日(日)より

忍頂寺(にんちょうじ)から下音羽に通じる道は、きれいに舗装がされた車が通れる広い道があるのですが、私達は枯葉で敷き詰めたような小高い細い山道の 「キリシタン自然歩道」 を通りました。


「見山の郷」から「忍頂寺」までの帰り道 (キリシタン自然歩道の東側の道)

ここは二人が並んで通れる広い方ですが・・・キリシタン自然歩道と同じような道で
所々一人しか通れないような細い山道でした。

「千提寺地区 クルス山」 の入り口

初めて「隠れキリシタン墓碑」 が発見された 「クルス山」 の入り口には
畦道のようなところに、手作りの小さな標識がありました。

大正8年 (1919年) に、キリシタン研究家 藤波 大越氏によって
今の茨木市千提寺地区で、初めて隠しキリシタン遺物が発見され
今もクルス山には3基のキリシタン墓碑が祀られています。

先提寺地区 東 久嗣家 のキリシタン墓碑

この墓碑が、隠しキリシタン遺物発見の発端になりました。
地元産の花崗岩を使用、舟型光背形

●表面上部に二支十字章、その下中央に 「上野マリヤ」
  右に 「慶長八年」左に 「正月十日」と割書きにして字が彫られていました。


上部の「二支十字」は少し見えてますが
その他の文字は風化して見え難くなっていました。

先提寺地域 中谷 悟家のキリシタン墓碑

「上野マリヤ」キリシタン墓碑から、すぐ近くにあります。

地元産の花崗岩の割石を使用、従来仏教徒によって使用されてきた板碑の形式をとり、頭部は山形に作り碑面は平調整し、基礎部に近く薄肉で蓮台を彫出する。

●左:碑面上部に大きく千十字を刻み
  下右から「慶長6年 佐保カラゝ 四月一日」と割書き。
  (良質の石材を使用で、保存状態は良好でした。)
●右:埋め込み分16cmを残して、少し掘り込んで碑面を作り
  上部には、他とは異なった十字で、十字の下にある3行の銘文は
  認められるが、現在ではほとんどが読めませんでした。

下音羽地区で3基、千提寺地区の3基で、合計6基の隠れキリシタン墓碑でした。
コメント (2)
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