アイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業が今年予定されていますが、中国から商標「AINU」を出願 特許庁で審査待ち の記事は・・・こちら
いばらき観光ウォーク「隠れキリシタンの里コース」2010年12月19日(日)より
忍頂寺(にんちょうじ)から下音羽に通じる道は、きれいに舗装がされた車が通れる広い道があるのですが、私達は枯葉で敷き詰めたような小高い細い山道の 「キリシタン自然歩道」 を通りました。
「見山の郷」から「忍頂寺」までの帰り道 (キリシタン自然歩道の東側の道)
ここは二人が並んで通れる広い方ですが・・・キリシタン自然歩道と同じような道で
所々一人しか通れないような細い山道でした。
「千提寺地区 クルス山」 の入り口
初めて「隠れキリシタン墓碑」 が発見された 「クルス山」 の入り口には
畦道のようなところに、手作りの小さな標識がありました。
大正8年 (1919年) に、キリシタン研究家 藤波 大越氏によって
今の茨木市千提寺地区で、初めて隠しキリシタン遺物が発見され
今もクルス山には3基のキリシタン墓碑が祀られています。
先提寺地区 東 久嗣家 のキリシタン墓碑
この墓碑が、隠しキリシタン遺物発見の発端になりました。
地元産の花崗岩を使用、舟型光背形
●表面上部に二支十字章、その下中央に 「上野マリヤ」
右に 「慶長八年」左に 「正月十日」と割書きにして字が彫られていました。
上部の「二支十字」は少し見えてますが
その他の文字は風化して見え難くなっていました。
先提寺地域 中谷 悟家のキリシタン墓碑
「上野マリヤ」キリシタン墓碑から、すぐ近くにあります。
地元産の花崗岩の割石を使用、従来仏教徒によって使用されてきた板碑の形式をとり、頭部は山形に作り碑面は平調整し、基礎部に近く薄肉で蓮台を彫出する。
●左:碑面上部に大きく千十字を刻み
下右から「慶長6年 佐保カラゝ 四月一日」と割書き。
(良質の石材を使用で、保存状態は良好でした。)
●右:埋め込み分16cmを残して、少し掘り込んで碑面を作り
上部には、他とは異なった十字で、十字の下にある3行の銘文は
認められるが、現在ではほとんどが読めませんでした。
下音羽地区で3基、千提寺地区の3基で、合計6基の隠れキリシタン墓碑でした。
いばらき観光ウォーク「隠れキリシタンの里コース」2010年12月19日(日)より
忍頂寺(にんちょうじ)から下音羽に通じる道は、きれいに舗装がされた車が通れる広い道があるのですが、私達は枯葉で敷き詰めたような小高い細い山道の 「キリシタン自然歩道」 を通りました。
「見山の郷」から「忍頂寺」までの帰り道 (キリシタン自然歩道の東側の道)
ここは二人が並んで通れる広い方ですが・・・キリシタン自然歩道と同じような道で
所々一人しか通れないような細い山道でした。
「千提寺地区 クルス山」 の入り口
初めて「隠れキリシタン墓碑」 が発見された 「クルス山」 の入り口には
畦道のようなところに、手作りの小さな標識がありました。
大正8年 (1919年) に、キリシタン研究家 藤波 大越氏によって
今の茨木市千提寺地区で、初めて隠しキリシタン遺物が発見され
今もクルス山には3基のキリシタン墓碑が祀られています。
先提寺地区 東 久嗣家 のキリシタン墓碑
この墓碑が、隠しキリシタン遺物発見の発端になりました。
地元産の花崗岩を使用、舟型光背形
●表面上部に二支十字章、その下中央に 「上野マリヤ」
右に 「慶長八年」左に 「正月十日」と割書きにして字が彫られていました。
上部の「二支十字」は少し見えてますが
その他の文字は風化して見え難くなっていました。
先提寺地域 中谷 悟家のキリシタン墓碑
「上野マリヤ」キリシタン墓碑から、すぐ近くにあります。
地元産の花崗岩の割石を使用、従来仏教徒によって使用されてきた板碑の形式をとり、頭部は山形に作り碑面は平調整し、基礎部に近く薄肉で蓮台を彫出する。
●左:碑面上部に大きく千十字を刻み
下右から「慶長6年 佐保カラゝ 四月一日」と割書き。
(良質の石材を使用で、保存状態は良好でした。)
●右:埋め込み分16cmを残して、少し掘り込んで碑面を作り
上部には、他とは異なった十字で、十字の下にある3行の銘文は
認められるが、現在ではほとんどが読めませんでした。
下音羽地区で3基、千提寺地区の3基で、合計6基の隠れキリシタン墓碑でした。