kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大坂城の櫓 特別公開 ⑥現存するのはここだけの 「焔硝蔵」  完

2020年10月03日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
昨日、ドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染したニュースがありましたが トランプ氏「数日間」入院へ コロナ治療も執務続行 の記事はこちら


織田信長が「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」とささやいたのが
名前の由来になったと言われる「千貫櫓」を出て、「焔硝蔵」に向かいます。


千貫櫓を出ると、階段の下に「焔硝蔵」への矢印


矢印に沿って北方向に歩いています。


右に大坂城が見えています。


今度は右折して東方向に進みます。


西の丸庭園が広がっています。


大坂城と、庭園で遊んでいた子供
ここでは子供が安心して飛び回ることができますね。


左(北方向)へ曲がると、右側に見えるのは「大阪迎賓館」のようです。

乾櫓(いぬいやぐら)

そして、正面に見えたのはL字形をした「乾櫓」です。

徳川幕府による築城の最初の年にに築かれたもので千貫櫓と並び
現在大阪城に残る古建築物のうちでも最古となるそうです。

乾櫓の名前は
大阪城の西北角に建ち、方位が「 戌亥 ( いぬい ) 」にあることからでした。

大阪迎賓館の玄関

行きたいと思いながらも・・・今までに行く機会がありませんでした。
迎賓館のことは、別のところでご紹介したいと思います。


やっと焔硝蔵が見えたと思いましたが・・・ここは出口でした。(^^ゞ


●焔硝蔵(えんしょうぐら)

焔硝蔵は、西の丸庭園内の北の端にありました。

江戸時代、この周囲一帯には米蔵をはじめとする蔵が
多く立ち並んでいたそうです。


焔硝蔵の前(東)に、大阪迎賓の茶室(写真右)があります。


江戸時代には、完成した火薬ををおさめた蔵のことを


焔硝蔵と呼んだそうです。


江戸時代のまま残っているのはこの一棟のみです。


東西に開く扉があります。


建造:貞享2(1685)年
内部貯蔵部 :横2.7メートル×縦15.8メートル 。


面積:約171.9平方メートル
高さ:約5.4メートル
壁・天井・床の全てが花崗岩です。


重厚な石壁の厚さは 約2.4メートル 。


天井も石の梁です。


焔硝蔵は、引火防止のため半地下式の「埋土蔵」でしたが、万冶3(1660)年に落雷で大爆発が起きたことで、幕府は火薬の安全で安定した保管方法としてあみ出されたのが、現在残る総石造りの焔硝蔵でした。
コメント (4)
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