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織田信長が「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」とささやいたのが
名前の由来になったと言われる「千貫櫓」を出て、「焔硝蔵」に向かいます。
千貫櫓を出ると、階段の下に「焔硝蔵」への矢印
矢印に沿って北方向に歩いています。
右に大坂城が見えています。
今度は右折して東方向に進みます。
西の丸庭園が広がっています。
大坂城と、庭園で遊んでいた子供
ここでは子供が安心して飛び回ることができますね。
左(北方向)へ曲がると、右側に見えるのは「大阪迎賓館」のようです。
乾櫓(いぬいやぐら)
そして、正面に見えたのはL字形をした「乾櫓」です。
徳川幕府による築城の最初の年にに築かれたもので千貫櫓と並び
現在大阪城に残る古建築物のうちでも最古となるそうです。
乾櫓の名前は
大阪城の西北角に建ち、方位が「 戌亥 ( いぬい ) 」にあることからでした。
大阪迎賓館の玄関
行きたいと思いながらも・・・今までに行く機会がありませんでした。
迎賓館のことは、別のところでご紹介したいと思います。
やっと焔硝蔵が見えたと思いましたが・・・ここは出口でした。(^^ゞ
●焔硝蔵(えんしょうぐら)
焔硝蔵は、西の丸庭園内の北の端にありました。
江戸時代、この周囲一帯には米蔵をはじめとする蔵が
多く立ち並んでいたそうです。
焔硝蔵の前(東)に、大阪迎賓の茶室(写真右)があります。
江戸時代には、完成した火薬ををおさめた蔵のことを
焔硝蔵と呼んだそうです。
江戸時代のまま残っているのはこの一棟のみです。
東西に開く扉があります。
建造:貞享2(1685)年
内部貯蔵部 :横2.7メートル×縦15.8メートル 。
面積:約171.9平方メートル
高さ:約5.4メートル
壁・天井・床の全てが花崗岩です。
重厚な石壁の厚さは 約2.4メートル 。
天井も石の梁です。
焔硝蔵は、引火防止のため半地下式の「埋土蔵」でしたが、万冶3(1660)年に落雷で大爆発が起きたことで、幕府は火薬の安全で安定した保管方法としてあみ出されたのが、現在残る総石造りの焔硝蔵でした。
織田信長が「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」とささやいたのが
名前の由来になったと言われる「千貫櫓」を出て、「焔硝蔵」に向かいます。
千貫櫓を出ると、階段の下に「焔硝蔵」への矢印
矢印に沿って北方向に歩いています。
右に大坂城が見えています。
今度は右折して東方向に進みます。
西の丸庭園が広がっています。
大坂城と、庭園で遊んでいた子供
ここでは子供が安心して飛び回ることができますね。
左(北方向)へ曲がると、右側に見えるのは「大阪迎賓館」のようです。
乾櫓(いぬいやぐら)
そして、正面に見えたのはL字形をした「乾櫓」です。
徳川幕府による築城の最初の年にに築かれたもので千貫櫓と並び
現在大阪城に残る古建築物のうちでも最古となるそうです。
乾櫓の名前は
大阪城の西北角に建ち、方位が「 戌亥 ( いぬい ) 」にあることからでした。
大阪迎賓館の玄関
行きたいと思いながらも・・・今までに行く機会がありませんでした。
迎賓館のことは、別のところでご紹介したいと思います。
やっと焔硝蔵が見えたと思いましたが・・・ここは出口でした。(^^ゞ
●焔硝蔵(えんしょうぐら)
焔硝蔵は、西の丸庭園内の北の端にありました。
江戸時代、この周囲一帯には米蔵をはじめとする蔵が
多く立ち並んでいたそうです。
焔硝蔵の前(東)に、大阪迎賓の茶室(写真右)があります。
江戸時代には、完成した火薬ををおさめた蔵のことを
焔硝蔵と呼んだそうです。
江戸時代のまま残っているのはこの一棟のみです。
東西に開く扉があります。
建造:貞享2(1685)年
内部貯蔵部 :横2.7メートル×縦15.8メートル 。
面積:約171.9平方メートル
高さ:約5.4メートル
壁・天井・床の全てが花崗岩です。
重厚な石壁の厚さは 約2.4メートル 。
天井も石の梁です。
焔硝蔵は、引火防止のため半地下式の「埋土蔵」でしたが、万冶3(1660)年に落雷で大爆発が起きたことで、幕府は火薬の安全で安定した保管方法としてあみ出されたのが、現在残る総石造りの焔硝蔵でした。