kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大坂城の櫓 特別公開 ⑤ 「千貫櫓(せんがんやぐら)の内部」

2020年10月02日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
昨日は、東証がシステム障害で全銘柄の取引を終日停止で大変したが
今日は通常取引が再開できそうなので良かったですね。

河野行政改革担当大臣が、各省庁に対して廃止が可能かどうかの回答に
ハンコ9割以上を廃止へ「法律は理由にならない」 の記事はこちら


④ 大手口多聞櫓・渡櫓の内部のつづき「千貫櫓」です。

渡櫓の北西に位置する出口から武者走りを通ると「千貫櫓」です。


振り返ると、いま出てきた渡櫓の西端です。


千貫櫓へはこの門を入りますが、門の先に道が見えています。


門をくぐって左に行くと、千貫櫓の入口でした。


千貫櫓に入って見えたのは・・・


北側に延びる廊下と


西側へ延びる廊下から大手土橋が一望です。


千貫櫓は、大手口を北西から横矢で防御する位置にある二の丸の隅櫓です。
(千貫櫓から大手土橋まで約41mの距離)


格子窓と鉄砲狭間、その下に写真にはありませんが石落としもありました。


西側の張出には


鉄砲狭間の前に火縄銃を持った兵士と


火縄銃が展示され


火縄銃は体験用なので持たせて貰いましたが
想像よりも軽いのは、鉄砲狭間の体験用なので軽くしてあったようです。


2階に上がる階段は上がれないようになっています。

修理報告書によると
内室は天井張りの居室構え、武者走りの幅は一間、千鳥破風の内側は
壁に接していて武者隠し的な空間は無いそうです。


北の壁に、昭和の修理時に交換した懸魚が壁に展示されています。


千貫櫓の出口です。


千貫櫓の北側にある出口から階段を下りたところです。



「千貫櫓」名称の由来は
この地にあった石山本願寺を織田信長が攻めた際、横矢をかける隅櫓に難渋し
あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与える、と言ったことに由来するそうです。

昭和36年の修理前の千貫櫓

貴重な写真がありましたので、お借りしました。(^^ゞ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする