健康ハイキング「青龍三年の丘 安満宮山古墳」のつづきです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e0/7ade1ac85269e5cd73e1903b9ff84ce5.jpg)
安満山を下りて「磐手杜神社」へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e4/915185980394e724978cb77937ebd583.jpg)
この地点から、①~③は磐手杜神社までの順路です。
地図①
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8d/ce0a33c7e7d06626996ed806d9b18f61.jpg)
名神高速道路が目の前に見えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a3/1616f38d63b6ae4dc95855fe33036231.jpg)
名神高速道路の下です。
左側の檜尾川(ひおがわ)に沿っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/bf/323a0beb230f76af9533af1da970487b.jpg)
左側に「右 総持寺」とありますが方向的には
右側の正面から見て、右側が「総持寺」なのかな・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d7/d6b7193c8b5636e9e4459af35514dd0a.jpg)
左側は、名神高速道路と檜尾川です。
地図②
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ef/341b962689dec6a78bb038780a87500a.jpg)
上写真の左に見える、檜尾川に架かる橋を渡ります。
正面は、名神高速道路です。
地図③
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/13/d2cb91a015f4f9c49d314e36164b5a9b.jpg)
橋を渡ってから、右の檜尾川に沿って進みます。
磐手杜神社(いわてもり じんじゃ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cf/e473cf41c86505d8faae1d213075f513.jpg)
安満山の南西麓にあり
桧尾川に面してもとは安満神社といいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/13/d7bae35b43d1d9f8674a92dd22559626.jpg)
高槻市安満磐手町にある神社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/5d/bb12f1d11c2f5bb230f53487cd1e6bb3.jpg)
とんど焼の跡が・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b5/3349a7a208c9c8d469cf545b207a6e34.jpg)
何年も前の5月5日に来たことがありますが
その時は「神輿渡御神事(通称 馬祭)」でした。
夜啼石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/bf/564f1610d589f9fb4e2e5d761c614e38.jpg)
高槻城主永井近江守の老臣長田文八郎氏が、この奇岩に目を付けて持ち帰り、自分の庭に置いたところ毎夜「あま(安満)へいのう~」と繰り返し啼いたので再び社頭に返されたと言われています。
拝殿 絵馬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/af/89a30908f2d60551961f58da4b96b4c7.jpg)
社頭の森は磐手の杜と呼ばれ、歌枕として名高く、毎年1月15日には、氏子がそろって参詣し粥占いの神事を行い、その年の穀物の豊凶を占います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/04/bbafcb6b928c6b19dbef745f08a90df9.jpg)
中央に「春日大明神の扁額」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/de/9c3a342031ed5f2b5f81a776de656b2c.jpg)
12世紀頃に春日神社に改めて、タケミカヅチノミコト・フツヌシノミコトなどを祭神とし、明治44年(1911)に現在の社名になりました。 だから「春日大明神の扁額」があったのですね。
春日橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d6/461cbfea3a3194f518a63597e51a3d76.jpg)
春日を冠したのは、当時安満一帯が奈良春日神社の荘園となって、村の鎮守に春日大名神を勧請(かんじょう)したためとみられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/7d/a74e83b45334b26ead9681ef7f0b9774.jpg)
毎年5月5日には、稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事(通称:馬祭)」が行われます。
五穀豊穣と村の安寧を願う農耕儀礼として、村の神事祭礼を担ってきた宮座が中心となり、伝統の祭りを守り伝えています。
追記
「安満宮山古墳」から行きましたが、JR高槻駅南口・阪急高槻市駅から市営バス<梶原東>行き「安満」下車、徒歩約10分です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e0/7ade1ac85269e5cd73e1903b9ff84ce5.jpg)
安満山を下りて「磐手杜神社」へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e4/915185980394e724978cb77937ebd583.jpg)
この地点から、①~③は磐手杜神社までの順路です。
地図①
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8d/ce0a33c7e7d06626996ed806d9b18f61.jpg)
名神高速道路が目の前に見えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a3/1616f38d63b6ae4dc95855fe33036231.jpg)
名神高速道路の下です。
左側の檜尾川(ひおがわ)に沿っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/bf/323a0beb230f76af9533af1da970487b.jpg)
左側に「右 総持寺」とありますが方向的には
右側の正面から見て、右側が「総持寺」なのかな・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d7/d6b7193c8b5636e9e4459af35514dd0a.jpg)
左側は、名神高速道路と檜尾川です。
地図②
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ef/341b962689dec6a78bb038780a87500a.jpg)
上写真の左に見える、檜尾川に架かる橋を渡ります。
正面は、名神高速道路です。
地図③
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/13/d2cb91a015f4f9c49d314e36164b5a9b.jpg)
橋を渡ってから、右の檜尾川に沿って進みます。
磐手杜神社(いわてもり じんじゃ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cf/e473cf41c86505d8faae1d213075f513.jpg)
安満山の南西麓にあり
桧尾川に面してもとは安満神社といいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/13/d7bae35b43d1d9f8674a92dd22559626.jpg)
高槻市安満磐手町にある神社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/5d/bb12f1d11c2f5bb230f53487cd1e6bb3.jpg)
とんど焼の跡が・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b5/3349a7a208c9c8d469cf545b207a6e34.jpg)
何年も前の5月5日に来たことがありますが
その時は「神輿渡御神事(通称 馬祭)」でした。
夜啼石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/bf/564f1610d589f9fb4e2e5d761c614e38.jpg)
高槻城主永井近江守の老臣長田文八郎氏が、この奇岩に目を付けて持ち帰り、自分の庭に置いたところ毎夜「あま(安満)へいのう~」と繰り返し啼いたので再び社頭に返されたと言われています。
拝殿 絵馬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/af/89a30908f2d60551961f58da4b96b4c7.jpg)
社頭の森は磐手の杜と呼ばれ、歌枕として名高く、毎年1月15日には、氏子がそろって参詣し粥占いの神事を行い、その年の穀物の豊凶を占います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/04/bbafcb6b928c6b19dbef745f08a90df9.jpg)
中央に「春日大明神の扁額」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/de/9c3a342031ed5f2b5f81a776de656b2c.jpg)
12世紀頃に春日神社に改めて、タケミカヅチノミコト・フツヌシノミコトなどを祭神とし、明治44年(1911)に現在の社名になりました。 だから「春日大明神の扁額」があったのですね。
春日橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d6/461cbfea3a3194f518a63597e51a3d76.jpg)
春日を冠したのは、当時安満一帯が奈良春日神社の荘園となって、村の鎮守に春日大名神を勧請(かんじょう)したためとみられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/7d/a74e83b45334b26ead9681ef7f0b9774.jpg)
毎年5月5日には、稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事(通称:馬祭)」が行われます。
五穀豊穣と村の安寧を願う農耕儀礼として、村の神事祭礼を担ってきた宮座が中心となり、伝統の祭りを守り伝えています。
追記
「安満宮山古墳」から行きましたが、JR高槻駅南口・阪急高槻市駅から市営バス<梶原東>行き「安満」下車、徒歩約10分です。