
高槻城主と言えば
江戸幕府のキリスト教禁教令で国外に追放され、殉教したキリシタン大名の高山右近(1552~1615年)が知られています・・・
キリシタン大名として高名な高槻城主であった高山右近は、江戸幕府のキリスト教禁教令で国外に追放され、殉教したキリシタン大名の高山右近(1552~1615年)を、カトリック教会で最高位の崇敬対象である「聖人」に次ぐ「福者」の殉教認定に、フランシスコ・ローマ法王が承認されました。
永井神社

永井神社は、旧城内にある野見神社の摂社で、寛政5(1793)年8月に9代高槻藩主永井直進が、初代直清を祭神として創建しました。
唐門 有形文化財

九代 永井直進が、藩祖直清(なおきよ)を祭神として
2005年に高槻市の有形文化財に指定されています。
江戸時代の建築様式をよく表す高槻藩の歴史遺産でもあります。
左側に少し見えるのは、野見神社の本殿です。
透塀と脇門

□は透塀になって中が見えるようになっています。
今日は脇門から入っていきます。
唐門の内側

嘉永元(1848)年に、11代直輝が初代直清の高槻城入城200年を記念して、社殿を修復し唐門と拝所を造立しました。

高槻城は、戦国時代以前から歴史に登場します。
永井直勝の二男直清(なおきよ)は1649年に加増されて摂津高槻(大阪府高槻市)に三万六千石で入り廃藩置県まで続きましたが、明治時代に高槻城は取り壊されてしまいました。
永井家の家紋

高槻藩主だった永井家は、代々家紋のモチーフとなった鉄線の花を育て、家臣に与え、家臣の家にも鉄線の花が受け継がれ、近年まで市内のあちこちで育てられていたと言われています。