「檀林皇后九相図」で知られる、第52代 嵯峨天皇后の嵯峨陵のつづき・・・
六丁峠を下ってくると、突然に景色が変わりました。
嵯峨鳥居本(さがとりいもと)は、京都市右京区の地区名で
古くは「化野(あだしの)」と呼ばれ、京の人々の埋葬の地でしたが
現在の町並みは愛宕神社の鳥居前町として発展しました。
愛宕山頂に近い愛宕神社への参詣道であり、その「一ノ鳥居」付近に
集落が形成されたことから地名になったそうです。
「鮎の宿 つたや」さんは、400年前の江戸時代、愛宕山の門前町として
愛宕山を登るお客様にお茶を出すようになったのが始まりです。
現在の町並みは愛宕神社の鳥居前町として発展したものです。
このような茅葺きの農家が多い上地区と
この先にある化野念仏寺を境にして
瓦屋根の町家風民家が並ぶ下地区があるそうで・・・
1979年に国重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
お店ではなく、普通に生活をされている藁葺き屋根の家です。
「嵯峨鳥居本伝統的建造物保存地区」と書かれた案内板
嵐山(右)に向かって歩いていくと、化野念仏寺へでます・・・
マンホールではなく側溝の蓋です。
六丁峠を下ってくると、突然に景色が変わりました。
嵯峨鳥居本(さがとりいもと)は、京都市右京区の地区名で
古くは「化野(あだしの)」と呼ばれ、京の人々の埋葬の地でしたが
現在の町並みは愛宕神社の鳥居前町として発展しました。
愛宕山頂に近い愛宕神社への参詣道であり、その「一ノ鳥居」付近に
集落が形成されたことから地名になったそうです。
「鮎の宿 つたや」さんは、400年前の江戸時代、愛宕山の門前町として
愛宕山を登るお客様にお茶を出すようになったのが始まりです。
現在の町並みは愛宕神社の鳥居前町として発展したものです。
このような茅葺きの農家が多い上地区と
この先にある化野念仏寺を境にして
瓦屋根の町家風民家が並ぶ下地区があるそうで・・・
1979年に国重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
お店ではなく、普通に生活をされている藁葺き屋根の家です。
「嵯峨鳥居本伝統的建造物保存地区」と書かれた案内板
嵐山(右)に向かって歩いていくと、化野念仏寺へでます・・・
マンホールではなく側溝の蓋です。
一部が瓦でした。愛宕山には登らなかったのですか?
私の家は瓦だったので分かりませんが
桧皮葺きは、冬は暖かくて夏は涼しいので
快適だと聞いたことがあります。
愛宕山は予定に入ってなかったのですが・・・
近くまで行っても、私には愛宕山は遠かったです。
なおとさんは行かれたのですか?
なおとさんも途中で何度も諦めようと思われたのですね。
昔の人は、愛宕さん参り、お伊勢さん参りなど
電車もバスもない時代に歩いて行かれたのですね。
頭が下がる思いです。
貴重な桧皮葺きの材料を20年毎に
自家保有の山から調達されていたとは
かなりの山を持っておられたのですね。
それも凄いことです。
我が家は、大阪市内で山もちでもなかったようです。
色んなお話しありがとう~